『殺人交叉点』 『血の12幻想』
『幽霊刑事』 『脳男』
『病の世紀』 『異形家の食卓』
『人形はなぜ殺される』

殺人交叉点 フレッド・カサック 創元推理文庫 740円

 この作品は、『夜明けの睡魔 海外ミステリの新しい波』(瀬戸川猛資/創元ライブラリ)で最後の一撃*{として『赤毛の男の妻』(創元推理文庫)と一緒に挙げられている。ニーリイの『心ひき裂かれて』(角川文庫)も挙げられている。それ故に、この作品はミステリマニア全ての(?)探求本の一つとなっていた。二十年前に出た創元推理文庫版ではなく、クライムクラブ版である。創元推理文庫版は致命的な誤訳があるらしいのだ。誤訳問題ではカーの『三つの棺』(ハヤカワミステリ文庫)が有名だが、こっちは切実だ。その誤訳を直した改訳決定版が本書。果たしてどのような一撃≠ェ待ち受けているのか、期待してページをめくった。

 本書は短めの長編二編で構成されている。傑作名高い『殺人交叉点』と『殺人連鎖』である。創元推理文庫版では『殺人交叉点』だけではなく、『殺人連鎖』にも問題があったらしいが、どこに問題があったのかは不明。『殺人交叉点』に関してはフランス語をやっていたこともあるので、なんとなくわかる気がする。そこら辺は作者自身の後書きでも触れているので割愛(といいうより、描くとネタが割れる)。
 『殺人交叉点』は息子を殺された母親とその息子を殺した弁護士それぞれの独白で物語が構成される。殺される前、殺されるその時、殺された後……。二人の独白は作中の時間十年を思わせない。そして、時効の十年を迎える直前(フランスでは殺人の時効は十年)、迷宮入りと思われた事件に新たな証拠が出てくる。殺人の一部始終を映したビデオテープが発見されたのだ。母親と殺人者両方に買い取らせようと証拠を発見した人間は画策する。
 と、内容をおさらいしてみるとこの『殺人交叉点』は真っ当なサスペンス小説。否。殺人者の苦悩と息子を失った母親の苦悩を描いた文学作品といっても間違いじゃないぐらいだ。十年前の殺人に関してもこれと言ったトリックがあるわけでもなく(事件自体は一風変わった無理心中として処理されている)、まさに最後の一撃≠ノ向かって物語は進行していく。問題の最後の一撃≠ナあるが、こちらがすれてしまっている為なのか、私には「一撃」になり得なかった。成功すれば天地がひっくり返るものだと言うことは保証しよう。私自身はそこに至までのプロセス、綱渡りを堪能させていただいた。この作品の訳に関しては相当苦労したに違いない。

 もう一編の長編『殺人連鎖』であるが、個人的には『殺人交叉点』よりもこっちが好みかも知れない。目出度く婚約したものの、愛人のおなかの中には子供が居ててんやわんや。二つを両立させるには昇進するしかないのであるが、彼が勤めているところは昇進がなかなか無い。昇進するために彼がとった行動が起こした結果とは……。という話なのであるが、この作品はミステリというよりも寧ろブラックユーモア。なかなか笑える結末である。原題が「CARAMBOLAGES」でビリヤードの用語のようであるが(旧訳の訳者後書きで玉突きの用語としてたので、ここでいう玉突きとはビリヤードであると解釈した)、まさに玉突きの如く事態が連鎖的に収斂される。もしこの作品が映画になったとして、タイトルを意訳してつけるとすると「得したのは誰か?」というのがふさわしいかも。後書きでこの作品が映画になってると有ったが、今でも見ることが出来るのであろうか? アラン・ドロンが出てるらしいので、もしかしたら探せばあるか? 日本でもテレビドラマになってるらしいから映像向きな話なのかも知れない。
 意外な人間が意外なところで得をしていて面白い。不意打ち的な一撃≠アそ無いものの、洒落たストーリーになっている。このこじゃれ具合がフランスミステリの醍醐味なのか? そういえばボアロ&ナルスジャックもどことなく洒落た作品だった。こんな洒落たのばかりならば、フランスミステリをもっと読むのも良いのかもしれない。

 カサックの作品はまだ訳されてて絶版になってるのがあると思うが(先日梅田で『日曜日は埋葬しない』を見たが5000円……。とてもではないが手が出ない)、本書の売れ行き次第では復刊改訳が為されるかも知れない。と言うわけで、まだ読んでない人は古本屋落ちを待ったり人から借りるんではなく、新刊で買ってね(笑)

