『夜宴』 『クロへの長い道』
『ボーン・コレクター』 『不思議の国のアリバイ』
『忌まわしい匣』 『白い館の惨劇』
『靴に棲む老婆』

夜宴 美少女代理探偵の殺人ファイル 愛川晶 幻冬舎ノベルス 1140円

 『堕天使殺人事件』(新世紀「謎」倶楽部/角川書店)で八面六臂の活躍をするも、真犯人の奸計に倒れた美人女子高生探偵根津愛。本作品は、彼女の初の長編ソロデビュー。短編では『創元推理』(東京創元社)に掲載された犯人当て「だって、冷え性なんだもん!」でも活躍。この短編は、アンソロジー『新世紀「謎」倶楽部』に収録されているが、初出の『創元推理14』及び『創元推理15』の方を読むのを勧めておく。内容に行くとしよう

 『堕天使殺人事件』の傷も癒え、宮城に帰る前に小さな事件を解決した根津愛。神戸も満喫し、平穏な日々に戻ったかに見えた。しかし、事件は彼女を休ませては暮れなかった。愛の父親の元部下である桐野は、掘り出し物の新車で事件現場に向かっていた。高速道路を通って行こうとするが、その道路は幽霊が出るという評判がたっていた。愛からの突然の電話でそのことを聞いた桐野は、妙な女性を高速道路の上で拾うことになった。危ないので乗せることにする。さあ移動再開と車を走らせていると、トラックが……。今までの人生が走馬燈のように走る桐野。しかし、死亡確実な事故だったはずなのに、桐野はかすり傷で済んでしまう。そして、女性は消えてしまった。数日後、桐野の車が落ちたという同じ場所から別の車が転落。事故現場に桐野が向かう。転落した車のドアを開け、中にいた人間を見ると扼殺されている。車という密室の中で、どうやって首を絞め、どうやて脱出したのか? 死者が起こした自動車事故。マスコミはゾンビ殺人事件という名称を付ける。

 ミステリの謎を構築し解体する際の方法論としては、大雑把に分けて現象からはいる方法と原理からはいる方法の二通りがあると思うが、世にあるミステリのうち、どちらの割合が多いか、というのは結構興味ありなところである。個人的には、原理から入った方が作るのは楽な気がするのであるが、概ね面白くないことが多い用に思える。解明で「おお!」という感慨を抱かずにむしろ「よくこんな原理を見つけてきたね」という意地悪な感想を持つことが少なくはない。無論、現象から入ったと思しき作品もあるんだろうけれども。しかし、以上の文章って何様なんだ?>自分
 翻ってこの作品は、謎の不可解さ加減、盛り上げ方、解明のバランスがよくとれているように思われる。作品の盛り上げ方のハイテンションさでは、『龍臥亭事件』(島田荘司/光文社文庫)、や『妖鳥 ハルピュイア』(山田正紀/幻冬舎文庫)に並ぶ。この二つは私の中でも読中感の凄さでは上位に位置される作品である。解決編が一部袋とじになっているところも読中のテンションを上げることに寄与していた。これだけテンションが高いと解明でがっかりさせられるんじゃないかという不安がよぎったが、どうしてどうして。結末までテンションの高いまま読み終えることが出来た。
 フェアプレーと言う面では読者には不利であるが、盤上の対決を一切意識せず、不可能さに翻弄されれば、十二分に楽しめるであろう。

 ところで、ミステリにおけるキャラクターというのは概ね男性が多く、ミステリにおけるいわゆる「キャラ萌え」というのは女性のパーセンテージが多いように思える。が、『念力密室!』の嗣子ちゃんを皮切りに男性の「キャラ萌え」読者が増えるんじゃないのかなと考えたことはあったが、(人気が出そうな)女性キャラクターの数が増えないので「予想はずれたのかなあ」なんて事を考えていた矢先に出た本が本書。根津愛というキャラクターは、恐らく、一気に人気が出るのでは無かろうか。本書に関して言えば、根津愛というキャラにはさほど頼ってはいないけれども。むしろ、怪しげなペダントリーと謎の不可解さに依拠している。

 美少女女子高生探偵の本格的なデビュー作。このシリーズの次回作が非常に楽しみである。

クロへの長い道 二階堂黎人 双葉社 1700円

 『アリバイのア』(双葉ノベルス)に続く、幼稚園児探偵渋柿の事件簿第二弾。幼稚園児の一人称なのであるが、孤高のハードボイルド探偵の語り口なのにみょーにガキ臭い(ていうかガキだから当たり前か)のが笑える。しかしまあ、どーでもいいつっこみであるがえっらいボキャブラリーが多いガキだこと(笑)。各編を紹介しよう。

