院生時代の三本の論文(Nozaki1982, Nozaki1984, Nozaki1985)は「若書き」ともいうべき気恥ずかしさがあるが、妙な懐かしさもあり、現在の問題意識の萌芽ともいえるものと思うので、現在の地点からはさまざまに「批判」できるであろうが、自分にとってはひとつの「記念碑」でもあるので、ホームページにものせようと思っている。しかし、このころはまだ「文書の電子化」は、一般人にとって「夢の夢」だった。だから、紙媒体の論文が残っているだけである。それを「電子化」するには少々時間がかかる。OCR ソフトを使ってもかなり読み損ないがでるだろう、改めながら手入力の必要がでてくる。そこですぐの掲載はご勘弁願うとして、とりあえずはその簡単なレジュメだけを掲載しておきます。ごめんなさい。 (2000.4.5)
「誘惑の貧困」はマルクスの価値形態論の再解釈を通じて、コミュニケーションにおける「取り違え」(Quidproquo)の不可避性を論じたものである。これは修士論文の用語で言えば heterogene な言語共同体における homogene な言語共同体成立の不可避性のことであり、ハイデガーにからませて言えば、存在忘却の不可避性のことである。
『フランス文学語学研究』第1号pp.16-32(早稲田大学大学院文学研究科、1982年 1月31日発行)
「ジャンプするハイデガー・デリダについて」は「ヘーゲル的我々」であると同時に「ヘーゲル的我々」ではない「我々」を考えることの困難(不可能性)と不可避性を論じたものである。
『文学研究科紀要別冊 第10集 文学・芸術学編』pp.1-9(早稲田大学大学文学研究科、1984年 2月15日発行)
「デリダと/のメタフォール」は「外」を端的に措定することの無効を論ずるとともに、「無」を「存在するもの」の一種としてしまうことの無効を論じ、さらには、ブランショのoeuvre/desoeuvrement をデリダの脱構築の戦略にからませて論じたもの。
『フランス文学語学研究』第 4号pp.31-42(早稲田大学文学研究科、1985年 1月31日発行)