本格ミステリ作家クラブが編纂する年鑑アンソロジーの第一弾。2001年刊行の1冊目というのもなかなかよろしい、かも。
本書には2000年に発表された(或いは単行本に収録された)短編13編と評論3本収録。短編は13編中既読は6編、評論は2編が既読。だからどうした、と言う声も聞こえてくるが。最後の初出一覧は出典一覧に直すべきだよなあと思ったりもして。
しかし、本書はどういう基準でセレクトされたのか。いや、駄作揃いと言うわけではない。皆秀作揃いと言うのは断言しても良い。だが、「本格」と言う枠組みで選ぶならばあの作品やこの作品を入れた方が良かったのに……と思う漏れた作品も少なからずある。まあ、それはこの種のアンソロジーにはつきものなのかも知れないが。せっかく本格ミステリ大賞のノミネート作アンケート一覧や本格ミステリ作家クラブ活動報告もあるんだから、アンソロジー収録候補作という一覧があっても良いんじゃないのか? と思ったりもする。というのもあるが、収録作品が面白いのばかりだったので、本書に関しては不満はない。多分。
13編の小説の中では意外な動機や××関係が明らかになる「紅雨荘殺人事件」、再読だが「子供部屋のアリス」、同じく再読の「邪宗仏」sが印象に残った。
来年7月に出るであろう『本格ミステリ02』にも期待する。「紅雨荘殺人事件」(有栖川有栖)★★★★
「鳥居の赤兵衛」(泡坂妻夫)★★★☆
「四角い悪夢」(太田忠司)★★★☆
「子供部屋のアリス」(加納朋子)★★★★
「邪宗仏」(北森鴻)★★★★
「人を知らざることを思う」(鯨統一郎)★★★
「正太郎と井戸端会議の冒険」(柴田よしき)★★★☆
「エッシャー世界 」(柄刀一)★★★☆
「黒の貴婦人」(西澤保彦)★★★
「中国蝸牛の謎」(法月綸太郎)★★★☆
「透明人間」(はやみねかおる)★★★
「オリエント急行十五時四十五分の謎」(松尾由美)★★★☆
「龍の遺跡と黄金の夏」(三雲岳斗)★★★☆
旺盛な執筆活動を続けている倉阪鬼一郎の長編ホラー。本書は作者の闇のドッペルゲンガーと思われるような小説家の視点で物語は進む。というか、作者自身がモデルでは? と思うような記述がちらほら。日記ページを間借りしてるとか、目の手術したとか(笑)。作家の視点で話は進むが、幻覚なの現実なのか、幻なのか否かと、目の障害故の視点の幻惑具合が眼目か。『ブラッド』(集英社)同様或る意味スプラッタなのであるが、そのスプラッタ度合いは生やさしい。『ブラッド』も生やさしいけれども。スプラッタが中心ではないが、もう少しグロいのにしても良かったのではないか。『屍船』(徳間書店)収録の《異形コレクション》初出短編ぐらいはやっても良いよな、と思いつつ読んだり。
読んでる最中夢野久作の『ドグラ・マグラ』(教養文庫他)を思い出した。夢か現かと幻惑する様はペダントリー抜きの『ドグラ・マグラ』ではないのか? と思ったり。タイトルの『サイト』は視覚の英訳である「sight」とWEBサイトの「site」両方かけられている。「site」の方も切り離せないし、言うまでもなく「sight」の方も切り離せない。不可分な「sight/site」のタイトルセンスは巧いと思った。内容の現実か幻かの境界の書き方も巧い。この辺は倉阪鬼一郎の本領発揮というとこか。
長編であるが、どちらかというと連作短編集を読んでる感じがした。これは、恐らく、倉阪鬼一郎が短編作家であることに起因するんであろうか。
夢か現か不可解な小説。カテゴリー分けをすればホラーなのであろうが、どこにも属さない不思議なものなのかも知れない。
『ウエディングドレス』、『ペルソナ探偵』(共に講談社ノベルス)に続く、ネット者待望のくろけんシリーズ第三弾(勝手にシリーズにしてるし(笑)。なお、三作品とも作品的な繋がりは一切無し)。本書は『ウエディングドレス』の派手さ、『ペルソナ探偵』の伏線の妙が渾然一体になった初期黒田研二の代表作の一つと言っても良いかもしれない。一年前にアイドルの後追い自殺をした弟、健司。兄である森本晋一郎は未だ弟の死の痛手から離れられない毎日を送っていた。弟は小泉つばさを本当に愛していたのだ。死んだ人の思い出を抱え、人は生きていく。晋一郎の恋人である女優兼ミステリ作家の美内歌織もその一人だった。小泉つばさの後追い自殺は社会現象になり、健司の他に死んだ人間も何人か居た。そして、忌まわしい出来事から一年が経ち、事件の歯車が動き出す。歌織は小泉つばさを自殺に追いやった<死神>の正体を暴くべく、事件をモデルにした生放送のドラマの企画を立ち上げ、実行に移す。そして当日。晋一郎の元に何者かの脅迫電話がかかってきて、歌織は何ものかが仕掛けた毒にやられる。