「縞模様の宅急便」
『新世紀「謎」倶楽部』収録
「クロへの長い道」
 渋柿は、キリコちゃんのから家で飼っていた犬を探して欲しいという依頼を受ける。世話を怠っていたら捨てられてしまったらしい。黒々とした犬だったようである。捨てられた犬の代わりに、別の犬がキリコちゃんの家にはすでにいた。果たして、犬はどこにいるのか?
 後書きで相手が相手なので、血縁関係を複雑にずらすのをのやめたとかいていたがなんて事はない。犬だからなのであろうか。最初は、渋柿だからと思ったが(いや、それもあるか)。失踪人ならぬ失踪犬探しであるが、意外なところに犬がいて驚かされる。灯台もと暗し。
「カラスの鍵」
 クイズ番組に出演している渋柿を応援するために、テレビ局に来ていた渋柿一家。番組の優勝者は渋柿で、華々しく終わりさあ帰ろうという段階で、人が死んでいるのが発見される。刑事である渋柿の父親は現場を見て警察を呼ぼうとするが、とりあえず責任者を呼ぶことにした。読んだ責任者は今度は、番組で使う予定だったものが消えたという。
 理化学トリック。この作品はミステリ的なところよりはむしろ冒頭の渋柿の珍答及び、その珍答が正解になる過程が面白かったといったら作者に失礼かなあ。まあ、後書きで無理無理な不可能犯罪ものといってるから、失礼じゃないよね?
「八百屋の死に様」
 孤高の渋柿、今日も依頼をこなすのである。犬に引き続き、イグアナを探して欲しという依頼を受け、前金ならぬ前菓子をもらっているので一刻も早く見つけねばならないがなかなか見つからない。「カラスの鍵」の事件でテレビに出ていたことがきっかけで新たな友を得るが、彼らと遊ぼうとしたその場所で殺人事件が起きてしまう。犯行現場には誰も出入りしていないと言う。
 ミステリ的には一番面白い作品だったかも。チェスタトン的な作品であるが、トリックが成立する空間はこの渋柿もののみなのでは無かろうか。かなり強引なトリック処理であるが、その強引さがかえって面白味をます。

ボーン・コレクター ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 1845円

 「このミステリーがすごい!2000」(宝島社)の海外部門に置いて僅差で2位に輝いた作品である。その差4点だから、非常に惜しいと言えよう。ここ二、三年の間にこのジェフリー・ディーヴァーの作品はベストに入っていたので気にはなっていたのである。バスジャックを扱った作品もあるようなので、興味津々。この作品は映画化もされるようなので、それも楽しみである。内容に移ろう。

 被害者を次々と拉致し、次の被害者の手がかりを犯行現場に残す「ボーン・コレクター」。「ボーン・コレクター」の殺害及び傷害手口は様々で、スチームで茹で殺しにしたり、手錠をかまして教会に監禁して火をつけたり。その「ボーン・コレクター」捕縛のための捜査に参加することになった元鑑識官のリンカーン・ライム。彼は、鑑識活動中の事故によって全身不随の状態。自殺の衝動に駆られるものの、医師の拒否によって未だ死には至らず。そして、例外的に動かせるのは、左手の小指と首の上だけ。参加するのは頭脳のみである。ライムの手足となるように連れてこられたのは、現場保全のために空港行きの高速道路まで止めたアメリア・サックスという女性であった。リンカーンは、「ボーン・コレクター」の茹で殺しという第二の現場において、ライムはサックスに被害者の手首を切れという無茶な指示を出す。ライム対ボーン・コレクターの息詰まるような心理戦の行方は如何に。

 追うものと追われるもの。現実レベルはさておき、ミステリにおける犯人と捜査陣の関係というのは、ある種の鬼ごっこのようなものか。捕まえられるものならば捕まえてみろという。まあ、愉快犯などで現実レベルでも往々にしてあるようであるが。「ボーン・コレクター」は、次の被害者の監禁場所の手がかりを残して捜査陣を挑発するわけであるが、この点が(私が知る限りでは)新手であろうか。従来は隠そう隠そうとする手がかりを丹念にすくい取り、そして犯人を追いつめるというものなのであろうが、この作品においては犯人が証拠を残し、通常以上に犯人が優位に立つ。現実レベルにおいて、科学捜査VS犯人というのは科学捜査の発展によって犯人が不利というのは周知の事実であろうが、この作品では「ボーン・コレクター」自身が手がかりを残すという行為を取ることによって自らの優位性を際立たせている。

