東北本線(東京・盛岡、八戸・青森、岩切・利府)
いわて銀河鉄道(盛岡・目時)
青い森鉄道(目時・八戸)


最新乗車 2002年冬


東北本線は東京を起点とし、北へ向かって走る鉄道路線である。東北新幹線開業前は上野(一時期は東京からも)、青森間に北海道連絡の直通特急列車が走っていたが、東北新幹線開業後は寝台特急を除いて上野から青森を結ぶ直通列車はなくなっている。もっとも、首都圏と青森県、さらに北海道を目指す客は航空機利用なので、実態に即した状況とはいえる。東北新幹線八戸開業後、どこまで鉄道利用が伸びるか楽しみではある。現在、在来線は首都圏通勤輸送の他は実質的に首都圏と北海道を結ぶ貨物の動脈となっており、これはしばらく続くであろう。かつては東京以西に発着し、東海道本線とも相互乗り入れしていた東北本線の列車であるが、神田付近の路盤を、東京駅に乗り入れる東北新幹線に譲ることとなり、この運転形態は1973年3月一杯で廃止された。

そんなわけで東京を出る東北本線の列車はなく、京浜東北線か山手線の電車を使うことになる。高々架から中央線が下りてきて神田を過ぎると、中央線が左に急カーブで分かれ、併走する東北新幹線が地下に潜ると電気街の中秋葉原に到着する。東側には上野発着の東北、高崎、常磐各線列車の留置線となっている。東北本線の列車がちゃんと東京を発着していた頃の名残は、東海道本線の神田方引き上げ線やここ秋葉原の電留線にあり、秋葉原上野寄りには列車用のホームが残っている。さらに東側には常磐新線「つくばエクスプレス」の建設現場がみられるが、ここは高架式貨物駅として有名だった秋葉原貨物駅の跡である。さて、1973年に廃止された東北本線列車の東京乗り入れであるが、実は東北新幹線高架の上に被さる形で重層高架により東北線の線路を敷設できるように準備工事がなされており、ここに複線の線路を敷くことで、このたび直通の復活が正式に行われることになった模様である。

アメ横を左下に見て右カーブすると、実質的な始発駅の上野に到着する。上野の地平ホームは今も残り、主に特急列車の発着に用いられているが、次々と東北新幹線が開業した現在は発着本数も減り、寂しい雰囲気を醸し出している。そんな地平ホームにもE231系が発着するようになり、否が応にも時代の流れというものを感じさせられる。東北新幹線東京開業、さらに東京駅ホーム増で上野の地位は見る影もなく転落し、乗り換え改札の一部閉鎖までなされている始末である。上野から鶯谷まで続く左カーブで地平ホームと高架ホームからの線路がまとまり、山手線、京浜東北線の方向別複々線、東北本線の複々線、常磐線の複線の10本となる。京成本線をくぐり、日暮里の構内を通過すると同時に地下から東北新幹線が浮上してくる。というわけで日暮里の駅構内にはポイントがないのに14本も線路が並んでいるということになる。常磐線と京成本線が急な右カーブで分かれていくと、西日暮里の手前で東北本線も右にカーブして、山手、京浜東北線と東北新幹線から離れる。と、田端のヤード から常磐線三河島に向かう貨物線をまたぐ。しばらくすると複々線の間が広がって尾久客車区、田端運転所への線路が分かれて高架下に降りていく。と、複々線がまとまってそのまま複線となり、高架から降りて尾久客車区の横、尾久に到着する。上野から尾久の手前まで複々線となっているのは、上野駅が機回し線なき頭端ホームとなっている関係上、推進運転で客車列車を上野駅と尾久客車区の間で回送する必要があり、この回送列車の最高速度が45km/hに制限されているので、他の発着列車を阻害しないように配線されたためである。

