宮部みゆき初の文庫書き下ろし。単行本にするには分量が少ないから、と言うことらしいが……。近年の大作路線の弊害か。ま、個人的には嬉しいことなのであるが。作者曰くの「反則技」があるらしいので、結構期待して読んでみた。ネット上の疑似家族がいた。父母に兄妹の四人。現実では家族ではないが、彼らは確かに家族≠セった。その中の「父親」が殺される。そして、事件は混迷を極め、被害者の娘が警察署のマジックミラー越しに取り調べ風景を見ることになる。そこでは、「家族」の争いが展開される。
読み終えて「うわ、騙された」と本気で思った。読み終えた直後は「反則ギリギリかな」と思ったが、よくよく考えると反則そのもの。本書が本格ミステリであるなら、否、本格ミステリでなくてもミステリとした場合致命的な反則技になっている。地の文に思いっ切り嘘が書いてるし。そう言う意味では、騙されはしたが、気持ちよく騙されたという爽快感はなく、或る意味裏切られたという後味の悪さがある。だが、この作品は、これでいいのかもしれない。以下、ネタを割りつつその理由を書いてみる。既読の人は反転させてください。
反則技たる所以は、取調室にいた人間は疑似家族をやっていた人間ではなく、全員刑事だったというのに疑似家族の名前(ハンドルネーム、本名)を記述していたと言うことである。嘘も良いところで、確かにアンフェアの反則技だ。だが、それは、「役割」であり、結局の所、演じていたので刑事の名前を記述しなくても良いのではないのか、とも思ったりもする。視点は被害者の娘で、被害者の娘は結局の所騙されていたのであるから。だからといって本書の仕掛けが公正だったかというと心許ない。もう一個枠を置き、劇中劇だったという構成にすればアンフェア感はなかったと思うのであるが(実際取調室が主な舞台なので不可能ではないはずだ)。
ここまでさくさく読めるので、そう言う意味ではオススメ。
飛鳥部勝則というと、私の中では評論の文体で小説書く人と言うイメージがある。そのイメージの最たるものが『N・Aの扉』(新潟日報社)であるが。逆のイメージ、つまり、小説の文体で評論を書く人というのは私の中では有栖川有栖。この二人、表裏一体の関係にあるのかも知れない。
本書『冬のスフィンクス』は、設定が面白い。夢の中の事件なのだ。だが、決して夢落ちではない。夢の中で起きる怪事件。夢の中の団城家に於いて、拳銃自殺らしいもの、襲われる長女。そして首なし死体。全てに合理的説明は付くのであろうか? そして、現実世界に於ける密室からの失踪事件の真相は如何に?
夢の中で事件を起こし、しかも、それを「合理的に」解決する。西澤保彦も真っ青な特異設定。夢の中にルールがあるかと言えば、結構ご都合主義な面もあり、そこは残念。そもそも夢の中の事件を夢の中で解決しようとしていること自体が無茶なのか。デビュー作、デビュー二作目とどっちも――一筋縄ではいかないものの――ストレートな本格路線だったが、『N・Aの扉』あたりからなんというか、路線がずれてきたような。本書の後書きではデビュー作から三作目『N・Aの扉』迄が一区切り、『砂漠の薔薇』(カッパノベルス)以降がデビュー二作目の気持ちらしいが……。段々と、本格の路線に沿ってずれていく感じがする。路線に沿ってずれるというのは矛盾してるか(笑)。でも、そうとしか言いようがない感じがするのだ。まっすぐに進む人、という感じもする。進む方向が数十度ずれた、とでもいうべきか。
本書はカテゴリー分けをすると、幻想ミステリと言うことになるのであろうか。主人公が迷い込む夢の世界は絵の世界でもある。絵の世界に紛れ込むと言えば、柄刀一の「エッシャー世界」や荒巻義雄の『エッシャー宇宙の殺人』(中公文庫・絶版)があるが、両者はエッシャーの絵の世界で特異な殺人が起きる。本書は或る意味普通の事件だ(首なし死体や密室のコードぐらいではもうその時点での驚きはない)。作者は柄刀一はともかく、荒巻義雄の方はどれぐらいいしきしていたのか。幻想ミステリということになると、幻想とミステリが如何に融合されているかということにも目がいくが、本書では融合は為されていない。それぞれドレッシングのサラダオイルよろしく混じってはいるが混ざりきっては居ない感じだ。その感じが本書に独特のムードを醸し出させる。この時点で作者の目論見は達成されたのであろう。
幻想とミステリ、両方が程良く好きな人にオススメかもしれない。
22冊目のメフィスト賞はSF。SFにも色々と内部ジャンルがあると思うが、本書はファーストコンタクトテーマの作品。だが、ファーストコンタクトでも、良い話ではない。史上最悪のファーストコンタクトである。なんと、地球人を虐殺するためにやってきた異星人とのファーストコンタクトなのであるから。アメリカ北西部のフラートン群にある街はある出来事で沸いていた。一人の元囚人を受け入れたのだ。元囚人の名前はハヤシ。幼女レイプの罪で収監され、服役し、釈放された身であった。日系人のハヤシは、実は幼女レイプなぞはやってなく、不運が重なっただけ。そんな事情も知らず、街の人間はハヤシを追い出せと抗議の嵐。ハヤシが街に来て幾ばくもたたないうち、街にエイリアンが襲ってくる。街の人々を殺して殺して殺しまくる。元海兵SEALのハヤシは異星人にどう立ち向かうのか?
