たまあに「この人柄刀一と同一人物じゃないのか?」と思ってしまう(笑)、北川歩実の長編。この作品では記憶が蓄積できない人間が出てくるが、出版されたのは同じモチーフを扱った黒田研二の『今日を忘れた明日の僕へ』(原書房)より先である。畢竟どのようにモチーフを扱ったか、と言うのに興味の焦点が行くが、モチーフの扱いも含め、期待を裏切らないできばえ。千鶴に子供ができ、学生結婚を決意した能勢幸春。結婚の許可を得ようと千鶴の父親に会おうとするが、彼女の父親である竹島久信には1993年1月6日以降の記憶が蓄積できないと言う障害があった。娘の千鶴の婚約を境に、周囲は激変する。次々と死ぬ知人や親族。その事件の裏には過去に起きた未解決の放火事件があった。
この作品では北川歩実作品に顕著な終幕に於ける異様なまでのどんでん返しの連続はない(特に、『模造人格』(幻冬社文庫)のどんでん返しと言ったら、もう……)。だが、終幕あかされる真相のひねり具合(いや、ねじくりまわし具合か?)は執拗なまでのどんでん返しに匹敵する。二段構え何だけれども、二段目はすごいよ、全く。或る意味基本的な、オーソドックスなものなのであるが、だからこそ映えるというか、なんというか。『今日を忘れた明日の僕へ』や、設定の毛色は違うが一日が何度も繰り返される西澤保彦の『七回死んだ男』(講談社文庫)らと比べても本書がこれらと遜色のないことがわかる。真相の衝撃と言う意味では『七回死んだ男』と並べても良いかも。寧ろ、『七回死んだ男』が発想の元になったのでは、と思ったりして。結末の付け方は『今日を忘れた明日の僕へ』と同じくらい好き。どっちも記憶を蓄積できないそのことが重要な伏線になっているし。
本書は従来の作品と違い、所謂「取材したところ(=情報)」及び病的なまでのどんでん返しが薄いが、恐らくは大ネタ一発勝負をねらった故なのであろう。計算は功を奏しかなり意外な真相(でもシンプル)が現れた。逆に言えば、それが事前に読めてしまったらつらいかもしれないが。本書の評価は真相を見抜けてしまうか否かにかかっているのかもしれない。とりあえず、北川歩実は意外なほどにはずれが少ない、と言うことで。
魑魅魍魎が跋扈する贋作の世界を描いた『狐罠』(講談社文庫)の直接の続編に当たるのが本書。それだけではなく、『凶笑面 蓮丈那智のフィールドファイルT』(新潮社)に出てくる蓮丈那智と『孔雀狂想曲』(集英社)に出てくる雅蘭堂まで出てくる豪華キャスト決定版。なんか、客演がおいしい仮面ライダーシリーズみたい(笑)。北森鴻美術関係オールスターズと言う趣。或る日、市で落とした青鏡銅が事の発端であった。冬狐堂こと宇佐見陶子はふとした偶然で手に入れたものであったが、出自が出自なだけに(間違いによる流出)返さざるを得ず、陶子は購入金額以上の小切手を受け取る。だが、この青銅鏡が全ての元凶であった。罠にはめられた陶子は古物売買の許可証を取り上げられる。だが、彼女は黙ってはいない。敵はいずこにとばかりに調査を進め、核心に迫る。
骨董美術オールスターズ大攻勢には恐れ入った。いやあ、こういうサービス大好きです(笑)。言うまでもなく、単なるファンサービスで終わってなく、それぞれの登場人物が抜き差しならぬ必然性を持ってる(雅蘭堂は必然性という意味では若干弱いかもしれないが、作者的に扱いやすい人物だったのであろう)。この作品が『凶笑面』収録の一編にダイレクトに繋がっており、興味深い(だが、そこに於ける記述と本書との整合性は若干食い違っているので『凶笑面』文庫化の際に修正が入るのか、それとも本書の次にもう一モメあるのか)。余談だが、本書は舞台が関西方面(しかも京都にも)飛ぶので有馬次郎くんも出して欲しかった(京都は嵐山の古刹に住んでる)伝説とも言われる税所コレクション再び、で或る意味北森鴻作品ファンには同じみなモチーフであるが、どうしてこの人明治期の素材の扱いが巧いんだろう。山田風太郎の影響をかいま見ることは無論可能だが、それ以外にも何かがあるんだろうか。無論、税所コレクションのみならず、様々な要素が絡み合っているわけなのであるが。しかも、税所コレクションは発端でしかなく、それを支点にして日本史の暗部をえぐり出す。寧ろ、告発と言ってもおかしくはない。
