『新天狼星 ヴァンパイア 全二巻』
『ポオ小説全集3』 『大怪盗』
『七人の中にいる』 『三人の名探偵のための事件』
『MOUSE』 『グランドホテル』

新天狼星 ヴァンパイア 恐怖の章(上) 異形の章(下) 栗本薫 講談社 各1500円(講談社ノベルス版あり)

 明らかに乱歩の通俗長編を思わせる天狼星シリーズ。『天狼星III 蝶の墓』で怪盗シリウスは死亡したかに思われていたが、今回目出度く(?)復活である。善玉の代表名探偵の対局にある悪玉の代表怪盗。怪盗について思うことはなきにしもあらずであるが、今回は割愛しておく(単に形になってないだけという意見もありそうだが)。とりあえず内容を紹介しておこう。

 地獄谷での怪盗シリウスと名探偵伊集院大介との闘いの終結から四年の歳月が流れ、竜崎晶は上京してダンサーを目指し日々精進を重ねていた。あるオーディション会場で出会ったニューヨーク帰りのダンサー牧村レオナに、ニューヨークで起きた猟奇殺人の話を聞く。通称「ビッグ・アップル・ヴァンパイア」と呼ばれるその猟奇殺人事件の被害者は血を抜き取られていたのだ。そのオーディションは落とされたが、兄の弘志がふとしたきっかけで知り合った演劇界の大物、野島幸三郎と出会ったことで竜崎晶の人生は一変する。野島が紹介した『炎のポセイドニア』の公演でアンダーから大抜擢されて大役を任せられる。それ故周囲のやっかみも酷かったが晶はめげなかった。四面楚歌の中、味方は女優の白鳥千秋だけ。そんな中、同じ抜擢組の赤星アンナが晶の家の前で惨殺したいとなって発見される。そしてその殺人現場には、精神病院から脱走したシリウスの手下の刀根の姿が……。シリウスの悪夢再び? 十三枚集めたものの願いを叶えるというゾディアックカードの謎も絡み合い、晶の周りで再び繰り返される惨劇。

 残念ながらというか、名探偵対怪盗という構図はこの作品では見られない。シリウスは専ら脇役なのだ。『天狼星』三部作(講談社文庫既刊)に見られる伊集院大介との丁々発止の闘いを期待してる読者には少しばかり期待はずれであろう。しかも、伊集院大介もどちらかというと脇役的な感じがしないでもないし。主人公は語り手となっている竜崎晶である。三部作の伊集院大介はどことなくスーパーマンめいていたが、今回は近年の作品及び初期作品同様のいかにも市井の名探偵(変な言い方やなあ)という感じだ。無論、超人探偵としての能力はクライマックスで発揮する。しかし、そのニュートラルな感じは相も変わらずである。

 様々な謎が出てくるが、この作品で解決されるのは『炎のポセイドニア』の関係者の殺人事件のみで牧村レオナ殺害の「東京ヴァンパイア」の事件及び「ビッグ・アップル・ヴァンパイア」の事件は解決されない。ここら辺は『真天狼星 ゾディアック』全六巻(講談社)で解明されるのであろうか。そこら辺引きの上手さはなんというか。もしかしたら『真天狼星 ゾディアック』のプロットはこの作品の執筆中に浮かんだのかもしれない。

 竜崎晶をして伊集院大介は、シリウスの後継者たりうる恐ろしい存在と喝破している。それを受けてであろうか。このもの語りの終幕は新たな天狼星の誕生を予感されるシーンで終わっている。この竜崎晶が新たな天狼星として如何なる活躍をするのか? という非常に不謹慎な期待感があるのであるが、そこら辺を作者はどのように考えているのか。気になるところではある。それは『真天狼星 ゾディアック』で明らかになるのか否か。しかし、タイトルに「ヴァンパイア」を入れてるのに本来の「東京ヴァンパイア」の事件が解決しないのは何だかなあという思いである。

 とりあえず、『真天狼星 ヴァンパイア』は借りられたら読もうと思う。なお、この作品は『天狼星』三部作及び『仮面舞踏会 伊集院大介の帰還』(講談社文庫)を読んでから読むことをお薦めする。

