ボケ作日記 2002.3.25
神戸の桜は花冷えが続き、なかなか満開にならない。東京はそろそろ葉桜になりそうだというし、京都や大阪は満開のところもあるが、神戸は少し冷えているようだ。
うちのマンションの三本ある桜の木のうちの一本が(「の」の連続!)三分咲きで、郵便局に大学の公募の願書(またしても「の」の連続!)を出しに行くときにふと見上げたら、雀が二匹とまっていた。チュン、チュンととてもかわいい。
雀は一時期、このあたりから消えていたが、また最近戻ってきたようだ。このマンションに入居当初はベランダにもやってきたりしたが、そのうち、鳩が増えだした。そして両隣に高層マンション(十五階!)が立つようになって(というか、その工事の前後)から、カラスが増えだした。
雀を鳩が追い出し、鳩をカラスが追い出すという構造なのであろうか。
鳩もカラスも嫌いだが、鳩は「クークー」と鳴いて、ベランダに居座るからたちが悪い。しかし、そんなときは、「勇気」を出して、必ず追い返さなければならない。でないとまたやってくる。
鳩が来たときは、まめにベランダに顔を出して、「キーキー」と叫びながらベランダをたたいて、追い返さないといけない。すると、その「キーキー」という音を嫌うからであろうか、またやってくることは少ない。
「キーキー」という音は言うまでもなく、カラスの鳴き声である。カラスの鳴き声は、道などを歩いていると、上から聞こえてくる。とくに落ち込んでいるときなどその声を聞くとさらに落ち込んでいく。「キーキー」という声が「バーカ、バーカ」と聞こえるのである。だからカラスは嫌いだ。こちらに向かって飛んでくることもある。怖い。
「キーキー」と叫ぶことも時にも必要だろうが、あまりやりすぎると自分に返ってくるし、嫌われるもとでもある。うん。
辻元も辞職になりそうな勢いだし……。気をつけよ〜っと。
ボケ作日記 2002.3.20
今日でホームページを開設してからちょうど二年になる。アクセス件数が9730だから、二年間の平均は一日13件くらいということになる。一昨年の平均が一日9件だった。去年の平均は一日18件。倍々で来ているから、今年は36件? バイバイにならないようにしよう〜と。もうすぐ一万件。
今日は故高橋允昭先生の命日でもある。先日、三周忌が行われたが、関西での仕事が忙しく、出席できなかった。今月三十一日に「高橋研」の中川雄一君が結婚するので、東京に行く。若く元気な頃、高橋さんとは中川と三人でよく飲んだ。天国できっと「どさんこ」中川の結婚を喜んでくれることだろう。半ばびっくりしながら……。
大阪と奈良でも桜の開花宣言がでた。桜の花見は、若い頃から割と行っていたほうだと思うが、桜の花がとくにきれいでいとおしいと思うようになったのは、八年前の二月に父を亡くしてからだ。その年はとくに東京の桜がきれいに咲いていた。母や姉と連れだって桜を見に行った。
なんでこんなきれいな花が見られなくなってしまうの? 桜の花は、ぐいぐいという感じ、というか「くちゃくちゃ」という感じで、まさに「我が物顔」という感じて咲き乱れているというのに。ソメイヨシノはそのように繊細さとは無縁な咲き方をするが、その「たくましさ」が恨めしくも、いとおしくも感じられた。それ以来、花見見物は欠かさなくなった。
今日、住宅ローンの借り換えをした。住宅金融公庫と銀行ローンを銀行ローン一本にまとめた。民間の銀行ローンの利息の方が安くなれば、金融公庫も存在価値は薄い。公庫も儲けが薄くなるから、なくなっていくしかないだろう。銀行の方も残酷で、公庫からの借り換えをすすめるよういろいろ工夫している。三年間の固定金利で年1.55%だから、登記などの手数料四十数万を引き算しても、一千万以上安くなる(だろう)計算になる。
三年後はまた金利が変わるが、「デフレ」はしばらく続き、景気が一挙に上昇する(金利が上がる)ということはまずないだろうと読んだ。三年後には、また三年間固定金利の手続きが一万円の手数料でできる。
ローンは利息の割合が半分以上だったりするのがいままでの常識であったが、「拡大路線」をとらない限り、つまり、住宅ローンを借り増して「より上のマンション」に引っ越しを続け、毎月の返済額だけに気を配り、最終的な「決済」(つまり完済)は先に延ばしていく(つまり死ぬまで、完済はやってこない)という「路線」をとらない限り、利息の割合が少ないうちに一気に返してしまった方がいい。といってもうちの場合、利息が安い分、毎月の返済額はそれほど変わらないのだが。
僕は現在、非常勤講師をしている。これは六十までできる職業ではない。身体も持たないし、惨めになるだけだ。まあ、できても、あと数年だろうと思う。今年(四月から)は十八コマ(集中を入れれば二十かな?)。鈴木晶先生によれば、二十コマもったら「死ぬ」ようなので、ギリギリの線である。一年で二年分を働いていることになる。給料ではなくて、労働時間が……。給料は専任の四分の一以下のベースだ。奥さんが専任なので、奥さんと比較すればよくわかる。
だから、これをあと数年やって、五十五になったら還暦までの四、五年かけて博士論文を書きにフランスに留学して……なんて夢みたいなことを考えている。若い頃、躓いてしまって叶わなかった夢だが、どうなることか。収入は「文筆業」の印税で。そうなれば「自由業」でフランスの滞在資格も得られる……。
とかいいながら、仕事ははかどっていない。それに、内田君(内田樹先生)みたいにセンスも文章力、仕事の早さも「すげぇー」というところがなく、いまいちだからなあ、どうなることか。ま、のんびりやるか。
ボケ作日記 2002.3.15
すっかり春めいてきた。福岡では桜の開花宣言、関東では春一番が吹いたという。今年の春の到来は早い。気持ちがうきうきしてきて、とても仕事どころではない。
あちこち動き回っている。といっても特別な用事があるわけではないので、コープリビングに封筒を買いにいったり、安売りショップに酒を買いにいったりするくらいだ。白鶴上撰パック(2.0リットル)が1180円。サントリーのオールドが1150円。安いなあ〜。
最近、若い人はウイスキーなど飲まなくなっているせいだろうか、ウイスキーが安くなっている。むかし僕が若かった頃は、オールドなどお金持ちが(つきあいで?)飲むもので、遠い世界のお酒と思っていたが、それをマイルドにしたニューモデルとはいえ、僕にとって一週間に一本をあけてしまうほどの日常的な酒になってしまうとは夢にも思っていなかった。
それで仕事がなかなかはかどらない。結局、フランス・ファシズム論の論文はあきらめて(これは夏かな?)、翻訳に専念しているのだが、なかなかはかどらない。ダンコースの文章はなかなかアカデミックな文体なので、どうもつき合いにくい。それをかなり砕けた訳文にしてしまえば読みやすくなるとも思うのだが、そうした「風格」も生かした訳文にしようとするとなかなかむずかしくなる。
さらに加えて、内容がよくわからないこともある。いろんな人もでてくるし。これは致命的。だからいろいろ調べながらやらざるを得ない。いまやっているところは、1956年、ソ連共産党第二十回大会の秘密報告での「スターリン批判」が東欧諸国にもたらした効果がテーマになっている。
フルシチョフの「スターリン批判」はつとに有名だが、ソ連においても東欧においても、この「スターリン批判」によって逆にますますスターリン主義が貫徹していったという「皮肉な」現実を、その論理とともに「歴史的現実」に即して生き生きと叙述していくというのは、さらにそれを訳文に生かすというのは、やりがいがあるとはいえ、なかなかむずかしい。
だから、なかなか仕事がはかどらないが、この春休みに目星をつけなければならないからやるしかない。それにそろそろ新学期の準備(とくに関大の「フランス文化史」の講義の準備は時間がかかりそう)にも入らなければならない。あ〜あ、大変。
ボケ作日記 2002.3.11
昨日、綾部山梅林に梅見に行った。去年は中山寺に行ったので、これで兵庫県の主な梅林は制覇(?)したことになる。
ながらく、どこにあるのかわからず、また、調べもせず、ちょっと腰が重かったのだが、土曜の深夜に「綾部山、満開」とかやっていたので、日曜の朝に、ついつい、「今日、綾部山に行くぞ」と奥さんに言って、急遽、行くことになった。
午前中にせわせわしながら、昼前に出かけた。インターネットで調べたら、場所もわかり、大阪から二時間、神戸から一時間半、とでていたので、それほど遠くないんだ、まあ、二時には十分着くだろうと見通しを立てて、出かけた。
JR網干からバスで30分、山陽網干からバスで10分、とあったので、山陽電鉄で行くことにしたのだが、山陽電鉄なので、阪急で行けば「一本」と考えたのがまずかった。
岡本から特急に乗り、高速神戸で乗り換え。特急の待ち合わせが二十分。飾磨(「しかま」と読む)で網干線に乗り換え。十五分の待ち合わせ。網干線が単線だったので、途中で上りとの待ち合わせで十分。山陽網干に着いてから、バスの待ち合わせが十五分。連絡に一時間かかったことになる。
バス停から、梅林まで十分ほど歩かされ、結局、着いたのが、三時過ぎ。おなかは減るは、天気は悪くなるは、寒くなってくるは、弁当は冷えてくるは、シートも忘れてきたは、奥さんの機嫌も悪くなるはで、最悪の事態。
事前の計画も立てず、とっさに行こうとしたのがまずかった。どうも最近、距離、時間などの見通しなどがすっかり狂ってきている。若いときはとっさに思いついて、強行しても何とかなったんだけど、このごろはそう行かなくなってきた。リズムを組み直さないと行けないようだ。
今日は、朝から鈴木宗男の証人喚問。民放も全局が放映していた。「官=民=業」の癒着は、是非とも改められなければならないし、「政治家の圧力」も改められなければならない。
しかし、それが「鈴木宗男」個人の事柄として済まされることもできない。官僚はなかなか「したたかな」なので、「政治家の圧力」とかいいながら、しっかり自分たちの権益は守っている。「政治家」の責任にして、「官僚支配」を貫徹するというのが官僚の現実であろう。そこを見落としてはまずいだろう。
小泉首相に「官僚支配(=官邸支配?)」の構造改革ができるだろうか。田中真紀子はさかんに「官邸、官邸」と言っていたが、「官邸」というのがなんなのか、マスコミの人たちにも、国民にもよくわかっていないのだろうと思う。そして僕にも。官邸の問題が前面にでてくることは少ない。やはり「日本政治」を基底で支えているものなのだろう。ひょっとして、これが「55年体制」?
そしてもう一つ。証人喚問について、僕自身も、テレビを見て、たとえば辻元清美などの追及を「そうだ、そうだ、やれやれ(もっとやれえ)」とかいいながら興奮して見ていて、番組としては「おもしろい」というのが正直なところではあるが、反面、「やれやれ(困ったもんだ)」という気持ちもある。
水を差すつもりは毛頭ないのだが、こういう証人喚問でテレビ放映されるというのは、どうも「人民裁判」の現代版のような気がして、暗い気持ちにもなる。「おもしろい」「興奮する」とかいいながら、矛盾したことを言っているようだが、これも正直な気持ちである。困ったなあ。
ボケ作日記 2002.3.03
今日は桃の節句、ひな祭り。桃の花に菜の花。手巻き寿司。
ダイエーでアクリルのセーターを買った。おととい、ユニクロでパステルカラーのコットンセーターを買ったので、このところセーターづいている。寒の戻りはあるが、もう暖かい日に向かっているので、ウールのセーターはいらない。でもカッター一枚というには寒すぎる。そんなときにカッターの上に着るのは、いままで、トレーナーだった。
トレーナーとセーターの違いって、よくわからなかったが、トレーナーはパジャマと意識されやすいということに数年前に気がついた。それ以来、大好きなトレーナー(だって洗濯がしやすいからね)からの「転身」を考えていたが、なかなか気に入ったコットンセーターが見つからなかった。
軽い色で、洗濯しやすいこと。これが条件だ。ユニクロにあった。軽い黄緑色。生地もしっかりしている。1900円。手頃な値段だ。もう少し暖かくなったら颯爽と着て町中を歩き回ろう。
その前に着るのは、どうしようと悩んでいたら、ちょうどアクリルセーターで、軽いブルーの色のがあった。洗濯もしやすい。条件をクリアしている。ダイエーの半端物の安売りだ。1900円のものが、なんと490円。安い。すぐに買った。
着た感じもいいし、肌触りも悪くない。下にウール混のカッターを着ているから、十分暖かい。カシミヤ風で見た目も触った感じもいい。軽いのがなによりいい。ま、カシミヤも軽いけれど。
昨日の深夜(ということは今日の早朝)、NNN24のニュースでウィーンのスターバックスの第一号店が開店したと報じていた。若い人で流行っている。
ウィーンはまさにカフェ文化の地である。伝統的なカフェにスターバックスが「挑戦」したというのりでのニュースであったが、トーンは必ずしも大歓迎というものではなかった。
僕もスターバックスが好きで、家の近くの駅前の店にときどき行くが、エスプレッソがうまいのと禁煙であるというのが気に入っている。エスプレッソはフランスのものよりも濃くて、イタリアのものに近い。フランスのが水っぽく感じるくらいだからかなり濃いのがわかる。
陶器で飲めるのがエスプレッソに限られるのが不満だが、他のを飲まなければいい(ちょっと……)。
喫茶店はたばこを吸うところという固定観念があるが、それを破ってくれた点が嬉しい。僕は昔から、喫茶店が好きで、よく暇な時間を見つけては入って本を読んだりしていたが、たばこをやめてからは、店のたばこ臭さに辟易して入るのが減った。
喫茶店に入って道行く人をぼんやり眺めながら、ときおり本を読むという至福の瞬間はなかな味わいにくくなっていたのだ。それがスターバックスで可能になった。
今回のニュースでは、確かに禁煙であるということがスタバの好まれる理由のひとつとしてあげられてはいたが、重点はそこに置かれてはいなかった。
伝統的なヨーロッパのカフェ(たばこもここに含まれるということなのか)に対して、アメリカ的なグローバリゼーションの波が押し寄せているという捉え方であった。
禁煙がきわめてアメリカ的な現象であるならば、そういえるだろう。確かに「嫌煙権」などという「権利」はアメリカ的かもしれない。しかし、たばことコーヒーの結びつきがヨーロッパ的といえるかどうか、そう単純には言えないことだと思う。
どうもジャーナリストの人たちは、「反グローバリゼーション」といえば「ヨーロッパの人たち」(「ヨーロッパ派」?)は喜ぶという紋切り型にとらわれているようだ。困ったもんだ。
今度ウイーンに行ったら、ウィーンのスタバに行ってみよう。伝統的なカフェにも。でも、ウィーンのカフェではウィンナカフェって注文できないんだよね。だって、ウィーンだから……。日本の飲み屋では、日本酒って注文できるのに、何でだろう?
