『MISSING』(双葉文庫)でミステリ界の話題さらった本多孝好の連作短編集。本書は死の間際の入院患者の願いを叶えてくれる「必殺仕事人」が主人公で、それぞれの人柄に触れ、主人公は成長していく。多分、成長したと自分では気づかないまま。
以下、各編の感想。ベストは「FIREFLY」「FACE」は連作の第1話らしく、主人公が何故このような事――必殺仕事人めいた事をしなければいけなくなったか――のエピソードも語られるが、本筋は老人に頼まれた調査だ。こう書くと私立探偵ハードボイルド? なんて誤解する輩が出てくるかもしれないが、そんなことはない。老人は主人公に昔戦場で殺さざるをえなかった人間の息子のその後を観察し、報告して欲しいと頼むのだ。リリカルな文体で語られているからか、世俗にまみれ、ありきたりな風景なのにそうは見えない。本編を読んでいる段階で、これはミステリ領域で評価してはいけない作品なのかもしれないと思った。って、年間ベストで上位に祭り上げられていないけれどもな。所々に仕掛けられた意地悪さは作者がミステリを無意識か意識的にかは解らないが引きずってるからであろうか。
「WISH」では心臓病で入院中の女子中学生に人の探索をお願いされる。なんか、こう書いてると一風変わった私立探偵ハードボイルドを読んだのかもしれない、と言う気になってきたぞ。尤も、その意匠はあるのかもしれないが、私は意識しなかったんだが。見つけて、連れてきて……その後に待ち受けている光景は薄々感づいてはいながらもショッキングだった。人生そんなもんなのかもしれない、と思った1編。この作品では本筋とは関係ないけれども、屋上で空を眺めている人を覗き魔にしてしまう、その罪のない悪戯の光景が印象に残る。
「FIREFLY」は人生どこで間違えたんだろう、そう考えている女性が主人公に頼み事をする。人生なんて至る所山河あり山あり谷ありなんて達観できればいいけれども、そうはいかない。本編では女性がいつも電話で語りかけているのは誰なのか、と言う疑問(謎とは言いたくない)があるが、その疑問は氷解すると共に一抹の寂しさを読むものに与えてくれるであろう。己に翻って、いつも話しかけられる人、いますか、と問いかけたくなったり。本筋とは関係ないが、或る人物の性別が明らかになる。一種の叙述トリック?
「MOMENT」では本物の仕事人が影を表す。連作の〆の作品と言うことだけあり、人間関係は次々と整理されていく。また、前の短編で出てきた人たちがカメオ出演したりと連作ならではの贅沢さが本編にはある。主人公は主人公で洒落で受けた留学試験に通って論文に四苦八苦してるし。本物の仕事人と主人公との対話(対決とは書きたくない)は緊迫感あふれるところなのであおるが、どこか美しかった。多分、文体のせい。本書は短期の連ドラの原作に誰かが目をつけそうだが、絶対に映像化して欲しくない作品であることは間違いなく、ドラマ化されても十中八九見ないであろう。文章で読んで感動するのが本書の正しい愉しみ方であろう(って、小説自体がそうだろ、と言うつっこみは無しの方向で)
『黒き舞楽』は、《昭和ミステリ秘宝》官能篇で刊行された『斜光』(扶桑社文庫)に併収された長編。白泉社→新潮文庫ときて絶版。《昭和ミステリ秘宝》で再刊されるまでは古本屋を回るしかなかった。『斜光』には『黒き舞楽』の他に暗号ミステリ「かげろう飛車」も収録されている。この「かげろう飛車」、初出単行本ではどの様な形で収録されていたのか気になるところ。この「かげろう飛車」は小説に暗号が仕組まれているが、一応は暗号は解かれる。でも、なんか割り切れないものが残るんだよねえ。職人の家に嫁ぐ女性。それ自体はありふれたことであろう。その家に嫁いだ人間が次々と不審な死を遂げなければ。小学校の教師をしている泰江は、教え子である繁雄に並々ならぬ興味を抱く。彼と結婚した女性は何故か死んでしまう。繁雄の家に伝わる奇妙な人形の不気味さも不可解さを助長していたが……。
