ファンタジーの手法を用いて乱歩の《少年探偵団》シリーズを現代に甦らせた《新宿少年探偵団》シリーズ第二弾。今回四人組が戦うのはカラスを使役する怪人大鴉博士。前作『新宿少年探偵団』(講談社文庫)の髑髏王もそうだが、なんか、このシリーズの怪人って妖怪じみてる気がするなあ(笑)。新宿の闇に巣くう怪人がまた一人。カラスを使役する怪人大鴉博士。大鴉博士は、宝石を狙う怪盗でもあった。予告して宝石を盗み出し、警察当局を翻弄する。一方、髑髏王の事件で
蘇芳 に助けられた四人組は蘇芳の正体に対してうさんくさいものを感じていた。だが、彼らはそれを問いただすまもなく大鴉博士との戦いに身を投じることになる。何故に大鴉博士は宝石を盗むのか。両陣営の闘いの行方は如何に。
前作同様ファンタジーの手法を用いて乱歩の《少年探偵団》シリーズを甦らせた作品、というコンセプトは変わっていない。しかし、前作を読んだときは《少年探偵団》シリーズは未読だったのだから、あの時の自分の度胸には恐れ入ります(笑)。だが、ファンタジーと言っても、「FANTASY」ではなく、「PHANTASY」だ。「PHANTASY」は井上雅彦の造語であるが、「PHANTASY」という響きが内包するものが確実にここにはある。「PHANTASY」って何か? という問いを発する人には《新宿少年探偵団》シリーズを薦めればいい。先にこのシリーズを本家《少年探偵団》シリーズに見立てたが、このシリーズ、明智小五郎が不在であることは忘れてはいけない。蘇芳は一見明智小五郎の役割を与えられているようだが、実際は違う。寧ろ、本家で言う怪人二十面相の領域に片足を踏み入れている、そう言う感じがする。蘇芳の正体は本書でも明らかにされていないが、シリーズが完結すれば全て明らかになるのであろうか。
ポオの誌「大鴉」を吟じる怪人大鴉博士。まさしく怪人斯くあるべし、と言いたくなるシーンだ。だが、このシーンがギャグにならないのは《新宿少年探偵団》シリーズだからであろう。名探偵以上に生存、存在が困難になった怪人の姿を見ることが出来、それだけで嬉しくなってしまう。丁々発止の闘いの後に訪れる「意外な」結末。果たして闘いは何処まで続くのか、次作では新たな闘いが待ち受けているのか。そこが気になってしょうがない。この引きの巧さもこのシリーズの魅力なのであろう。最新作『まぼろし曲馬団』(講談社ノベルス)以降新作が出てないが、いつ完結するのか。その完結は如何なるものか。本書読了時には皆目見当がつかない。
新宿に巣くう闇が如何なるものか。それを楽しみに『摩天楼の悪夢』(講談社文庫)をいずれ紐解くであろう。
「週刊新潮」に連載後単行本化。以降角川文庫や講談社ノベルスにも収録された。角川文庫版の解説では本書を忍法帖の中での最高傑作に推している。切支丹の財宝を求め、幕府方の伊賀忍者15名、それを感知した由比正雪方の甲賀忍者15人、そして迎え撃つ大友忍法の使い手十五童女14名。十五童女は15名だったが、背教者クリストファ・フェレイラによって江戸で一名死んだのであった。長崎にあるという切支丹の秘宝の在処の鍵を握るのは十五童女に埋め込まれた鈴の文字、計十五文字。長崎に於いて三つ巴の忍法合戦が始まる。
多分、山田風太郎忍法帖史上最大の忍者数ではなかろうか。シリーズ第一作『甲賀忍法帖』(講談社文庫)が甲賀伊賀合わせて二十名であるから、単純に2.5倍。しかも、それぞれに超絶忍法を与えてるんだから、どう収集つけるんかいな、と考えた。闘いて、やがて哀しき忍法合戦のフレーズが本書でも浮かんだが、結末はここしかない、と言う所なのであろうなあ。しかし、オチはなんというか。所謂