尾久を出ると左カーブして上中里で京浜東北線、東北新幹線をくぐり、これに並行する。この区間、田端のヤードや山手貨物線からつながる貨物線、尾久回りの列車線、京浜東北線、東北新幹線の4本の複線が併走している。最近駅の統合が図られた赤羽を過ぎると東北新幹線は埼京線を伴って左に分かれていく。列車は荒川を渡り埼玉県に入る。細かい駅は並行する京浜東北線に任せて北上し、209系電車がたむろする広大な浦和電車区のあたりから、2001年5月に合併して誕生したさいたま市へと入って行く。武蔵野線と交差する南浦和を過ぎるとやがて中距離電車の停車駅、浦和である。浦和には貨物線にホームがなく、ゆえに貨物線経由となる湘南新宿ラインなどの新宿池袋からやってくる列車は通過扱いとなる。さっさと改造して貨物線にホームを設ければいいのにと思うのだが、構内が手狭なだけにおいそれとは着工できないようだ。もし、改造工事をやってくれるのなら、ついでに列車線と貨物線を方向別ホームにしてくれればいいのだが。北浦和の先で地下から沸いて出た武蔵野線からの短絡線が貨物線に合流 する。続くさいたま新都心の周辺には、その名の元になった「さいたま新都心」のビル群が林立し、その向こうに東北新幹線と埼京線が見える。この「さいたま新都心」はかつての国鉄大宮操車場跡地の再開発によって生み出されたもので、この開発に伴う残土輸送に貨物列車が用いられたのは特筆に値する。さいたま新都心を出ると線路が複雑に絡み合い、大宮に到着する。大宮には鉄道工場もあり、駅ホームからも入場中の車輌を眺めることができる。高架には東北、上越新幹線、地上には東北、高崎線、京浜東北線、東武野田線、地下には埼京、川越線の各ホームが並び、実に巨大な橋上駅舎がその上に覆い被さっている。

大宮を出ると高架に上り、大宮工場の横で直進する高崎線と分かれて右にカーブする。右には東武野田線が並行し、また左に本線とは別にもう1本線路が並行するが、これは尾久客車区と並ぶ上野発着旅客列車の留置線である東大宮操車場へと続く線路である。今は操車場という停車場はなくなったはずなので、大宮駅の電留線の扱いになっているのだろうか。かつて東北、上越新幹線が開業していない頃は「ひばり」や「とき」といった電車特急の基地として機能していたが、最後の砦の「あさま」亡き今はその規模を持て余している感もある。並行していた東武野田線が北大宮(東北本線に駅はない)を出ると右へカーブして別れて行く。こちらは複線+単線で真っ直ぐ走り続ける。土呂を過ぎると操車場が左に展開し始め、やがて操車場への引込み線が左に別れて行く。複線になった東北本線は東大宮蓮田白岡と住宅地や畑の中を真っ直ぐ走っていく。左に東北新幹線の高架を望みながら東北自動車道をくぐると新白岡。右から東武伊勢崎線が近寄ってきて東北新幹線をくぐると久喜である。この久喜は今では珍しく なった役割を持っている。それは東武鉄道とJR貨物の間での貨物の受け渡しである。今(2002年現在)も一日最大3往復の貨物列車が久喜を介して直通している。

久喜を出ると東武伊勢崎線が東北本線を乗り越して左へと消えて行き、こちらは上り線だけ高架になって東鷲宮を過ぎる。東鷲宮にはかつて貨物取扱設備があり、上り線だけ高架になっているのもそのためなのだが、現在一部が再開発されたものの右に広大な空き地が広がっている。また東北新幹線の保線基地が設けられており、単線の高架線がうねうねと東北新幹線に向けて伸びている。右から東武日光線が乗り越し、これと合流すると栗橋。左に東武が別れて行き、列車は右カーブして利根川を渡る。利根川を渡り終えて左にカーブし、渡良瀬川に沿って走り、埼玉県から茨城県に入ると古河。茨城県から栃木県に入ると一直線に畑や宅地の中を野木間々田と過ぎ、東北新幹線「が」カーブしながら合流すると、水戸線への短絡線跡が右へ別れ、同じく右から今度は水戸線の本線が合流すると東北新幹線の停車駅でもある小山である。

