ボケ作日記 2005.7.18

 蝉が鳴き始めた。本格的な夏の到来だ。

 ヒロ子が入院した5月の17日から告別式を経て、二ヶ月間、なにも予定のない初めての日が昨日と今日だった。

 葬儀のあとすぐに立命で授業をしなければならず、さらに葬儀の休講分に加えて、入院直後の休講分の補講も加わり、6週間、月曜から土曜まで、授業がつまっていた。

 その補講も先週の土曜で終わり、ほっとしている。あと立命は、火曜、水曜、木曜に授業と試験があり、採点をして夏休みにはいる。女学院が25日に試験。

 採点締め切りが、3日から9日あたりまでだから、採点の合間を縫って、区役所や銀行などに行く事務手続きをして、6日の満中陰(四十九日)まで、超多忙な日が続くだろう。

 8月の10日には人間ドックの予約をしているので、それまでは命を持たせなければならない。早くヒロ子のところに行ってしまいたい気もするが、「ヒロ子の分も生きる」というのが、ヒロ子との約束なのでそれもできない。


ボケ作日記 2005.6.20

 ヒロ子が死んだ。

 一年十ヶ月の闘病も空しく、今朝の6時20分、神戸赤十字病院でなくなった。この間支えてくれたみなさん、ありがとう。でも駄目でした。

 通夜は、6月22日(水)18時から。

 告別式は、6月23日(木)11時から。

 場所は、芦屋ホール(阪神芦屋駅下車、徒歩5分)。


ボケ作日記 2005.3.02

 一昨日は結婚記念日だった。

 結婚は93年だったから、12周年になる。ヒロ子は2月の16日から住之江病院に入院していて、一昨日、昨日と外泊、外出許可がでて、ずっと二人きりでいられた。

 一月からの化学療法をやめ、免疫療法に全面的にシフトした。今までの鐘紡記念病院の漢方に加えて、東京の瀬田クリニックの活性化リンパ球療法、大阪の林免疫療法クリニックのBCG-CWS、それにイレッサを投与することにして、4本立てで行くことにした。

 イレッサを扱っている病院が最近では限られて、大阪の遠藤クリニックと林クリニックの紹介で住之江病院に入院してイレッサの投与を始めた。間質性肺炎などの重大な副作用の可能性があるので、十分な監視下でないと投与できないので、単なる錠剤なのだが、最初の頃は入院しての服用となる。

 イレッサについては医者のあいだでも意見が分かれているのだが、免疫療法をやっている医者は一様にイレッサを勧める。

 白血球を下げることがないので、免疫力を下げないというのがいいのだろう。イレッサはガン細胞を直接たたきに行く(それと同時に正常な細胞もたたいてしまう)ものではなく、ガン細胞の表皮にあるタンパク質に働き、ガン細胞を増殖させる情報の伝達を阻害することで増殖をおさえる分子標的薬ということらしい。

 「厚生省」や医学界でも今までの抗ガン剤が効かなくなってから使う、「最後の」抗ガン剤として位置づけられているようだが、抗ガン剤とはまるで違うものであるはずだ。

 だからやみくもにガン細胞をたたこうとする伝統的な「西洋医学」とは対極にある「免疫療法の医薬」(後藤重則)ということになる。「分子標的薬は腫瘍の縮小をねらったものではなく、進行を抑制する薬剤として理解されており、がんとの共存共生に通じる治療」(後藤重則)であると信ずるならば、ドルマンス(休眠状態)が続き、QOLを保ったままできる限り長く寿命まで生きるのに最善の治療であるということになるだろう。

 一日一錠ずつ飲むようになっているが、2日に一錠にして様子を見ながら、服用を続けているが、今までのところ特段の副作用はでてはいない。3日ほど前から、頭が痛いと言ってはいるが、これは寒さのせいかもしれない。

 春一番が吹いたかと思ったら、寒の戻りである。ふつうでもきついのに、病人にはさらにきついだろう。

 それに住之江病院は鐘紡記念病院とはなにからなにまで違って、昔の建物に昔の設備で、看護方針も昔のままという感じだ。どこか外国に来たみたい。

 鐘紡の時にはデイルームで夕食も一緒に食べられたのに……。食事は家族と話しながら食べることが治療面でもいいという考えが鐘紡にはあった。これがよかったんだけれどなあ。

 そのようなとてもすばらしい看護を行っているのだから、「免疫療法の医薬」を扱ってくれてもいいと思うのだが、なかなか世間はうまくいかないらしい。鐘紡の内科の主治医はイレッサに対しては否定的だった……。

 