ボケ作日記 2002.2.21
いままでの掲示板をレベルアップした。ホームページ開設以来、無料で掲示板を使っていたが、この度、有料版(一年で、2800円)にアップすることにした。最初、掲示板ってどうやって作るんだろうと、かいもく分からずにおろおろしていた。そんなとき「無料掲示板」なるものが数多く存在するということを知った。神戸女学院の学生さんが教えてくれた。謝謝。
自分のホームページからそこにリンクを張ればそれでできあがり、そういう簡単な仕組みがなかなかわからなかった。あとから振り返れば(習熟している人にとっては)簡単なことでも、わからないうちはなかなかわからない。(当たり前か……)
そんなかんやで一年十一ヶ月、ただで使わせてもらったteacupの「無料掲示板」だった。そろそろ二年になるし、感謝の気持ちも込めて、有料版にしてみた。「レベル1」と呼ばれている。この命名もなんかおもしろい。宣伝がなくなる、掲載発言数がふえる、カスタマイズがしやすい、多機能になる(といってもこれはまだあまり使いこなしていない)などいくつかの点が便利になる。
そんなに流行っている掲示板ではないけれど、流行ってくれることを祈る気持ちも込めてレベルアップをめざしたい。僕に対する会員登録料がかかるだけで、読者のみなさんの書き込みにお金がかかるわけではないので、いままで通り「野崎次郎無料掲示板」という名前はそのままにしておきました。今度ともよろしくお願いいたします。ほな。
ボケ作日記 2002.2.17
昨日友達と梅田で飲んで、終電に乗り遅れた。十二時四、五十分くらいまであるだろうと高をくくっていたのがまずかった。大阪駅についたのが十二時半。友達は高槻なので、三十六分の最終に間に合ったが、神戸方面は二十九分が最終で、出たあとだった。え、うそ〜。
むかし、よく新宿で遅くまで飲んでいた時には、一時前に、中央線の高尾行き最終があったから、その感覚でいた。それに、十二時くらいになると、気持ちものってくるから、ついつい電車のことを忘れてしまう。最近はほとんど外で飲まなくなっているので、思い出しても昔の感覚で終電のことを思ってしまう。そして、飲み屋と自宅との距離感覚も。ふぅ〜と、昔に戻る。
むかしは、飲み屋と自宅が近かった。新宿と新大久保だから、隣町みたいなものだ。三十分も歩けば十分につく。それでも終電が終われば(というかその時刻あたりから飲み始めていたことが多かったけれど)、タクシーで帰ることもあった。千円もかからない。
むかしは、ずいぶんと環境がよかったのだ。ついついそのことを忘れる。で、結局、歩いて帰るしかないか、と観念して、国道二号線を探し始めた。なかなか見つからない。仕方なく、少しだけタクシーに乗ろうと「決意」して、タクシーに乗った。
だんだん気が弱くなってきて、五千円だけ乗ろうかなという気になってきた。運転手さんに、「芦屋の先なんだけれど、いくらぐらいかかるかなあ。」と聞いたら、「よくわからないけれど、一万くらいかな」という。「一万! そりゃ困るわ。五千円で行けるとこまで行ってください。」と頼んで、まあ西宮あたりまで行くだろう、と楽観的に考えていた。
ところが、武庫川で、五千円になった。正確には、四千九百円。そこで降りて、家に電話して「ここから歩いて帰るから、あと二時間くらいかな」と奥さんに報告。国道二号線をひたすらまっすぐ歩き続けた。途中でコンビニでトイレ休憩とミルクティーを飲んだのを除けば、ひたらすら歩き続けていた。深夜の散歩もいいものだ。てやんでぇ。家についたのは、三時半。疲れたぁ〜。ほんまに。
ボケ作日記 2002.2.12
寒の戻りでここ数日寒い日が続いている。外を歩いていると肌を刺すような冷たい風が吹き寄せてくるが、日差しはかなり柔らかくなってきた。春も近い。
東京にいる友人から電話がかかってきた。三月の三十一日に結婚するという。おめでとう。一生独身かと思っていたが、僕と同じように「高齢結婚」だ。これからも「高齢なんとか」というのがはやるだろう。老人の時代の到来だ。
いまは中国の旧正月で、パリの中華街もにぎやかなんだろうな。行ってみたい。二、三年前、神戸の南京町に見学に行ったが、すごい人で、踊りもよく見えなかった。しかし元気な感じはよく伝わってきて、中華街でご飯を食べて帰ってきた。
結局、論文は書けずじまい。ダンコースの翻訳の方を優先しなければならないので、後回しになる。残念。関大の授業準備をかねて本格的な論文にしてしまおう。って、いつも決意だけは立派なんだけれどね。なかなかあとが続かない。しゃーないか。
ボケ作日記 2002.1.28
先週の金曜日に立命館の文学部の(展開クラス)と女学院の後期試験の採点報告書を郵送した。これであとは四月の新学期まで「自分の仕事」ができる。土曜日にランコントルの委員会があった。ランコントル(三月二十八日、二十九日)の準備と日常の家事を除けばこれから「自分の仕事」に没頭できる。しめしめ。あ、あと、二月の一日から五日間、立命で特別補習があった。これを除いて……。さあ、やるぞ。今月末締め切りの論文を書き始める。タイトルは「ステルネル論争に見られるフランスのナショナル・アイデンティティー」。
と思っていたら、案の定、今日、月曜日の朝一(九時過ぎ)に東京の新評論から翻訳の催促の電話がかかってきた。『ビッグ・ブラザー』(といってもIBMとちゃうで。カレール=ダンコースの東欧の歴史書だ)の翻訳が十年以上もとどこおったままなのだ。遅れているのはまったくもって僕の責任。他の共訳者の分は終わっている。ひたすら謝って、この二月、三月になんとかかっこうつけますので、ごめんなさい、三月まで待ってもらうことになった。「ソ連と東欧」についての訳者あとがきもしっかりしたものを書きたいと思っているので、と言い添えて。
だから今年の春休みは忙しい。四月からは関西大学で「フランス文化史」の講義科目が入ったので、その準備をいまからしておかなければならない。テーマは「フランス・ファシズム論」。ステルネルの仕事を中心にして、第三共和制下での「フランス・ファシズムの形成」についてやることにした。渋すぎて今どきの学生に受けるか不安だが、こちらの関心にあわせてやることにした。これは僕の能力への挑戦でもある。これはちょうどいま書き始めた論文のテーマとも一部ダブルのでちょうどよい機会だ。
「田中対鈴木」のどちらがうそをついているかで盛り上がっている。そして、「雪印」の偽造シール・商品ボイコットで盛り上がっている。時代の変わり目なんだろうな、と感じる。そこに共通してみられること、それは「官」でも「民」でもないNGOが、新たな「パブリック」として形成されていくのかという大きな問題であると同時に、「官」に保護された「大手」が、「消費者」のみならず「官」をも裏切り、そのことで(?)(ここがなんなのかが問題なんだけれどね、はっきりわからない)消費者のボイコットによって倒産するかも知れないという新たな事態が出現しているということだと思う。
つまり、「お上」の信用が地に墜ち、「大手」への信頼が消え失せ、消費者は自分自身の責任で商品を選ぶようになっていったように思えるということである。これはマスコミのあおりにのった、ファシズムの形成なのか、民主主義の徹底なのか、はっきり言ってどうなのかはわからない。しかし、転回点にあることは確かだと思う。
それは小泉首相の支持率の高さの魅力(不可思議さ)にも言える。「改革」してくれそうな幻想だけがその支持基盤である。だから「その改革は嘘だ」といえば済むことがらではないのはいうまでもない。
「田中対鈴木」の戦いが「言った」「言わない」の次元で済みそうな気配であるが、問題はそこにはない。「うそ」であるかないかは、時の力関係によって決まってくることなのだ。だから、ことは「政府の統一見解」を求めるというようなことにもない。それを求めて事態収拾を図ろうとする民主党もやはり「抵抗勢力」なのであろう。既得権益擁護に汲々とする労働組合(連合)を支持基盤としているから仕方がないのだろう。どちらも「守旧派」なのだ。
もっと重要なことは、外務省の「役人」が外務大臣よりも「権力」(事柄を決する権限・能力)を握っているという民主主義にとっては「異常な」事態をしっかりととらえ、それに対する「改革」を行っていくことではないかと思う。外務省の役人に戦いを挑んでいる田中外相に冷淡な小泉首相には「構造改革」はもとより「政治改革」をする気はまるでないのでないか、そう思えてくる。
いや、そうではないのかも知れない。大臣よりも「役人」が権力を握るという事態が続けば、大臣よりも「軍人」が権力を握るという事態へと発展するだろう。これはシビリアンコントロールに反する。といっても、憲法違反の法律がまかり通る国だから僕がこれだけ言っても説得力を持たないだろうな。困ったなあ。
だがともかく、それは元防衛庁長官の息子、小泉純一郎の「願望」なのかも知れない。あ、小泉ってあくまでも「メタファー」ですからね。別に英雄史観に立っているわけではありません。ふにゃ、ふにゃ……。
これはやはり「お上の力」を頼って「改革」を行ってきた日本という国の「お国柄」で、こればかりは変わらないことなのか。それとも「新たな転回点」となり得るのか、楽しみだ。とでも言っておきたい。
ボケ作日記 2002.1.15
期末試験のシーズンだ。毎年、年末年始は、期末試験の問題作成と採点で明け暮れる。なにしろクラス数が多いから大変だ。それに、来年度のシラバス作成が加わる。シラバスはいまやほとんどの人がパソコンで作る。だからそれをそのまま使えれば時間の節約になるのに、なかなかそれがうまくいかない。
文字情報だけをメールで送って、あとは事務の人がペーストして、仕上げてくれればあっという間にできてしまうと思うのだが、なぜかそうならない。わざわざ、プリントアウトしたものをのりで貼り付けて提出という「原始的な」仕方をとらざるを得ない。たぶんそれを事務の人が打ち直すのだろう。二度手間で、無駄なことだ。それが女学院と成安の二カ所。
立命は今年からWebCT というのをはじめた。だから、Web 入稿が、可能になった。(実は去年から試験的に行われていて、僕は去年もWeb 入稿した。)これでかなり便利になった。といいたいところだが、本格導入になった今年は、去年に比べて本格的になったせいか、入稿するときの手順の数が増え、煩瑣になった。
クリックする箇所・回数が圧倒的に増えたのである。単純な作業なのだが、クラス数が多いから、「腱鞘炎」になってしまった。やれやれ。なんでもっと手順が省けないんだろうなあ。きっと立命館大学システム課のパソコンへの対し方が「原則主義的」なんだろう。
それはいきなり送られた来た「ローマ字氏名」が Nozaki Jirou になっていたことからもわかる。ローマ字表記するときの「名字・名前」という最近の「日本文化論」に迎合した語順にも不満があるが、それにもまして困るのは、その表記である。Jirou とは、誰のこと? と僕は思ってしまう。
僕はローマ字を覚えてから(英語を習い始めてから)、Jiro で通してきたし、パスポートもそうなっている。氏名のローマ字表記も、漢字表記、かな表記と並んで、本人固有のものであるはずだ。氏名表記を本人になんの相談もなく、決めてくるシステム課の神経はまったくもって信じられない。
ボケ作日記 2002.1.04
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
去年は気の滅入る悲しいことがあった。読みかけのままむずかしくてやめてしまった『テロルの現象学』(笠井潔)を、今年はきっと最後まで読み切ろう。
四月からは持ちコマが十八コマになる予定だ。一年にこんなたくさんやるのは身体にも悪いのだが、再来年から立命館大学でコマ減が予想されるので早めに手を打っておかなければならない。仕事は入ったら断らずに引き受けておかなければならない。そして危険を分散しておかなければならない。それが「非常勤講師」をしているものの「生活の知恵」だ。悲しい知恵だ。
新しい大学は関西大学で一挙に5コマ増えた。二つのネットワークから同時に入った仕事なので、偶然の一致だ。大阪のディープに進入というわけで、今年はワクワクだ。どんな年になるのだろう。うちでは毎日、吉本のボケとつっこみの特訓を奥さんから受けているのだが、なかなか、う〜ん、僕は天然ボケなのでうまくつっこめない……。
関西大学では、フランス語以外に、史学・地理学科の専門科目の「フランス文化史」が「一年だけ」回ってきたので、嬉しい悲鳴を上げている。いままでほとんどフランス語しか担当したことがなかったので、事情がよくわからず、えいままよ、と思いっきり渋く「フランス・ファシズム」でやることにした。Zeev Sternhell に浸かりきりの一年になるだろう。
ボケ作日記 2001.12.21
オーディオテクニカから出ているトランスミッターを買った。FM-STEREO TRANMITTER AT-FMT5 だ。三宮のジョーシンで \2680 。それとソニーの防滴FMラジオ Shower mate 、同じくジョーシンで \3980 。
