舞台は東京下町にある田辺書店と言う名の古本屋。戦友の死に際の頼みと、孫である稔の「手伝うよ」と言う一声によってイワさんは古本屋店主を引き受ける。基本的に個人経営の古本屋にまつわる話なので、古本市場やブックオフなどの大型古本屋じゃなく、普通の古本屋を愛する人ならどこかしら琴線に触れるところがあるであろう。私はこういう個人経営の古本屋も好きなので(大型の古本屋さんは相場より安いから最近は重宝してるけれど)作品の雰囲気は大好きである。また、イワさんと稔の心温まる祖父孫の関係も読みどころの一つであろうか。特に「うそつき喇叭」から「寂しい狩人」は稔の意外な恋人に対するイワさんの苦悩が描かれていて「家族の距離」というのを考えさせられる。それはともかく、各編の内容の紹介をしよう。完全なる離婚 天藤真 角川文庫 絶版「六月は名ばかりの月」
田辺書店を訪ねてきた鞠子という女性。彼女はついこの間結婚式を挙げたばかりであった。彼女の姉が失踪したという。そして披露宴の引き出物の本に書かれた「歯と爪」という悪戯書き。その犯人はどうやら鞠子を執拗につけねらっていた男かと思われたのであるが……そして失踪した姉の死体が見つかり、男は逮捕される。
作品中『歯と爪』(B・S・バリンジャー/創元推理文庫)へ言及されてるが残念ながら私はその本を読んでない。超有名作だということは知ってるんだけれどもねえ。一応どういったお話かというのは書かれているので私と同じ未読の人でも大丈夫であろう。ネタバレはしてない。話は変わって真相は救いようがないものだなあと思うのであるが、それを忘れさせるのは登場人物の情であろう。
「黙って逝った」
平々凡々な一生を終えた自分の父親が死んだ。本当になんの取り柄もない親父だった、と思いながら遺品を整理していたら同じタイトルの本が何冊かと無造作に隠されていた一万円札が数枚。しかも、その本の作者は殺されていた。もしかして父親が恐喝者だったのか? 息子は父親の生前の生活の調査を開始する。
遺品を整理していたら思いがけないものが出て来るというのはミステリとして常套手段のような気がするが、意外と無いものなのかな。具体例が思い浮かばない。それは置いといて、途中はダークなのであるが最後の最後にはほっとするような結末が用意されている。そこに親の愛(?)が感じられてほほえましい気がする。短編集中一番暖かい作品である。
「詫びない年月」
――柿崎さんの家には幽霊が出るんだって。柿崎家の姑は寝たっきり。そのうえ痴呆症状を併発していた。或る日、工事現場から白骨死体が発見される。そして、柿崎家の姑が突然行方不明になる。どこに行ったのであろうか? 皆が心配してかけずり回るが見つからない。イワさんの脳裏に浮かんだ場所に行くと果たして彼女はそこにいた。
時の流れは心の傷を癒すというのは嘘かなと思った。癒すと言うよりはむしろ記憶の底にしまい込むと言う方が適当な言い方かもしれない。しまい込んだ記憶が鎌首をもたげて襲いかかってくる、そういう読後感だ。読み終わってみるとなんだかやりきれない思いもする。もし私が姑の立場ならどうなんだろうか、とふと考えてしまった。
「うそつき喇叭」
小学生の万引き。どこにでも転がっていそうな風景。しかし、万引きした本はどこにでもないものであった。茶色く変色した絵本。題名は「うそつき喇叭」。どう考えてみても小学生が興味を持つようなものではなかった。ふてくされる子供を前にイワさんは直感した。この子どもはもしかしたら虐待を受けてるんではないのか、と。はたしてその子供の体には虐待の証拠が残っていた。
この作品はひたすら陰鬱な感じがする。「黙って逝った」はタイトルに似合わず明るい結末だったのに対し、この作品は怒りすら覚えてしまう。真犯人の正体は結構早く割れるのであるが、どうやって白状させるかというのは定石通りというか。しかし、こんな動機で子供を虐待する大人は或る意味自分自身も子供なんだろうなあ。
「歪んだ鏡」
電車の網に忘れられていた本にはさまれた一枚の名刺。その名刺をはさんだ人はどんな人なんだろう、渡した人はどんな人なんだろうか? 想像は膨らむ。そして会いに行ったらなんてことはない。新たなセールスの一つであった。後日、その名刺の人間の名前が新聞に載った。心中したのである。