 「ボーン・コレクター」VSライムと言う構図もさることながら、この作品の眼目の一つは詳細に、丹念に書き込まれた鑑識捜査の実体であろう。前々からミステリにおいて鑑識がないがしろにされる傾向(鑑識官を主人公に据えた作品の作例がないこと)に少なからぬ疑問を覚えていたのであるが、少しその理由が解った。あまりにも強大すぎる、扱いづらい素材なのだ。しかし、ジェフリー・ディーヴァーは『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス/新潮文庫)の手法を取り入れることによって扱いづらい素材を易々と扱うことに成功した。「ユリイカ」のミステリー特集の対談で法月氏がすでに指摘しているが、このライムとサックスの関係は、『羊たちの沈黙』のレクター博士とクラリスの関係の裏返しなのである。非常に意地の悪い見方をすれば、この作品、『羊たちの沈黙』の詳細なコピーともとれなくはない。

 シリアルキラー系のサイコミステリの見所としてはサイコキラーの魅力、という点があるが、残念ながらこの作品に関してはさほど魅力を感じなかった。終幕の「ボーン・コレクター」とライムの直接対決シーンで本格的に姿を現すまではなんというか、ライムとサックスに食われてしまい精彩に欠ける気がする。まあ、ライムの造形が鮮烈すぎるからなんだろうけれども。
 「ボーン・コレクター」の正体に関しては、読者は十分に推理可能である。「ボーン・コレクター」が犯行を犯すたびに出てくる未詳823号のプロファイリングデータを見ていけば、うっすらとその正体は見えて来るであろう。まあ、この作品の眼目はフーダニット的なものではないので、フーダニット部分ががぬるくても致し方ないであろう。

 リーダビリティ、読中感の良さはなかなかのもの。「このミス」お墨付きの、1999年を代表する作品と言っていいであろう。

不思議の国のアリバイ 芦辺拓 青樹社 1500円

 どんな事件にも臨機応変に対応できる、ニュートラルな名探偵森江春策のシリーズの(99年12月現在)の最新作。誘拐、異世界、法廷、ときて今度はアリバイである。アリバイものは概ね苦手なのであるが、芦辺氏はどのような手腕でこの「アリバイ」という魔物を料理したのであろうか。興味津々で読んだ。内容に移る。

 物語は青蓮院(しょうれんいん)が殺されるところから幕を開ける。青蓮院が殺されたところで時間は巻き戻り、映画の制作現場へ。「大怪獣ザラス」の復活編を撮るべく映画スタッフはてんてこ舞いしていたが、ある日とんでもないことが起きる。役者、スタッフが皆引き抜かれてしまったのだ。主要スタッフ無しでどうなることかと思っていたが、光岡潤子の機転で事なきを得て、遠野聖磁を監督に据えて撮影は再開されて順調にスケジュールを消化していった。しかし、ここでもまたやっかいなことが待ち受けていた。業界内では乗っ取り屋として有名な青蓮院が映画製作を乗っ取ろうとしてきたのである。そういうかなり不安定なとき、スタッフの引き抜きに暗躍した熱川(あたがわ)が自宅で顔を焼かれた死体となって発見される。その重要参考人として、遠野は警察に拘留される。遠野の無実を信じる潤子は森江春策の所に赴くが……。そして、福岡で青蓮院の死体が発見される。

 芦辺氏初のアリバイもの長編、と思ってたら『歴史街道殺人事件』(徳間文庫)って確かアリバイものだったよなあ。まあ、そこら辺はおいておいて、この作品はタイトルからして『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル/河出文庫・他)を下敷きにしたアリバイものかな? と思ったが、どーも違うような気がする。『不思議の国のアリス』を読んでないので何とも言えないが(いうなよ)、『不思議の国のアリス』の世界と現実世界のアリバイがほとんど乖離してるような印象を受けるのである。前もどこかで書いた気がするが、『不思議の国のアリス』ってミステリ読み必読の教養書だなあ。と、話がずれた。引用こそはあるものの、『不思議の国のアリス』はアリバイ崩しにも内容にも密接に関わってない気がする。そこがこの作品の最大の瑕疵ではなかろうか。しかし、『不思議の国のアリス』と絡めて考えるから瑕疵になるのであって、「不思議の国」を映画界(というには作品に出てくる映画界は狭すぎるが)に置き換えればさほどタイトルと内容の乖離、ということにはならないであろう。

