密室の鍵貸します 東川篤哉 カッパノベルス 800円+消費税

 長編デビュー叢書《KAPPA-ONE》第1弾の内の一冊。推薦文は有栖川有栖。

 架空の都市烏賊川市で起きた奇妙な事件の顛末、と言うのが本書の大筋というか大枠。彼女にふられ、意気消沈していた戸村流平はさらに意気消沈する出来事に見まわれる。彼をふった彼女は刺された挙げ句の墜死、そして彼女が死んだその時間にいた先輩の家ではその先輩が何ものかに刺され、死体と化し、部屋の鍵は閉まったまま。ご丁寧にチェーン付き。状況からして自分に容疑がかかると思った流平は元義兄の私立探偵に助けを求める。
 何というか、徹頭徹尾とぼけたユーモアがあり、それだけでも十分に読ませてくれる。事件を追う刑事二人と逃げまどいながらも己の無実をはらそうとする流平と私立探偵のコンビ。追うもの追われるものと言う構図にも関わらず、意識させないと言うか、ユーモアがじゃましてるというか(笑)。カー以来の伏線はギャグの中に隠せという伝統に則って(?)ドタバタの中にも事件の謎を解くヒントは一通り紛れ込ませてあったりする。

 そもそも短編で使うはずだった、という(多分)アリバイトリックだが個人的にはこのような長編で用いて大正解だとおもう。これを短編にしたらぎちぎちになってたような。もしかすると鮎川哲也の某作品にインスパイアされて思いついたのかもしれないが。もう一個結構無茶な犯人出しをしているが、やっぱ、この辺、カーなのかなあ。カーみたいなオカルトとか奇抜な密室こそはないけれども、どことなくカーを思い浮かべるのは何故だろうか。ドタバタやアホな登場人物という意味でバークリーではないんだよね。
 結構飄々とした、さばけた作品と言える。というか、飄々とし過ぎて追いしものと追われしものが鉢合わせるまで時たま本筋を忘れそうになったり(笑)。この語り口こそ本書の最大の魅力であろう。

 すでに第2作も出ているようなので、2作目も機会があればいずれ読む予定。


忍法相伝73 山田風太郎 講談社 絶版

 全読書子必読の傑作名作秀作が跋扈する山田風太郎作品群に於いて、読んだものが皆「駄作」と口をそろえて言う作品が本書『忍法相伝73』。「週刊現代」に昭和39年5月より翌3月まで連載され、単行本化されたもの。本の形では3度ほど刊行されたが、昭和44年に刊行され講談社たロマンブックス版以降30年以上再刊されていない。無論、角川文庫化もされておらず、恐らくは次に再刊されるのが最後の再刊のような気がする。無論、いつかは解らないし、本当に最後か否かは神のみぞ知る所なのであろうが。

 舞台は現代。伊賀忍者の末裔伊賀大馬は人生の岐路に立たされ、伝来の巻物を紐解く。そこに書かれていた忍法相伝73、すなわち忍法「墨消し」。それを使って思い人を救い出そうとするが、ことごとく失敗する。偶然知り合った松中先生と鳥羽壷子と共に、巻物に記されていた忍法を現代に甦らせ、世を翻弄させるべく伊賀大馬は伊賀忍者の血をたぎらせる。
 現代を舞台にした忍法帖だが、何というか、ほとんどギャグの世界と化している。忍法墨消しも何の役にも立たないし(笑)、本音を引き出す忍法「鳥の死声」が引き起こすのはどうしよもないし、果ては男が妊娠する忍法まであってどうしろというのだ! と叫びたいほど(何もしなくて良いです)。

