若竹七海のパニックサスペンス長編。若竹七海氏の作品は、(私の中では)長編の印象は短編ほどは良くはなく、従ってこの作品も(失礼な話であるが)全くと言っていいほど期待はしてなかった。『密室は眠れないパズル 氷川透 原書房 1600円海神 の晩餐』(講談社文庫)や『閉ざされた夏』(同)の印象がいまいちだったせいであろう。いや、二つとも酷い作品であるという事ではない。単に琴線に触れなかっただけだ。長編では『遺品』(角川ホラー文庫)は、割と気に入ったのだが……。『心の中の冷たい何か』(東京創元社)もそれなりに。ということは、『海神の晩餐』と『閉ざされた夏』の印象がよろしくなかったのか(苦笑)。(
で、この作品に翻ると意表を突かれたと言っていいであろう。思った以上に面白かったのだ。グランドホテル型式という小説の技法があるが(その技法の近年の典型例が『グランドホテル』(井上雅彦監修/廣済堂文庫)である、というのは異論はないであろう……というか、監修者自身が明記してたか)、この作品はまさにそれ。様々な人間が集うリゾートマンションが大型台風によって孤立する。そして、そのマンション内の出来事が各登場人物の視点で語られる。映画研究会の合宿で訪れた学生たち、不倫のカップル、甥と叔父、聾唖の少女、喧嘩をして家を飛び出した妻、不倫のカップルの調査をしに来た探偵、管理人……。それぞれ何かを抱え、一癖も二癖もある人物ばかりである。
癖のある登場人物が揃ったところでマンションの状況を説明すると、手抜き工事の為にマンションのがたいはボロボロ。管理人はかなりずさんな人間。殺人犯が警官を殺して逃走というラジオニュースが流れる中、台風は近づき、風は酷くなる一方。台風まっただ中、と言うときになり、何者かの死体がマンションの一室から発見される。死体の身元は不明。その死体を発見したのは管理人であるが――死体を発見した弾みかどうかは解らないが――ぷっつんしてしまい、おかしくなる。ぷっつんした管理人が生み出す恐怖に加え、火事も起きるが工事がずさんだった故にえらい状況に。果たして生きて帰れるのであろうか?この作品は長編と言うよりも、場面場面を細切れに提示する故に、短編を積み重ねた作品という感じもする。それ故であろうか? 若竹七海と言う作家の持ち味が最大限に発揮されてる気がするのだ。若竹七海というと、『ぼくのミステリな日常』(創元推理文庫)のインパクトもあると思うが、基本的に短編作家という印象が私にはある(それは、全著作の中で短編集が占める割合が少なくはない点からも頷けるであろう)。短編には『船上にて』(立風書房)に収録された「手紙嫌い」のように傑作も存在するし、連作短編と言う観点から『スクランブル』(集英社文庫)という作品も評価に値するであろう。……脱線多いな。
若竹七海の短編は、底意地の悪さで定評があるが(繋がった、かな?)、この作品に流れる底意地の悪さ(作者の作中人物に注がれる悪意≠ニ言い換えても良い)は短編作品における底意地の悪さに匹敵するであろう。終幕で明かされる或る趣向は(解説ではギミックと言っている)、全くと言っていいほど救いようがない。言うまでもないが、伏線はばっちりと、あまりにもあからさまな形で提示されている。地震雷火事親父、というのは昔の人が恐れたものの四傑であるが、この作品の発送1の根幹というのはこの言葉ではなかろうかと想像したりもする。地震は天災といういことで台風に置き換えられるし、火事はそのままあるし、親父は切れた管理人と置き換えても良いし(かなり強引だな)、雷は……ないか(笑)。
本書は、若竹七海の意外な一面を見せられた作品であった。
第八回鮎川哲也賞はかなり豊作だったようである。受賞作『未明の悪夢』(東京創元社)の谺健二、候補作からデビューしたのが『3000年の密室』(原書房)の柄刀一、『名探偵に薔薇を』(創元推理文庫)の城平京、そして本書の氷川透。この作品は第八回鮎川哲也賞の候補作『今夜は眠れないパズル』を改題加筆訂正したものである。選評でかなりけちょんけちょんにやれらてたことが印象深い。島田荘司の推挽でようやく日の眼を視た、ということか。デビュー作は第十五回メフィスト賞を受賞した『真っ暗な夜明け』(講談社ノベルス)。『真っ暗な夜明け』の初期段階における容疑者限定の方法が異様につぼにはまったので、この作品もかなり期待していた。その期待に応えてくれたかというと……。「Y」の悲劇 有栖川有栖他 講談社文庫 533円推理作家志望の氷川透は、デビュー作の打ち合わせをするために東都出版ビルを訪れ、編集者の小宮山と侃々諤々の打ち合わせをしていた。ひとまず休憩とばかりに酒盛りを始めた二人であったが、そこにバイトの上野と営業部長の岡本が順にあらわれる。上野は酒宴に加わり、岡本は加わらずに去った。宴もたけなわと言うときに、悲鳴が聞こえる。悲鳴を聞きつけ、駆けつけるとそこには倒れた岡本が。彼は「常務に、いきなり刺された」という言葉を残し息絶える。そして、問題の常務も視察死体で発見される。第二の殺人鬼が!? 外に脱出しようとすると、外に出られないような仕掛けが施されていたことが判明する。電話も、携帯電話も不通。閉じこめられた人間は八人。八人の中に犯人が?