 アリバイの処理の方は結構興味深く読んだ。この作品のメインは鮎川哲也の有名(か?)短編のバリエーションの応用なのであろうが、処理の仕方は新手であろう。そして、顔のない死体との絡ませ方も興味深い。顔のない死体フェチ(笑)としては見逃せないところである。アリバイ崩しの常道(?)の地名のトリック。ここまで一致するとは……。途中で邪馬台国の場所について言及されてるが、もしかして邪馬台国畿内説の論者にとって、この地名の一致は常識なのであろうか? うーん。

 地味である森江春策に代わって、新島ともかが新たに加わり、作品に華を添える。別に所かまわず叫ぶ探偵とか、人の名前を覚えない奴とかがいいというわけではないが森江春策のように地味すぎるのはどうかと常日頃思ってたが、少しは解消になるのか? 『堕天使殺人事件』(新世紀「謎」倶楽部/角川書店)でも大活躍であった。今後の新島嬢の活躍に期待だ。しかし、私の最大の興味は、果たして森江俊作は彼女にきちっと給料を払えるか否かだったりして。

忌まわしい匣 牧野修 集英社 1900円

 日本ホラー小説大賞の長編部門を『スイート・リトル・ベイビー』で受賞し、勢いづいている牧野修のホラー短編集。表題作である「忌まわしい匣」で物語を挟み、本自体がまさに「匣」と化している。「匣」というのは、語る人間がでてくる「テレビ」であろう。しかし、このシーン、某有名映画のラストシーンを意識してるんだろうなあ。三つの表題作を挟み、本書はまさに「匣」と化す。
 しかし、この『忌まわしい匣』と言う本ほど各作品の感慨を述べるのに苦労した作品は近年なかなかない。それは、作品自体がつまらなくて言葉が見つから無いというわけではなく、私の力量が及ばないからと言うことなのであろうが。切ろうにも刃の切っ先をかわす、そんな作品ばかり。まあ、いつも切っ先をはずしてるだろうという影なる声が聞こえてくるけれども。この作品集はなかなかやっかいな代物である、といっても過言では無かろう。もっとも、そういうめんどくさいを事を考えずに読むことも十分に可能であるのだが。近いうちにこの『忌まわしい匣』の感想は書き直す可能性が高い。
 それはさておき、各編紹介しよう。