ポオ小説全集3 エドガー・アラン・ポオ 創元推理文庫 600円

 ミステリの原点、ポオ。アメリカが生んだ偉大なる天才。ポオについては様々な言い様が出来よう。ポオの全集の三巻に収録された作品の内、ミステリ二作品と気に入った作品三作品を紹介しよう。

「モルグ街の殺人」
 かの有名なミステリの元祖。フランスのモルグ街で殺人事件が起きる。密室殺人。殺害時刻には部屋には犯人がいたことが確認されているが、その犯人は何か叫んではいたものの、何語かは全く判明しなかった。新聞記事によって事件に興味を持ったデュパンは、この怪事件の謎を解き明かす。
 ネタはかなり有名であるが、実物を読むのはこれが初めて。ネタだけ抽出すれば今から見れば他愛のないものかもしれないが、発表当時はどのようなインパクトがあったのか。デュパンの造形が、どことなく嫌みな星影型の探偵を思い起こさせるのは驚き。ポオは現在のミステリのパターンのほとんどを創造したと言うが、ここまでだったとは。そう言う意味でも興味深い作品。
「赤死病の仮面」
 ――赤死病。めまい、苦痛に襲われ、突然の体中の毛穴からの流血。その病気が蔓延する中、領主はパーティを催す。仮装パーティ。そのパーティの出席者の中に赤死病を彷彿させる毒々しい仮装をした人間が現れる。出席者の中にいないはズの人間。兵士たちはその人間を追った。
 ミステリというよりはむしろ幻想譚というべきもの。しかし、この作品の結末を合理的に解決すれば、この作品は魅力的なミステリになったかも知れない。この作品の退廃的雰囲気はポオならではのものであろう。
「マリー・ロジェの謎」
 デュパン第二の事件。モルグ街の事件を解決したデュパンの元に警視総監がやってくる。ニュー・ヨークで起きたメアリ・シシリア・ロジャーズ失踪、殺害じけんの話を持ち込む。香水商の売り子メアリは一旦失踪したが、戻ってきた。そして、再びの失踪の後、今度は死体で発見される。
 デュパン第二の事件は徹頭徹尾論理にこだわっている。また、「モルグ街の殺人」もそうであったようにアームチェアディテクティヴにこだわっている。様々な新聞のデータを元に推理する。また、犯人が誰か、とはっきり言わないところは『どちらかが彼女を殺した』(東野圭吾/講談社ノベルス)を思い起こさせる。
「告げ口心臓」
 異常聴覚。ある時、人、一人を殺し床に埋め、警察を迎える。警察は床の下に死体があるとはつゆも思わず、談笑するが……
 被害妄想が生み出す滑稽な結末、とでも言うべきか。
「眼鏡」
 一目惚れを嘲笑することがやったという。ナポレオン・ボナパルト・シンプソンが劇場に行った際、ある女優に一目惚れをする。同行した友人は紹介してくれると言ったが、その翌日、言った端から忘れたのか、一週間戻らないと言う。しかし、彼はめげず、何とか一目惚れした女性とコンタクトをとる。
 一読必笑。あまりにも、あまりにもバカすぎる。これほど笑えるものは久しぶりである。おもわずなんでやねん! とつっこみたくなったが、ポオだから許されるのか? ある意味現代のアホバカミステリの先駆を為す作品とでも言うべきか。

大怪盗 九鬼紫郎 カッパノベルス 絶版

 というわけで(どういうわけで?)『大怪盗』である。この九鬼紫郎と言う人、この作品以前にも著作があるようであるが、この作品以後はどのような作品があるのか(あったのか)不明である。著者の言葉を見ると『探偵小説百科』と言うのを書いてるらしい。つかみ所のない人のようだ。なお、平成九年に逝去されている。とりあえず内容ね。

