Rencontres Pedagogiques du Kansai 2003
NOZAKI Jiro
野崎 次郎
Universite Kobe-Jogakuin
神戸女学院大学
jiro@ma1.seikyou.ne.jp
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/
0. はじめに
私が学生の頃(1970年代)、DELF/DALFはおろか仏検すらなかった。学生時代に受けられる日本での「フランス語語学試験」といえば、「仏文業界人のエリート選抜」の機能を持つ「フランス政府給費留学生試験」ぐらいであった。フランス語語学試験は、1980年代から90年代を機に、今までの大多数の中からの少数のエリート選抜という機能をやめ、大衆的規模での幾重にもわたる階層付けという機能をもつにいたったのである(母数となる絶対数は減っているが)。それは、初級者から上級者にいたるまでのフランス語学習者を対象とした試験制度として、日本におけるAPEFのフランス語検定試験(仏検=DAPF)においても、フランコフォニー戦略の要請による世界的規模での統一試験であるDELF/DALFについてもいえることであろう。まさにフランス語語学検定試験の大衆化である。
その事態は「留学」という現象が「エリート的なもの」から「大衆的なもの」へと転換したことと表裏一体のものであるといえるだろう。本論文ではそのような事態の意味を明らかにするとともに、DALFの具体的な試験内容・試験対策を検討することを通じて、若者の関心に定位したフランス語教育の新たな可能性を具体的に探っていきたい。
1. DALFとは? 試験制度としてのDELF/DALF
DALFについては関西日仏学館のホームページでも解説されているので(http://www.ifjkansai.or.jp/delfdalf_jp.html)、詳しくはそちらを参照してほしいが、その要点だけをおさえておこう。
DELF/DALFとはフランス文部省認定フランス語資格試験で、世界に散在するフランス語学習者の水準認定に統一性を保たせるために研究開発され、フランスでは1986年より実施されている。現在では世界130余ヵ国で実施され、パリ郊外セーヴルにおかれた全国委員会(Commission
nationale)がその管理にあたっている。日本では1991年から開始され、DELFは年2回、DALFは年1回実施され、DELF・DALF試験管理センターが関西日仏学館内に設置されている。採点結果は、フランスの中央機構の認可を受ける。
DELF/DALF の単位認定の構成を見ると、DELF (DIPLOME D'ETUDES EN LANGUE FRANCAISE)第1段階(A1-A4の4単位)、DELF第2段階(A5、A6の2単位)、DALF
(DIPLOME APPROFONDI DE LANGUE FRANCAISE) (B1-B4の4単位)の3段階、全10単位で構成されている。
DELFはフランス語によるコミュニケーションの一般的な能力を試すもので、その第1段階は約100-400学習時間、第2段階は約500-600学習時間ということになっている。日本での場合、このような時間計算はほとんど現実離れしているが、フランスの語学学校で学んでいる場合には、一定程度の意味がある。
DALFは、フランス語全般と専門分野のフランス語に関する優れた能力を備え、フランスの大学をはじめとする高等教育機関に入学できる語学能力を有するかどうかを試す上級レベルの試験である(日本では仏検一級と併願者が多いようだ)。したがって、DELFの証書をもたずにDALFが受験できるようにするためのテスト
(Test d'acces au DALF) もあるにはあるが、入門・初級段階から順を追って試験の単位を取得していくシステムになっている。
本論文ではDALFが主題なのでその点に絞ってDALFの試験内容を見ることにする。以下の4単位で構成されている。
B1 (ecrit) : 700 語程度の文章を約200語に要約 (compte rendu)し、その文章に関する質問に短文で答える。2時間30分。
B2 (oral) : 3分程度の録音(または録画)について、印刷された設問に短文あるいは選択肢で答える。ヒアリング(口頭理解)のテスト。約30分。
B3 (ecrit) : あらかじめ選択した専門分野に関連する、合計700語程度の複数のテキストについての総論の作成(語数の指定はないが、300語程度)と、それらのテキストに関する質問に短文で答える。2時間30分。
B4 (oral) : あらかじめ選択した専門分野に関する事項をテーマとするエクスポゼと口頭試問。当日、テーマと関連資料が手渡される。準備1時間、面接20分。
2. なぜDALFなのか? 仏検との比較
コミュニカティブ・クラスのめざすフランス語は、たんなる「会話」であってはならないはずである。しかしその多くは「初級会話」で終わってしまう。教師のほうでもコミュニケーションの「中級」「上級」クラスの構築がうまくいっていないように見える。なぜそうなのか。この案件の解決策を探る手掛かりに、なぜDALF
