『暁天の星 鬼籍通覧』 『謀殺のチェス・ゲーム』
『孤独の歌声』 『死の影』
『トロピカル』 『ディオダティ館の夜』
『涙流れるままに』

暁天の星 鬼籍通覧 椹野道流(ふしのみちる) 講談社ノベルス 800円

 「メフィスト」(講談社)に先行掲載された「僕はそれがとても不思議だった」(本書第一章に再録)で、シニア向け小説に殴り込みをかけてきた作者の、講談社ノベルスデビュー作。予想通りである(講談社ノベルス登場の事ね)。著者紹介のところで講談社X文庫での著作がいくつかあることが伺え、興味が湧くが新刊書店では買えねえよなあ(笑)。現役の法医学者のようで、作品の主要登場人物も法医学者がほとんどである。とりあえず内容の方に行く。

 法医学教室。死者が集う場所である。扱うのは変死体たち。O大学の法医学教室に配属された医者の卵の伊月崇。彼は国家試験の結果待ちの院生である。彼を迎えるのは伏野ミチルを初めとする一癖も二癖もある者たち。しかし彼らはプロフェッショナルである。死体を前にすると顔色が変わる。崇の初執刀の日。来訪した刑事の一人は彼の幼なじみであった。再会もつかの間。解剖が始まる。その遺体は、被疑者の自白通り殺害されたような様相であった。しかし、ミチルが見たものは……。数々の死体をこなす崇。或る日執刀した遺体はごく普通の轢死体(奇妙な表現であるが)であったが、線路に落ちる経緯が腑に落ちなかった。何かに怯えるように落ちたのであるが、その眼差しの先には誰もいなかったし、突き落とされたと言うには周りに人がいなかった。似たような遺体がまた運び込まれる。二人には薬物依存などの共通点はなかった。

 法医学ミステリか? と思ったが実は違う。ミステリと言うよりはむしろ、「法医学」と言う学問を細かくかみ砕いて流布させるために書かれた小説と言う印象を読了後受ける。後書きでも述べられてるように、ミステリーと思ったら別のミステリーだったというものである。私的には問題はないが、ガチガチの本格ミステリを期待すると肩すかしを喰らわされるに違いない。特に冒頭の一章を読んだならば。今後もこの作品のような奇譚路線で行くのか、はたまた本格ミステリ路線に行くのか、見逃せない。

 先に「奇譚」と評したがまさにそうとしか良いようがなく、各被害者を繋ぐミッシング・リンクも本格ミステリ的なものは感じられないし(むしろこの部分は警察小説寄りである)、落とし所に至っては全然違う。後書きで「本格ミステリじゃない」と言うようなことを書いていたので「そんなもんか」と思って読んだ。「「法医学者が小説を書いたら、それはきっとミステリー」という妙な先入観をお持ちの方が」と後書きで書いてるが、確かに私もそうである。そう思ってました。「メフィスト」の作品もミステリっぽい作品だったから。ただ、法医学者が本格ミステリ的なシチュエーションから遠いからと言って、本格ミステリを書いてはいけないと言う事じゃないので、法医学本格ミステリを書いて欲しいと思う。ただ、リアルな現場におられるので難しいのだろうが。

 法医学描写の他に読みどころはキャラクターであろう。一癖も二癖もあるばかりではなく、会話が非常に読んでて楽しい。私はさほどキャラに対する思い入れはないのであるが、この作品の登場人物は内容を度外視してまた読みたいと思った(本書は内容的にも個人的には面白かったが)。とりあえずキャラクターだけでも勧めることができる。あの独特の話し方の間は面白い以上にこっちも学ぶべきものが多々あるので貴重だ(他が学ぶべきものがない、と言うことではなく、他以上にということだけれども)。

 とりあえず、バリバリの本格ではなく奇譚なので、本格を期待しないで読んで欲しい一冊である。

謀殺のチェス・ゲーム 山田正紀 ハルキ文庫 880円

 SF、ミステリ、そしてホラーとジャンルを縦横無尽に横断する数少ない作家、山田正紀のミステリジャンルの代表作の一つ。ミステリはミステリでも冒険小説のカテゴリーに入るのであろうか? 『火神(アグニ)を盗め』(ハルキ文庫)の系譜か。最近何かとはやりのゼロサムゲームの理論を用いた作品である(正確に言えば言及されている?)。作中では「ゼロ和ゲーム」となってるが、ゼロサムゲームのことだ。