 維新後まもない時期である。警視庁創生期、銀座の高利貸しの土蔵が破られると言う事件を皮切りに「怪盗卍」と言う盗賊が現れる。「怪盗卍」はその後様々な事件に現れ「卍」の紙切れを残していく。怪盗卍はその所業故に庶民の羨望、尊敬、恐怖の対象になっていた。後の初代警視総監になる警視庁大警視、川路利良の欧州視察の送迎会の中に一個の桐箱が届けられる。開けさせると、その中には人形の生首が入っていた。そしてそこには、怪盗卍の書名が。入っていた手紙には、怪盗卍の所業と思われる犯罪の中に、ニセ卍の所業が混じっていると言う内容が記されていた。そんな中、捜査の渦中で知り合った鳥羽という外務省の翻訳方に重要な示唆を受ける。

 ルパン(リュパン)型のミステリである。従来はホームズタイプの主人公造形が主なのであるが、珍しく怪盗を主人公にした作品である。「大怪盗」の怪盗卍の正体は中盤で明かし、後半はお宝探しと警視庁側がいつ正体に気が付くかというある意味倒叙もののミステリ的趣向である。正体の隠し方についてはあまりにもあっさりしすぎていて少々不満な所もなきにしもあらずであるが、その後の展開がそれなりに面白かったから良しとしよう。

 しかし、なんというか、タイトルの大仰さに比べ、怪盗部分が若干貧弱なような気もしないではない。怪盗対警視庁の丁々発止のやりとりを期待していたが、一方的に怪盗卍が警視庁側をなぶるぐらいで対等に知恵比べする、と言うよりはむしろ怪盗による宦官いじめ(笑)にしか見えない。実際、怪盗卍は警視庁の捜査官をライバルとしてみてはいないように見えた。ライバルと言うよりはむしろ出来の悪い教え子を侮蔑するような、そんな感じだ。

 では謎解き部分はどうかと言えば、怪盗卍一味もの一人が残した「二三一」の謎ぐらいなもので、宝探し興味に付随するもの以外は本格ミステリと言うよりはむしろ、活劇小説に近いであろう。冒険活劇と言ってもどことなくケレン味に欠けるけれども。怪盗卍の一味の一学に関するパートもどことなく冗漫なようである。

 ところで、時代小説に置いて明治時代は鬼門であるということが言われているらしいが、それはひとえに言われた当時明治時代はまだ近い過去であり、時代小説に書くには新しすぎた時代だったからであろう。しかし、その明治時代からもうかなりの年月を経た今、その鬼門という考えはもう既に死語となっているであろう。それ故現在の観点から、時代小説としてこの作品を見た場合、時代小説としての出来、水準は結構いいところをいっているであろう。

 ミステリと言うよりはむしろ時代小説にカテゴライズしたほうがいい作品なのかもしれない。

七人の中にいる 今邑彩 中公文庫 895円

 この本、買っていたのを忘れてもう一回同じ本を買いそうになったという非常にアホなエピソードがあるが、内容とは関係ないか。この作品は『沈黙の教室』(折原一/早川文庫JA)や、『鋼鉄の騎士』(藤田宣永/新潮文庫)が推理作家協会賞を取ったときに候補にのぼっていたものである。相手が悪過ぎたのであろう。とりあえず内容の紹介に移ろう。

 二十一年前のクリスマスイヴ、子供の出産のお金が無く、借りる当てもない男女三人はやむなく強盗にはいることにした。押し込む家は医者で、裕福で、クリスマスイヴには家族全員で食事に行ってだれもいないはず。しかし、運命のいたずらによりクリスマスイヴは血の惨劇の舞台と化す。息子が風邪寝込み、お手伝いが残っていた為、弾みでお手伝いを殺してしまい、帰ってきた一家を惨殺。二階にいて寝込んでいた息子は運良く生き延びることが出来た。それから年月が経ち信州のあるペンションでは、オーナーとコックが結婚し、常連八人とオーナーの娘あずさたちでイヴにお祝いをしようということになる。その幸せ一杯の気運の中、オーナーである村上晶子に一通の脅迫状が。その中には過去に強盗に押し入った肇の惨殺死体を写した写真と、イヴの日に晶子の家族を殺すという。肇の惨殺死体の写真を運悪く佐竹にみつかる。佐竹は晶子に写真にまつわる過去――二十一年前のクリスマスイヴの惨劇――を洗いざらい白状させ、その上で脅迫状の送り主を捜すと約束する。そして、ペンションの中に問題の人物がいることが判明し……