この登場人物の気持ち、よくわかるなあ。実は私もそう言う経験がある。古本屋で買った『奇岩城』(モーリス・ルブラン/創元推理文庫)に挟まってたのである。名刺が。私は名刺の持ち主に会いに行くということはしなかったが、どんな人なんだろうか。読みながらそんなことをつらつら考えていた。
「寂しい狩人」
寡作であった探偵小説作家安達和郎が失踪して十二年。彼の蔵書のリスト作成が縁で知り合った彼の娘が店を訪れた。安達和郎の未完の作品「寂しい狩人」を現実世界で続けるという人間からの手紙が送られてきたという。ついこの間起きた事件がこの「寂しい狩人」の被害者と身分風体が一致した。
本の世界でサイコミステリ。古本屋とサイコミステリが結びつくなんてとにやにやしながら読んだ。或る人間により「寂しい狩人」の真実が明かされたときの犯人の落胆のしようは想像するだけでかわいそうになり、同情してしまう。真実が明らかになった瞬間犯人はまさに“寂しい狩人”に変わってしまう。そして最後の一文は郷愁をさそう。そう、人はぬくもりを求めて人とふれあうのであろうから。
角川から出てた天藤真の短編集。現在創元から天藤真全集の刊行が進んでいるが、短編に関しては出るか否か解らないので刊行を待つよりも古本屋で探した方が無難であろう。割と容易に見つけることが出来るであろう(もし見つからなくても抗議は受け付けない)デビュー作「鷹と鳶」を含む全十編。探偵倶楽部 東野圭吾 祥伝社文庫 560円「鷹と鳶」
戦後の焼け野原から裸一貫で興した会社。一方は攻撃的な、もう一方は石橋を叩いて渡るような性格。お互いの力関係のバランスは同じくらい。或る日、どちらかが社長にならなければならないと言う事態になったが、どちらも譲らない。そして或る女性との出会いが二人の均衡を崩そうとしていた。
狐と狸の化かし合い。読後の感じはそれであった。双方ともにお互いを亡き者にしようと画策するところは傍目には笑えるが当事者からして見れば真剣きわまりないものであろう。最後の二行の或る人物の独白で別のことわざがすぐさま思い浮かんだ。
「夫婦悪日」
長年一緒に住んでいれば男女の関係は自ずと変化する。新婚当初は帰ってきたら玄関にかっ飛んできたが、今は台所でそしらぬ顔。或る日帰ると子供の学校の先生が訪問していた。先日のお礼らしい。後日、ゴミ箱の中の破られた手紙を張り合わせてみるとそこには仰天するようなことが記されていた。
夫婦生活とはコンゲームみたいなものであるということなのであろうか。男女の仲というのは人間にとってある種の謎であり続けるのであろう。最後の切れ味は今一つであったがにやりとさせられた。
「密告者」
或る婚約が整った某月某日。婚約者の男性は実母殺しのいわゆる親殺しであるというタレ込みの電話が入る。不審に思った長谷川は探偵社に依頼をする。そこの結婚調査部は開業以来開店休業状態で初の仕事に大わらわ。調査の結果、そのタレ込みの信憑性が日増しに増殖していった。
「瓢箪から駒」と言う言葉があるが、まさにその通りというものであろう。密告者は誰かという疑問から、何故そのようなタレ込みをしたのかということを考える間もなく一気に終幕に至る。そのスピーディさはいいのであるが、少々寂しい感じもする。
「重ねて四つ」
妻の不貞が発覚したので離婚しようとしたが、離婚すると名義変更をしたために夫の方は財産ももっていかれて踏んだりけったり。どうにかならないものかと相談を受けて探偵社が一肌脱いだ。それは、不貞の現場を押さえて重ねて四つにすること。江戸時代からの伝統である。
不貞の現場を押さえられたときに情夫がいけしゃあしゃあと「ひ、卑怯です」と言うシーンは笑ってしまった。うーん、図太いというかなんというか。夫の方のキレ具合がエスカレートしていき青ざめる様も見物。そしてすべてのからくりが明らかになったときの爽快感は良い。
「完全なる離婚」