この作品は出版社のビルを嵐の山荘に仕立てたという所は面白いと思うが、初期段階の容疑者限定の手法は『真っ暗な夜明け』に一歩引けを取る(というか、そもそも比べること自体がナンセンス?)。初期段階の限定方法こそ引けを取ったが、犯人を絞るロジックに関しては本書に軍配が上がるであろう。隅から隅まで考え抜かれたそのロジックには感服する。が、感服はするものの、そのロジックが美しいかという観点で視ると少しきつい。この作品の主眼は、密室でもアリバイでもなくロジックによるフーダニット。それ故に、ロジックの美しさという所――ロジックによるマジック――に目がいくが、ロジックで全てを証明はしてくれるものの今一つ。
ロジックの美しさはさておき、ロジックによって幾度か回転する「真相」には素直に感服させられた。これは邪推であるが、この作品、鮎川哲也賞応募時点と「真相」が全く変わってしまってるのではなかろうか? 「ダミー」の「真相」の時点で応募されたと思うが、如何なものか。「ダミー」が「真相」だったならばあの選評もうなずける部分が多々あるのであるが……。この(良い意味悪い意味両方の意味で)色物が氾濫する現代ミステリに、ロジックという武器を片手に挑戦状を叩きつけるという感じがこの作品からも『真っ暗な夜明け』からも伺えるのであるが、作者の真意はどうなんだろう? やっぱりロジックを中心に据えた作品を書き続けようという所にあるのか? 有栖川氏が江神ものを上梓してない(2000年7月)現在、この氷川透という作家は貴重な存在である。有栖川氏の『双頭の悪魔』(創元推理文庫)を越える作品でないと世に問う意味が無いという意見もあるだろうが(残ながらこの作品も『真っ暗な夜明け』も『双頭の悪魔』には迫っていない)、ロジックを主眼においた作品が読めることは読者としては嬉しいことである。
ところで、この作品の本筋と全くと言っていいほど関係ないところで驚いたところ、にやっとしたところをいくつか。まずは前者であるが、《第三の波》の作家のことが作中で言及されてる点。クイーンやクリスティなどが言及されてるのは何作も読んでるのでさほどないが、《第三の波》の作家が小説中で言及されるのって竹本健治のウロボロス連作(共に講談社ノベルス)以外では皆無のような。で、後者。東都出版って昔あった東都書房を意識してつけた名前なのかな? ということ。……どっちも本筋に全く関係ないか(笑)。
このアンソロジー名からエラリー・クイーンの名作『Yの悲劇』(創元推理文庫他)へのオマージュに満ちた作品を想像したが、その想像は裏切られた。クイーンの『Yの悲劇』をモチーフにしたアンソロジーと言うわけではなく、作中に出てくるダイイングメッセージが「Y」なのだ。クイーンはダイイングメッセージに拘ったというエピソードがあるから、本書がクイーンに捧げるアンソロジーであるいってもあながち間違いではない。でも、半分詐欺だよな(笑)。また、執筆陣では有栖川、法月両氏はクイーンクイーンと言ってるので納得できるが、篠田二階堂両氏はクイーンクイーン言ってるわけではないので、どういう経緯で執筆することになったのか気になるところ。なお、四編の中で一番のお気に入りは「イコールYの悲劇」。各編の感想を述べる。依頼人は死んだ 若竹七海 文藝春秋 1800円「あるYの悲劇」(有栖川有栖)
ロックバンド「ユメノ・ドグラ・マグロ」のメンバーの一人が何者かによって撲殺される。被害者は壁にYという文字を書き残していた。
冒頭の某大学ミス研のアンケートのアレって、以前の某大学ミス研の質問会での事前Q&Aが念頭にあったのか? いや、鮎川哲也のベスト5(長編短編それぞれ)とか印象に残ったアリバイトリックとか質問に混ぜたんだけれどもね。――関係有りません。なお、このアンケートもあながち関係ないエピソードというわけではない。