 ペンションの中で人が死に、誰が犯人なのか、と言うのではなく、誰が脅迫者なのか、誰が二十一年前の生き残りなのか、に集約される。ある種の閉ざされた場所と外部空間を描くというのはなんとなく『十角館の殺人』(綾辻行人/講談社)を思い起こさせるが、ペンションは完全に閉ざされた場所でもなく、外部との連絡も可能である。この作品に置いて主題に据えられているのは閉ざされた山荘の連続殺人ではなく(冒頭以外人は死なない)脅迫者探し、すなわち、誰が二十一年前の生き残りでリベンジャーなのか。年齢、残っている顔の面影、そして本名からあずさ東京から連れてきた作家の見城美彦が問題の人間かとおもいきや佐竹の調査結果からその可能性は消え、その後も怪しい人間が消えていく。その消える過程でおもわず「そんなオチかい!」と叫んでしまった(笑)ものもあったが。しかし、その消去過程はスリリングで非常に楽しめた。

 そもそもの惨劇の引き金となったのは子供を産む資金が欲しいけれどお金がない、やむおえず強盗に入り、運悪く強盗殺人事件に発展となってることから、ある意味この物語は家族の物語として読み解くことも可能である。晶子側の家族、二十一年前の惨劇で家族を失った葛西一行側の家族。そして真犯人の家族。この家族というのがくせもので、ある種のミスリーディングになってるところは興味深い。過去を知られたら家族を失ってしまう、しかし、復讐者をみつけないと家族が殺される。家族に注意を促すには自分の過去を白状しなければならない。だが、それは娘の心を傷つける。その二律背反に悩み苦しむ様も一つの眼目。

 本格ミステリとしてみた場合、先に述べた誰が復讐者なのか、と言うことに集約されるが、全て怪しい人間が消え、最後に残った人間が犯人という、あるいみべたな手法が使われているが、犯人がだれか、と言うところに集約させきっておらず、犯人が出てきてから、そこからが真の見せ場なのであろうか。同じ家族という主題を扱った『家族狩り』(天童荒太/新潮社)と家族に関するアプローチをくらべるのもいいかもしれない。

 この作品に限ったことではないが、リーダビリティは抜群。なんで今邑彩は評判にならないのか。ミステリ界の七不思議に入れたいぐらいである。

三人の名探偵のための事件 レオ・ブルース 新樹社 2000円

 「船頭多くして船、山に登る」と言うことわざがあるが、この作品の設定を聞いて思ったのが「名探偵多くして事件、迷宮に入る」と言うことである。ある意味非常に失礼なことであるが。この作品の原書の刊行が一九三六年。実に六十年以上前の話である。日本では西村京太郎氏の名探偵シリーズがあるが、その先駆け的作品といえよう。登場する名探偵はクリスティのポワロ、セイヤーズのピーター卿、チェスタトンのブラウン神父がそれぞれモデルと思しき人たち。とりあえず、内容に紹介に移ろう。

 イギリスの片田舎、その事件は前触れもなく起きた。ウイークエンドパーティの夜、招待された客たちはなごやかなひとときを過ごし、時には犯罪論すらたたかわせていた。そしてその家の女性主人が寝室に入ってからしばらくしてのこと、彼女の悲鳴が屋敷内に響きわたった。驚いて部屋に行くと、部屋の鍵は閉まっており、なおかつ鍵穴から覗くと彼女は絶命している様子であった。警察に報せようにも電話線は切られていた。屋敷の周りを調べることで、凶器を発見する。翌日、三人の名探偵とビーフ巡査部長が事件解決のために屋敷に赴いてきた。

 著名な名探偵のパロディとしての三人の名探偵。ポワロに関してはそのシリーズを一冊も読んだことがないために、似てるかどうかはわからないが、あの大げささはなんとかならんのか(笑)ブラウン神父、ウィムジイ卿は結構感じが似てた気がするが。そこを楽しむのも一興。その為にはやはり、元ネタとなるシリーズをある程度読んでおかねばならないであろう。とくに、『ナイン・テイラーズ』(セイヤーズ/創元推理文庫)、『オリエント急行の殺人』(クリスティ/創元推理文庫他)読んでおいたほうがいいかもしれない

