常磐線(日暮里・岩沼)


最新乗車 2002年春


常磐線は、東京仙台を太平洋岸周りで結ぶ路線である。茨城県と福島県の県境あたりで産出される石炭を東京へ運ぶべく建設されたのがはじめだが、海岸沿いを走っていることで平坦であり、また一部区間の複線化も早かったことから、複線化や勾配改良が遅れ、さらに上野岩沼間の距離も長い東北本線に変わって、一時は東北、北海道へのメインルートの地位を保っていた。東北本線が全線複線電化され、常磐線回りの「ゆうづる」が消えた今も、貨物列車中心ではあるが東北本線のバイパスとして活躍している。そういえば絵本「走れ!!きたかぜ号」の特急「きたかぜ」も常磐線回りだった。この絵本、14系客車をリアルに描いていたので印象に残っている。寝台車と座席車の区別がなかった(外観は全部寝台車、でもヒロインが乗るのは座席車)のは仕方ないか…。

起点は日暮里であるが、全列車が上野を発着している。上野を出発すると、左にカーブしながら高架ホームからの線路と地平ホームからの線路がまとまり、複線となる。京成電鉄をくぐるとホームが1本だけの起点駅、日暮里である。並行する東北本線にはホームがない。日暮里を出ると右に急カーブして山手線、京浜東北線、東北本線と別れ、京成本線もくぐって、さらに急カーブを続ける。左下に田端操車場からの線路が寄り添うと三河島で、その線路は三河島を出てしばらくすると合流する。この地点がかの三河島事故の現場である。右には常磐線の複線とは別に1本の線路が並行している。この線路が隅田川貨物駅に入って行くと、右から営団日比谷線が現れて南千住を過ぎる。駅全体が左にカーブしている。左側で常磐新線「つくばエクスプレス」の南千住駅建設工事が行われている関係で、現在は仮駅となっている。その「つくばエクスプレス」が常磐線と営団日比谷線の間で地上に上って来ると、隅田川を渡り、京成本線を三度(みたび)くぐる。右から東武伊勢崎線が寄って来ると北 千住である。常磐線、東武伊勢崎線、営団日比谷線、営団千代田線、それに将来は「つくばエクスプレス」も加えた各路線が上下に交わり、乗り換え客が一日中錯綜している。

北千住を出ると営団千代田線が地上に出てきて、千代田線、常磐線、つくばエクスプレス、東武伊勢崎線が並行して荒川を渡る。東武伊勢崎線が左へ、つくばエクスプレスが地下へ別れ、常磐線は千代田線との複々線区間を綾瀬へと進む。色が良く似たJR415系1500番代と千代田線に乗り入れた小田急1000系が並ぶのもこのあたりである。綾瀬で横の複線は営団千代田線からJR常磐線(緩行線)に管轄が変わる。千代田線の支線が北綾瀬に向かって左に急カーブして別れて行く。住宅地の中を高架線で走る。亀有を過ぎて新中川を渡ると右から通称「新金線」(総武本線新小岩とここ金町を結んでいる貨物線)が合流して金町に着く。駅前から柴又へ向かう京成金町線が出ている。江戸川を渡って千葉県に入ると、快速線と緩行線の左右が入れ替わり、右から松戸電車区からの回送線が合流して快速停車駅の松戸に着く。新京成電鉄は乗り換えである。

相変わらず住宅地の中を列車は走る。北松戸から貨物列車用の側線が快速線側に広がり、総武流山電鉄が分岐する馬橋を過ぎると貨物列車用の側線はまとまって単線の高架線になり、武蔵野線南流山に向けて左へ別れて行く。続いて武蔵野線との接続駅新松戸である。並行する総武流山電鉄の幸谷も近く、ここで乗り換える人も多い。武蔵野線南流山からのもう1本の連絡線が合流して北小金を過ぎる。住宅地の中を南柏、快速停車駅で東武野田線との接続駅である北柏と過ぎる。手賀沼が近いのだが、そんなことを微塵も感じさせないほど周囲は建て込んでいる。やがて我孫子。成田線との分岐駅で、一部快速電車の増解結も行われている。成田線が緩行線を乗り越して右に消えて行くと、今度は快速線の上下線が大きく広がってその間に電留線が広がる。再び上下線がまとまると天王台を過ぎ、利根川を渡って茨城県に入ると取手である。複々線区間はここで終わり、また、直流電化区間もここで終わる。我孫子取手間は複々線となっているが、緩行電車は日中、夜間は我孫子で 折り返しており、取手までやってくるのは朝夕ラッシュ時のみである。なんでも騒音振動の観点から反対する沿線住民に配慮した結果らしい。

取手を出ると、関東鉄道常総線が左に急カーブして別れて行く。途端に周囲から建物の姿が減り、水田地帯へと列車は入って行く。列車はトップスピードで惰行し、直流と交流を隔てるデットセクションを通り過ぎる。夜間、ここを電車で通ると室内灯が消える(消えないことも多いが…)ので、通過したことが良くわかる。藤代を過ぎると関東鉄道竜ヶ崎線の分岐駅佐貫である。駅の周囲こそ建て込んでいるものの、駅間は田園地帯が広がる。ここからはそんな風景の繰り返しである。牛久沼のそばを走り抜けると牛久、続いてかつての万博中央駅跡に時を置いて建設されたひたち野うしく荒川沖と過ぎ、霞ヶ浦に面した(というには少々つらいが…)土浦である。かつてここから左へ、筑波鉄道が筑波山の麓を通って水戸線の岩瀬へ伸びていたが、国鉄最後の日に時を同じくして廃止され、現在は廃線跡がサイクリングロードとして整備されている。