離婚してもどちらかに未練が残り、ごたごたすることがある。それを解消するにはもう片方に新しいパートナーを見つけてやることである。大塚京太もその一人であった。今の恋人と結婚する際の一番の生涯は妻の存在。邪魔だからと言って殺すわけにはいかない。そこで別れたい配偶者に新たなパートナーを見つけると言う組織があるのである。
新たなパートナーを見つける組織の設定が非常にユニークでこれだけでももうこの短編は成功であろう。そして、一旦冷めたはずなのに妻が他の男性に心動かされていく様を見てやきもきする男の様はみてて楽しい。
「崖下の家」
銭湯の帰りに見知らぬ男に後をつけられた加奈子は一回目は難なくやり過ごすが、それが何回か続き怯えていた。翌日は、夫が留守の時に玄関の前にくだんの男がいたので隣に駆け込んだほどである。そんなことがあってしばらくして隣の家の主婦が殺される事件が起きた。明らかに加奈子に間違えられて、といった状況であった。
一変してサスペンス調である。不気味な男から逃れようとする加奈子、目の前に迫る奇妙な男。こう書いたら天藤真じゃないきもするがやはりなにを書いても天藤真は天藤真のようである(当たり前か)。不気味な男の意外な正体には切れ味が見え隠れする。
「私が殺した私」
不慮の事故でお互いぶつかった拍子に互いの人格が入れ替わってしまった。気がついたら私は別人として病院のベッドに横たわっていた。入れ替わった相手は完全に私のふりをして生活をしていたが、私は大学講師。そうそう入れ替わってるわけにはいかない。どうにか元に戻ろうと画策するが……
SF的な序盤から「私」の苦悩が描かれ、終幕の哀しい結末に流れていく。突拍子もないことで日常が崩れ、日常を回復しようとするが回復できずに最悪の選択をしてしまう。現実でもいつも最良の選択をするとは言い難いがせめて小説世界だけでは……と思ってしまった。
「背面の悪魔」
倉石法子が死んだ姉からの小包を開封したのは葬儀の後であった。そこには姉の夫との夜の語らいのことが書かれていた。一見ノロケの様に見えたが、そこには義兄の恐るべき奸計が記されていた。暗闇の中で別人と入れ替わり他の男性に姉を抱かせていたのである。それが原因で自殺したのである。
手記から始まり義兄の春雄を追いつめようとする法子の姿は痛ましい。春雄に対する疑いが一応は晴れるわけであるが、最後の一行の戦慄は特筆に値するであろう。並のホラーよりもぞっとする結末である。
「三枚の千円札」
もう五年も前のことであった。妻の昔の同僚が遊びにきたので帰りに送ると、妻はヒステリーを起こした。彼女と昔訳ありだったんじゃないのかと。一応の仲直りはしたのであるが、彼女はその後行きずりの強盗に殺された。その後事件は一応の解決を見たと思ったが、細かいところで所持金の計算が合わないために犯人は別の人間ではという疑問が捜査陣に出てきた。
珍しくパズル的な短編である。天藤真の短編はユーモアある奇妙な味と言う感じであったがこの作品は所持金パズル。しかし、それだけではない。結末はやっぱり天藤真的な奇妙なユーモアである。
「純情な蠍蠍」
上条千吉のもとに一本の電話がかかってきた。妻の和子のことについて話があるという。その電話は断ったが、家に帰ると妻も変な出来事があったという。村井という男の未亡人が訪ねてきたという。和子は村井の初恋の人であった。やがて和子と未亡人は打ち解け、親友どうしになる。しかし……
最初は「ええ話やのお」とのんきなことを思ってたが、よくよく考えてみるとそんな「いい話」で終わるわけがない(笑)何か裏があるはずだと裏に何があるかな? と穿ってたがなかなかしっぽが出てこない。最後の最後にようやっとしっぽを出さされたがそこでなるほど、と感心してしまった。天藤真のファンなら探す価値は大いにありである。
そのタイトルから黒い衣装に身を包んだり、顔を見せるだけで人を失神させるような探偵(笑)が所属する組織思い浮かぶ人もいるかもしれないが(いねえよ)、清涼院氏の『コズミック』(講談社ノベルス)以前に出たものなので全然関係ない(当たり前か)。このタイトルにもなっている「探偵倶楽部」とは一部の上流階級専門の秘密探偵組織のことである。リアリズム型の探偵と超人探偵の華麗なる融合というところであろうか。各編紹介しよう。さむけ 高橋克彦他 祥伝社文庫 640円「偽装の夜」