最後の一撃 とも言うべき作品で、この無茶さ加減がいい。何故長崎が舞台なのか、それが明かされたときは多分、唖然とせざるを得ないであろう。物語の全てがそこに集約されていると言っても過言ではなく、日下三蔵が日頃から主張している「山田風太郎はミステリ作家だ」と言う言葉は本書に於いて十分に体現されている。(
また、本書には《天姫》の正体は誰か、という趣向もあり、最後の一行に至るまでもミステリ的興味は十二分に堪能できる。313年の命を持つのは何ものなのか。その辺の「謎解き」もされており、本書は忍法帖であるばかりではなく或る種の「怪奇探偵小説」と言ってもあながち間違いではない。しかし、いかんせん文庫にして300ページ弱という分量。これでもかこれでもかと畳みかける忍法合戦は、それはそれで面白いのであるが、もう少し楽しみたかった、と言う所。せめて『風来忍法帖』(講談社文庫)くらいの分量は欲しかったかも知れない。山風評価では本書はBクラスだったようだが、もう少し分量があればAクラスだったかも……。
講談社文庫の忍法帖全集には収録されなかったので入手は結構しんどいかも知れないが、ミステリファンならば読んで損はない一冊である。
『ブードゥー・チャイルド』(角川文庫)以来久々の長編。今回は、少年犯罪という或る意味タイムリーなネタであるが、歌野晶午が書くからただの少年犯罪をネタにしたクライムノベルになるわけはなく、視点が少年の父親という珍しい構成になっている。閑静な住宅街で誘拐事件が起きた。被害者は息子の友人。以降同様の手口の事件が起きるが、犯人は捕まらない。だが、息子が被害者にならなかったことで父親は安心する。しかし、陥穽は別のところにあった。或る日ふとしたきっかけで息子が一連の誘拐事件の犯人なのではないのかという疑いを持つ。調べる内に息子が犯人であるという確証は段々と固まってくるのであるが……。
前半の父親の苦悩は、それはそれで読ませるが、問題は中盤以降の展開。なんじゃそら、としか言い様が無く、読んでいくうちに凄いことをやっているという感慨に変わる。間違いなくこれは問題作だ。それどころか、歌野晶午の新たなる代表作と言っても過言ではない。毎回毎回やってくれるが、今回は或る意味メガトン級。以下、先入観を持ちたくない人はご注意を。
バークリーの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)の多重解決の趣向をクライムノベルに応用してしまうとは恐れ入った。主人公の父親の妄想が延々と続く、と書けばみもふたもないが、まさにその通りで。父親の考える最悪のシナリオ=解決と結ぶことが可能であろう。次々と発見される「手かがり」から導き出される「解決」或いは「結末」はそれぞれ説得力を持ち得るだけに、ダークだ。
「結末」の持つ危うさを指摘したのは貫井徳郎の『プリズム』(実業之日本社)であるが、本書もまた「結末」の持つ危うさを指摘していると言えよう。もしかすると、『プリズム』に触発された作品なのかも知れない。とにかく、この趣向には恐れ入った。 ここまで非常に楽しめたし、もしかすると、年末のアンケートでは上位に来るかもしれない。広い意味でのミステリという意味では間違いなく傑作であるが、本書が本格か否かと言うことになると……。まあ、こういう考えはナンセンスであると言うことは解ってるけれども。だが、使われている手法はまごうことなき本格の骨法。本格の血を堪能できるのだ。だが、本格と言うには(以下エンドレス)。
とりあえずオススメな一冊であることは間違いない。