「おもひで女」
 記憶の中にのみ存在する女。その女は記憶を辿ると、至る所に存在した。父親の葬式、学生時代のコンパ、そして最近では飲み会の後に送った女性のタクシーの中。何故想い出の中にのみ存在するのか? その正体はなんなのであろうか。女はだんだん現実味を帯びてくる。
 実在しないけれども確かに存在する。そういう存在はかなり怖いに違いない。幽霊とは違う存在なんだが、なんというか、こういう存在を創造したところに牧野修という作家はすごいと思うが、如何なものか。ホラーにおける化け物は具現化しなくても十分怖いのだ。この記憶の中に存在する女は、「エルム街の悪夢」のフレディを意識してるのか?
「瞼の母」
 私の元に訪れた男は、何でも知っているらしい。そういえば、幼き頃に母は、私が悪いことをしたら霊が見ていると言ったことがあったっけ。男は言った。男の言葉で、私は昔のことを思いだしていく。
 うーん、なんだか「ブルータスよ、お前もか」((C)カエサル?)ってな気分。関西漫画カルテットの一翼らしいので、落とし方もむべなるかなと言うところだけれども。この作品、「おもひで女」の逆バージョンというのは考え過ぎか。
「B1公爵夫人」
 公爵夫人が誕生した。男はタカヒコに破壊しろとつぶやき続ける。破壊しろ破壊しろ……。そして、タカヒコは破壊を始める。
 救いが無いなあ。ホラーに救いを求めるのはナンセンスなのかもしれないけれども(友成純一の鬼畜ホラーとか(笑))、ちっとは救いがあってもいいんじゃないの? って、こんな事を言ってる私にはホラーを読む資格無し?(無いと言われても読み、語るけれども(笑))。もっとも、この作品にしても、以下の「グノーシス心中」にしても、救いの無いのが眼目なんだろうが。
「グノーシス心中」
 マスコミは深澤千秋をこう呼ぶであろう。怪物、と、深澤千秋はカグヤマとの出会いで変わった。否。目覚めた。己の中にあるなにかに。
 斬って切ってキリまくる。目の前をふさぐ奴は容赦しないぜ、というようなのり。上記の「B1公爵夫人」同様の、救いのないスプラッタ。先にもこの作品には救いがないとかいたが、実は、カグヤマにも深澤千秋にも救いはあったのかもしれない。
「シカバネ日記」
 死んだような人生を生きている男女が出会ったときに起きることとは?
 うーむ、なんと言っていいのであろうか? 淡々と話が進んで淡々と話が終わる。所詮、人生なんて死んでるものか?(意味不明)
「甘い血」
 国粋主義者の団体に入っている函崎は、アルバイト先をくびになった。イラン人のせいだ、と当たり散らしながら歩いていると、女が助けを求めてきた。首尾よく助け、女を部屋に連れ込む。女はベニと名乗った。
 気が滅入るような作品が続いていたので少しホッとした。無論、爽やかな話ではないが、ここまでの作品に比べるとまだましというか。いや、ここまでの作品が酷い作品というわけではなく、気が滅入る作品が多かっただけなのであるが。
「ワルツ」
 悪漢に襲われ、手足の腱を切られた挙げ句に強姦された結果彼女は四肢の自由を失い、男の子どもを宿す。彼女は幼い頃に大成し、奇行で知られるミュージシャンの家に囲われることになり、何不自由なく暮らしていたが、刺激に慣れきってしまう。
 初出で読んだ際はあまりインパクトを感じなかったが、今読み返してみると結構すごいことやってるんだなーと思ってしまった。この作品に限らないが、理屈が通用しないのである。うーん、上手く伝わらないなあ。なんと言えばいいんかいな。
「罪と罰の機械」
 <彼>は降り立った。罪にあふれる世界に、そして世界に罰を与えるために。そして<彼>は、罪人を見つけた。
 映画を見ているような、そんな感じ。<彼>の描写は、SFXを駆使した映画を彷彿させる。感情を持たないマシーンとなんでもないのに謝る少女の邂逅は哀愁を誘う、と思うのは私だけであろうか(だろうね)
「蜜月の法」
 或る日突然四肢の自由を失った娘。医者はどこにも以上は無いという。原因は精神的な物。刑事であった西垣は娘のために警備員に転職した。娘の「山へ行きたい」の言葉に従い山に行くと、そこで西垣らは奇妙なものどもに出会う。
 ファンタスティックな一編、と初読時に思ったがどうかなあ。確かにファンタスティックな部分はあるが、それだけじゃないような気がする。うう、なんと言っていいか、言葉がでない。ラストシーンは「かぐや姫」のラストを思い起こさせる。
「翁戦記」
 昔々のこと。尾野禍津霊(オノマガツチ)を封印した三人の傑人は、尾野禍津霊を封印した際に尾野禍津霊が言った「また復活する」の言葉に対して子孫がまた封印するであろうと言った。そして時は流れて現在。三人の傑物の子孫は確かに存在したが、一人が病死。それと時期を接して尾野禍津霊が復活を遂げる。
 いきなりファンタジーっぽくなる。『王の眠る丘』というファンタジー作品がある故にさほそ驚かされると言うことはなかったが、この作品ファンタジーと言うよりはむしろなんと言うんだろう。ファンタジーというにはすこーし違う気がしないではない。じゃあなんやねんと言われても困るけれども。
「<非−知>工場」
 パソコン通信で「波動」について議論を戦わせていた毛利であったが、或る日驚くべきメールが届く。議論をしていたのは別の人間だった、と。驚いた毛利は確認したが、果たしてそのメールの言っていることは正しかった。そして、毛利は奇妙な工場に迷い込む。そこは、<非−知>工場と呼ばれるところであった。
 「世の中には不思議なことは何もない」と京極堂は言うけれども、世の中は不思議だらけ、異様なことだらけとこの作品は否定する。なんて事はどーでもいいのであるが(じゃあ書くなよ)、結局超常現象なんて客観的なことでは現されず、主観的なものなのかもしれないと言うことなのか?
「電波大戦」
 前世を知る女、SF雑誌の編集長に奇妙な手紙を書く男。彼らに共通するのは、奇妙な電波を受け取ることが出来るところだった。
 なーんかあらすじを書きにくい、作品。というか、上記のあらすじはもしかしたら間違ってたりして(笑)。一昔前にどこかの雑誌で流行ったという終末思想、つまり遠い過去に仲間だった人よ集えみたいなのをモチーフにしてるような。結末は少し理解できてない気もしないではない。
「我ハ一塊ノ肉塊ナリ」  連絡が途絶えた惑星に出張に行かされた男は、上司の悪意を感じた。その惑星には、亜種、すなわち、科学が生み出した人間のクローンのようなものが沢山居た。そこで彼は、残っている亜種から面白い話を聞く……。
 救いようのないSFとでもいうべきか。亜種というのはクローンを模したものなのであろうが、なんというか。少し前にクローン羊のドリーが話題になったが、この作品の骨子となるアイデアの一つは恐らく、いや確実に、クローン羊がきっかけで生まれたのでは無かろうか。