肝心の味噌のダイイングメッセージであるが、知識がないと解けそうもないのが減点、かも。
「ダイイングメッセージ《Y》」(篠田真由美)
高校生時代の思い出。思い出の中で、あの出来事は……。
『Yの悲劇』のガジェットをちりばめた作品。『Yの悲劇』が好きな人ならば、この作品は結構気に入るかも知れない。あと、この作品の少年と建築探偵シリーズとの関連性はどのようなものがあるのであろうか? 作中建築をやってる知り合いが居るという記述があるから無関係とは思えないのであるが……
「「Y」の悲劇――「Y」がふえる」(二階堂黎人)
核シェルターの中の密室殺人。残されたメッセージは「Y」。
メタミステリ。トリックはなんか、アホ過ぎというか、あまり感服できない。『奇跡島の不思議』(角川書店)に登場したメンバーが登場人物となるが、なんというか。ダイイングメッセージの意味は四作品中最も人を喰ったものであるが、もー少しまじめに書いてくれなかったのかなあ……。メタミステリ仕立てにする意味は有ることはあるが……むう。
「イコールYの悲劇」(法月綸太郎)
殺人現場に残されたメッセージ。そのメッセージは「=Y」。被害者はどのような意図でこのメッセージを残したのか? 容疑者には皆アリバイがあった。手詰まりになった法月警視は綸太郎の知恵を拝借することにする。
ダイイングメッセージの解釈は集中一番きれいな作品と言えるかも知れない。眼から鱗だった、かも。この作品、『法月綸太郎の新冒険』(講談社ノベルス)収録の「リターン・ザ・ギフト」の裏返し的な真相と思うのは私だけであろうか。クイーン的な作品ながら、クイーンには絶対書けないであろう所にこの作品の良さを感じる。
『プレゼント』(中公文庫)に出てくる葉村晶が出てくる短編9編を収録。小林刑事は出てこないは、容赦のないプータロー私立探偵葉村の活躍を読むことが出来る。集中のお気に入りは「詩人の死」、「たぶん、暑かったから」、「女探偵の夏休み」、「都合のいい地獄」の四編。いずれも、最後に明かされるものは救いようのないものと言っても言い。桜さがし 柴田よしき 集英社 1700円
若竹七海の作品を全部読んだわけではないので何とも言えないのであるが、この作家、余りにも登場人物に対する愛情と言うのが感じられない。『火天風神』(新潮文庫)然り、『船上にて』(立風書房)に収録された「手紙嫌い」然り。登場人物に愛情があったらとてもじゃないが出来ないことばかりだ(そこが若竹七海という作家の強みでもあるのであるが)。若竹七海を論じるとしたら、登場人物への眼差しと言うのが重要な論点となるに違いない。
というわけで各作品の感想を書いてみた。「濃紺の悪魔」
葉村晶復帰後一個目の仕事は身辺警護。日当三万という破格の仕事、のはずだったが三万円では割に合わないぐらい次々と事が起きる。依頼人に何か秘密があるのに違いない。葉村晶はそう踏むが……。
どっちの言い分が正しいか、果たして妄想なのか否か。最期に現れた濃紺色の痣を持つ男と葉村晶の邂逅は、以降の波乱さを予感される。もしや、本書は葉村晶VS濃紺の悪魔の対決もの?
「詩人の死」
友人の婚約者が事故死した。その事故は自殺ではないかとも疑いがもたれていたが、葉村晶は関係者に会いに行く。
対決ものか? と半ば意気込んだが(何故意気込む?)それはすかされた感じ。すかされはしたが、この作品の最期に待ち受ける言い様のない暗さは何? 掌の上で遊ばれてたって事か。善意の悪意というもの(有り体に言えばありがた迷惑?)を考えざるを得ないかも。
「たぶん、暑かったから」
母親の友人の娘が人一人刺した事件が起きる。母親の友人は、娘がどうして犯行に及んだのかを調べて欲しいと言う以来を葉村晶に持ちかけた。断りきれずに調査を行う羽目になる。事件の動機は?