マトリョーシカというのはロシア産の人形で、人形を開けると中から人形が出て来て、その人形を開けるとまた人形が……という多重構造の人形だ。それ故に、この『硝子細工のマトリョーシカ』も畢竟多重構造のミステリということになる。それにしても、この作品の構造は凄い。非常に単純ながら、その単純さを気付かせない。マトリョーシカの如く入り組んだプロットは一カ所に気付くと見事に瓦解する。だが、読むものはそこに最後まで気付かない。
この作品は『ウエディングドレス』みたいな派手な物理トリックがあるわけでもないし(先に述べた「派手さ」というのは物理トリックではない派手さである)、『ペルソナ探偵』みたいな同人誌で構成されている面白い趣向があるわけでもない。しかも、出てくるミステリ的な謎は毒混入は如何に為されたか、というのと小泉つばさを死に追いやった<死神>は誰かというフーダニット、そして或る種の密室。密室も従来のパズラーに出てくるような堅牢なものというわけではない。或る意味二時間ドラマで出て来そうな状況下も(でも、この密室トリックの解明は、それはそれで凄いかも)。どことなく地味な印象もなきにしもあらずであるが、それが最後の最後で二転三転する様はそこんじょらの作品を凌駕するのでは無かろうか。その二転三転具合が本書の最大の眼目。伏線の妙味というミステリの基本的楽しさを満喫させてくれるものと言える。自信のホームページの日記であんなアホなことばっかやってる人間がこんなもの書けるのか? などという作者に真っ向から喧嘩売ってるような事を思ったが、ホームページを知ってる人間ほどこの作品は驚かされるかも知れない。もしかして……(以下略)。
ミステリファンなら押さえておきたい作品であることは間違いない。個人的には2001年のミステリベスト10圏内(7月時点)
城昌幸というと、鮎川哲也編の『怪奇探偵小説傑作選』(ハルキ文庫)に収録されている「怪奇製造人」という作品が(多分)一番有名じゃないかなあ。あと、創元推理文庫刊の『日本探偵小説全集 名作集2』に収録されてるのかな。城昌幸は本書の他には国書刊行会刊の『怪奇製造人』と春陽文庫刊の『死人に口なし』と、入手可能かは不明だが春陽文庫刊の『若さま侍捕物手帳』という時代ミステリ連作もあったはず。個人的に既刊入手容易作品(2001年7月時点)との異同がどれくらいあるか知りたいところ、かも。
本書『みすてりぃ』は、昭和38年に桃源社から出た自作傑作選『みすてりぃ』を第一部にし、第二部には城昌幸の代表的な作品が収録されている。乱歩が「人生の怪奇を宝石のように拾い歩く詩人」と評したらしいが、その言葉はまさに、城昌幸の作品を指し示すには打ってつけな、これ以上にない言葉であろう。また、国産ショート・ショートの先駆者の一人としての評価も為されてしかるべきだろう。本書に収録された作品を読むとそう思わざるを得ない。ショート・ショートというと星新一だけがもてはやされているが(読んでみると面白い作品が沢山あるので否定はしないけれども。というか、出来ないか)、城昌幸集のショート・ショートも面白い。本書の第一部を構成する『みすてりぃ』に収録された作品の中では「その家」、「猟奇商人」、「怪奇製造人」、「死人の手紙」、「模型」、「ヂャマイカ氏の実験」、「不可知論」あたりが印象に残る。この中では「猟奇商人」は本書収録以前にどこかで読んだ気がするが思い出せない。はて、どこに収録されたのか。宮澤の探偵小説頁内の目録でも判明せず。それにしてもタイトルセンスは良いよなあ。