血の12幻想 津原泰水監修 エニックス 1500円

 タイトル通り「血」をモチーフにしたもの。ヴァンパイアものが何作か有るが、各作品の処理は面白い。その処理の違いを楽しむのがこのアンソロジーのキモであろう。
 集中の個人的お気に入りは「タルトはいかが?」「お母さん」

「早船の死」(菊地秀行)
 二人の恋は、親友の思いを裏切るものだった。結果、親友は自殺を図る。
 悲恋ものか? と思わせるが片方の男の造形が気にくわない(笑)。オチの意味がイマイチよくわかならなかった。
「タルトはいかが?」(小林泰三)
 弟からの手紙。弟は、かなり荒んだ生活を送っているようだった。
 一方的な手紙のみによる構成は、タイトルやテーマと絡み合い或るテーマへの収束を予感させるが、巧みに外し唸らせてくれる。ホラー系の作家で小林泰三はギミックと言う意味では一番上手い作家であろう。
「夕焼け小焼け」(柴田よしき)
 家を捨て最初に出た街大阪で出会った男とずるずると暮らす日々にふと嫌気がさした彼女は……。
 ホラーと言うより、郷愁を描いた作品と言った方がしっくりくるかも。
「血の汗流せ」(田中啓文)
 私は、星吸魔が入学してきたときから彼を見守り続けていた。来る日も来る日も練習を続ける彼だったが、いっこうに芽が出ない……。
 名作『巨人の星』を下敷きに駄洒落で書いたもの。思わず「ええかげんにせい」と思ってしまう(笑)。ええかげんにせい、と思いつつ笑って読んでしまうところに田中啓文作品の本質があるのか。
「死の恋」(竹河聖)
 婚約者の妹の死により、彼は妹の方を愛していたことにようやく気がつく。
 皇帝ネロの時代を舞台にした悲恋の物語と吸血鬼ものの融合。その融合感はわりとツボかも。
「お母さん」(鳴原あきら)
 私の母は、どこか壊れていた……。
 こ、怖い。或る意味最悪の相手かも知れない。このアンソロジーのテーマは「血」であることは一目瞭然だが、血縁の「血」というのは結構盲点かも知れない。
「爪」(倉阪鬼一郎)
 ……爪。
 倉阪鬼一郎らしい筆致の幻想譚。「小説すばる」(集英社)に発表されてる短編を何編か読んだことがあるが、この路線、『怪奇十三夜』(幻想文学出版・品切れ)以上に洗練されてると言えよう。
「遠き鼻血の果て」(田中哲也)
 目覚めると私は鼻血の凝固作用によりバスタブの中で身動きがとれなくなっていた。
 アホすぎる設定。しかも、何らかのサプライズエンディングが用意されてるかというとそうでもないし……。まさに血の幻想とでも言うべき作品である。
「吸血蝙蝠」(山村正夫)
 親友の死には不審な点が……。
 書き下ろしアンソロジー中唯一の再録作品。作者の急逝により差し替えたようである。この作品、日本に置いて吸血鬼ものを書こうと苦労した後が見られるが、その苦労が報われているかというと首を傾げざるを得ない。
「凶刃」(作者不詳/北原尚彦訳)
 ジャック・ザ・リパーの正体は?
 んー、この作品、ホントに翻訳作品か? という事はさておき切り裂きジャックの正体の設定が日本的で面白い。同じ設定で書かれた漫画、そう言えばあったなあ……。
「茶色の古壜」(恩田陸)
 同僚の意外な姿を目撃した彼女は……。
 同僚の正体を探るうちに深みにはまっていく……。その感覚、間隙の付き方は恩田陸の面目躍如な所がある。
「ちまみれ家族」(津原泰水)
 うちの家族は少し違っていた……。
 著者名を伏せられたら絶対に津原泰水とは思わないなあ……。

幽霊刑事デカ 有栖川有栖 講談社 1800円

 有栖川有栖と言えば、『46番目の密室』(講談社文庫)などに代表される火村もの、『双頭の悪魔』(創元推理文庫)に代表される江神ものが作品群の中での双璧だが、『ジュリエットの悲鳴』(ジョイノベルス)や『幻想運河』(講談社ノベルス)などのノンシリーズにも佳作が少なくはない。本書『幽霊刑事デカ』は打倒!「踊る大捜査線」を目標にしたものらしい。「踊る大捜査線」を挙げるとはなかなかの度胸だな、と思いつつページをめくってみた。