なのかということについて考えてみたい。
現在の日本におけるフランス語教育の主流はどのようなところにあるか。「日本におけるフランス語教育は、文学を中心としたフランス文明に基づく教養主義から、その後、コミュニカティブ・アプローチによって「使えるフランス語」」の教育へと転換がはかられてきた。」(西山教行「現代フランス研究会活動報告」)というのがおおかたの一致するところであろう。そしてこの傾向は英語教育についてもいえ、さらにひろく大学における語学教育全般についてもいえることである。
いまここでコミュニカティブ・アプローチのメリットは十分に認めた上で、「これのみ」に頼ってしまうことによるデメリットとその原因を探ってみよう。
「言語能力」に四つの能力「読む」「書く」「聞く」「話す」がある。それは「アクティブな」言語能力(「書く」「話す」)と「パッシブな」(「読む」「聞く」)言語能力とに分けて考えることができよう。さらに「読む」「書く」能力と「聞く」「話す」能力とに分けることもできる。そしてそれらがバランスよく発達しているのが理想であると考えられている。
たとえばプルーストの小説が読めても、プルースト並みの小説が書けるわけではない。ジョスパンの演説が聞いて理解できても、ジョスパン並みの演説ができるわけではない。そのように両能力には隔たりが存在する。教養主義的な言語教育ではその隔たりが「極端」でない限り、あまり問題とはされない。なぜか。受容することが重要なことだからだ。
しかし、コミュニカティブ・アプローチではその隔たりをできる限り最小のものにしようとする。なぜか。それはお互いにs'exprimer(自分の考え・感情を表現する)ことに重点が置かれているからだ。視点を変えるとそれは「背伸びをしない生き方」というものと連携しているとも考えられるが、当面、私が主張してみたいことは、その「隔たり」は無理のない程度にあった方がよいのではないかということである。
たとえばフランスで作られたmethodes(教科書)を日本で使う場面を想定しよう。それは当然、コミュニカティブ・アプローチに基づいて作られている。しかもフランス語文化圏での、あるいはヨーロッパ内での使用を前提とされている。つまり学習者は教科書以外にその「文化」にすでになじみ、あるいは、毎日、新聞を読んだり、フランス語のテレビを見たり、町を歩いてフランス語で道を聞かれたり、お巡りさんに不審尋問を受けたりなどして、現になじみつつある状況が前提されている。しかし日本における学習者は当該クラス以外に「フランス」に接する機会はほぼ皆無である。
コミュニカティブ・アプローチのはずが、逆に、一方通行的なものになりやすいのは明らかだ。あるいは、「日本からの発信」というような形で問題をすり替えるだけなものになる。相互的なものであるとしても、話題は「自己紹介」や「天気の話」「昨日したこと」などで止まってしまいがちである。「相手の理解できないこと」はやらない(話さない、書かない)わけだから……。
しかしこれは何か考え違いしている。コミュニケーションがとれるところでしかコミュニケーションをとらないのを、コミュニケーションとは呼ばない。コミュニケーションとは、コミュニケーションがとれないときどのようにしてとるかということを考えるのをそう呼ぶのである。
そうした考え違いを避けるにはどうしたらいいのだろうか。結論から言うと、やはり「教養主義」的な面を再導入する必要があるだろう。そもそも「教養主義」(古い世代)と「使えるフランス語」(新しい世代)とを対立的にとらえること自体無理があったのである。そのことを実感できたのは、DALFの準備クラスを受講したときのことである。
「文化的隔たり」を具体的に自覚することが必要なのである。そのためにはプルーストにせよジョスパンにせよ、まねをして「使える」表現を見つけることである。ここで表現とは、単語や熟語などにとどまらない。言い回し、論理展開などを含む。むしろ後者に力点がある。そのことを学ぶには「名著を読みなさい」という古典的な言い方も可能だろうが、それはなかなか難しい。最近の若者は「断片的な」生き方が身に付いているからだ。
だから新聞や雑誌の短めの文章(これでも「長文」と呼ばれている)を読み続けることであろう。これらのジャンルの文章でさえ、文学作品に勝るとも劣らず、「フランス的文章作法」を知ることができる。私はそれを永遠にまねしろと主張しているのではない。それを知らずして、「フランス語」を知ったことにならないだろうし、それをめざしてはじめてコミュニカティブなフランス語に近づくことができるといっているのである。
