「眠りの森」で第16回小説推理新人賞を受賞したらしい作者のデビュー作である。納められている五編は、広義のミステリーにはいる作品であろうか。とりあえず、各編の紹介。パーミリオンの猫@殺戮のための超・絶・技・巧 竹本健治 ハルキ文庫 640円「眠りの森」
自殺をしようとして失敗した男。彼は、高校の教師であったが、教え子と恋に落ちた。二人の仲は恋人の母親の知るところとなり、二人は一旦人目を忍ぶ間柄に。車でデートしてる最中、彼女は運転のさなかに抱きついてキスをしてきた。その結果彼女は死に、男は生き残った。そして、男は後を追おうとしたのである。
「祈灯」
妹が連れてきた友達。彼女は幼き日の事故で妹を亡くし、妹を演じるようになっていたのである。目の前で妹をひき殺され、精神のたがが少し外れたようになってしまった彼女。結局ひき逃げ犯は捕まらず、時間だけがいたずらに過ぎていく。そして、突然彼女は死んでしまった。
「蝉の証」
祖母のお見舞いに行った僕は、成り行きで相川という老人の孫らしき人間の素行調査を行う羽目になる。少ない手がかりを頼りに調べていくと、問題の人物に行き当たる。問題の人物は、相川に頼まれて一人の高校生の尾行を頼まれていたという。報告に相川の病室に現れたというのである。
「瑠璃」
三つ離れた年上のいとこ、ルコ。彼女は高校を三日で中退し、気ままな生活を送っていた。ある日、両親が姉のコンサートを追ってオーストラリアに行く際の留守番のパートナーとしてルコがやってきた。一学期の終業式の日の朝に彼女はやってきた。そして月日は流れ、僕も彼女も歳を重ねた。
「彼の棲む場所」
ホテルのラウンジで待ち合わせた、高校の時の同級生。彼は今や有名な学者だった。彼が論破した政治家が、選挙の落選を苦に自殺をした。彼は、政治家の自殺に少なからず責任を感じているようであった。そして、彼が自殺した原因が自分ではないのかと思い悩んだのは、今回が初めてではなかった。5つの短編に出て来るという登場人物はなんらかの「喪失」を抱いている。そう、タイトルの「MISSING」というのはなにかしらの失ったものを指しているのである。人は生きているうちに、何かを得たら何かを失っていく。得失の収支計算はプラスマイナスゼロ。人生どこかで帳尻が合ってるのであろうか、と読みながらつらつらと考えたりもした。
しかし、この本に収められてる作品って広義の「ミステリー」に入れていいのであろうか。近年この「ミステリー」が持つ意味が広がりすぎてる気がするのであるが。この作品がダメな作品というわけではなく(実際、面白く読んだ)、「ミステリー」のカテゴリーで評価したら「ミステリー」という言葉が内包するサムシングが薄れてしまうのではなかろうか、と考えたからであるが。と、ここら辺は今の時点では意味不明だろうなあ(そのうち解ります)。
88年2月にトクマノベルズ・ミオという今は無き徳間ノベルスの叢書から出た、SF(ミステリ)の記念すべき第一作である。今後、『タンブーラの人形つかい』、『兇殺のミッシングリンク』、『魔の四面体≠フ悪霊』が順次復刊されるようで、古本屋を散々探し回って見つからなかったものには心強い朗報である。逆の人は悔しいだろうけれども(笑) 先にSF(ミステリ)と称したが、この作品はミステリ味はあるものの、ミステリと言うよりはむしろアクションSFと言った方が良いかもしれない。タナトス・ゲーム 伊集院大介の世紀末 栗本薫 講談社 1400円銀河スナイパー、パーミリオンの猫。彼女は命からがらの任務を終了し、重傷を負ってはいたが最先端科学であっという間に完治してしまう。帰還途中、新たな任務が彼女の元に送られる。次の任務は、プレノリアで数々のテロ行為を繰り返して惑星クラビアに逃亡した大鎌(サイス)≠狩り出し仕留めること。首尾良く惑星クラビアに潜入するが、大鎌≠ヘネコを見つけ、攻撃を仕掛けてくる。ふとしたきっかけで出会った元諜報員ノイズと共に、大鎌≠見つけようとする。大鎌≠ヘかなりの能力者故に、センサーに引っかかるはずなのであるがノイズが仕掛けたセンサーにまったくと言っていいほど引っかからない。果たして、大鎌≠ヘ存在しないのであろうか? 否。存在する
