『バベル消滅』 『緑の幻影』
『くだんのはは』 『木曜組曲』
『七週間の闇』 『ブラディ・ローズ』
『N・Aの扉』

バベル消滅 飛鳥部勝則 角川書店 2200円

 バベルの塔を描いた絵を表紙にした、飛鳥部勝則の鮎川賞受賞一作目。『殉教カテリナ車輪』はどことなく地味な印象があったのであるが、今回はどうなのであろうか。前作同様、作者自身が書いた絵が付いている。そして、その絵のタイトルは作中で「バベル消滅」とつけられている。

 佐渡と粟島の間にある鷹島という小さな、ホントに小さな島で起きた殺人事件。中学の美術教師が準備室で撲殺されたのである。殺人現場にはバベルの塔を描いた絵が残されていた。事件の翌日、今度は毒をあおった死体が。その現場にもまたバベルの塔があった。二つの事件において奇しくも第一発見者となった田村は、一見何の関係のなさそうな事件に犯人のメッセージを感じ取る。――残されたバベル。三つ目の事件も起こり、バベルの塔は、描かれた年代が事件を追うごとに遡っていた。一方、島にある唯一の美術館に中学生の少女が毎日のように通ってきて、同じ絵を飽きもせずに眺めていた。警備員である風見は、少女に声をかけることにした。そして、当惑することになる。

 『バベル消滅』というタイトルから、私は館の消失ものをとっさに思い浮かべた。が、館は消えもしないし、バベルの塔は(作中の)現実レベルでは存在しない。存在するのはバベルの塔をモチーフにした絵だけ。犯行現場に残されるバベルの塔というのは、サイコミステリっぽくてわくわくさせられる。しかし、一昔前の私なら何かの見立てかと考えわくわくするんだろうけれども。思考(もしくは嗜好)が変わったのかなあと少し考えてしまう。閑話休題。バベルの塔がつなぐミッシング・リンクということで作中で(宣言はしてないものの)ミッシング・リンク講義もあり興味深い。最近怪盗ものに引き続き、ミッシング・リンクに多大な興味を持っているのでなおさらである。しかし、ミッシング・リンクの方は「新手か!」と度肝を抜かれるようなものではなく、少々残念。だが、本書の眼目はミッシング・リンクではなく、テキストレベルを超えたパズル性と言うことであろうか。いや、パズル性と言っていいのであろうか。かなり大胆なことをやっている。

 以下、伏せ字を入れます。ネタばれじゃないと思いますが、念のために
 読んでいて「相変わらず地味な作風だなあ」と思いつつ読んでいたらいきなり折原一の作品のようなことをされて度肝を抜かれた。少しばかりいい加減な読み方をしていたので(ダメじゃん)一瞬キョトンとしていまったのであるが、この作品の大業はメタレベルの大業であり、あんな作品やこんな作品を思い出し、メタってまだ流行ってるんだなあとつくづく思わされた。にしても、メタミステリの可能性というのはもうこの作品や、あんな作品(『ローウェル城の密室』)(あんな時代に、しかも密室でやってるしねえ)、こんな作品(『夜想曲(ノクターン)』)(その分ロジックはもの足らなかったけれども)みたいなのでやらないともうダメなんじゃないのかなあ。どうなんだろう。読み手としてはまだ興味がなきにしもあらずな分野なんだけれども。しかし、結局何が言いたいのか?>自分
 要は予想だにしなかった手を使われてビックリした、と言うことを言いたかったんだけれども。しかし、或る意味せこい手かも(笑)
 しかし、せっかくバベルの塔という魅力的なモチーフを用いているのに、バベルの塔自体をフル活用しないのは実にもったいないような気がするのは気のせいか。作者の資質もあるのであろうし、好みの問題なのであろうから。