DALF はその学習のきっかけを作ってくれる。仏検が文法重視の「日本的な」検定制度であるのに対してDALFはその「検定の思想」に始まり、出題の仕方、採点の基準などにわたり、とても「フランス的」なものである。芸道における「守破離」(形を守って、破って、離れる)の教えをひくまでもなく、いったん「フランス的」なものに浸ってみることの方が、重要であるし、長期的には学習効果も高いと思われる。DALFによってコミュニカティブなフランス語をコミュニカティブに学ぶことができるのである。それは「言語体験における青春期の危機」を経由した「大人のフランス語」にいたる道である。コミュニカティブな中級・上級のフランス語は、「おしゃべりフランス語」のたんなる延長上には構築されない。
仏検に関して私はその必要性を否定しているのではない。それどころか一方で推奨すべきと考えている(「日本的」風土では「文法的な」仏検は必要である)。しかし、2級、1級などで、確かに「フランス的」な面が濃くなってはいるが、たとえば、ある動詞に対応する名詞をそのまま質問するというような文法問題があったり、フランス語に訳しにくい和文仏訳の問題があったり、フランス語の長文の要約を日本語で行わせるなど、設問形式がやはり「日本的な」試験問題である。さらにそのような形で「日仏文化の違い」を自覚させようというねらいが「日本的」である。あるいは「母語中心主義的」である。
3. DALFの問題傾向・試験対策とフランス語教育法への応用
現在のところ、とくに日本においては、 DALFをフランス語教育に活用する教育法が開拓されてはいない。また、ここで教師として具体的な提案ができる段階ではないが、そのとば口として、DALF受験準備クラスの受講生・受験生の視点から見たDALFについて述べてみよう。まだよく知られていないDALFという試験がどのようなものか総合的にイメージできると思う。
受験体験記は、インターネット上にいくつか公開されているので、それらを参照してほしいが、2つだけあげておこう。
「DALFへの道」(2000年秋のNAOCHANの受験体験記)
http://www.naochan.com/monde/france/DELF/dalf.html
「ボケ作日記」(2002年秋の野崎次郎の受験体験記)(2002.12.02)(12.09)
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/cahier2002.4.html
ここでは、私が2002年に受けた受験準備クラスでの体験をまとめておこう。まず、Institut de Touraineの上級クラスでの体験(2002年夏学期)から。そもそも私がDALFの存在を強く意識したのは、2002年の夏にトゥールで夏期講座を受け、その修了試験がTest
d'acces au DALFの試験をかねていたことによる。
私は学期はじめのクラス分けテストで、いきなり8eに振り分けられた。9eと8eの上級クラスは「スイス・アルマン」が多数派で、まじめな雰囲気。むしろ「古典的な」クラスである。私のクラスの担任は、古典的な教養で固まった定年退職の老教師(Pierre
Cador)であった。いきなり直説法単純過去や接続法半過去の活用を言わされたりした。昔ながらのディクテなどもあった。いまどき珍しい絵に描いたような古典的なクラスである。
このクラスがTest d'acces au DALF の準備クラスをかねていることは途中で知った。この学院の修了試験がそのテストをかねていたのである。そしてそれは日本に来てDALFを受けてみて気づいたことだが、DALFの受験準備にもなった。
授業を受けて特に役だったのは、課題作文(週末に宿題として出された)の作り方、レジュメの切り方である。そして作文やレジュメを書くときの単語数を数えながら文章を書く要領、しかも限られた時間(筆記2時間30分)で書く時間配分の要領(たとえば、読むのに1時間、下書きに1時間、清書に30分)などである。
◆ connecteurを使った課題作文(まずは200-250語、最終的には400語)
Desormais, de nos jours, certes ... mais, non seulement ... mais
encore, en revanche, de plus, enfin, donc を必ず使うこと。私は "L'organisation
du travail a temps partiel est-il souhaitable ? " をテーマに選んだ。その添削ずみ作文は、私のホームページ内のPetits
Ecrits en francais を参照してほしい。
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/petitsecritsfr.html
◆ レジュメはLe Monde の記事が多かった。レジュメ(compte-rendu)の要領。キーワードは保持しながら、その文章のidees
principalesを簡潔に明示することをねらい、さらに(たとえ同じ観念であっても)「同じ語の繰り返しを避ける」という「フランス語の文章作法」にもなじむ必要がある。「だらだら、くどくど」はもっとも嫌われる、等々。
◆ 2002年秋の日本でのDALFの試験の内容は:「ボケ作日記」(2002.8.26.)(8.29)
