大阪環状線、桜島線(ゆめ咲線)
(天王寺・京橋・大阪・西九条・天王寺、西九条・桜島)


最新乗車 2002年春


大阪環状線はいうまでもなく、大阪を代表する鉄道路線であり、大阪の中心市街地を取り巻いて一周している路線である。ただし、本格的な環状運転を始めたのは1964年からで、それまでは、天王寺京橋大阪間の城東線と、大阪桜島間の西成線として運転されていた。それが、天王寺弁天町西九条間の開通に伴って現在の形に改められたものである。現在は、元城東線だった東側の区間は都市内の移動に使われる路線として、西側は、それなりに都市内移動にも使われているが、どちらかといえば阪神高速1号環状線と同じような使われ方で、天王寺を起点として広がる関西線、阪和線系統の路線と、東海道線を結ぶ役割が大きくなっている。

昔から、東京の山手線と比較される大阪環状線だが、最近山手線も、並行する山手貨物線を利用して郊外列車の環状線直通を行うようになっており、環状運転の電車とそれ以外の郊外列車を分離している点で、大阪環状線より一歩抜きん出ていると考えられる。もっとも、都市規模の違いから、環状線が複線か、複々線かの違いが生じているのであろうから、一概にどちらが優れているとは言えないのかもしれない。

さて、環状線の主な運転系統だが、普通列車が環状運転と天王寺森ノ宮京橋大阪間の区間列車、それに関西線から直通してくる大和路快速と、環状線内各駅停車の区間快速、阪和線から直通してくる関空、紀州路快速、特急列車が関西空港京都を結ぶ「はるか」に、南紀と新大阪京都を結ぶ「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」などがあり、その他新大阪発着の阪和線快速が1.5往復設定されている。

天王寺阪和線9番ホームの直下に設けられた11、12番線から環状内回りの電車は発車する。通常12番線は、関西線から直通してくる電車の折返しに使われていて、221系電車が停まっている事が多い。天王寺を出て、阪和線からの連絡線(回送列車用)が合流すると、阪和線の高架をくぐり、左にカーブして高架に上がり、すぐに寺田町に到着する。ここから先、森ノ宮までの区間は昭和初期に高架化されており、シックな外観の高架橋もさることながら、駅ホームの外壁が木造で、、いい味をだしている。ただ、最近は壁が不燃性のものに交換されたり、あるいは寺田町のように、火事(戦災ではなく10年前の話である)で焼け落ちたりして、原型をとどめるものは少なくなっている。昔は、その外壁と一体に造られた長いベンチが用意されていたのだが、ベンチで寝る人達を排除するためか、その木のベンチは撤去されて、通常のベンチが数個設置されるのみとなっている。

寺田町を出ると、やがて線路は直線となる。また、寺田町を出たところで跨ぐ国道25号線には、大阪市電の架線柱が未だに残っている。右には遠く生駒山地を望む住宅地、左には、小さなビルを中心とした会社群。ちょうど環状線が城壁の役割を持っているかのような雰囲気である。やがて桃谷。環状線は、普通に席に座っている分には気付かないのだが、先頭から眺めてみると、かなり線路がアップダウンしていることがわかる。環状線(旧城東線区間)は、上町台地とよばれる、大阪市の中でも一段高くなっている部分の端を走っているという事情による。桃谷から大阪方を眺めると、平坦(桃谷駅)、下り、上り、平坦(鶴橋駅)と見えるが、実は目の錯覚が若干あり、平坦(桃谷駅)、下り、平坦、下り(鶴橋駅)となっている。

平坦から、下り勾配に入ったところにある鶴橋は、幅の広いホームの多い環状線の中でも、特に広いホームを持っており、近鉄線との旺盛な乗換需要に対応している。JR、近鉄を含めて、一番大きな改札が乗換改札だというのが、この駅の置かれた立場を反映している。ちなみに、近鉄線に並行して地下鉄千日前線も走っているが、乗換客は少ない。鶴橋の周辺は焼肉の店が数多く建ち並んでおり、その匂いがホームにまで流れ込んでいる。余談ではあるが、鶴橋駅近くに「省線」という名前の旅館があり、駅にも看板を出しているのだが、果たして省線時代から続く息の長い旅館なのか、気になっている。