う゛わ゛ーっと叫びたくなる結末。人間というのはここまでやけくそになれるものなのか? やけくそになったと断じてしまうのもアレだが、なんとも、なあ。
「鉄格子の女」
講義の単位を取るために著作リストを作らねばならないが、その行為は莫大な時間がかかると読んだ榊浩二の依頼で調べものをしたが、その対象に多大なる興味を覚える。対象は画家だった人間であるが、或る作品には良いようもない鬼気迫るものがあった。
これを人間の悪意ととるか、それとも芸術に全てを捧げる芸術家の業ととるか。どっちにしろ、この作品の結末にある言いしれぬ戦慄は晴れることはない。はうう、どーして若竹七海は、ここまで人間の業を描くのが巧いのだ?
「アヴェ・マリア」
一年前の殺人事件。その事件にはマリア像の紛失が絡んでいた。葉村晶に代わり、麻生が奇妙な依頼の調査にあたる。事件の日のマリア像の行方を調べて欲しいという依頼の。
哀しい。ただ、ひたすら哀しい。この作品、ともすれば長編に使えなくもないと思うが、そう考えると勿体ない気も。この作品は悪意はなく、据えられてるのは哀しみ。悪意に定評がある若竹七海にしては珍しいかも知れない。
「依頼人は死んだ」
友人のパーティで知り合った人間に見せられた一通の封書。それは、彼女が癌であると告げるものであったが、その封書自体が偽物であると葉村晶は看破する。その「依頼人」は、その後自殺を遂げるがその自殺に疑いが。
表題作である。依頼人と葉村との出会い方、意外な犯人の出し方。なるほど、表題作にもってくるだけあってなかなかのものである。
「女探偵の夏休み」
ルームメイト持ちでヴァカンスを楽しむ葉村晶であったが、彼女は何か釈然としないものを感じていた。あまりにも旨すぎる話なのだ。妙な依頼を押しつけられないかと危ぶんでいたが……。
初出で一回読んでいるが、場に漂う異様な、否、奇妙な雰囲気の正体はなんなのであろうか? その磁場を生み出した原因が最終的に読者の前に姿を現すのであるが、居心地の悪さと言ったら……。
「わたしの調査に手加減はない」
みのりの母親の友人の依頼。彼女は、死んだ友人の幽霊が夢枕に立つという。どうしてそのように夢枕に立つか調べて欲しいという依頼だ。葉村は一旦断るが、結局受ける事になる。
真実を知ることは必ずしも幸福とは限らない、って言うことか?
「都合のいい地獄」
首に痣のある男再び。葉村晶は男を捕まえることが出来るのであろうか? 男は葉村にゆかりのある人間をその毒牙にかけようとするが? 二人の因縁の行方はどこに。
葉村晶と痣の男の因縁(?)の決着。この最終話は書き下ろしで、幾つかの作品が繋がるわけであるが、少々不満がないこともない。というのも、最初の「濃紺の悪魔」とこの作品のラストで痣の男に矛盾が……。もしかして、最初の予定とは違ったものなのかなあ。それとも、本にまとまる段階で即興で考えたとか……。謎だ。
「小説すばる」(集英社)に不定期掲載された7編に書き下ろし一編を加えたもの。舞台は京都の西側が主。和時計の館の殺人 芦辺拓 カッパノベルス 819円
柴田よしきは『RIKO−女神 の永遠−』(角川文庫)における性愛描写や、『炎都』(徳間ノベルス)などに見られる骨太な構成力、ホラーもこなす多彩な作風などが定評があるが、この作品集では、微妙な心理を描くことに腐心している。しかも、謎解きは主ではない。中心にあるのは、4人の男女の交流。『RIKO−女神の永遠−』のようなハードな性愛描写は一切皆無(というより、ハードな性愛描写があるのはは( 緑子 シリーズのみか。ハードとはいっても、通常のミステリの枠内ではの程度だが)。ただひたすら心の動きを追っている。(
歌やんこと成瀬歌義、陽介こと安枝陽介、あや助こと田津波綾、まり恵こと大河原まり恵、そして四人の恩師浅間寺竜之介。この五人が中心となる登場人物である。第1話である「一夜だけ」では中学の新聞部のメンバーが大人になって恩師の家に集う。その途中に出会った女性とその夫らしき人物とふとした縁から浅間寺の家で一夜を共にするが、二人は心中死体で発見され、あまつさえ不倫関係だった。残った写真から浅間寺は情死ではなく殺人だと見抜く。続く「桜さがし」では、想い出の桜が迷宮入り寸前の事件を解決に導く。ここまでで歌やんとまり恵の関係は、一旦壊れてしまうものの上手く修復される。
