奥羽本線(福島・青森)
山形新幹線、山形線(福島・新庄)
秋田新幹線(大曲・秋田)


最新乗車 2000年夏


奥羽本線はかつて東北本線と並び東北地方を縦貫する幹線であった。しかし、近年東北新幹線から取り残された主要都市への、いわば「引込線(Feeder)」として相次いでミニ新幹線化が図られ、一部区間が1067mm軌間から1435mm軌間に改軌されたことから、もはや全線を通して走ろうとしてもフリーゲージトレイン以外の列車にとっては不可能な路線となってしまった。路線の性格は秋田を境に二分されており、南側は前述した「引込線」としての役割を持ち、北側は関西、北陸と東北、北海道を結ぶ「日本海縦貫線」の一翼を担っている。

福島を出た列車はすぐ左カーブして東北本線阿武隈急行福島交通と別れ、東北新幹線をくぐる。右には福島駅のヤードが広がっている。上から山形新幹線の線路が下りてきてこれと合流し、複線となって笹木野を過ぎる。続いて板谷峠越えに備えて後押し用の4110やE10などの機関車が待機していた庭坂機関区があった庭坂を過ぎ、列車は福島盆地から離陸するかのように右に旋回しながら33.3パーミルの勾配を上り始める。この勾配はサミットを挟んで関根まで続く。有名な難所板谷峠の始まりである。400系にせよE3系1000番代にせよ、はたまたローカル用の719系5000番代にせよモータをうならせながら走って行く。山裾に沿ってしばらく走るが、左カーブして1本目のトンネルを抜けるともう辺りは山深くなってしまう。松川に沿ってどんどん列車は高度を稼いでいく。上下線が付かず離れずしながら赤岩を過ぎる。かつて赤岩板谷大沢の4駅は連続してスイッチバック駅であった。山形新幹線の工事が始まると同時に機関車牽引 列車がなくなり、電車ばかりになったことからスイッチバックは廃止された。赤岩板谷は手前の右上に、大沢は過ぎたら左上にそれぞれ旧駅跡が見られる。

板谷の間にあるトンネルが板谷峠のサミットで(なんと安直な…)、からは33.3パーミルの下り勾配に転じる。駅では力餅の駅売りがあり、普通列車で板谷峠を越えた場合ホームで購入することができる。これがなかなか旨い。なお、この力餅の製造元である峠の茶屋は、スイッチパック式だった頃のの旧駅前にある。さて、かつてスイッチバック駅だった4駅は、現在のホームのある場所(=かつてポイントが集中していたところ)に雪覆いのシェルターが設置され、さながら秘密基地のようである。大沢を出てトンネルを抜けると途端に視界が開け、今度は米沢盆地に着陸するがごとく列車は高度を下げていく。関根からは単線になり、やがて左から米坂線が近付くと福島から一つ目の「つばさ」停車駅米沢である。

米沢牛を売り物にする2つの駅弁業者が改札口を挟んで対峙する米沢駅であるが、かつて駅東側にはレンガ造りの重厚な機関庫があった。機関区がなくなった後、JR職員の駐車場として使われていたようだが、取り壊しか保存か揉めている間(2001年2月12日)に雪の重みで崩壊してしまった。その後結局どうなったかの情報を持ち合わせていないのですが、どなたかご存知の方いらっしゃいます?最上川に沿い、米沢盆地の水田地帯を走る。置賜を過ぎ、米沢南陽道路をくぐると高畠(「つばさ」停車駅)で、かつてはここから高畠町の中心へ向けて山形交通高畠線が出ていた(当時、この駅は糠ノ目と名乗っていた)。奥羽本線が米沢盆地の東側を走っているのに対し、米沢で分岐する米坂線は西側を通っており、そして盆地の北側を走る山形鉄道フラワー長井線が次の赤湯(「つばさ」停車駅)から分岐している。

