函館本線(旭川・函館)


最新乗車 2003年冬


函館本線は、北海道のかつての玄関口である函館から長万部、小樽を通り、札幌から旭川に抜ける路線である。一部区間を除けば北海道最大の幹線と言っても過言ではなく、特急列車から貨物列車まで、様々な列車が疾駆している。さて、この路線を終点である旭川から函館に向けて記そうと思う。

盆地のため、夏は北海道で最も暑くなるという旭川。そこそこ構内は広く、宗谷本線富良野線が接続している。旭川を出ると、石狩川を渡り、伊納の辺りから左に石狩川を見て走る。かつては、神居古潭という石狩川の屈曲した峡谷にそって線路が敷かれていたのだが、複線電化された現在はそこをショートカットした長いトンネルを3本抜ける。旧線跡はサイクリングロードとなっているそうである。最後のトンネルを抜けると広大な石狩平野に出る。周りは延々と田園地帯である。直線区間が続き、特急「スーパーホワイトアロー」なら最高速度の130km/hで走り続けるのだが、その広大さに速度が感じられないほどである。右から深名線の廃線跡が近付くと深川で、ここを出ると右に留萌本線が分岐する。石狩川を再び渡る。ここは旭川のあたりと比べると川幅は格段に広くなっている。しばらくして、左から道路をくぐって根室本線が合流すると滝川である。ここから石狩川の対岸を走る札沼線の終点新十津川までバスが出ているし、歩いても30分ほどで行くことができる 。

滝川を出て、空知川を渡ると砂川。かつて函館本線の支線(通称上砂川線)が別れており、私が訪れた時点では、その専用ホームが残っていた。ここからはほぼ一直線に美唄岩見沢と進む。石狩川に流れ込む支川をよく渡る。岩見沢では室蘭本線を分岐しているが、かつては北海道最初の鉄道である幌内線も分岐していた。この幌内線の三笠駅と幌内駅は三笠鉄道記念館になっており、キハ82系が編成で保存されていたり(最近、貫通扉が何者かに盗まれたのは遺憾)、蒸気機関車が動態で保存されているなど、展示に力をいれている。しかし、最近記念館の入場者が頭打ち(屋外展示は無料)とのことで、大変苦労されているようである。

室蘭本線を移設するなどして再開発が行われているヤードの跡地横を走り、室蘭本線が分岐するとそれまでと同じような景色の中を走る。豊幌を過ぎて夕張川を渡ると、集落的ではなく、最近開発されたような市街地に風景が変わる。江別からは札幌の都市圏であり、列車本数も格段に増える。どこでも見られるような新興住宅地なのだが、緑も多く、やはり北海道だけに建物の構造が違うので、首都圏や近畿圏のそれとは雰囲気がまるで違う。瓦屋根がスレート葺きになるだけで、ここまで印象が変わるものである。かつて夕張鉄道を分岐していた野幌を過ぎるも、その跡は明瞭に認められなかった。目の前に千歳線の高架橋を目にして厚別を過ぎる。ここは、札幌方面行きの特急列車が普通列車を追い越す駅なのだが、ホームに面する線路が本線となっているため、分岐部での速度制限を受けてホームのない副本線をそろそろと通過して行く。ここまでは120km/hから130km/hで突っ走ってきただけに、札幌を目の前にしたこの副本線通過は意外というか拍子抜けというか、そういう気がする。札幌貨物ターミナルへ入る線路を分け、千歳線 をくぐって、千歳線の複線を函館本線の複線が挟む方向別の複々線で一路札幌を目指す。広大な貨物ターミナルが尽きると白石、豊平川を渡って運転所や工場のある苗穂と過ぎる。苗穂運転所は気動車の配置区で、札沼線用や急行用の気動車が留まっている。また苗穂工場はJR北海道の車輌の大半の面倒をみていて、廃車になった「アルファコンチネンタルエクスプレス」(売却されて新天地に旅立った)が留置されていたり、何やら改造なりをしている車輌を見掛ける事もある。近代的な高架線に駆け上がり、ビルが林立する中、ドームに覆われた札幌駅に到着する。