ジェノサイド系のファーストコンタクト。異星人は人を殺しやすいようにチョットやそっとでは破れないシールドを街の周りに張り巡らすのであるが、この辺、海に囲まれた島を舞台にしたジェノサイド系小説(?)『バトル・ロワイアル』(太田出版)を思い出した。どっちも人がバカバカ死ぬ。尤も、本書はほとんど抵抗できず異星人に殺される、『バトル・ロワイアル』は殺し合いという大前提が違うんだけれども。ハヤシの過去と現在を重ねる構成、異星人が人をバカバカと殺すシーン、冒頭の白人が未開人を殺すシーン等々。無駄なく進んで、リーダビリティは抜群。ノベルスにして500頁弱という厚さにも関わらずだれなかった。よくよく考えてみると、削れる贅肉というのもあるんだろうが、全てを超越したパワーと言うのを感じる。これは、ミステリ、特に本格ミステリでは考えられないパワーだ。本格ミステリが持つのとは別の種類のパワーなのであろうけれども。
ファーストコンタクトテーマSFとしてみた場合、SFとしての評価はどうなんだろうか。読んで素直に「面白い」と、SFの素人は手放しに思ってしまうんだけれども。SFの評価軸がイマイチ解ってない私は不安だ。ジャンル以外から見ると、すんげえ面白いんだけれども。異星人ものは評価が難しいのか……。って、堅苦しく考えてるから難しいんだが(笑)。とにかく、一気に読める作品。殺して殺して殺しまくる作品が好きな人になら無条件にオススメ。
人気急上昇中らしい愛川晶擁する名探偵根津愛シリーズ長編。時系列的には『根津愛(代理)探偵事務所』(原書房)収録のちゃぶ台プリーズ! な短編「死への密室」の前。高校の美術部の友人の別荘に赴くことになった根津愛と桐野。高校の先生と同級生も同行で楽しい別荘行きになるはずだった。が、彼らが赴く先には、過去に凄惨な密室殺人事件があったのだ。だが、事件そのものは、現場の状況から自殺として処理されてしまう。行き先の別荘には、友人の祖父にしてインカ帝国研究の第一人者である龍造もいた。愛はインカ帝国に関しての仮説をぶちまける。表層的には平和な、裏には修羅場が。翌日、愛と桐野は過去の密室事件の現場に赴く。愛は現場を見て真相を見抜くが、その晩、失踪してしまう。
名探偵根津愛最大の危機、である。名探偵が危機に陥ることは珍しくもないので、その点はあまり期待はしてなかったが。それよりも期待すべきポイントは前代未聞の密室トリック。密室のネタは出尽くしているという考えもあるようだが、未だに密室ものが書かれているのはまだ出尽くしていないからであろうと思うが。で、本書に翻ると、件の前代未聞の密室トリックに関しては期待はずれ。というか、10年前でも検死段階で気付くのではなかろうか? 気付かなくても不信感を抱く捜査官は居なかったのか? と思うが。確かに前代未聞かも知れないが、帯の煽りや登場人物の驚きが伝えるほど凄いとは思えなかった(この辺すれてるな、と思うがそこはそれ)。だが、だがである。個人的には本書の眼目は(作者はどう考えているかはしらないが)密室トリックそのものにはないと思う。密室トリックを成立させるために配置された駒の位置にこそ本書の眼目があるのではなかろうか。ミステリはトリックの魅力もあるが、トリックの魅力というのは得てしてその演出に関わって来るという面がある。トリック自体は良いのに演出が下手というのに比べたら本書は実に良くできた、教科書的な演出といってもいいかもしれない。とは言っても、前半部分は(インカ帝国に関する蘊蓄など)面白くは読んだが、謎に関する話題がない分ミステリ的にどうよと思ったり。とにかく、前代未聞の密室トリックの周りを固める演出には恐れ入った。もう一個の密室トリックは、正直のけぞったが(もしかして、帯に書かれた前代未聞の密室トリックというのは二個目のことか?)。
結構分厚いが、密室もののファンは必読。密室トリックより寧ろそのトリックを成立させるための演出や犯人設定、犯人告発のクライマックスシーンに眼目あり。