大手スーパーの社長正木籐次郎は妻と離婚をし、愛人と結婚をしようとしていた。手続きを済ませ、後は書類を提出するだけと言う段階になって正木は縊死を遂げる。状況からいって自殺はあり得ないが……殺人という証拠もない。愛人と共謀者は正木の遺体を隠そうとするが……
タイトルから変な探偵が出てくるのかな? と思ってたがまともな人間が出てきてビックリである。離婚届提出前に(登場人物の一部に)死亡が確認されてる故に金銭問題が絡んできて、金銭問題が絡んだ人間模様は傍目には笑える。当事者はそう言うわけにはいかないのであろうが。探偵倶楽部の使い方がいまいちこなれてない気がする。
「罠の中」
こそこそと寄り添い奸計を練る三人。三人寄れば文殊の知恵とばかりに様々な手を提起するもののどれここれも難点があるものばかり。その結果一つの手段が講じられることが決まる。そして問題の人物が風呂の中で心臓麻痺で死んでるのが見つかる。自然死として処理されようとしていたが、ただ一人殺人だと疑っていた人間がいた。探偵倶楽部が召集される。
些細な点から殺人では? と疑いを持つ登場人物がいるのは常套的手法であるが、この作品はそれだけではなく、それがさらにどんでん返しの伏線になってる点が挙げられる。一見単純な話で登場人物のもめ具合を第三者的に眺めさせるのが眼目かと思わせておいて背負い投げ的などんでん返しがある。侮り難し
「依頼人の娘」
美幸が学校から帰ると家の中が慌ただしい。刑事が来ていた。そこで母親の死を知る。母親は、自室で血にまみれて死んでいた。心臓をナイフで貫かれて。殺人事件として捜査されるが、家族の美幸に対する態度から秘密を感じ取り美幸は父親のアドレス帳に書かれていた探偵倶楽部に連絡を取り、調査を依頼する。
ここまで来てこの短編集は「探偵倶楽部」が主題ではなく、主題は依頼者側にあるとようやく気がつく(遅すぎ)。この作品は家族の秘密を探って欲しいという美幸の依頼で探偵倶楽部が動くわけであるが、二重三重に張り巡らされた構造に感心させられる。一言で言えば「真実を知ることは必ずしも幸福とは限らない」ということであろうか。
「探偵の使い方」
――主人の素行調査をお願いしたい。芙美子は探偵倶楽部に依頼をする。期間は一週間。そして一週間も経たないうちに予想した結果が出たのか調を打ち切りを言い渡す。その後、芙美子の夫である阿部左智男が芙美子の親友の夫と共に死体となって現れた。左智男の相手は芙美子の親友だったのか。
この作品では探偵倶楽部の設定が割と上手く機能してる気がする。タイトルにあるように探偵を如何に利用するか、というのに主題がおかれているが探偵倶楽部もただ黙って利用されてるわけではないようである。最後には探偵倶楽部の逆襲が据えられ上手く閉じている。
「薔薇とナイフ」
大原泰三の主治医の葉山の見立てでは娘の由理子は妊娠しているという。相手はおそらくは大原の研究室の誰かである。由理子がお腹の中の子供の父親が誰か口を割らないために、探偵倶楽部が召集される。父親探しが暗礁に乗り上げたときもう一人の娘直子が由理子の部屋で殺害される。由理子と間違えられて殺されたようである。
胎児の父親は誰かと言うことと、殺人事件の犯人はおそらくは同一人物であるという前提で中盤以降進んでいくが誰が犯人かは皆目見当がつかない。一応それれらしき人物というのは出てくるわけであるが、その人物だと面白くもなんともないしねえともってたら期待に応えてくれた。意外なところに真相は転がってるものである。
オリジナルホラーアンソロジーである。ロス・マクドナルドではない。そんなべたべたなギャグは置いておいて早速各編の紹介に移ろう。カーニバル 人類最後の事件 清涼院流水 講談社ノベルス 1700円「さむけ」(高橋克彦)
最近知り合った知人に頼まれた留守番の仕事。知人は年に一回長期の海外滞在をする。普段はぼろいアパート暮らしだが、短期間豪華なマンション暮らしが出来るので引き受けた。だが、部屋の様子が何となく変である。いろいろ探るうちに奇妙な点に気がついた。