センサーに必ず引っかかるであろう強大な超能力を持つテロ犯人が、何故かセンサーに引っかからないというのが(一応の)ミステリ的な謎であるが、ミステリ的にロジカルに解かれるというわけではない。謎解きはあるが、なんというか、SFミステリとは厳密には言えない気がする。SFミステリに属する作品を西澤保彦氏のSFパズラー群と小松左京の『継ぐのは誰か?』(ハルキ文庫)などしか読んでないのではっきりしたことは言えない。だが、私の感覚ではSFミステリとは、SFの小道具(ガジェット)が謎解きに奉仕してるもの、または、ミステリ的興味が大半を占めてるものなのだ。この作品ではミステリ的興味に関してはなんというか、(作中の人物が)とりあえず考えておこうと言う感じなのだ。やっきになって謎解きしようと言う気配があんまり伺えない。いや、謎解きはしようとしてるのであろうが。
この作品の主眼は謎解きよりも、心地よい(?)アクションなのであろう。多分。それとネコとノイズの掛け合い、ネコの過去。今後復刊される三冊及び、もしかしたら書かれるかもしれない続編でネコの正体、過去は明らかになっていくのであろうか。この作品でも、ネコの過去を伺わせる断片がちらほらと出てきて興味深い。正体不明の主人公ってなんか私立探偵小説っぽいじゃないか(不用心な、しかもかなり的はずれな発言(笑))。ということは、このシリーズはハードボイルドなのか?(それは違うぞ)
SFミステリとは厳密には言えない気がすると先に述べたが、中盤から物語を引っ張っていくのは「何故大鎌≠ヘセンサーに引っかからないのか」というのであり、ミステリ味が強い作品であることは間違いのない事実である。そして、クライマックスシーンで意外な人間関係が次々と明らかになるところも、やはりミステリ的である。しかし、それでも私はこの作品をSFミステリとは言わない(って、何様のつもりだ>自分)。
とりあえず、二作目が待ち遠しい今日この頃。
なんか最近コンスタントに書かれている、名探偵伊集院大介シリーズの(99年12月時点での)最新刊。伊集院大介ものが近年コンスタントに書かれてるのは、第三の波((C)笠井潔)と果たして関係があるのか? このことに誰も触れないが、誰かやりません?(少なくとも私はやる気はない(笑)) 内容に移る。幻獣遁走曲−猫丸先輩のアルバイト探偵ノート− 倉知淳 東京創元社 1700円ゾディアックの事件も一段落し、平穏そのものであった伊集院大介探偵事務所の静寂は、アトムくんの悲鳴によって破られる。アトムくんが持ってきたのはコミケで売っておいるヤオイ本。内容はと言うと、伊集院大介×アトムくんといったもの。伊集院大介もアトムくんが持ってきた本を読んで絶句する。世の中に、こんなものがあるのか、と。しかし、そこで引き下がるようなヤワな(?)名探偵ではない。すぐさま、所謂(いわゆる)ヤオイ本を取り寄せその世界に浸り出す。そんな中、ヤオイ本を出すサークルの人間と知り合い、知ってる人間が失踪したと言う相談を受ける。失踪した三人のタナトスの子供たち。失踪の背景にはやはり、複雑な人間関係が存在した。ヤオイのサークル<薔薇庭園>の掲示板の書き込みに端を発するものではないかと彼女らは恐れているのだ。
作中、男性にヤオイが理解できるか否かの問題が提示されるが、私自身に関していえば、ヤオイが存在することに関しては理解できるが、読んでみようとか書いてみようとかはまったく思わない。正確に言えば、後学のために垣間見てみようかなと言う気はあるんだけれども。アクティブに関わろうという気にはなれない。ヤオイに関して、作中ヤオラー(ヤオイにはまる人のことを指すようだ)がヤオイは男には理解できないと言う趣旨のことを言っていたが、実際問題どうなのであろうか。ここまでかたくなな意見を(たとえ作中人物の意見としてでも)言われると、少し反発したくなる気がする。しかし、一方では男性から見て女性には絶対解らないだろうなあという分野があるので(例えば○×を蹴られる痛みとか……って、少し違うか)、ヤオイは女性の領域と言うことにして許してやるかという気にもならないではない……って、どっちだ?>自分 少し混乱してるかも(笑)