 底冷えのする札幌で、家族を喪った幼き少年が、復讐の為に広域指定暴力団のトップを射撃した。幸か不幸か、銃弾はそれて少年の目的は達成ならなかったが、少年は日本中のヤクザから追われる身となる。ヤクザが跳梁し、検問が敷かれる。ヤクザ同士の均衡が崩れ去り、抗争が始まる。一方、ネオステラジスト――新戦略研究家――同士の構想も勃発。自衛隊の最先端の科学技術を結集した戦闘機が、レーダーから消えたのである。ソ連の陰謀かとも思われたが、その背後には、元同僚のネオステラジストの影が見え隠れした。少年と戦闘機。一見無関係で、交わりのなさそうな二者が邂逅したとき見えるものとは? そして、消えた戦闘機の行方はどこに?

 山田正紀氏の代表作と言われながら、なかなか手に入らなかった作品が、角川春樹事務所の労力で復刊された。価格が高いのが玉に瑕なのであるのであるが。連城三紀彦氏の復刊、鮎川長編の復刊、そして山田正紀入手困難代表作等の復刊等々、ハルキ文庫にはもっともっと頑張って欲しいものである。価格さえここまで高くなければ……。しかし、未読の方は是非とも読んで欲しいものばかり復刊してる(私が読んだ範囲では)

 展開はスピーディである。戦闘機の行方を追うネオステラジストたち、逃げる少年少女。騙し合いを主眼としたコン・ゲーム小説と、逃亡小説が上手く絡み合う。前半は戦闘機の行方の鍵を握る男に焦点が当てられるが、後半は男と逃げる少年少女が邂逅し別の物語が姿を現す。何がなんだか解らない状況。無論、読者は何が起こってるか解ってるわけであるが、何が起こってるか解らない状況で或る意味パニクってる状況は緊迫感があるにも関わらず笑いを誘う。

 戦闘機消失の行動の鍵を握る男、頭脳の鍵を握る男。この二人の男は一見全然違う人間に見えるが、よくよく考えてみると、この二人ほど似通った人間はいないのかもしれない。「戦い」の中でしか生きることを許されない存在。生きる為に戦いの中に身をおく。戦いがないのであれば戦いを作ればよい。そんな或る意味(或る意味どころではない?)歪んだ認識を持つ人間。この「歪んだ」認識というのは、もしかしたら、誰でも無意識に持っているものなのかもしれない。無論、後半で行動の鍵を握る男と札幌のバーで邂逅し、戦闘ヘリとトラックとの戦いを演じて、南の島でヤクザと戦いを演じざるを得ない男も、自衛隊側のネオステラジストも。この作品に出てくる男は全て「戦い」の中にしか生きられない男なのかもしれない。逃げる少年も例外ではないであろう。

 「追いかけっこ」というキーワードで書かれたこの作品、何かに「追いかけられている」人にこそふさわしいのかもしれない。そして、構想があるという「敗者復活」がキーワードが書かれるのはいつの日か。この本が売れればもしかしたら……

孤独の歌声 天童荒太 新潮文庫 520円

 第六回日本推理サスペンス大賞優秀作を改稿した文庫版。この時は大賞がなく、この作品が唯一の受賞作であった。これが天童荒太のデビュー作かと思ったら、どうやら別名義での著作が一作あるようだ。名義を換えての新規巻き直しの乾坤の一作。内容に入る。