 表裏一体の作品であるという『N・Aの扉』はどのような作品か、気になるところである。もしかしたら、本書と『N・Aの扉』は二つで一つな作品かもしれないのであるから。

緑の幻影 倉阪鬼一郎 出版芸術社 1800円

 赤と緑の表紙に蛇女の絵。私の記憶が正しければ、表紙に使われている絵は「ホラーウエイブ02」(ぶんか社)で紹介されてた絵ではなかろうか。しかし、インパクトのある表紙である。夢に出そう(笑) 帯には「クトゥルー幻覚ホラー」とあるが、果たしてどのようなものであろうか。生憎ラヴグラフトはまったく読んでいない。まいったか(威張るな>自分)

 雑誌「ウィアード」では次の号でクトゥルー神話の特集を組む予定であった。ホラー業界では売れるのはクトゥルーだけというジンクスがあるようである。そして、特集のメインは本邦初のクトゥルーもの。今までは国産クトゥルー神話の嚆矢は本格探偵小説の驍将高木彬光の「邪教の神」だというのが定説だったのであるが、「邪教の神」より先に書かれたクトゥルー神話らしき作品が発掘されたのである。一方、巷(ちまた)ではインディーズから火がついたイエッタ・ホプナールと言うバンドが人気を博していた。インタビューをする為に白坂は関西に向かう。突如姿を消した恋人を捜すのを兼ねて。

 作者のもくろみではクトゥルー伝奇ロマンを目指していたらしいが、出てきたのは幻想ホラーである。この言い方が合ってるかはさておき、ロマンがホラーになってしまうのは作者自身の資質であろう。私はロマンよりホラーの方が好きなので大喜びなのであるが。構成要素はホラー、メタ、ミステリ。ホラーの方は説明不要だと思うが、私が感じた「メタ」は作者が言うSFの要素なのかもしれない。私自身、「メタ」の定義はよくわかってないが、貧相な知識を総動員すると「テキストと読者の関係をテキストレベルで再現したもの」ということになるのかなあ。をや、よく考えてみれば、この作品における「メタ」は私が考えている「メタ」と違うか(笑) ミステリはア×××ムの事かなあ(「かなあ」って何だ?)ミステリ部分は或る意味フーダニット的趣向もあるので、問題は無かろう(って何が問題やねん)。

 ラヴクラフトと倉阪氏のビジョンの融合を目指した作品らしいのであるが、ラヴグラフトの作品を読んでない私がヴィジョンの融合に触れるのはおこがましいから(というか触れること不可能)それ以外について(え、融合以外に触れるのもおこがましい?)。といっても大したことではないのであるが。クトゥルーのガジェットを、或る意味「現実」レベルで用いており結果――なんと言うべきであろうか――他のクトゥルーものと一線を画しているのは面白い。最も、私自身のクトゥルーものの読書量が絶対的に少ないので全然説得力無いのであるが。今まで読んでのが2・26事件とかナチスと絡めたり、シンドバッドと絡めたりで全然「現実」を感じるのが無かったからなんだけれども。クトゥルーを意識しだしたのはごく最近なので、もしかしたらそれまでにこの作品のように「現実」と地続きなクトゥルーものを読んでる可能性はあるのであるが。

 ラヴグラフトの作品をある程度読んだらまた読んでみたい作品である。

くだんのはは 小松左京 ハルキ文庫 952円

 ホラー小説のなかでも折に触れて語られることが(多分)多い表題作を含む11篇の短編集。解説によると、「女シリーズ」全10篇のうち、ホラー味の強い六編を本書に収録したらしい(タイトルに「女」というのがついてるのがそれだ)。各編感想を記しておく。