第二部では「脱走人に絡まる話」、「シャンプルオオル氏事件の顛末」、「秘密を売られる人々」、「罪せられざる罰」、「吸血鬼」、「七人目の異邦人」、「面白い話」、「夢見る」あたりが印象に残る。城昌幸の作品の魅力は何か、と問われればこう答えると思う。「結末に頼らない作品作り」と。ショート・ショートというと結末の意外性が問われがちであるが、本書に収録されているのは中には結末の意外性がないのもある。だが、それも面白いのだ。意外性がない故の面白さというのは興味深い。城昌幸は意外性をさほど重視しない作家だった気がする。というのも、(あくまで私の感性では、だが)第一部を構成する『みすてりぃ』よりも第二部を構成する作品の方が意外性を追求している作品が多いような気がするのだ。この辺興味深い。結末の意外性を追求しないショート・ショートは確か、井上雅彦の作品にも結構見られた気が。井上雅彦の先祖と言うべきか。
編者日下三蔵による解説によると、もう百編ぐらい本書に収録してないものもあるらしく、それらを本にする腹案が日下三蔵にあるようだ。城昌幸の他の作品を読みたいとうろつく必要がなくなるように早期の刊行を望みたい。
本書は、「玩具修理者」で第二回日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞した小林泰三の長編。小林泰三は基本的に短編作家と思うが、『密室・殺人』(角川ホラー文庫)という或る意味トンデモすぎる怪作長編を書いているので油断は禁物。本書には(どこだか忘れたが)「ウルトラマンミーツ電波」という評があり、果たしてどのようなものなのであろうかと読む前から身構えさせられる。読了後この評は非常に巧いものだ、というのがよくわかるがそこはそれ。電波生命体(?)の「ガ」は「影」を追って地球にやってきた。「影」を追う過程で「ガ」は飛行機を墜落させてしまう。一方、飛行機の墜落事故で死んだと思われた諸星隼人は彼の妻沙織の前で復活する。阿鼻叫喚を極める墜落事故現場で何故隼人は生き返ったのか。一方、新興宗教「アルファ・オメガ」は黙示録に基づく予言を売り物にしていた。生き返った隼人は杉沢村へ取材に赴く。そこで彼は怪獣に出くわす。そして、隼人は変身する。
初代『ウルトラマン』は、確かとりのがした怪獣を地球に追って来、ミスでハヤタ隊員を死なせてしまい、贖罪として己の命を与えた、という設定だったと記憶する。まさに本書の「ガ」と諸星隼人の関係はウルトラマンとハヤタ隊員のそれだ。それだけではない。主人公の諸星隼人の姓「諸星」にしてもウルトラシリーズが原典、というのは言うまでもない。しかし、「杉沢村」というのは、なんだか(笑)。こっちは多分ウルトラシリーズに原典はないと思うが。
また、『空想科学読本』のつっこみを踏まえた描写で、じつに「リアル」な「ウルトラマン」を描いてくれる。変身後の諸星隼人の描写なんぞ、「うへえ」とのけぞること請け合い。ハードSFとしての面目躍如。というか、かなり嫌な描写なんだが(苦笑)。友成に比べるとまだ大丈夫だが(比べるのがどうかしている?)、スプラッタ苦手な人は読むのをやめたが良いかも。全編を覆う救いのない終末観は見事だ。聖書の黙示録をモチーフにした世界観は小林泰三の資質とあいまって巧く描かれていると言えよう。今ふと思ったのであるが、この辺もウルトラマンのシリーズ、例えば『ウルトラマンティガ』の最終回を思い起こさせる。ますます「ウルトラマンミーツ電波」と言う評の的確さ、巧さに舌を巻かされる。
冒頭や随所に描かれたスプラッタ描写はスプラッタに留まらず、物語を盛り上げる核になっている。この辺の小説作りというか物語作りは非常に巧いと思う。小林泰三の集大成と言っても良いかもしれない。冒頭からのつかみ、ハードSFで語られるウルトラマン(正確にはウルトラマンをモデルにしたと思われる物語、だが)、黙示録など「心鷲掴み!」な展開だが、結末はどうかと思うぞ(笑)。いやあ、笑った笑った。今までの展開を良い意味悪い意味両方の意味でぶちこわしてくれるし。もしかして、小林泰三って作家かなり性格ねじれてる?(笑)。
本書は小林泰三の代表作のみならず、2001年のSFを代表する作品と言っても過言ではないかもしれない。まあ、SFに関しては「ド」がない程度の素人なんで当てにならんかもしれんけれども。いずれにせよ、オススメな作品な事は間違いない。