 やっぱ、本書を書いていた時の山田風太郎、やけくそだったんではないのかと思ったりする。忍法帖そのものに倦んでいたのか。とはいえ、平行して『魔界転生てんしょう(講談社文庫)や『忍法八犬伝』(同)を書いていたので、一概にそうとばかりは言えない気もする。セルフパロディを試みて盛大にこけた、と言うのが正確なところかもしれない。本書の試みであろう忍法帖のセルフパロディを再度試みて(山田風太郎自身の目から見て)成功したのが後の『笑い陰陽師』(講談社ノベルス・絶版)なのではなかろうか。そう考えると何故『笑い陰陽師』に山田風太郎がAランクの評価をつけたのかが理解できるかもしれない。
 様々な人間が口をそろえて駄作、と言う評価を下しているのでどんなもんだいと思ってたが、予想よりはまだマシだった(笑)。と言っても山田風太郎作品群の中で本書が最もひどいの、と言う評価は妥当だけれどもさ。途中武蔵対小次郎のパロディもあるし、やっぱ、本書で相当遊んでたのね(笑)。これが実にくだらないパロディでして。しかし、駄作であっても構成がきちりとしているところはさすが。これをやけくそながらも上手くつじつまあわせたと見るか、計算と見るかは人によって別れるだろうけれども。最後の一行は何だ(笑)。田中啓文の先達だったのか、あんたは。ダジャレじゃねえか。

 似非哲学あり、ドタバタありのナンセンスコメディとして本書を読めば多少はOKかも(笑)。どうして今まで再刊されていなかったか、読んでよくわかった。そら、これを再刊されるくらいならば山田風太郎曰く「できがよろしくない」ミステリを再刊させる方がマシだよ。いわば、小説の天才山田風太郎の恥部と言うところであろうか。もしこれが再刊され、再刊を渇望していた読者が居たら10人中9人は唖然とせざるを得ないであろう。どうしてこんなもんが存在するんだろう、と。
 本書はフクさんのご厚意により貸していただき、読むことが出来ました。基本的に本の出自は作品評とは関係ないので書かないんだけれども、本が本なだけに。うーん、本書だけは永遠に再刊しない方がいいかも、と思うのは私だけでしょうか?(笑)


熊の場所 舞城王太郎 講談社 1600円+消費税

 講談社の純文学雑誌「群像」に掲載された二編に書き下ろし一編を加えた計三編を収録。表題作「熊の場所」は三島由紀夫賞の候補にも登ったので、記憶にある人もいるはず。メフィスト賞初の快挙であろう。というか、最後だったりして(笑)。奈津川家サーガとは全然関係ない作品であり、そう言う意味では本書から舞城王太郎作品に触れることは何の問題もない。

「熊の場所」のタイトルが示すのは、主人公の父親の生き様そのもの、と言うところか。語り手は小学生という異例さながらも舞城節が失われていないところはさすがは三島賞候補と思う(関係ないです)。友達が猫殺しの常習犯ではないか、と思いつつも近づき、仲良くなる語り手。そもそもが彼を怖がっては行けない、と思い突撃したのであるが。サイコサスペンスになるところが、結果としてどこかほのぼのとした作品になっているのは語り口によるものなのか。
「バット男」はバットを持った男の話……で終わらず、語り手の周りで怒る痴話喧嘩(?)の話。喧嘩するカップルに振り回されまいと奮闘しているように見えるのは深読みのしすぎか。妊娠によって結婚するも(相手の男の子ではないことはみんな知っている)、うまくいかず、やきもきする。ミステリ的手法を使った結末の置き方は賛否別れるかどうか。如何にも舞城王太郎、って感じな作品なんだけれども。
「ピコーン!」はヤンキーだけれども実は頭がいい、と言う女性が語り手。同棲している恋人が不振な死を遂げた事件を追い、犯人にたどり着く。ミステリのガジェット全てを「くだらん」と切り捨てる作者らしく、ここでもミステリの或る趣向が切り捨てられる。と言うより、この使い方は切り捨てでしょう。やはり、舞城作品は語り口に全てがあるのであろう。