 刑事である神崎達也は、上司に浜辺で射殺され幽霊になる。上司は神崎を撃つ前に確かに「すまん!」と言った。何故彼は神崎を殺さねばならないのか? 幽霊となった神崎は、色々な人間の所に行く。自分を撃った経堂、家族、そして恋人の所……。しかし、誰も神崎の姿を見ることが出来ない。哀しみ暮れ、自分の職場だったところに赴く。そこには後輩である早川が居た。そして、ダメもとで話しかけると、そこには自分を見ることが出来る人間が居たのだ。早川を説得し、自分を殺した上司である経堂を捕まえるべく行動に出る。ここに迷コンビが誕生し、幽霊刑事が生まれた。しかし、経堂も何者かに殺されてしまう。しかも、密室内で……。

 設定は上手いと思った。幽霊が刑事をするんだから何でも出来るじゃん、とも思ったが見る聞くは出来ても早川にしか見ることが出来ないというのは制限を設ける意味でアシモフのロボット三原則を思い出す。が、この初期設定故にラストシーンは個人的にはもの足らなかった。
 以下、ちょっとラストシーンを割りつつラストシーンがもの足らなかった理由に触れますので、未読の方は注意
 ラストシーンは経堂を殺した犯人が分かり、現世から神崎が消えるのであるが聞こえないはずの声を聞く恋人、その受け答えには確かに感動を誘う。ここは好みの問題で作品の瑕疵ではない。個人的には抱き合いつつ手の中で消えると言うのならもっと泣けたのになあと思いもの足らなかった。というか、少々涙ぐんだ人間が言う台詞じゃないし(笑)、そのラストシーンならば初期設定自体を変えねばならないではないか。それに、そっちは如何にも下手でありきたりと言えばありきたりになってしまうのでこの作品のラストの方が物語的には正解であろう。
 ここまで

 物語的には、他に神崎と早川のやりとりが面白い。この漫才コンビ的やりとり、早川の行動が及ぼす影響(早川が神崎と会話してる状況は、神崎が見えない他の人間には早川が独り言を言ってるようにしか見えないのだ)など他人事だから面白い(笑)。県警本部から来た謎のキャリア、第二の事件、神崎の恋人への想いなど有機的に絡まり、一見単純に見える上司による部下の殺害事件は混迷を極める。このあたりの引っ張り方は堂に入ってて安心して読める。また、前半部分の何気ないエピソードが解決編で意外な伏線になってる所も作者の面目躍如。この作品、推理クイズの原案だったらしいが、どのような作品だったのか気になるところである。

 純愛とミステリの二重奏が奏でられたこの作品、有栖川有栖の代表作の一つとして挙げるのに申し分のない出来映えだ。このような作品も書けるんだ、と感心してしまった。有栖川有栖という作家の懐の深さを示していると言えよう。
 ところで、この作品が打倒!「踊る大捜査線」を目指したものらしいとは先に述べたが、打倒が果たせたか否かは疑問。質や方向性が全然が違うものになっているのだ。そこが或る意味残念と言えば残念かもしれない。

脳男 首藤瓜於 講談社 1600円

 本書は46回江戸川乱歩賞を受賞した作品である。近年の乱歩賞作品にはイマイチ触手が蠢かなかったのであるが、本書はタイトルを聞いたときに「読みたい」と思った。まさしく、タイトル勝ち。恐らく、このタイトルでなければ手に取ろうとは思わなかったであろう。小説はタイトルが命と言う考え方があるとすれば、まさにその正道を行くタイトルの付け方。このセンスにとりあえず脱帽。乱歩の通俗もの長編のタイトル『蜘蛛男』、『魔術師』(共に創元推理文庫)等を思い起こさせるではないか。ミステリファンならば『ハサミ男』(殊能将之/講談社ノベルス)を思い起こすであろう。そして、読者は読む前にこう思うであろう
 ――脳男というのはどういう存在なのか。