本書は乙一の最新長編。本書に先立ち集英社から長編『暗黒童話』が出ているが、現時点では未読。5年生になったマサオはふとした拍子に、結果的に嘘をついてしまい、担任からも、クラスからも阻害されるという羽目になる。担任はマサオを集中して叱り、言われないことでも叱られてしまうことがしばしばあった。そんな或る日、マサオの前に死にぞこないの男の子が現れる。
テーマ的には今的なのだが、時代は今から十年以上前。スーパーファミコンが出る前の時期なのであろう。そういえば、担任も荷担した葬式ごっこが新聞で話題になったのもその時期ではなかったか。乙一は「現在」の子供ではなく、「過去」の子供を描くことで子供を描くことのうさんくささを回避しているのであろう。やはり、大人から見た子供の視点というのはどうしても嘘臭く、今の観点が入らざるを得ない。「過去」の子供の視点だからといって、嘘臭さが消えるわけはないが、乙一はそれに臆せず、否、臆するどころか確信犯的に嘘臭くしてるような気もしないではない。だが、それで良いのかもしれない。確信犯的に嘘臭くすることで、かえってリアリティが出てるのかも。あ、ガキの頃こういう思考してたかも、と言う点で。
マサオの前に現れる奇妙な子供。この子供の正体がなんなのか? という興味で引っ張るのではなく、本書ではマサオがいじめられる様が読者の興味を引っ張っていくと考えてもおかしくはない。それぐらい真に迫っている気がする。マサオの限界が臨界点に達したときのカタストロフは何とも言えない。本書は薄いのでさくさく読めるが、贅沢を言えばもう一編収録して欲しかったところ。長めの中編と短めの長編の中間ぐらいではもの足らない。
第8回鮎川哲也賞最終候補作『名探偵に薔薇を』(創元推理文庫)でデビューした城平京久々の「小説」の著作である。城平京は『名探偵に薔薇を』以降エニックスの少年漫画誌「ガンガン」で『スパイラル―推理の絆―』の原作を担当していて、単行本は5冊を数える(5巻は10月下旬発刊)。本書は『スパイラル―推理の絆―』本編のサイドストーリー的な趣である。表題作である中編「ソードマスターの犯罪」と版元の公式ページにある外伝小説から犯人当てパズラー「怪奇クラゲ二重奏」と「ワンダフル・ハート」の二編が収録。短編二編は本編の主人公鳴海歩の兄である伝説の刑事(うわ、嘘くさ(笑))鳴海清隆の事件簿だ。剣道の達人が集う千原道場。後継者は神聖な勝負の結果、桜崎健吾と決まった。が、健吾が何者かに殺された結果、黒峰キリコが継ぐ気配に。健吾の死体はボロボロの黒こげ。警察の捜査も空しく、迷宮入りの気配を見せた。キリコは最有力容疑者であるが、証拠がなかった。ふとした切っ掛けで鳴海歩は事件に関わり合うことになる。――と言うのが表題作。かなり巧く作り込まれた印象があり、かなり満足した。また、木刀を持っての対決のシーンも結構巧くかけていたし。真相の隠し方は巧い。あまり注文の付け所はないが、敢えて言うならばこのタイトル。swordというのは西洋の剣のことで、この作品は剣道の話故にここで言う剣は日本刀と言うことになる。それ故、「ソード」というのはあまりそぐわない気がして違和感があったんだけれども。じゃ、お前ならどういうタイトルを付けるんだ? というつっこみが入るだろうけれども、素直に日本語訳して「達人の犯罪」としたが無難か。でも、版元やレーベルを考えると「ソードマスターの犯罪」の方が語感は良いんだよね。
残り二編は上記の版元のページに載っているのだが、意外と良くできた、小味のパズラーと言う感じだ。ミステリ的なところはもの足らないが、鳴海清隆と羽丘刑事の掛け合いが爆笑もの。「ワンダフル・ハート」の動機は恐れ入った、と言うより、よくこんなもん考えるな、と言う感じだが。是非とも読んでみることをオススメする。城平京久々の小説作品。レーベルに騙されずに読んで欲しい一品かも知れない。