 都会の闇の中、誰もが群衆の中の孤独を抱えている。喧噪の中の静けさ。皆、孤独だ。孤独な都会で起きる連続殺人。被害者に共通しているのは、一人暮らし、前進の刺し傷、そしてレイプの痕跡がないこと。女性刑事の朝山風希巡査は、捜査にあたっていた。しかし、所轄署の警官にできることはたかがしれている。奇しくも彼女は連続コンビニ強盗の事案に配置換えになった。ここにもまた孤独を抱えている人間がいた。その名は潤平。潤平は、コンビニエンスストアのアルバイトで生計を立てながら、メジャーを夢見ていた。その彼が、深夜勤務の時に巻き込まれたコンビニ強盗。強盗は金を要求したが、強盗の視線は潤平に釘付けになってる。その隙に後ろから、もうアルバイトの人間が取り押さえようとしていた。しかし、その目論見は何者かの声によって邪魔された。こともあろうに、「危ない」と強盗に声をかけたのである。結果、後ろから取り押さえようとした店員は刺され、重体に。その「危ない」と言う声は、潤平がかけていたテープレコーダーに録音されていた。

 天童荒太と言う作家は、この再デビュー長編からして家族にこだわっている。主要登場人物全てに「家族」の影が見え隠れする。人間生活を営む上で、「家族」の影が見えない人間はいないはずなのであるが、小説世界では、しばし「家族」というものが忘れ去られる。風希にせよ、潤平にせよ、連続殺人犯にせよ、彼らは「家族」と言う「呪縛」に様々な形で立ち向かう。その結果がメジャーデビューを夢見ることだったり、警官という職業選択であったり、家族を増やそうと言う名の犯罪行為であったり。社会を細分化し、これ以上細分化できないところにある「家族」と言うものを徹底的に描こうとしている。天童荒太以外に「家族」にこだわる作家と言えば、法月綸太郎氏がすぐさま思い浮かぶであろう。法月氏も法月綸太郎シリーズの長編のほとんどは、煎じ詰めれば家族の物語ではなかろうか? 短編でも「土曜日の本」や、「過ぎにし薔薇は……」(『法月綸太郎の冒険』(講談社文庫)収録)などは「家族」と言うのが密接に関わっている。この二人の作家を比較検討すれば、結構興味深いものができるのではなかろうか? 「家族」と言う名の幻想を追い求める作家が浮かび上がると思う。

 この作品の連続殺人犯の造詣は、私の記憶が間違いでなければ、どことなく『羊たちの沈黙』(T・ハリス/新潮文庫)のサイコキラーを思い起こさせる。『孤独の歌声』は、レクター博士不在の『羊たちの沈黙』のような気がむしょうにしてきた。無論、『羊たちの沈黙』のサイコキラーは、凶悪なのであり、『孤独の歌声』の連続殺人犯のような病的なまでの家族へのこだわりはなかった気もするのであるが、共通する何かがあるような気が。朝山風希巡査は、FBIの女性捜査官か。そんなわけで(どんんわけで?)、この作品を読んでるとき、無性に『羊たちの沈黙』が再読したくなった。

 天童荒太唯一の文庫化されている作品(99/06/26現在)。天童荒太未読の方は是非ともこの作品を読んで欲しいものである。新たな価値観が開かれる、かも。

死の影 倉阪鬼一郎 廣済堂文庫 552円

 三歩下がって師の影踏まず、と言う言葉とは無縁の小説。異形コレクションシリーズを出している廣済堂文庫の新しい叢書、<異形招待席>の第一弾。<異形コレクション>に寄稿している作家の文庫書き下ろし長編を出していくのであろうか? 倉阪鬼一郎氏の長編第二作となる。今まで<異形コレクション>のシリーズですごみのある作品をいくつか読んできたので、構成要素の八割がホラーだというと期待もさせられる。

 うだつの上がらない作家唐崎六一は、『ブラッド』という小説で脚光を浴び、『ブラッド』はベストセラー街道を驀進、映画化もされ一躍時の人となった。名義は江島桜子という名前で世間では覆面作家ではあったが、業界では公然の秘密とされていた。ベストセラーになれば、続編を求められるのが世の理(ことわり)。案の定続編の執筆を望まれたのであるが、書けない。それは無理もないことであった。『ブラッド』を書いたのは唐崎ではなく、別人だったのである。その秘密は不慮の事故死を遂げた本当の作者以外誰も知らない。続編の取材で訪れた幼稚園は、とある宗教団体が経営するものであった。幼稚園児が消えると言う事件が起き、新人の保母であるゆり子は途方に暮れていた。そして、闇をさまよう殺人鬼夏木エリカ。彼女は過去に芸能プロダクション社長を惨殺した元アイドルであった。殺人衝動を心に秘めて今日も彷徨う。全てのベクトルが一つの点に集約するときに起こるものとは?

