山田線(盛岡・釜石)
岩泉線(茂市・岩泉)


最新乗車 1997年夏


建設当初から「猿を乗せるつもりか」と揶揄され、存続していることが不思議な路線と言われて早何年経つのだろう。沿線が自動車社会ということを差し引いても、山田線の海沿いの区間である宮古釜石間は、こまめに集落を縫って走るだけあってそこそこ客はいるのだが、それ以外の区間は客もまばらである。盛岡宮古間と岩泉線は勾配線区である関係かキハ52が主に使われているが、なぜか現在に至るまでワンマン化は行われていない。また、未だにキハ40系列が投入されていないというある意味特殊な路線である。

盛岡を出た列車は、右カーブして東北本線、新幹線、田沢湖線と別れる。しばらく盛岡の市街地を走り上盛岡の駅もあるが利用者は少ない。山岸を出る頃には既に緑に囲まれているが、区間列車の折り返す上米内を過ぎると本当に山深くなってしまう。植生が違うので一概には比べられないが、石北本線の山越え区間と同じような風景である。もとスイッチバック駅の大志田浅岸と過ぎてトンネルを何本かくぐると国道106号線と交差して区界である。区界峠のサミットにあるこの区界からは国道106号線と並行しながら閉伊川に沿って宮古まで下っていくことになる。この国道106号線を走る都市間バス(通称106急行)に数少ない公共交通利用者を奪われ、それ以来山田線は閑散としているという。

平津戸川内間にかかる橋梁の一つで雪崩により、1944年C58283牽引の貨物列車が転落する事故があり、このエピソードをもとに映画「大いなる旅路」が作られたのは有名な話である。この映画、その貨物列車の転落シーンを実際に18633牽引の列車を雪中脱線転覆させて撮影しているのだが、このロケ地は通ってきた浅岸のスイッチバック用の側線奥だったという。映画のモデルになった地(の近所)で撮影するとはいやはや。実際に列車を転覆させるだけでもすごいことなんですけどね。さて、左から岩泉線が近付いてくると茂市である。

岩泉線は山田線以上に本数が少ない路線である。国鉄再建における廃止対象路線になりながら、並行道路の未整備で代行バスを満足に走らせられないために存続されることになったというだけに、本数は全線3往復+区間1往復と少ない。しかし、客のいる時間帯だけ運転してるためか、山田線と比べて案外乗車率はよかったと記憶している。茂市を出た列車は国道340号線に沿って坦々と閉伊川の支流である刈屋川の谷を登って行く。国道340号線は整備されて2車線となっているところも多いが、確かに大型バスを走らせるのは無茶かと思わせるような1車線の山道もまた多い。道路整備が完了するか、輸送量減で小型バスでも捌けるようになった時点でこの岩泉線はひっそりと役目を終えるのだろうが、まだそれは遠い日のような気がする。ところで、山田線や岩泉線の沿線にはボンネットトラックを多く見かける。営林署のトラックだったか、そういうことを聞いた気がするのだが忘れてしまった。

この辺りの山中に使える資源(耐火粘土だったはず)があるとのことで、戦時中突貫工事で建設されたこの岩泉線、戦時中に開通したのは押角までで、ここから先は戦後開通の区間となる。なるほど、茂市押角間は地形にあまり逆らわず、刈屋川に沿って線路を通しやすいところを通ってきているが、押角から先は峠の存在もあれど、地形に逆らってトンネル、橋梁を主体に線路が通されている。山深い押角を出ると、すぐに長い押角トンネルに入る。このトンネルは分水嶺になっており、抜けると小本川の流域に入る。うねうね下りながら岩手大川浅内を過ぎると小本川に沿って走るようになる。二升石を出て、少し町っぽくなったら終点の岩泉である。公民館や観光物産センターが同居した駅舎は、少々古ぼけてはいるが大きい。駅前からは龍泉洞を経由して三陸鉄道小本へ向かうバスや、盛岡と岩泉を結ぶバスが発着している。どちらもJR東北バスが運行(後者のみ岩手県交通と共同運行)しており、前者は未成線となった岩泉小本間を鉄道に変わって結んでいるが、後者は岩泉線にJRが期待していないこ とを如実に示している気がする。