鶴橋を出て、S字カーブを切るとすぐに玉造。左側の空き地(最近ようやくビルが建ち始めた)は、高架化以前の駅の跡地である。城東線高架化後も森ノ宮玉造間は貨物線として旧線が地平のまま残り、玉造の貨物取り扱い施設がかなり後(城東線が大阪環状線になった時点でも残っていた)まで地平にあったために再開発が遅れたもののようである。ちなみに、地平の貨物線が廃止された後も、玉造の貨物施設の一部はコンテナの受付窓口として使われていた。玉造では、少し離れているが地下鉄長堀鶴見緑地線と接続している。

三田工業や森下仁丹の建物群の中を走ると、やがて森ノ宮である。昔、日生球場があった頃は、ナイターの明かりがよく見えたものだが、解体されてしまった現在は寂しい限りである。ホームの先で交差する道路は中央大通と阪神高速東大阪線。地下には地下鉄中央線が走っている。また、並行する玉造筋には地下鉄長堀鶴見緑地線が走っている。森ノ宮を出ると、左に大阪城公園、右に森ノ宮電車区と地下鉄森ノ宮工場を見ながら走る。大阪城公園は、緑が少ないと言われる大阪で、最も緑の多い場所で、休日ともなれぱ多数の人で賑わう。そしてもちろん大阪城があり、日本初の鉄筋コンクリート造りの城であり、これまたエレベーターのある日本初の城でもあるが、大阪のランドマークとして、夜にはライトアップまで行われている。

前述の貨物線跡との合流部は、現在保線基地となっており、左側にその姿が見える。やがて大阪城公園。1983年の大阪城博覧会に合わせて作られた駅で、大阪城ホールや大阪ビジネスパーク(OBP)の最寄駅として、平日、休日問わず賑わっている。また、外回り線のホームからは、森ノ宮電車区と地下鉄森ノ宮工場を間近に眺めることができる。今では、基本的にJRは朱色の103系ばかり、地下鉄は銀色の20系列、30系ばかりであるが、JRのほうにはたまに221系や223系、黄緑やUSJカラーのの103系が入っていたり、地下鉄のほうにもOTS系が入っていたりすることがある。もっとも、少し前は地下鉄の方は、ライトグリーンの50系列ばかりであった。大阪城公園を出ると、森ノ宮電車区がようやく収束し、第2寝屋川を渡ったところで合流する。この辺りから読売テレビの本社などを見ながらOBPの外縁に沿って走り、また、合流部の配線をうまく利用して、京橋発着の関空、紀州路快速が折返し待ちをしていたりする。

寝屋川を渡って京橋である。この辺り、かつて地盤沈下が激しかったので、ホームや、ホーム屋根が波打ってしまっている。現在は地下水位も安定して地盤沈下は止まっているが、あまり本腰を入れて修復されることなく今に至っている。天王寺寄りで片町線、JR東西線を跨ぎ、大阪寄りで京阪本線がオーバークロスしているが、後者へは鶴橋のように直接ホームを結ぶ連絡改札はなく、乗換のときは地上2階の環状線ホームから一旦地平の駅前広場を通って、地上4階の京阪線ホームへ行かねばならず、不便である。ただ、かなり離れた地下鉄長堀鶴見緑地線ホームへ向かうよりまだマシではある。駅周辺は栄えており、また、OBPへのもう1つの玄関口として、1日中人の流れが途絶えることはない。

京橋を出てすぐ、右に線路跡が別れる。これは、かつての淀川電車区、淀川貨物駅に向かっていた線路で、淀川電車区が現在の放出付近に移転し、淀川貨物駅が廃止されたのをしおに、この連絡線は廃止となった。ただ、この線路は高い築堤で、壊すのにコストがかかるためかしばらく放置されていたのだが、花博前後に取り壊され、現在は環状線への取り付け部のみ保線基地として残るのみである。電車区、貨物駅の跡地は現在桜ノ宮リバーシティとして再開発が行われ、昔日の面影はなくなっている。さらに、淀川電車区もJR東西線開業に伴う再編の影響で、現業機関としては廃止となり、今では放出の留置線としての扱いになっている。

電車は右にマンション群を見ながら走るが、かつてはこのマンションの向こう側にちらちら淀川電車区に入出庫する車輌が眺められたものである。左にカーブすると桜ノ宮である。左側の空き地(ビルが建設されてしまいました)は、網島(現在廃止)を通って片町線に接続していた線路の名残で、つい最近まで煉瓦造りの橋台なども残っていたのだが、再開発の影響か、取り壊されてしまった。環状線でもっともコンパクトな駅の1つで、狭くカーブしたホームを持っている。普段は静かな同駅だが、毎年4月中旬の造幣局桜の通り抜けや7月24、25日の天神祭では、臨時改札もできて混雑する。