タイトル全てに「殺人事件」がつく火村シリーズ(2001年10月の)最新刊。収録作の内二作は既にアンソロジー(『本格ミステリ01』(本格ミステリ作家クラブ編/講談社ノベルス)と『大密室』(新潮社))に収録されている。
最近はタイトルに「殺人事件」とつく作品がめっきり少なくなってきているが(ホントか?)、それ故、本書のように「殺人事件」とつき、収録作品全てに「殺人事件」とついてるのは或る意味壮観。
本書収録作では『大密室』に収録された「壷中庵殺人事件」と「紅雨荘殺人事件」が好みか。表題作は大傑作になり損ねた感じがする。「黒鳥亭殺人事件」では大学の時の友人宅で起きた事故に別の解釈が加わる。悪意がないだけに、或る意味救われない。
「壷中庵殺人事件」は『大密室』参照。
「月宮殿殺人事件」は何故男は火事で死んだのか、と言うこと。これは読み終えたときに「これはないでしょ、有栖川さんよ」と思ってしまった。伏線は張ってるけれども……。
「赤華楼殺人事件」は墜落死した少年はいつ殴られたのか? と言う命題に火村が挑む。状況設定の不可解さとトリックのアホさ加減がマッチしているのではなかろうか。
「紅雨荘殺人事件」は引退した会社の創業者の死。誰が、何のために殺したのか? と言うもの。何気ない描写が動機などに繋がり、巧さを感じる。
掉尾を飾る「絶叫城殺人事件」は単行本の1/3を占める力作である。連続殺人犯ナイト・プローラーを火村は捕まえることが出来るのか? シリアルキラーのネーミングを作中のゲームから取るという発想がまず面白いと思った。サスペンス感や作中人物の焦燥感は巧さを感じる。だが、ミステリ的な観点で言えば、解決編で腰砕けっぽく終わってしまった。もったいないなあ、と言う所。せっかくここまできたのに。だが、この作品の真の読みどころはミステリ的なところではなく、作中の、作者有栖川有栖本人の叫びとも取れる主張であろう。火村の次なる物語は長編なのか? 『マレー鉄道の謎』はいつでるんでしょうか(笑)。
『塔の断章』(講談社ノベルス)以降ずっと沈黙してきた乾くるみの4作目。デュアル文庫の中編シリーズでの登場となった。毎回無茶苦茶してくれるが(特に『Jの神話』(講談社ノベルス)なんざ……。一生忘れません)、今回はなんと人格の入れ替わり。人格の入れ替わりといえば西澤保彦の『人格転移の殺人』(講談社文庫)が即座に思い浮かぶが、正確に言えば本書は人格転移ものではないのであるが。正確に言うと、或る日目が覚めたら自分の体が自分のものでなくなっており、自分の体が誰かに乗っ取られていて、それを体の内側から眺めていると言う話。ね、無茶苦茶具合がわかるでしょ? ちなみに、乗っ取られたのは女の子、乗っ取っているのはその女の子があこがれているサッカー部のエース。……う、べたすぎ(笑)。設定の説明が一通り終わって、さて、どうするか、と言うときに起きた事態というのは体をの取っている男の子の本体は既に死んでいて、死因は毒によるもの。しかも、毒はバレンタインに贈られたチョコレートの中に入っていたという。そこまで話が進むと普通なら誰が殺したのか、という推理に入るんだろうけれども、そういう推理は本書ではない。話が転がっていき、101ページ以降の展開は……。思わず大爆笑してしまった。ウケる。これは笑うしかない。以降予想される結末に、綺麗に、スマートに驀進する。
このアイデアは非常に面白く、乾くるみにしか書き得ないものと思うが、個人的な趣味で言わせてもらうともう少しねじくりまわして語り手の女の子に散々推理させたほうが破壊力は倍増したかも知れない。尤も、中編なので致し方ない面があるけれども。既刊四冊の中では本書は最も取っつきやすい作品であることは間違いなく、乾くるみ作品の中では一番一般ウケするものだと思う。ただ、これを読んで『Jの神話』を読んだら、どういう反応するかなあ……(笑)。
いずれにせよ、早く次の新作を! と思う。次は原書房でしょうか?