本格ミステリ大賞特別賞受賞記念で光文社から続々と長編が復刊。二種類の『黒いトランク』が出回っているという二、三年前からは全く考えられない状況である。が、本書は2002年3月時点では復刊の予定には入っていない。浜名湖の土産物屋に於ける偽装自殺事件に端を発した事件。偽装自殺の調査をしていた東京の調査員が他殺体となって発見される。調査員は夫の結核を機会に職場復帰していたところであった。夫は妻の浮気が原因ではないかと考えるが、肝心の間男はなかなかシッポを出さない。偽装自殺の調査も甚だ上手くいかず、二つの事件の関連性故にがんじがらめになったとき、光明が見える。
本書もまた重厚さはない。重厚さはないけれども、小気味よい「解決」の連続で楽しめる。次々と現れる手がかりで事件に光明が見えたかに見えても、全ての構図は完全には姿を現さない。真相を巧みに隠すテクニックはまさに鮎川哲也の面目躍如。過去の事件にそれとなく言及しているのが楽しいが、本書の最大の不満は鬼貫警部による絵解きがないことか。犯罪の全貌は犯人によって、しかも、鬼貫警部以外の人間に語られる。この方法、『黒い白鳥』(創元推理文庫近刊)でも採用されてたけれども。まあ、鬼貫警部が全部集めてさてと言う姿は想像しづらいが、せめて丹那刑事に語る、と言う形式にしてくれる方が……。
実に巧妙に仕組まれ、そして隠されたアリバイトリック。伏線がぴたぴたと当て嵌まる様は、アリバイ崩し=退屈でしちめんどくさいというイメージを払拭するには十分である。鮎川哲也がトリックとロジックの人であると言うことがよくわかる一編と言えるかも知れない。現時点では光文社文庫の鬼貫警部シリーズ復刊叢書の復刊予定には入ってないが、それが作中扱ってる或る病気のせいだったら怒るよ、ワシ。一読すれば差別の意味がないのは、どう間違えても誤解しようがないからねえ。ま、単純に売れれば次のラインナップに、って考えてるのかなあ。せっかく前に原型短編収録の短編集が出版芸術社から出たんだから本書も復刊して欲しいところである。
古今東西切り裂きジャックをモチーフにした作品は数多くあるが、多分、国産ミステリでは少ない。一つはつい最近まで外国を舞台にした作品は売れないと言う事が言われていたこと。そして、もう一つはいくら歴史的な猟奇殺人であっても所詮は海外はイギリスの出来事だから、というのが主な理由だと思う。そんな中で島田荘司の『切り裂きジャック百年の孤独』(集英社文庫)は切り裂きジャックミステリの中でも特筆すべきものであろうと思う。もう一個、服部まゆみの『一八八八 切り裂きジャック』(角川文庫近刊)があるけれど、未読。本書はミステリと言うより幻想譚という色彩が強い。否。そのものである。延々と続く「切り裂きジャック」の独白。ここで独白を行う「切り裂きジャック」はイタリア貴族の子供。だが、不幸な生い立ちとその体質故にイギリスの場末を彷徨うことに。それ故に「悲劇」に巻き込まれ、「切り裂きジャック」になっていく。
読んでいてどことなく哀しかった。主人公の「体質」は、それはもう「体質」としか言い様が無く、それ故に、生きていることを実感するため、己の半身を見つけるために娼婦を屠っていく。屠っても屠っても満たされないその哀しみは哀れさを誘う。今まで建築探偵シリーズしか読んでなく(でも、デビュー作は読んだ)、正直こう言うのも描けるとは思っても見なかった。建築探偵シリーズと180度も違う、と言っても間違いではないのかも知れない。尤も、向かってるベクトルが違うだけで本質は同じなのかも知れないが。すなわち、異形のものへの眼差し。考えてみれば《異形コレクション》シリーズ発表のイタリアンホラー集成『夢魔の旅人』(白泉社)もまた異形のものへの眼差し、愛に満ちた作品ばかりではなかったか。《異形コレクション》収録作が気に入った人ならば本書もまた楽しめるだろうと思う。逆もまた然り。
篠田真由美の別の魅力を垣間見ることが出きる一冊である。