山田線に戻る。茂市を出る頃には閉伊川の流れも緩やかになり、周囲にはのどかな田園が広がる。蟇目(ひきめ)、花原市(けばらいち)と難読な駅を過ぎ、千徳を出て左から三陸鉄道北リアス線が合流すると宮古である。有名な浄土ヶ浜(おるくんの名のヒントの一つでもある)へはここでバスに乗り換えで、また前述の事故の碑が駅前にある。ここ宮古に限らないが、三陸海岸にある宿はたいがい旨い魚介類を出してくれる。教科書で三陸沖には暖流と寒流がぶつかってできる潮目があり日本有数の漁場となっている云々と教えられたが、そのことを事実として受け止められる。宮古を介して三陸鉄道と相互乗入を行っており、中には北リアス線久慈から山田線を通って南リアス線まで走る定期列車なんかも存在している。またシーズンには仙台八戸間を東北本線石巻線大船渡線南リアス線山田線北 リアス線八戸線を経由して半日掛けて走りぬく臨時列車も運転されることがある。

宮古を出ると閉伊川を渡り、今まで東進してきた線路が南を向き、陸中海岸のリアス式海岸に沿って走るようになる。とはいえ、リアス式海岸は津波に弱いので、手痛い目に遭う度に護岸が増築に増築を繰り返されており、思ったより海に臨む区間は少ない。磯鶏を出ると山間に入る。並行する国道45号線は海岸沿いを通っている。山間を抜けると、宮古湾の湾奥に位置する津軽石である。この津軽石からは半島の付け根を横断することになり、海からさらに遠ざかる。鮭も遡上する津軽石川に沿って上り、豊間根からは支流の豊間根川に沿ってさらに上る。祭神峠を越えると一気に下って、この路線の名称のもととなった陸中山田である。宮古と並んでここも観光の拠点となっており、駅前からはバスや遊覧船が発着している。

左に船越半島を見ながら織笠を過ぎると、その船越半島の付け根にある岩手船越である。ここを出ると列車は船越湾に沿って走る。地形的にあまり津波の影響を受けないためか護岸は低い。この区間はまともに海の見える山田線唯一の区間と言ってもよいかもしれない。また、海水浴場も点在している。浪板海岸を過ぎると半島を縦断するため海から離れ、そこに吉里吉里がある。ユニークな地名であるが、その由来は諸説紛々しているそうだ。緑の中、トンネルをくぐると街中に入り、大槌川を渡って大槌である。宮古釜石間では最大の町で、漁港を中心に市街地が広がっている。小槌川を渡り、トンネルをくぐって岬を越えると平地が再び広がって鵜住居、再び岬を越えて海沿いに出ると両石。この鵜住居両石間にある峠は恋ノ峠という。これも由来を知りたいものである。

両石を出ると、国道45号線と離れてぐっと山の中に入る。建設当時はここが線路を敷設しやすかったのだろうか。まっすぐ釜石の市街地へ抜ける国道45号線と比べると、かなり西へ迂回している。トンネルを抜け、橋梁上で右下から釜石線が合流すると、かつて鉄の町として栄華を誇った釜石に到着である。遠野、花巻方面への直通列車はスイッチバックして釜石線に入る。また、この先線路は三陸鉄道南リアス線に通じている。余談だが、釜石線との合流地点で、山越え路線の釜石線より海岸沿いを走る山田線が先に勾配にかかるため、釜石から乗車したときに一瞬乗る路線を間違えたかと私は思ってしまったのだが、こういうことを思ってしまった方はいるのだろうか?


東北地区JR線目次へ戻る
ホームへ戻る