 都内で次々と起こる連続爆破事件。懸命な捜査の結果、警察は一人の男をマークした。いざ踏み込もうとしたその瞬間、一人の男に突き飛ばされる。警察はその男を共犯者として逮捕。そして、紆余曲折があって精神鑑定に回される。しかし、精神鑑定を担当した医者は、その男鈴木一郎に対し、不信感を抱く。何かがおかしい。鈴木一郎を逮捕した茶屋に話を聞き、様々な調査を進めるうちに驚くべき事実が……。鈴木一郎は、戸籍上存在しない人物なのだ。新聞社を経営していたという鈴木一郎。彼の裏の顔は、捕まらない犯罪者を抹殺せんとする仕事人≠フ顔もあったのだ。そして、取り逃がした爆弾犯が再びその姿を現す。

 方々で聞こえてくる噂で、鈴木一郎が『羊たちの沈黙』『ハンニバル』(共に新潮文庫)で大活躍するトマス・ハリスが生み出した最強のアンチ・ヒーロー、レクター博士を彷彿させるものを感じていた。しかし、実際に読んでみると鈴木一郎がレクター博士に匹敵するアンチ・ヒーローであるかというと……。正直言って、アンチ・ヒーロー対決ではレクター博士に負けている。まあ、レクター博士を超える存在というのはそうそう出てくるものではないんだけれども。私は以前『羊たちの沈黙』のところでレクター博士は光と闇が同居する存在であると書いたことがあるが、本書『脳男』の鈴木一郎もまさに光と闇が同居する存在と言っても言い。だからなおさら、レクター博士と比較したくなるのだ。
 が、だからといってこの作品が失敗作だというわけではない。鈴木一郎の造形に失敗したらこの作品が失敗作に終わるというのは言うまでもないと思うが、実際問題鈴木一郎というキャラクターの造形には成功しているのだ。この作品は、単発の長編ながら鈴木一郎という人物の大河小説の一巻目という位置づけであるような感じだ。つまり、鈴木一郎というアンチ・ヒーローの物語はここから始まる、というわけである。恐らく、余程のことがない限り作者は鈴木一郎を再び登場させるであろう。いや、是非ともまた登場させて欲しい。

 恐らく、この作品がアンチ・ヒーローものとしてもの足らないのは鈴木一郎と対決する犯罪者に精彩がないからであろう。確かに爆弾犯という設定は正しい。だが、その爆弾犯を個人のものとしたところに対抗馬が精彩を欠く原因があるのでは無かろうか。テロリストとかいうのにすればもう少し鈴木一郎というキャラクターが持つ凄味を引き出せたのかも知れない。後半1/3に於ける二者の闘いにはその辺が持つ弱さが露呈してしまってて残念。この作者なら、こういうシチュエーションならばもっと面白い場面を書けると思うのでなおさら残念なのだ。

 本書を読み終えたとき――先にレクター博士を引き合いに出してくさしてしまったが――国産ミステリに新たなるアンチ・ヒーローが誕生したと感じた。恐らく、ミステリが進む或る種の方向をこの作品は示している。名探偵などのヒーローはもういらない。これからは、アンチ・ヒーローの時代なのではないのか、というそう言う方向性を。

 作者自身が「脳男」という寒いジョークも聞こえてきそうだが(無いか)、読んで損はない作品であることは保証しても良いかもしれない。

病の世紀 牧野修 徳間書店 1600円

 牧野修と言えば、『忌まわしい匣』(集英社)に収録された「忌まわしい」作品、ホラー小説大賞を受賞した『スイート・リトル・ベイビー』(角川ホラー文庫)などホラー作品が目立つ。無論、『MOUSE』(早川文庫JA)や『王の眠る丘』(同)などのSF、ファンタジー作品があることも忘れてはいけない。牧野修の本領はどこにあるのか? という問いがあるであろう。そして、その答えには「両方にある」と答えるしかない。実は、この『病の世紀』と言う作品はホラーとSF両方を縦断している作品ではなかろうかと考えたりもするのだ。それは、或る種直感めいたところがあるので以下検証してみたい。まずは内容のおさらい。

 日本中の疾病症を研究する国立予防研究所。そこは、国際機構《IRNI》の下部組織だ。様々な不可解な事件が起こる。国立予防研究所は、その事件が《病気》であると断定する。不可解な事件の裏側には、寄生虫などの存在が確認されているのだ。人体発火、連続殺人犯、カニバリズム……。その不可解な事件のを調べるうちに、そこには何者かの邪悪な意志が働いてることがわかる。そして、国立予防研究所の研究員に次々と魔の手が伸びる。果たして、邪悪な意志の根元はどこにあるのか? 全ての真実が明かされるとき戦慄のものが浮かび上がる。