ハードボイルドの世界で本格ミステリを構築する、《刑事くずれ》ミッチ・トビンものの現時点での最終作。原題は「Don't lie to me」だったので、このタイトルは意訳。というか、なんというか、このタイトルは或る意味失敗かな、と思ったり。間違いではないんだけれども。じゃあ、お前ならどうするのか? と言う問いがあるだろうが、聞こえなかったことにする(笑)。敢えて書くなら、『過去との決別』の方が良いかも。警備員の仕事を得たミッチ。一見平和に見えたが、トラブルは足音もなく忍び寄ってくる。或る晩、自分が刑事を辞める羽目になった原因である女性が尋ねてくる。そして、死体も発見してしまう。殺人事件。事件にその女性は関係ないとわかっているミッチは、その女性の来訪をばっくれるが、事態は更に混迷を極め、事件の捜査をしていた刑事が一人、ミッチの身代わりに失明させられる。
薄い分量でぱたぱたと事態が進み、いつ解決するのか? と思ってたらアクションシーンに於いてミッチはヒントを得、事件は一挙に解決する。アクションシーンに最後のピースを埋め込みたかったが為にこういう設定にしたんか、と思うほど。本書に於いて完全にミッチは過去と決別する。夫婦仲も完全に回復し、さあこれから、と言う所であろうか。結末は或る意味予断を許さないものになっている。訳者後書きで再登場を望む、と言うようなことを書いているが、正直、再登場しない方が余韻が残って良いかも。余談だが、訳者後書きは読み終えてから読んだ方が良いかもしれない。
タッカー・コウ名義作品は様々な試みが為されているが、ハードボイルド設定の本格、と言う意味では一作目の『刑事くずれ』(ハヤカワ・ミステリ・絶版)と本書が一番生かし切っているであろう。他は、確かにこの設定が良いかもしっれないが、敢えて拘る必要ないような気がするし。いずれにせよ、このシリーズは文庫化されていないのが残念なシリーズである。タッカー・コウは制覇した。さて、次は?
横溝正史ミステリ大賞佳作。最近(2002年3月)『非在』(角川書店)や『昆虫探偵』(世界文化社)を立て続けに出した。竹の花の撮影のため、鹿児島の奥地にある村に入った猫田と鳶山。そこは、荘子の思想に満ちた、不思議な村だった。外部とほぼ接触を断ったその村で、100年に一度咲くという竹の花の開花にあわせたかのように事件が起きる。村人の一人の首なし死体が発見される。死んだ故人を偲ぶ夜には毒による死亡事件も。閑静な村で起きた事件の裏に潜む真相は。
一読驚嘆、というのは多少大げさであるが、正直、もっと早く読むべきだった、と思った。横溝正史ミステリ大賞の佳作にここまでふさわしい作品も珍しい。横溝スピリットに満ちた作品、と言っても過言ではない。閉ざされた山村での殺人事件なんて、如何にも金田一耕助を召喚したくなるような舞台ではないか。しかも、過去の惨劇付きの村と来てはもう。無論、横溝的なのは単純にガジェットだけではない。二転三転する真相には或る有名作の趣向をそのまま取り入れて、ダミーの真相ながら実に説得力に富んでいるのだ。作者が如何に横溝作品(特に金田一もの)を愛し、己の血肉としたかが伺える一編である。横溝を取り入れながら全く別のものに為している。本書は単なる風変わりな村を舞台にした作品ではない。横溝正史の金田一耕助ものを現代を舞台に甦らせた作品である。世紀末に横溝オマージュの作品が立て続けに出たが、本書は出たのは21世紀最初の年ではあるが世紀末横溝の系譜に連なる最後の作品と言っていいかも知れない。