ところで、この作品を読むまではヤオイについて誤解していた。誤解というか、勘違いなんだけれども。ヤオイって男性同士の恋愛オンリーなのね。今まで男性同士を基本として様々なパターンがあると勘違いしていたのだ。これってもしかしてかなり致命的な勘違いでは? すまぬ(って誰に謝ってるんだ?)人間失踪、すなわち広義の人間消失が扱われているが(狭義の人間消失もあることはある)、この作品はミステリと言うよりはむしろ、ミステリの体裁を借りたヤオイ援護いや擁護の物語のような気がする。中島梓名義で書いたヤオイ論をベースに書かれた小説。名探偵伊集院大介は事件の説明者と言うよりはむしろ――終盤で事件の説明者にはなるものの――何故一部の女性がヤオイに走るのかの解説者でしかない。この『タナトス・ゲーム』では『絃の聖域』での名探偵然とした飄々さはさほどみられず、保護者のような感じが。うーん、少し何が言いたいのか解らなくなってきたなあ。要するに、伊集院大介の名探偵らしさが発揮された作品ではないと言いたかったのであるが。それ故に、この作品から伊集院大介のシリーズにはいることは絶対に勧められない(って、この作品から読み始める人は居ないだろうけれども)。
しかし、作品の内容には全然関係ないが、参考文献の著者名が「中島梓」ってあんた(笑) 自分の著作やんけってつっこみたくなるかも(中島梓は栗本薫の別の名前)。しかし、よく考えたら多くの人に読んで欲しい評論書なのであろう。
私の記憶が定かならば、この短編集は『星降り山荘の殺人』(講談社文庫)以来久々の新刊ではないのかなあ。『星降り山荘の殺人』にビックリして、怒って、読み返してやられたあと思ったのがかれこれ三年以上前。年はとりたくないものだって、話が変わってるか。『星降り山荘の殺人』以来久しぶりの、しかも猫丸先輩ものの作品。本は久しぶりであるが、『大密室』収録の「揃いすぎ」で猫丸先輩が出てくるので久しぶり、と言う気がしない(笑) 「メフィスト」にも猫丸先輩ものの短編が載ってたこともあったし。お葬式 瀬川ことび 角川ホラー文庫 419円
解説で佳多山大地氏が言ってるように、以下の各作品の紹介を見れば解るように、この短編集の主題は消失≠ナある。消えるのは人間だけではなく、指輪や松茸まで。「たたかえ、よりきり仮面」が消失ものというのは、かなり牽強付会のような気もしないではないが。
各編紹介する。「猫の日の事件」
キャットフード会社主催の「日本良い猫コンテスト」。それ故に、会場は猫だらけ。参加者の一人である婦人は、会社の大株主の奥方。奥方は猫世話に余念がなかったが、ちょっとした隙にはずした高価な指輪をはずし、それを盗まれてしまう。犯人が居るはずなのであるが、控え室の周りには怪しい人間は一人も居なかったという。
犯人消失のネタはチェスタトンっぽかったが、それよりむしろ猫丸先輩が魚を抱えて猫の大群に追いかけられる様が読んでて笑いを誘う。いきなり謎解きをして煙に巻き、後でとうとうと解説をするところが泡坂妻夫の亜愛一郎の後継者と言われる所以なのであろうか。
「寝ていてください」
新薬の実験に来た誠は、初めてと言うことでかなり不安がっていた。同室になった人間の一人なんぞ、死人が出るのなんて言って脅かす始末。それでも、三食昼寝付きのバイトだから気楽で良い……とは思えなかった。採血の為に出ていったパンクロッカーがいきなり帰ったと看護婦が言った。おかしい。帰れないはずなのに。まさか……
倉知淳の手腕の発揮というころか。普通ならミステリのネタになりそうもないものをかっちりとミステリに仕立て上げている。この作品に限ってはしょーもないもんをと苦笑するか、私のように感心するかのいずれかであろう。私は或る意味感激してしまった(皮肉ではない)。しかし、猫丸先輩もなあ(以下略)
「幻獣遁走曲」
アカマダラタガマモドキを捕まえろ。日本のどこかにありそうな幻獣譚を真に受け、捕まえようとしている熱血漢がここに一人。日当一万円でアカマダラタガマモドキ狩りに雇われた猫丸先輩。二人一組に分かれ狩りの前段階として、草刈りをさせられる。猫丸先輩がまじめに仕事をするわけもなし。そんな中、アカマダラタガマモドキの存在を示す文章が焼かれてしまう。
何故文書を焼いたのか? 犯人は誰か? と言うのを絞り込んでいくロジックはわりかし良かった。なんか、猫丸先輩じゃないみたいだが、しゃべり方はどこをどう切っても猫丸先輩(笑) 犯人が文書を焼いた理由が微笑ましいというか、なんというか。今頃気が付いたが、この作品集ってもしかしてなごみ系?