桜ノ宮を出てすぐに大川を渡る。周囲の風景はそれまでとガラリと変わって、中小のビルが密集するようになる。列車は右にカーブして阪神高速守口線をくぐり、天満に到着する。もとは島式ホーム1面だったものを、内回り線側に片面ホームを増設して2面としており、山手線渋谷や、西武新宿線高田馬場(こちらは少し事情が異なり、列車は両側のドアを開ける)と同じような構造である。最近地下鉄御堂筋線難波も同様な構造となった。駅前には正道会館の本部があり、練習の声が聞こえてくることがある。天満から少し離れているが、地下鉄堺筋線扇町と連絡駅になっている。

天満を出ると、ますますビルが建て込んでくる。列車はそんなビル群の中をくねくねと走り、やがて直線になると、新御堂筋の下で右から東海道本線が急カーブで合流して、阪急系列の高層ビルに取り囲まれる形で大阪に到着する。環状線ホームは駅ビルアクティ大阪の真横にあり、1番乗り場の外側に位置する。通常なら0番乗り場となるべきところ、2本も乗り場があるため、環状内回りホーム、環状外回りホームと名付けられている。いっとき、京都駅にはるか乗り場なるものが存在したが、それと同じ発想である。かつて、現在の1番線が外回り線、環状外回りホームが0番線として内回り線の乗り場だったものを、0番線の反対側に線路を増設したがためにこうなってしまったもののようである。

左に高速バスターミナル、大阪中央郵便局を見ながら大阪を出発する。区間列車用の折返し線が尽き、左の梅田貨物駅コンテナホームの跡地に建てられたハービス大阪や毎日新聞本社など近代的なビル群が過ぎると、右に急カーブしながら東海道線が別れて行き、阪神高速池田線をくぐって福島に到着する。阪神電鉄の地下線が延長されるまでは、左下に阪神電車が走っているのを見下ろすことができたのだが、今はJR東西線と並んで国道2号線の地下を走っており、線路跡には、線路の形に合わせて不自然にカーブしたビルが建っている。福島を出ると右下から「はるかルート」として機能する、梅田貨物駅と安治川口を結ぶ貨物線が上って来る。環状線の複線と単線の貨物線を合わせた3線区間となって、地上に出てきた阪神本線を跨ぐ。

この地点は、かつて西成線(→大阪環状線)が地平だった頃は、阪神が高架で環状線をオーバークロスしていて、環状線が高架化されるに伴い、一夜で上下を切り替えた場所である。これと同じような切替は、阪神本線と同時にもう1箇所大阪市電との立体交差の交換と、戦前の大阪駅高架化の際に、当時は今の阪急百貨店の所に発着していた阪急電車との切替が行われている。それだけ国鉄の力が強かったということか。

阪神高速神戸線をくぐると野田。ただし、野田の商業の中心は、阪神野田やJR東西線海老江のある辺りなので、環状線の周辺は、どちらかといえば会社や住宅が多い。また、貨物線の右側に、それから分岐して地平へ下って行く線路跡があり、環状線をくぐって左の住宅街へ消えて行く。これは、かつて大阪市場へと向かっていた貨物線の跡で、現役の頃は長崎からの鮮魚高速列車が毎朝入っていた。ポイントをいくつか渡って西九条。営団丸ノ内線中野坂上と同じホーム形態を持ち、中線から桜島線の区間列車が発着している。また、この中線は「はるかルート」の一翼を担っており、貨物線を走行していた列車を環状内回り線に入れるのに使われている。この辺りから左窓に注意していると、UFOのような形の大阪ドームをもう見つけることができるようになる。

西九条から桜島線に入る。一時、桜島線の編成輌数削減の影響で環状線の直通運転が休止されていたが、USJオープンにあわせて復活し、1964年の環状運転開始以来かつてない20分ヘッドでの直通運転が行われている。西九条を出てすぐ、環状線の内回り、外回り線の間の急坂を下る。実はここがJR西日本の最急勾配区間で35パーミルもある。なお、桜島線に入る貨物列車のために、環状外回り線の外側に、勾配区間を長く取って、12パーミルに抑えた貨物線も用意されている。あくまでこの35パーミルの勾配は、環状線の中央に桜島線の列車を入れて、乗換を便利にするために採用されたものなのである。

