宗谷本線(稚内・旭川)


最新乗車 1998年夏


この路線は、旭川を出て、一路北へ伸びる路線である。終着駅は日本最北端に存在する稚内駅である。さて、私はこの路線を、まず夜行急行「利尻」で稚内まで上ったのち、普通列車・急行列車を乗り継いで南下したため、稚内から案内しようと思う。

稚内は、かつて樺太(現在のサハリン)への航路が連絡していただけあって、当時の連絡通路を兼ねていた防波堤ドームが存在する。現在は格好のライダー・チャリダーの野営場になっているようだ。かつてはこの辺りまで線路が伸びていたようだが、現在はレールは取り外されており、ホームの外れに車止めが立っている。ここには最北端の鉄道であることを示す看板があり、またキハ400を模したトイレなんかもあったりする。

稚内を出て、一路南下すると、一面の笹原を走るようになる。この辺りは利尻富士が見えるところなのだが、私が行った時は曇っていて何も見えなかった。また、この笹原は、余りに北にあり、また風が強いため、樹木が育たないためという。しばらくして樹木も見えるようになるが、かなり日本離れした風景である。

ここを過ぎるとサロベツ原野の中を走るようになり、幌延からは名寄の辺りまで進行方向右側に延々と天塩川と付かず離れず並行するようになる。つまり、宗谷本線は120kmも並行しながら、天塩川の本流を渡ることがないのである。普通列車に乗っていると例外なく長時間停車をする音威子府は駅そばが有名である。ただ、最近は営業時間がどんどん短くなっているらしく、上り急行「宗谷」札幌行きが到着するぐらいから営業しているようだ。その1本前の普通列車に乗っていた私はそばにありつけなかった。また、美深の駅は列車の発着に合わせて駅舎の鐘楼から鐘の音がするのが印象的である。

名寄からは、高速化工事の進められている区間に入る。風景も牧場あり、川ありの典型的な「北海道的風景」になる。特筆すべきは小説の舞台ともなった塩狩峠であろう。最近、塩狩の近くに「塩狩峠記念館」が出来たらしく、足を運ばねばと思っている。新型特急用車輌261系もデビューすることだし。

北旭川貨物駅には、旭川通運の専用線があり、大分交通耶馬溪線(廃止)からはるばるやってきた黄緑色のディーゼル機関車がいる。運が良ければ、その動く姿を見られるかもしれない。
新旭川石北本線と合流し、旭川の市街地を高架線で抜け、富良野線とともに旭川に到着する。線路は函館本線へと続いている。


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