小山を出ると左に両毛線が、右に古河電工への専用線が分岐する。列車はここから雀宮まで東北新幹線にぴたり並行して走る。かなり高規格の東北新幹線が並行して建設されるほど、この辺りは直線が続く。次の小金井自治医大との間には右手に小山電車区が広がり、上野黒磯の間を往復する115系やE231系などが数多く並んでいる。ところで小金井駅が存在するのは栃木県下都賀郡国分寺町である。ここでふと思いつくのは中央本線の武蔵小金井国分寺の並び。「国分寺」という地名と「小金井」という地名には何か関連があるのだろうか。自治医大を過ぎた辺りで東北新幹線が左側から右側に移る。石橋雀宮の間の右手、東北新幹線の向こうには宇都宮貨物ターミナルが広がっている。東北新幹線が右にカーブして別れ、雀宮を通過する。日光線が左から合流し、田川を渡って東北新幹線をくぐると宇都宮である。

宇都宮市は餃子の町として売り出しているだけあって街に餃子の店が林立している。宇都宮駅の東口には「餃子のビーナス像」なんてのもあるらしい。そんな街中を西へ向けて20分ほど歩くと東武宇都宮線の東武宇都宮駅がある。列車は宇都宮を出るとすぐに右にカーブして東北新幹線と別れる。住宅地や工場の中を直進し、岡本を出ると再び右にカーブしながら築堤を駆け上がり、鬼怒川を渡る。渡り終えると左に曲がって進路を再び北に向け宝積寺に到着する。宝積寺ではアンドロメダに向かう烏山線(ってこのネタ分かる人少なくなっただろうなぁ)が分岐している。右に急カーブして烏山線が別れると水田の中、鬼怒川の左岸を直進する。氏家蒲須坂片岡と過ぎ、東北新幹線をくぐる辺りから周囲の山々が近付き、列車は那須野原へと登って行く。やがて矢板宇都宮片岡間はその昔、ここが日本鉄道という私鉄であった1897年2月に大幅に線路が付け替えられている。旧線は宇都宮から片岡まで今の東北新幹線のすぐ右側を真っ直ぐ走っていたのだが、西鬼怒川の氾濫によりたびたび線 路が被害を受けたために開業10年ほどで放棄されてしまった。現在東北新幹線が旧線跡を辿るように走ることができるのは、線路変更当初からの治水事業のおかげ(それでもたびたび鬼怒川は暴れているが)といえる。

矢板からはかつて東武鬼怒川線の新高徳へ東武矢板線が出ていた。同線は非電化のまま1959年に廃止され、現在は関東バスがその任にあたっている。だいたい1時間に1本ほどあるのでそこそこ利用はされているようだ。1899年10月7日に強風による列車転落事故があった箒川橋梁を渡ると野崎。やがて右から東北新幹線が近付き、立体交差した後にその右下にぴたり並行して一直線に那須野原を走る。西那須野からは1968年12月まで大田原の市街地を通って黒羽、さらに1939年までは那須小川まで東野鉄道が出ていた。東北新幹線の接続駅である那須塩原を出ると、構内が大きく広がり直流電車の終点黒磯に着く。ところで、東北新幹線の停車駅がなぜ黒磯市の中心にあり運転上の要衝でもある黒磯でなく那須塩原に作られたのか少々気になっている。黒磯市と西那須野町が誘致合戦をして、結局間の東那須野那須塩原の旧称)が東北新幹線の停車駅になったのだろうと踏んでいるのだが、真相はいかに?

