大船渡線(盛・一ノ関)


最新乗車 1997年夏


大船渡線はから気仙沼までは三陸海岸に沿って、気仙沼から一ノ関までは北上高地を横断してL字型に走る路線である。北上高地の横断部には建設当時の憲政会と政友会の争いから生まれた不自然なコの字の線路選定がなされた区間があり、この線形から「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられ、快速「スーパードラゴン」なる威勢のいい名前の列車が走っている。しかし大きく迂回する線路選定となっていることで、都市間輸送において道路交通に大きく水をあけられているのが現状である。

三陸鉄道南リアス線や岩手開発鉄道(現在貨物専用)と並行してを出発する。まず岩手開発鉄道が、続いて三陸鉄道が左に別れて行き、工場街や市街地の中をしばらく走って大船渡に着く。大船渡市の中心はどちらかといえば駅前の方なのだが、市の名前が付いた大船渡駅周辺も大船渡港を控えて栄えている。列車は大船渡湾を左に見ながら下船渡細浦と過ぎ、碁石岬の根元を横断する。門之浜湾がちらりと見えたら右に大きくカーブして今度は広田半島の根元に入り、小友を過ぎる。やがて左に広田湾が現れ、しばらく列車は海岸線に沿って走る。脇ノ沢を出ると海岸線から離れて陸前高田市の市街地に入って行く。海岸線はその先、景勝地、海水浴場として有名な高田松原に続いている。陸前高田を出ると列車は竹駒陸前矢作と気仙川、その支流の矢作川に沿ってどんどん山の中に入って行く。国道45号線と同じく海岸沿いに線路を引けばよいように思うが、やはりリアス式海岸の急峻な地形が影響しているようだ。飯森峠の下を抜ける少し長いトンネルを抜けると、上鹿折鹿 折唐桑と一直線に気仙沼湾へと下って行く。鹿折唐桑の辺りからちらりと気仙沼湾が見えるとすぐに右にカーブして北上高地に突っ込む形で気仙沼に着く。気仙沼市の市街地はここで分岐する気仙沼線沿いにあるので、どちらかといえば気仙沼駅の辺りは閑散としている。

気仙沼を出るとすぐに気仙沼線が左に別れ、大川に沿って登っていく。ちなみに岩手県内ばかりを走る大船渡線の中で、唯一気仙沼市内だけ宮城県を走っている。再び岩手県に入って新月折壁矢越と過ぎる。右手には室根山が聳えている。北上高地はなだらかなだけによく目立つ。分水嶺の短いトンネルを抜けて列車は北上川の水系に入る。小梨を過ぎて千厩。ここから千厩川に沿って下れば一ノ関まで25kmほどなのだが、前述の政権争いによる大幅な迂回のせいで千厩から一ノ関まで39.8kmも走ることになる。気仙沼以来基本的に西に向かって走っていた列車は、ここで大きく北に向きを変え9.2km走って摺沢に着く。摺沢から通ってきた陸中高田までは直線距離で35kmほどと意外と近く、国道343号線がまさにこのコースを走っている。ここから砂鉄川を左に見ながら西へ柴宿猊鼻渓陸中松川と9.3km走り、7.6km岩ノ下陸中門崎と南に下ってようやく元のコース?に戻る。猊鼻渓手前の砂鉄川に架かる鉄橋は名勝猊鼻渓 の看板となっていて、宣伝文句がペイントされているのがユニークである(今もあるかは不明)。また陸中松川は最近まで石灰石の積み出し駅として賑わっていたのだが、閉山に伴い1999年度いっぱいで貨物列車は来なくなってしまった。で、その石灰石の産出を行っていた東北砕石工場なのだが、宮沢賢治が晩年に技師として働いていた工場として有名で、「雨ニモマケズ」の詩はこの時期に書かれたものと言われている。そんな由来もあってこの東北砕石工場の跡地を地元の東山町が「石と賢治のミュージアム」として整備し、一般に開放している。さて、陸中門崎を出た列車はトンネルをくぐって北上川を渡り、うねうねと曲がりながら真滝を過ぎる。やがて東北新幹線をくぐって東北本線と合流し、一ノ関に到着する。


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