 集中のベストは「バット男」。多分、本書中最も舞城らしさがよく出た一品だと思う。


昆虫探偵 シロコパκカッパ氏の華麗なる推理 鳥飼否宇 世界文化社 1400円+消費税

 言葉が物質化する世界や死者が甦る世界など、現実と異なる世界で謎解きを展開し成立させた作品は多々あれど、昆虫と化して昆虫世界の事件の謎解きをさせたのは本書が最初であろう。そう言う意味では本書は空前の作品と言えるかもしれない。
 各話名作ミステリのもじりとなっているが、内容もパロディになっていて興味深い。クマンバチのシロコパκ名探偵、ゴキブリの葉古小吉(人間がゴキブリに! カフカのパロディでしょうか)、刑事のクロオオアリ、カンポノタスの三人ならぬ三匹がレギュラーキャラクターで、推理合戦を繰り広げる。全作品に共通しているのは、虫の世界故に人間世界の論理を持ち込むとミスリードされてしまうこと。ゴキちゃんの葉古がそれで毎度毎度失敗するのはご愛敬。
 この設定、異世界を構築することとイコールではないが、昆虫世界を舞台にすることで昆虫の論理という異形の論理を構築できると言う利点があり、SFミステリ的に見て結構興味深い。最も、言うまでもなく本書はSFミステリではないけれども(言うまでもなく、幻想ミステリでもない)。
 以下、各編の感想。集中のベストは最終話「ハチの悲劇」

「第一話 蝶々殺蛾さつじん事件」では蛾の死が誰によるものか、と言うのが推理される。様々な虫が容疑者ならぬ容疑虫になり、加えて消えた死体という謎もありどう収斂させるかと言うのが興味の行き所だが擬死と言う虫の習性を使うことで鮮やかに幕を閉じさせる。本家とは一風も二風も変わった一編。
「第二話 哲学虫てつがくしゃの密室」では本家の『哲学者の密室』(笠井潔/創元推理文庫)同様に三重密室が。ふん転がしの糞にまつわる密室だから締まりがないけれども(笑)。本編でも虫の習性が重要なキーを担う。図解の絵解きは納得だが、糞なだけに(以下略)。
「第三話 昼のセミ」はなぜセミが鳴かなかったのか、という理由を探るために海を渡る(笑)。つうか、途中検疫とか殺虫剤頒布とかでよく死ななかったもんだ、と本筋以外の所で感心してしまう。本編に限って昆虫世界の論理ではなく、人間世界の論理が適用されるが、謎に殺虫事件ではなく「日常の謎」を持ってきたところが上手い本歌取りではないか。
「第四話 吸血の池」はあの『吸血の家』(二階堂黎人/講談社文庫)の舞台となった料亭の池が舞台に。池に浮かんだからからの死体だけれども、アメンボがやったわけではなく、なぜそのような状況が生まれたのかという雪の密室ならぬ池の密室。途中のダミー推理もさることながら、真相の置き所や虫関係の置き方も心憎い。
「第五話 生けるアカハネの死」は毒のある虫の姿を模して狙われないはずなのになぜか狙われてしまうアカハネの相談に、ゴキの葉古が出動。葉古は一応結論を出すものの、シロコパκ氏に覆されてしまう。何故葉古が間違った結論を出してしまったのか、と言うところから導き出される解やアカハネを襲う意外なハンターの正体は本書でも1、2位を争う出来栄えであろう。
「第六話 ハチの悲劇」はレギューラーキャラクターの相関関係が明らかになり、壮絶な戦いが繰り広げられる。アリンコ刑事の巣が襲われ、女王アリが誘拐されてクマンバチのシロコパκ氏に助けを求められる。正直言って真相には或る種の「をいをい」感がなきにしもあらずだが(笑)、物語全体の収斂のさせ方としてはまずまずであろう。


奇偶 山口雅也 講談社 2400円+消費税

 破格の傑作『生ける屍の死』(創元推理文庫)以降、純然たる長編がこれで2冊目という或る意味快挙な作品。『13人目の探偵士』(講談社ノベルス)はオムニバスなので長編と言うにはちと違う。山口雅也には密かに《第三の波》の中井英夫という名称を送っているので(笑)、いろんな意味でこの第2長編が楽しみだった。「メフィスト」(講談社)に3回連載の後に大幅加筆集成を加えて刊行。結末部分を大幅に書き加えた様子だが。