黒磯から電化方式が直流から交流に変わる。そのため、駅構内には直流方式の電車や電機、交流方式の電車や電機、それに交直流方式の電車や電機がひしめいている。通過列車のために車上切換のできる設備もあるが、基本的に日本ではここだけの地上切換方式を用いているのが特徴である。線路ごとに交直流の別を設定できるため、直流方式のE231系電車と交流方式の701系電車が同じホームを挟んで停車することもできるし、また客車列車や貨物列車を同じ線路に停めたままEF65等の直流機と交流機ED75との間で機関車交換を行うこともできる。さて、普通列車で旅をしているならここから701系に乗り換えることになる。黒磯を出て構内に広がる線路がまとまるとすぐに那珂川を渡る。左にカーブして東北新幹線と離れ、高久。再び東北新幹線に近接し、また離れて黒田原豊原と過ぎる。周囲の植生がだんだん変わり、東北に入ったことを実感できるのはこの辺りからである。

撮影地として有名な黒川橋梁を渡って福島県に入る。名実ともにここから東北地方である。沿線はずっと山がちで、上下線が一旦大きく離れてまとまると白坂、東北新幹線に合流して新白河、右にカーブして白河市街に近い白河と「白」の字が入った駅が3駅続く。これからしばらくお付き合いする阿武隈川を渡ると久田野で、この後泉崎矢吹鏡石と国道4号線と並行しながらのどかな田園風景の中を走り、マラソンの円谷幸吉や特撮映画の円谷英二を輩出した須賀川市の中心、須賀川駅に到着する。阿武隈川に沿って走り、その阿武隈川を渡って右から水郡線が合流、並行しながら東北新幹線をくぐると郡山市の市街地に入って安積永盛。右側に広がる郡山貨物ターミナルや郡山工場が尽き、再び東北新幹線をくぐると郡山である。駅前に建つビッグアイというビルの中にスペースパークという郡山市立の科学館があり、鉄道関連の常設展示(鉄道模型の巨大レイアウトなど)も行われている。

郡山の構内は広く、磐越東線営業所には転車台も残っているなど昔の主要駅の雰囲気を残している。郡山を出発するとまず磐越西線が東北新幹線をくぐって左へ別れて行き、逢瀬川を渡ると今度は磐越東線が右へ別れていく。東北本線も左に曲がって東北新幹線をくぐる。やがて市街が尽き、安達太良山を左に望み、たまに阿武隈川を右に見ながら田園地帯を東北自動車道や国道4号線と付かず離れずしながら日和田五百川本宮杉田二本松安達と過ぎる。すでに郡山盆地は尽きており、周囲は山がちとなっている。やがて松川。かつてこの松川から川俣線が分岐していたが1972年に廃止されている。松川は、あの1949年8月17日に起こった列車転覆事件「松川事件」の松川である。現場は次の金谷川との間の右カーブであり、左側に慰霊碑が建っている。松川から南福島にかけては一気に福島盆地まで下るため急勾配区間となっており、上下線が大きく離れている。なぜ急勾配区間で上下線が離れるのかといえば「上り勾配 を緩和するため」である。東海道本線南荒尾信号場関ヶ原の迂回線と目的は一緒で、東北本線は複線化に際し上下線を離して上り勾配を緩和した区間が随所に見られる。

上下線の間に東北新幹線が現れ、下り線がこれをくぐって上り線と合流して南福島を過ぎる。福島市街地が周囲に広がってくると列車はスピードを落とし、荒川を渡って福島に到着する。福島からは山形秋田を経由して同じ青森を目指す奥羽本線(山形新幹線)や、飯坂温泉を目指す福島交通、阿武隈川に沿って走る阿武隈急行が分岐している。福島を出ると、駅北方にある信夫山を迂回するため左にカーブしながら東北新幹線をくぐり、それと相前後して奥羽本線が左に別れて行く。福島交通と並行しながら信夫山の西端を走る。福島交通が美術館図書館前(福島交通のみ停車)で右に別れ、こちらが右カーブを始める辺りで跨いで西へ消えて行く。左に東福島の貨物取扱設備(ただし自動車代行駅)が広がるところで、ここまで線路を共用してきた阿武隈急行が右へ分岐する。列車は東北新幹線と並行しながら東福島伊達桑折藤田と進む。真っ直ぐ蔵王トンネルに入る東北新幹線と別れると、東北自動車道 と並行しながら谷間をうねうねと登って行く。25パーミルという幹線にとっては致命的な急勾配が続く。こういった急勾配が多いため特にSL時代は特急、急行列車や貨物列車の多くは距離は15kmほど長いが平坦な常磐線を回っていた。また阿武隈急行は東北本線よりも勾配が緩いバイパス路線として計画されたのだが、結局その機能を果たすことはなく現在に至っている。貝田を出ると宮城県に入り、越河の手前から下り勾配となる。周囲が開け、東北新幹線をくぐると蔵王への登山口である白石である。白石といえば「うーめん」である。なにやらおいしい麺料理のようなのだが、私は白石市に宿泊したことがあるにもかかわらず食したことがない。今度行く機会があったら必ず食べねばと感じる次第。東北新幹線の白石蔵王との間には連絡バスが出ている。