右にカーブしながら環状外回り線をくぐり、貨物線と合流して川を渡る。川を渡って左にカーブすると、国道43号線をくぐって住宅と工場の混在した地域を走る。やがて工場ばかりが目立つようになり、線路が増えてくると安治川口に到着する。大阪港各地へと向かっていた貨物線が廃止され、貨物施設も縮小したとはいえ、今も貨物列車が電気機関車牽引で直通してきており、梅田貨物駅の元吹田操車場移転に際して、もしかしたら発着列車は増えるかもしれない。大阪市内の百済浪速両貨物駅はアプローチする線路が非電化で、機関車の付け替えが必要なためである。もっとも、百済に関しては、大阪外環状線開業時には、アプローチする線路は全て電化されるわけで、果たしてどうなるか、見物である。

安治川口といえば、1940年のガソリンカー転覆炎上事故である。工業地帯へ向かう通勤者を満載した3輌編成の列車のうち、最後尾のキハ42056がポイント途中転換で横転、さらに燃料タンクに引火して炎上したもので、車内に閉じ込められた乗客184名の尊い命が奪われた。事故の発生地点である安治川口の西九条よりの踏切のそばには、慰霊碑が建てられている。ところで、鉄道車輌やバスは、横転してしまうと脱出できる場所が極端に少なくなってしまう。この事故で、死者がここまで増えた1つの原因であろうけれども、対策は今だもって立てにくい気がする。ロープウェイのように屋根や、床に脱出口のある車輌がもし出てきてもいいかもしれないが、そこまでする価値はあるのかないのか?

安治川口を出ると、急勾配を上がって貨物施設の末端を乗り越し、今度は急坂を下ってユニバーサルシティーに到着する。ここは、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の入場門に面する駅であり、この駅で客の大半は下車してしまうので、半ば回送電車のようになって終点の桜島に向かう。このUSJ建設に伴って安治川口桜島間は1999年に大きく線路変更が行われている。

かつては、安治川口から微妙に右カーブしたのちに住友金属の工場に沿って直進し、運河の手前で複線だった線路が単線となって可動橋を渡り、桜島(旧駅)に至っていた。この区間がUSJの用地にかかるためUSJの南端を通る現在のルートに変更されたものである。旧線の目玉はなんといっても可動橋であった。もっとも晩年は運河の前後が埋め立てられて、船が来なくなったため、大きな溝にただ架かっているだけで動かなくなっていたのだが、現役時には、並行して架かっていた道路橋とともに跳ねあがって、船の通行に役立っていた。また、桜島の周りにも工場が建ち並び、その中へ向かって専用線が多数伸び、また構内にヤードも広がっていた。そこに間借りするかたちのホームに、三角屋根の駅舎がちょこんとひっついていた。

ユニバーサルシティーを過ぎると、列車はトンネルのようなものの中に入る。これは、USJから電車が見えるのは景観によろしくないということで、線路の上に人工地盤(遊歩道となっている)を作って線路を隠したためにできたものである。隠されたのは桜島線だけで、並行して走る道路は隠されていない。どうせなら道路も隠せばいいのにとは思うが、道路は人も歩くので、蓋をされるのは逃れたのであろう。「トンネル」を抜けると終点桜島(新駅)である。駅前には、安治川を一気にまたぐ阪神高速湾岸線の巨大な斜張橋が架かっており、その向こうの対岸に海遊館を始めとする、天保山(日本一低い山である)周辺の観光施設が眺められる。天保山へは、人が歩いて渡ることのできる橋は架かっていないが、桜島から3分ほど歩いたところに渡船乗り場があり、昼間なら30分ヘッドで対岸の天保山まで連れて行ってくれる。道路扱いなので、タダである。

さて、西九条に戻る。1961年に大阪環状線として天王寺西九条間が開通したとき、この西九条の駅は、大阪から桜島へ向かう地上の複線と、弁天町方面から来て西九条で行き止まりの高架の複線とからなっていて、弁天町方面から野田方面に向かう(もしくはその逆)には、高架ホームと地上ホームの間で乗換が必要であった。おそらく、旧西成線区間(大阪西九条間)の高架化が諸般の事情で遅れたためであろうと考えられる。それが1964年の大阪西九条間高架化完成に伴って解消され、現在の運転形態が確立されたのである。

阪神西大阪線の、環状線を跨いで難波へ伸びようとする(ようになって早30年以上、そろそろ工事は再開されるようだが)高架線を右に見ながら、西九条を出て桜島線を右に分けると、環状線は左にカーブして工場をかすめながら安治川を渡る。コンクリート直結軌道を左にカーブし続けると、安治川を河口よりで渡った国道43号線が右に並行するようになる。ちなみに、国道は地上であり、高架橋は阪神高速西大阪線である。線路は直線となり、左下に交通科学博物館のDD54保存機を見下ろし、右上にオーク200の高層ビルを見上げながら弁天町に到着する。交通科学博物館は、この駅の高架下の空間をうまく使って造られており、鉄道を中心とした展示が行われている。10年ほど前までは交通科学館と称しており、「触れる」展示物が多かったのだが、改装を進めるうちに、いつのまにやら見るだけの博物館になってしまった。個人的には、ボタンを押せば動き出す展示物の多かった以前の姿の方が面白かったのだが、それは、小さな子どもだったからだろうか。