この組み合わせでなにをするのかというと、お風呂に入りながらインターネットのストリーミング放送を聴こうというのである。その情報をNifty-Serve の 電子会議室 で得た(FMACPB の小畑さんありがとう)。でそれを実際に構築し、お風呂に入りながら、フランスのラジオ放送をライブで聴こうとしてみたら、それがうまくいった。
夢のような話である。インターネットでEurope 1 にアクセスする。トランスミッターをパソコンのスピーカー出力端子(ヘッドホン端子)に差す。FMラジオは76.5MHz〜77.5MHz の範囲で電波が流れていない周波数に会わせておく。トランスミッターのチューニングを調整する。
これでラジオからEurope 1 の放送が聞こえてくる。最初、カーラジオ用と明記してあって、ふつうのラジオでは電波を拾わないことがありますと注意書きがしてあったし、ジョーシンの店員さんも二メートルしか飛びませんよといっていたので、少し不安だったが、上記のラジオでうまくいった。めでたし、めでたし。
少し音がこもるが、かえって気分がでる。それにこのラジオのデザインがいい。ソニーのICF-S70。緑色のスケルトンの方だ。うん、やっぱりラジオはいい。ラジオはやっぱりラジオで聴く方が気分がでる。
締めて、七千円の追加投資で日本に居ながらにして、フランスのラジオ放送がお風呂に入りながら楽しめる。ほんとに夢みたいな世界だ。残念なことは、夜に入りながら聴いている放送がお昼の放送だということだ。ライブだから、遅れているわけではない。リアルタイムなのだが、時差があるから仕方がない。いまは冬時間だから、八時間の時差だ。
ボケ作日記 2001.12.17
ほんとにめっきり寒くなってきた。ほんとに冬だ。毎年このころになり、寒風に吹かれて道を歩くと、「年越し金」という言葉が文字通りの意味で迫ってきた三十代の頃を思い出す。
別段大した事業をしていたわけではないが、借金ぐるみの生活から「借金地獄」という文字が身体を縛り付け、これはほんとに「あり地獄」と変わらない思っていた。自分で作った借金ではなかったが、自分が作らせた(放任の意味)借金が残ったまま、かつてのパートナーは消えていった。
残された借金をしこしこと返しながら、「人の借金」を返す苦役に耐え難く、「自分の借金」の割合を増やすことで、「自分の借金を返しているんだ」という自己暗示をかけやすくするために、自然に「無駄な」借金も増えていった。この自堕落な俺のためにできた借金だと思うことで、心も安まり、返済の気持ちも起こってきた。というかなりねじれた感情の持ち主になっていた。
ゴールデン街で飲んだくれて、朝方ゴミ捨て場に寝ている自分に気がつき、自宅までぽとぽと歩いて帰ったこともあった。ほんとにゴミ同然だった。借金で借金を返すという「自転車操業」をしていたが、「サラ金」にだけは手を出さなかった。せいぜいがクレジットカードのキャッシングだった。仕事で必要な本やワープロは、高くなるがやむを得ず、現金が使えないので、セゾンカードのリボ払い(毎月定額払い)で買っていた。飲み屋もつけ(毎月定額払い、リボ払いと呼んでいた)で飲んでいた。
そんな綱渡りをして、少しずつではあるが借金は減っていった。完全に整理できたのは、もちろん関西に越してきてからだ。奥さんには頭が上がらない。僕はほんとに幸福だ。
しかし不幸なことに僕がまだ東京と関西を行ったり来たりしていた頃、「いざとなったら、万歳すればいいよ」というのが口癖だった僕のせりふをそのまま文字通り信じた友人がいた。僕もほとんど文字通りみずから信じていたのだが、危うく難を逃れた。
わずか、二百万か三百万の借金のために自殺した人の記事が年末になると載ることがあり、「まさか」と思う人が多いとは思うが、あれは額の問題ではないのだ。その友人も額としてはそのくらいに「過ぎなかった」と思うが、女に貢いで「サラ金」に手を出して、にっちもさっちもいかなくなっていた。
ちょうど五年前の今頃だと思う。東京から大阪に電話がかかってきた。しばらく会っていなかったが、忘年会でもやりたいね、などと僕が言ったが、それはむりだよ、などとしゃっべっていた。いろいろな話をしゃべったが、思い出話みたいな話題が続いた。
なんか変だなあ、と思いながら電話を切って、数日したら、彼が薬を飲んで死んでいた、という知らせが入った。あ、あれは、ひょっとして……。僕ってほんとに鈍感なんだ。あれは、ひょっとして、最後の電話だったのかも知れない。彼は『完全自殺マニュアル』の愛読者だった。
ボケ作日記 2001.11.17
めっきり寒くなった。冬はきっぱりやってくる、という感じがすごくよくわかる。と思っていたら、小春日和が続いている。
しかし「小春日和」というのがよくわからない。二週間ほど前に立冬があって、すぐに寒くなるかと思いきや、天気予報で「小春日和が続きます」といっていた。
すごく寒い日が続いてからでないと「小春日和」という実感がわかないのだが、二日ほど冷え込んだあとのことだったので、少し混乱した。
確か三日ほど前が陰暦十月(小春)だから、十日ほど前の「小春日和」は間違いだったのではないか。よくわからない。
辞書を引くと『集英社国語辞典』には、「晩秋から初冬にかけて」とあるからその限りでは良さそうだ。
さらにおとといの天気予報では「秋は深まっていきます」といっていた。もう冬に入ったと思っていたのに、どうなっているのか。
それはともかく今頃の朝はとても寒い。七時には出かけないといけないので、出かけるのがとても辛いが、歩いているうちに目が覚めてくる。しかし列車やバスに乗って座るともう眠っている。
おとといなどは立命でお昼を食べてから、バス停で待っていたら、暖かな日だまりでふーと眠くなった。バスに乗るとすぐに寝入った。心地よい眠りであった。
ボケ作日記 2001.11.04
立命の異文化理解セミナーの二回目が昨日あった。初日は、セミナーの構成の説明、自己紹介(担当教師、引率職員、学生)、メーリングリストの確認、グループ分け、リーダの選出などだった。
二回目は前半で僕がインターネットを使いながら総論的な話をし、後半でグループごとのテーマの決定と日割りという予定だった。
以下のレジュメを配り、1^2 を三十分、3^5 を三十分、最後の6 を残りの三十分という割り振りでいたが、だいたいその時間で済んだ。
このような「講義」を研究会でないところでするのは久しぶりだったので、少し緊張したが、レジュメに熱心に書き込みをしている学生さんもいたので、緊張も解け、元気もでてきた。レジュメを引用しておく。
-------ここから
第二回 2001. 11. 3 (土)二限 (BKC)
1. テーマの選定における最近の学生の傾向
天下国家を論じる「大問題」(例:知識人と革命、歴史と主体性、EUの歴史と今後、移民問題)と身近な「小問題」(例:モードの歴史、フランス家庭料理、フランスのピカチュー、フランスのラーメン屋、フランスのマクド)
今まで大学という場は古典的な「大問題」を扱うとされていたが、「消費社会の進展」「大学の超大衆化」とともに見やすい「小問題」が流行。
サブカルチャーを学問対象とする「カルチュラル・スタディーズ」の興隆
多様性とたこつぼ化(オタク化) 共通の話題の欠如
2. アメリカの同時多発テロと「異文化理解」(これは「大問題」の例かな?)
テロを受けたときのブッシュ大統領の即座の「報復発言」「十字軍」
「アメリカの正義」と「日本の後方支援」 Pax Americana
「文明の衝突」(ハンチントン)(「ポスト冷戦」の世界対立は?)
「異文化理解」は可能か? 「理解」ということ 「オリエンタリズム」
「発信」と「受信」(押しつけ、文化的優越感、文化的コンプレックス)
パレスチナ問題・中東問題に対するヨーロッパとアメリカの温度差
3. テーマ設定、インターネットを使った検索
Google, goo, Yahoo! などの検索サイト、ネット上の新語辞典、百科事典
フランス語のサイト(文字化け)(文字コードセット)
4. 耳慣らしにストリーミング放送を視聴する。フランス語の新聞、雑誌のサイト。
Europe 1, France 2
Paris Match, Liberation
5. ホームページでフランスの写真を見る。
Galerie Jean-Luc, Galerie Jean-Luc (Annexe)
6. フランスに関するグループ発表のテーマと日割りの決定。
---------ここまで
グループ発表のテーマが、やはり最近の学生さんの傾向を反映している。そしてことしはグルメ揃いだ。
僕の「ボケ作日記」を読んでグルメになっているわけではないだろうが、若い人にもグルメはいるようだ。嬉しい。
六人ずつの四グループである。二日間の日程で一日に二グループに分けて、三十分の発表に質問その他、僕のコメントで授業は構成される。
テーマは、
1)フランスにおけるカフェ文化
2)フランスにおける建築とその歴史
3)日本とフランスの家庭料理の比較
4)フランスの食文化
あと、ひとり個人発表がいる。テーマは「物語における"fragile"」だ。
うまくコメントできるだろうか。ちょっと不安ではあるが、「大問題」でも「小問題」でもどちらでもいいですよ、どっちにも対応できるから、といった手前、うまくコメントできないと大変だなあ〜。
ボケ作日記 2001.10.29
家の近くの国道二号線沿いにシャトレーゼという洋菓子&和菓子屋が昨日だったかに開店した。さっそく市長選の投票の帰りに寄ってみた。
すごいにぎわい。かごが足りなくて外で並んで待つほどだった。関西人は新規開店の店に弱い。ほぼ必ず顔を出し、気に入らなければ二度と行かないし、気に入れば何度となく通いはじめる。
店内でもショートケーキの前で並んでいる。並びながらいろいろと物色していると、まず真ん中にのコーナー(?)に和菓子が並べてある。
大福、田舎饅頭、黒蜜饅頭などなど。僕の好きなものばかりだ。五ヶで250円。安い。飛ぶように売れていた。
ショートケーキの棚には僕の大好きなマロンがあったが、ふと横に目をやると、なんと、ムース・オ・ショコラがあった。感激。うーん、うれしい。
今年の夏、パリにいたときに毎日のように食後のデザートに、モノプリで買ったネスレのムース・オ・ショコラを食べていた。チョコレートの味が舌先に「さっぱりと刺すような」食感がたまらなくて、も〜大好き〜という感じだった。
国際企業のネスレの食品だから、日本でも売っているだろうと思っていたが、ダイエーにも生協にもなかった。ひょっとして、ピーコックならと思って行ってみたが、なかった。Ikariにもなかった。
やっぱ日本では売ってないのかな、なんか、プリンとかゼリーとかがはやる「お国柄」だから、仕方ないのかな〜などと落ち込んでいた。
すると、テレビのコマーシャルでマクドではチョコ・ムースが新発売されたと伝えていた。さっそく駆けつけ食べてみた。あまり期待せずに。
う〜ん、違うんだよな。こんなに水っぽく、ねちっとしたら、まずいだよな、と思った。なにせ、プリンやゼリー風の味付けがはやる国だ。さもありなんと、がっくり。
で、今回のシャトレーゼ。ムースの味は合格点。いただけないのは、その上にフルーツをごたごたのせている点である。
そばだけの味を味わうには盛りそばが一番で、そば通はそれを食べるのと同じだ。やはり、ムース・オ・ショコラは純粋にムース・オ・ショコラだけ味わいたい。
フルーツをのせて、250円なら、フルーツも何ものせずに、100円にすれば、マクドの120円にも対抗できると思う。是非、「純粋なムース・オ・ショコラ」を100円で出してほしい。
世の中には「和菓子党」がいて、「洋菓子党」がいてと思われているが、僕は和菓子も好きだし、洋菓子も好きだ。どちらを食べるかはそのときに気分が決める。
僕のような両方好きな人には、シャトレーゼのようにおいしい和菓子もおいしい洋菓子も置いてある店は魅力である。是非、「純粋なムース・オ・ショコラ」を100円で出してほしい。
ボケ作日記 2001.10.13
三番目のホームページを立ち上げた。infoseek の無料ホームページで、50MBの容量がある。デジカメ写真館、Galerie Jean-Luc (Annexe) をよろしくね。
今年の夏にフランスで撮った写真をまずアップしていく。容量が大きいので、ブロードバンドでないときついかも知れない。アナログの電話回線のダイアルアップで、iMac に読ませてみたら三分かかった。
昨日やっと一つ目をアップした。これが意外と手間取ったので、ずいぶんと遅れてしまった。ふぅ〜。
「プロフェッショナルなWebサイト構築に必要な3パッケージを特別キャンペーンでご提供!」という宣伝文句にひかれて、Adobe Web Special Pack を夏休み前に買った。
ホームページ作成ソフト、画像処理ソフト、アニメーション作成ソフトの三つのソフトのパッケージ版である。
夏は不在だったので、秋口にインストールをし、マニュアルを見ながら操作法をマスターしようとしたのだが、これがなかなかわかりにくい。
まず、Photoshop Elments だ。デジカメが少し故障していてが時間がなく、修理せずに出かけた。画像の保存時に黄色い線が縦にはいるのだ。