「ハイネックの女」
 隣に住む青年が自分の部屋に連れてきた美女。片岡はついこの間妻と別れたばかりで、隣の夜ごとの情事の音に悩まされていた。或る日、隣室から鳥が飛び立ち、蛇みたいなものも出入りしていたが?
 一応ホラーなのであろう。ていうかホラーか(笑)出てくる怪物に関しては、昔その手の本で読んでいたので正体を開かされたときピンときたが、知らない人は多分ピンとこないんじゃないのかなあ。どうなんだろうか。
「くだんのはは」
 戦時中、空襲で焼け出された私は、昔雇ってたお手伝いさんのつてで金持ちの家に居候させてもらうことになる。そこで私は夜ごとに聞くすすり泣きの声に興味を示すものの、誰か見せてもらえなかった。
 小松左京のホラー作品の中で、一番引き合いに出される作品では無かろうか。その正体を結末までひた隠しひた隠しにする。或る意味犯人を最後まで伏せるかのごとく。その結末には誰もが戦慄せざるを得ないであろう。
「流れる女――L・ピランデルロの戯曲“Cosi e, se vi pare”より――」
 妻に先立たれて三年。仕事も引退し、悠々自適の生活を送っていた私は、芸を生業とする女性と出会う。幾度となく会うようになり、好意を抱くようになる。そして、義父、息子が次々と結婚したいと言い出すのであるが……
 うーん、なんというか。解説で「怪異譚」としてるが、怪談でもホラーでもない。やはり「怪異」という言葉がよく似合う作品である。今「怪談でもない」と書いたものの、ある種の「時間怪談」ものと言ってもいいのかもしれない。「へびのめ」じゃなくて「じゃのめ」であろうから、女性の正体がXXと言うことはないんだろうけれども。
「蚊帳の外――「お直し」変奏曲――」
 自分の情人の呼び込みをするひも。女の体の誘惑に負けて七日七晩通った先にあるものは?
 うう、元ネタとなった落語の廓(くるわ)話を知らないせいかどうか解らないが、いまいち面白さがよくわからない。眼目は最後に×れ×わるところかな?
「秋の女」
 山陰に取材旅行に出かけた際に、幼き日に世話をしてもらったお咲さんに会いたくなり、山口に赴く。そこで、ふとしたきっかけで妙齢の女性と途中まで同行する事になるのであるが……。疲れたのであろうか、寝起きは最悪であった。
 なんとなく『邪馬台国はどこですか?』(鯨統一郎/創元推理文庫)の明治維新をネタにした作品を彷彿させた。全然違うんだけれどもね。この作品もやはりホラーではなく「怪異譚」であり、怪談でもない。
「女狐」
 山の中で偶然に出会った女性と恋に落ちた阿部康郎は、彼女との結婚を真剣に考えるようになる。しかし、彼女は都落ちした教授の直弟子である故のジレンマがあった。康郎に相談を受けた教授はくだんの女性の名前を聞き、あることに思い当たる。そして、康郎に逆行催眠をかけてみるが……
 逆行催眠中の描写が面白かったかも。虚構と史実が混ざり合う瞬間が、この作品のキモであろうか。恋愛で突っ走る人間って止められないわなぁ、と結末を読んで改めて思ったりもするのであるが。如何なもんかね
「待つ女」
 妻の学生時代の友人が離れにやってくる。つつがない生活をしていたが、少女趣味が抜けきらないところがあった。或る日、彼女の元に何者かが忍びより、離れからは艶めかし声が。しかし、そこには彼女以外誰も居ないはずであった。
 怪しげな事象が現実レベルで腑に落ちる、というところはミステリの文法なのであるが、この作品はミステリと言うよりはむしろ人情話といった方がいいのかもしれない。
「戻橋」
 宿に戻ろうとして橋を渡っていると女性が一人。意気投合し、場末のバーに行くが結局男はさっさと帰ってしまう。別の場所で、その女性が昔情人と情人の浮気相手を刺し殺していたことを聞く。
 サイコスリラー、という言葉で括っていいのかどうかはさておき、男にとって一番怖いのは女性の情念なのかもと一瞬思ってみたりする。
「無口な女」
 無口な妻。妻との出会いは一風変わっていた。暴漢に襲われていたのを助け出したら記憶喪失になっていたのである。一目惚れし、結婚したのであるがいっこうに何も思い出さない。しかし、ある日息子の家庭教師だった青年が妻と結婚したいと私に言い出した。
 なんか重々しく、そして切ない。下敷きにしたのは天女の羽衣伝説とかぐや姫なのかも。随所に現れる月のイメージが鮮明で、視覚的な効果も良い。
「お糸」
 お糸が一目惚れした男性。彼は、普通の男ではなかった。好きな人のお嫁さんになって静かに暮らすのが夢、という彼女の話を、彼は黙って、微笑んで聞いていた。彼自身がした話も、お糸には夢の世界のような話であった。
 SFというか現代社会のガジェットをぬけぬけと使ってる点が、読んでて微笑ましいというか何というか。現代のガジェットを江戸時代で用いたという点では、画期的な作品なのかもしれない。
「湖畔の女」
 落語の師匠と温泉街に行った大杉はなまめかしい美女を見かけるが、すぐ見失ってしまう。しかし、夜中師匠が居なくなったときに、その女性は大杉の元を訪れ、精気を吸い取ってしまうかのごとき夜を過ごすことになる。
 「戻橋」と同系統のサイコスリラーかなあ。サイコものと言うには少し違う気もしないではないが。しかし、かなり月並みな、陳腐な言い方かもしれないのであるが男性にとって怖いのは女性なのかもしれない、という気になった。