白石からは白石川を左に見て仙台平野へと下って行く。東白石北白川と徐々に周囲が開け、水田が広がってくる。桜の名所である大河原船岡を過ぎると、左にカーブしながら右からやってくる阿武隈急行と合流し、白石川を渡って槻木に到着する。ちなみに福島から槻木までの営業キロは東北本線も阿武隈急行も同じ54.9kmである。ついで、阿武隈川を渡って日暮里で別れて以来の常磐線が合流すると岩沼である。館腰、仙台空港への支線が分岐する予定の名取と過ぎて、徐々に周囲が建て込んでくる。東北新幹線が左に並行する南仙台を出ると真新しいコンクリート橋で名取川を渡る。構内が大きく広がると長町。かつて操車場が広がり、長町機関区もあったが、操車場は閉鎖、機関区は移転し、今は再開発を待つヤード跡地が広がるのみである。この駅では仙台市営地下鉄南北線と接続しているが、地下鉄が東北本線にそんなに近接していないため、乗り換えには少々時間を要する。広瀬川を渡り、直進する宮 城野貨物駅経由の貨物線と別れて左にカーブする。緩い左カーブが続き、最後に右カーブして北を向いて仙台駅に滑り込む。高架ホームに東北新幹線、地平ホームに東北本線、仙山線、地下ホームに仙石線が展開している。新幹線側の駅前広場はペデストリアンデッキ上に展開しており、歩行者は地平に降りることなく周辺の各ビルへ向かうことができる。なお、地平には車寄せとバスターミナルが展開している。地下鉄南北線は一応仙台駅に乗り入れてはいるが、長町と同じく離れたところを通っており、乗り換えはむしろ仙石線あおば通の方が近い。

東北新幹線をくぐりながら仙台を出発し、すぐに右カーブして新幹線の左に並行する。多数あった線路は東北本線の複線と仙山線の単線の3本にまとまる。仙山線が東北本線を乗り越して左へ消えて行くと、今度は上下線の間に仙台電車区が広がる。それが尽きると、東北新幹線をくぐって右から宮城野貨物駅経由の貨物線が合流し東仙台である。東北新幹線が離れ、間に長町機関区が移転改称したJR貨物の仙台総合鉄道部が広がる。やがて周囲は水田地帯となり、右に曲がりながら七北田川を渡ると岩切である。駅の上を東北新幹線が跨いでいる。岩切から東北本線は二手に分かれる。左に向かうのが旧線、右に向かうのが新線である。もっとも、新線といっても次の陸前山王までは最初に塩釜まで1887年に開業したときの線路である。なお、陸前山王塩釜間の塩釜線はJR貨物の路線となったが、1994年4月から営業が休止され、1997年3月31日付で廃止されてしまった。