 簡素な文体で畳みかけて恐怖を喚起させる。ホラーを読んでて時折見かけるこの手法がこの作品でも効果的に使われていて、うすら寒くさせられる。宗教団体というファクターが恐怖の演出に一役買っているのであるが、使い方が非常に上手いと思った。ミステリでさえ宗教団体が出てきたら、とたんに嘘臭くなって馬鹿馬鹿しくなってしまう。特にオ○ム以降、この作品のように新興宗教を積極的に使った作品はあまり思い当たらない。オウ○以前に思い浮かぶのは、『殺人方程式』(綾辻行人/光文社文庫)と『誰彼(たそがれ)』(法月綸太郎/講談社文庫)ぐらいなものか。しかし、この二作は新興宗教の教義うんぬんというよりはミステリ興味に照準を合わせたものであるが。前者は首切りものの隠れた傑作。後者は法月綸太郎の密かな代表作。おっと、話がずれた。勝負要素に新興宗教を入れてるが、嘘臭くならずに上手く作用している。そればかりか、この新興宗教と言う要素がなければ、この物語は成立しない(当たり前か)。残りの二つの要素は夏木エリカパートのサイコホラー、そして教団と夏木エリカを追うフリーライターのパート。サイコホラーはホラーの範疇に入るか否か、という問題があるが私は入ると思う。サイコホラーはモンスターホラーの一変種で、人間というののモンスターを描いたのがサイコホラーなのであるから。で、当然ながら、サイコパートも怖い。一割であるミステリパートの方も、刺身のツマ的なものかなと思ってたら割と考えられていて、ビックリさせられる。

 実は怖いだけではない。作中の遊びは、結構凝っていて面白いものが多々見られる。クライヴ・バーカーと言う作家の「血の本」のシリーズの訳者が「バーカーの作品は訳したらバリバリのスプラッタであるが、原文では言葉遊びなどのユーモアがある。訳すときそれが出せなくて悔しい」というと言うようなことをインタビューで答えていたが、この作品で使われてる回文趣味、言葉遊びがまさにバーカーのそれではないのか。これから倉阪鬼一郎氏のことは日本のクライヴ・バーカーと呼ぶことにしよう。なんと強引な(笑)もしかしたら倉阪氏以外の他のホラー作品でも有るのかもしれないのであるが(回文趣味なんかの事ね)。

 後書きで『墓地を見下ろす家』(小池真理子/角川ホラー文庫)に触発された作品と述べているが、この作品と『死の影』の関係は例えるならば……『グリーン家殺人事件』(ヴァン・ダイン/創元推理文庫)と『Yの悲劇』(クイーン/創元推理文庫他)の関係か? あるいは『麦酒の家の冒険』(西澤保彦/講談社ノベルス)と「ビールの家の冒険」(『名探偵 水乃紗杜瑠の冒険』収録)との関係に似てるのかなあ。建物を舞台とした館系ホラーとして、どっちも甲乙つけがたい。

 文庫故、倉阪鬼一郎入門編としてどうぞ

異形コレクション(11)トロピカル 井上雅彦監修 廣済堂文庫 762円

 いよいよ十一冊目である。当初この「トロピカル」というテーマを見たときは異形コレクションのテーマとして、これほどににつかわしくないのはないよなあと思ったが、いざ蓋を開けてみると今度は、「トロピカル」ほど異形コレクションのテーマにふさわしいものはなかった。南国の国にまつわる様々な異形のものたち。いつも通り気に入ったもの、印象に残ったものを挙げる。