 作家の火渡雅は、突然右目を患って右目の視界をほとんど失う羽目になった。だが、彼を襲う苦難はそれだけに止まらなかった。同棲していた恋人シルフィーの精神異常、目を患った際に入院した時に知り合った新興宗教、奇偶の存在と彼との関わり。目の発病前、偶然取材で訪れたカジノで出会った福助のバカ勝ち、福助と火渡の意外な関係。様々な偶然に見まわれた火渡は自分の体験を文章にする。それは、新興宗教奇偶の教祖が不可解な状況の死――密室の中での干涸らびた死――を遂げたところで終わっていた。偶然に彩られた世界に誰が終止符を打つのか。
 ミステリに於いてタブーとされている偶然を徹底的に突き詰めたらどうなるか、と言う壮大なる思考実験が本書『奇偶』である。正直、本書の評価は非常に難しい。少なくとも本格ミステリとしての評価は私には無理。だが、本書は或る意味小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(創元推理文庫)や夢野久作の『ドグラ・マグラ』(同)、中井英夫『虚無への供物』(創元ライブラリ)らの、所謂黒の水脈に連なる作品なのではないだろうか。もしかすると後世本書を黒の水脈に連ねた評論が現れるのかもしれない。一つだけ言えるのは、本書は笠井潔言うところの《第三の波》が生み出した、異形の奇書であるということ。

 島田荘司の御手洗潔シリーズの一部に「アレも偶然、これも偶然」という揶揄めいた評をどこぞでみかけた気がするが、ここまで偶然というファクターを突き詰めまくった作品は空前絶後であろう。ミステリに偶然を持ち込んだらどうなるかという次元を越えた作品と言っても過言ではなく、偶然を扱った作品だからと言うわけでもないがもうぐうの音も出ません。
『本格ミステリ・クロニクル300』(探偵小説研究会編/原書房)所収のエッセイで作者の山口雅也自身が目を患ったと書いていたが、本書の主人公である火渡雅は山口雅也自身がモデルなのかもしれない。ちゃっかり作者自身をカメオ出演させているのはご愛敬だけれども。目を患い、視力を失う過程で山口雅也自身が何を思ったのか、それが本書に書かれているとは限らないが、少なくとも何割かは書かれているであろう。或る意味目が資本と言う本を読むことを糧としている人間の一人として結構他人事ではなかったなあ。

 様々な偶然の連鎖は読んでいて奇妙な感じにさせられたが、その局地が終幕にでてくる密室殺人であろう。偶然看板に当たって死んだ人とか、偶然原発にいて事故で被爆したなんてのは序の口で、ダミーもさることながら提示された密室の鍵の開き方はここまで偶然というものを積み重ね、連鎖させ、蜘蛛の糸状に張り巡らせた作品でなかったら一蹴したかも。もしかして、この密室が描きたかったが故の壮大なる前ふりが偶然の連鎖連鎖連鎖なのか。いずれにせよ、開いた口がふさがらないのは事実。
 本書は間違いなく『生ける屍の死』に続く新たなる代表作の一つとして数えられるべき作品であろう。『生ける屍の死』とは全く違った、異形のものであるがそこにあるのはあらゆるものをどん欲に摂取し、消化しようとする山口雅也でしか描き得ない作品であることは確か。ただし、本格ミステリを期待すると肩すかしになると思いますが。とりあず、後世の評価、すなわち時間軸に於ける評価が気になる作品であることは間違いないですね。


写本室スクリプトリウムの迷宮 後藤均 東京創元社 1700円+消費税

 本書は第十二回鮎川哲也賞受賞作。三重構造の入れ小細工という設定は、それだけでも或る種のミステリファンにはアピールできるであろう。タイトルにどことなくいかがわしさを感じるのは私だけであろうか。