ボケ作日記 2005.1.24

 瀬田クリニックの治療を受けることにした。明日診察があるので、今日の午後から東京に行く。

 女学院の知り合いの紹介で大阪の免疫療法を積極的に取り入れている遠藤クリニックに、一月から行き始めた。そこで京都の島津メディカルの診療所でPET検査を受けるように勧められ、検査を受けた。

 全身転移の状況を把握するためだ。その結果をもって、遠藤先生が連絡を取ってくれた瀬田クリニックの後藤院長のもとに駆けつける。「活性化リンパ球免疫療法」である。

 同じタイトルを持つ本は、一昨年ヒロ子が発症した直後に読んでいたが、そのときはその療法へと向かわなかった。今、ヒロ子はその本を読んでいる。

 今は学期末でとても忙しい。試験の問題作成、採点、さらに、新学期の準備(シラバス=講義要項の作成)も加わるのでとても忙しい。

 正月休みにシラバスは済ませてしまおうとしたのだが、立命のWeb入稿のシステムに(僕にとっての)不都合があった。科目名一覧のローマ数字が文字化けしていて、科目名の同定ができない。

 入稿要領には「特殊文字は使わないように」とわざわざ書いてあるのに、科目名一覧を入力した人は特殊文字(機種依存文字)を使っていた。困ったもんだ。

 結局休み明けに対応してもらったが、そのため学期中に入力しなければならず、大変でした。windowsユーザーはみずからの「多数派性」に自覚を持って欲しい。って「多数派」はそういう自覚を持てないから「多数派」をやっていられるんだろうな。

 さらに、今年の正月はのんびり過ごせるかと思いきや、年末からヒロ子は下痢を繰り返し、正月は元日からお粥。30日、31日と冷たいものが続いたためだ。いけない。ついつい忘れてしまう。

 今は直っているが、食事はほぼ全面的に僕の担当になり始めている。僕の分まで、あれこれ献立を考えるのが辛くなってきているようだ。ヒロ子は僕の料理力にはまったく信頼していないのだが、頼るしかなくなっている。僕も期待に応えるしかない。

 『どんなガンでもあきらめない』の帯津良一のことは覚えていると思う。帯津関連で食事療法の法を二冊そろえた。

 帯津良一、幕内(まくうち)秀夫『癒しの食事学』は、総論として読了。さっそくそこにあった漢方粥メニューを活用。百合根粥と木耳粥がとくに肺にいいらしい。

 二冊目はカラー写真入りのレシピ集だ。帯津良一、上野圭一『がんを治す食事療法』。まずは幕内式食事療法からマスターしよう。そのあとに中国食養生「薬膳」に移るつもりだ。うまくいくといい……。


ボケ作日記 2004.12.29

 寒さが厳しくなり、冬らしくなってきた。って、遅すぎる。

 東京では初雪が降ったそうだが、寒い。関西では氷雨が降ったようだが、わからない。ともかく、寒い。まだ大掃除が終わっていないのに、困る。

 年末の恒例行事、大掃除と年賀状書きは25日に入ってからやって始められた。それまでは家事と平常授業に加えて、中間テスト、期末テスト、来年度のシラバス書き・教科書選びなどがあって、とてつもなく忙しい。

 さらに今年は、例年と違う「事件」があった。これは事件である。

 来年度の4月から5年任期の立命館大学嘱託講師の選考が秋に行われたのである。すでに10月11日に「大切な面接」があると日記に書いていたが、その面接に通って、内定が出た。

 その通知が11月初旬にあり、「健康に問題がない限り候補者として学長に推薦する」という性格の健康診断が11月の16日にあった。

 ヒロ子の退院が13日。14日にマンションの瑕疵対策委員会(その後その議事録を書く)。月曜、火曜と授業かあってから、火曜の午後に健康診断。

 さすがに前日は寝酒をやめて臨んだが、それがかえって災いし、寝不足。朝一から二コマの授業を終えて、保健センターに急ぎ、まず血圧測定。それがなかなか健康値に収まらず、高めの結果が出た。

 何度もやっても同じ。スポーツクラブなどにおいてある自動血圧測定器であるが、これはいつも変な結果が出る経験がある。これは「機械が変ですよ」といいながら、もう一台の機械ではかるが、結果は同じ。

 焦れば焦るほど、血圧は高くなる。ああなんてこった。

 気を落ち着けようと、ゆっくりと深呼吸をする。毎週火曜日は午前中の二コマの授業を終えてから、JR京都駅のラーメン小路で「桂花ラーメン」の「たーろうめん」を食べるのを楽しみにしている。