神立高浜と過ぎると、鹿島鉄道が右から寄ってきて石岡である。羽鳥岩間を過ぎると、左に水戸線が現われ、こちらが右カーブして合流、友部に着く。友部と次の内郷との間では、上下線が大きく離れる区間がある。かつて貨物操車場として計画されたものの、色々な事情で建設されなかった名残である。赤塚を過ぎると、下り線にだけホームが設けられた臨時駅の偕楽園である。2月から3月の梅のシーズンだけ営業され、その時は特急列車も停車する。やがて都会の街中に入り、水戸に到着する。茨城県の県庁所在地だけあり、乗降客はかなりのものである。ここから上野へ向けて、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」を合わせて30分間隔で特急列車が運行されている。

水戸を出るとすぐに左に水郡線が別れ、ついで右に鹿島臨海鉄道が別れて行く。那珂川を渡って、やがて右から茨城交通が合流すると勝田である。左手には日立製作所の工場が広がり、専用線が工場の中へと伸びている。1993年9月までこの専用線を使って従業員の通勤列車が運行されていたが、現在は廃止されている。左手に勝田電車区が広がり、それが収束すると佐和を通過する。列車は海岸線へと近付いて行く。関東地方の「小浜」たる原発村、東海村へと列車は入る。私が訪れた1997年冬、東海駅のホームに犬が飼われていたのだが、今も居るのだろうか。かなり丸々と太った犬であった。久慈川を渡ると日立電鉄を跨ぎ、その左に並行する。日立電鉄は海側の市街地の中を走っているが、今度は常磐線を跨いで山側に出て大甕に到着する。海岸段丘の上にある駅で、駅舎から広がる眺めはなかなかのもの。ただ、海沿いの市街地から駅へのアクセスは大変そう。

大甕を出ると、再び日立電鉄が常磐線を跨いで海側に出る。常陸多賀を過ぎ、日立電鉄の終点鮎川の脇を通り過ぎると海沿いに出て日立に着く。「日立」グループ発祥の地である。ここから列車はかつて常磐炭田が広がっていた地域に入って行く。小木津川尻と内陸を走り、再び海沿いに出ると高萩である。南中郷磯原と過ぎると、しばらく海岸に沿って走る。岬の根元を横断するために内陸に入ると大津港を過ぎ、福島県に入る。勿来の手前で海岸に出るが、ここを最後にしばらく列車は内陸を走る。植田を過ぎてトンネルを抜けるとで、ここから小名浜港へ福島臨海鉄道が伸びている。かつては小名浜臨港鉄道といい旅客営業も行っていたが、現在は稀に臨時旅客列車が走る以外は貨物専業の鉄道である。この福島臨海鉄道を跨いでしばらく走ると、温泉町湯本を過ぎ、かつて機関区のあった内郷を過ぎると左から磐越東線が接近、トンネルをくぐっていわきに着く。かつてのである。日本一広い市いわき市の中心駅であるが、広いと いうことはあまり実感できないものである。

いわきを出ると、草野四ツ倉を過ぎ、再び海沿いに出て久ノ浜を過ぎる。四ツ倉で複線区間は終わり、広野木戸間と大野双葉間が複線である以外は岩沼まで単線が続く。末続広野木戸とトンネルを幾本も抜けながら海岸近くを走る。なんとなく、山陰本線西部と似たような景色である。広野町によると小学唱歌「汽車」に歌い込まれた「広野原」は広野のことであるという。また、この辺りはかつて特急「ゆうづる」がC62牽引だった頃、上り列車の撮影地として名を馳せたところである。最近もRail Magagine誌「感動の所在地」で特集があったので覚えている方も多いかと。木戸からは少し海から離れて田園の中竜田を過ぎると、また海沿いに出て富岡である。再び内陸に入ると夜ノ森。駅周辺にはツツジが植えられており、また近くの夜の森公園は桜の名所でもある。列車は左に阿武隈高地、左に太平洋を望む田園地帯の中を坦々と大野双葉浪江桃内小高磐城太田と走り、原ノ町に着く。

原ノ町上野発普通列車の最北端終着駅である。上野から289.1km。1日1本のその列車は5時間29分かけて走ってくる。原ノ町を出ると相変わらずの水田地帯を一直線に、鹿島日立木相馬駒ヶ嶺新地と過ぎ、再び海沿いに出て宮城県に入る。坂元山下浜吉田と一直線に走るうちに海からは少々離れる。左に続く山並みの向こう側には阿武隈川が流れ、阿武隈急行が並走している。もっとも、山の向こう側なので見えることはない。亘理逢隈と過ぎ、阿武隈川を渡る。左から東北本線が左から合流してくると終点の岩沼に到着する。常磐線の列車は全て東北本線を乗り入れ、仙台以北を発着している。


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