 賞の選考を終え、欧州に資料集めの旅に出かけた作家兼大学教授の富田多恵夫は偶然にも戦前ヨーロッパで活躍した日本人画家、星野の手記を渡されることになる。そこには、星野が遭遇した「吹雪の山荘」に於ける奇怪な出来事が記されており、その手記の中にはそこで彼が読んだ犯人当て小説、「イギリス靴の謎」も挟み込まれていた。
 メタ構造に加え、吹雪の山荘、怪しげな洋館、魅惑的な図書館などミステリファンのマインドをくすぐる要素が盛りだくさんで、設定や冒頭の手記にはいるまでは非常にわくわくして読んだ。でも、でもね。なんというか、前半のわくわく感は最後までは残念ながら持続しなかった。後半、作中作中作の手記で意外な真犯人の素性が割れるところ迄は結構よかったんだけれども、以降、それが本当にやりたかったことなんだろうなという事は解ってても蛇足くさかった。

 本書の弱点は選評そのまま、というのは私が指摘するまでもないのであるが、すこーし穿った見方をすれば本編だけで本書を判断してはいけないのかな、と言うことが言えるのかも。少なくとも次作とセットで評価すべき作品なのかもしれない。
 作中作の前半の魅力は既存の作家、作品には余り見受けられることのないもので(でも、似たようなのはいくつか混合させればこの作品の雰囲気に近いかも)、これが最後まで持続すれば鮎川賞屈指の作品になったかもしれないなあ、と思うと残念至極。前半だけで満足したのか、それともどこか計算が潜んでいて次作でことごとく覆されるのか。この辺の見方は非常に楽観的な見方なのでほとんど当てにならないが、そうであって欲しいという思いはある。

 とりあえず、鮎川賞を追いかけてる人はどうぞ。下手すりゃプチ石○○介化しそうな気配を感じるのは私だけ?


レイクサイド 東野圭吾 実業之日本社 1500円+消費税

 本書は今はもうない雑誌「週刊小説」(週刊なのに隔週刊行というけったいな雑誌だった)に「もう殺人の森へは行かない」のタイトルで連載されたものを下敷きにして書き下ろされたもの。大元がどんなものだったのか結構興味あったりする。

 中学受験を控えた息子たちは勉強の合宿、親たちはペンションでのんびりするという企画で集まった4組の親子。だが、その一組に不穏な影が忍び寄ってきていた。突然の不倫相手の出現に驚いた並木俊介であったが、巧く立ち回り、後ほど密会することにする。だが、指定された時間に指定された場所に赴いたものの現れない。業を煮やして戻ったが、そこでは驚くべき事態が待ち受けていた。妻が不倫相手を殺したというのだ。周囲の協力で死体を処分はしたものの、利害関係のない人間がどうして協力したのかということを不審に思った俊介は……。
 本書を一言で言うと小味なサスペンス小説と言うところ。コンパクトな分量でまとめた作品で、ストーリーテリングの巧さもあって結末まで一気に読めてしまう。これはただごとではない。単純なプロットながらも二重三重に張り巡らされた緻密な構図は東野圭吾の本格ミステリ作家としての力量を感じさせる。

 本書はサスペンス小説の体裁は取ってはいるものの、結末はどっちかというと社会派ミステリに片足をつっこんでいる気がしないでもない。これを以て社会派ミステリなんつうとどっかからおしかりの声が聞こえそうだが。でも、動機っつうか根底にあるものはやっぱ、社会派だよなあ。今に始まったことではないかもしれないし、作者自身これを告発しようなんてつゆほどにも思ってないだろうけれども。
 小味な佳品ながらも、東野圭吾の巧みなストーリーテリングを堪能できる一冊。厚けりゃいいという風潮に真っ向から喧嘩を売る(?)東野圭吾の意欲作と言えるのかもしれない。


試験に負けない密室 高田崇史 講談社ノベルス 740円+消費税

「メフィスト」(講談社)に好評連載中の「千葉千波の事件日記」の長編版。そもそもメフィスト賞受賞作家による密室本競作には本書で参加するつもりだったとか(実際には『QED 式の密室』で参加)。本書は最初で最後の後書きもついた豪華版(?)