だから、画像処理ソフトで処理しないとまずい。ということは理解できたのだが、どのようにすればいいかがわからない。いろいろ試行錯誤しながら、スタンプを使えばいいと納得できた。
また、少し画像に着色したり、文字を刷り込んだりもしてみた。もちろん、画像をシャープにする処理も。中学生の頃、自宅に暗室があった。そこで兄のまねごとで、銀塩写真に修正を加えたりしていた。そんな時代に比べるとと隔世の感がある。
次に、GoLive 5 だ。これは多機能なのはいいのだが、どうも操作のコンセプトが、使い慣れたPageMill 3 とずいぶん違う。マニュアルを見てもわかりにくい。Win のソフトとの統一性を保つためなのだろう。どうも違うのである。
僕はパレットを使うのが好きではないのだが、パレットを多用するようになっている。サイト管理ソフトがあって、まず管理ソフトにファイルを登録してからファイルを作らなければいけないようになっている。画像配置方法が単なるドラッグ・アンド・ドロップではいけない。などなど苦労することがたくさんあった。
だがともかく何とか一つ目のParis 2001a は、あっぷ、あっぷしながら、アップできた。(この親父ギャグは二回目だな。)二つ目以降も少しずつアップしていくので、乞うご期待。
ボケ作日記 2001.10.04
昨日から成安でも後期の授業が始まった。これから魔の三ヶ月が続くことになる。月曜から木曜まで、週に、十三コマの授業、それにほぼ隔週の割合で土曜に「異文化理解」の講義が後期からはいる。
金曜日にはテニススクールがあるから、週によっては月曜から土曜まで学校があるということになる。テニススクールは「生徒」であるからちょっと事情が違うか……。
立命の法学部は今年は例年よりフランス語選択者が増え、一クラス増になりそうだったのだが、結局、クラス定員を臨時に増やすことで対応した。半期だけしかも一コマだけ、という担当者を非常勤からみつけることはむずかしい。
いまのような大学の状況では、(専業)非常勤の方も、ぎりぎりで時間割をくんでいるから、中途半端なコマは断るにも断りにくい上に、引き受けるにも引き受けにくい。
断りにくいというのは、下手に断ると別のコマも減らされてしまうのではないかという不安感による。引き受けても半期限りだと(そのためにほかを断らなければならなくなれば)、他大学を含めたトータルでコマ数減にもなることもある。
引き受けたクラスがずっと続けば問題ないが、選択者数には増減がある。だから、そのコマを引き受けたために、その期だけでなく、翌年からのコマ数減を招いてしまうということもある。むずかしい。
かつてなら、そのくらいのクラスの増減は専任で都合をつけられたようだが、いまでは、専任の数も減らされ、残っている専任もぎりぎりまでクラスを持たされ、会議も増えて、今以上に担当クラスを増やすわけにはいかないようである。まったく余裕がない。
困った事態だ。専任ではないので、細かい事情もわからないし、解決策の提案権もない。二重に困った事態だ。困った、困った。
今日の夕食はとてもおいしかった。今年の夏、パリで何度か作った料理に、スーパーのMonoprix で買った、体長十数センチのcrevettes(えび)を軽く塩もみしたあとバターでソテーしただけのものがあったが、これがなかなかおいしかった。
バターはMonoprix のdemi-sel(塩分控えめ?)。doux(無塩?)ではなく、ドゥミ・セルの方が(半分のはずなのに)塩分がきいていてうまい。日本でもバターを買ってみたが、どうも味が違う。日本のは塩分がすご〜く少ないのだろう。
それにミルクの成分も微妙に違うのだろう。こういうことはよくあることだから、仕方ないかな。まあ「風土」ですね。しかし、coop's の北海道十勝バターは、まあまあいける。
で、エビだけれども、これもしっくりくるのが見つからなかった。スーパーなどでは似ているものにブラックタイガーがあったが、これは「無頭」で売っている。頭がないせいか、味もかなり違う。
それで、先日、近鉄の優勝セールで大阪の天王寺の近鉄百貨店に行ってみたら、ぼたんえび(刺身用)が十五尾で、667円で売っていた。「有頭」である。これはひょっとして、と思って買ってきて、作ってみた。
一回目は、塩もみが少なすぎたために、塩気が足らず、また、ちょっとソテーしすぎて固くなってしまい、思うほどの味がでなかった。今日、再挑戦した。
塩の量を増やし、塩もみの時間を一分ほど増やし、ソテーする前に、バターに塩を少々振りかけた。日本のバターは塩分が少なすぎるのでそうしてみたのである。そして、ソテーするときに殻が軽く焦げる程度でひっくり返し、あとは余熱で済ます。
フライパンのまま、テーブルにもっていき、あとは、頭の汁を「シュー」と口ですってから、手で殻をむきながら食す。おいしい。
先日、スーパーのチラシを見ていたら、「有頭えび」(オーストラリア産)が、ピーコックで1尾百二十円、食彩館で1尾百円という値段で売られていた。ずいぶん高いんだね。これは食べてないので味はわからない。
ボケ作日記 2001.9.15
イスラム過激派の自爆テロリストのことをヨーロッパでは、kamikaze と呼ばれていることはあまりよく知られていない。フランス語では「カミカズ」という発音になる。当然「神風」が語源である。
英字新聞などでは「かみかぜ・アタック」といういい方がされているようだが、日本の新聞、マスコミではそのようないい方は決してしない。やはりそれは日本の「トラウマ」だからだろう。「神風特攻」が日本の地で「信じられた」ということを何とか葬り去りたい気持ちが強いのだと思う。それはかの戦争が「侵略戦争」だったと主張するだけの「科学的真理」の立場と表裏一体をなしている。
だから十一日にアメリカの貿易センタービルと国防省がテロにあったときにも、すぐに「同時多発テロ」といういい方はせず、「テロの可能性?」というようないい方がマスコミの多勢を占めた。そして本土を「攻撃」されたショックを隠しきれないブッシュ大統領が「報復」を口にしたすぐあとに、小泉首相は「これは新しい戦争で、テロとは徹底的に戦う」とテレビのインタビューに答えてしまったのである。
「戦争は内政の延長である」というのが正しいとすれば、まさに「アメリカ人」「日本人」が望んでいることを国家元首が口にしているに過ぎないだろう。なぜならそう言わなければ支持を失うだろうからだ。
さすがに小泉首相の発言は「集団的自衛権や交戦権を放棄した」国の「宣戦布告」ともとられかねないので、国会答弁では「テロと徹底的に戦うアメリカを全面的に支持し、憲法の許す範囲内で支援を辞さない」というような慎重な言い方に変わっていた。
その片方で法の改正などの必要な法的手続きをふまえていかなければならないといういい方で戦争への準備を整える。そして「日本人」は「日本が戦争に入りつつある」ことにきわめて鈍感である。というか敏感すぎて、そのことを口にしようとしない。アメリカ本土でのテロを人ごとのように語る。それはヨーロッパで毎日のように起きているテロをほとんど報道しないマスコミの姿勢といっしょである。
だから、このテロが起きたとき、日本でも「え? なんでなの?」というアメリカ人のほとんどが感じたであろう驚きと同じ反応を示したのである。シャロン首相が選ばれたときからパレスチナと(アメリカの支援する)イスラエルの対立激化は予想され、実際、不幸なことにその通りになり、自爆テロと報復が交互に繰り返されていた。
PLO反主流派の議長がイスラエルに暗殺されたり、イスラエル非難の決議が採択されそうになった人種差別会議をアメリカは途中でボイコットしたり、京都議定書をアメリカは批准しないなどなど、アメリカは方々で「恨まれる」ことをしている。アメリカは世界各地で戦争をしているが、その「正義」が保証されているのは、アメリカ本土が「戦場」になっていないということに支えられていた。
だから、アメリカ本土のビルが「標的」にされたというのは、新しい展開に入ったということだろう。そこにアメリカのショックがある。世界の支持をしっかり取り付けた上で、ブッシュ大統領は不幸にして徹底した「報復」でこれに答えるだろう。グローバル化がますます進行していくだろう。そして「反グローバル化」の勢力のグローバル化も同時に進行していくだろう。これは「世界戦争」へと発展しかねない。
確かにテロは間違っている。しかしその「間違い」を武力でねじ伏せようというのも明らかに「間違い」である。アメリカ大統領は「自由と民主主義の勝利」という言葉が好きであるが、民主主義の根幹には「少数意見の尊重」というものがある。テロは追いつめられた少数派があらゆる表現手段を絶たれてとる最後の「表現手段」である。それがいいといっているのでは全くない。それは悲しい「間違い」である。しかし「間違い」は間違いとは信じられずに「正しさ」として信じられている。「正しい」と信じているからこそ、「自爆」というような恐ろしいことが可能なのだと思う。
だからその「間違い」を「ならず者国家」の責任にし、それを軍事的につぶせばうまくいくと考えるのは、「親分的」発想である。沈黙が守られるかも知れない。しかし鬱屈したものはまた何らかの形で吹き返すだろう。「間違い」を暴力的に「ただす」というのは、「間違い」であり、「抽象的な正しさ」でしかない。
戦争は人にどちらかの陣営に属することを強いる(内発的に)。だが、私は暴力的に強いられる「抽象的な正しさ」とは別な方途を模索しなければならないと思う。そうした外交が可能な国は、「平和憲法」を持つ日本だけだろう。いまこそこれを積極的に活用すべきなのではないだろうか。(これって「朝日新聞」かな)
ボケ作日記 2001.8.31
月曜の午後に飛行機でパリを発ち、火曜の朝八時過ぎに関空に着いた。前日の夜のパリはまさに「熱帯夜」という感じだったので、日本に着いたときは涼しく感じた。昼前に自宅に戻り、芦屋の大丸で買ったすしとビールで昼食。あとは寝るだけ。ひたすら眠り続ける。しかし、三、四時間後には必ず目を覚ます。そして、また寝る。その合間に、出かける前にリストアップしておいた「月末の仕事」をチェックを入れながらこなしていく。「銀行巡り(あちこちの銀行にお金を入れたり、出したり、振り込んだり、移したりするのだ)」「生協インターネットの更新振り込み」「雑誌のマックパワーの更新振り込み」「留守録のテープ替え」「キャッシングの繰り上げ返済」などリストを作っておかなければ忘れてしまいそうなことばかりが月末の帰国時に集中する。
とりあえずこれらをこなしてからまた寝る。しかしまた、三、四時間後には目を覚ます。異様に頭が冴えている。かといって適正な判断ができる状態というわけではない。電話をかけても相手の言っていることがよく飲み込めず何度も聞き返したり、すぐ前に説明されたことをもう一度質問していたりする。頭がはっきり回転していないのである。でも頭が異様に冴えている感じがする。時差ボケである。
これが昨日あたりまで続き、まだ今日も残っている。日本からフランスに行くときにはそうでもないのだが、フランスから日本に帰るときには、時差ボケがきつい。何でだろう。フランスに行くときには「楽しいバカンス」が、日本に戻るときには「辛い仕事」が待っているからだろうか。だとするとこれから先、もしフランスに行くときに「仕事」が待ってるとしたら(もしできることならそういう風にしたいと思っているのだが)(日本にはあまり住みたいとは思わないから)、事態はどうなるのだろうか。心理的な「構え」が影響しているのだろう。フランスに「住める」のならば、「仕事」は「辛い」とは感じないような気もするのだが……。
ボケ作日記 2001.8.26
今日も暑い。三十度を超える日が一週間も続いた。例年にない暑さだ。しかし、明日帰国するので、帰国後の時差ボケと蒸し暑さによる「辛さ」が軽減されるだろうから逆にいいかも知れない。『日経』(web版)の天気予報では、月曜の兵庫県南部は26度だから、日本の方が涼しいことになる。でも湿度があるからね。こちらは湿気がないのがいい。
二十二日の夜は、神戸女学院の内田樹先生と学生さん三名とうちの奥さんとで、バスティーユ広場近くの古風なレストラン、La Bastoche (rue St. Antoine) に行った。僕の頼んだアントレのFoie gras de Canardとプラの Saumon grille は、いまいちだったが、少し分けてもらったニシンのアントレと七面鳥は、量も少な目で軽めの味付けでうまかった。今日の夜、奥さんと二人でもう一度食べに行く予定だ。
学生さんたちは、頼んだ魚スープとオニオンスープの濃いめの味付けにびっくしていたようだ。どうも日本でいう「フレンチ」は「洗練された」味という偏見が染みついているようだが、フランスのふつうの「中級レストラン」の味付けは、むしろ「野性的」である。デザートなどもすごく甘い。量も多い。うーん、食べるぞーという感じで食べないと食べきれない。そこがまたいい(と素直に言い切れなくなったのは、歯が弱ってきた年のせい(?))。若いうちにもっと食べておけばよかったなあ。