考えて見れば高橋克彦氏の作品を読むのは(記憶が確かなら)これが初めてである。デビュー作は積んだままだ。それはともかく、部屋の中を主人公の男性が調べて一旦何故変なのか一応は解るわけであるがポイントはそれ以降。この作品における恐怖の根元は何となく某人気作品の映画版(『リング』)のラストを思い浮かべた。
「厭な子供」(京極夏彦)
会社の上司は「厭」な人間で立場を利用し嫌がらせを部下にしていたが私だけは何故か嫌がらせは受けていなかった。美人の妻に郊外ではあるが一戸建て。同僚はみな羨ましがったが、実際は羨ましがられるほどのこのではなかった。いつものように帰るとそこには「子供」がいた。しかし妻はそんな「子供」などいないという。
文字通り「厭な」話である。不条理小説とでも言うべきか。出てくる「子供」の正体は一応の仮説が提示されてるが、結局なんなのか解らずじまい。作中流れるのは、ひたすら「子供」が醸し出す「厭な」雰囲気にのまれる主人公の苦悩である。ああ、「厭な」話だ。
「天使の指」(倉阪鬼一郎)
妻と二人の娘。一人は高校生、もう一人は大学生。地方の出版社に紆余曲折を経て勤め、もう少しで社長になれるかもと言うところまで来ていた。雑誌の原稿に目をやると或る神社の記事があった。その神社で行われる親睦会には秘密があった。誰にもいえない秘密が……
「天使」と言う言葉とは裏腹に非常にえぐい話。私は蕎麦が好物なのであるが、この話を読んで一週間は蕎麦と言う名前を見るのも嫌になったくらいである(当然食べるのもである)。スプラッタな儀式を終えた後に和気藹々と何事もなかったように語る登場人物らを見て、やはり怖いのは人間そのものであると思った
「犬の糞」(多島斗志之)
隣家で飼ってる犬の糞の後始末のいい加減さを何度か注意したが一向に直らない。酒屋の主人に間に入ってもらう事にしたが、間に入ってもらった翌日隣家の犬が死んでしまう。怒鳴り込んでくる隣人。やがて、酒屋の主人が毒殺したことに思い至る。その噂が街を駆けめぐりその酒屋では誰も商品を買わないようになっていった。そして嫌がらせが始まる。
この作品の怖さは些細なすれ違い誤解が積み重なり、人間関係が壊れていく過程にある。自分自身は悪意があってやったわけではないが、自分の行為が悪い結果を生み出す。よくあることであろう。それ故に登場人物が直面している恐怖というのは他人事ではない。
「火蜥蜴(サラマンドラ)」(井上雅彦)
漆黒の闇の中、少女は横たわっていた。場所は博物館。拷問の道具が置いてある博物館に少女は居た。そこで少女は火をつけた。火は建物を焼き尽くし、少女はやけどを負った。
ホラーと言うよりはむしろ幻想譚と呼んだ方がいいような作品。タイトルが示すようにモチーフは「火」である。主人公の少女を取り巻く悲劇が読んでて哀しい。
「頼まれた男」(新津きよみ)
「妻を殺して埋めた」。男はそう自首してきたが、取り調べに対してその動機をいっこうに語ろうとしない。その取り調べの文字通りの「最後の切り札」として前田が駆り出された。前田に男は自分の妻を殺すに至ったその過程をぽつぽつと話し始めた。男とその妻は幼なじみであった……
人は何故人を殺すのか。ちまたに殺人事件というのがミステリを含め数多くあるが、殺人動機を中心に据えたホワイダニットでもない限り凡庸なのが多い気がする。男が殺人に至るまでの過程は怖さは全く感じられず、感じたのは哀しみである。何故このような女性から離れられないのかという哀しみである。
「蟷螂の気持ち」(山田宗樹)
水原が一ヶ月ほど前に足を踏み入れた銀座のクラブのホステスから突然の連絡が入った。相談に乗って欲しいという事なので約束の場所に赴くが、問題の相談というのは水原の子供を産みたいという唐突な願いであった。しかも人工授精というものではなく自然な形での。水原は奇妙な関係にのめり込んだ。そして……
最後の最後にサイコミステリに変化する(駄洒落ではない)瞬間がこの作品の読みどころであろう。サイコミステリがホラーに入るのか、というのは私にはよくわからないが、『黒い家』(貴志祐介/角川ホラー文庫)がホラー小説大賞を受賞するご時世なのでホラーに入れていいのかもしれないが(それで良いのか?)