 だから、とっと身体検査を済ませて、ラーメンを食べながら、落ち着いた午後の一時を夢見ていたのだが、どうも様子が違う。

 「健康に問題がない限り」という文言が頭の中をくるくると回っている。ふにゃ。

 看護士さんが、落ち着いてから計り直してくださいといって、向こうへ行ってしまったのも、なんだから見捨てられたように感じられて、焦りが高じる。

 また長椅子に腰掛けて深呼吸をしていたら、人が何人も通り過ぎていく。何か取り残されていく感じ。これはいけない。うん。目をつぶって、深呼吸を何度が繰り返していると、だんだんと気が静まってきた。

 三十分位して、なんとか平常値に収まってくれた。次に、胸のレントゲン、血液検査、そして心電図である。

 これですぐに帰れると思いきや、内科検診時に「今までに××症候群といわれたことはないですか」と聞かれた。××のところは英語三文字である。

 「いえ」と僕。先生は診断書の心電図の欄に「異常あり」と書きながら、僕に何か質問している。もう目の前が真っ白になり、なにがなんだかわからない。

 どうやら「不整脈の一種」というものらしい。機械が正確すぎるんだよ。ほんとにイヤになる。多少のぶれというものに総じて今の医師は寛大でなさすぎる…。機械の数値にばかり頼りすぎるのだ。

 今までにそういうことはいわれなかったかとさかんに聞いてくる。今までに確かに「心筋障害の疑いありと春の学校検診時にいわれたけれど、すぐに精密検査を受けたら異常はなかってし、今まで毎年人間ドックで見てもらっているけれど、ここ数年、異常はなかった」ということを必死になって言った。

 そりゃ必死になるよ。「採用には問題ないけれど」というせりふが聞こえた途端、一挙に力が抜け、そんなに英語三文字で脅さないでよね、と心の中で叫んでいた。ああ、疲れた。

 その後中間テスト、その採点、期末テスト、期末テストの問題作成、来年度のテキスト選定、シラバス、などであっていう間に年末になってしまった。ふう忙しかった。

 12月18日には、自宅療養中のヒロ子を海星のシスターとフランス学科の先生たちが自宅に見舞いに来てくれた。ありがたい。

 23日は、ヒロ子とその父親と一緒に矢田のお寺にまいった。そこにはヒロ子の母親の墓、川崎家の先祖代々の墓がある。父親は熱心な信者である。月並祭というのに初めて参加し太鼓をたたいた。太鼓の音が合うと一瞬からだがぴりっとする。

 24日に鐘紡で診察。25日には床屋。26日には大掃除開始。窓ガラスの掃除。暖かな日だったので、快調に終える。夕方は年賀状。年賀状は28日の夜に投函できた。大掃除も29日になんとか終えられた。夕方コープリビングで毎年恒例の葉牡丹を買う。

 明日の朝に今年最後のゴミ出しをしてから、午前中に年末年始の買い物をして、夕方は内田君宅で忘年会。今年は二人で行けそうだ。嬉しい。

 あとは31日に、ざっと掃除機をかけ、紅白を見ながら料理を作って、お正月を二人で迎えるだけだ。


ボケ作日記 2004.10.21

 またまた台風が来た。全国的に甚大な被害をもたらしたようだが、昨夜は風でものが飛び交い、ぶつかり合う音がすさまじかった。

 近畿上陸は間違いなしなのに、警報がお昼近くまで出なかったので、立命の朝一の授業は平常通りあった。午後の関大は移動中に不明だったため、到着してから休講を知った。悔しかったので、出勤簿にはんこだけ押して帰ってきた。

 それにしても今年はよく台風が来る。二十三号で10個になるという。どうなっているのだろう、というか、地球規模で大気の流れが変わってきているということなのだろうか。

 デリダの訃報に接した10日、朝から『リベラシオン』や『ル・モンド』の記事をインターネットで流し読みする。『リベラシオン』はシラク大統領の「デリダは世界でもっともよく読まれたフランスの哲学者であった」という追悼の辞を報じていた。

 『ル・モンド』は、「哲学するということは死と向かい合う準備をすることである」とデリダは語っていた(ハイデガーとともに)と伝え、さらに「しかしそれは私にはうまくいかなかった」と付け加えたとも伝えていた。

 なるほど、デリダらしい「脱構築的な」言い方だ。ジョスパン元首相との「私的な関係」も伝えていて、シラク大統領の追悼の辞にも裏があるのだなと思わせた。それほど晩年のデリダは政治的に利用されていたようだ。不幸なことである。

 「私は政治的に中立である」とデリダ自身がわざわざ言わなければならないことが不幸である。

 デリダは大学院に入る前あたりから読み始め、その後の僕の研究の方向を決定づけた人である。修士論文も「グラマトロジー」に関わるものであった。だから、彼の死には大きな喪失感が伴うはずであるが、実際はそれほどでもない(ように思える)。