しかし、二転三転する真相には恐れ入った。二段目の真相は、それだけでもある意味十分なのに、三段目ではそれ以上の真相を用意しているんだから。たまにひっくり返す前の真相がひっくり返した後よりも面白くて醒めてしまうことがあるが、本書はその辺のさじ加減が巧いので良かった。最終的な着地点、村に秘められた真相共に申し分ない。果たして以降どのような作品が出るのか。とりあえず最近出た二冊を機会を見て読んでみようと思う。
《怪奇探偵小説名作選》とレーベル名を一新した、ちくま文庫の日下ブランド第二弾。今回は奇しくも追悼出版になった本書であるが、無論(?)私は渡辺啓助初体験。正確にはなんかのアンソロジーで一編読んだ気がするの違うのであるが。
「薔薇と悪魔の詩人」と言われたらしいが、確かに、本書に収録されている作品には何処か詩情を感じる。その詩情は、普通の意味の詩情ではなく、まさしく「悪魔の詩情」。もう少し踏み込んで言えば、《異形コレクション》シリーズに見られる闇の詩情と言っても良いかもしれない。とにかく、本書に収録された渡辺啓助作品の闇は深い。そこにあるのは深淵の闇、と言うべきか。お気に入りを挙げれば、国書刊行会の《探偵クラブ》叢書の一冊の表題作にもなった「聖悪魔」や渡辺啓助の代表作とも言われる「義眼のマドンナ」、表題作「地獄横丁」は当然として、「復讐芸人」「写真魔」「愛慾埃及学」「北海道四谷怪談」「灰色鸚哥」「悪魔の指」「血のロビンソン」が挙がる。いずれも「薔薇と悪魔の詩人」という言葉にふさわしい作品であろう。無論、挙げなかった作品も。
この《怪奇探偵小説名作選》にせよ、前身の《怪奇探偵小説傑作選》にせよ、どれもこれも「怪奇探偵小説」というタームが内包するいかがわしさ、妖しさ、――そして探偵小説が持つセピア色の風景を十分に味わわせてくれたが、本書ほど「これぞ怪奇探偵小説!」と言いたくなるのも珍しいかも。もしかすると、渡辺啓助は「探偵小説作家」でなく、「怪奇探偵小説作家」だったのかも知れない。この呼び方は「薔薇と悪魔の詩人」と呼ばれた渡辺啓助にふさわしいと思うが、如何なもんか。本書を読み、他の渡辺啓助作品にも興味がわいてきた。けれども、どれもハードカバーなんだよなあ(笑)。どっか文庫化しません?(笑)
「ありんす国」とは、つまり、吉原のこと。江戸時代にあった遊郭街、吉原を舞台に繰り広げられる物語の数々。本書には6編収録されているが、この連作、現在では解体されていて、「剣鬼と遊女」は廣済堂文庫の《山田風太郎傑作大全》の一冊の表題作に、「怪異投込寺」は集英社文庫から出ている短編集の表題作になっている。それぞれの作品が密接に関わっていて連鎖しているわけではないが、あっさりと解体してしまってるのはもったいない話である。
余談だが、山田風太郎の創作作法の一つに、前に書いた作品を別の方向から照射したらどうなるか、という発想があったのではないかと思う。それは忍法帖で顕著だ。その辺の詳しいことは別の機会に。本書の元々の発想は『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)を吉原を舞台にしたらどうか、と言う所かな、と夢想したりする。ただ、それは志半ばに終わってしまっているが。
以下、収録作の感想。ベストは「怪異投込寺」あたり。「傾城将棋」は吉原という街――ありんす国――の、その「ルール」が説明される。その「ルール」で破滅する一人の商人。約束する際の「ゆびきり」の語源がここにある、と言うことがわかる(?)一編。花魁の薫は、どことなく潘金蓮を思わせる。
「剣鬼と遊女」は、身元不詳の怪老人の正体を巡る話。正体を明かされても「誰?」という感じだが(笑)。身元というか身分は、前半部分であからさまな伏線があるのであっさりわかるけれども。ケレンある雰囲気がいい。