謎と言えば何故嫁いだ女性が次々と早死にするのか、と言うくらいで、それを除けば情緒あふれる官能小説という趣だ。実は人形の呪いで突っ走るのでは? と思うくらいの異様な雰囲気もある。情緒と異様な雰囲気の渾然一体となっているものが本書の魅力であろう。ミステリだから最終的に謎は解かれる。だが、私個人としてはこの奇妙な雰囲気の中ホラーとして突っ走って欲しかった気もする。かなり薄めの分量なので、ホラーとして終わっても良かったのではなかろうか。謎に解決を付けるところはミステリ作家魂の
業 なのか。『黒き舞楽』にしても『斜光』にしても。読み終えるとミステリ作家なんだなあ……と思ってしまう。もう70近いお歳と思うが、まだまだ現役。もっと傑作を発表していただきたいもんだわな。
本格ミステリ叢書《本格ミステリ・マスターズ》第2回配本。同時配本は加納朋子の『虹の家のアリス』。代表作『倒錯のロンド』(講談社文庫)などの《倒錯》シリーズとは全く繋がってはいない。タイトルが類似しているだけである。本書は主に店子、大家、天井男の3つの視点で物語が進行する。暴力亭主から逃れ、金沢から何とか逃げ出してきた直美は、紆余曲折を経て丁度空き家だったぼろ屋の2階に住むことになる。順調に日々を送るが、油断して暴力亭主に居所を感づかれてしまう。一方、大家のばあさんは時折訪れてくる区役所の人間に天井男がいると訴える。天井を覗きはするものの、それらしき人間はいない。各人の思惑はやがて1つに収斂し……。
そういえば、折原一には『天井裏の散歩者』(角川文庫)という乱歩の「屋根裏の散歩者」+山田風太郎の『誰にもできる殺人』(『山田風太郎ミステリー傑作選1 眼中の悪魔<本格篇>』(光文社文庫)収録)作品があったが、本書は「屋根裏の散歩者」趣味とも言うべき天井裏趣味を徹底化させたものと言っても良いかもしれない。そう言う意味では、本書は立派な乱歩小説と言える(乱歩小説については日下三蔵編のアンソロジー『乱歩の幻影』(ちくま文庫)参照のこと)。様々な人物の視点が入り乱れ、1つの物語になっていって最後にどんでん返しが仕込まれているというのは折原一の常道。そして折原一=叙述トリックと言う図式が成り立つ故に、いつも折原一作品には叙述フーダニット(つまり、どの様な叙述トリックが仕込まれているのかと言うことだ)と言う称号を贈っているが本書も又例外ではない。ここまで来ると、犬の卒倒(その心はワンパターン)と言われようがこの先死ぬまで叙述トリックに拘って欲しい。トラベルミステリの西村京太郎の如く、マニアが安心して読める叙述。マニアの京太郎という称号も贈っておこうか(笑)。
本書も又折原一の数々の作品の例に漏れない。本書は『天井裏の散歩者』のシンプル化と言うべき作品と言える。『天井裏の散歩者』の様な記述趣味(すなわち、持ち主が次々と変わるフロッピーディスクの内容)こそはないが、各人のモノローグの連続と言うべき構成は記述趣味の裏返しと言っていい。それが結末の驚くべき趣向(結構シンプルだ)に繋がるんだから。本書は2002年の文春ベストでベスト10入りを果たしている。折原一ブランドが文春ベストで乱歩賞のようなブランドを果たしているが、決してブランドだけで入ったわけではない作品である。折原一作品を何冊か読んだことがあるならば、是非とも。