 その理由は考えてみたが、二つあると言えるだろう。

 ひとつは、ここ十数年間、デリダの著作はほとんど読んでいないし、新作を追いかけることもしていないということがある。だからすでに遠くに行ってしまった人という感じがあるのだろう。

 院生時代に「ジャンルの掟」の翻訳を出版した(友人たちの絶大な援助を受けながら)のだから、デリダの訳者たちの一端をになっていたわけだが、それは訳者の世代が高橋、足立、豊崎という世代から次の世代に移る頃のことでもあったが、そのころからすでにあまりデリダは読まなくなっていた。

 それは「ヨーロッパの壁」があまりに厚いということを実感したからだ。もう、どうしようもなくよくわからないことがある……、そうした絶望感のようなもの、それにとらわれた。

 もう一つは、デリダを身近に感じることがなかったということがあるのだろう。たしかに、1983年、今はなき高橋允昭先生の企画で早稲田大学で行われた「デリダに聞く」という会で僕自身も「条件法と脱構築」というテーマで直接質問もし応答してもらったこともあるし、また、Glas (弔鐘)に、サインもしてもらった。

 直接、会って話もしたわけで、とても感じのよい人ではあった。しかし、どこかすっきりととけ込めるところまでは行けなかったという経験がある。僕の敬愛する高橋先生はぞっこん惚れ込んでいたが、僕自身はそこまでは行かなかった。だから身近な人の死というのとも違う。

 だから、いずれの場合にも、「よし今度会ったら、こういうことをいってやろう」という気構えがあまり強くなく、またそのような現実性を考えることができなかったからということなのだろう。考えてみれば、残念なことだ。

 「今までに愛したものは今も愛している」というのは、デリダがサルトルに触れて語った言葉であるが、それがその通りであるとすれば、デリダのことは「今も愛している」、そのように言えるようにならなければならないだろう。

 そして、それが言えるようになるには、おそらくあまりに厚い「ヨーロッパの壁」を越えたときかもしれない。そしておそらくそのとき、デリダの死という喪失感は絶大なものとして感じるだろうと思う。

 そんなことを考えながら、10日の晩には、テレビで「あの日に帰りたい」という六本木のイタリアン・レストラン「キャンティ」にまつわる「ドラマ/ドキュメンター」を見た。時は、1960年。荒井由美の愛したレストランだ。ドラマには堺正章とか、いろいろな面々が「出演」(当然、松任谷由美も)、演奏もした。

 なかなかおもしろい番組だった。ドラマのような、ドキュメンタリーのような、ヌーボー・ロマンのような、変なおもしろい番組であった。夢中になって見ていたので、ウィスキーのお湯割りがすすんでしまった。

 あ、いけない。翌日は「大切な面接」の日であった。10時からだから、7時に起きなければならない。珍しく飲み差しのウィスキーを捨てて、すぐに寝た。 

 それにしても、1960年って安保闘争の年だよな。なのに「安保」の「あ」の字もでてこなかった。うん、そういうことってあるんだろうな。歴史は、片面だけ見ていてはよくわからない。

 ヒロ子は、一ヶ月の治療休養のあと、先月の27日に鐘紡に再入院した。一週目は検査。肺はほとんどかわらずだが、脳に転移した腫瘍が十数カ所に増えている。翌週の4日、治療提携をしている新須磨病院で診察を受けた。翌日から3日間入院し、放射線の手術を受けた。

 ガンマ・ナイフである。治癒率は95パーセント、翌日からふつうにしていられるということだった。脳の手術もずいぶんと様変わりした。

 しかし、やはり、脳に放射線を当てたのだから、翌日からふつうというわけには行かなかった。数日間、脳の腫れを引く点滴を鐘紡病院でうち続けた。吐き気もあり、頭がぼうっとしている。

 それが引けた頃には抗ガン剤治療の三クール目に入った。先週の水曜である。昨日はその2週目。よく頑張っている。

 計算したり、字を書いたりすると頭がぼうっとしてきて、吐き気がでてくる状態だが、少しずつ改善している。しかしそれも抗ガン剤の副作用でまた似た症状がでる。ほんとによく頑張っている。

 今日はオフの日なので、これから買い物を済ませてから、病院に行く。四時からコンサートがあるので、一緒に聞くのだ。

 

 

 

 