「井戸の中」(釣巻礼公)
見た目はぱっとしない土地成金と結婚してささやかな幸せを満喫する雛子であったが、姑の世話にそろそろ疲れてきた。呆けが顕著になりトイレにも這っていく姑の介護もばかにならない。或る日、隣で飼ってる蛇が迷い込んだ。
中盤までは老人虐待もの? と思ったがそうではなかった。オチが今一理解できなかったのであるが、結局あのばあさんどこに消えたのであろうか?
「もののけ街」(夢枕獏)
路地裏で暴行を受け、財布を巻き上げられた。財布の中には給料がすべて入っていたのに。彼は中学生の時のことを思い出していた。今思えばあのとき鞄の中に入っていたナイフが無くなっていたのがミソのつきはじめであった。そう思ってたとき縁綺堂≠ニいう店の看板が目に入った。
いわゆる時間怪談≠フ系譜? この作品に出てくる店縁綺堂≠ノ似た店が出てくる漫画の事を思い出した。最後にすべてが消え去る瞬間が哀しかった。すべては××だったと男が気がつく瞬間が。
史上最長のプロローグ『カーニバル・イヴ』(講談社ノベルス)から一年以上。漸く大長編『カーニバル』がその片鱗を現した。「メフィスト」(講談社)にその断片が何回か掲載されていたが、それを読む限りではこの作品世界ではエンターテイメント史上最大の犠牲者数を記録してるように思えた(考えて見ればSFではこれ以上の犠牲者数が出ててもおかしくないか)。なんせ億単位の死亡者数である。ここまでくればこの作品を本格ミステリとして読み解こうという気は失せる。二十六もの短編から構成されてる『カーニバル・イヴ 人類最後の事件』。内容の紹介に移ろう。クリムゾンの迷宮 貴志祐介 角川ホラー文庫 640円JDCビル爆破を皮切りに犯罪オリンピックが開幕された。各地の探偵倶楽部ビルの爆破、世界の各名所での不可能犯罪――消える大阪城、倒れるモアイ像、襲いかかるネッシー等々――などそれらを演出するテロ集団「RISE」。RISEが演出した犯罪の現場には通称「犯罪金メダル」というオリハルコン製のメダルが残されていた。RISEは国連に「犯罪オリンピック宣言」を世界各国の主要新聞に掲載するよう要求する。要求を呑まないときは死亡者が急増する、と。驚くべき事に死亡者はうなぎ登りに急増。恐怖の奇病「アライヴ」、RISEが擁する全能の巨人兵士「ビリオンキラー」、次々と犠牲になってゆく名探偵たち。果たして人類に未来はあるのか? 探偵神九十九十九に史上最大の強敵九十九邪鬼の魔の手が迫る。
億単位の犠牲者数。殺し過ぎや(笑)。ここまでくると『コズミック』(講談社ノベルス)の連続密室殺人が霞んでしまう。しかし、この尋常でない犠牲者数というのは非常に興味深い。空虚な大多数の死の中に潜むRISEの不可能犯罪というのは、笠井氏が提唱する大戦間の大量死理論の作中での実践と言う風に取れると言うのは牽強付会であろうか。様々なトリックが連発される。その中で私が一番驚いたのが意外すぎる凶器を用いた『世界七不思議の犯罪』である。あまりにも大きすぎて「あほな」と思ってしまった。この作品世界でしか使えない大業トリックであるが、もしかしたら怒る人もいるであろう。麻耶雄嵩氏の「シベリア急行西へ」に触発されたと言う『シベリア鉄道の犯罪』の仕掛けも驚かせていただいた。『封印された記憶の犯罪』では『19ボックス 新みすてり創世記』(講談社ノベルス)収録の「木村間の犯罪」が実はJDCシリーズと繋がってたのでは? と思わせる記述があるがどうなんだろうか。様々な出来事が重なり合い、リンクしていき短編が長編へとおずおずと変化していく(もっとも、各短編は「犯罪オリンピック」という現象の各パートを描いたものであるから各短編と言うよりも各章と言い変えた方がいいかもしれない)。
RISEの幹部構成、R・Sなどがチェスタトンの『木曜の男』(創元推理文庫)に似てるという指摘があったが、実際問題どうなのであろうか? 私は『木曜の男』の内容は読んだことがないので解らないが、『木曜の男』裏表紙を見る限りでは確かに似ているような気がする。しかし、RISEの六人の幹部の正体を暴露されたときは驚いた。はっきり言って誰もこの正体を予想することが出来ない。「どーすんのよ」と無用な心配をしたくなるような展開である。これは『カーニバル・デイ 新人類の記念日』(講談社ノベルス近刊)を待つしかないが、どう展開されていくか期待と不安が入り混ぜられる。