旧線は東北新幹線仙台総合車両所に沿って新利府利府と走って終点であるが、かつてはここから先品井沼まで線路が伸びていた。この開業時からのルートは勾配がきつく、輸送量の拡大にせまられた太平洋戦争中の1944年、勾配が緩いルートとして海岸沿いの陸前山王(当時は多賀城前)、品井沼間に新線を建設し、ちょうど函館本線の大沼と同じような運転形態を採った。その後高度経済成長期に東北本線を全線複線化する際、海岸沿いのルートに1本化することになり、新線を複線化して旧線の利府品井沼間を廃止したのである。現在、旧線の跡にほぼ並行して三陸自動車道(仙台松島道路)が通っている。大津、京都間の東海道線旧線跡と名神高速道路との関係と同じと言えようか。なお、利府の駅構内にはED71を始め交流電気機関車が各種保存されている。保存というより放置に近かったのだが最近ボランティアの手で修復されつつあるのは喜ばしいことである 。

陸前山王を出るとすぐに仙台臨海鉄道が右へ別れ、塩釜線の跡も含めた少々広い線路敷を走る。国府多賀城を過ぎるとやがて塩釜線の廃線跡が右に別れていく。こちらは左にカーブして塩釜に着く。仙石線の方が中心街を走っており、こちらは少々街外れの雰囲気。しばらく直進した後、右にカーブしてトンネルをくぐる。さらに数本の短いトンネルをくぐると松島湾が右に広がり、仙石線が海側に並行するようになる。片や交流電化複線の東北本線、片や直流電化単線の仙石線と、電化方式の違う路線が並行するのはJR在来線同士ではここだけである。仙石線には陸前浜田松島海岸の2駅があるが、東北本線には並行区間には駅はない。仙石線と別れるとすぐ松島である。かつて旧線の松島は次の愛宕の辺りにあった。その愛宕の手前で旧線の廃線跡が合流し、山間をしばらく走って品井沼である。品井沼から平野に出て、水田地帯を走る。鹿島台松山町と過ぎると、鉄道の交差点小牛田である。

小牛田では、鳴子温泉を通って新庄へ向かう陸羽東線と、石巻を通って女川に向かう石巻線が分岐している。右側にはこの2線などで用いられる気動車の所属する小牛田運輸区が広がっている。小牛田を出ると石巻線が右に、続いて陸羽東線が左へと別れる。列車は水田地帯の中を田尻瀬峰と一直線に走る。瀬峰ではかつて築館登米に向かう仙北鉄道という762mm軌間のローカル私鉄と接続していたが築館に向かう線路が1948年9月、次いで登米へ向かう線路が1968年3月に廃止されてしまった。駅前の宮城バス(仙北鉄道の後継会社)の看板が当時を偲ばせるのみである。ホームは東北本線の右側にあったのだが最近の再開発で姿を消してしまった。今までに比べるとすこしうねうねした線形で梅ヶ沢新田と過ぎる。新田の周りに大きな沼が3つあることから低湿地なのだろうか。少しでも固い地盤を求めて線路を敷いたのなら、この辺りのうねうねした線形も納得できる。やがてくりはら田園鉄道が 分岐する石越である。田園地帯のど真ん中で宮城県から岩手県に入り、湯島を過ぎると広大な仙台平野が尽き、列車は山中に入っていく。花泉清水原を過ぎ、再び宮城県に戻って有壁を通過、東北新幹線や国道4号線と相次いで立体交差した後、少し長めのトンネルをくぐって岩手県に戻る。右から東北新幹線をくぐって大船渡線が合流し、一ノ関に到着する。

一ノ関から盛岡まで左に奥羽山脈、右に北上高地を望みながら東北本線は北上川の流域に広がる北上盆地を走る。一ノ関を出てすぐ左カーブして東北新幹線と別れ、水田地帯を一直線に走る。山ノ目を過ぎると奥州藤原氏の本拠地として有名な平泉である。毛越寺や中尊寺といった観光地が有名だが、詳しくは平泉町のホームページをご覧くださいませ(私、まだ行ったことがないので)。平泉の辺りから北上川の右岸に沿って走る。前沢の手前で北上川とは少し離れ、水田の中陸中折居を過ぎると周囲が建て込んで来て水沢である。夏場、ホーム屋根から地元の名産品である南部風鈴が下げられ、利用客に涼を与えている。北上川の対岸には東北新幹線の水沢江刺があり、連絡バスも運行されている。水沢を出ると再び水田地帯を走り、胆沢城址を右に見て胆沢川を渡る。金ヶ崎六原を過ぎ、工業団地が左に広がり、右から東北新幹線が近付くと和賀川を渡って北上である。北上からは和賀川に沿って横手を目指す北 上線が分岐している。