「たたかえ、よりきり仮面」
スーパーでのアトラクション。猫丸先輩は悪役の着ぐるみを着てひいひい言っていた。一日のショーも終わり、皆でくつろいでいると子供が来て、よりきり仮面に差し入れをしてくれる。その子供の様子に、みんな微笑ましく思う。そして翌日。よりきり仮面の着ぐるみにガムのあとが付いていたのだ。皆昨日の子供を疑うのであるが、果たしてこのような嫌がらせをするのは誰なのであろうか。
しかし、まあ、このよりきり仮面という名前はどうにかならんかったんかなあ(笑) それはともかく、誰がやったのかと言うよりはむしろ、何でやったのかという動機に重点が置かれている。ぽんぽんと考え得る動機は提出されるが、どれが真相でもはっきり言っておもんないなあと思ってたが作者が用意した答えを読んだときは少し心が温かくなった気がした。私にもあんな純真な時代があったなあ(遠い目)。
「トレジャーハント・トラップ・トリップ−宝探しの怪しい旅−」
タウン誌の広告のチラシにあった松茸狩りの宣伝。これは行かねばと応募した田中夫妻。松茸狩りに参加したのは武道家夫妻、マスオさん、そして猫丸先輩。猫丸先輩は案内のアルバイトを兼ねた参加である。苦労し、ポイントまでたどり着き、松茸をせっせと刈るが突然集めていた松茸が無くなった。誰が松茸を盗ったのであろうか?
この作品の真相は結構笑えるかも。犯人を絞り込んでいく過程はお手の物♪ と言う声すら聞こえてくるぐらい手際よく見える。しかし、この作品も「寝ていてください」同様、ネタになりそうにないのをミステリ的に上手く処理している。
表題作は「KADOKAWAミステリ」のプレ増刊号2で読んでたが、他は初読。419円という異様な安さに惹かれて読んだが意外な拾いもの。この短編集、ホラーと言うよりはむしろなんというかブラックユーモアもしくはユーモアホラー(矛盾の一言で片づけられそうだが)とでもいうべきであろうか。各編紹介しよう。妖奇切断譜 貫井徳郎 講談社ノベルス 880円「お葬式」
女子高生の竹村は、父親の危篤を知らせるメッセージで病院に行き、呼びかけをするがむなしく死亡。父親が死んで時間は慌ただしく過ぎていくが、竹村家伝統の葬式をすると言い母親は張り切っていた。そして葬式に集まった親族は、飯はまだかと言う。
第6回日本ホラー小説大賞短編賞佳作。この作品のテーマは古今東西すでに使い尽くされて、もう使い道はないと思っていた。しかし、葬式と言う要素を加えることによって新たなものになっている。この作品はテーマの処理の仕方もさることながら、肉親の死という悲壮感ただよう要素を使いながら悲壮感漂わぬ雰囲気が眼目なのかもしれない。
「ホテルエクセレントの怪談」
ホテルには様々な怪談がつきまとう。ホテルエクセレントにもいくつか怪談はある。ざっと10ほど。ロックバンドのコンサートと学会に出席する大量の学者とのダブルブッキングでホテルエクセレントはてんてこ舞い。ほっと一息ついて夜の巡回をしてると、一人の少女がぽつんと座っていた。
うーん、作者にホラーを書こうという気はあるのかなあ(笑) 古いホテル、エレベーターに現れる幽霊、出る部屋などとホラーのガジェットは頻出するにも関わらず、ホラーを読んだという気はしない。その感慨は、オチの強烈さでだめ押しだ。
「十二月のゾンビ」
よくかかってくる無言電話。しかし、西田直人はその犯人が誰かどうでも良かった。無言電話が留守番電話に三件入っていたその夜、バイトで一緒である女の子が不意に訪ねてきた。彼女は彼の家の近所で事故にあったという。西田は慌てるが、当の彼女は平気な顔……ではなかった。
主人公が陥っている状況が笑える。ゾンビと部屋の中で差し向かって話す状況って、微に入り細に入り想像すると全然笑えない気もするが。微妙にすれ違ってる感じがする会話も、なんというか笑みを誘う。この作品はホラーのガジェットはあるがホラーと言うよりはむしろブラックユーモアと言った方が良いであろう。
「萩の寺」