白い館の惨劇 倉阪鬼一郎 幻冬舎 1600円

 本格ミステリと本格ホラーの異種配合(ハイブリッド)を目指したという作品である。タイトルからはコード多用型の館ミステリを想像しがちであるが、実際は想像したものとは或る意味いい形で裏切られた。なお、この作品はシリーズ第一作らしく、今後色を備えた館で起きる惨劇を四部作で書いていくらしく、館ミステリ(あるいは館ホラー)を好むものにはたまらない連作と言うことになるであろう。ちなみに、この作品はミステリよりはむしろホラーの要素が多いように思われるが……。とりあえず、内容に移ろう

 探偵は白い館の前に佇(たたず)んでいた。彼は何も思い出せなかった。己が何故この館の前にいるのかさえも。とりあえず館の中にはいると、執事が彼を出迎える。そこで彼は己の名前を知る。彼の名は御影原映一。日本で唯一捜査権を持つ名探偵らしい。彼は館の中で起きた殺人事件を解決に導くために招聘(しょうへい)されたようである。ぼろを出さずに館内の事件の捜査に携わる御影原。その事件は、異様な事件であった。密室の中の死体にダイイング・メッセージ。残されたメッセージはEM。果たして御影原は記憶を取り戻せるのか? そして事件は?
 という内容の「白い館の惨劇」。ゴーストハンターと黒川は吸血鬼であるが、ふとしたことから「白い館の惨劇」という短編の作者が起こしたとされる事件に首を突っ込むことになる。「白い館の惨劇」で大阪圭吉賞を受賞した亜麻崎智英が妻を殺害し、御影原という地元の名士の家に運び込み死体を損壊した事件だ。その事件に現代の吸血鬼のポリシーはぬるいと考える吸血鬼原理主義者が噛んでいないかという事の調査が二人に与えられた使命であった。

 第一部は作中作であるが、この「白い館の惨劇」は結構面白い。従来の館ミステリの定石っぽい作りで楽しませてくれる。作中作における「館トリック」の突拍子の無さもなかなかのもの。ミステリ作家ならば恐らくはこのネタで一本長編を書いてしまうのではなかろうか、と思えるぐらいのものである――最も、このバカトリック(無論誉め言葉だ)に息吹を吹き込むにはかなりの技巧が要求されるが。このトリックの扱い方を見て、つくづく倉阪鬼一郎と言う作家は(狭義の)ミステリ作家ではないんだなあ、と思ってしまった。先にミステリよりはホラーの割合が多いように思えると述べたが、「第一部 「白い館の惨劇」」を読んだ限りではホラーと言うよりはむしろ、ばりばりの本格ミステリとしか見えない。しかし、それは「第二部 再び白い館の惨劇」にいくと「をや?」と思わせられる。一気にホラーに行くと言うよりはなんと言えばいいのであろうか。この作品における「ホラー部分」というのは、雰囲気のことか? 無論、ホラーの意匠出てくるけれども。とりあえず第一部が作中作であることが判明し、『赤い額縁』のようなメタ作品の様相を示す。しかし、メタさ加減については『赤い額縁』まで徹底していない。むしろ、執拗に繰り返されるアナグラムに若干淫している。