「ゆびきり地獄」は花魁の指を集める男――勝麟太郎の親父、勝小吉――が主役を張る。小吉は出産費用捻出のために花魁の指を集めてるわけであるが(指を買う人が居たのだ)、剣の腕を活かし、今度は剣客から小指を切り落としていく。そこで陰謀に巻き込まれ、切り抜けるわけであるが、殺陣が小気味良い。
「蕭蕭くるわ噺」は鼠小僧登場。義賊といえども、結局のところは泥棒である――という視線はシニカルだ。鼠小僧の行為がもたらした悲劇は、吉原なだけに一層悲劇的だ。
「怪異投込寺」は葛飾北斎が登場する。投込寺の墓番殺害事件が扱われているが、その正体には正直たまげた。その正体もであるが、何故殺したか、と言うのも恐れ入る。しかも、殺害動機と被害者の正体が後の事実に結びついているから……。山風の超絶技巧を堪能できる一編と言えよう。
「夜ざくら大名」では水戸藩のお家騒動が。ここに登場する或る「意外な」人物は、登場した時点で正体があっさり割れて解説で大げさに言うほど意外でも何でもない気がするけれども。というか、多分、私の年代あたりでは半分くらいは「誰、この人?」になる気がしないではない。私はガキの頃時代劇結構見てたから知ってただけなんだけれども。或る意味口絵はネタバレかも(笑)。今度本書が復刊されるときは是非とも全作品収録して欲しいものである。これだけの連作を解体してしまうとはもったいない。もったいないお化け出ます(笑)。
原書房《ミステリー・リーグ》最新刊。結構刊行ギリギリまで書いてたようなので、芦辺拓の『グラン・ギニョール城』同様、編集者の敏腕ぶりが伺える(?)。
本書は、明記こそされてはいないが、あからさまにバークリイの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)に挑戦したと思われる作品である。しかも、刑事の紹介で犯罪研究の愛好会みたいなところに話が持ち込まれるところまで。結構露骨かも。持ち込まれる事件は毒殺事件ではなく、数年前に犯人失踪で迷宮入りした事件。最後の事件と目される事件の被害者は運良く死なず、死ななかったものの、トラウマに悩まされる。どうして自分は殺されかけなければならなかったのか。事件を持ち込まれた《恋謎会》の面々は、与えられたデータを基にして動機を推理する。『毒入りチョコレート事件』の形式をあからさまなまでに模倣しているが、それは形だけで、本書は『毒入りチョコレート事件』の様な多重解決でもないし、本書では推理するのは大晦日の一日だけで、何回も集まるというわけでもない。データを基に試行錯誤を繰り返す様は『麦酒の家の冒険』(講談社文庫)の発展型と言っても良いかも。
データを基に出された「真相」は、そこで終わっても、それはそれで面白い。それどころか、かなりイヤな気にさせられてしまうのであるが、更なるどんでん返しは、もう、なんというか、救いようがない。割と読むもののダメージというものが……(笑)。この辺は『依存』(幻冬舎ノベルス)と比較しても遜色がない。本書を読み、西澤保彦はアントニイ・バークリイの直系であることを確信した。派手なSF設定の影に隠れて作品のロジカルさは見逃されがちであるが、特にSF設定の作品はロジカルさが強い。特に本書では昨年(2001年)初訳の二作品のひっくり返し方に通じるところがあり(つまり、それまでの積み重ねをちゃぶ台返しにしてしまうところ)、もろバークリーだな、と思う。私が未読の作品を読めば(特に『試行錯誤』『ピカデリーの殺人』(共に創元推理文庫)あたり)を読んだら更に思うかも。
積み重ねられるロジックは確かに地味。でも、その地味さの中に光ものは見逃せない。また、この地味さが最後を活かしてる故に、計算された地味さというべきであろう。早くも2002年の本格ミステリベスト10候補登場、と言う所。本書が西澤本格の真髄の一端が詰まった傑作であることは間違いない