赤湯を出ると米沢盆地と山形盆地を分ける山越えにかかる。最上川に沿っていけば勾配が少ないように思われるが、北に進もうとすれば山形を無視することになるので現在のルートが選定されたのであろう。国道13号線と並行して、中川羽前中山と峠越えをすると山形盆地に出てかみのやま温泉(「つばさ」停車駅)である。古来の羽州街道とはここで合流する。羽州街道は、桑折で陸羽街道(国道4号線)から別れ、金山峠(ちなみに冬季は閉鎖らしい)を越えて上山に到達するという奥羽本線とも国道13号線とも違うルートを取っている。実は旧道のルートが福島盆地から山形盆地へ抜けるのに最もなだらかなルートなのだが、後年の交通路は米沢の存在を無視できなかったようで板谷峠を経由している。さて、かみのやま温泉を出ると水田やさくらんぼ畑の広がる田園地帯の中を茂吉記念館蔵王と右に蔵王山を眺めながら、かつ右に須川を眺めながら一直線に走り、くねっと曲がって須川を渡る。やがて市街地に入って山形に着く。かつて蔵王山形間は貨物列車が乗り入れるため下り線のみ3線軌となっていたが、貨物列車 廃止後に狭軌用のレールは撤去された。

山形は1992年7月から、山形新幹線新庄延伸の1999年12月まで山形新幹線「つばさ」の終着駅であった。今でもここの乗降客は多く、2本に1本の「つばさ」はここで折り返していく。ここは山形県の中心であるだけでなく、蔵王観光や温泉巡りの拠点ともなっているため、用務客や観光客など多種多様な人々が出入りしている。山形新幹線が人々を「駅」に呼び戻した効果は大きいようだ。山形を出ると西側が狭軌(左沢線仙山線用)、東側が標準軌(奥羽本線用)という一風変わった複線となる。山形城の堀端を進み、まず北山形で左に左沢線が、続いて羽前千歳で右に仙山線が分岐する。と、こちらは標準軌のみの単線となり、南出羽漆山高擶と北へ進んで行く。やがて将棋の駒の生産で有名な天童(「つばさ」停車駅)である。

最上川流域に広がる水田地帯の中を、国道13号線の新道や旧道とともに列車は淡々と走る。乱川、そして山形空港の横にある神町を過ぎる。山形空港は、山形新幹線開業とともに首都圏へ向かう客を奪われ、すっかりさびれてしまった。続いて、ホーム1本の無人駅だった蟹沢を移転改称し、「つばさ」停車駅にまで出世したさくらんぼ東根である。もっとも、書類上は蟹沢を廃止して、新たにさくらんぼ東根を設けたということになっているようである。また、この辺りは駅に「さくらんぼ」と名乗らせるだけあってさくらんぼの名産地で、沿線に見掛けるビニールハウスや温室は、十中八九さくらんぼ栽培のものとみてよさそうである。続くはさくらんぼ東根からさくらんぼをとっただけの東根。元はこちらのほうが東根市の中心だったはずなのだが、すっかり隣駅にお株を奪われてしまった。少し建て込んでくると、列車は村山(「つばさ」停車駅)に到着する。

かつて村山は、駅の辺りの昔の町名を取って楯岡と名乗っていたが、山形新幹線延伸に伴って市の名前に改称された。楯岡の名は駅前にある楯岡城にも基づいており、歴史ある地名のはずなのだが、1962年の広域合併の際、被合併自治体の面子を守るためにこの付近の地方名である村山を市の名前にしたという。袖崎を過ぎると最上川が左に近寄ってくる。と同じくして山形盆地が終わりに近付き、両側に山が迫ってくる。久し振りにトンネルをくぐり、大石田(「つばさ」停車駅)、北大石田と過ぎる。かつて大石田から尾花沢市の中心へ山形交通尾花沢線が出ていた。芦沢舟形の間で山形盆地から新庄盆地に移る猿羽根峠を越える。小国川を渡ると、右から小国川に沿って走ってきた陸羽東線が合流し、4kmに渡って並行して走って山形新幹線の終点新庄に到着する。