様々な要素が絡み合い、『コズミック』『ジョーカー』すら飲み込み巨大な物語へと変貌していく(作中この二作が凶器となるために発禁本となったのは笑えたが。そうなると某『ア○ポス』や某『絡新婦の○』も発禁になるぞ(笑))ここまでくるとミステリとしてうんぬんという指摘は完全に的を外した指摘であろう。私はこのシリーズはミステリのパロディ及びミステリが持つファンタジー性のみを追求したものととらえているが、この『カーニバル』ではが極限にまで追求されてる感じがする。次作『カーニバル・デイ』(講談社ノベルス近刊)で物語としてどのように収束していくか、息を潜めて(何故潜めて?)待ちたい。
『黒い家』(角川ホラー文庫)でホラー小説大賞を受賞して以来、快進撃を続ける貴志祐介の新刊である。今回は文庫という事でリーズナブルな価格。昨年の十二月に出るはずだった……らしいが。それはともかくとして内容の紹介に移ろう。異形コレクション(10)時間怪談 井上雅彦監修 廣済堂文庫 762円目覚めるとそこは見たこともない世界であった。どうしてここにいるか記憶がない。手元には液晶のゲーム機みたいなもの――ポケット・ゲーム・キッズ――がある。ファンファーレが鳴り「火星の迷宮へようこそ」と言うメッセージが現れる。歩くと自分以外の人間――しかも女性――を見つけたので追いかけた。追いつきはしたが彼女が持っていたポケット・ゲーム・キッズが壊れてしまう。彼女は補聴器みたいなのをつけていた。話すうちに藤木芳彦は、自分がどのような経緯でこの場所にいるのか思い出す。そうだ、臨時のアルバイトのために電車に乗ってビールを飲んでそれから……記憶がない。ポケット・ゲーム・キッズの指示に従い歩くと自分らと同じ境遇にいる人々と出会う。ポケット・ゲーム・キッズに出てた「ゲーム」とはもしや……
生き残りを賭けたゼロサム・ゲーム。ホラーと言うよりはむしろパニック小説に近いものがあるのかもしれない。いや、パニック小説というのは違うか。サスペンスか。どちらにせよ、私の浅いホラーの知識で言うならば(浅いどころではない気もするが)ホラーに入れるのはどうかなあと思ったりもする。感覚的に。いや、ホラー文庫から出てるからなんだけれども。話がずれた。ゼロサム・ゲームのゼロサムというのは、出世や入試などの絞り込まれる競争などを想像していただけるとわかりやすいと思う。生き残るのは一人、しかも助けを求める手段は一切無し、食料などは自給自足の極限状態のなかのサバイバル。当然ながら殺し合いも足の引っ張り合いも起こる。息を潜めて迫る敵。『黒い家』の時も思ったが、この作品でも本当に怖いのは人間であると途中から終盤にかけて感じさせられた。
ゲームブック的な趣向が施されていて興味深い。この作品世界がゲームブックの設定そのものというのは割と最初の方で明かされるが、どのような選択肢があっても主人公である藤木芳彦は最初の方は絶対に安心という変な安心感があるので最初の方のサスペンス感というのは生憎さほど感じなかった。むしろ今後の展開のためにどのように動くのか、そこに目がいった。しかし、展開のスピーディさというのは群を抜いており、特に物語が進むにつれてのページをめくらせる力は加速され、ただならぬものを感じさせる。貴志祐介恐るべし。
これはかなり邪推に近いものがあるのであるが、この『クリムゾンの迷宮』というのは今までの先行三作で捨てたアイデアを拾い集めて構築したのではないのか? 具体的にどの部分か、と言われると前の作品らののネタバレに近いものがあるので割愛させて頂く。あの部分をそう思ってるの? と、読了された方はお気づきになられるであろうか。あの部分やこの部分や。ただ、デビュー作は未読なので何ともいえないが、その前の『黒い家』と『天使の囀り』(角川書店)では人間そのものに目を当てている。作者の一貫した「人間」へのまなざし故に捨てたアイデアの再構築と感じたのかも。
読んで絶対に損はない一冊である。