 しかし、ホラーとミステリのハイブリッドを目指した作品ということであるが、混ざりきっていない気がする。言うなれば、ドレッシングの油とそれ以外の部分が振られることで一応混ざってる、と言うような感じがするのである。ミステリとホラーがガッチリと手を組み、ホラーの小道具(ガジェット)が謎解きに奉仕し、ミステリのガジェットが恐怖の喚起、もしくはホラーの雰囲気作りに奉仕するというのが私が思い描くホラーとミステリのハイブリッドであるが、その考えが違っているのであろうか? このホラーとミステリのハイブリッドに関しては一考どころか二考、三考の余地があるので何とも言えないんだけれども。だが、そういう事を考えなければこの作品は十二分に楽しめる作品であることは間違いない。

 色の館シリーズの第二弾である『青い館の妄想』が楽しみである。

靴に棲む老婆(旧題:生者と死者と) エラリー・クイーン 創元推理文庫 680円

 国名シリーズ以外の代表作として『途中の家』(創元推理文庫)と共に挙げられることがある作品である。解説に寄れば、Ellery Queen Fan Clubのクイーンベストでは10位だったという。『九尾の猫』(ハヤカワミステリ文庫)や『チャイナ橙の謎』(創元推理文庫)を抑えてののことである。
 この珍妙なタイトルは、マザーグースの唄から取られているらしい。マザーグースミステリといえば、クリスティの『そして誰も居なくなった』(ハヤカワミステリ文庫)や、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』(創元推理文庫)などがあり、国内では山口雅也氏がキッド・ピストルズのシリーズで孤軍奮闘中。が、この作品のマザーグースの扱いは見立て殺人のガジェットではなく、物語の雰囲気を高めるもの、つまり、キッド・ピストルズのシリーズのような使い方といえるであろう。内容に移る。

 米国の靴の代名詞とまで言われるポッツ靴の一族が住む《靴の家》で決闘騒ぎが巻き起こる。理由はもう些細なことであるが、決闘を申し込んだサーロウ・ポッツには些細どころではない重要なことらしい。街からピストルを14丁も仕入れ、決闘の準備は整ってしまった。行きがかり上立会人に選ばれたエラリーは一計を案じる。決闘に使われるであろう銃の弾を空砲にしてしまえばいいと思いついたのだ。思い立ったが吉日とばかりに早速玉は入れ替えられた。そして決闘当日。空砲が発射されるはずだったのであるが、銃には空包ではなく、実弾が入っていたのである。と言うことは、実弾を入れた人間が《靴の家》の中には存在することになり、それが真の殺人犯と言うことになる。早速エラリーたちの捜査が始まるが、また一人、ポッツ家の人間が殺され、そして《靴の家》の主であるコーネリア・ポッツが自分が「真犯人」だという遺書を残して死去。錯綜した状況に、エラリーはロジックのエクスカリバーをたたき込むことが出来るのか?

 二転三転腸捻転するような終幕は、読んでてなかなか気持ちがよい。国名シリーズには今一歩及ばないものの、ロジックの切れ味と言う意味では生半可な作品は太刀打ちできないと思う。ところで、この作品の終幕の解決編のシチュエーション、高木彬光の『人形はなぜ殺される』(光文社文庫)の解決編のシチュエーションを思い起こさせるのであるが、考え過ぎか。『靴に棲む老婆』と『人形はなぜ殺される』といった正反対の作風である作品がこの一点によってつながるというのは面白い。もしかしたら、高木彬光は原書でこの作品を読んでいたのかもしれない。
 話がずれたが、マザーグースというガジェットを用いたためと言うわけではないのであろうが、少しもの足らない。例えば『オランダ靴の謎』は不可能状況こそあれ、雰囲気と言う意味ではもの足らないが、それ故にロジックの切れ味、精緻さが際立ち読むものにロジックによる旋律が与える戦慄を体感させてくれる。マザーグースが逆に事件の陰惨さを際立たせることがあるが、この作品はマザーグースが緩衝材の働きをし、どちらかというとほんわかとした雰囲気を醸し出す。そこが私にはもの足らなく感じさせる一因なのかもしれない。「雰囲気」というのを考えなければ、ロジックの切れ味も申し分ない作品なのだから。

 この作品は改題されて『靴に棲む老婆』となってるが、内容を考えると元々の題の『生者と死者と』の方も悪くないと思う。が、読者を引きつけるタイトルは『靴に棲む老婆』の方に軍配が上がるかな。

 国名シリーズとは違った趣がある作品である。


Mystery Library別館入り口
玄関