その北上線が左に別れ、東北新幹線とも離れて列車は淡々と水田の中を走る。夏から秋にかけて東北本線のみならず東北地方の各線に乗車すると、東北地方が日本の米どころであることを実感できる。夏は緑色の海、秋は黄金色の海の中を列車は走っていく。村崎野を過ぎると宮沢賢治の生誕地、花巻である。花巻からは遠野を通って釜石へ向かう釜石線が東へ分岐しているが、その反対側からは1972年まで花巻温泉西鉛温泉(こちらは1969年廃止)へ向かう軌間762mmの花巻電鉄が分岐していた。西鉛温泉へ向かう軌道線は建築限界が狭かったために俗称「馬面電車」という前面が細長い電車が走っており、この車輌は今でも沿線に保存されている。花巻を出るとすぐに釜石線が右に別れ、水田の中を花巻空港石鳥谷日詰と走り、やがて右から東北新幹線が合流し、これとぴったり並行する形で紫波中央古館矢幅盛岡貨物ターミナル岩手飯岡と過ぎる。周囲が水田から住宅地へと変わり、東北新幹線の右 側に出て仙北町を過ぎ、雫石川を渡ると再び東北新幹線の左側に戻る。列車は速度を落とし岩手県の中心駅盛岡に到着する。盛岡といえば盛岡冷麺である。

1982年の東北新幹線開業から20年間、東北新幹線の終着駅として新幹線と在来線特急の乗継駅として機能してきたこの盛岡だが、2002年12月からはその役目を八戸に譲る。東北新幹線八戸延伸開業のためである。それによってこの盛岡から八戸までがJR東日本から切り離され、第3セクターのいわて銀河鉄道と青い森鉄道に譲渡されることになった。寝台特急や貨物列車は従来どおりこの路線を経由するため複線電化は維持されることになったが、そう政治的に判断が下されるまでの紆余曲折は大変なものであった。盛岡駅は盛岡の市街地から見れば街外れに存在し、県庁や市役所のある辺りからは1.5kmほど離れている。盛岡を出た列車はいわて銀河鉄道の管轄区間に入って、山田線を右に、田沢湖線(秋田新幹線)を左に別け、東北新幹線の左側に並行して走る。左側に盛岡客車区(客車区といっても所属しているのは山田線や花輪線用の気動車)が広がり、それが尽きると東北新幹線をくぐってその右側に出、今度は東北新幹線の基地が左側に広がる。それが尽きると厨川柵で有名な厨川で ある。左に聳えるひときわ高い山は活火山としても有名な岩手山である。厨川の辺りから山越えの雰囲気が色濃くなってくる。北上盆地が尽き、かつての国境、十三本木峠へ向けて列車は登っていく。複線化に伴う勾配緩和改良によって上下線が離れ、それがまとまると東北新幹線をくぐって滝沢、また上下線が離れてまとまると石川啄木の生誕地渋民、続いて花輪線の分岐駅好摩である。

花輪線が右に別れ、列車はすっかり細くなった北上川に沿って登って行く。岩手川口を過ぎて東北新幹線との接続駅いわて沼宮内(旧称沼宮内)である。東北新幹線が右に離れて行き、国道4号線と並行しながらますます勾配がきつくなって御堂奥中山と過ぎる。かつてこの十三本木峠越えはSLブーム末期にD51三重連を撮影するマニアでごったがえしたこともあった。最近では583系特急電車の最後の活躍を撮影するマニアがちらほら訪れているようだ。峠の小さなトンネルをくぐると下り勾配に転じる。小繋川に沿って小繋を過ぎ、東北新幹線と立体交差する。細かく右や左にカーブを切りながら、また小繋川を何度も渡りながら列車は太平洋へと下って行く。小鳥谷一戸と過ぎて東北新幹線の接続駅二戸に到着する。沿う川は馬渕川とその名を変えている。