木曜組曲 恩田陸 徳間書店 1600円

 恩田陸の(99年12月の時点での)最新長編である。『不安な童話』(祥伝社文庫)以来、なんと、約五年ぶりだ(私は「メフィスト」(講談社)で『麦の海に沈む果実』を読んでいたけれども)。書き下ろし長編かと思いきや、「問題小説」(徳間書店)に不定期に連載していたものである。この作品は、「鳩よ!」(マガジンハウス)の99年3月号のインタビューで触れられていたもの。この作品と対となるという『ネバーランド』は、「小説すばる」(集英社)での連載もすでに終わってるのでこちらも本になるのが楽しみなのであるが……。っと、『木曜組曲』に戻って内容の紹介に移ろう。

 偉大なる作家である重松時子の死から三年。残された五人の女性たち。それぞれ重松時子とは縁が深いものたちだった。姪、妹、専属編集者……。偉大なる作家だった故に、彼女の呪縛は強く、そして彼女らを解放しなかった。毎年一回、時子の命日の頃の木曜を挟んだ三日間残された五人の女性たちは、うぐいす館に集う。それは彼女らを縛る、ある種の呪い≠フ行事。四年目の集いの日、花束が不気味なメッセージを込めたカードと共に贈られてきた。そして、参加者の一人が「あたしが時子姉さんをころしたんだわ」とつぶやき、過去の事件の記憶が呼び覚まされる。

 帯には「息詰まる心理戦」と書いてはあるものの、心理戦と言うよりはむしろ、なんというか。「推理合戦」というのも違うし、しのぎの削り合いというのも違う。ディスカッションあり、腹のさぐり合いありなのであるが、「心理戦」とも「推理合戦」とも違う。帯の表の文句、帯の裏にある内容の説明を見たときは、バークリイの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)や西澤保彦の『麦酒の家の冒険』(講談社ノベルス)といったほとんど推理のみで構築された作品を思い起こし、「すわ恩田陸版『毒チョコ』か?」と思い読んだ。『毒入りチョコレート事件』のような要素もある。しかし、うーん。どんでん返しの連続ではあるが、そのどんでん返しの感覚は『毒入りチョコレート事件』のそれとは異なる(って、作品が違うんだから感覚が違うのが当たり前だろうと言う声も聞こえてきそうだが)。
 「推理合戦」とも違うと述べたが、もしかしたら登場人物は推理してるのではなくて好き放題言ってるだけなのかもしれない(笑) そう、言いたいことを言ってしまって、体の中にある事件が原因でたまった澱を吐き出すような。そんな感じだ。だから『毒入りチョコレート事件』を彷彿してしまうような設定にもかかわらず「違うな」という感触につながったのだ。