贋作や古美術を巡るetcは非常に興味深いが、それだけに終わらず、様々なミステリ的テクニックも使われている。終幕の畳みかけるようなどんでん返しの連続は息もつかせぬ展開。それらは素材と抜き差しならぬ関わりがあるわけであるが、素材の使い方のうまさでは現役作家の中では一番ではなかろうか。前作『狐罠』が面白かった人のみならず、ミステリファン全てにオススメかも。前作『狐罠』はもちろん、『凶笑面』『孔雀狂奏曲』を読んでから本書に取りかかることをオススメしておく。無論、この辺もかなり面白いよ。
「週刊アサヒ芸能」に連載の後単行本化。角川文庫忍法帖叢書に収録されなかった作品でもある。講談社ノベルスの忍法帖全集に収録されるまで徳間文庫から出ていたが、角川文庫に入らなかったのはずーっと版権を徳間が握ってたんだろうなあ。本書は山風評価ではB級であったが、とんでもない話で、A級作品と並べても遜色はないできばえである。八犬士の活躍によって里見家が再興されて150年。徳川の世になり、ますます安泰かと思われていた。だが、それも大久保家滅亡と共に雲行きが怪しくなっていく。里見家当主忠義の妻村雨が大久保家に縁ある者だったからである。里見家断絶を謀る本多佐渡守は里見家が家光に献上するはずの八顆の玉に目をつける。八顆の玉を盗み、献上できないようにすれば断絶の格好の口実になる。密命を受けた服部半蔵は伊加者のくノ一に命じ、八顆の玉を偽物にすり替える。里見家存亡の危機に立ち向かうは、甲賀へ修行に赴いていた八犬士の子孫のはずであったが、彼らは既に甲賀卍谷には居なかった。
実にいいテンポで里見家存亡の危機までを描き、さあ八犬士の登場! と言う段になって全員行方不明、というのは良い意味で力が抜ける(笑)。以降一人二人ずつ見つかっていくわけであるが、行方不明の結果発見されるだけあってそれぞれの「現在」が多種多様で面白い。乞食や盗賊、軽業師、果ては軍師まで。しかも、それらが実に無駄なく噛み合っている。また、散り散りになって里見家なんてくそ食らえな面々が再び里見家の為に奮闘する理由が美人のお姫様の為と言うのが泣かせるではありませんか。前半の里見家の危機までの道のりは忍法帖でありながら忍法帖を読んでいないような気にさせられた。コン・ゲームを読んでいるかの如く。いや、性格にはヤクザが罪のない姿勢の人間を嵌める様を読んでるようだった(笑)。最近の作家では新堂冬樹が近いかなあ……。以降奪われた珠を奪い返していく様はいつもの(?)忍法帖。奇想天外な忍法もてんこ盛り。
珠を奪い返すために様々な八犬士側も策略を弄するが、敵を欺くにはまず味方からとばかりに身内も騙してしまうその稚気は笑った。そして、その辺にミステリ的テクニックも垣間見ることができて楽しい。尤も、厳密に言うとどう考えてもアンフェアなんだけれども(笑)。激闘謀略の末にはたして里見家の繁栄があるか否か。正直、いくらタイトルに「八犬伝」が記されていても安心はできない。佐渡守の謀略により、八顆の玉の献上期日が大幅に繰り上げられてタイムリミットサスペンスとしても読める。刻一刻と迫る期限に果たして珠を全部そろえることができるのか。正直、最後の最後まで目が離せない。