二十三日の夜は、内田君を誘って先週感激したピアニストのショパンを聞きに行った。はねてから僕んちであらかじめ作っておいたカレーで遅めの晩ご飯。
二十四日の昼は、前日の残りのカレー。午後にEmmanuelle Beart主演の"La Repetition" を見に行く。すごくよかった。ベアールの映画は、十日ほど前にテレビで放送していた"L'Enfer"(film de Claude Chabrol, 1994) を見てからファンになった。この『地獄』はシャブロルの映画だから日本でも一般上映されたかも知れないが、よくわからない。二十二日からロードショウ上映されたこの『反復(練習)』も、『地獄』とテーマが似ていた。『地獄』ではベアールを(/が)愛する夫が、ベアールの「自由奔放さ」故に嫉妬で「狂気」に陥る。『反復(練習)』では、「愛し合う」親友の「愛の誤解」を招き「裏切られる」。シャブロルの映画の方が迫力はあったが、ロードショウ上映された初日から満員の"La Repetition"の方が筋の展開が幾重にも広がりそうで、一般受けしやすいのだろう。
二十四日の夜は映画を見てから、奥さんが体調を崩したので、「ひぐま」のラーメンを食べに行く内田君との約束をキャンセルして家でオムレツ。内田君とはカフェで1時間ほどディジェスティブを飲みながらいろいろと話した。彼は「ひぐま」のラーメンを食べてだいぶ元気になっていた。僕はラーメンが食べられなかったので彼に当たっていたかも知れない。ごめんね。ともかく、彼と僕との「フランスへの対し方」の違いがテーマであった。
二十五日には、奥さんの体調もよくなったので、昼に二人で「ひぐま」のラーメンを食べに行った。僕はみそラーメンに餃子のセット、奥さんは冷やし中華と餃子。飲み物はスーパードライ。パリのラーメン屋は「ひぐま」と決めている。パリに来たら必ず一回はここでラーメンを食べる。入ってすぐに厨房が「開放式」でカウンター席が前にあり、隣のテーブル席がある(奥にもまたテーブル席がたくさんある)。日本のラーメン屋と同じ間取りである。違うのはテーブル席がカウンターに対して直角であることかな。この開放感がたまらない。味も遜色ない。そしてフランスならでは味もする。たとえば、モヤシ。ただ、冷やし中華のたれが少し薄かったのと、酢の味が変だったけれど。客は日本人は半数くらい。パリの「日本食レストラン」でそういう構成は珍しい。日本人ばかりか、日本人がほとんどいないかどちらかがふつうだからだ。
それにしても「ラーメン屋」は「中華」なのだろうか。「日本食」なのだろうか。日本ではラーメン屋は中華のカテゴリーにはいるだろうが、看板を見るとすべての店はRestaurant japonais となっていた。フランス人の友人にはResaturant chinois japonise (日本化された中華レストラン)と説明したことがあるけれど。うーん、不思議。
二十五日の午後は、奥さんの薦めでデュラスの映画『インディア・ソング』。今回の滞在で、三本目になる。デュラスの映画は何本か見ているし、この映画も二回目だが、どうもよくわからない。むずかしい。見終わってから奥さんにいろいろ説明してもらったけれど、やはりむずかしい。晩ご飯は、映画館そばの"Chez Jenny"(La Republique)。中庭の席が空いていたのですぐにはいる。よく見たらここはアルザス料理店だった。うん。大好きなシュークルートが食べられる。ラッキー。Choucroute de poissons を頼んだ。saumon, rouget, daurade, moule がシュークルートの上にのっている。125Fr.。ちょっと高いけれどおいしかったので大満足。量も少な目にしてくれた。
そして今日のお昼は、マルシェで買ったmuseau de boeuf をアントレに、ご飯とみそ汁。夜は、La Bastoche に再挑戦。明日の飛行機で帰国。帰りたくないよー。でも、仕事も待っているし、C'est la vie...
ボケ作日記 2001.8.22
今年の夏のパリでは、ラーメンを作ったのは四回だけだった。三週間しかいなかった(といってもあと六日いるのだが、これからは外食が多くなりそうだ)のと、暑い日が多かったためだ。それから僕はラーメンが大好きなのだが、それも陳さん(Tang Freres)の卵の入った生麺が、そこにモヤシとハムとコリアンダーを入れただけのシンプルなラーメンが好きなのだが、奥さんはそれほど麺が好きでない。パスタ類を食べると太るという「神話」を信じている。ふぅー。
もう一つの理由は、プラス・ディタリーの陳さんが八月は工事のために休みで、買いに行きにくくなったということもある。プラス・ディタリーでメトロを乗り換え、Porte d'Ivry の Tang Freres 5 まで行かなければならない。そして、このあたりには、すぐとなりにParis Asiatique Store、もう少しコブラン通りとの交差点に寄ったところにAsia Store という具合に、アジアの食材の大きなスーパーが五軒も六軒もあって、買い物時間には通りにアジア人であふれかえる。アジアの食材といっても、(当たり前だが)醤油やポン酢、インスタントラーメン「出前一丁」などの「日本食品」も売っている。だから日本人も多い。日本の「健康食」を求める「白人」も多い。
「昔の」シックなパリを思い描いている人にとってはショックは甚だしいだろう。しかしこれがパリの現実なのだ。そしてパリに住むアジア系の人々が増えているのもこれだけアジアの食材店があれば頷ける(というか、それだけ多いからこれだけアジアの食材店がはやるのだろうが。ともかくそれだけの回転がパリでも始まったということだ)。
ことはアジア系に限らない。黒人も、アラブ系もかつてないほどにパリに住み込んでいるように見える。それは「東欧系移民」の受け入れにある程度成功したフランスが(なにせ、人権と自由の発祥の国だからね)、黒人、アラブ人、アジア人などの「移民受け入れ」に成功したからなのだろうか。それとも、強引に「住み込まれて」難渋しているということなのだろうか。どうやら、後者のようではあるが、ともかく現在、何とかもっているということはそれだけの可能性を秘めているとも考えられる。
フランスは今後、アメリカとも違った「移民国家」として再生していけるであろうか。あるいは「狂信的なナショナリズム」が再生して不幸な時代に入るのであろうか。フランスにおける「移民問題」は、これから日本で本格的に起きて来るであろう「移民問題」にとって、いい意味でも悪い意味でも「手本」になりえると思う。しかし、いまの日本は(とくに学生さんは)「外国」に目がいかない。かつてのように「外国」にコンプレックスを抱かなくなったのはいい傾向といえるであろうが、「学ぶべきものはなにもない」と切り捨ててしまうのもいただけない。そういいながら同じことを繰り返していただけということはよくある話だ。これから日本で「移民問題」が変な方向に行かないことを願うばかりだ。
ボケ作日記 2001.8.16
昨日まで三日間、三十度を超える暑さだった。その前一週間は二十二、三度で涼しいというより、「寒い」くらいだったので、寒かったり暑かったりでややこしい。今日はまた「涼しく」二十三度の予想だったが、もう少しあがったようである。
昨日は、Assomptionで、F2では朝からミサの放送をしていた。祝日で休日なのだが、「聖母被昇天」だから休日なのか「休戦記念日」だから休日なのかは不明(というのもフランスは「無宗教」の共和国だから、カトリックの祝日を休日にはしにくい。しかしテレビなどではあすはAssomptionとはっきり出る)。
夕方に近くのサン・ポールの教会でパイプオルガンのコンサートがあったので出かけていった。定番の「アベ・マリア」がかかったが、いつもの作曲と違って、G. Caccini(1546-1618) の Ave Maria だった。初めて聞いたが、心にじーんと響いてくるすばらしい曲だった。
おとといは奥さんの勤める大学の卒業生を「我が家」に招いた。パリで日系の貿易会社に働いて今年で在仏三年目にはいるという。まだ「スタージュ」の資格でしか働けないが、「正規の」労働許可書で働けるようになるまで、あと二、三年、がんばるつもりだそうだ。「お嬢さん大学」のイメージの強い大学の卒業生で、こういうバイタリティーのある女性を見ると頼もしくなる。Bon courage!
今日の晩は、Eglise Saint-Julien Le Pauvre で、Franz Liszt のピアノコンサートがあったので聞きに行った。ポスターをふと見たままなんの予備知識もなく聞きに行ったのだが、とてもよかった。150Fr.。六世紀にできた古い教会である。去年から、教会でのコンサートのファンになっているが、今日のはすごく聞き応えがあった。
SteinWay というピアノで、音がよくのびた。Herbert du Plessis という人で、リストを弾くだけに当然手が大きい。指さばきが素早く的確。まろやかな軽い感じだったが、重厚さも持ち合わせている。躍動感がある。ラプソディーもよかったが、ラ・カンパネッラが最高だった。聴衆も演奏が終わってからなかなか帰ろうとしなかった。すごくよかった。同教会で、8.24 と、8.30 の 20h00 からもあるので、近くにお住まいの方は是非聞きに行かれることをすすめます。
(「昨日の続き」のつもりが、8.07 の続き)小旅行の四日目(8.02)。朝早くにニースを発ち、トゥールーズに直行。エール・リトラルというマイナーな航空会社で直行便が出ている。タラップで搭乗というのに感激した。残念ながらプロペラ機ではなかった。トゥールーズから列車でルルドに向かった。僕は別にカトリックでもないのだが、世界一の巡礼の地、ルルドには行ってみたかった。「ベルナデットの奇跡」で有名なところだ。「病気が治る」のを願って人が集まるようだ。だから病気の人や車椅子の人が多い。「奇跡」を信じて、水を求めに来るのだろう。
これって「御利益」を願って神社に行くのとあまり違わないんじゃないかなあ。ほんとに。でもルルドに来てよかった。「商業化」しているという人もいるけれど、僕はむしろカトリックの「土着性」みたいなものをルルドで感じた。「宗教」が広まるには、「立派な理論(教義)」も必要だろうが、それだけでは広まることはない。「外国」から「外国」の宗教を見ているとどうしても「理論」から入らざるをえないが、こういう広まり方も見ないといけないのだろうな。
ルルドの駅に昼頃に着いたので、駅前のカフェで軽いサンドウィッチかピザで昼飯を済ませることにしたのだが、びっくりしたのは、イタリア人の多さとおじいちゃん、おばあちゃんの多さである。駅前のカフェでは、イタリア人のおじさんたちのグループが、ビールを頼み(1664だった)、リラで支払い、リラでお釣りを要求していた。しかも、釣りが少ないといって文句も言っていた。イタリア語で。イタリア語で言い合いしていると、マジなのかギャグなのかわからないまま済んでしまうようなところがあって、何となくいい。それにしても、ここはフランスではないのか。イタリアから遠いはずなのに。変なの、と思っていたところ、はたと合点した。イタリアはフランス以上にカトリックの国だった。そしてルルドを歩いていても教会に行っても、聞こえてくるのはほとんどイタリア語だった。ほんとにイタリア人が多い。夜のローソク行列も見た。そのときのミサは四カ国語くらいでやっていたが、隣にいたおばさんたちはイタリア語で唱えていた。その夜はルルドに泊まった。
翌朝(8.03)Grotte に行き、お昼にPont St. Michel 近くの二つ星ホテルのレストランで、魚料理(Truite rose)を食べたが、これが安くてうまかった。その後、トゥールーズに引き返し、夕方市内観光。夕食は、イタリアン。ニースと同じ魚料理(Loup grille)を食べた。これもおいしかった。ニースのイタリアン(本格的なイタリアン)と違って、トゥールーズのイタリアンは、焼いたあとにクリームをかけてあって、フレンチ風だった。a l'oseille という香草風味のあるポピュラーなものである。
トゥールーズでは、Grand Balconという立命の川上先生に紹介してもらったホテルに二晩泊まった。昔ながらのホテルで感激。一泊240Fr. 一部屋料金。安い。古いフランス映画に出てくるすけすけのエレベーターがある。昔はこういうホテルしかなかったものだが、むしろ最近はこういうホテルは少ない。キャピトル広場に面していて地の利もいい。
翌日(8.04)は、アルビに列車で行った。レートレック美術館とカテドラル・サント・セシルを見学。(近頃の)フランスには珍しくこぎれいな(フランス的なシックな)町だった。また来たくなるような町だ。夕方、トゥールーズに戻り、夕食は中華を食べたがまずかった。翌朝(8.05)、パリに向けてエア・フラの飛行機で。定刻通り昼過ぎにパリ市内に到着し、無事旅行終了を祝って、まっすぐ、オペラ座界隈のうどんや「浪花Ya」に直行。稲荷定食(キツネうどん+おいなりさん二ヶ)を食べた。おいしかった。ひとり50Fr。