「夏の鬼」では、綾に焦点が置かれる。一旦大学を中退し獣医への道を歩み始め、わりと順調に道を進んでいた。彼女は中学時代からの陽介への思いを断ち切ろうとしていたが、その彼女の前に一人の男性が現れる。彼とは結局遠く離れてしまうが、最後には新たな予感で締められる。なお、「夏の鬼」では教授が夜に見た鬼の正体は? と言うところにミステリ的焦点はあるが、やはり従。
「片想いの猫」では陽介に焦点が当てられる。陽介は大学生の時別れた女性と不倫関係にあり、その関係を清算するか否かという所にさしかかっていた。そんなとき歌やんのバイト先の法律事務所で扱っている事件の話を聞き、自分が或る事件のアリバイを立証できることに気がつく。しかし、それは自らの不倫関係を暴き出すことでもあった。「梅香の記憶」では、偶然見かけた女性が有名なモデルで、浅間寺の恋人かも知れない、でも、彼女は既に結婚が決まっていた。そこで、まり恵が一肌脱いでいこうとするが……。それは勘違いで、そのモデルは自分らと同じ浅間寺の教え子だった。彼女は自分の母親が殺されたときにあった花を見たいという。しかし、それは悲劇を生み出す。「飛べない鳥」では、ペンギンが空を飛んだという証言から覆された事件が原因で裁判をひっくり返された男が弁護士を憎むという話(かなり乱暴なまとめ方だ)。或る意味、集中もっともミステリらしいかも知れない。
「思い出の時効」では、今度はまり恵の方から歌やんと別れると言い出す。司法試験合格間近の彼を見て、ふらふらしてる自分に愛想が尽きたのである。最終話「金色の花びら」では四人の関係がどうなるか、浅間寺の思い人にかかった容疑が晴れるかに焦点が当てられる。この作品(あえて作品集、もしくは短編集とは言わない)はミステリ2割、恋愛8割で構成されるが、ミステリの要素は恋愛の要素を引き立たせる訳ではない。無論、「片想いの猫」のように恋愛の所の密接に関わってくる作品もある。が、ミステリとしては明らかに食い足らない。ミステリと恋愛といって真っ先に思い浮かぶのは『戻り川心中』(連城三紀彦/ハルキ文庫)であるが、もしこの作品が恋愛とミステリの融合を目指したものだとしたら、その点は失敗していると言わざるを得ないと想う。ミステリの面が余りにも弱すぎるのだ。ミステリの面は恋愛の面を際立たせる触媒と言っていい。
が、私はこの作品を普通の恋愛小説として堪能した(先に恋愛とミステリの融合云々の話をしたのは、単にミステリ的なところもなきにしもあらずだったからだ)。よくご当地ものというのがあるが、この作品はご当地ものとしての完成度はなかなかのレベルを維持しているのではなかろうか。京都というと魔都と言う側面と山村美沙の諸作におけるご当地ミステリ(ドラマの印象しかないけれど)が思い浮かぶがそれらとは完全に一線を画する。恋愛を通して京都を描く。もしかしたら、恋愛小説にもご当地ものがあるかも知れないが(いや、確実に存在するだろう)、私にはかなり新鮮だった。京都の風景と、移りゆく男女の感情のコントラスト。無論、恋愛小説読みから見れば大甘な所があると思うけれども。
この作品は、ミステリとして読まない方がより楽しめるだろう(作者自身には不本意かも知れないけれども)・
近年快進撃を続ける芦辺氏の森江春策シリーズカッパノベルス初登場作品。今年(2000年)に出た『怪人対名探偵』(講談社ノベルス)が乱歩へのオマージュだったのに対し、この作品は横溝正史。しかし、冗談抜きにして世紀末の今年、横溝正史を意識したと思しき作品が多い。この作品も例外ではないようだ。やはり、世紀末は横溝が流行りなのか?MOUSE 牧野修 早川文庫JA 絶版懇意にしている弁護士九鬼麟一弁護士の代理人として、森江春策は愛知県のとある場所に赴いた。先日死去した天知圭次郎の遺言書を開封し読み上げるためである。慣れない交通機関を乗り継ぎ、たどり着いた場所は、時計の館。そこで、天知圭次郎の遺品である時計の管理を任されている千夏香子に時計についての講義を受ける。時計が伝統工芸の一つであるという事を実感した森江春策は、遺言状を読み上げる。その内容は、その内容故に一族間で血で血を洗うような惨劇が起きるようなものではなかった。公平な遺産配分だったのだ。シチュエーションがシチュエーションなだけに、惨劇の予感におびえていた森江春策は胸をなで下ろして帰ろうとしたが、タイミング悪く帰れなくなってしまう。好意で和時計の館の離れに泊めてもらうが、その日惨劇の幕が上がった。果たして森江春策は犯人を見つけだすことが出来るのか?