 名探偵のパロディと言えば、近年では『名探偵の掟』(講談社ノベルス/東野圭吾)や少し遡って西村京太郎氏の名探偵シリーズを思い起こさせるが、この作品中でもこれらの作品にみられた名探偵批判の様々な意匠がみられる。その最たるものが、誰に解決させるか、と言うところに現れている。三人の名探偵が出てくる、という事は畢竟推理合戦がある、と言うことでありそれぞれの解決を楽しむことが出来る。それぞれ、結構手の込んだ解決であり、一つの事象に真の解決を含め四通りの解釈を為してることはある意味若干形は変わるが密室版『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー・創元推理文庫)といってもいいかもしれない。と思ってたら解説でも触れてますねえ。そしてもう一個思い出したのは、――これは設定を聞いたときに思ったのであるが――『13人目の探偵士』(山口雅也/東京創元社)である。かなりうろ覚えで恐縮なんだけれども。この多重解決というのがこの作品の眼目であり、三人の名探偵たちが織りなすそれぞれの解決、解明方法は良く考え抜かれており、このレオ・ブルースという作家の資質を垣間見た気がする。

 名探偵に関する皮肉な意匠の最たるものは最後に解明をする人間の解明の仕方、証拠の扱い方であろう。心理的証拠を重んじ、物証に省みない、そこは登場する名探偵のみならず、ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスへの皮肉にも満ちてるように見えるのは私だけか。やはり、現代の名探偵の捜査は心理的証拠はもとより、物的証拠もきちんとしなければならないと言う警告であろうか(穿ちすぎ)

 少々値は張るが、読んで損はない作品である。

MOUSE 牧野修 早川文庫JA 560円

 『屍の王』の著者近影と比べたら、えらい違いやなあ(笑)こっちはいかにも大阪のおっちゃん、と言う感じの人の良さそうな、そんな感じだ。幽鬼感漂うような寒気のするホラーの書き手とはとうてい信じられない(しかし事実である)。この作品も一筋縄ではいかないSFドラッグ小説である。ネバーランド、子供たちの楽園。とりあえず各編の紹介をしよう。