かっとなって弾みで女性を殺した男性は、山奥に殺した女性の死体を埋めに行った。何とか埋め、帰ろうとしていた途中事故を起こしてしまう。これと言った大きい怪我もなかったので歩いて下山しようとしていたら、目の前に尼寺があった。そこに住んでいた尼僧は前の戦争で夫を亡くしたという。
ホラーっぽい話なのであろうが、やはりホラーという感じがしない。尼僧のはじめの台詞で大体のオチは読めたが、最後のひねりは良かったかも。
「心地よくざわめくところ」
四限の授業に出るために大学に行くのもしゃくなのでサークルの連中とだべるか、と考えた鳥山は新聞で原発の事故のことを知る。さて、皆に自慢するかと学校に行き、自慢げに話す。気が付くと学校の中は閑散としていた。
風が吹いたら桶屋が儲かるの理論か? 終末論を作中人物が語るが、その語られる終末論が結末の恐怖を際立たせているのであろうか。
昨年(98年)8月に出た『鬼流殺生祭』の続編である。今回のテーマはズバリ死体の解体。首のない死体も含めると数は多岐に渡るが、解体ものと言えば『解体諸因』(西澤保彦/講談社文庫)、『占星術殺人事件』(島田荘司/講談社文庫)などが思い浮かぶであろう。短編では「赤い密室」(『下りはつかり=x(鮎川哲也/創元推理文庫)収録)なんかが思い浮かぶ。数々のバラバラ死体テーマに挑んだ意欲作、と言うべきであろう。象と耳鳴り 恩田陸 祥伝社 1700円霧生家の事件から二ヶ月。朱芳慶尚(すおうよしなお)は病にふせっていて、なんともいかんしがたい状態。それでも起きられる状態にはあった。お見舞いがてら帝都を騒がすバラバラ殺人事件の推理を試みさせようとする九条惟親(これちか)であったが、まさか再び自分が事件の渦中に巻き込まれようとはそうぞうだにしていなかった。バラバラ殺人事件の被害者の共通点は女性であることの他に、有名な美女三十六歌仙に描かれた人間だったのである。惟親の友人の妹である珠子が美女三十六歌仙の一人であり、自分が狙われるのでは無かろうかと怯えているという。その怯えは現実のものとなり、珠子の手足が稲荷神社で発見される。珠子の弔いとばかりに、惟親は残りの人間を殺させまいとするがまたしても犠牲者が出てしまう。
明治ならぬ明詞時代を舞台にすることでトリックの意外性が映える訳であるが(科学捜査があると犯人像は見え見えである)、「明詞」にする必然性はまだ見えてこない。これは補綴(エピローグの事か?)で暗示されている次の事件で明らかになるのか? 明らかにされないのか? 興味あるところだ。時代考証の関係かなあ。「明治」にすると完全な時代考証をしなければならないからなのか? いや、必然性はあるに違いないと思うのであるが、如何なものか。
バラバラ殺人、ミッシングリンク(美女三十六歌仙以外に被害者をつなぐ糸がある)、人肉食。前者二つはあとで触れるが、足フェチの男が死体の足を愛玩するところは思わず「うへえ」と声が出た。食べるだなんてもってのほかだ。しかもおいしそうに見えるからたちが悪い(笑)。足フェチのところは『妖異金瓶梅』収録の「赤い靴」(傑作!)を思い出した。多分、本作品も参考文献であろう(ネタばれではない)。もう一個思い出した『妖異金瓶梅』収録作品があるが、ネタばれにつき割愛。
足フェチ男の存在意義(笑)はミッシングリンクの伏線なのであろう。前半は九条パートと足フェチパートに別れる故に何か仕掛けがあるのか? などと勘ぐったが無くて残念。足フェチパートのえぐさだけでもこの作品を読む価値はあるかも(それ以外に読むところが無いと言うことではない)。まあ、『凌辱の魔界』なんかに比べるともの足らない気もするが。ところでバラバラ殺人の方である。このバラバラトリックは、もう古典と言っても良いぐらいの傑作となってる或る作品のバリエーションと言っても良いであろう。私はあの作品のバリエーションはないだろうと思っていたが、大いなる勘違いであった。しかし、あの作品も煎じ詰めれば、戦後まもなく出たあの伝説の作品(近々復刊されるらしい)のバリエーションともとれなくはなく、本書とこの二作を比較すると面白い結果がでるかもしれない。ちなみに、或る作品とは『占星術殺人事件』(島田荘司/講談社文庫)で、伝説の作品は『刺青殺人事件』(高木彬光/ハルキ文庫)である。山田風太郎の明治ものを含め、過去の作品へのオマージュと言う意味では本書が(99年12月の現時点では)一番徹底しているのかもしれない。或る作品も、伝説の作品も本書及びそれらの作品のネタばれになるので伏せ字にしました。ていうか、だまっとけと怒られそうだな(笑)。