 先に縦断していると述べたが、ホラー部分は言うまでもなく奇怪な現象を形成する寄生虫というガジェット。寄生虫が起こす数々の現象は、『忌まわしい匣』で見られたホラーセンスを感じさせる。SF部分はホラー部分と確実に被っている。SFとホラーの境界線、区別はイマイチよくわからない。中にはSFともホラーともどっちつかず、混合された作品沢山ある。結局何が言いたいのかと言えば、この作品、SFとホラーを縦断していると言うよりは寧ろ上手く融合させてるのではなかろうか、と言うこと。『忌まわしい匣』の数々の作品で牧野修が異形のものどもを創造する能力に長けていることはわかっていたが(後思いつくのは、『スイート・リトル・ベイビー』のあの怪物!)、この作品の異形のものは寄生虫。正確に言えば寄生虫が引き起こす事象であろう。この作品では事象が「異形のもの」なのだ。牧野修が創造する異形のものは、ホラーとSFの両方のセンスを感じさせる。

 センスオブワンダーと言う言葉がある。まさに、牧野修の作品はセンスオブワンダーの固まりであろう。闇のセンスオブワンダーと言うのが私の牧野作品に対する感覚だ。いや、牧野修を闇と機械的に分類するのは過ちであろう。何というのであろうか、闇なのであるがどこかしたたかな明るさを感じるのだ。短編ではあまり感じないのであるが、長編ではどことなく感じてしまう。これは、牧野修が生粋の大阪人だからなのであろうか。それとも、短編はイメージを核としているからなのであろうか。そこは、今の時点ではイマイチよくわからない。それは、以降の牧野修の作品を読むことでわかるのであろうか。

 ところで、この作品は「SFマガジン」(早川書房)の「SFインターセクション」のインタビューで『X−ファイル』+『ブラックジャック』と言っていたのであるが、このプロットの作り方は面白い。二つのものを結びつける手法は、なかなか面白いと思う。『X−ファイル』=奇怪な現象、『ブラックジャック』=国立予防研究所研究所員であろうか。上手い結び付け方である。

 牧野修の作品としては少々もの足らないが、水準作と言うことは確かな話。次の長編はどのようなものが来るのか、楽しみである。

異形家の食卓 田中啓文 集英社 1800円

 《異形コレクション》に寄稿した短編を中心に、書き下ろし「異形家の食卓」3編を加えたものである。
 本書に収録された作品は、田中啓文の異形観が如実に現れて居るであろう。最近の田中啓文の二本柱であるナスティと駄洒落が如実に現れていると言えよう。ナスティさに関して言えば、はっきり言ってものを食べながら読む作品ではない。特に、菓子パンを食べながら「オヤジノウミ」を読んだときは、吐き気がしたほど。まあ、食べたもののセレクトが悪かったんだけれども。「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」は、ナスティ田中の嚆矢となったものと言えるかも知れない。ここで描かれる異形の生物の描写は……。
 各編見ていく。

「にこやかなおとこ」
 『世紀末サーカス』(廣済堂文庫)参照。
「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」
 『グランドホテル』(廣済堂文庫)参照。
「異形家の食卓1 大根」
 いつの間にか消えた、婚約者の行方は?
 えーっと……。食人鬼コント第1弾。まだおとなしい方である。
「オヤジノウミ」
 『トロピカル』(廣済堂文庫)参照。
「邦夫のことを」
 台所で肉を叩く音が……。ぺたぺたぺたぺた……。
 最後に行き着くところは結構予想がつきやすいが、視点が面白かったかも。
「異形家の食卓2 試食品」
 娘の彼氏の行方は?
 食人鬼コント第2弾。さらにエスカレート。なにがエスカレートかって……。
「三人」
 広大な宇宙を旅する3人。彼はそれぞれ憎みあい、いがみ合っていた……。
 「新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」以降、ナスティさに磨きがかかりまくっていたが、この作品はそうでもない。奇怪な生物の描写はあるが、そんなにキモくないし。慣れただけなのかも知れないんだけれども。
「怪獣ジウス」
 『GOD』(廣済堂文庫)参照
「俊一と俊二」
 山奥で人造人間の研究を続ける婚約者。或る日、その研究の一部が実を結ぶが……。
 田中啓文を《異形コレクション》で読んだ最初の作品。『悪魔の発明』(廣済堂文庫)初出。最後の落ちは、田中啓文の作品にしては(失礼な言い方であるが)或る意味涙を誘うかも。
「異形家の食卓3 げてもの」
 父親の武勇伝とは?
 食人鬼コント第3弾。ここまで来ると、もう笑うしかない。というより、もう「芸」の域まで来ている。良くもまあここまでエスカレートできるものだ、と感心してしまう。
塵泉ごみの王」
 『おぞけ』(祥伝社文庫)参照

 食前食後、食事中に本書をどうぞ……って、最初となんか変わってないか?