しかし、本書が『銀河忍法帖』『忍法封印いま破る』(共に講談社ノベルス・絶版)の大久保家サーガの源流にあるとは意表をつかれた思いがした。もしかすると、この二編の発想の源流は本書かも。基本的な骨組みがそれまでの作品の換骨奪胎である点も面白い(甲賀vs伊賀の図式、男対女の図式、戦いに身を投じる理由と結末の付け方)。やはり、山風忍法帖の最大の魅力は肉付けの仕方にある、と断言しても良いであろう。山風忍法帖の特色がよく出た作品。未読なら読むべき一冊でしょう。
デビュー作『『クロック城』殺人事件』(講談社ノベルス)に続くシリーズ第二弾、と言うわけではない。タイトルだけ見るとシリーズに見えるが、全然別物。前作『『クロック城』殺人事件』は一応(?)館ミステリの体裁をとっていたが、本書は館ミステリではない。本書は三つのパートから成立する。1989年の日本、北海道にある最果ての図書館。1243年のフランスにある瑠璃城。1916年、第1次世界大戦フランスドイツ戦の最前線。いずれのパートでもとびっきりの不可能犯罪が提出される。三つのシチュエーション、不可能犯罪、首なし死体は一見バラバラながら、輪廻転生という糸で繋がっている。しかも、スノウウィという奇矯な探偵が時空を隔ててそれぞれの時代で存在する。
一見ちゃぶ台プリーズ系だが(なんちゅう分類だ)、奇矯な設定が抜き差しならぬ、重要な意味を持っていることに読了後気づく。何故三つもの時代を用意せねばならなかったのか、何故それぞれの時代に於いて首なし死体が転がっていなければならなかったのか。その理由がわかったときは膝を打たざるを得なかった。そうきたか、と。だが、残念なことに、それぞれの物語りにいまいちもの足らないものを感じた。それぞれに於ける不可能犯罪は魅力的だが、その不可能犯罪の不可解性や不可能性を感じる人物が用意されてない感じがしたのだ。存在はするが、あまり機能していないような。輪廻転生という糸で結ぶからなのであろうか、どことなく謎に対する登場人物の眼差しが冷め切ってる気がする。そこが本書に対する最大の不満。
本書はSF設定を駆使した作品、と言うことになるであろうが、人によってはこの設定の用い方にかなり不満を覚えるだろうなあ。というか、反則すれすれかも。この辺が許容できるか否かによって本書の評価が決まるであろう。私はと言うと、膝は打ったけれども微妙。首なし死体もの愛好家としては(誤解招きそうだな(笑))盲点故に認めざるを得ないんだけれども……。果たしてこの作者、結局どういう方向性を目指しているのか。少なくとも、純粋本格ミステリの彼方ではないことは確かだなあ。しかし、最後の1ページ。これ、計算してたのか、偶然なのか。偶然に一票。
とんでも系好きなら是非ともどうぞ。
本書は今は亡き新潮ファンタジーノベルスから刊行され、刊行年の星雲賞を受賞した菅浩江の代表作の一冊。2001年1月に徳間デュアル文庫より再刊され、入手容易になった。この作品は一人の少年の成長物語と言っても良いであろう。春をひさぐ街メルルキサスに生まれ、数少ない男として時にはからかわれ、弄ばれるイェノムは少年から大人の男に脱皮したい。そう願い続けていた。或る日、世界支配をもくろむトリネキシア商会から逃れてきた一人の少女との出会いがイェノムのみならず、<螺旋の街>メルルキサスの運命を変えていく。
読んでいてずーっと思ってたのが、この作品世界、超未来なのかな、という、作品を楽しむためには全く以てどうでも良いこと(笑)。SFと思うから変に設定に気を巡らせてしまうだけで、純粋に成長物語+ファンタジーとして読めば単純に楽しめただろうなあ。少年の成長物語という要素を支えるための様々な「支え」というか要素は面白い。脱皮して新しく生まれ変わる<螺旋の街>の娼婦とか、予言という現象に関する解釈など。成長物語としての本筋より寧ろこの辺のディテールを楽しんだ。作品世界を作るために手間暇を惜しんでいないことがよくわかる。最終的に本書の世界観が(明言こそはされてないけれども)或る法則(要するに超未来であると言うこと)に基づいていることがわかって個人的に一安心(してどうする、というつっこみも自分の中であるが)。