弁天町を出てすぐに、阪神高速大阪港線と地下鉄中央線をくぐる。阪神高速は立体交差しているものの、場所がないからか、ジャンクションは設けられていない。また、阪神高速大阪港線がない頃は、地下鉄中央線の黒ずんだ高い高架が、それこそひょろっと環状線を跨いでおり、そこを薄緑色の50系電車が走っているのを眺めることができた。今は、阪神高速との隙間からちらっと見えるのみである。環状線は、外回り線と内回り線が上下に別れながら左に急カーブし、その間に、浪速貨物駅からの貨物線が上って来る。外回り線と内回り線の高さが揃うと境川信号場で、貨物線が合流する。実は、環状線を成立させるべく1961年に新規に開通した区間は、西九条からここ境川信号場までのみで、天王寺から境川までは、1928年に既に環状線の一部となるべく高架複線(ただし単線使用)で建設されていた。大正の前後で渡る尻無川、木津川のスパン100mに及ぶごついトラス橋も、その当時のものである。

大阪ドームと、大阪ガスのガスタンクを左の間近に見ながら右カーブして、尻無川を渡り、大正に到着する。大正は快速電車が通過し、影の薄い駅であったが、大阪ドームの完成、地下鉄長堀鶴見緑地線の延伸開業と周辺で大きなプロジェクトが相次ぎ、何時の間にか、賑やかな駅になってしまった。木津川を渡り、右にカーブして、阪神高速堺線をくぐる。このとき、目立たないので気付きにくいのだが、阪神高速直下の地上を南海高野線が走っている。右には芦原町の小さなホームも見える。もっとも、南海高野線といっても、高野山や泉北ニュータウンの方からやってくる「りんかんサンライン」の列車は全て本線の南海難波に入るので、こちらは通称汐見橋線と呼ばれる都会のローカル線である。太鼓正のビルを左に見ながら芦原橋に到着する。前述の芦原町とは5分ほどで乗り継ぎができる。

芦原橋を出ると、内回り線が高みを増し、JR難波から出てきた関西本線に覆い被さる形ですぐに今宮に到着する。1997年まで関西線にしかホームがなく、また廃止の通告も出るなどしていた同駅であるが、周辺の再開発に合わせて環状線にもホームが設置され、同時に関西線の地下化も含めて大々的に線路変更が行われた。その内回り線のホームは、半径400mの左カーブに存在しており、通過列車のためにカントが大きく取られているので、倒れそうなほど傾いて停車するようになっている。内回り線が関西線や外回り線と同じ高さに下り、環状線が外側、関西線が内側の複々線となって南海本線をくぐると新今宮である。

新今宮のホームからは、大阪の代表的建造物の1つである通天閣や、ジェットコースターが建物の外に飛び出したフェスティバルゲートを眺めることができ、また、高架下に阪堺電軌阪堺線が走っているのを見ることができる。ここから、北に向かって堺筋を少し歩くと、日本橋の電気街であり、JR利用者の中には、高い運賃の地下鉄を避けて新今宮から歩いて電気街に向かう人も多い(私も)。新今宮鶴橋とよく似た性格を持つ駅で、一番大きな改札は、南海との連絡改札となっている。また、鶴橋との大きな違いは、複々線同士が立体交差している点で、このような構造の駅は日本で唯一でもある。新今宮は駅名が違うために気付かれにくい乗換駅で、新今宮を名乗るJRと南海だけでなく、阪堺南霞町、地下鉄御堂筋線、堺筋線動物園前が同じ場所に集まっている。

新今宮を出ると、フェスティバルゲート、スパワールド、ジャンジャン横丁と左に続き、阪神高速松原線をくぐると同じく左に天王寺動物園、天王寺公園が広がる。外回り線が関西線をまたいで方向別複々線から線路別複々線となり、右から南海天王寺支線の廃線跡が合流すると、高架を走っていた線路が次第に掘割りの中に入り、阿部野橋をくぐって半地下の天王寺に到着する。


近畿のJR線目次へ戻る
ホームへ戻る