山田風太郎の忍法帖短編は角川文庫の忍法帖短編集で9割方読めるが、中には例外があって、何故か本書収録の作品は一切入っていない。出版社間の取引なのか、それとも他に理由があるのか。本書収録作以外では「開化の忍者」「忍法しだれ桜」といった作品も角川文庫の忍法帖短編集に入っておらず、分量的な問題ではないような。だからといって本書収録作を作者自身が気に入ってなかったのかというとそう言うわけではないようで、「姦の忍法帖」「〆の忍法帖」の2編は講談社ノベルス版『くノ一紅騎兵』に収録されている。講談社ノベルス版の『くノ一紅騎兵』が自選作品集であることを鑑みると、本書収録作が角川文庫の短編集に入らなかったのは必ずしも作者の意向ではないようだ。『忍法八犬伝』(講談社文庫)と『魔天忍法帖』(徳間文庫)が角川文庫入りしていない(『忍法八犬伝』は山風評価ではBランク)のを考えると、出版者間の事情と言うのが正解かもしれない。
以下、「姦の忍法帖」「〆の忍法帖」以外の各編の感想。「胎の忍法帖」
敵対する一族を滅ぼす寸前までいったが、、敵は降伏の条件として一人の娘を差しだした。だが、彼女は既に他の男の子どもを身ごもっており、小信長と言われた針ヶ谷掃部は怒り心頭で生まれてくるまで縄で縛り、生まれた子供は即刻首をはねるという。そんななか、娘の救出作戦が密かに……と言う話。胎児を水にする忍法とか出てきたりして発想の元とか考えると楽しい。小信長と言われた男の怒りと飄々と対峙する忍者とのそのギャップが笑える。
「笊の忍法帖」
伯父に「おまえ、何人くらいの女と交わったな」と聞かれた銅馬はきょとんとするが、すぐさま400人近い人数を述べる。おもむろに伯父は忍法を授けるため銅馬を様々な女性と次々に交わらせる。過ぎたるはなお及ばざるがごとし、とは言うが本編はそれを地で行くような話だ。散々交合しまくった銅馬はやがてもうしたくない、と思うようになる。その果てに待ち受けるオチは笑うしかない。何でも程々が一番、と言うところか。
「転の忍法帖」
本編では頭の娘を思う余り、女郎屋でも似たような感じの女郎を買うようなどこかロマンチストな忍者が出てくるが、問題は彼が使う忍法。マラを取り替えることができる忍法を開発したのだ。その忍法を以てとりかえ屋みたいな商売を始めるのであるが、やがて性転換にまで発展する。後半に思い人であった女性が出てくるが、どこか調子が狂っている。その理由が解り、クライマックスに至ると本編が性の問題の1つ――体と心が一致していない――を昔から射程に入れてたことが伺える。
「牢の忍法帖」
山田風太郎作品に於いて牢屋と言うのが結構重要な要素を果たす事があるが、本編もまた牢屋ものである。キリシタン、女牢、忍法、忍者の組み合わせ。本編は山田風太郎の構成要素のうちの代表的なものがそろってるわけであるが、かといって本編の出来がぬきんでて良いかというと……。微妙。面白いことは面白いのであるが。
2002年は最後の探偵小説作家と言われた横溝正史の生誕100周年であるが、それに伴い角川書店から3冊の本が刊行された。本書と『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』『横溝正史自伝的随想集』だ。さすがは角川書店。横溝ブームの恩恵を忘れてなかったか。
本書には9人の作家による、金田一耕助と言うよりは寧ろ横溝正史に捧げられたパスティーシュ等が収録されている。9編の中では「ナマ猫邸事件」に爆笑してしまった。以下、幾つかにコメントを付しておく。「無題」(京極夏彦)★★★★
関口巽と話す老人の正体は。似たような趣向の京極パロディを読んだことがあるので別の意味で驚いた(笑)。『陰魔羅鬼の疵』よりの抜粋で一部からバッシングがあるが、抜粋と言うことに目をつぶればこの趣向は良いです。好み。