 じくじくとした読中感。なんだか、読んでていたたまれなくなるぐらいに。幕切れも、切れ味良い幕切れというわけではない。まだ続きがありそうな、物語がまだ続くというような終わり方。『病院坂の首縊りの家』(横溝正史/角川文庫)の中で金田一耕助が事件が解決しても、事件に関わった人の物語は続くという趣旨のことを言っていたが、まさにこの作品の終わり方は、金田一耕助の各々の事件のその後に対するコメントを思い出させる。
 様々な推理が出てきて、結果ある種の答え≠ェ出て、重松時子の事件は最後に幕を下ろした。しかし、後に残されしものどもの物語は、この作品が幕を下ろした所から始まるのである。すなわち、重松時子の呪縛から解放された後の彼女らの物語が。正確に言えば、重松時子の呪縛は決して消えることのないもの故に、「呪縛から解放された」というのは違うであろう。短編の形でもいいから、その後の彼女らの物語を是非とも書いて欲しいものだ。

 しかし、動きが無く、登場人物も5人という少人数で、うぐいす館という閉ざされた環境だけで長編を構築するとは、さすが恩田陸というところか。動きほとんどなし、限られた登場人物、閉ざされた場所というのは『麦酒の家の冒険』のようである。もしかしたら、この作品の発想の根底には『麦酒の家の冒険』が念頭にあったのかもしれない。かなり強引な論法だな(笑)

七週間の闇 愛川晶 講談社文庫 695円

 『化身』(現:幻冬舎文庫←しかし、どうして創元推理文庫じゃないんだ?)で第4回鮎川哲也賞を受賞した、愛川晶氏の受賞第一作の文庫化である。後書きによると、本格ミステリとホラーのハイブリッドを目指した作品らしいが、どのような作品なのであろうか。しかも成功を収めたと自負してるらしいから期待は大であろう。期待していいのかい? と「何様のつもりか?」とつっこまれそうな不埒なことも思ったりするのであるが(笑)内容は……

 臨死体験研究家の女性が自宅にて死亡した。発見された遺体は、尋常ではなかった。彼女の死に顔には、異様なまでの化粧が施されていたのである。そして、その死体は巨大な歓喜仏の絵に抱かれるかのような感じであった。夫である画家は妻の死に叫び、涙した。死体はさまざまな不審な点が見られたが、容疑者には堅牢なアリバイがあり、事件は自殺と言うことで書類上は解決した。臨死体験研究家の死から時は流れ、画家の磯村はアリバイを証明した事務員と結婚し、一児を設けていた。新しい妻である亜矢子は、脅迫者に怯えていた。亜矢子が産んだ子供は、磯村の子供ではなかった可能性があるのである。脅迫者は、亜矢子に法外な金を要求してきた。その脅迫に対し亜矢子は……

 先に本格ミステリとホラーとのハイブリッドは成功したか否かについて触れると、この作品は成功した部類にはいるのでは無かろうか。混合具合は、ミステリ7でホラー3のような気もする。ここで、どのような作品がミステリとホラーとのハイブリッドの成功作になるのか? というのが問題になるが、私の場合、ホラー的な小道具(ガジェット)が謎解きに奉仕してるか否かというところに、今回は重点を置いてみた。とりあえずホラーのガジェットとして目に付くのが臨死体験、輪廻転生といったところか。恐らく、愛川氏はオカルティズムのガジェットをホラーのガジェットと言ってるのであろう。それ故、感覚的にこれらはホラーのガジェットとは言い難い気もしないではないが、他には思い浮かばない。このオカルトのガジェットが、最後のカタストロフに大いに貢献しているのである。そしてカタストロフは、恐怖をも喚起させるものである。狂気を目の当たりにした恐怖、とでも言うべきか。それ故に私はホラー的な恐怖は感じなかった(でも融合が成功してるか否かには影響はない)。うーん、若干矛盾したことを書いてる気もするが、気にしないで欲しい。

 以下、中盤までのネタを割ります。致命的なネタばれではないと思いますが、念のため。
 途中で、冒頭の事件は亜矢子が犯人であったことが明かされる。ここで私は倒叙形式に変わったのかな? と思い読み進めていった。もしや倒叙形式とホラーのハイブリッドなのかな? と思ったりもしたのであるが。ここでようやく近代の不妊治療である体外受精の問題が出てきて、亜矢子が脅迫者を殺そうとまで思い詰めるようになるシーンが出てくる。この展開のスピーディさは息をのまされた。この作品を愛川晶の最高傑作という声があるらしいが、結末のショッキングさと展開のスピーディさ故のことであろう。なるほど、私は愛川氏の作品を全部読んだわけではないが、愛川作品群の中でも上位に位置する作品であることは間違いないようである。
ここまで