ボケ作日記 2004.9.27

 すっかり秋である。しかしうちのマンションのこぶしが二つほど花を付けた。台風18号の塩害のためらしい。

 ヒロ子は今日から鐘紡に再々入院。第二クールの化学治療を終えて、9月の3日に退院してから、一月ぶりの予定された再々入院である。

 第二クールを終えた時点で手足のしびれなどの症状がでたので、そのまま治療を続けることを嫌って、体力を付けてからまた続けたいとのことであった。

 一週間、調査をしてから、特段のことがなければ、第三クールの治療に入る。火曜日に大学時代の同級生が大挙して見舞いにきてくれるという。ありがたいことだ。

 第二クールのあとの検査では、almost no change という結果だったので、腫瘍が小さくなったわけではないが、「治療をやめる理由ではない」と神戸大病院の先生にいわれた。

 自宅療養のあいだ、淡々と日常生活を送っていた。このように平穏に日常生活が遅れるという幸せを十全に感じながら……。

 先々週の日曜日には、二人で梅田のジュンク堂まで本を買いに行った。村尾国史『どんなガンでもあきらめない』(晶文社)。帯津三敬病院のドキュメンタリーである。

 ヒロ子も夢中になって読んでいた。安保徹のものよりも感動がある。帯津は実際に患者に接しているから、患者の気持ちが分かる。「死」についても書いている、などなど。

 僕自身は右腕、右肩に加えて、首が回りにくくなったので、女学院の授業のあと、整骨院に行ってから病院に行った。明日から六時起きの日が続く。


ボケ作日記 2004.8.01

 台風一過、爽やかな夏の一日だった。

 ヒロ子に一月ぶりの外泊許可が出て、久しぶりの二人きりの週末であった。昨日はLa Poste で誕生日のディナー。

 パエリアを食べたいと言っていたので、バースデイスペシャルディナーを予約しなかった。そのため、サービスのケーキが食べられなかった。

 そのことで「喧嘩」になりそうになったが、「休戦」。二人とも理屈で押しまくり、絶対に後に引かない。それをやっていると身体に悪いので今は「休戦」。

 アントレに食べた生ハムは、まあまあの味であったが、パエリアはうまかった。ここの名物らしい。隣の客も頼んでいた。

 ワインはいつもの La Bourgueil (ラ・ブルグイユ)。ロワール地方の銘酒である。一昨年ツールに滞在したときには毎日のように飲んでいた。さっぱりしていながら、こくがある赤ワイン。

 そのようなワインが岡本の地中海料理屋の定番ワインになっている。嬉しいことだ。

 そして今晩は自宅で夕飯。一月ぶりの自宅での二人の夕飯。ヒロ子がラタトウーイをつくり、僕がスズキを塩焼きにする。「鉄腕!DASH!」 を見ながらのんびりと食事をする。至福のときだ。

 午後には、ヒロ子に教わりながら、パジャマのゴムひもの交換をした。「一人でできるようになっていなければならない」といわれ、なんとか交換できた。ふー。

 治療効果を見るための検査では、no growth という結果。つまり1クールの投薬の結果、進行は現時点で停まっているということだ。

 小さくなっているわけではないが、停まっているだけで「御の字」としなければならないだろう。

 来週から2クール目が始まる。さらに体力を消耗することになるだろうが、耐えて欲しい。さらに治療効果が上がることを祈るばかりだ。


ボケ作日記 2004.7.26

 1クールの三週目が終わり、今週は休薬の週である。水、木、金と投薬があり、金曜あたりから食欲不振になり、日曜あたりから元に戻る。

 今回は前回と薬が違っているせいか、副作用軽減の薬を同時に注入しているせいか、前回よりも副作用の出方は少ないように思う。ただ髪の毛は抜け始め、すでに8割方は抜け落ちている。

 しかしヒロ子のショックは前回ほどではない。あらかじめ予想していて心の準備ができていたのだろう。それに「髪の毛より命の方が大切」という気にもなっていた。

 休薬の今週には検査がたくさんある。頭のMRIが月曜の今日(夕方の予定が午前中にすでに終えた、という電話がたった今入った)。

 水曜に肺のMT検査。木曜に腹部のMT検査という具合だ。この検査で治療効果を見てから、2クールに入るか、別の治療に入るか決める。

 あと今日の血液検査で白血球の数が許容範囲に達していない場合はできないが、週末は外泊許可が出る予定。一月ぶりの外泊になる。ヒロ子の誕生日なので、La poste でディナーすることになっている。

 採点がまだ残っている。昨日は病室のベットの隣で採点していたが終わらない。関大のフランス語の試験問題がやたら量が多いので。人数も多いし。

 って、少なくすればいいじゃないかとお思いだろうが、ここはほぼ「統一問題」なので、担当者が出題することになってはいるが、担当者の自由に作れるわけではないのだ。

 担当者に完全に任せることができないならば、いっそのこと完全な統一問題でやってくれれば、すっきりするのだが、そうともなっていない。

 ここら辺は、いわば「妥協点」でこういうことになっているのだろうが、「官僚機構」というのはとかく生きづらい。

 関大のが終わっても、まだまだ女学院が3クラスに立命が1クラス、合計4クラスの採点が残っているので、八月の初旬までかかりそうだ。立命の締め切りが中旬になったので助かっている。