二戸を出た列車は相変わらずりんご畑の広がる馬渕川の谷間を進む。斗米金田一温泉と過ぎ、東北新幹線と交差すると岩手県から青森県に入って目時である。この目時でいわて銀河鉄道から青い森鉄道に線路の管轄が移る。なぜこんな山間の小駅が境界駅なのかといえば、ここが一番県境に近い駅だからである。いわて銀河鉄道は岩手県が、青い森鉄道は青森県がそれぞれ出資した第3セクター鉄道であるために県境で管轄会社が変わるということになったようだ。三戸諏訪ノ平と過ぎる。並行する馬渕川の川幅は徐々に広がり、それに合わせて周囲が開けてくる。剣吉苫米地北高岩と過ぎて、東北新幹線の新しい終着駅八戸に到着する。

八戸から再び東北本線の管轄がJR東日本に戻る。八戸の市街地にある本八戸を通って久慈へ向かう八戸線が右へ別れ、列車は解放されたように一直線に水田地帯を走る。陸奥市川下田を過ぎ、十和田湖から流れてくる奥入瀬川を渡る。畑の広がる丘陵地を走り向山を過ぎる。この向山の近所にはカワヨグリーンYHがあり、私も泊まったことがあるのだが、ここの露天風呂からの汽車見酒は最高であった。やがて左から十和田観光電鉄が合流して三沢である。米軍基地があることで有名なこの三沢だが、その米軍基地への引込線が三沢を出てすぐ右へ別れていく。周囲が水っぽくなってくると、右に小川原湖が広がり、小川原上北町と過ぎる。列車は水田地帯を走る。乙供を出ると左に大きくカーブし再び直進する。南部縦貫鉄道の線路跡が左から近付くと千曳を過ぎ、列車は大平トンネルをくぐる。このトンネルが出来るまで東北本線は南部縦貫鉄道の線路を通っていた。トンネルを出ると南部縦貫鉄道とぴたり並行 して野辺地に向かう。

野辺地駅の左側には日本最初と言われる防雪林が生い茂っている。その防雪林のそばに南部縦貫鉄道の小さなレールバスが停まっていたのだが、1997年に休止されて以来やって来なくなってしまった。野辺地を出ると大湊線が右へ別れていく。列車は野辺地湾を右に、八甲田山を左に見て狩場沢清水川と走る。東北本線が海沿いに走るのは東京を出て以来ここが初めてである。夏泊崎の根元を横断しながら小湊西平内と過ぎ、今度は青森湾に沿って走る。浅虫温泉野内と過ぎると青森湾から離れて市街地に入って行く。かつて、東北本線は国道4号線に近いルートで青森へと向かっていたのだが、複線化に伴い現在の路線を経由するように改められた。矢田前小柳を通過し、貨物ヤードの広がる東青森を出ると左に広大な青森操車場の跡地が広がる。現在はそのほんの一部が青森信号場や青森運転所東派出として使われているのみである。青森信号場で東北本線は単線となり(信号場からの回送線が左に並行して一応 複線にはなっている)、奥羽本線津軽線への短絡線が左へ分岐していく。続いて左から奥羽本線や津軽線が合流し、構内が大きく広がると終着の青森である。

かつてここで青函連絡船に接続して北海道を目指していたが、その役割は青函トンネルへと繋がる津軽線に引き継がれている。駅の上をベイブリッジが跨ぎ、その先には八甲田丸が保存目的で係留されている。ベイブリッジを東へ行くと、三角形の妙な形をしたビル「アスパム」が建っている。弘前、秋田方面へは奥羽本線、北海道方面へは津軽線に乗り換えである。


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