ディテールを楽しんだものの、肝心要の少年の成長物語としては今ひとつ乗れなかった面がある。それは、作品そのものの問題ではなく、寧ろ、私自身の嗜好の問題なんだろうと思うけれども。どことなく乗れなかった。それは、コードそのものがオーソドックスだからなのであろうか。少年の成長物語としては実にオーソドックスな気がする。それを読ませ、高評価を受けているから成功はしているのであろうが。本書は成長物語としての側面を持つ作品が好きならば受け入れられるかもしれない。そうでなかったらあまりオススメできないかも。
『壺中の天国』(角川書店)以来久々の本。短編はちょくちょく「メフィスト」(講談社)なんかに発表しているから仕事はしてるんだろうけれども(笑)。まほろ市名物の突風、浦戸颪が起きた翌日。美波の友人カノコは人を殺したかもしれない……と美波に相談してきた。オールでのカラオケの翌朝、マンションのベランダをよじ登ってきた男を突き落としたが死体もなく(住んでる階は7階)、どうしたものか、と言うことであった。警察にも話したが取り合ってくれない。そんな中、バラバラ死体が発見され、その死体こそがくだんの男だったと言うことが判明するが、死亡推定時刻と目撃時間のつじつまが合わない。
展開そのものがオーソドックスで、一瞬倉知淳の小説じゃないような気がした(笑)。伏線の張り方や冒頭の描写の関わり方は泡坂妻夫の《亜愛一郎シリーズ》みたい。予測可能とはいえ、そこまでやりますか。ぬけぬけとしたところは法月綸太郎をして「天然カー」と言わせただけあります。全体的にのほほーんとした所がありその辺は倉知淳らしいような、そうでもないような。どっちやねん、とつっこみが来そうだが。作中猫丸先輩や辰虎おじさんの眷属が出てこなかったからか。この二人の眷属(或いはそのもの)が出てこない倉知淳作品は倉知淳作品ではないような。ミステリ的なところもさることながら、猫丸先輩や辰虎おじさんの眷属が倉知淳作品たらしめてるんだな、と今頃気づいた次第。
とりあえず、倉知淳ファンなら読んでおきましょう。
まほろ市連作夏編は我孫子武丸が担当。本書は或る意味我孫子武丸らしい作品になっている。一冊の本を出したっきり泣かず飛ばずの状態だった君村義一の元に届いた一つのファンレター。それがきっかけで四方田みずきと交際を始めることになる。幸せな日々が続くかに見えたが、交際を後押ししてくれた友人の死体が発見されるに至って事態は急変する。
大業一発勝負であるが、多少卑怯な気が(笑)。大業を成立させる原理そのものは前例が思い浮かぶが、本書ではその原理を中心に据えることで驚きを作り上げているといえよう。原理が先か現象が先か。ミステリのトリックに対する考えの一つの答えのあり方がここにあるといえよう。読んでいて一個残念なのが、この作品、わざわざまほろ市を持ってくるまでもないような……と思わせてしまうところ。もったいないなあ。中編という器に対する盛り込み方そのものは悪くないのに。夏というお題に対する必然性はあるけれども。
と言うわけで、本書も我孫子武丸のファンなら読んでおこう(子供向け番組のお兄さん風に)
まほろ市連作、秋。時系列だけで言えば別に秋でなくても良いわけであるが、舞台そのものに必然性があると言えよう。尤も、麻耶雄嵩ならばまほろ市を舞台にしなくても徹底的に異世界を作って舞台を用意しまうんだろうけれども。まほろ市で起きた連続殺人事件は、被害者間のつながりもなく、捜査は暗礁に乗り上げる。まほろ市名物の作家闇雲A子は探偵のまねごとを公認された唯一の存在。連続殺人犯真幌キラーを追っていたA子は、天城憂と出くわす。