ボケ作日記 2004.7.15

 ヒロ子は先週の水曜日から前回のと別の薬で抗ガン剤治療を再開した。

 今日ですでに2週目の2日目である。2週間の精密検査の後、7月2日(金)に鐘紡と治療提携している神戸大付属病院に行き、治療方針を決めた。

 背骨と脳にも小さな腫瘍ができているが、それよりもさしあたりは、肺の胸膜肥厚が問題とされた。

 胸水は出なくなっているが、原発性の腫瘍からのガン細胞の産出は止まらず、それが胸膜にたまって、胸膜が異様に厚くなって、肺を圧迫し、呼吸が苦しくなってきている……。

 「カルポプラチン+パクリタキセル併用療法」というもので、肺ガン治療としては現在一般的に取られている治療法である。スケジュールももらってきた。今後、頭部への放射線療法、イレッサ服用というのが考えられるが、それはまだ先のことだ。

 そのスケジュール表にしたがって鐘紡記念病院で点滴を受ける。三週点滴をして、一週休薬。それを三ヶ月やる予定。当然、副作用の出方や一ヶ月毎にCTで治療結果を確認しながら。

 かなりハードな内容だが、本人もその気になっている。一週間やってみたところでは、副作用を低減する点滴も何種類か同時に打っているせいか、前回よりは、副作用はきつくなさそうである。

 それでも金曜日あたりから、気分が悪くなったり、節々が痛くなったり、食欲がなくなったりする程度だ。しかし本人にしてみればその「程度」では済まないのだろう。

 食欲がなくなるのは一生の重大事のように考え、気持ち的にも不安定になる。しかし、日曜日には食欲も戻り、もりもり食べていた。

 こんな感じがしばらく続くのだろう。そして快方に向かってくれることを祈るばかりである。

 大学もぼちぼち夏休みに入り始めているので、僕も昼から行けるようになりつつあるが、まだ採点も残っているので、行くのは夕方になる。


ボケ作日記 2004.6.21

 台風の中、ヒロ子が鐘紡に再入院した。

 台風の近畿上陸を避け、早めに家を出る。JRで兵庫駅まで行き、そこからタクシーで5分、ワンメーター。

 こぢんまりした病院で、医者も看護婦も感じがいい。七階の最上階なので、神戸ウイングが見渡せる。

 血液検査などの入院時検査のあと、明日から、腹部と胸部のエコー、CT検査、それにMRI検査をして、その検査結果を基に治療方針を決める。

 今回は学期中の入院なので、前回のようにずっとついていられない。一日に数時間しか一緒にいられない、行けない日もある。悲しい。


ボケ作日記 2004.6.18

 妻の再入院が決まった。

 抗ガン剤を併用することにしたのである。鐘紡記念病院に21日から一ヶ月前後の予定で入院する。


ボケ作日記 2004.6.05

 ことはなかなか希望通りには運ばない。

 CT検査の結果説明。火曜日には牧病院での検査専門医による所見書を見せてもらった。胸膜肥厚が増大し、リンパ節あたりに腫瘍が増加、増大している。原発性の腫瘍も半年前に1センチ強だったものが、2センチくらいになっている。

 つまり、胸水が出なくなってはいるが、癌の進行は止まっていないということである。見た目にはかなり元気になってきているので、ひょっとしてと思っていたが、免疫療法がうまくいっていない。9月には復職かと思っていたが、それどころではない。

 ヒロ子は最近身体が冷えている、という。四月あたりの季節の変わり目が微妙なようだ。暑さに向かうので、暑くなると思ってしまうのだが、実際は冷えている。刺絡の先生には、体を温めることといわれ、安保徹の新著の話をされた。

 帰りに梅田の紀伊国屋で、『体温免疫力』を購入。さっそく読み始める。

 木曜日には鐘紡記念病院なので、写真と所見書をもって漢方の先生の意見も聞いた。先生も所見書と同じ見解で、写真を見ながら詳しく説明してくれた。

 「抗ガン剤を併用した方がいいでしょうか」と僕はたずねた。先生は「その方がいいと思いますが」というが、ヒロ子は耳を傾けない。鐘紡は「統合治療」の病院である。しかしこればかりは本人がその気にならないと、逆効果になる。