「I マウス・トラップ」
 ネバーランド。それは子供たちの聖域。一八歳未満の人間しかいられない異形の場所。そこにも秩序はある。ネバーランドに巣くう悪鬼「マイティ・マウス」はネバーランドの人間を次々に血祭りに上げていく。動機は不明。呪術医のツクヨミは、ある日「マイティ・マウス」に襲われた被害者に遭遇する。
 ツクヨミが使う真言は密教のものであるが、なんだか『孔雀王』(荻野真/ヤングジャンプコミックス)のようなノリである。この世界におけるオリジナルな概念の「落とす」は新鮮。このドラッグの楽園ネバーランドでしか成立し得ない概念であるが、一番強いのは言葉。この「落とす」と言う概念がこの作品世界のある種の根幹であろう。
「II ドラッグ・デイ」
 一流の調香師の松岡は、子供を追ってネバーランドに潜入した。しかし、そこは子供たちの楽園故、大人が侵入した際は追い出されるのはやむおえない。そこで一計案じた松岡は匂いを使い子供に化ける。ネバーランドはドラッグでトリップしている人間が多いので、匂いさえクリアすればいいはずである。首尾よく松岡は潜り込んだ。
 親子というテーマをこの牧野修が扱ったらどんなのが出来るか。親子というテーマはミステリに限らず様々なジャンルと案外相性が良いかもしれない。『屍の王』もある意味親子が根幹的に関わっていたが、この作品における親子というテーマの落とし所は個人的には不可解というか、不条理的に思えるというか。こういうネバーランドの設定や、子供たちのどこか投げやりな造形上ばりばりのハッピーエンドは期待してはいなかったが。
「III ラジオ・スタア」
 ネバーランドで流行ってる「ラジオ・ゲーム」というもの。それは幻影がまかり通る子供たちの楽園でしか通用しない奇妙な遊び。イメージを具現化させたものを飛ばす、そんな遊び。その中には「ヨナカーンの首」や「ジョン・メリック」といった存在が伝説と化したものまで多種多様。
 うーん、改めて思うがものすごい世界だ。『星を継ぐもの』(J・P・ホーガン/創元SF文庫)を読んだときも思ったのであるが、このような作品が沢山あるのであれば読む本のうちの何割かにSFを入れても良いかも、と改めて思ってしまう。もっとも、ホラーの中にはSF的なものを内包してるのも多い(らしい)ので期せずしてそれは実現されてるかもしれないのであるが。作品自体のコメントをしてないが気のせいであろう(笑)
「IV モダーン・ラヴァーズ」
 自分の家庭に嫌気がさした清美は家を飛び出しネバーランドに向かう。自分の居場所はネバーランドしかない。そう思ってネバーランドに向かう途中ピクルスと出会う。彼はネバーランドの外に出て買い物を終えた途中であった。二人してネバーランドに向かう途中、刑事の尾行に気がつく。
 始まりこそはある意味のんびりしたものであるが、展開の早さはスピーディである。ネバーランドでしか通用し得ない「落とす」という概念を、外部の刑事という普通の人間に適用させようとする心理戦の駆け引きはなかなかスリリングである。こういう逃走劇というのは映画に結構面白いのがありそうなんだけれど、生憎映像関係はからっきし駄目なので皆目見当がつかない。
「V ボーイズ・ライフ」
 外部からの侵入者。侵入者二人はネバーランドの人間を次々と「落とし」捕獲していく。必死に抵抗するものもいたが、皆抵抗むなしく「落とされ」てしまう。この二人は何のためにネバーランドの人間を捕獲するのか? そしてこの二人の正体は?
 この作品で今までの短編が一気に繋がり、一本の長編へと変貌する。その際の怒濤感は残念ながら『妖異金瓶梅』には一歩及ばなかったがその短編の有機的な結びつき具合は目を見張るものがある。侵入者の片方の正体は結構簡単に割れるが、なんというか、この作品の展開もどことなく『孔雀王』的なものを感じる。真似だ、というわけではないのであるが。その近親感は好感をもたさせる。

 異形コレクションシリーズに収録されてる作品や『屍の王』とはまた違った作品。とりあえず先日掘り出した『王の眠る丘』は読んでみようと思う。

異形コレクション(9)グランドホテル 井上雅彦監修 廣済堂文庫 762円

 異形コレクションシリーズ第九弾。この『グランドホテル』においてこのシリーズは(現時点での)最強のカードを引いた、と私は思った。京極夏彦と恩田陸。ミステリ界での話題の二人初参加である。恐らくはこのシリーズ中の最大のセールスを記録するのではなかろうか。内容の点でも初のモザイクノベル(理解はしてない(笑))とうことであるが、なんと、今まで共通していたのはテーマであったが、今回は物語の舞台となる場所日時が共通しているのである。そう言った理由でアンソロジーとしてのまとまりが一番強いようである。というわけでいつも通り気に入った作品を紹介していこう。