ボケ作日記 2001.8.07
おととい一週間の旅行からパリに戻ってきた。旅行中は楽しいことが多かった。三泊したニースは暑かったが、海水浴に来たので暑くてもかまわない、というか暑い方が気分が乗る。ホテルはちょっと高めの四つ星ホテルを奮発した。一泊朝食付きで、900フラン。一週間泊まったパリのウィークリーマンションが、一泊で300フランだったから、その落差を想像してほしい。パリの庶民的な地区だったから、中庭に面していたので車のうるささはなかったが、夜には、子供をしかる母親の大きな声とか、延々と続く夫婦喧嘩の声とかが聞こえ、なかなか寝付けなかった。それがフランス語だったら聞き取りの練習にもなったのだが、フランス語ではなかった。東欧系のように聞こえたが、僕の知らない言語だ。「多言語・多文化」など、今さらながらにいうようなことではない。それは「ネーション(の成立)」を論じるときの自明の前提なのだ。
ニースのホテルは小さな通りに面していたが車の量は少なくて静かだった。しかもクーラーが入っていた。四つ星以上では当たり前なのかも知れないけれど、こういうホテルってフランスでは珍しいんだよね。ほんとは。ま、最近はアメリカンスタイルのホテルが増えたから(日本人観光客の増加とともに!)、こういうホテルも増えたと思うけれど、快適は快適ではあるが、なんか風情がなくてあまりおもしろくない。
とはいいながら、生まれ初めてのフランスの「プライベートビーチ」なるものに入った。若い学生の頃、ニースに来て、なんだあれは?、と不思議に思ったものだったが、「階層社会」フランスのことだから、さもありなんとすぐに納得して、plage publique で、しっかり日に焼いて、しっかり泳いだ。そして、Tu es bien bronze. といわれて喜んでいたものだった。相手は当然、プライベートビーチで泳いでいたものと思っていただろうが、そのことは秘していた。そして、「大人」になったら、「お金持ちになって、絶対プライベートビーチで泳いでやる」と思っていたが、ついにその悲願が叶ったわけである。めでたし、めでたし。
食事は、旧市街の花市場のレストラン街で二回食べた。テラスで食べる食事は格別だ。これがほんとの「外」食。プラプラ歩きながら探して決めた初日(7.30)の晩のLa criee は、とてもおいしく、接客もよかった。Gigot de Lotte(魚)を単品で食べ、満足。奥さんはGamba(エビ)。これもうまかった。さすがニースだ。このレストランはパリにも支店があるという。あとで知った。ここは、A。
二日目(7.31)は、初日の隣の隣の店に入った。前日、誘いをかけたおばさんを振り払って別のところに入ったのが気になって、入った。formule a 95Fr. で、魚のスープと魚の切り身の焼いたものとデザート。魚スープは濃厚な味がしてうまかった。奥さんの選択は、アントレにサラダ(上に小さいイカが乗っていた)、プラにムール貝。イカもムール貝もうまかった。しかし、この店の接客ははなはだまずい。まず、なにもいわず、料理をおいて行くし、皿を下げる。やはり、料理を食べながらフランス語を聞きたくてフランスに来ているわけだから、多少「なまって」いようと(アラブ人の店だ)きちんと話してほしい。言葉は「なまって」当然だし、「アラブ訛り」の方が聞き易かったという初級時の記憶があるから、それほど嫌いでもない。それと、会計の時に、計算を間違えた。145Fr. の定食分の請求をされ、文句を言ったら、当然直してくれたが、謝り方がぞんざいで気分を損ねた。なんか胡散臭くて、二度と行きたくない。味はまあまあだったけれど、当然、D。
三日目(8.01)は、メッセナ通りの方で「最高級」にと思って出かけたが、目指す店は、満員。日本人が多かった。やはりこういうところを見ても「日本人はお金持ち」という評判が立つのも無理がないのがよくわかる。そして実際「日本人はお金持ち」である。これは「総論的に」いえることだ。「日本人は」といっているときは「総論」としていっていることで、自分が「貧乏」だからといって、その命題に反発するのはおかしい。
で、結局もう少し歩いていったら、脇道に入る小路にイタリアンがあった。おいしそうなので飛び込んだら、中にしか席がないという。外で食べたかったが仕方ない。アントレにはメロンとプロシュート。Loup brille (すずきの焼き魚)を食べた(醤油をかけたかったけれど、なかっのでレモンをかけた)。ふたつともめちゃくちゃおいしかった。奥さんは、アントレに海の幸のサラダ。プラにフライ。イカとたこがたっぷり。こういうときにmal choisi というのだろう。アントレにイカとたこのサラダをたっぷり食べたあとだっただけに、がっくり。
でも、味も接客も良かった。だから、評価はB。しっかりフランス語で話してくれたし、僕は英語で話されたときにはフランス語で答えたが、そのあとで必ず、済みません、といってくれる。食事の時に、英語を聞くと食欲が下がる。日本人と思うとすぐに英語で話しかけてくるのは困る。こっちがフランスで話しているのにそうするときすらある。どこでだったか、悪気はないのだろうが、食卓に向かってさあ食べようとしていたら、レストランの人が、Have a nice diner! といいやがった。やめてほしい。
ちょっと長くなったので、この続きはまた明日。今日の夕食は、チャーハンにみそ汁。おなかが空いた、今から風呂に入って、1664を飲んで夕食だ。わあーい。
ボケ作日記 2001.7.28
昨日も今日も暑かった。三十度を超したと思う。
昨日はマルシェでトマトを買い(六個で6F40)、銀行で小切手の換金。お昼は、十五区のL'Os a moelle というレストランを探したが、見つからない。メトロのLourmelを降り、rue Vasco da Gamaにあると聞いていたので、その通りを歩いていたら、端に来てしまった。端のパン屋さんに聞いたら、若女将さんは「なにそれ?」という顔をしていたが、奥にいた(と思われる)女将さんがFelix Faure通りの方の端だという。あちゃー、やってきたところじゃないか。これは見過ごしたか。暑いなかまたもどった。すると、バカンス休暇で工事中。三十日まで休み。おいしいレストランは夏休みをとるということを忘れていた。
それで、近くのVasco da Gamaというなのレストランで定食。65Fで、アントレ、プラ、ワイン、コーヒー。安い。それに味もうまかったので、あたり。A。食後の散歩は、フェリックス・フォール通りを過ぎ、Rue du Commerce をAv. Emile Zolaまで歩いていった。レジダンスのそばの通りは暗い感じなので気持ちも沈みがちだったが、途中のフェリックス通りはおしゃれな感じで歩いていて明るい気分になった。
エミール・ゾラのカフェで1664を飲みたかったが、ないといわれたので、Stellaを飲んだ。ビールは飲み時はおいしいが、すぐに身体が熱くなり、脳の血管が破裂しそうになるので辛い。メトロに乗って帰り、夕食は家でオムレツ。後半の三週間お世話になる友人宅に電話をかけ、明日の約束を決める。
今日は、朝コインランドリーで洗濯、昼は、近くのBrasserie で、ア・ラ・カルトの食事。Salade nicoiseをアントレにし(rizがたくさん入っていた)、プラは、奥さんがCanardで、僕はAndouilleというものを食べてみた。豚の内臓のソーセージである。まあまあの味で、B。
これから友人宅に行き、アパルトマンの使い方の説明を受け、旅行中の荷物を預かってもらう。ここはKDDI France と契約しているので、日本への電話代が一分0.79Fで済むので、だいぶ通信費が安くなるはずだ。しかし、通信はつながってみないと何ともいえないので、つながることを願うしかない。
ボケ作日記 2001.7.26
(昨日の続き)二日で十分ほどの通話料が、117F (2100円)。一分で二百円。高い。日本のプロバイダー(生協インターネット)に直接つないだのでそうなった。通信料の予算は四千円くらいを考えていたから、すでに半分使ってしまったことになる。痛い。これなら、so-net の2000円コース(ローミングサービス込み)に変更しておくんだった。フランスの電話料金は安いから、日本にかけても通信料が二千円にはなかなかならないだろうと読んだのが甘かった。ホテルからの接続には、みなさん、料金に気をつけましょう。青天井です。
日本で使えているPHS(または携帯)がヨーロッパでも使えるようになるか、ヨーロッパで使えるPHS(または携帯)が日本で使えるようになってほしい。早くそのような統一規格ができてほしい。そうすれば必要以上に高い通信料を払わずに済むようになるだろう。ホテルを儲けさせてもいい通信環境が整うとは思えない。
着いた晩(二十三日)はなにもせずお粥を食べて翌朝までぐっすり眠った。老体には長旅は疲れる。
二日目の二十四日は、Societe Generale銀行でThomas Cookの小切手を手数料無料で換金し、後半の三週間お世話になる友人宅に電話をかけ、レジダンスの真ん前のスーパーEdで、買い物。500mlの缶ビール(ドイツビール)が一本3,30F
(60円)、安い。ま、日本が高すぎるんだよね。お昼はレジダンス近くのSaint Ambroise の中華(Long Huan)で定食。チンタオビールがうまかった。料理もうまく、あたり。二人で130F。味と値段ともにA。食後の散歩に、Richard
RenoirのMarcheを見た。二時で片づけの時間だった。「戦い終わって」という感じで「市の片づけ」をカメラに撮ろうと思っていたが、意外と「戦いの最中」だった。残飯をあさっている人たち(アジア人)が何人も居て、パリ清掃局の職員(黒人)はそれを終わるのを待っていた。売り子のアラブ人も片づけに専念していて、写真を撮ろうとしていた僕に向かって「おまえはスパイか」とギャグを飛ばす。「そんなことないよ」と答えたら、"Allez-y."といわれた。それが「どんどん撮れ」という意味なのか「おまえもあされ」という意味なのか今もってわからない。
夕食はオペラ座近くの回転寿司「江戸っ子」に行ったが、去年よりネタが悪くなっていた。混んではいたが、しゃりも固く乾いていて、最悪。味と値段ともにD。
三日目の昨日は、午前にミキツーリストに行き、三泊を予約していたニースのホテルクーポンの支払いと受け取り。旅行ウィークの後半はトゥールーズ三日を予定しているが、ニースからの移動手段、ホテルなどをまだ決めていない。飛行機がいいか列車がいいか、相談した。結局、小さな航空会社の飛行機で行くことにした。Air
Littoral のtarif couple で、1286,60F (23000円くらい)。カップル料金があるというのにはびっくりした。日本でH.I.Sに見積もってもらったときには、ひとりで二万三千円だったから、その半額である。こういう細かいところは現地で決めた方が安くあがる。お昼はレオンでムール貝の定食。季節のせいか、あまりおいしく感じなかった。暑くなったのでグラスを食べた。夕飯は家でスパゲティー。
四日目の今日は、昨晩九時過ぎに寝たまま、朝の八時に起床。ぐっすり寝た。郵便局に行き、トゥールーズのホテルを予約。立命の川上先生にすすめられていたホテルが無事とれた。電話で予約というのはとても疲れる。何とか通じてよかったが、予約確認のfaxを送るように言われたのでレジダンスからfaxを送ったらすぐに返事のfaxが来た。これで一安心。それにしてもこのレジデンス、fax一通が15Fというのは高すぎる。
お昼はバスティーユまで出て、Le petit Bofinger で、定食。二人で261F。味、値段ともにA。食後の散歩に、Chemin
Vertを歩いてみた。Boulevard Voltaire と交差する、このあたり一帯は中国人の衣料品の問屋街になっていた。中国人の生命力に今さらながらに感嘆したが、パリの景観が変わっていくのにはちょっと寂しさを感じる。「ヨーロッパの街並み」というのは「中国人」は嫌いなんだろうな……。
夕飯は家でカップ焼きそば。バスティーユのMonoprixで買った缶ビール1664を飲む。6*330mlで25,20F。一本あたり75円。安いね。ほんとに。でもさっきのドイツビールに比べると高級品ということになる。このビールは僕の大好物だが、ちかくのEdでは売ってなかったので飲めるのが今日に至った。早く風呂に入って飲むことにしようっと。お風呂は当然、バスタブにバスジェルを入れ、マリリン・モンローみたいに泡だらけの浴槽に浸かるのがいい。ラジオでEurope
1 (ヨーロッパン)を聞きながら洗濯物になったみたいに浸かっていると最高だ。もちろん、ラジオは音質のいいFMではなく、長波(LM)がいい。
ボケ作日記 2001.7.25