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/cahier2002.4.html
つぎにCentre-Alliance d'OsakaのDALF受験準備クラスでの体験(2002年秋学期)、Olivier
Birmann の授業について述べよう。
ビルマン先生はLe Monde が大好きでほとんどそればかり読んでいた。Le Monde のもってまわった言い回しはフランス的な文章の作り方の一つの典型と思えるが、受講生たちはひーふー言っていた。私はおもしろかったけれど……。私にとって、不得手な「聞く」「話す」能力を開発したかったので、話し好きのビルマン先生の授業はとてもよかった。書く方は、夏期講座で準備ができていると考えていたし、職業柄、またフランス語学習の来歴からしてそれほど無理はない。ただ、口頭理解とエクスポゼが心配だった。口頭理解は最後まで不安だったが、エクスポゼは下書きが可能ということを知ってだいぶ気が楽になった。
最後にインターネットを使った受験対策やさまざまなサイトの活用について述べよう。筆記対策としては「長文読解」の必要がある。文学テキストに限らず、新聞・雑誌などの記事も読むといいだろう。DALFに出題されるのは、Le
Monde, Le Nouvel Observateur, L'Express などが多い。サイトには、
le monde (http://www.lemonde.fr/)に限らず、la
liberation (http://www.liberation.fr/),
le parisien (http://www.leparisien.fr/home/index.htm)
などたくさんある。
ヒアリング対策には、先に述べたFrance2 (http://www.france2.fr/)をはじめ、RFI
(http://www.rfi.fr/) やラジオ日本オンライン
(http://www.nhk.or.jp/) さらには、ライブでフランスのテレビ放送が楽しめる
http://www.canalplus.fr/
などがある。Radio France Internationaleには、初・中級程度のヒアリング問題付きのページもある。NHKのデイリーニュースではテキストも提供している。そのほか、ストリーム放送をMDに簡単に録音して聞くための方法などについては、私のホームページ内の「僕のおすすめリンク集」を参照してほしい。
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/myfavorite.html
4. la Francophonieの思想を批判的にとらえることは可能か?
冒頭でDELF/DALFはフランコフォニー戦略の要請によるものであると述べた。そして現在、フランコフォニーの顕彰が叫ばれている。その背景には、"le
refus d'un modele uniforme de bilinguisme"(二言語併用という画一的モデルの拒否、つまり世界いたるところでの「母語」プラス「(外国語としての)英語」ですまそうという画一性)への反発)がある。世界の世界化(mondialisation)が、アメリカ的なグローバル化(globalization)として進行しつつある(これがそのままうまくいくかどうかは疑問ではあるが)ことへの反発である。
現在、フランコフォニーが「多言語主義・文化の多様性(多文化主義)」に基礎づけられて主張されることの根拠はそこにある。フランス語を話す世界中の人々の国際運動としてフランコフォニーの国際機関が設立されたのは、1970年のことであったが、そもそも「フランコフォニー」という語が語り出され、その思想的基盤(「文明化の使命」「言語同化主義」「フランス人の創出」)が明示化されたのは、第三共和制の「植民地的拡大政策」の時代、1880年代のことであった。Alliance
Francaiseが「植民地ならびに外国におけるフランス語普及のための全国協会」として設立されたのは、1883年7月21日のことである。このことの意味は何か。
ここで私は「帝国主義の復活」とか「脱植民地主義」などという単純なことをいおうとしているではない。そうではなく、この「二つのフランコフォニー」がまったく別なものではなく、むしろある一つの事柄の表裏一体のものではないだろうかということを検証してみたい。しかしそれに触れるには問題が広がりすぎたようだ。ただフランス語の教師であるということ、さらにDALF
受験を強くすすめるということ、そうするとき私たちはAlliance Francaise のフランコフォニーの運動と無関係ではいられないということだけは押さえておく必要があるだろう。
この点については、西山教行「フランス語は「フランス人」を創出するか」、三浦信孝「共和国の言語同化政策とフランコフォニー」in『言語帝国主義とは何か』(藤原書店、2000.9)を参照してほしい。
『Rencontres 17』(関西フランス語教育研究会、紀要第17号、2003年7月7日刊行)