「探偵と怪人のいるホテル」(芦辺拓)
 こつこつと続けていた投稿が実を結び、ようやく作家になれるかと思いきや「心ある」兄嫁に諭されその道を絶つ。そして宿泊したホテル。そこで彼を殺そうと兄嫁たちは計画していたのである。遺産の分配分を増やすために……。そのホテルは所謂探偵小説にでてくる怪人たちが跋扈しそうな、そんな場であった。
 今のところ、芦辺氏の著作のうちミステリの方しか読んでないけれども、この人は確か別名義で幻想文学系の賞を取ってるんだよなあ。今のところ本格ミステリへの愛に満ちた作品を発表こそしてはいるが、そのうち幻想へシフトするのかな? この作品では虚構と現実がシンクロし、虚構が具現化されるその様に読み所があるのであろう。
「深夜の食欲」(恩田陸)
 ホテルのルームサービスを運ぶための道具であるワゴン。ワゴンには様々な名前が付けられてるものがあるが、ここで問題になってるのは「ヘイスティングス」という名前のワゴンである。ボーイはローストビーフを四皿運んでいた。
 うーん、奇妙な話だ。そう、奇妙な話。正直なところ、この話のおちを私が理解してるかどうか心許ないのであるが。多分ワゴン自体が意志を持ち人を食べるだという気がするのであるが。さもなくば部屋に泊まってる人間がね。
「厭な扉」(京極夏彦)
 失意のうちにホームレスとなってしまった私。私の家族は債鬼の執拗な取り立ての結果死に至らしめられ、もう失うものは何もない。不幸のどん底。そんな中、たぐいまれなる僥倖ものと、一財産を築いた元ホームレスの話を聞く。その男は私の前に現れた。
 タイトル通り「厭」な話。時空的なメビウスの輪とでも言うべきか。何故その男が財産を築くことが出来たか。その理由はまさに「厭」な話である。何故に「厭」なのか。それは主人公たる「私」という男にもその「厭」な出来事が降りかかる所か。それにしてもページごとで本を閉じることが出来るようにするその段組はもうここまでくると職人芸としか言いようがないであろう。
「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」(田中啓文)
 セント・ヴァレンタイン・デーにのみ出されると言う特別料理。その料理に感動した記者は書かないことを前提に、料理長の話を聞くことになった。その料理の名は「ニグ・ジュギペ・グァのソテー・キウイソース掛け」。しかし、その材料のニグ・ジュギペ・グァは、奇妙な生物であった。
 うええ。えぐい。ひたすらえぐい。原材料のニグ・ジュギペ・グァの描写は真に迫ったものであんたもしかして本物見ました? と思わず聞きたくなるぐらい。そのせいか、この一編を読んだ後はなにも食べる気がしなかった。うう、思い出しただけでも……
「雪婦人」(倉阪鬼一郎)
 小説の取材のためにホテルを訪れた泉川。その日は奇しくもセント・バレンタイン・デーだった。創生期の主人が失踪してるそのホテル。そして雪婦人の伝説。
 雪女奇譚である。恐怖を盛り上げるための文体は素っ気ないほどまでに贅肉をそぎ落とされている。この素っ気ないほどの簡潔な文章が物語をもり立てているのは『屍の王』でも見られたが、定石なのか。文字のフォントを変えて迫るのもまた良し。
「一目惚れ」(飯野文彦)
 二月十四日に脇の回転扉を抜けると思いもかけない出来事に出会うという。その扉を抜けたのは、女三人連れでバレンタイン・デーを楽しもう、という催しに遅れた女性と私。女性の方はドアを抜けたとたん倒れ、四つん這いになるが誰も助けようとしない。それどころか、豚と言われ連れ去られる始末である。そしてその日のディナーのメインディッシュは……
 うええ。「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」に勝るとも劣らず或る意味えぐい。鬼畜系の話である。救いは「私」一人が気がついてることであろうか。いや、「私」には全く救いになってない。うーん、「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」といいこの作品と言い。えぐいねえ。
「貴賓室の婦人」(竹河聖)
 バレンタイン・デーにホテルに忍び込んだ泥棒。その二人は貴金属専門の泥棒であった。巧妙な方法で忍び込み、盗もうとして片割れは青ざめる。そこにある宝石は名だたるものばかりで、門外不出ものばかり。何故こんな所に……
 うーん、或る意味モンスターホラーなんだけれどもそれをそれと思わせない。そう思わせるのはクライマックスと言うべきシーンのみでそのクライマックスシーンを経てもモンスターホラーじゃなかったのじゃないのかしらん、と考えてしまう。モンスターの描き方は多種多様
「チェックアウト」(井上雅彦)
 この作品においてこの『グランドホテル』というアンソロジーは連作長編へと変貌する。今まで各作家が織りなしてきた「物語」という「糸」が編み上げられ、一冊の長編になる。この所謂連作短編の技巧は通常の自前の短編でも結構困難な気がするが、それを他人の作品でぬけぬけとやってのけるとは、井上雅彦おそるべし。各作者が出てくるウロボロス的な趣向もまた楽しい。

 異形コレクション現時点での最強のカード。ホラーファンでないミステリファンに是非読んでいただきたい一冊である。


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