書評

『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた

世上名高い10分間の大激論の謎』

(デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ著、二木麻里訳、

筑摩書房、2900円)

 一九二九年、ウィーンで熱く燃えた科学者集団がある「宣言」を発表した。「ヨーロッパの危機」がさまざまな場面で語られていたころである。彼らは論理性と実証性とを兼ね備えた「科学的な」哲学を構築し、「観念論」と縁を切ることで、不毛な対立から解放され、世界の平和が得られると信じていた。
 この「ウィーン学団」が聖典としてあがめていたのがウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』であった。しかし、当のウィトゲンシュタインはウィーン学団にはあまり関心を持っていなかった。他方、学団に入りたがってはいたが、受け入れてもらえなかったのがカール・ポパーであった。この二人の天才と秀才が本書の主人公である。
 学団のメンバーは迫りくる戦争とナチの台頭のために、世界各地に散っていった。学団のメンバーに限らず、同じウィーンに青春時代を送った二人のユダヤ人も同じ運命をたどった。ウィトゲンシュタインはケンブリッジに身を寄せ、ポパーはニュージーランドに亡命した。
 一九四六年十月二十五日のケンブリッジ。この二人が思想上の後見人ラッセルのもとで、モラル・サイエンス・クラブの会合で初めて「出会う」。議長はウィトゲンシュタイン、講演者はポパーである。テーマは「哲学的諸問題はあるか」。このさりげなさにはある挑発が込められていた。そしてそれは実際に火を噴いた。それが「火かき棒事件」と呼ばれているものである。本書はこの事件から始めて、広大な思想絵巻を描き出す。
 ウィーン学団の理論も『論理哲学論考』も完全に論破したと信じていたポパーは意気揚々とケンブリッジにやってきた。一方、『哲学探究』のウィトゲンシュタインへと自己変革を遂げ、大学に居心地の悪さを感じていたウィトゲンシュタインはこの会合を退屈な仕事、義務としか考えていなかった……。
 BBC放送所属の二人のジャーナリストのドキュメンター・タッチの手法が小気味よく、スリリングな語り口がたまらない。翻訳も達意の訳文で読みやすい。
 
 (野崎次郎・神戸女学院大学講師)(『埼玉新聞』2003.2.23 初出)