本書『石ノ目』を読んで私は一つの考えに思い至った。乙一はホラー作家ではない、と。デビュー作である『夏と花火と私の死体』(集英社文庫)が死体の一人称だった故か、本書読了時点では未読だが『天帝妖弧』(同)のせいなのか、乙一はホラーの文脈で語られることが多い。だが、角川スニーカー文庫から刊行された『失踪HOLIDAY』と『きみにしか聞こえない―CALLING YOU―』の二冊を読むとこの乙一はホラーの領域の作家と言うにはちと違和感がある、と思わざるを得ない。そして、本書読了時に確信した。先に述べた、乙一はホラー作家ではない、と言うことに。
まあ、乙一をホラーだと言ってるのは周りだけで、本人はホラーを書いてるつもりは毛頭ないかもしれない。多分、本人は自分が面白いと思う話を書いてるだけなんだろうと思う。「小説すばる」(集英社)に発表された短編を一編読んだことがあるが、ミステリ風味のユーモア小説だったような記憶がある。ホラーのかけらもなかったはずだ。本書収録の諸作はホラーのかけらこそはあるものの、ホラーと言うには違うものになっているものばかり。いわば、奇譚というべきものばかりなのだ。そう、乙一はホラー作家ではなく、奇譚作家なのだと私は思う。本書には「石ノ目」、「はじめ」、「BLUE」、「平面いぬ。」の四編が収録されている。この中では「石ノ目」がホラー度が若干あるだけで(というか、人によってはホラーそのもの、かも)あとはまさに「奇譚」としか言い様のない物ばかり。
「石ノ目」は顔みたら石になってしまうと言う「石ノ目」の伝承が息づいている村の中学教師が主人公の物語。夏休みに同僚の教師と山登りにいくものの遭難してしまう。だが、見知らぬ人に助けられる。しかし、その見知らぬ人は石ノ目ではないか、と疑いを持つが……。落としどころはそこしかない、と言う所だが、プロセスは面白かった。意外な伏線もあったりして、なかなか良かった。
「はじめ」は苦し紛れに創造した架空の女の子が実際に存在してしまう、と言う話。存在すると言っても、でっちあげた二人の少年の前でだけであるが。幽霊という存在ではない微かな存在であるが、その存在の存在感が面白い。後書きでもっと無茶をする予定だったと書いてあったが、設定自体が既に無茶なので(笑)この形で正解だったと思う。もっとも、無茶をする予定だったというのは冗談だったかも知れないけれども。
「BLUE」は人形の視点で語られる。人形の視点と言っても、ただの人形ではなく動く人形。命を持った人形というべきか。最後あたりは笑えるけれども(いや、多分笑うところじゃないと思う)、最終的な結末はチョット泣かせる。元ネタというか、発想の根本が「グリム童話」か映画の「チャイルドプレイ」か気になるところ。
「平面いぬ。」はふとした切っ掛けで腕に犬のタトゥーを彫ったら、それが動き出すという変な話。しかも、主人公の家族が軒並み揃って癌で余命幾ばくもないというから(笑)。いや、これも笑うとこちゃうか。集中の四編の中でこれが一番お気に入りかも。巧い。巧いよ乙一君と思いながら読んだ。この巧さは読んだ人にしか解らないかも。以上四編。ホントこの人、巧いです。
『和時計の館の殺人』(カッパノベルス)に続くカッパノベルス館シリーズ第二弾。今回は書き下ろしの表題作「赤死病の館の殺人」にアンソロジーや雑誌に発表された三編を加えたもの。しかし、イラストは……。個人的には森江春策のイメージとはほど遠いなあ(笑)。格好良すぎ(をい)。それはさておき、それぞれの作品が高密度のミステリであるのは嬉しい。「赤死病の館の殺人」は旅行に出かけた新島ともか嬢が巻き込まれた陰謀。ポオの「赤死病の仮面」を彷彿させる屋敷に現れる謎の人物、消えた孫娘に当主。と、如何にも探偵小説というガジェットが頻出するが、着地点では非常に現代的(?)な所に行き着く。館の存在意義にまで踏み込むとは、或る意味館ミステリ史上初。館ものに於ける「館」は存在理由を明かされないのが普通だが(っつーか、つっこむと野暮だし)、そこを敢えて明かしてミステリ的な演出にするとは心憎い。細かいトリックや伏線の張り方、申し分なし。残念なのは後半少々どたばたしてる点か。後書きに於ける「赤死病の仮面」への考察に関しては、私はポオは「赤死病の仮面」に於いて怪盗ミステリを創造しようとしたのではないのかと愚考したりもするが……。それはまた別な話。