とりあえず、シリーズ三作目が楽しみである。
『六番目の小夜子』の主人公格である秋の父親関根多佳雄。『六番目の小夜子』では判事であったが、この作品集の中では引退している。
本格への愛を公言してはばからない恩田陸であるが、この『象と耳鳴り』が本格への愛を如実に示すものか、という命題に関しては完全にそうであるとは答えられない。「海にゐるのは人魚じゃない」や「待合室の冒険」はハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」に挑戦したパズラーであり、「新・D坂殺人事件」は衆人観衆に現れた死体という広義の密室、推論推論の積み重ねである「机上の論理」などいかにも「本格」印満載という感じがする
しかし、これらの作品を狭義の本格というには少し抵抗がある。本格と言う意味では『木曜組曲』の方がより一層本格らしい。
また、「象と耳鳴り」や「誰かに聞いた話」はショート・ショートといっても差し支えない短さで、短編と言うよりはむしろ長編のプロローグ、もしくは長編の一つのエピソードといった趣さえ有る。
集中のベストを三つ挙げるならば「ニューメキシコの月」、「象と耳鳴り」、「待合室の冒険」という所であろうか。次点として「机上の論理」を挙げておこう。また、「机上の論理」、「往復書簡」の中ではまだ描かれざる事件が姿を見せ、期待をさせてくれる。
以下各作品の紹介。「曜変天目(ようへんてんもく)の夜」
倒れた老婦人が運び出されるのを見て、関根多佳雄は昔のことを思い出した。自分と同じ屋根の下にいたときに死んだ友人の死のことを。彼は多佳雄に手紙と毛髪を死後送ってきていた。
淡々と語られ、淡々と多佳雄が納得し淡々と終わる。ミステリ的にはアイデア一発でこれ、と言うものではないような気もしないではないが、語り口が良いせいであろうか。すんごい上質のミステリを読んだ気にさせられた。
「新・D坂殺人事件」
渋谷という街のど真ん中で、死体が突然現れた。死んだ男は所々骨折していたという。男が死んでるのを人々が発見する前、多佳雄は「――堕天使をみた」と呟いた。多佳雄は男が落ちてくるのを見たとでも言うのか?
乱歩の「D坂殺人事件」はドラマで見たことがあるだけで、実物を読んだことはまだない。トリックを明かしているので、「D坂殺人事件」についてまっさらな人は、本家の方を読んでから本編を読んだ方が良いかも。本編は乱歩の「D坂殺人事件」の××トリックを絡め、現代において如何に死という事実が隠蔽されているかを書いたもののような気がする、というのは穿ち過ぎか。
「給水塔」
時折ふっと散歩に誘ってくれる友人、時枝満。或る日、多佳雄は給水塔に案内される。その給水塔には、鬼が出たりすると言う。老人は怪我をし、小学生は失踪し、車は塀にぶつかり、主婦が事故死したり。多佳雄はこれらのことからあることを思いつく。
仮説が一気に崩され、薄ら寒い真相が姿を現す。水がある場所は動かせないという言葉からいくつかの仮説が構築されるが、それぞれ面白い。それらの仮説を一気に崩す方法は、よく使われる手であろうが(ホントか?)上手く効果を上げている。先にも述べたが、結末は薄ら寒い気がする。
「象と耳鳴り」
博物館の帰りに寄った喫茶店で、多佳雄が老婦人から聞いた話である。彼女は象を見ると耳鳴りがするという。彼女の幼き頃、父親に連れて行ってもらったイギリスでの恐ろしい出来事を多佳雄に聞かせる。イギリスで象が人を殺したという。
量的には短編と言うよりはむしろ、ショート・ショートと言っても良いぐらいである。何故彼女が嘘をつくのか、そのもう一つの理由が明かされた時にはじめから読み返すともう一つのドラマが想像できて面白い。