中編という器でミッシングリンクものを展開するのは無茶じゃないのかな……と思ったが、講談社文庫のオリジナルアンソロジー『「ABC」殺人事件』もそうだよな。だが、分量はこっちの方が多いので無理は少ない。ミッシングリンクものとしての結構、変な怪盗を出すところ(無論、虚仮威しではなくプロットにキチンとかんでいる)、意外な真相など無駄がない。逆に、無駄がなさ過ぎるところが瑕疵と言っても良いんだけれども。詰め込みすぎ。固有名詞でも相変わらず遊んでいるけれども。また、最初に述べたように、本作ではまほろ市でなければならなかった理由が確立されており、そういう意味でも本作の評価は高い。
まほろ市連作一番のオススメである。
まほろ市連作の掉尾を飾る作品(嘘。別に、読む順番はどうでも良い)。冒頭に蜃気楼という、ファンタスティックなアプローチが示されているが、それが最終的に同感でくるのか、というのが最終的な焦点になる。ふとしたことから3000万円の大金を手に入れ、それが元で双子の弟を殺してしまった満彦。ほとぼりを冷ます為にいつも通りの日々を送っていたその時、死んだはずの弟とそっくりな人間を見かける。殺してしまった弟は埋めたはずなのに……。
読了後、ヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』(HM文庫・絶版)を思い出した。『暗い鏡の中に』はドッペルゲンガーを扱った幻想ミステリであるが、本書ではドッペルゲンガーの代わりに蜃気楼を絡めるのか、と思いつつ読み進めると……なんじゃこりゃ!(松田優作風に)。えっと……。展開からいって、そこ以外に落としてくれるのを期待してただけに、或る意味肩すかし。まほろ市ではどこでも蜃気楼が現れる、という設定ならよかったのに。幻想と現実の狭間を行き交う幻想ミステリの作品として本書は記憶に残るであろうが……。ちゃぶ台いただけますか?(笑)。
とはいいつつ、途中の展開やムードは大好きなので、総合点と言う意味では低くはない。幻想ミステリファンにはお勧め。
本書収録の作品は時代も登場人物もバラバラで、よく言えばバラエティに富んでいる作品集であるが、共通テーマが一個ある。女性の中の光と闇というテーマだ。山田風太郎は女性の中の陰陽、女性は天使か悪魔かというテーマの作品を結構書いているが、本書収録の時代小説短編はそれが強いのばかり。偶然か、それともねらった故の必然か。
以下、各編の感想。「踏絵の軍師」は伝説の軍師の一人竹中半兵衛の子孫竹中主善を描く。切支丹ものは『売色使徒行伝』(廣済堂文庫)にほとんどが収録されたが、本編もまた切支丹もの。踏絵という切支丹への究極の拷問を考案し(原型を編み出したのは沢野忠庵)、姿を現さぬ事で恐怖をあおろうとするその策略が一人の女性の登場によって崩れる。冒頭の一行と結末の一行の対比の妙が面白い。
「怪異投込寺」→『ありんす国伝奇』(富士見時代小説文庫・絶版)収録
「獣人の獄」は将軍家の庶子を憂国の果てに暗殺しようと企む三人の男にまつわる話。計画に参加するはずの人間が実は不適格者だというのがわかり、それからの展開は山田風太郎作品のいつもの如くというか。忍者や忍法なんかが出てこないものの、のりはなんか忍法帖のような感じ。
「芍薬屋夫人」はシーボルトやその弟子を描きつつ、或る女性の二面性を描く。初出が処女単行本だと言うことを考えると、時代小説に関する初期段階の意気込みを感じざるを得ない。陰と陽の反転が本編最大の眼目であろう。
「地獄太夫」は一休登場。山田風太郎最後の長編作品『柳生十兵衛死す』(小学館文庫)に於いて一休は重要な役割を果たすが、その萌芽はここにあったのか? と的はずれなことを考えたりしたりして(笑)。