磐越東線(郡山・いわき)


最新乗車 1996年夏


磐越東線は福島県の中通りを走る東北本線と、浜通りを走る常磐線を結ぶ肋骨状の路線である。とはいえ、キハ110系化と相前後して、目に見えて列車本数が減ってきているのは気のせいではないようだ。郡山市といわき市を1時間間隔で結ぶ都市間バスに完敗したためのよう。磐越東線を全線走る列車は現在、朝夕に6本走っているに過ぎない。

郡山を出た列車は、逢瀬川を渡ると左にカーブして東北本線と別れる。工業地帯を抜け阿武隈川を渡ると、田園地帯の中を舞木を過ぎ三春に着く。美しい城下町や三春駒等の郷土玩具が観光資源ので、また南に5kmほど下ったさくら湖(三春ダムのダム湖である)の近くには「三春の滝桜」と呼ばれる桜の名所もある。さて、要田船引磐城常葉、最近まで石灰石列車が出入りしていた大越菅谷と阿武隈高地の中ののどかな田園地帯を列車は走る。やがてあぶくま洞の最寄駅神俣。続いて郡山からの区間列車の終点小野新町である。次の夏井を出ると列車は次第に夏井川の渓谷へと入っていく。そして、この辺りからもういわき市の市内である。川前江田の付近は紅葉の名所で渓谷美が堪能できる。また、江田は背戸蛾廊と呼ばれる知る人ぞ知る(私も行ったことはない)紅葉の名所の入り口でもある。周囲が開けて夏井川も川幅が広がり、小川郷赤井を過ぎると右から常磐線が 合流し、一緒にトンネルをくぐっていわきに着く。


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磐越西線(郡山・新津)


最新乗車 1999年春


磐越西線は、東北本線郡山と信越本線の新津を、途中会津若松を経由して結ぶ路線である。磐越東線と比べれば新幹線連絡特急や快速も走っており、まだ幹線の風格が残っているこの磐越西線だが、上越線が開業するまで、信越線と並んで東京新潟を結ぶ大幹線だったこともある。郡山を出てすぐ左カーブし、東北本線と別れて東北新幹線をくぐった列車は、水田地帯の中を一路磐梯山(もっとも、この辺だと目の前に見えているのは安達太良山や吾妻山かと思われるが…)へと進路を定めて進んでいく。喜久田安子ヶ島を過ぎると温泉街の磐梯熱海。「磐梯」と冠は付いているが、実は東海道本線熱海より出来た時期は早く、かつてはこちらが熱海と名乗っていた。急に回りは山深くなり、列車は急坂を登って行き、最近までスイッチバック駅だった中山宿を過ぎる。中山峠の下の中山トンネルをくぐると眼前に猪苗代湖が広がり、上戸を過ぎると湖畔に出る。トンネルをくぐると臨時駅猪苗代湖畔であ る。湖畔を離れ関都を過ぎると、かつて磐梯急行電鉄が分岐していた川桁である。日本硫黄耶麻軌道部→日本硫黄沼尻鉄道部→日本硫黄観光鉄道→磐梯急行電鉄と何度も名前を変えたその鉄道だが、終始軽便鉄道のままであった。最後は親会社が倒産してその日から運転休止、そのまま数年後に廃止だったような。

猪苗代観光の中心猪苗代を過ぎ、田園地帯を一直線に走って翁島を通過する。この駅はかつて皇室関係者が利用するため立派な駅舎を持っていたが、無人化された今は撤去され、近くの公園「緑の村」に移築されている。この公園には前述の磐梯急行電鉄の車輌も保存展示されている。列車はヘアピンカーブを猪苗代盆地から会津盆地へと下っていく。磐梯町東長原広田と過ぎ、だんだん町らしくなってくると、右からこれから進む線路が合流し、会津若松に着く。このまままっすぐ進むと只見線に入ってしまうので、磐越西線を直通する列車(本数は少ないけど)はここでスイッチバックする。鶴ヶ城址や白虎隊自刃の飯盛山は駅の東から南にかけて広がっている。

会津若松を北向きに出た列車は、そのまま水田地帯をまっすぐ堂島笈川塩川姥堂会津豊川と過ぎ、酒蔵とラーメンの町喜多方に到着する。ここで郡山から続いた電化区間は終わり、この先走るのはディーゼルカー(と客レ「SLばんえつ物語」)のみである。喜多方を出ると日中線の廃線跡が右に分かれていく。喜多方の駅舎寄りの切り欠きホームから発着していた日中線は、C11の活躍する路線としてSL末期には多数のマニアを寄せ付けていた。この日中線は米沢まで伸びて日光線、野岩鉄道、会津鉄道、磐越西線と奥羽本線をつなぎ、東北本線と並んで東北地方のもう一つの背骨となる壮大な構想の元に建設された過去を持つ。

有名撮影地の一つ、一ノ戸川の鉄橋を渡ると山都に着く。ここからは阿賀川(阿賀野川)に沿って列車は走る。大まかに言って福島県側は左岸、新潟県側は右岸なので、進行方向どちらに席をとっても川の眺めは楽しめる。荻野尾登野沢上野尻徳沢と過ぎ、阿賀川を渡って新潟県へと入る。新潟県に入ると阿賀川は阿賀野川と名前を変える。この区間、米坂線とよく雰囲気が似ている。右手に広がる飯豊山地を挟んで走っているのだから当然と言えば当然か?豊実日出谷を過ぎ、列車は阿賀野川を渡って長い平瀬トンネルをくぐる。トンネルを出て阿賀野川を再び渡ると鹿瀬である。駅の北側にある昭和電工の工場は、かつてメチル水銀を垂れ流し第2水俣病(新潟水俣病)を引き起こしたことで有名である。阿賀野川が次第に淀んでくる。下流に楊川ダムが存在するためであろう。やがて津川鹿瀬もそうだが、津川も集落は対岸にあり、駅前に立派な橋が架かっている。昔は渡し舟でもあったのだろうか。

列車は楊川ダムのそばを通って三川に滑り込む。この三川から阿賀野川下りの船が出ている。阿賀野川を渡って右岸から左岸に移ると五十島。少しずつ谷が開けてくる。東下条咲花と過ぎるとやがて平野に出て阿賀野川と離れ、馬下に着く。ここからは区間列車も多数設定されていて、乗客も増える。猿和田を過ぎると五泉。かつて村松加茂へ蒲原鉄道が出ていたが、1985年と1999年の2度に分けて廃止されてしまった。北五泉新関東新津と過ぎ、右へ大きくカーブしながら信越本線と合流すると、終点の新津である。磐越西線から新潟へ直通する列車も多い。


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