人形はなぜ殺される 高木彬光 ハルキ文庫版あり

『人形はなぜ殺される』  戦後日本の本格ミステリを代表する作品は? という問いに必ず挙げられるであろう作品である……と思うが、如何なものか。高木彬光という作家自体が現在あまり読まれていないことを考えると、今現在の時点で戦後日本の本格ミステリを代表する作品かというと実は返答に困ってしまう。が、あえて断言しよう。読んでないなら読むべき、戦後日本の本格ミステリを代表する作品の一つである、と。なお、本書は私は角川文庫版で読んだがハルキ文庫から再刊されている。

 次々と屠られる被害者、事件の前に事件を予告するかのごとく名探偵神津恭介をあざ笑うかのように殺される人形。この作品はタイトルにあるように、人形の殺害が重要な要素となって根幹を形成する。白眉はなんといっても寝台車《月光》による人形切断と人体轢断のシーンであろう。このシーンに隠された数々の意匠は、この作品を傑作たらしめている一要素といっても過言ではない。否。このシーン数々の意匠があるからこそ『人形はなぜ殺される』は輝きを増すのだ。読み返してみると、実に巧みすぎるぐらいに伏線が張られていることがわかる。また、再読すると真犯人と神津恭介の「対決」のシーンの迫力あること。この作品は、再読に耐え得るだけではなく、再読すべき作品であろう。再読で輝きを増すミステリ作品というのは稀である、というのはミステリ読みならわかるであろう。

 やはり、この作品で特筆すべきというより見るべき所は人形殺人事件の特異さ、人形殺人事件が醸し出す何ともいえぬ空気であろう。真犯人の隠し方、出し方、伏線の張り方は一級品であるが作品に流れる空気が妖艶でなければここまでの傑作にはならなかったはずだ。この作品を傑作たらしめているもう一個の要因は奇術師(=魔術師)の集団を中核に据えているからであろう。
 登場人物が奇術師である故に、全員が信用できないというこの状況。奇術実演の中で起きる事件。この作品ほど奇術が前面に出ながら、奇術を払拭している作品はない。奇術はあくまで彩りなのである。登場人物の大半が奇術師ならば、奇術に淫して作品を創るということも出来たはずである。奇術尽くしの作品を高木彬光が書いたらどういう作品になったのか、というのを夢想するのもいいかもしれない。結局なにがいいたいのかといえば、この作品における奇術というのは雰囲気の精製装置であるということである。無論、作中言及される奇術の大原則が伏線となり解明に一役買っていることは忘れてはならないし、忘れてもいない。
 ところで、金田一君の『魔術列車殺人事件』は、この作品が念頭にあったのであろうと思うことがある。確固たる根拠はないが、何となくそう感じる。列車、奇術師といったガジェットからの連想なのであろうが。因みに、本書と『魔術列車殺人事件』の犯人対決(つまり、どちらが真犯人として凄みがあるのか)は『魔術列車殺人事件』に軍配が上がるかな。『人形はなぜ殺される』の真犯人は神津恭介を最後の最後までキリキリ舞いさせたが、最終的な詰めが甘かったように思えるので。

 ところで、高木彬光の代表作の中に「妖婦の宿」と言うものがあるが、この作品も人形が重要な役割を担っていた。高木彬光という作家が人形に並々ならぬ興味を抱いていたのかは定かではないが、オカルティックなガジェットに興味があったことは確かであろう。カーの後継者(と言うより追随者と言うべきか)たらんとする意気込みは、二階堂黎人に通じるものがあろう。

 高木彬光は現在では本書に加え『刺青殺人事件』、『成吉思汗の謎』がハルキ文庫から、『能面殺人事件』が双葉文庫の日本推理作家協会賞全集から出ているのしかないという非常に残念な状況である。しかし、出来れば神津ものの代表作が容易に読めるようになってくれればいいが、当面ならないだろうねえ。


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