異形コレクション記念すべき十冊目は時間怪談≠ナある。この言葉の響きからどのようなものがイメージ出来るであろうか。タイムマシンといったSFから時空の狭間に迷い込むようなものまで、時間怪談≠ニいうテーマが想像しやすいのか想像しにくいのかよくわからん。後記ではSFと評価されるようなものは外したと書いてあるけど。と言うことは怪談≠ニいう語句が持つような文字通りの怪談≠ネのであろうか? そう言うことを考えながらページをめくった。というわけで、いつも通り気に入ったものいくつかにコメントをしよう。「春よ、来い」(恩田陸)
卒業生へのはなむけの言葉、式の帰り道でみたどこかで見たような風景――デジャ・ヴ。卒業式の朝、マフラーをするか否か言い合う母娘、そして事故。様々な思惑、思い出が交錯する。
怪談≠ニはいえないものの時間≠モチーフにした奇妙な味系の作品。怪談ではないものの、この作品は時間怪談≠フテーマのトップバッターにふさわしい作品であることは間違いない。無限ループのような、傷が付いて同じフレーズを連呼するCDのような、奇妙な味わいである。
「家の中」(西澤保彦)
家の中にある布団。しきっぱなしの布団には、老婆がただ一人たたずんでいた。私が十歳の時、家を新築した前後の時だった。彼女はいつの間にかそこにいた。そして、誰も老婆がそこにいることに気がついていない。ただ、兄の嫁だけは老婆の存在に気がつく。しかし、当然ながら他のものは取り合わない。
時間≠フ概念を老婆に凝縮した、そんな感じの短編。従来の明るい作風とは打って変わって暗い、内面をえぐるような作風。著者名が書いてなかったら西澤保彦氏の作品であるとは気がつかなかったかもしれない。『黄金色の祈り』(文藝春秋)がそういった系統の話らしいけれども。
「石女の母」(山下定)
一九四五年午前十一時三分。長崎市への原爆投下。私の母は雲仙のふもとで原子雲を目撃した。私は母の「本当の」息子ではない。養子としてもらわれてきたのだ。しかし、育ての母には人並み以上の愛情があった。母の危篤に際し、私は故郷へと向かう。
語り口からして昔のモノクロ映画を見てるような、そんな感じがした。私がこの作品が好きなのは、もしかしたら原爆というある種の時代の終幕の象徴になんらかのノスタルジーを感じたからかもしれない。いま、時代は一つの「終わり」を迎えようとしているのであるから。
「むかしむかしこわい未来がありました」(竹下志麻子)
中学の頃、クラスメートの中にイジメられっこがいた。彼は私を好いていた。が、私は彼のことが好きではなかった。やがて彼は自殺を図るが命を取り留めた。植物人間になって。それから十五年もの月日が流れ、編集者の恋人が出来た。奇しくも恋人の担当は問題の彼の妹だったのである。
どこか崩れた、柔らかなタイトルとは裏腹に内容は居心地の悪さを感じさせる。そう。居心地の悪さ。恐怖や驚きとは別の感慨である。この作品の最後の処理の仕方はまさに時間怪談≠ナあろう。
「ベンチ」(村田基)
七十歳にして引退した私はウォーキングを始める。毎日行く公園のベンチには一人の老婆が座っていた。老婆はそこにいる。毎日雨の日も風の日も。さすがに気になった私は何故そこに居続けることに固執するのか、聞くことにした。
まさに時間≠ニいうのをテーマにするにはこれだなあと思わせるような作品。ある種の怪談≠ネんだろうけれども結末にユーモアを感じたのは私だけであろうか。最後の「私」の一言に私は頬がゆるむのを感じた。考えて見れば監修者がタイトルを伏せて引き合いに出した某作品もこんな感じだったかなあ。
「家族が消えた」(飯野文彦)
或る日突然両親が消えて信也は兄と二人で暮らすようになった。夕刊の新聞配達を終えて家に戻るといつもはもうすでに家に帰っているはずの兄が居ない。書き置きを残して消えていた。消えた兄の代わりにそこにいたのは一人の老人であった。
時間怪談≠フ時間≠ェもつ怪談$ォをもっとも押し出した作品といえるのではなかろうか? 読み終えてそう感じた。ホラー≠ニ怪談≠ニいうのはミステリ≠ニ推理小説≠ニいう語感の違いと似たようなものであろうか? このアンソロジーのテーマの怪談≠ニ言う意味を考えてしまう。