「キンダイチ先生の推理」(有栖川有栖)★★★☆
本編では金田一耕助は出てこない。だが、現在の事件と平行して岡山にある横溝正史が座ったという石に関しての考察が。愛を感じます。
「愛の遠近法的倒錯」(小川勝己)★★★
本編は「車井戸は何故軋る」を意識したのかな。事件解決後久保田銀造の元を訪れた金田一耕助に銀造は事件の話をするんだけれども(それは一応は解決していた)、いやがる金田一耕助はなんかかわいい(笑)。
「ナマ猫邸事件」(北森鴻)★★★★
本編は「黒猫亭事件」を読んでいるか否かで笑えるか否かが決まる。そう言う意味ではアレなのだが、私は「黒猫亭事件」が好きなのでおっけーです。横溝正史が好んだ顔のない死体と双子、(ホントは)おどろおどろしい兄弟間の相剋などを用いているのに徹頭徹尾笑えるのは何故か。真相も結構凝っていて本書収録作の中では群を抜いているかもしれない。
「月光座―金田一耕助へのオマージュ―」(栗本薫)★★★★
金田一耕助最後の事件『病院坂の首縊りの家』で金田一耕助が大団円と言う言葉は好まない、と言う趣旨の発言をするが、それを引っ張り出し、平成の世の中に金田一耕助を召喚する。アメリカから帰ってきた金田一耕助、というモチーフはアリだと思うが、今現在になると……。「幽霊座」の事件の時を隔てた後日譚と言う体裁だが、これが『病院坂の首縊りの家』を彷彿させるのはにくい演出じゃないですか。あの探偵を出すことに意義があるのか否か、と言う問題はあるものの、整合性はあるので目はつぶります。
「鳥辺野の午後」(柴田よしき)★★★
えーと、結局出てきた金田一耕助と思しき老人は夢の中の人なんですかね。
「雪花 散り花」(菅浩江)★★☆
「松竹梅」(服部まゆみ)★★★
時系列的には『病院坂の首縊りの家』の前か。本書のだいぶん前に金田一耕助パロディ集にも服部まゆみは寄稿していたが、本編は雰囲気的にはちとおちる。
「闇夜にカラスが散歩する」(赤川次郎)★★☆
2002年は西澤保彦が『聯愁殺 』(原書房)を出した年とも記憶されるだろう……なんて事考えていたら最後の最後、ぎりぎりになって飛んでもない作品を出してくれた。本書『ファンタズム』だ。作者は「本格」でも「ミステリ」でもないと著者前書きで書いているが、その言葉を承知していないと読み終えたときに迷宮に陥ること請け合い。( 敢えてジャンル分けするならばサイコサスペンスと言うことになるであろうか。しかも、べったべたな。連続殺人鬼の視点、捜査陣の視点、被害者の視点、様々な視点が入り乱れ、『ファンタズム』と言う物語を作り上げていく。連続殺人鬼である
有銘 継哉は一見どこにでもいそうな普通の人間。次々と女性を殺していくことを除いては、だが。被害者間の共通点は見あたらず、事件現場には前の被害者の事件記事が残っている。殺害方法もバラバラ。(
本書のタイトルを見たとき、同じタイトルのホラー映画を思い浮かべた。尤も、タイトルを知ってるだけで見たことはないけれども。触発された作品として『大密室』(新潮文庫)の千街晶之解説、我孫子武丸の某作品(『殺戮に至る病』かな)、山田正紀の『たまらなく孤独で、熱い街』(徳間文庫・絶版)を挙げている。山田正紀のは読んでいないが、千街解説は『怪奇幻想ミステリ150選』(千街晶之/原書房)に繋がるものがあった気が(『怪奇幻想ミステリ150選』を思い起こしたのは、恐らくは本書からの連想であろう。本書には奇怪すぎる密室状況が一応は用意されている)。本書は問題作と言っていいであろう。高里椎奈の『悪魔と詐欺師』(講談社ノベルス)の帯に「この本はミステリファンにとって踏み絵です」なんてジャックがあった気がする。だが、高里椎奈作品よりも、本書が踏み絵そのものだろう。本書をどこに分類するかによって読む人の読書観が試されるような、そんな作品な気きがする。