「屍船」(倉阪鬼一郎)
 新婚旅行の穴場として一部で知られているビーチには、軍服を着た幽霊が出るという噂があった。その噂は半分は嘘で半分は真実であった。幽霊ではなく、生きた人間であったのだ。軍服を着た男は、ビーチから人間を島に引きずり込んでいたのである。
 或る意味救いのない話である。死体の部分部分をつなぎ合わせて作る島からの脱出の船、「屍船」。或る意味グロテスクなその船は、見方を変えれば血の美学に彩られたきらびやかな船に見えないこともない。全てが……哀しい
「蜜月旅行」(北原尚彦)
 ロンドンにあるダルバート伯爵主宰のパーティで出会った美女に、私は心を奪われてしまった。求婚し、結婚をしてハネムーンは島に行くことになった。その島は……
 男がたどり着いた島の正体が全てである、と言っても過言ではないであろう。SFではあまりにも有名な「あの島」なのであるから。作品自体は読んだことが無くても(私も現時点では無い)、名前は聞いた事があるかもしれない。『モロー博士の島』である。
「罪」(早見祐司)
 二年前に起きた或る「事件」で東京は壊滅した。或る「事件」で都民は各県に散らばり、警視庁も無くなっていた。ある日、旧東京で人を殺したと自首してきた男がいた。実況検分のために、彼が死体を埋めたと言うところにヘリコプターで向かう。
 東京の様相はまさに「トロピカル」としか言いようが無く、崩壊するイメージはまさに「トロピカル」である。なんというか、このテーマでしか書き得ない風景。まさに「異形コレクション」に収録されるにふさわしい短編である。
「オヤジノウミ」(田中啓文)
 Z県毒島で少年が一人保護された。二年前の海難事故の生き残りである。しかし、彼が発見された島は食料は何もなく、島の近海の魚も食べられるものはないはず。果たして少年は何を食べて生活してたのか? 体の疾患の正体は何か?
 うおぉ、えぐいえぐい。『異形コレクション(9)グランドホテル』に収録されている作品同様、或る意味それ以上えぐさ。途中読むのを止めようと思ったほどである。何がえぐかったって……。しかし、私はこの手の作品は決して嫌いではない。作者も好きなんですねえ。こういうの。
「不死の人」(速瀬れい)
 昭和十六年のパラオ。男は病弱な体と退屈を持て余していた。しかし、せっかく友人が奔走して見つけてくれたこの仕事。易々と止めるには行かない。南洋庁編修書記と言う仕事であるが、慣れはした。或る日、仲間の一人が人魚の肉を持ってきた。
 南国の情緒溢れる作品。登場人物の不死よりも健康をと願う描写と、南国と人魚の肉の「トロピカル」な描写に惹かれる。登場人物の意外な正体も眼目か。しかし、衝撃よりも安堵を感じた。
「猿駅」(田中哲弥)
 九歳まで共に暮らした母親が、再会の場として指定した場所。そこの光景は異様であった。猿猿猿猿猿……。猿で埋まっているのだ。自動販売機で買ったのは、猿の餌だった。
 シュールな、あまりにもシュールな光景。この作品は漫画にしたら面白いだろうなあと思ったりする。諸星大二郎が漫画にしたらこの光景はものすごいのが出来そうである。シュールな光景を愉しむ作品、とでも言うべきか。
「干し首」(竹河聖)
 父親が死んで遺品を整理していたら、箱が出てきた。箱を開けるとそこにあったのは干し首だった。その首を祖父の友人に見せに行ったところ、ミクロネシアのものであると言われる。その後、家の中で奇妙なことが起きた。
 呪術の道具としての干し首。干し首と言えば、以前に漫画で干し首が喋る話を読んだ覚えがあるのであるが、作者名やタイトルが思い出せない。読んでる最中ずっと漫画の絵が浮かんでいた。それはさておき、この作品は或る意味恋の物語として読み解くことも可能であろう。悲恋の物語として。

ディオダティ館の夜 井上雅彦 幻冬舎文庫 600円

 <異形コレクション>の編者井上雅彦氏の幻の長編の復刊である。名前は聞いてはいたが、徳間ノベルス版は絶版。古本屋を探し回ったファンは少なからずいたであろう。今回幻冬舎文庫に収録されてのお出ましである。井上雅彦氏の長編では、やはり『竹馬男の犯罪』(講談社文庫)が有名であろう。この作品はミステリというかホラーというか。いわば、二つのハイブリッドか。内容に移る。