「疾駆するジョーカー」はここで。読み返してみて、相変わらず薄ら寒い気がする。
県警本部からのキャリアの赴任のどたばた最中に起きた殺人事件を森江春策が解決する「深津警部の不吉な赴任」は四編の中で一番好き。四つの中では一番地味目な感じであるが(四つの中で唯一不可能犯罪がない)、二転三転して綺麗に着地するところは職人芸を感じる。ここまでどんでん返しをやってくれるのか! と感激。
「密室の鬼」はロボットが殺したかのような密室事件が描かれる。衆人観衆の密室ものであるが、なかなか巧く考えられていてる。舞台が京都の鞍馬口というのは……。身近で良いね、とか。だからなんだってゆーな(笑)。以上四編。ミステリの醍醐味を味わえる好短編集と言っても良いであろう。
「コバルト」(集英社)に掲載された短編を纏めたもの。既発表文に枠を嵌めて一種の長編のように仕立て上げている。「コバルト」に掲載された作品は「神を飼う村」を除き全て収録されている。非常に悲しいぞ、おい。いずれどこかで収録されるのか、それとも幻の作品で終わるかは作者のみぞ知る、と言う所か。枠物語を形成するために書き下ろされた冒頭と巻末を飾る「猫の眼のように…」は1927年を舞台に或る少女の自我の崩壊を描く。ここで少女の視点は黒猫に移植され、少女の視点=作中に出てくる黒猫の視点と言うことになる。
「二度目の降霊術」では文字通り降霊術がモチーフ。降霊術がキーになる作品『悪魔が来りて笛を吹く』を読んでるせいか、妙におどろおどろしく感じた。実際おどろおどろしいのであるが。女子生徒を殺したのは誰か、というフーダニットは面白い。最後の仕掛けの後味の悪さはなかなかのもの。
太平洋戦争の時期を舞台にした「火盗り蛾」は山奥の、因習が残る村を舞台にしている。村に伝わるご神体の正体の繭の正体を明かされたときに物語は崩壊に向かって突き進む。『禍記[マガツフミ]』(徳間書店)収録の「天使蝶」を思い起こさせる。こっちも因習残る山奥の村が舞台であった。
主人公がドッペルゲンガーに悩まされる「影の病」は、或る意味田中啓文らしからぬ爽やかなところに落ちる。巧いんだけれども、もの足らなかった。
ノストラダムスの予言の年を描いた「滅びの夏」は恋愛ものが一転してダークなものになる。この反転具合がたまらない。
近未来が舞台になっている「切れた弦」は近未来というのはあまり関係ない。コンクール優勝のために一心不乱に練習する二人であったが、土壇場で悪意の籠もった茶々が入る。それ故に起きた悲劇であるが、最後は、また田中啓文らしからぬ感動的なところに。って、喧嘩売ってるように見えますが、気のせいです。
遠い未来、惑星間航行が普及した時代を舞台にした「卵」は愛と感動の物語(チョット違う)。恋人の脚を治す為に惑星間航行の仕事を請け負うが、運ぶ卵にはとてつもない秘密が。
そして巻末に再び置かれた「猫の眼のように…」で物語は閉じる。多分、「コバルト」と言う掲載紙を意識したからであろう。或る意味田中啓文らしからぬ感動的なものが混じっている。これはこれでいいんだけれども、ちょいともの足らないような。短編の中で気に入ってるのは、もの足らないと言いつつも「影の病」とか「切れた弦」なんだけれども(笑)。
本書は直木賞を受賞した「落ちる」、「ある脅迫」、「笑う男」三編を収録した短編集『落ちる』にデビュー作「みかん山」などの三編を加え、全十編収録した多岐川恭の短編集である。多岐川恭の特徴である卓越した洞察や倒叙ものなど納められており、或る意味お買い得であると言っても良い。トータルの内容の好み等はさておき、今迄直木賞受賞作を含んだ『落ちる』が品切れ入手困難だったのはミステリ界の怠慢といっても良いであろう。それほど直木賞受賞の三作のレベルはすごい。この三編では、「笑う男」がベスト。そのまま集中のベストといっても良い。以下、各収録作の感想。表題作「落ちる」は、自殺志願者の男に襲いかかる脅威を描いたもの。「意外な」真犯人暴露の過程は手に汗握らざるを得ない。道行きがあまりにも緩やかなので、それ故に読むのが早い人は読みどころを読み逃すかも・