以下、致命的なネタバレ
私は本書はホラー+トリックと思った。有り体に言えば幻想ミステリの領域。実体化したドッペルゲンガーの殺人と言う或る意味驚天動地のトリックだと思うが、ミステリ的に見ると頂けない。だが、本書をミステリとして読むから頂けないのであり、サイコサスペンスがホラー(或いは幻想)に変貌した作品と考えると評価できる。それを支える奥ゆかしい「トリック」というか伏線は気づく人が半々かも。私は氷川透がホームページで「12〜18ページ、66〜73ページ、89〜101ページで語られている舞台がアメリカであり、そこで有銘継哉にそれぞれ殺されている女性たちがアメリカ人だなんて、気づく読者はまずいないのでは」指摘した文章を読むまで全然気づかなかった。しかも、これが海を隔てたミッシングリンクの伏線として機能している。この伏線それだけを取り出せば、ミステリ領域に見えるが、やっぱりホラー領域の作品と私は思う。
最後ではドッペルゲンガーが刺されたのか、オリジナルが刺されたのか。判明しない。そこは藪の中と言うことなのであろう。しかし、海を隔てた共犯関係で結ばれた連続殺人がドッペルゲンガーによるものであると判明するくだりはゾクゾクしたよ。なお、本書に於けるキモをドッペルゲンガーとは称したものの、ドッペルゲンガーが実体化するか、意志を持つかとか言う知識は皆無だし、これしか思い浮かばなかったのでこの語彙を使った次第。
一応私は本書をホラー領域にマッピングしたけれども、山口雅也の『奇偶』(講談社)が本格領域で語られてる現在、本書も又本格領域で語るべき作品なのかなあ……。1つだけいることは、本書は『奇偶』同様、ミステリの文脈でなければ生まれ得ない作品であることである。 ここまで本書が西澤保彦作品群の中で特異な地位を占めるのは間違いない。
小川勝己と言う作家はつかみ所がない。鬼畜クライムと称されるデビュー作『葬列』(角川書店)、馳星州の熱烈な推薦文が付いた『彼岸の奴隷』(同)、メタミステリパロディと言うべき『眩暈を愛して夢を見よ』(新潮社)、横溝オマージュ『撓田村 事件――iの遠近法的倒錯』(同)と作風はめまぐるしく変わっていく。どれが作者の本領か、イマイチ掴ませてくれないところがあるが、好きな人は大好きという熱烈な読者もいるようだ。デビュー作と2作目は(2002年12月の)現時点では未読だが、本書を含めた既読3作に於いては90年代新本格、すなわち《第三の波》初期全体の雰囲気の薫りを感じる。( 本書は「2ちゃんノワール」と言う大森望の評が核心を突いているように思える。キャバクラという匿名性の高い社交場の人間関係の軋轢とホームページの掲示板荒らしによって人間が切れていく様を丹念に描いた物語。それが本書。登場人物はそれぞれ暗い過去を抱えつつも健気に生きていっている。
2ちゃんノワールと評された本書だが、不思議と思い出したのが《第三の波》の出発地点にして綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』(講談社文庫)。何でかというと、本書の或る種の匿名性による。よく『十角館の殺人』に関する綾辻行人のコメントでアガサとかエラリィという名前は今のハンドルネーム云々というのを目にすることがあると思うが、ハンドルネーム=源氏名という発想をしたからなのだ。更に深読みすれば、冒頭にある図面がほとんど意味を成さないのは稚気じみた『十角館の殺人』へのオマージュなのかもしれない。とはいえ、仕掛けられたアリバイトリックが第三者による謎解きによって崩壊しないと言うところや結末など(面白いし、すごいと思うけれども)正面突破のミステリとは言い難い。本書は既読3作の中では《第三の波》初期全体の雰囲気の薫りを最も感じさせるものの、読了後の印象は2ちゃんノワール。不可思議きわまりない。