 美晴沢の湖畔のペンションに向かうために車を運転させていた女性は、不幸にも事故に遭う。彼女は、幸運にも大した傷を負うこともなく意識を取り戻したが、記憶を失っていた。記憶喪失である。彼女は自分自身にメアリーと言う仮名をつけた。彼女の目の前に彼女の夫であるという男、芹沢教授が現れる。彼に連れられてメアリーは白亜の洋館を訪れる。洋館は芹沢家の別荘であった。館の中では侍女らがおり、メアリーは美亜と呼ばれる。湖畔の別荘で繰り広げられる魑魅魍魎の宴。その宴の中、招待客の一人が変死を遂げる。宴のさなか行われる「ディオダティの夜」の正体は? 見覚えのない自称母親、戻らない記憶。全てが甦るとき、驚愕の真実が姿を現す!

 異形コレクションの編者の作品は、何らかの異形性が含まれている場合が多いように思える。ところで、ミステリに綾辻行人の館シリーズに代表される「お屋敷ミステリ」と言うものがあるのであれば、ホラーにも、この作品や『死の影』のような「お屋敷ホラー」というジャンルがあって良いのでは無かろうか。まさに「お屋敷ホラー」と呼びたくなるような構成である。「お屋敷ホラー」と言う以外にも、メアリ・シェリーの『フランケイン・シュタイン』の意匠をまとい、その筋の人には面白いものであろう。概略しか知らない私でも、十全に楽しめたのであるから。しかし、次々と物語が流れるジェットコースターノベルとして見るにはは、なんだかもの足らなく、怪奇系本格ホラー(『死の影』みたいな)としても凄みに欠ける気がする。それは、ミステリとのハイブリッド故か。

 で、ミステリとした場合はどうか。サスペンス系ミステリに分類可能であろう。自分が誰だか判然としないまま、奇矯な宴に混じらねばならない事に対する心細さ。アイデンティティ探求サスペンスともいえるであろうし、記憶喪失系サスペンスとも言えるであろう(冷静に考えればこの両者は同一かも(笑))。作品に仕組まれた仕掛けやどんでん返しは、なかなか心憎い。もしかしたら、徳間ノベルス版ではここのところが違うかもしれないのであるが(後書きで重要で大きな修正をしてると書いてる故に、違うんじゃないのかなと感じた)。しかし、どんでん返しがなかった方が暗く閉じて救いが無く、良かったのかもしれないのであるが。それは好みの問題か。修正したところがどこか気になるところではある(ああ、これで探求本が増えた)。

 本書の眼目はホラー趣味、記憶喪失サスペンスの他には、ホラー的な趣向がミステリ的手法で解体されることにあるのであろう。奇矯な宴「ディオダティの夜」の意味や、それを取り巻く環境の奇怪さ。これらがミステリ的手法で現実レベルに解体されるとき(まあ、現実的と言えば現実的なのであるが)に現れる絵図と全てが渾然一体になる様をみたら、この作品をホラーミステリーと言うよりは本格ミステリにカテゴライズしたくもなってくる。

 <異形コレクション>の名伯楽、井上雅彦の隠れた代表作。復刊された今のうちに未読の方はどうぞ。そして既読の方も。

涙流れるままに 島田荘司 カッパノベルス 上下共に1000円

 島田荘司久々の新作長編である。『龍臥亭事件』(カッパノベルス)以来であるからかれこれ三年以上ぶりである。今回は、吉敷シリーズに幾度となく登場してきた加納通子の半生が語られる。『北の夕鶴2/3の殺人』と『羽衣伝説の記憶』、『飛鳥のガラスの靴』(全て光文社文庫)と『龍臥亭事件』未読の方は先にこれらを読んでから読んだ方が良いであろう。特に、『北の夕鶴2/3の殺人』のネタバレが出てくるので。なお、私は『羽衣伝説の記憶』は未読である(笑)この作品はミステリというよりはむしろ加納通子を巡る小説と言った方がふさわしいのかもしれない。内容に移ろう。