 単行本版と文庫版の差違はエピローグの有無であるらしいが、私は文庫版の方がいいように思える。エピローグにおける落とし方は、高木彬光の『大東京四谷怪談』(光文社文庫)を思い出した。そういえば、『大東京四谷怪談』もホラーとミステリのハイブリッドを目指した作品だったような気もする。

ブラディ・ローズ 今邑彩 創元推理文庫 500円

 ミステリ界で一番きちんとした評価を受けていないのではなかろうか、と前々からこの今邑彩という作家については思っていた。その説を補強するような作品が、この『ブラディ・ローズ』である。「鮎川哲也と十三の謎」の13番目の椅子を『卍の殺人』(創元推理文庫)で射止め、受賞二作目として『ブラディ・ローズ−薔薇の企み−』と言うタイトルで東京創元社から出たようである。その後『悪魔がここにいる』と改題されてC★NOVELSから出て、原題に戻して今回文庫化である。

 薔薇に囲まれた屋敷。相澤花梨は薔薇に引き込まれ、薔薇を眺めるうちに薔薇の屋敷の主人である苑田俊春と出会う。彼は花梨に水曜日に見にいらっしゃいと声をかける。次の水曜日まで花梨は行くべきか否か迷ったが、結局行くことにした。そして、苑田と花梨の毎週水曜日の楽しいお茶会は始まった。花梨は苑田が雪子という名の妻を亡くしていたことを知る。当然ながら花梨は苑田が再婚していないと思うが、実際には苑田には妻が居た。或る日偶然に花梨と苑田の妻良江は会ってしまう。その後、良江は花梨の目の前で墜落死を遂げる。紆余曲折を経て、三番目の花嫁として薔薇の館に嫁入りした花梨であったが、彼女の元に脅迫状が届けられる。良江の死は他殺か自殺か、屋敷の中で誰を信じればいいのか? 花梨は疑心暗鬼に陥る。

 薔薇の屋敷を舞台にした館ミステリ、と言うことになるであろうか。『りら荘事件』同様、舞台となる館は奇をてらったものではない。そもそも館ミステリと言う呼称は、大屋敷を舞台にした作品をいうのであろうから。館ミステリ=奇妙な屋敷で起こる事件という図式が出来たのは、恐らくは綾辻以降であろう。多分。その他の館ミステリの代表的な作品と言えば、ここでもふれたが『斜め屋敷の犯罪』(島田荘司/講談社文庫)とか『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎/教養文庫)などであろう。最初に『りら荘事件』を引き合いに出したのはこの作品、『りら荘事件』を意識した作品ではなかろうかとふと考えたからである。『りら荘事件』の舞台となるライラック荘がライラックの匂い香る場所、この作品の舞台となる館は薔薇の香りに包まれた場所。花の香りに包まれた館と言う観点からそう考えたわけであるが、深読みのしすぎか。

 しかしまあ、何故この作品が今の今まで「必読!」と言われるほど評判にならなかったか。ホント不思議な話である。『本格ミステリベスト100』(東京創元社)において69位にランクした以外、評判になったという話を今まで聞いたことがない。それどころか、今邑彩の作品が話題になったことは皆無なのではなかろうか。派手なトリックがあるでもなく、寒気がするほどのロジックがあるわけでもないが、この作品は「本格ミステリ」としか言いようがない。堅牢な、堅実な本格ミステリ。先に派手なトリックがあるわけでもなくと書いたが、正確に言えば派手なトリックは存在する。フェアすぎるので、私は見当が付いてしまったから「派手」に一瞬みえなかったのであるが、冷静に考えれば「派手」なトリックではある。