札幌駅はドームに覆われているため、気動車の排ガスが溜まるは、騒音は反響するはでなかなか賑やかな駅である。北海道各地から優等列車が集まり、そして散って行くのでホームでボーっとしていても全く飽きない。高架化工事は完成したものの、先代の駅ビルの建て替え工事の真っ最中で、地下鉄への連絡通路は仮のものであった(2000年夏現在)が、ようやく2003年3月に新駅ビルが開業することとなり、今は最終的な整備が行われている。

さて、ラーメンでも食べて先に進もう。札幌から次の桑園までは、札沼線の単線を新設した3線運転を行っている。かつて札幌と苗穂の間で高架化前は3線運転を行っていたので、丁度反対側に復活した感じである。桑園を出て、札沼線が右に別れる頃からビルは少なくなり、一面の住宅地となる。琴似を過ぎて高架を降りても同じような風景の中を走る。手稲を出ると右側に札幌運転所が広がる。ここには、札幌都市圏を走る711系、721系、731系といった通勤電車群と、北海道の花形といえる特急列車群が配属されており、朝ここを通ると、各地に向けて準備を整えている様々な特急列車が並んでいる中、長旅を終えた夜行列車がしずしずと回送されてくるのを見ることができる。

札幌の市街地が途切れ、銭函から右に石狩湾を見て走る。列車は海岸線ギリギリのところを、右へ左へカーブを描きながらゆったりと走る。夏に私が乗ったときは晴れて空気が澄んでいた時であったので、空の青と海の青の対比が実に素晴らしいものであった。また、冬に乗ったとき、サーファーを数多く見掛けたのには驚いた。小樽の街が広がり出す小樽築港で海岸を離れ、南小樽で手宮線の跡を分岐し、高架線に上がる。海と山に挟まれた狭い市街地の上をくねくねと走り、小樽に到着する。上野駅に似た駅舎を出て、しばらく歩くと手宮線の踏切を渡り、煉瓦造りの倉庫が立ち並ぶ運河に出る。もーっと歩くと手宮の北海道鉄道記念館に着く。

小樽からは非電化区間。札幌から直通の気動車列車でなければ、乗り換えが必要である。小樽を出ると、海から離れて山の中へと入っていく。蘭島の辺りでは右側に海が見えるが、余市からは本格的な山越えに入る。いまにも熊の出そうな山の中を右へ、左へとカーブを描きながらゆっくりと走る。かつて、C62が走っていた頃は、多分撮影地だったのだろうなというポイントが時々見うけられる。峠を越えて、右から岩内線の廃線跡が寄ってきて小沢。ここから倶知安に向けて、再び峠越えにかかる。SL全廃前のブームの頃、この区間で、岩内線に入る貨物列車を引く2つ目の9600を、続行してくるC62重連牽引の急行「ニセコ」の前練習として撮影することがはやったらしいと聞いたことがある。で、その9600は、現在この辺りをホームグラウンドにして走っているC11 207と同じく除煙板のところに1つずつヘッドライトがついていたため、前から見ると、カエルのように見える。

峠を越え、倶知安に向かう下り坂に入ると、目の前に羊蹄山とニセコアンヌプリが広がる。その麓にはジャガイモなどの畑が広がっている。胆振線の廃線跡が合流して倶知安に滑り込む。ここから、羊蹄山とニセコアンヌプリの間のわずかな盆地というにはあまりに狭い広がりの中を走る。駅舎がペンションに使われている(いた?)比羅夫、かつての臨時列車「C62ニセコ」の折返しのために根室本線の新得から移設された転車台が寂しく眠るニセコと過ぎ、蘭越で小休止。蘭越から、再び人跡まれな山越えにかかる。国道5号線が並行しているだけ、まだ石北本線の常紋辺りなどよりも開けている気がする。勾配を上り下りしながら、たまに現れる集落の駅に停車していく。目の前に噴火湾が見えてくると、室蘭本線と合流して長万部である。カニめしでも食べますか。

