野崎次郎
『はじめての哲学史』は、「現象学研究会」(竹田青嗣・西研主宰)のメンバーによる共同著作である。ギリシャ以来の思想家をわかりやすく解説するというコンセプトのもとに、これらの思想家がどのようなことをどのように考えたのかというモチーフに重点を置いて記述することを第一の目標にした。私の担当箇所は「第9章3節戦後フランス思想の輝ける二つの星−−サルトル、メルロ=ポンティ」と、「第10章2節ポスト構造主義の三人衆−−フーコー、ドゥルーズ、デリダ」であった。
ドイツで生まれた現象学が戦後フランスで独自な展開を見せたのが、サルトルとメルロ=ポンティという戦後思想家である。「レジスタンスの勝利」という形で戦後を迎えた世代である。サルトルは人間の自由と主体性の根拠を「状況」とのかねあいにおいて問い続けた。メルロ=ポンティは「意識」をつねに「身体」とのからまりあいにおいて考えようとした。この「両義性の哲学」は言語論にも及び、「身体としての言葉」という比喩が使われだす。さらに晩年期には、「世界の肉」「存在の肉」という比喩がフッサールの「生活世界」の解釈として提出されるにいたった。
フーコー、ドゥルーズ、デリダはフランス戦後思想家の第三世代に属する。「ポスト構造主義」とくくられることが多いが、その活動は一様ではない。しかし、彼らはマルクス主義、実存主義、構造主義からの離脱と拡散を目指している点では共通している。フーコーにとっての問題は、「主体」の形成解体と「権力」の働き方である。「狂気」「知」「性」といったテーマを扱うのも、「権力」がいかに「内面化」されて働くものであるかを示すことにあった。ドゥルーズはあくまでも徹底的に「反ヘーゲル」を貫き通した「逃走と遊牧民」の哲学者である。「リゾーム」「多数多様体」という従来の哲学用語とはまったく異質なタームを使って、欲望の肯定性、逃走へと誘う。デリダは、理論的に重装備した上で、いままでの西洋形而上学全体(フッサールに始まる「意識の現象学」)を「脱構築」しようとする。デリダは「意識の純粋性」に異議を申し立て、あらゆる場面で機会あるごとに「純血」の神話に反対して「混血」の叙事詩を歌い上げた。(終わり)