 今邑彩が今まで正当な評価を受けていない理由を解説において城平京氏は指摘しているが、まさに的を射抜いた指摘である。この作品はメインとなる仕掛け(叙述トリックではない)は「派手」であるが、それは仕掛けが姿を現してから「をを、派手じゃねえか」と感じるからであって、一見地味である。地味ではあるが、屋敷を覆う死者の意志と言うのをひしひしと感じざるを得ない。解明における着実なロジック、派手な仕掛け。国産本格ミステリ必読○×選という企画があったら、文句無しに推したい、いや、絶対に推さざるを得ない作品であろう。本格ミステリファン必読の作品だ。

 この作品の文庫化を機会に、今邑彩の評価があがることをね願いたい。『鋏の記憶』と共に、今邑彩作品群中の必読作品である(今邑彩作品を全部読んだわけではないけれども(笑))

N・Aの扉 飛鳥部勝則 新潟日報事業社 1800円

 この作品は、『バベル消滅』と表裏一体の関係にあるらしい。どちらが表でどちらが裏か。鬼が出るか蛇が出るか。隣の客はよく柿食う客だ。東京特許許可局。と、思いっきりずれた(ていうか、ずれすぎ)。いずれにせよ、気になることは間違いのない事実。とりあえず、内容に行こう。

 『本格探偵小説大賞』を絵を使った小説で受賞した石塚は、意外な人物とパーティで出くわす。大学時代の友人であった。彼は浜崎茂というペンネームでホラーを書いていた。彼と昔話に花を咲かせる。ふと彼が語った言葉、「僕が幽霊の話をしたら、信じてくれますか?」。彼はおもむろに自分が見た幽霊――本格推理の幽霊の話を始めた。
 浜崎が中学時代の同級生にデビュー作である『儀式』を送ったことから、奇妙な出来事は幕を開ける。友人の川合の返信を読んで浜崎は、中学の時に川合が書いた批評文を読んでいた。浜崎は懐かしくなり、唐突に川合に会いに行くことにする。彼の家に行くと、川合の代わりに彼の娘だという双子の姉妹が出てきた。

 うーん、ミステリか? この作品はミステリと言うよりはむしろ、小説の体裁を借りたエッセイのようである。石塚のモデルは明らかに作者自身のように見えるし、石塚の受賞作は『殉教カテリナ車輪』を彷彿させるし、『本格探偵小説大賞』の選考委員の一人なんて、有×川氏そのまんまのような気もする(笑) また、浜崎のデビュー作『儀式』は、満場一致で落とされたとこなんか『バトル・ロワイアル』みたい。まあ、こっちの方は偶然なんだろうけれども、実は知り合いだったとか言う、なんか意図があるようにも思えるし……。後書きでフィクションだと書いてるが――実際問題フィクション以外の何者でもないのであろうが――なんとなく作者の過去を吐露してるようにも見えなくはない。しかし、『バベル消滅』と表裏一体の作品というのは登場人物が一人重複してること(←『バベル消滅』のネタばれになりそうなので)ぐらいかなあ。テーマが呼応してるとか言ったところは無さそうだしなあ。この作品でやりたかったことを一言で言えばメビウスの輪と言うことになるのかなあ。確かに××してるけれどね。

 先にエッセイのようであると書いたが、作中の本格推理に関する考察めいたものは面白かった。特に、「本格ものなどは最初から見える人だけに見える幽霊のようなものかもしれないのだ」と言うくだりは、貫井氏が書いた『大密室』のエッセイにおいての本格とは伝統芸能みたいなものだと言うコメント同様、或る意味本格の本質を突いてるような気もする。本格なんてものは存在しないのかも、なんて一瞬考えたりもするのであるが。いや、確かに存在はするけれども(どっちや)。

 ところこで、タイトルにある「N・A」というのは、浜崎が中学生の時に書いた習作に出てくるイニシャルだけの名探偵の呼称である。この作品に記してる名探偵に仕掛けられたトリックは、使いようによっては今でも十分使いうるネタになったと思うんだけれども、もったいない気がする。飛鳥部氏は「名探偵」というものにすでに興味を失ってしまったのかなあ。ああ、もったいない。もったいないお化けが出そうである(笑)


Mystery Library別館入り口
玄関