 夏休み、浪人三人組は骨休めと称して千葉千波の有する別荘に赴こうと勇んでいたが何の手違いか、全く違う場所に来てしまう。しかも、終電もでてしまい、村で宿を取ることになる。しかし翌日、折しも来ていた台風で電車が不通になり、村に閉じこめられた三人は仕方なしに村の名所を回るが、八丁堀が悪人はそこから出ることが出来ないと言う牢屋に閉じこめられてしまう。一方、宿では奇妙な事件も起こり、消えた美女の謎も加わってしまう。
 限られた場所、空間、人間。場所が村という非常に狭い空間であるに加え、登場人物が無駄がないくらいに少ない故に誰もが怪しく、一方で誰もが怪しくなく見えてしょうがなかった。一風変わったクローズドサークルへの閉じこめ方故に一瞬「あんたは江神シリーズ長編か!」と思った(笑)。

 短編で変態なまでにパズルを出すシリーズだが、本書でもパズルは出てくる。それ以上に頭を悩ませるのはこれでもかと繰り出される数々の密室状況であろう。一体、何のために、誰がどうやってこんなものを? 途中爆笑の密室談義(決して密室講義ではない)を挟みつつ、そして、推理が覆されつつ真相に三人は近づく。真相は或る意味「これはないぜ、おとっつぁん!」と言う感じだが、伏線は入念に張られているのでぐうの音も出ません。『QED 式の密室』もよかったけれども、こっちの方も良いです。甲乙つけがたいかも。
 短編シリーズを愛読してる人は言うまでもないけれども、さくっと小気味良い作品を読みたいという人にも本書はお薦め。ただし、寛大な人限定で(笑)。


スノウ・グッピー 五條瑛 光文社 1800円+消費税

「小説宝石」(光文社)に連載後単行本化。《R/EVOLUTION》シリーズや《鉱物》シリーズとはひと味違う作品となっており、又、防衛庁時代の経験も十二分に発揮されているように思える。

 自衛隊の演習での航空機墜落。事故で海に墜落するそのことは或る意味日常茶飯事のことであったが、そこに積んであった「機密」が事件を引き起こす。一方で、事故と同時に消息を絶った軍需産業の研究員山田の行方を自衛隊、会社、得体の知れない何ものかが追う。三つ巴の捜索にも関わらず尻尾をつかませない山田だったが、彼を追うものの一人である三津谷へ伝言を残したのを最後に死体で発見される。一方、自衛隊の方もきな臭くなり、「機密」の電子機器グッピーの引き上げを巡って各国の情報戦の様相も示し始める。
 作中、何か大きな事件が起きないと日本は自分たちが平和ぼけしていることに気づきやしない、という趣旨の台詞が何度か出てくるが、本書の連載終了後(2000年11月号から翌年の8月号まで)、2001年9月11日のテロ事件を目の当たりにした作者はどの様な気持ちで本書に手を入れていたのであろうか。無論、ニューヨークのテロ事件と本書はなんの関わり合いも、予言的なものもないけれども。

「機密」であるグッピーの正体は中盤まで伏せられたままであるが、近代の戦闘が情報戦であり、いかにして相手の先を行くことが大事なのかの力説により、グッピーの謎の牽引力それだけで読ませてくれる。中盤以降、グッピーの正体が明らかになり、山田が持って逃げたものが何か、と言うのに改めて焦点が行く。本書は謀略小説の類である事は間違いないが、謎で引っ張るというその手法、数々の謎の解くための伏線の張り方やプロセスは或る意味本格ミステリのそれに近い。
 五條瑛作品には時折国防とは、自衛隊とは、軍隊とはと言う問いかけが出てくるが、平和ぼけ下日本人に対する痛烈な警告だった福井晴敏の『亡国のイージス』(講談社文庫)とアプローチの仕方が全然違うのが面白い。古処誠二の『未完成』(講談社ノベルス)も或る意味国防についての話だったが、各者各様、全然違うアプローチだが根幹にある想いは同じだと思う(尤も、こう書いたけれども、福井晴敏はどうかわからない)。ミステリ的などんでん返しよりむしろこの辺の思想というか、考え方の描き方に私は惹かれた。