 一児の母になった加納通子であったが、首無し男の幻影は消えることがなかった。高校生の時からある一定の行為をすると現れる幻影。しかし、その幻影は幻影と呼ぶのには生々しすぎるものであった。通子は自分の半生を思い出す。間違って死なせてしまった幼友達、麻衣子のこと、父のこと母のこと、恐怖から逃れるために勉強したこと。そして舞子の結婚前の自殺と母の怪死。東京での不幸な再会とその後の自分。様々な思いが行き来する。一方、吉敷は会いも変わらず警視庁捜査一課の中で孤立していた。或る事案の公判の証言台に立った帰り。裁判所にある地下の喫茶店で、一課の主任と老婦人が言い争っている場面に出くわす。全然知らないもの同士ならば間に入るものの、片方が主任の峯脇だった故に、望まない高みの見物となった。その後、喫茶店をでて外に出た吉敷は公園で演説をする老婦人に出会う。老婦人は先ほどの人物と同じ人物。演説は、再審を申請している恩田事件についてであった。四十数年前に岩手県で起きた殺人事件。話を聞くうちに、吉敷はこの事件が冤罪ではないのかという疑問を抱く。しかし、刑事である自分が冤罪を証明してしまっては、他の刑事のメンツの問題にも関わる。だが、吉敷は動き出した。そんな中、通子が重要な目撃者であることも判明する。そして、幻影の歩く首無し死体が、恩田事件の被害者であることも明らかになった。

 島田荘司文学の集大成という言葉には、さほど偽りはない。確かに集大成と言うにはふさわしい物語である。が、それは物語としてであって、ミステリ的な集大成ではない。ミステリ的には中編もしくは短編でやればかなり面白いかも、と思えるものではあるが、二千枚という大作故にミステリ的要素は薄まってしまい、ミステリ的期待はしない方が良いように思える。冤罪の恩田事件というのも驚愕のトリックがあったりするわけではない。リアリズムの警察的捜査で全てが解決する。解決とはいっても、冤罪だと判明する解決なのであるが。物語的な集大成と言う側面に戻るが、まさに集大成としか言いようがない。『龍臥亭事件』に張られた伏線らしきものも回収され、まさかそんなことが? としか言い様のない「事実」を史実の中にはめ込んでいる。島田荘司の豪腕、ここに健在セリとしかいいようがないその豪腕ぶり。吉敷もののいくつかの作品を飲み込んでの作品である。この『涙流れるままに』は先行作品無くして存在し得ない作品。それ故、島田荘司をこの作品から読み始めようと言う人がいたら「やめなさい」と言いたい。また、集大成という意味は『秋好事件』(徳間文庫)などで冤罪に取り組んできた島田荘司の集大成ともとれる。四十年前の事件の冤罪をはらす。これは或る意味(或る意味どころか、かなり)通常の事件の捜査よりも難しい。時間による記憶や証拠品の風化、刑事間のメンツの問題。時間が経ってる故に、裁判官のメンツというのが度外視されるが、冤罪をはらすというのは全ての司法への挑戦である。

 田中博氏の解説で、この作品のラストシーンは皮肉屋にはファンタジイに見えるかもしれないと書いてあるが、皮肉屋ではないものの私には、恩田事件の冤罪の証明となる証拠が発見される様も或る意味ファンタジックに見える。ラストシーンは吉敷シリーズの終演と次のステージへの階段が見えるので、ファンタジーには別に見えないが(逆に、今更という感じも拭えない)、こうもまあ都合良く物証が残ってたねえと思ったりするのであるが。まあ、この時点で『涙流れるままに』が本格ミステリではなく、加納通子の物語であると思っていたのでさほど落胆はしなかったが。それどころか、冷めた気持ちの一方で登場人物になりきり、これで冤罪事件が一つ解決したと言う気持ちにもなる。島田荘司おそるべし、としか言いようがない。首を切った切断の理由などを含めて、本格ミステリ的には評価はさほど出来ないが、物語的の多重性、奥行きの広さ、深さなど今後の島田荘司に期待しても良いんだと言う気にさせてくれる。

 島田荘司の次の新作はどのようなものが出てくるのか、ノンフィクションから小説へ帰ってきた島田荘司への期待は高まるばかりである


Mystery Library別館入り口
玄関