この作家、どこまで変幻自在に作風を変えていくのか。一向に予断を許さないが、この辺は初期の法月綸太郎を思い出すんだよなあ。『眩暈を愛して夢を見よ』は我孫子武丸とかさ。もしかすると、斜め四十度から見下ろした初期《第三の波》、という作風に落ち着くのかもしれない。――多分違うと思うけれどもね。でも、そう思わせるものがあります。
本書は創元の叢書、《クイーンの13》から刊行されたものの文庫化。『ねむりねずみ』(創元推理文庫)で初お目見えした探偵今泉文吾、『ねむりねずみ』以前の事件。――火夜が失踪した。火夜がいなくなる前、同居していた真波の元に届いたのは火夜のものと思しき小指。真波は同じマンションに越してきた探偵である今泉に火夜の捜索を依頼する。ほんの少しの情報と手がかりを元に火夜を探そうとする今泉であったが、その途中で渡した名刺が見知らぬ死体と共に。果たして死体を生み出したのは火夜なのか。火夜の過去に足を踏み込んだ今泉は段々と深みにはまっていく……。
『アンハッピードッグス』(中公文庫)と言う作品があるが、これに負けず劣らず邪悪な恋愛小説であると言う印象を受ける。本書には探偵も犯人も事件も存在しているが、根底にあるのは「謎−解明」と言う骨子ではなく、恋愛模様であると思う。とはいえ、本書は連城三紀彦の《花葬》シリーズに負けず劣らず恋愛とミステリが融合を果たしている。どちらが欠けても本書は成立しない本書は恋愛とミステリの融合であるが、別の方から見つめてみると火夜という女性の成長物語とも言えなくもない。また、火夜という悪党を巡るピカレスクと言っても良いかもしれない。中心人物は火夜と言う名のエキセントリックな女性であるが、火夜1人をとっても様々な側面が垣間見られる。そう言う意味では本書は非常に不思議な作品だ。
根底にあるのは恋愛だ、と先に書いたが、本書には犯人対名探偵の形もある。乱歩の通俗もの長編に『黒蜥蜴』(創元推理文庫)という長編があるが、今泉と火夜の関係は明智小五郎と黒蜥蜴の関係の陰画と言っても過言ではない。『黒蜥蜴』では名探偵と怪人の恋愛を描いたが、本書はまさしく近藤史恵流の『黒蜥蜴』と言っていいであろう。また、本書で今泉が自嘲気味に語る名探偵論(或いは理想像)は興味深い。火夜が迷い込む荘厳な「庭」は、作品世界を象徴しているようで興味深い。本書どころか、初期近藤史恵作品群をも象徴しているその風景は、近藤史恵の代表作としてこれ以上になくふさわしい。久々に文庫版を読んで「ああ、もっと早く、ハードカバーの時に読むべきだった」と思う作品に出会えた。こういう経験はなかなかできるものではない。
本書には裏側と言うべき物語が作者の中に存在するらしい。それは、本書の後日談なのか、別の話なのか。定かではないが早いお目見えを願う。
「伊賀の散歩者」「春夢兵」は徳間文庫版『剣鬼喇嘛仏』に「天明の隠密」は講談社ノベルス版の『剣鬼喇嘛仏』に、「忍者枝垂七十郎」は『かげろう忍法帖』(講談社文庫)に収録されている為に感想は割愛。「忍法鞘飛脚」
手もなく足もなく。目もなく舌もなく。何故このような状況になってしまったのか。太平の世の中、忍者というものの意義が薄れてきた時代に長崎で蘭学を修めた山鳥竹斎の悲劇は、彼が医者であることだった……。冒頭のシーンは思わず乱歩の「芋虫」を想像してしまったが、本編が乱歩のオマージュであるわけでもなく「伊賀の散歩者」と言う作品がある故に、そう言う意図は皆無だったのであろうと思う。医者であることを良いことに潜入に成功するものの、彼に与えられた役割は藩主の妾の手をそぎ、足をそぎ、とすること。シーンのショッキングさが如何にして冒頭に繋がるかがスリリングである。