 しかし、本書は誰も彼も信用ならず、こいつは信用できる! なーんて思った人間が実は裏で糸を引く大物だったり、かと思いきやこいつは信用ならなさそうやな、と思った人間が実は誠実だったりと下手な本格より面白い。しかも、思いもよらないところに大どんでん返しが仕組まれているんだから、全く以て油断ならない。謀略小説も本格の要素を兼ね備えているといったのは確か有栖川有栖だったと思うけれども、全く以てその通り! と賛同せざるを得ない。日本海に沈んだ機密を巡る話だけと思ったら大間違いだったよ。
 本書は非シリーズもの故にこれまで五條瑛作品を読んだことがない人でも十二分に楽しめます。本格ファンが五條瑛を最初に読むのは、これが一番適切なのかもしれない。それくらい本格してる部分があります。


忍者黒白草紙 山田風太郎 角川文庫 絶版

『われ天保のGPU』のタイトルで「漫画サンデー」に連載後『天保忍法帖』のタイトルで単行本化。角川文庫化の際に『忍者黒白草紙』に改められた。なお、山風評価はC。

 伊賀組の頭領服部万蔵は2人の忍者にある試験を課した。天井裏より2人が恋した女性の交合を見せつけるのである。試験に一応合格した2人は鳥居耀蔵ようぞうの元へと送られ、彼から一つの決心を告げられる。鳥居耀蔵が江戸町奉行になるにあたり、悪人を粛正する粛正部隊になって欲しい、と言うものであった。2人の忍者、箒天四郎と塵ノ辻空也はそれぞれ違う道を取る。鳥居耀蔵の思想に共鳴できない空也は決別し、天四郎の邪魔をすることを宣言する。天四郎は鳥居耀蔵の命の元に様々な謀略を巡らせ、粛正に当たるが行く先々で空也が邪魔をする。
 2人の忍者の対決、と言う意味では本書の連載の後に連載が開始され、執筆時期が重なったと思われる『忍法双頭の鷲』(角川文庫・絶版)と共通する。対決の構図や意図、時代は違うものの同じ構造で違う物語を組み上げる山田風太郎の特色がよく出ている。本書は忍者同士の戦いはあるものの、他の忍法帖作品に見られる忍法合戦ではなく策略合戦という色彩であり、或る意味忍法帖らしからぬ面がある。

 本書は忍法帖長編だが、忍法帖より寧ろ忍法帖ではない時代小説寄りの作品になっている。作品で使われている手法は明治もののそれに近いのかもしれない。明治ものは史実の合間をかいくぐってあったかもしれないifを小説の形にした側面もあるが、本書もまたあったかもしれないifが強烈なまでに、全面に押し出ている。明治ものに比べ、忍法というものが絡んでいる分奇想天外過ぎる観があるけれども(いや、明治ものも、それはそれで奇想天外そのものか)、そこにあるのはあったかもしれないifそのものと言っても良い。
 中盤以降、鳥居耀蔵がシャーロック・ホームズ張りの推理をするシーンがあったり(というか、あれは有名なホームズとワトソン医師の初対面シーンのパロディなんだろうね)、何故一日に二度も出入りするのか、という強烈な謎もあったりと案外ミステリファンにもアピールできる面がなくもない。特に後者は物語の要となり、意外すぎる結末を演出するのに一役も二役もかっており、この辺のテクニックはミステリ作家としての力量が存分に発揮されていると言えよう(なんとまあ強烈なミスディレクションだったとは、と読了後にあれやこれや思い至ってしまう)。