新庄は東北地方内陸部の縦貫線と横断線が交わって、それなりに栄えた駅であったが、山形新幹線がここまで達することになってかなり趣きを変えている。システム的には標準軌路線と狭軌路線との間の乗換駅へと変わり、駅の雰囲気は東北地方の典型的な本線ジャンクションから、個性的な駅舎を持つ今風の駅に様変わりした。新庄を出ると最上川に沿って余目酒田を目指す陸羽西線が別れていく。泉田を出ると左にカーブして列車は西を向き、今度は羽前豊里の手前で右カーブして再び北上を始める。左に並行するのは最上川の支流、真室川である。新庄盆地はさほど大きな盆地ではなく、真室川を過ぎる頃には山が迫ってきている。列車は真室川を渡り、今度は川の右岸を釜淵大滝及位と雄勝峠へと着々と登って行く。真室川はいつのまにか塩根川と名前を変えている。及位を出ると院内まで複線区間となって雄勝トンネルをくぐる。ここが雄勝峠で、山形県と秋田県の境である。トンネルを越え、右に雄勝川と国道13号線を見て下って行くと院内。雄勝川は雄物川と名 を変え、線路の左側に移る。横堀三関上湯沢と過ぎる頃には周囲が開け、横手盆地に入っていく。やがて湯沢。雄物川とはしばらく別れ、田園地帯の中を下湯沢十文字醍醐柳田と過ぎて、右から北上線が合流すると横手である。平安時代の末期、後三年の役の舞台となった後三年(金沢柵は駅東方3km、ちなみに前九年の「駅」は東北本線厨川)、飯詰と過ぎると大曲に到着する。

大曲では田沢湖線(秋田新幹線)が分岐しているのだが、福島へ向かう形で奥羽本線に合流しているため、田沢湖線から秋田へ向かう秋田新幹線「こまち」はこの駅でスイッチパックを余儀なくされている。ここから奥羽本線は秋田新幹線の一員となり、線路は標準軌となる。もっとも、大曲から秋田までは全線複線化されているため、青森に向かって左側が狭軌、右側が標準軌と単線並列区間になっている。なお、秋田までの途中駅にあった標準軌にしか面していないホームは取り壊されており、標準軌用701系5000番代がこの区間を普通列車として走ることはない。列車は玉川を渡ると左にカーブし、だいたい雄物川に沿って水田地帯を走って行く。神宮寺から刈和野を通って峰吉川までは青森に向かって左側の線路が標準軌と狭軌の3線軌区間となる(向かって右側は標準軌のまま)。これは「こまち」同士を走行中に擦れ違わせて、少しでもタイムロスを少なくするための措置である。峰吉川を出ると横手盆地は尽き、雄物川とも別れて、国道13号線とともに秋田平野に出るちょっ とした峠越えにかかる。この辺り、ゴルフ場が目立つ。羽後境大張野と過ぎ、和田を通過する頃には秋田平野が広がり始める。岩見川に沿って走り、右にカーブして北を向いて四ツ小屋を過ぎると、まず左手に「こまち」用E3系や田沢湖線ローカル用701系5000番代が所属する南秋田運転所が広がり、続いて同じく左から羽越本線が合流。街中をしばらく走って構内が大きく広がり、秋田に到着する。

秋田新幹線の開業で配線や駅舎が大きく様変わりした秋田を出発する。ここから奥羽本線は、日本海縦貫線の役目を羽越本線から受け継ぎ、貨物列車(主に関西以西対北海道という運転区間である)が走るようになる。新興住宅地になった秋田操車場の跡を抜け、右に土崎工場が見えてくると、やがて土崎。ここからは秋田港への貨物線が分岐している。なんとなく海が近い風景の中を上飯島追分と走る。追分から単線となり、左へ男鹿線が分岐していく。列車は水田の中を北上していく。大久保を過ぎると左に八郎潟(調整池)が見え始める。羽後飯塚から複線となり(八郎潟まで)、井川さくらを通過する。左には八郎潟干拓地が広がる。かつては八郎潟の眺望が素晴らしかったのだろうなと思いつつ八郎潟鯉川鹿渡と走る。森岳から丘陵地帯に入り、北金岡を過ぎると能代平野に出る。右カーブしつつ、左から五能線が合流し東能代に到着する。