「海にゐるのは人魚ではない」
元判事の多佳雄と現役検事の春。二人は引退した実業家に招かれ伊東へ赴く。そこで子供が言った言葉――人魚を見た。その言葉を元に多佳雄は該当する事件を図書館の地方版から見つけだす。
ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」を彷彿させる。たしかこの短編も、偶然聞いた一言から事件がクローズアップされたんだっけなあ。この作品も、他の収録作品同様結末は薄ら寒い。
「ニューメキシコの月」
骨折して入院していた多佳雄の元に一人の人間が見舞いにやってくる。地検に勤める検事がやってきた。彼は毎年或る人物から手紙をもらうという。くだんの人物は、9人の人間を殺し、死刑が確定した元医師であった。
被害者をつなぐミッシングリンク、何故彼は9人の人間を殺し方か、というのを安楽椅子ならぬ安楽寝台探偵となって解こうというわけであるが、浮かび上がる真相はやはり薄ら寒い。人とは、こんなに醜いものなのであろうか。
「誰かに聞いた話」
どこで聞いた話か思い出せない。N町にある寺の銀杏(いちょう)の木の下には、強盗で盗まれた現金が埋まってるという。
――噂。それはどこから来てどこへ行くのか行方が解らない旅人のようなものか。多佳雄が事件の真相を想像するきっかけが明かされるところが面白い。
「廃園」
死んだ従姉妹がが残した薔薇園に訪れた多佳雄。しかし、そこには薔薇はもう無く、正確には薔薇園跡であるが。その従姉妹の娘が多佳雄を迎える。そして、彼女は多佳雄に母親が自殺を図った日に何があったかを尋ねた。
薔薇の匂いの幻が香る薔薇園での一コマ、とでも言うべきであろうか。あの日あの時何があったか、というのがこの作品のミソなのであろうが、その真相は他のいくつかの収録作品同様薄ら寒さを感じざるを得ない。静かなる、不確定な悪意とでも言うべきなのであろうか。
「待合室の冒険」
春と共に久しぶりの旅行を楽しむ多佳雄であったが、二人揃うと不幸が起きる。電車が遅れたのである。多佳雄は持ってきていたケメルマンの『九マイルは遠すぎる』を読み出す。春は疲れているのか、どこかおかしい。
タイトル及び後書きから『麦酒の家の冒険』(西澤保彦/講談社ノベルス)を思い出したが、どれぐらい意識してるのかなあ。始まりは「九マイルは遠すぎる」を彷彿させる。収録作中最も本格味が強い作品といえるであろう。突拍子もなく真実が現れる様は爽快ですらある。
「机上の論理」
春と夏の兄妹二人に見せられた何枚かの写真。その写真に写っている部屋の持ち主を当てたら飲み食い代を奢るという。欲に駆られた二人は脳細胞を活性化させ、それぞれ違う結論を導き出した。が……?
二人の推理合戦は面白い。同じものを元に別の結果が出る所が最大の山場か。この作品は初出ではさほど栄えないが、この短編集にはいると輝きが増す。集中最大の異色作か。
「往復書簡」
叔父と姪の往復書簡。多佳雄の姪である渋谷孝子は、新米新聞記者。日常のあれこれを手紙に綴っていたが……? 多佳雄はしばらく手紙を送らない方が良いと返信をする。
書簡のみによる作品であるが、なんというか、技巧的と言う感じはしない。手紙のみと言う構成ならば、いつもなら折原一的な作風を想像しがちなんだけれどもなあ。そういう想像をしなかったのは、恩田陸という作家の資質のせいなのか
「魔術師」
多佳雄の友人であるやり手検事が定年を前に辞職。様々な噂が飛び交うが、実体は故郷に帰って先祖伝来の土地を耕すためと言うものであった。彼の元を訪ねた多佳雄は、友人から様々なうわさ話を聞く。学校の教室から消えた椅子、バスの事故、そして赤い犬にまつわるもの。
長編を縮めたものらしいが、結果としてこれで良かったと思う。すこし荒いところも見えるが、その荒さも気にならない。地方自治体という或る意味鵺(ぬえ)のような存在を扱っているが、その実体は現れない。朧気(おぼろげ)なものであろうか。