 ところで、連載時のタイトルが『われ天保のGPU』だったことは最初に書いたが、「GPU」は何を指していたのであろうか。読了した今もわかってないんだけれども、なんか意味があるに違いないことは確かであろう。何の略なのか興味あるところだけれども。本書は幕末の妖人鳥居耀蔵を描きつつも、最終的に描かれるのは忍者のむなしさそのものなのかもしれない。忍法帖長編には結末が虚無的な作品はいくつかあるが、本書はその中でもトップクラスのものがある。それは、箒天四郎への褒美に鳥居耀蔵が己の娘を与えたその時点ですでに決定していたのかもしれない。正義は何か、何が正しいのか。それはいつの時代も解らないことなのかもしれない。
 本書は2002年11月の現時点では角川文庫版が一番入手容易。とりあえず、講談社文庫の忍法帖全集を読み、それから本署を探しても遅くはない。入手し安いところを読み終えた人には面白い作品でしょう。多分。


撓田村しおなだむら事件――iの遠近法的倒錯 小川勝己 新潮社 1900円+消費税

 鬼畜ノワール(?)の作風で知られる、小川勝己の横溝正史オマージュ作。横溝ファンとしては読んでおかねばなるまい、と手に取ってみた。ちなみに、本書は今は亡き新潮ミステリー倶楽部賞の第4回の時の候補作。その時の受賞作は雫井脩介の『栄光一途』(新潮社)。

 岡山の片田舎、通称撓田村で伝承に見立てたかの如き殺人事件が起きる。下半身を食いちぎられた風来坊の伝説に見立てられたその死体は凄惨きわまりないものがあった。失踪した村の権力者、八千代の死体はどこかで腐らされており、腐った死体を更にバラバラにすると言う残忍さ。そして、八千代の家にやっかいになっていた桑島一家の長男もまた伝承のような死体になり……。村社会の論理、中学生という大人と子供の狭間、そして寺島響という奇矯な男、過去の因縁。見立て殺人の理由は、そして犯人は。
 横溝オマージュにしては現代的すぎて頂けない。1997年という時代を舞台にしているからか、横溝作品の村社会を舞台にした作品に見られる或る種の泥臭さが全くと言っていいほどない。それがない横溝作品は横溝作品でないし、オマージュとしても物足りなさを感じざるを得ない。

 とはいえ、本書は横溝オマージュというフィルターを取っ払えば隔離された村という或る種の異世界を舞台にした作品と見ることも可能だし、青臭すぎる面もあるが青春小説とも言えなくもない。意外な犯人も用意してあったり、複雑な血縁関係の真実もあるし、見立ての意味はよく考えられているし(そう言う意味では雰囲気を勘案しなければ横溝オマージュとしてよくできてるかも。横溝正史は見立てが十八番だったし)、なにより金田一耕助の不良探偵バージョンと言うべき奇矯な登場人物寺島の造形が巧い。中学生からお金たかるし、子供相手にキレるし(笑)。やはり、雰囲気が、と言うより平成の世の中を舞台にしたのが本作の最大の失敗かも。雰囲気以外は十二分に横溝オマージュとしてほぼ完璧なのに。画竜点睛を欠いてしまった感じ。作者は現代を舞台に横溝正史作品を甦らせたかったんだろうけれども。怪人対名探偵というプロットがそのまま移植するとギャグにしかならないのと同様、横溝作品が成立するぎりぎりは昭和40年代後半なのだろう。第二次世界大戦の爪痕が色濃く残ってる時代ではないと無理。
 しかし、最近出たあの作品と重要なトリックが被ったいるのは驚いた。執筆というか、原型はこの作品が先だし、更に言うなら、固められたトリックの周辺のディテールはこっちが遙かに上だと思う。時代のシンクロニシティなのか。

 雰囲気という点で損はしているが、横溝オマージュという事を考えなければミステリとして練られた秀作であろう。それ故、残念な面が多々ある。


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