長万部からは、「スーパー北斗」や「北斗」といった特急列車も走る幹線に戻る。貨物列車と擦れ違うことも多い。車窓は左に噴火湾、右に山や畑、集落が延々と続く。線路もほぼ複線となり、特急列車は最高速度で突っ走る。たまに海から離れても、すぐに海岸を走るようになる。そうこうしているうちに、いかめしで有名なに到着。ここで、函館本線は大沼まで駒ケ岳を挟んで東西に大きく線路が分かれる。東側の線路は、函館に向かって上り勾配がきついものの短距離なので、高性能の気動車特急は上下とも時間を惜しんでにこちらを走る。西側の海沿いの線路は、通称砂原線と呼ばれ、本州行きの重量貨物列車が急勾配を避けて迂回したり、時間に余裕のある一部の優等列車が走ったりする。普通列車は東西同じくらいの本数が上下とも走っている。

まずは西側を通って大沼までを解説する。を出て左に砂原線を分かつと、左に駒ケ岳を見てくねくねと急勾配を上る。あまり人の気配はしない山の中である。駒ケ岳駅で頂上に達してここからは大沼へと下って行く。赤井川を過ぎると湿地に入り、やがて大沼、小沼の間を抜け、特急停車駅にしてはこじんまりとした大沼公園を通過する。この辺り、列車から見ている景色というよりは、森の中を散歩しているという雰囲気である。すぐに砂原線が左から合流し、大沼の駅に到着する。

ここから森まで砂原線をたどって戻ることにする。大沼を出て左に大沼公園経由の線路を分け、大沼沿いに銚子口まで進む。この区間にはかつて大沼電鉄という私鉄があったらしいのだが、その跡は分からなかった。沿線は、前述の大沼公園経由と違って開けており、少ないながらも乗客が乗り降りしている。やがて遠くに海が見えてくると鹿部、海が近付くと渡島砂原で、ここからはかつての渡島海岸鉄道の跡を辿って漁師町を縫ってまで走る。森の手前の東森は3角屋根の駅舎がユニークである。

函館本線は、大沼、七飯間でも2本の線路が大きく分かれる。東側が札幌方面への下り線、西側が函館方面への上り線で、右側通行になっているのだが、下り線に途中駅がないため、普通列車は上下とも上り線を使用している。下り線は、上り勾配解消と輸送力増強のため昭和41年に完成したもので、高架線とトンネルを多用して人家の少ないところを真っ直ぐ抜けているという感が強い。上り線は、単線時代の本線で、大沼を出て、小沼のほとりを走りながら、下り線と別れてトンネルに入る。ここから、延々と下り坂に入り、渡島大野の辺りで左手に田園風景が広がる。運が良ければ下り線を走る列車を望むことができるらしいのだが、私はできなかった。下り線の高架橋が近付き、合流すると七飯である。

ここから田園地帯、そして函館への通勤圏に入る。風景も両側ともに広がり、一直線に函館を目指す。桔梗を過ぎると上下線の間にヤードが広がる。五稜郭機関区と青函運転所である。DF200やDD51、ED79それに新鋭EH500が休んでいるのを見ることができる。ヤードが尽きる頃に右から江差線が寄ってきて五稜郭、街中を走り、ゆっくりと右カーブしながら広い構内が広がると、函館に到着である。かつての青函連絡船の面影が残っていないこともないが、快速「海峡」用の50系客車(現在は代わりに「スーパー白鳥」用789系電車)や、特急「スーパー北斗」用のキハ281、283系気動車が並ぶ構内は連絡船時代からの脱皮を図ろうとしているように見える。かつてのヤードの一部はパークアンドライド用駐車場に変わり、駅舎も間もなく室蘭に似た新しいものへと変わる。

駅前には朝市が広がり、また函館市電が接続している。


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