東能代は能代市の外れにあるため、市街地へは五能線に乗り換えることになる。東能代から列車は米代川をさかのぼるように走る。谷間に水田が広がる中を鶴形富根と坦々と走る。米代川を渡って左岸から右岸へ移ると二ツ井前山と過ぎ、右から秋田内陸縦貫鉄道が合流して鷹ノ巣に着く。徐々に谷が狭まり糠沢早口下川沿と過ぎると、今度は視界が開けて大館盆地に入る。右から花輪線が奥羽本線を乗り越して左側から合流し、大館に到着する。大館からは小坂精錬小坂線が分岐しているが、旅客営業は1994年に廃止され、現在は貨物専業鉄道となっている。米代川は花輪線に任せて、奥羽本線は矢立峠越えにかかる。

白沢陣場間で上下線が大きく離れる。上り勾配の緩和のためである。下り線がトンネルを抜けて上り線に合流する高架橋は、奥羽本線随一の撮影名所でもある。秋田以北の奥羽本線は羽越本線と同じく細切れに複線化されている。全線複線なのが望ましいのだろうが、列車本数から考えるとこれで丁度いいくらいかもしれない。ちなみに秋田以北の複線化区間は秋田追分間、羽後飯塚八郎潟間、鶴形前山間、鷹ノ巣早口間、大館長峰間、石川川部間の6ヶ所である。さて陣場を出ると、複線電化前の旧線跡が左に別れて行く。旧線は並行する国道7号線にだいたい沿っていたようだ。やがて列車は秋田県と青森県を分かつ、長い矢立トンネルに突入する。このトンネルを抜けると右から旧線跡が合流して津軽湯の沢を過ぎる。東北自動車道を右に見ながら、いかにも「日本の山村」という風景の中を碇ヶ関長峰と下って行く。

やがて駅前にピンク色のワニのモニュメントが立つ大鰐温泉。ここから弘南鉄道大鰐線が分岐している。大鰐線と付かず離れずしながら走り、大鰐線の下をくぐると石川。矢立トンネルをくぐった辺りから既にそうなのだが、津軽平野の広がるこの辺りまで来ると周囲は一面のリンゴ畑である。そんなリンゴ畑の中を、細かい駅は大鰐線に任せて列車は快走し、やがて市街地に入ると右から弘南鉄道弘南線が寄ってきて弘前に到着する。弘前市の中心にある弘前城は桜の名所としても有名で、見ごろとなるゴールデンウィークには各地から人が押し寄せてくる。臨時列車が青函トンネルをくぐって北海道からやって来るほどである。

弘前を出ると田園地帯の中を一直線に走る。撫牛子を過ぎると平川、浅瀬石川と次々と渡り、五能線が左から合流して川部である。弘南鉄道黒石線の廃線跡が右に別れ、相変わらず津軽平野の水田地帯を列車は北常盤浪岡と坦々と走る。やがて津軽平野が尽きると大釈迦。列車は津軽平野と青森平野を隔てる大釈迦峠の下をトンネルでくぐる。大釈迦トンネルを出て、しばらくうねうねと下ると鶴ヶ坂。さらにうねうねと下り、津軽新城で周囲が開け、青森市の市街地に入っていく。東北新幹線が延伸すると接続駅になるという新青森を過ぎると、左から津軽線と青森運転所からの回送線が合流。続いて青森信号場への短絡線が右に分岐すると、列車はスピードを落とし、左へ急カーブして東北本線と合流、青森駅に滑り込む。


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