「つくばろ試合」
徳川家光死去の直前の話。本編に於いて紀伊の殿様徳川頼宣が出てくるが、それだけではなく由比正雪も出てくるのには参った。あんた、全然懲りてなかったのね(笑)、と言うくらい陰謀三昧。天敵とも言うべき柳生十兵衛も死んでるからであろうか。十兵衛の代わりに(?)出てくる柳生の人間は尾張柳生の柳生兵助。正雪の陰謀をかぎつけた伊豆守に探索を命じられるんだけれども、十兵衛の代わりが相勤まるのか。その辺の興味で読ませてくれます。
「塗れ仏試合」
面子争いの結果はどっちに軍配が上がるのか。将軍の妾に娘を差し出すように迫られた小野次郎右衛門は娘は生涯生娘で通させると突っぱねる。面子を潰さんと「刺客」を送る側と守る側に別れるが、本編のみそは両者が同一人物になり、如何にして両立させるかという所にある。両立させた後のシーンは爆笑ものというか、諸行無常というか。
「忍者死籤 」(
薩摩への探索行に向かわせる為にくじを引き、当たったものが行く。無事任務を果たしたものには服部組頭の姪が与えられる故に、それぞれ躍起になる。また、体を移植する子おtができるという忍法が出てくる故に事態は複雑だ。山田風太郎は人体移植テーマのSFを忍法を用いて書いているが、SF的とは言っても結局は忍法帖と言うべきか。この人体移植忍法は終幕で重要な意味を帯びてくるが、それを巡る女性の好みはわけがわからない。
本書は熱狂的な愛好家を結構持っているクリスピンの最高傑作の誉れ高い作品である。入手困難を嘆く声が散見されるが、(2002年12月の)現時点では復刊の兆しはない。気まぐれに選挙戦に討って出たフェン教授は選挙活動に大わらわ。そんな中、大学時代の旧友でスコットランドヤードに勤めているチャールズ・ブッシーと再会し、ブッシーが村で起きた毒入りチョコレートによる毒殺事件捜査の為に非公式に派遣されたことを聞く。捜査は犯人の後一歩前まで迫ったものの、ブッシーは死体となって発見される。そして、逃げ出した狂人の行方は……。
少なくとも『金蠅』(ハヤカワ・ミステリ)よりは面白かった。牧歌的な雰囲気の中、フェン教授が行う選挙活動のおかしさというか、暴走のしっぷりは最高。殺人2つに交通事故1個という案配だが、軸となる毒殺がチョコレートに入ってた毒によるものって……。はい、バークリーとは全然関係ないでしょう。単なる偶然、仮に意識してても単なるお遊び程度のもんでことさら騒ぐものではない(って、あげておいてこういう書き方も難だが)。選挙戦やへんてこりんな豚くんのユーモラスなところににやにやして読み進めることができるが、それでも終幕で真相が暴かれると作者の用意周到さに頭が下がる。用意周到に伏線が張られており、パズラーとしての出来もなかなかのもの。私は本書の積極的な復刊推奨派にはならなけれども、復刊されてもおかしくはない出来ではある。たしか、早川が行ったなにかのベストで本書が入ってた気もするが……。それなら復刊させようや。
多分、本書は近年の国書刊行会の《世界探偵小説全集》でクリスピンを知った人も探し求め、結構えらいことになってるんだろうな、と思う。恐らく、クリスピンはコージーミステリの始祖的な位置づけになるんではないのかなあ……。その辺の歴史的なことはイマイチよくわからないけれども、コージーミステリファンならば読んでも損はないのかもしれません。がちがちのパズラーファンは……どうなんでしょうね。