おとといから一週間の予定でパリの11区のレジダンス(ウイークリーマンション)に滞在している。その後一週間ニースとトゥールーズに旅行したあと、また三週間、パリに滞在する。昨日インターネット接続環境を構築できた。フランスのアパルトマンでの構築は三年前から実績があるが、レジダンス、ホテルでの構築は初めてだ。だから不安もあったが、何とかできた。外線はゼロ発信なので、プロバイダーの電話番号の前に「0,」をつけるだけでいいと聞いていたが、うまくいかない。
そのようなときはコンマをふたつ、三つつければいいとも聞いていたが、うまくいかない。モデム君は番号を回しているようだが、いつも「話し中」になるのだ。う〜ん、変だなあ。二十分ほど、モデムを入れ直したり、アダプターを差し直したりしたが、うまくいかない。
あ、そうだ、ひょっとして、とモデムの回線種類の設定を「パルス回線」から「トーン回線」に変更したら、あっさりつながった。古い建物だから、てっきり「パルス回線」と思いこんでいたのがいけなかった。
つながってから、昨晩、今朝とあわせて十分ほど接続した。るんるん気分。接続できているだけで、るんるんになれるというのも変だが、そうしたものだ。ところが、やはりホテルの室内からの電話は高くつく。
ボケ作日記 2001.7.21
やっと夏休みに突入した。六月の下旬から、通常のクラス以外に立命の担当者会議ふたつ、女学院での講演会ふたつ、女学院での懇談会、ランコントルの委員会、マンションの臨時総会、瑕疵委員会、東急不動産との協議会、立命の研究会ふたつと行事が集中し、さらに期末試験期間に入り、試験問題作成、その採点、その合間にパソコン相談という具合で忙しさで死にそうになっていた。
やっと十八日に採点報告も発送し終え、夕方前には床屋に散髪に行き、ゆっくり昼寝(夕寝?)もし、ひさびさのゆったりした夕べを過ごし、十九日には、銀行巡りもして、あちこちに支払いを済ませ、住吉の区役所によって不在者投票も済ませ、三宮に出てT/Cを買い、お昼のビールを飲みながらウナギを食べ、ゆったりと流れる時間に身を任せ、幸福感にひたっていた。そして、また六時まで昼寝した。
ところが、十九日の夕方六時に聞いた留守録がもとで、天国から地獄。朝方かけたフライトのチケットの受け渡しについて,旅行会社との行き違いがもとで、夫婦喧嘩になってしまったのだ。これでもうフランス旅行はドタキャンか。口も利いてもらえない。翌日は帰りが遅くなるといって、食事も別々。とほほー。
一挙に落ち込み、なにも手に付かない。昼のテニス教室に行ったは、ボーとしているだけ。帰ってシャワーを浴びても元気は出ない。落ち込んだとき、語学の勉強をするのが、十代の時からの僕の習慣だ。おかげで現在まで、初級から中級程度の語学は十指に余る。MDに録音したまま聞いてないラジオ中国語講座が三週間分たまっていたので、それを聞きながらけだるいに夏の午後を過ごした。
二十日の深夜に話し合いをし、やっと仲直りができた。今回はかなり重症だった。フランス行きを前にして、フランスモードになっていて、態度や言葉遣いがアグレシップになっていた。それは旅行会社にだけ向けていたつもりだったのだが、それは間接的に奥さんへの非難という効果を生んでしまったようだ。僕は言ってしまえばそれでスカッとするのだが、その言葉が別の効果を生んでしまう。う〜ん、困った。
僕の性格(「女の腐ったような」ねちねちした性格)が悪さをしたので、まったくもって僕が悪かった。「ヘレ、ごめんね。これから気をつけるから」と謝って、仲直りができた。よかったよかった。「ヘレ」とは、僕の奥さんの呼び名である。ヘレ(関西弁でヒレ肉のこと)が大好物なので、こう呼んでいる。
あさってからはパリです。フランスでの更新は、数日分まとめてアップすると思いますが、週に一回のペースは守るつもりです。あ、女学院の増本さん、この前、通学の途中にばったりあったときに、「先生、更新とまってますよ」と言われてしまいましたね。読んでいてくれてありがとう。これからも読んでくださいね。増本さんは、掲示板にもアクティブな現役の学生さんです。ほな、フランスでえ〜。
ボケ作日記 2001.6.30
今日は久しぶりの休みでごちそうを食べた。先週は土曜日が立命の研究会。日曜がマンションの臨時総会、午後から隣にできたマンションの業者、リクルートコスモスと引っ越しについての「話し合い」。今週に入って、平常授業以外に、木曜に立命で「異文化セミナー担当者会議」、金曜日に歯医者の定期検診。腹の立つことばかりだったが、さすがに金曜の夕方はぐっすりとダウン。やっと今日、休みがやってきた感じだ。
のんびりと今日の晩はなにを食べようか、奥さんと話し、かつおのたたきか刺身がいいということで、去年の十一月にオープンした大丸ピーコック甲南店に買い物に行く。家の近くに魚のうまいストア(新鮮館)があったのだが、ダイエー甲南店との価格競争に負け、去年の夏にあえなく倒産した。
ダイエーの魚売場は前よりはましにはなったが、まだまだ「買いに行きたい」と思わせる店ではない。何しろ売場に近づくと「生臭い」においがする。ほとんどのさかな屋に共通したにおいではあるが、この「生臭い」においはものが新鮮でないからするらしい。そして僕もたぶんそれが正しいと思う。それにダイエーは陳列の仕方がダサイ。この年になると「量より質」という選択肢が強く働くので、ごちそうを食べるときにはピーコックに行くことにしている。それにここに行くと高級感がある。野菜も京野菜がたくさんおいてある。少し高めだが、品もいいし、味もうまい。
加茂なすが二百九十八円だった。みそ田楽にしよう。魚はまるあじが二尾二百六十円でしっかり肥えていた。体長三十センチを越えていた。うまそう。塩焼きにして食べよう。東京にいたときには、加茂なすも食べたことがなかったし、あじは開きで食べるものと思っていた。子供の頃はあじは煮魚の定番だったが、二十歳すぎて友達と話していると「え、あじの煮魚?」と怪訝そうな顔をされたので、これはひょっとした母親の得意(特異性?)なのだと得心した。
両親は二人とも新潟出身だった。そして、僕が生まれる少し前に、兄と姉を連れて上京し、東京に住みついた。そして、そこで僕が生まれた。だから僕は「東京生まれ」といっても、「新潟文化」にすっぽり浸かって育ったのだろうと思う。田舎を捨てて東京に出てきた多数の「田舎もの」の一組(二人の子連れだからますます絵になる)だったのだろう。「田舎っぺ」と非難され、泣いている母の姿を幼いながらに何度も見た記憶がある。そして僕もまたしっかり「田舎っぺ」だった。穴のあいた靴下はふつうだったし、一か月も同じジーパンをはいていた。汚い子だったが、それほど気にはならなかった。六年の家庭科の時、「今日の朝の献立を黒板に書きなさい」と先生にいわれ、「ぞうに」と書いた(今でなら「雑煮」と変換してくれるが、当時はパソコンなどもちろんないし、漢字でどう書くかは知らなかった。いや、「ぞうせ」だったような気がする。何しろ辞書を引いても出てなかった記憶があるから。)(これでもクラスで三番くらいだったんだけれどなあ)。
すると先生は「ぞうすい」のことかと聞いてきた。「ぞうすい」などという言葉は聞いたことがなかったので、わからないと答えた。なにが入っているかと聞かれ、にんじんといもとごはん、それとみそ、などと答えた。要するに前日の残りなのだが、そういう風に説明の下手な小六だった。おまけに家庭科の授業中は教室中を走り回って教師を困らせていた。だから、通信簿は「2」だった。「文化圏の違い」というのはこういうことをいうのだろうなと知ったのはずっと、ずっと後のことになってからである。
「文化圏の違い」というものをさらに経験したのは、関西に越してきてからである。関西はほんとにおいしいものがすぐに日常的に手にはいる。「食文化」というものは「文化」に入らないと考えがちだった東京にいた頃に比べるとまるで違う世界に生活しているようだ。何しろ僕は「貧しい食事」で「勤勉に働く」「新潟県人」を両親にして育ったから、そして、大人になっても「これがあればあの本が一冊買えるのになあ」など思いながら食事をしていたから(とはいいながら飲み代はしっかり使っていたが)、「おいしいものを食べる」ような生き方は「正しい」生き方、「生きるために食べる」生き方に反すると心のどこかで思っていた。これは身体に染みついた感じ方で、なかなか捨てきれない。う〜ん、困った。
ボケ作日記 2001.6.17
行き帰りの電車の中で、『カルチュラル・スタディーズ入門』(上野俊哉ほか、ちくま新書)をよんでいるが、「ああ、そうか」とえらく合点のいったことがあった。立命のプロジェクト研究会でスチュアート・ホールほか編『カルチュラル・アンデンティティーの諸問題』(大村書店)を読んだとき、なんか「胡散臭い左翼」のにおいがしていて、どうも読む気がしなかったのだが、その理由がよくわかったというのが第一点だ。若い頃(大学院生の頃)デリダやフーコーなどを読んでいたから、それなりになにをいいたいのかすぐにわかるが、読んでいておもしろくない。その理由がよくわかった。
CS(カルチュラル・スタディーズ)をやっている人には当たり前のことなのだろうが、それはイギリスのニュー・レフト(新左翼)を起源にしている。「フェミニズム」にせよ、「ポスト・モダン」にせよ、「多文化主義」にせよ、その胡散臭さは、どうも同じようだ。ただ、「アカデミックな」意匠を掲げているがその発想は似たり寄ったりである。それは「共通の敵を倒せ」であったり、「(男性という、ヨーロッパという)単一性を排除せよ」であったりする。しかし「単一性」(アイデンティティー)がなぜ悪いのか、なぜ特定の「敵」(悪者)をでっち上げてそれと戦おうとするのか、その問いに彼らは答えることができない。
僕自身、「左翼少年」「ノンポリ青年」「不良中年」(そして現在は、「ガタガタ熟年」(ボケ作老人))という経歴を歩んできているので、そして、また、学生・院生時代にバイト先で「新左翼」の学生とか「革命的」学生などと深く関わったことがあるので、あまり「生意気なこと」はいえないのだが、そうした気持ちは痛いほどよくわかるし、そういう語り口を思わずしてしまっている自分に気づくことも多い。しかしそれにも関わらず、それでは「まずい」ということはしっかりいっておかなければならないだろうと思う。
そしてまた、合点のいった第二点目は、僕の前の論文(加藤典洋論)の批判が高橋哲哉らの心に届かなかった(と僕には思えるのだが)理由である。彼らはそもそも「左翼批判」を出発点にしている、なぜなら「新左翼」なのだから。(もっと正確に言えば「左翼」という言葉すら彼らは必要としなくなっているかも知れない。)だから、僕が「左翼」と十把一絡げに批判してみても痛くも痒くないわけだ。そうした十把一絡げの僕の批判こそが批判されなければならない。いかにも正しい。
しかし、「旧左翼」も「新左翼」も(そしてさらにいま論壇を支配している「知識人」たちも)僕にとっては同じ「左翼」に見える。その批判は「新左翼」がやっているような生半可な「スターリン主義批判」だけで済むことではない。もっと大きな射程を抱えていると思う。そしてそのことが前の論文では書き切れていなかった、ということに気がついたのである。次の論文の課題が見えてきた。
ボケ作日記 2001.6.08
今日は梅雨の合間の晴れ、爽やかな気候で過ごしやすかった。この爽やかさはパリの夏を思い起こさせる。八月でもちょうどこのくらいの感じがパリの夏だ。乾燥気味なくらいでとても快適だ。それでもパリに数年住んでいる人は、暑い暑いというようだが、じめじめと暑苦しい日本からパリに着くと、ほんとに別天地で快適だ。毎年、なにがあってもパリで夏を過ごすぞという気持ちにさせる。
僕は六月生まれだ。そのためだろうか、じめじめした気候がとても嫌いだ。性格までじめじめしてくる。僕のことをあまり知らない人は、「さっぱりした人」「冷たい感じ」と思っているようだが、かなりじめじめしていてしつこいと自分では思っている。そう思われるのが嫌いだから、意識してさっぱりしているように振る舞っているが、夏になるとそうも行かなくなり、かなり辛い。それは気候がじめじめしているから、そうなるので僕のせいではない。気候に同化しようとする僕の身体のせいだ。
ともかく生まれた月の気候があまり好きではないというのは、誰にもいえることなのかはわからないが、僕はあまり好きではない。だから、その合間の晴れの日はとてもハッピーな気分になる。そして、爽やかな夏の日を思う。僕の生まれた日はそんな日だったかも知れない。ひょっとしてその日だけ、母親はパリに行っていたのかも知れない、などと夢想にふける。そんなはずは絶対にないのだが……。
今年の夏のフランス滞在の計画は、徐々に固まってきた。まずフライトがオーケー。関空からパリまでと、フランス国内の移動のツゥー・フライト。一週間のレジダンス(ウイークリーマンション)は、一泊300Fだからとても安い。国内旅行の一週間のうち、ニースには「高級ホテル」(四つ星だぜ!)に三泊する予定だが、そのホテルもオーケーだ出そうだ。あとはトゥールーズの三泊が未定。最後の三週間は友人のアパルトマンに不在の間(一時帰国するのだ)お世話になる。かなり安くしてもらった。感謝、感謝。