推薦の言葉で二階堂黎人氏が横溝正史の名作『犬神家の一族』(横溝正史/角川文庫)を引き合いに出してるが、この作品の始まりは、まさに『犬神家の一族』と言っても良いかも知れない。先に横溝正史へのオマージュと述べたが、他にもバスに同乗する包帯男(これは、『本陣殺人事件』や『幽霊男』(共に角川文庫)を意識してるのであろう)、探偵」遠くから目撃する殺人事件(タイトルは忘れたが、中編にそう言うシチュエーションの作品があったはずだ)、登場人物の過去を探る名探偵(良く出てくるシーン)、そして謎解きシーンにおける森江春策の扮装。この扮装は、芦辺氏の「この作品は横溝正史へのオマージュなんだ!」という主張に思える。この辺り、やり過ぎじゃないのかなあ(笑)と思わなくもないが。しかし、ここまでやるので有れば、最後に真犯人を自殺させて欲しいところだ(笑)(横溝正史の作品ではよく犯人が自殺する。は、まさか「金田一少年の事件簿」(講談社)で真犯人がよく自殺するのは横溝作品を意識してるのか?)。さすがにそこまではやらなかったようだが。少々残念。
ところで、タイトルが『和時計の館の殺人』となってるが、「和時計館」ではなく「和時計の館」となっているのは、綾辻氏の『時計館の殺人』(講談社文庫)に遠慮したからなのか? 何となく、タイトルはそっくり。間違って買う人がいるかも(いねえよ)。しかし、どちらも時計と時間が重要なキーになっているところが興味深い。が、単純に比較した場合『和時計の館の殺人』の方が分が悪い。重厚さと言う面もさておき、『時計館の殺人』にはクライマックスの見せ場のシーンのインパクトがもの凄いのに対し、この作品には『時計館の殺人』に匹敵するインパクトがないのだ。
あとがきで作者は「多くの読者の皆さんが共通に抱いておられるだろう探偵小説の原風景に分け入ってもらうことにしました」と述べているが、もしかしたら、探偵小説=横溝正史の金田一耕助ものなのであろうか? そういえば、横溝正史は最後の探偵小説作家と言われたことがあるようだが。この原風景の再現と言う意味では、この作品、あまり成功していないように思える。どちらかというと、『怪人対名探偵』の方が「探偵小説の原風景」に近いような気がする。
世紀末横溝の一編として、記憶に残るであろう。
『屍の王』(ぶんか社・絶版?)の著者近影と比べたら、えらい違いやなあ(笑)。と思ってたが、最近の写真と比べると……。こっちはいかにも大阪のおっちゃん、と言う感じの人の良さそうな、そんな感じだ。幽鬼感漂うような寒気のするホラーの書き手とはとうてい信じられない(しかし事実である)。ましてや、『忌まわしい匣』(集英社)収録の作品を書くような人とは思えない。この作品も一筋縄ではいかないSFドラッグ小説である。舞台はネバーランドと呼ばれる子供たちの楽園。とりあえず各編の紹介をしよう。「T マウス・トラップ」
ネバーランド。それは子供たちの聖域。一八歳未満の人間しかいられない異形の場所。そこにも秩序はある。ネバーランドに巣くう悪鬼「マイティ・マウス」はネバーランドの人間を次々に血祭りに上げていく。動機は不明。呪術医のツクヨミは、ある日「マイティ・マウス」に襲われた被害者に遭遇する。
ツクヨミが使う真言は密教のものであるが、なんだか『孔雀王』(荻野真/集英社文庫)のようなノリである。『孔雀王』は朝松健の「魔術戦士」連作をぱくった疑いがあるらしいが……。一方で牧野修は朝松健のファンであることを公言している。もしかしたら、「魔術戦士」連作の影響があるのかも知れない。翻って、この世界におけるオリジナルな概念の「落とす」は新鮮だ。このドラッグの楽園ネバーランドでしか成立し得ない概念であるが、一番強いのは言葉。この「落とす」と言う概念がこの作品世界のある種の根幹であろう。言い換えれば、この作品の面白さというのは「落とす」と言う概念にかかってるともいえる。