 「あと二ヶ月、免疫療法を続けて……」とヒロ子はいう。「では、飲みにくいだろけれど、もっと強い漢方の薬を処方しましょう」と先生はいう。先生も無理強いは禁物と思っている。

 ヒロ子は体を温めるべく漢方の薬を昨日から飲んでいる。全然飲みにくくはないようだ。「美味しい」といって飲んでいる。腸が活発になって、身体のだるさも取れたという。

 「あと二ヶ月続けて、検査をして、まだ進行していたら、抗ガン剤も併用するようにしようね」僕はそういう。本人もその気になっているが、この「脅すようないい方」は癌にはとてもよくない。それはわかっているのだが、そういういい方しか僕にはできない……。

 それよりも、笑い続けることの方がいいのだが、あはは、って笑っていられない。


ボケ作日記 2004.5.30

 一月ほど前に寄せ植えした山アジサイがベランダで咲き始めた。

 アジサイは梅雨時に好きな花であるが、こってりした派手さとは違って、山アジサイはひっそり控えめな咲き方をする。ガクアジサイに似てまわりに小さな一重の花が囲むように白く咲き、真ん中に小さな花が無数にむらさきに咲いている。

 28日(金)はヒロ子のCT検査があるので、水曜から土曜までいつもの「太山寺なでしこの湯」に湯治に行った。そこから、金曜日は病院に検査に行った。少しでもいい結果が出ればと、湯治場から出かけたのである。

 詳しい結果の説明は来週の火曜日になるが、すぐにわかった限りで見ると、「顕著な変化なし」であった。胸水は止まってはいるが、原発の腫瘍は一センチくらいのが相変わらず残っている。

 ヒロ子は腫瘍がすっかり消えてしまっていることを期待していたようだが、六ヶ月やそこいらでそう簡単になくなるものではない。ヒロ子はいささかがっかりしたようだったが、進行性の癌で進行が止まっているという状態は喜ぶべきことだよとなだめた。「自然退縮」というのは本人もそのことを忘れてしまっている頃に起こるものなのだろう。

 気長に「長い闘病生活」を送って行くしかない。いわば「癌を抱えたまま」じっくりと時間をかけて、「寿命をまっとうする」、そのような生き方を追求して行くしかないのではないか。無理に「癌をつぶそう」とすると、身体そのものをつぶしかねない。

 正直言って、ひとつ心配なことは、リンパに転移していないかどうかということだ。リンパ節になんか……、といいかけて先生はいつも口ごもってしまう。市民病院でも、鐘紡記念病院でも、そうだった。今回は刺絡療法を行っている牧病院での造影剤でのCT検査だったが、どういう結果が出るか、あさっての火曜日に詳しい説明がされる。

 ここのマンションは、まだ瑕疵で売り主の東急不動産と交渉が続いているが、ほとほとイヤになる。遮音性能向上の担保をしない「補修工事」なんてあり得るだろうか。補修の結果が改善であろうとなかろうと「補修さえすればいい」というゼネコンの勝手気ままの態度が許せない。

 もともとスリットがあるなんという話は販売時にはいっさい聞いていない。うそついて売りつけておいて、そのことを数年ひた隠しにしておいて、それがばれたら、「補修します」というけれど、「遮音性能が落ちてもそれは選択の問題です」などとほざくのである。

 構造を取るか遮音を取るか、もし選択の問題としてあるとしたら、その選択は販売時にすることであって、買ったあとに選択することではない。その選択を購入後の客に選択させようとすること、それは端的に補修できないということである。そのような場合は以前の状態に戻す、つまり「買い戻し」「解約」というのが常識ではないか。なにをとぼけているのだ、東急よ。

 マンションの住民の気持ちがすさんできているのか、新しく入ってきた人がそれほどマンションの問題に関心を持たないのか、イヤなことが立て続けにあった。

 2週間ほど前には、エレベーターにげろがはかれていた。さらにふき取ったあとはあるが、不完全で、戻したものが残ったままであった。数日、エレベーターの中が臭っていた。

 もう一つは、さらに信じられないことで、エントランスにあるうちの郵便ボックスにげろがはかれていた。おまけに口を拭っただろうティッシュが二切れ入っていた。なんかの嫌がらせなのか、泥酔の結果なのか、よくわからないが信じがたい出来事だ。

 しかしこのマンションを出ていくことはできない……。


ボケ作日記 2004.5.04

 ベランダの金魚草が越年して、きれいに黄色い花を咲かせている。

 こんな文章を日記に書こう書こうと思いながら一ヶ月が過ぎてしまった。新学期早々、風邪を引き、といって休むわけも行かず、のどの痛みをおさえながら、話し続けなければならず(だって仕事だから)、ますますのどを痛め、ようやく一週間ほど前に直った。