八月の下旬の帰国直前に、研修の付き添いでフランス到着直後の内田樹先生とパリでおいしいものを食べようと約束した。日本でも会える人とパリで会うのは、また格別の感じがして楽しい。いまから楽しみである。
ボケ作日記 2001.6.01
今日は衣替え。昨日で前期の折り返し点を過ぎた。中間テストをやったのでくたくたのまま、今日の午前のテニス教室から帰って午後は、パリに電話をかけ、夏の宿のめどが何とかたったので、夕方までぐっすり寝た。明日は東京に行き、フランス文学会である。
中間テストは女学院を残しているが、このテストが終わるともう夏も近いという感じになる。そして実際、夏の手配、つまりフライトの切符の予約、宿の確保、お金の確保など夏一色になる。楽しみだ。この一ヶ月のために一年働き続けているといっていいほどこの一ヶ月が楽しみなのだ。
あと一ヶ月と二週間で夏休みだ。あと六週間といういい方もあるが、それだとなが〜く感じる。だから、あと一ヶ月で、あと二週間になる、という風に考える。それだと早くやってくるように感じる。変なものだ。
はや〜く、来い来い夏休み〜。
ボケ作日記 2001.5.20
あっという間に半月が過ぎてしまった。二週間がばたばたしているうちに過ぎ去った。思い出すままに振り返ると、四日は本山で山車のパレードがあった。二楽園のビルが新築されたので、そこから山手幹線を望めば眺めがよい。六日は絶好のハイキング日和で保久良神社から岡本のへ抜ける定番コース。保久良梅林でお昼の弁当を食べ、昼寝。七日から十日までは授業。十一日は一日中、翌日の立命の研究会の準備。
十三日は東急不動産との瑕疵問題協議会。「スリット問題だけ、四、五名の別の会を設けてそこで話し合えないか」などと訳の分からないことを言い出す。何でなのかと聞いても答えない。まじめに「協議」をする気があるのだろうか。東急不動産の企業としての姿勢を疑いたくなる。
十四日から十七日までは授業。木曜の授業のあと、今年から専任になった友人の研究室をたずねて、午後から東西線に乗って椥辻(なぎつじ)に行く。昼間の東西線で山科より先に行くのは初めて。空いている。
十八日はテニス。十九日は土曜でやっとゆったりできた。夏休みに借りる予定のアパルトマン(三年続けて借りていた)を予約しようとフランスに電話をかけたら、完全帰国するので借りられないことが判明した。焦る。フランスで就職した別の人に電話をして、頼んだ。オヴニのfaxも送ってくれたが、どうなることか。これからアパルトマン探しが大変だ。
二十日の日曜は、ラジオ講座とテレビ講座を二週間分まとめて視聴。その合間に翻訳の仕事。少しずつでもやってるから許してね。
ボケ作日記 2001.5.02
昨日はメーデーだった。「労働(者)の祭典」というこの日の存在は、スト好きなフランスも含めて世界的に影が薄くなってきているようだ。「平和と民主主義」を建学理念とする立命館大学の法学部で、先週の木曜日の昼休み「大事件」があった。大事件といっても、僕が法学部の事務室の電話機に向かって「そんなの納得できない」と大声で怒鳴ったというだけだ。ことの次第はこうである。
木曜日は朝一から授業がある。朝着くとメールボックスに法学部事務室からの封書が入っていた。ううん、去年のアンケート結果だろうと思って、そのまま授業に行き、二コマの授業を終えてから、お昼のそばを正門近くの「レストラン」で食べ、どきどきしながら封書をあけた。毎年今頃学生アンケートの集計結果がメールボックスに投函される。そして木曜の「総合」のクラスはどうもうまくいかず、学生の「満足度」が悪いのではと気になっていたのだ。
しかしあけてびっくり。な、なんと、「交通費はJR円町まで申請してあるが、査定の結果、JR京都駅まで(+市バス)しか出せない。」と書いてある。去年の秋、JR嵯峨野線に地元住民の「悲願」として「円町」という新駅が誕生した。これで京都市の西側もだいぶ便利になり、立命に行くにも二十分くらい早くなる、これで朝早くからバスに四十分も五十分も揺られずに済むと喜んでいた。最寄りの駅は円町なのになぜ最寄りの駅まで行ってから、バスに乗っては行けないんだ!そばものどを通り切らぬうちに、法学部事務室に戻った。
事務室は昼休みののんびりした雰囲気が漂っていた。「質問のある方は事務室の**まで」と書いてあったので、**さんに、これは納得できないんですがというと、彼女はすぐに職員課に電話をかけた。そして直接受話器を渡された。受話器を取って「なんで最寄りの駅まで来てから市バスに乗る経路がいけないんですか。円町ができて便利になって喜んでいたのに……。通勤が二十分も違うんですよ。疲れ方がまるで違うし。納得できな〜〜い!」と叫んだ。あたりはシーンとなった。そばに駆け寄って来るものもいた。職員課の職員は「こ、これは原則ですから、書面にも書かれてあるように、あとは各学部の事務長の裁量で……」というようなことをいった。
受話器を彼女に返すと、職員課の職員としばらく話をしていたが、脇で聞いている感じだと、僕の場合は事情を考慮して、円町でいいが、他の人の場合はどのように対応すればいいのか彼女は聞いているようだった。どうも本部で決めた「原則」が十分な理由説明なしにそのままトップダウンしてしまって、職員(おそらく彼女は法学部のパート職員だろう)も説明しきれないのが実状のようだ。困った事態だ。そのようなトップダウンもひどいし、質問先に質問に答えきれない職員を指定する幹部職員もひどい。そんなことを考えていると、となりに事務長が来ていた。どうしたんですかとたずねられた。事務職員が説明すると、僕に向かって事務長はすぐに返事をせずに「職員課と話した上で」返事をするという。帰宅後、自宅に電話をもらうことでその場は収まった。
夕方前に電話がかかってきて、結局、「原則は京都までということになっていますが、個々の事情もありますので」ということで、僕の場合、「円町まで+市バス一路線」の交通費が支給されることになった。「原則を変えた方がいいと思いますよ」とのどから出かかったが、やめた。僕としてはきちんとした交通費が支給されれば文句はないのだから。しかし「個々の事情を考慮して」というのは、柔軟なようで聞こえがいいが、それは担当者(その部署の長)の「さじ加減」でどうにもなってしまうということではないだろうか。
それは「誰がやっても同じ結果が出るようにする」というウェーバー的な意味での「官僚制」とは違って、「官僚主義」の土壌となるのではないだろうか。
それともそれは京都の「土地柄」なのかも知れない。
市電が廃止されてから、京都市内の公共交通手段は市バスとタクシーとなった。非常に不便であったが、数年前から地下鉄がやっと本格的に整備されはじめ、JRの新駅もでき、市内の交通体系が大きく変わりはじめているにもかかわらず、そのことを認めようとせず、相変わらず京都の「都市化」に抵抗しようとする勢力がある。「そんなにいそがんでもよろしいがな」ってな感じだ。
「移動のしやすさ」は都市であるためのきわめて重要な要件である。それは市内に住むものにとってばかりではなく、市外から通勤・通学するものにとっての「移動のしやすさ」でなければならない。また、自動車の移動ばかりではなく、公共交通による移動における「移動のしやすさ」でなければならない。なるほど、「京都という町」は、ほどよい大きさといい、ほどよい交通の「不便さ」といい、市内に住んでいる限りではとても「いい町」であるのだろう。しかし、「都市」は市外からやってくるものを拒絶していてはいけないのである。「外部」のものが通り過ぎる場が、「都市」と呼ばれるものなのだ。京都はいまだ「都市」になっていない。それとも京都はかつて「都市」であったことによるトラウマからいまだ脱せずにいるのだろうか。
ボケ作日記 2001.4.16
今日から女学院でも授業が始まった。これですべての大学で授業が始まったことになる。女学院では着いてすぐに三年前の答案の処分をした。答案の処分は毎年四月の新学期前、我が家の恒例の行事だったが、コピー室のシュレッダーの存在を内田先生に教えていただいたので、今年はそこを利用することにした。持って行くまで少し重い思いをしたが、やはり、業務用のは早い。しかも十数枚を一挙に飲み込んでくれる。最初、縦に入れていたが、横入れしてもうまくいった。まさに「流し込む」ように入れていける。いままで三時間かかっていた作業が、わずか5分で終わってしまった。めでたし、めでたし。
最初の授業は緊張する。女学院の学生は(というより最近の学生は)まじめなので、僕がしゃべりはじめると「シーン」という音が聞こえるくらいに静かなので、緊張する。大きな声を出すのは二ヶ月ぶり位なので、のども慣れていない。口も早くは回らない。もともと僕は早口なので、いつも人前で話すときには「ゆっくり、ゆっくり」と自分に言い聞かせながら、話している。だから、そのくらいの方が学生の方にとっては聞き易いかも知れない。こちらに越してきてから、とくに京都と神戸で授業をするようになってから、話し方がゆっくりになった。そしてそれが身体にしみこみつつある。
「ゆっくり話す」ということに慣れてきたのかも知れない。それとも、せこせこした生き方を避けるのようになったということかも、のんびり生きようという気になったのかも知れない。あまり急かなくなった。まあいいや、のんびりしようって感じ。しかし、時々奥さんには「ぐず」といってしかられる。やれやれ。奥さんは大阪の下町でもまれている。
なかなか生活のリズムというのはむずかしい。最初、京都や神戸の人と話すときのリズムが合わなくてよく困った。とくに京都の立命の事務で強く感ずる。なんか違うのである。単に早さだけではない。単刀直入に話題に入っていけない。なんかお互いに「ぐずくず」しながら(その間に「素早く」お互いのリズムを確認して)、話に入っていき、しかも、その内容には直接ふれないような話し方。でも話はついてしまう。なんかわかったようで、わからない話し方だ。これが「京都風」の話し方なのかも知れない。僕のような東京の「山の手」育ち(?)(「下町」ほど伝統がないので、そういってはいるが、気質的には下町だろうな)にはつらい世界だ。ふぅー。明日は京都。
ボケ作日記 2001.4.08
昨日は花見日和だった。週間天気予報によると週末は雨ということだったので、桜も金曜までかとがっかりしていたが、幸いにも予報がはずれとても穏やかな快晴になった。夕方、夙川公園に夜桜見物に出かけた。いつものように奥さんと「地球健康家族」で弁当を買い、コープでビールと日本酒を買い、ビニールシートを担いで出かけた。
夙川には確か四年前、神戸に越してきた年に来たことがあるが、その年はまだ工事が残っていて、花見気分が薄らいだ。花見の宴席の盛り上がりが感じられ、地震のことを忘れようという人たちの「気概」も感じたのだが、そのことがかえって地震を思い出させてしまう。つらいところだ。
花見の来る前にホームページの更新を済ませておこうと思っていたが、ずっと前から気になっていた「長枕」が少し薄すぎるのを直すのに手間取り、更新しきれなかった。長枕には、数ヶ月前に買っておいた「そば枕」から「そば」を取り出して補充しようと考えていたのだが、時間がなくてそのままになっていた。無印で買った「長枕」が厚すぎたので、中身のポリエチレンの綿を少し抜いていた。しかし時間が経つとともにやせてきた。そこで中に少し入れなければと考え、まず「そば」をいれることを思いついた。プラスチック製のものが入っているのだが、やはり「そば」の方が落ち着く。そば枕から三分の一ほど「そば」を取り、プラスチックに「そば」を混ぜて入れた。裏側には前に抜いたまま保存しておいたポリエチレンの綿でほんの少し補充した。これで快適になるはずだ。
金曜は、朝にテニス教室。午後には奥さんといっしょにプール。彼女はイルカのようにとても泳ぎがうまい。バタフライもできる。僕はクロールを教えてもらい、やっと25メートルが泳げるようにはなったが、平泳ぎ(二回に一回顔を上げる我流の平泳ぎ)の方が楽だ。八本泳いで、適度の疲労感。帰りに本山の La Pausa でスパゲティーを食べる。新しく開店したイタメシヤで、若い人でいっぱいだった。
木曜は、立命で新学期最初の授業。朝の1限と2限だ。フランス語は朝の時間帯に押しやられる傾向にあり、他の大学とあわせて、週の3日が朝一(あさいち)の授業である。行きに二時間かかるので、これから十四週は、朝六時起床の生活が続く。(あら、大変。)それが終われば、夏休みだ。いまから夏休みが楽しみ。
月曜から水曜までは、新学期の準備をしていた。テキストやテープをそろえたり、シラバスを確認したり、教室や時間を確認したり、ホームページの更新ファイルを作ったり、教科書をしまっておく引き出しを整理したりで、なんやかんやと時間がかかった。整理はうまい方ではないので、緊張しないときちんとできない。それにコマ数が多いので(十四コマ)、うまく整理しておかないと混乱する。違う授業に違う教科書を持っていったり、違うプリントを持っていったりしかねないので、注意が必要なのだ。ほんとに似たような(ほんの少しだけ違う)授業を持つと、頭が混乱してくるから、事前にきちんと整理しておかないとうまくいかなくなる。ああ、大変。