「U ドラッグ・デイ」
一流の調香師の松岡は、子供を追ってネバーランドに潜入した。しかし、そこは子供たちの楽園故、大人が侵入した際は追い出されるのはやむおえない。そこで一計案じた松岡は匂いを使い子供に化ける。ネバーランドはドラッグでトリップしている人間が多いので、匂いさえクリアすればいいはずである。首尾よく松岡は潜り込んだ。
親子というテーマをこの牧野修が扱ったらどんなのが出来るか。親子というテーマは、ミステリに限らず様々なジャンルと案外相性が良いかもしれない。『屍の王』もある意味親子が根幹的に関わっていたが、この作品における親子というテーマの落とし所は個人的には不可解というか、不条理的に思えるというか。こういうネバーランドの設定や、子供たちのどこか投げやりな造形上ばりばりのハッピーエンドは期待してはいなかったが。なお、親子というモチーフは以降も『スイート・リトル・ベイビー』(角川ホラー文庫)や『リアルヘヴンへようこそ』(廣済堂文庫)などにも頻出する。
「V ラジオ・スタア」
ネバーランドは、「ラジオ・ゲーム」というものが流行っていた。それは、幻影がまかり通る子供たちの楽園でしか通用しない奇妙な遊び。イメージを具現化させたものを飛ばす、そんな遊び。その中には「ヨナカーンの首」や「ジョン・メリック」といった存在が伝説と化したものまで多種多様。
うーん、改めて思うがものすごい世界だ。初めて読んで時思ったのであるが、このような作品が沢山あるのであれば読む本のうちの何割かにSFを入れても良いかも。以降SFが読書の中に入ったのは言うまでもないが……。作品の内容に翻ろう。この「ラジオ・ゲーム」というのは、「想像できないものを想像する」という山田正紀の言葉ではないが、まさにその言葉の体言とも言えるかも。
「W モダーン・ラヴァーズ」
自分の家庭に嫌気がさした清美は、家を飛び出しネバーランドに向かう。自分の居場所はネバーランドしかない。そう思ってネバーランドに向かう途中、ピクルスと出会う。彼は、ネバーランドの外に出て買い物を終えた途中であった。二人してネバーランドに向かう途中、刑事の尾行に気がつく。
始まりこそはある意味のんびりしたものであるが、展開の早さはスピーディである。ネバーランドでしか通用し得ない「落とす」という概念を外部の刑事という普通の人間に適用させようとする心理戦の駆け引きは、なかなかスリリングである。こういう逃走劇というのは、映画に結構面白いのがありそうなんだけれど、生憎映像関係はからっきし駄目なので皆目見当がつかない。
「X ボーイズ・ライフ」
外部からの侵入者。侵入者二人はネバーランドの人間を次々と「落とし」捕獲していく。必死に抵抗するものもいたが、皆抵抗むなしく「落とされ」てしまう。この二人は何のためにネバーランドの人間を捕獲するのか? そしてこの二人の正体は?
この作品で今までの短編が一気に繋がり、一本の長編へと変貌する。その短編の有機的な結びつき具合は目を見張るものがある。侵入者の片方の正体は結構簡単に割れるが、なんというか、この作品の展開もどことなく『孔雀王』的なものを感じる。真似だ、というわけではないのであるが。その近親感は好感をもたさせる。というわけで(どういうわけだ?)、この『MOUSE』は必読の傑作とも言えよう。