 ひょっとして花粉症だったのかもしれない。町に出て列車に乗ると似たような咳をしている人によく出会った。この時期に、三、四年前にも同じような症状で苦しんだことがあったような気がする。咳が出て夜も眠ることができない。

 で、数日前からヒロ子が似たような症状になった。のどが腫れて頭も痛いという。咳が止まらない。まさか、とは思ったが、まさか、そんなことはあるまい。胸のあたりもさすっているので、うーん、まさか、とは思うのだが、よくわからない。

 胸のあたりが重くなるのは、針のあとによくなることで、「白血球が腫瘍と闘っているンだよ」と思うことにしているのだが、僕は妻の一挙手一投足にぴりぴりしている。

 とあんまりびりびりしていても詮ないことなので、家事に精を出し、リビングのソファーカバーやクッションの冬物を夏物に替えたり、洋服の夏物を出したりする。

 そうだ思い出した。先週の29日には甲南山手のユニクロにTシャツとズボンを買いに行った。ヒロ子はユニクロのズボンが入らないので(ユニクロは73までしかない)、去年まで気に入らなかったが、今年は67が入るようになったので喜んでいる。2本、買った。

 ユニクロの商品はダイエーなどの商品に比べるとが生地がしっかりしているので、「高い」(!)けれどもそれだけの価値はある。

 先日、ホームページを見たといって、宝塚に住む女性の癌患者の方からメールをいただいた。免疫療法、針の治療のことで詳しい話を聞きたいという。最初メールで返事を書いたが、結局、妻と電話で直接話してもらうことにした。元気な妻の声でいろいろと話が聞けてとても喜んでいたようだ。お役に立てたようでとても嬉しい。

 これで妻が「完治」したら、このような問い合わせが殺到するようになるのだろう。妻が癌患者の「希望の星」となれればいい。


ボケ作日記 2004.4.02

 今日は午前中に雨という予報だったが、明け方に雨が降っただけで、朝から晴れた。

 そのおかげで桜も散らずに済んだ。午前中に海星に行くヒロ子の付き添いをした。ヒロ子が授業の準備でコピーを取っているあいだに、僕は研究室でiBookのLAN関連の設定の確認をしていた。

 ヒロ子は四月から復職のつもりでいたが、もう少し様子見をした方がいいということで、完全復帰はならず、週に一日だけ通うことになったのである。

 そうやって少しずつならしながら、様子を見て、秋にも完全復帰ができればいいと思う。焦りは禁物。病気をぶり返してはなんの意味もない。

 帰りに王子公園まで桜を見ながら桜並木を歩いた。まさかこのように花見ができるとは去年の秋には思いもしなかった。だからひとしお嬉しさがあふれる。

 子供の頃、おばあちゃんが母親のふるさとについたばかりの僕ら孫を見て、「また来年もあえるんだかねー」といっていた意味がふと理解できた。

 また来年も来られるよね、僕は一人つぶやいていたような気がする。花の命は短くて……。

 王子公園の中にも入ろうかと提案したら、ヒロ子はいいよというので、身体は疲れない? 大丈夫かと確認しながら、中に入った。何しろ15分以上歩いたからなあ。

 確か三年ほど前にも夜桜を見に来たことがあるが、今日は昼間だ。花の見え方が違う。温かい飲み物を買って、観覧車に乗る。

 桜の花に囲まれながらというか、埋もれながらというか、桜の上から、桜と同じ高さで桜を見るのは、なんというか、「花咲爺さんになったみたい」とヒロ子がいった。うん、この手の比喩は妻の方がうまい。

 ここの観覧者が好きなのは、ここから遠くに見る海星がすばらしいからだ。桜の花々の先にキャンパスの建物の上にそびえるマリア様が見える。

 「深山にかおる白百合の気高き姿」という歌詞がまさにぴったり。ここから撮った写真を大学案内のパンフレットに入れればいいのにという提言をしたこともあったが、最近の学生さんには無理らしい。

 「お嬢さん大学」っていいと思うけれどなあ。最近は、みなさん何となく「お嬢さん」になってしまうから、「お嬢さん」に「なり」たがる人は少なくなってしまったんだろうな。いいことなんだか、悪いことなんだか……。

 岡本で買い物をして帰宅後、すぐに二人とも昼寝。

 暖かくなってきて眠気がすぐにやってくる。3月の疲れも出てきたのだろう。ランコントル、その前に玉川温泉、その前に海星の卒業式。

 その日に先輩の先生から「卒業式に出られてよかったね」といわれたときには、思わず涙が出かかった。こういうせりふは若い先生からは出てこない。