かなりのハイペースで出ているブギーポップシリーズ。今回も不気味な泡ブギーポップは触媒というか狂言回しだ。主役を張るのは奇妙な縁で知り合った男女二人。片方が自転車を盗もうとして片方がバイクを盗み、一緒に逃走したことから物語が始まる。そのバイクが全ての始まり。
タイトルにあるホーリィ&ゴーストというのは二人の呼び名。ホーリィはともかく、ゴーストの名前の付け方は笑える。聞き間違えからかい! みたいな。ひょんなことからトンでもないものの処理をせざるを得ない二人。二人をナビゲートする存在が居るが、その存在と霧間凪の関係や既刊作品とのリンクは従来のブギーポップシリーズそのままであるが、加えてリセット≠ニ名乗る殺し屋まで噛んでくるからどのように展開するのか全く予想できない。ホーリィとゴーストは全国指名手配までされてしまうし。
途中までは予想も付かない展開が続くが、二人が「例のもの」に接近したとき怒濤の展開になる。その展開と言ったら、もう、なんというか。本書はそれなりに楽しめはしたが、個人的には《ブギーポップシリーズ》に求めるものが更に薄くなっており、このまま読むものに精神的ダメージを与えるような毒は薄れていくのか? と心配してたりする。そこが《ブギーポップシリーズ》の最大の魅力なのに。
いずれにせよ、このシリーズがどのように展開するか。それは作者にしか解らないことなのかも知れない。
『葬列』(角川書店)で横溝正史賞を受賞してデビューしたノワール系新人の三作目。基本的にノワール系は守備範囲外だったが、オススメの声がちらほらあったので読んでみることにした。ただ、先入観というものは怖いもので……。失踪した元AV女優の失踪騒ぎに巻き込まれた須山隆治。失踪した女優は隆治の永遠のマドンナと言うべき女性で、彼が勤めていた倒産したビデオ制作会社のビデオにも何度か出演し、撮影現場ででも一緒になることもしばしばあった。そして、何度か飲みにも行った。彼女の失踪事件の影には過去のテレビ番組出演や、それに付随した忌まわしい過去も……。付随してどんぐりころころの童謡に見立てられた殺人事件も起きる。
ノワール系の人、という印象があったので、前二作の印象で読むと驚く、と言うような事を聞いていても或る意味驚く。前二作を本書読書時に読んでいなくても、だ。失踪人探し、過去の名作のパロ、見立て殺人。様々な要素が渾然一体となり、不可思議な世界を現出させる。分類不可能、とまでは行かないものの、分類を拒むような雰囲気が本書にはある。三部構成であるが、第三部では(前代未聞というわけでは無かろうが)面白い仕掛けが姿を現す。この辺を読み、密室の某大家の代表作(『三つの棺』の事ね)の登場人物の台詞「私は小説の中の登場人物である(だっけ?)」を思い出した。この台詞を徹底的にまで突き詰めたのが本書と言うことになるのであろうか。読者が持つ作品世界に対するイメージを根本的なところから覆してくれる。
逆に言えば、第三部がなければ本書はあまり出来のよろしくない失踪ものでしかないわけで。失踪ものの方のネタは用意されてはいるが、少しばかり扱いが煩雑で、そこも計算の内なのであろうが、残念に思う部分でもある。独立させて失踪ものの傑作にすることも可能だったはずだ。それだけの材料だと思う。各パートの引用や作中作は先行作品へのオマージュを感じさせ、結構にやりとするが、これも作者の計算の内とわかってはいても扱いの煩雑さ悲しみを覚える。だが、作者の資質がノワールのみに向いてないのは確かだ。また、デビュー作『葬列』もヤクザ系が嫌いな綾辻行人が誉めてる点からも並々ならない才能を持っていることは確かなことである。
他の二作もとりあえず読もう、と思う一作。へんてこなミステリが好きではない人は拒否反応を起こすかも知れない、変な灰汁がある作品であることは確かだ。