続く「猫」では意外なアリバイトリックが炸裂する。ヒッチコックの「裏窓」を彷彿させるような状況(といっても観てなく、タイトルから連想される状況なのだが(笑)←をい)で面白い。多少「無茶な!」と思うが、伏線の張り方が巧く、そう言う意見を回避させていると言えよう。
「ヒーローの死」も「強引な……」と思われる手だが、何故だか許しちゃうんだよね。それは、強引な手に寛容になった故なのか、多岐川恭が巧いのか。
銀行を舞台に描く「ある脅迫」は、何とも言えない読後感である。意外な脅迫者生成の過程はスリリング。
横領した金を元に愛人を囲い、年月を経て発覚しそうになり、愛人を殺す。犯人の男を描いた「笑う男」は私がテレビドラマのディレクターなり、監督ならすぐさま映像化の企画を出す。それほど映像的なもの。というより、映像にしたら破壊力が増すかも知れない。男の高笑いが聞こえてくるかのよう。
同居している甥夫婦に軟禁されてしまった男の脱出劇を描く「私は死んでいる」は導入もさることながら、その着想が巧いと感心した。犯人探しもない、アリバイも密室もないけれども、ミステリを構成してるよ、おい、と。着地点は予想の範疇だが、持っていき方が巧い。
結婚生活が夫の自殺で破綻してしまった妻を描く「かわいい女」は希代の悪女を描いていると言えよう。多岐川恭の悪人の描き方の巧さが凝縮されている。
デビュー作「みかん山」は大がかりなトリックを用いた密室もの。大仕掛け故に、決まったときの衝撃、発表当時の或る種の衝撃は予想できるかも。余談だが、収録されたアンソロジーは『13の密室』ではなく、『続・13の密室』である。
O・ヘンリーの「最後の一枚」に題材をとったと思われる「黒い木の葉」は大人の愛憎と少年少女の純愛のコンストラクトが良い。だが、なんかもの足らないんだよな。それが何かは謎だが。
温泉宿を舞台にした「二夜の女」は語り手の意外な正体、女性との関係の行方など巧さ抜群。掉尾を飾るにふさわしい作品と言える。多岐川恭の巧さを堪能できる十編だが、入門編というには少々薦めづらい。寧ろ『的の男/お茶とプール』(創元推理文庫)のカップリングの方が個人的にはオススメ。
『魔婦の足跡』は講談社の書き下ろし探偵小説全集の内の一冊として1955年初刊刊行された。香山滋といえばあの『ゴジラ』の原作者として有名であろう。というか、今ではそれしか伝わっていないんじゃないかなあ。だが、それはかなり不当な評価であろう。日本探偵作家クラブ賞を受賞した「海鰻荘奇譚」を読めば一目瞭然。
翻って本書。タイトルから足跡のない殺人ものかと想像する向きも無きにしも非ずであろうが、不可能犯罪とほど遠い作品である。童話作家である相良直樹の目の前に現れた一人の少女。彼女は直樹に彼の秘密を知っているとほのめかす。一方でその少女――未知子――は直樹の恋人の前にも、貿易商の前にも現れ、それぞれの悪事を知ってることをほのめかす。それぞれ未知子に振り回されつつも疑心暗鬼になり、三人は手を組む。そして……。
以上が「前篇 大都会の何処かで」で、「後篇 大洋上の何処かで」では貿易商の生まれ故郷に三人が集まり、カタストロフに向かってまっしぐら、である。書き下ろし探偵小説全集の一冊である為なのか、方々で聞きかじっている香山滋という作家の特質――秘境の冒険や無茶な生物の出現――というのはさほどない。後篇は或る意味未開の島だが、秘境というには今一つ。
本書は不可能犯罪ものではないが、結構トリッキーな行動を未知子がとるので、トリックを求めてる人もちょっとは満足できるかなあ。最後に未知子の正体も明らかになるが、少々唐突の観も否めず。全体的に通俗的なサスペンスという感じ。この当時の「探偵小説」という言葉が現在で言う「ミステリー」と同じ意味を持つということが良く伺える一編であろう。後篇は未開の島の牧歌的な雰囲気が味わえるが、住民が先導され、その結果(というわけでもないか)起こるカタストロフは、それだけでも『魔婦の足跡』を読む価値があると言えるのかも知れない。なにしろ、もの凄い。今でももの凄い、と思うんだから当時はもっと衝撃的だったかも知れない。
しかし、この『魔婦の足跡』を読んで講談社文庫大衆文学館の叢書の一冊『海鰻荘奇譚』を買い逃したことが非常に悔やまれてならないぞ。