《山田風太郎ミステリー傑作選》全10巻
 光文社主催のミステリー文学大賞受賞記念として刊行される山田風太郎ミステリ全集と言うべきもの。現代物のミステリをほぼ網羅する体裁になるようで、今回が初の文庫化になる『帰去来殺人事件』や『怪談部屋』と言ったものもであるが、現在(2001年11月)注目されているのは『笑う肉仮面<少年篇>』と『達磨峠の事件<補遺篇>』に何が入るかであろう(2002年5月註:前者には少年ものミステリが大量に収録。<少年篇>に全部収まらず、<怪奇篇>と<補遺篇>にも少年ものが入った。後者には当初の予定では長編『神曲崩壊』とその他短編収録だったらしいが、未収録作品がこれまた大量に入り、もの凄いことになっている。詳しくは『達磨峠の事件<補遺篇>』参照)。いずれにせよ、この傑作選は今まで山田風太郎ミステリに触れたことがない人は言うまでもなく、廣済堂文庫の《山田風太郎傑作大全》やハルキ文庫の《山田風太郎奇想コレクション》で既におおかた集めてると言う人も全巻買うべきであろう。なんと言ってもテーマ別編集というのが魅力的。
 各巻価格は857円と厚さに対して割安である(<補遺篇>は1000円。それでも激安な事は言うまでもない)。
 『十三角関係<名探偵篇>』収録の「帰去来殺人事件」削除問題などあったが(2版、3版には収録されていない)、2002年5月無事完結。

眼中の悪魔<本格篇>

 第4回ミステリー文学賞受賞記念で刊行される《山田風太郎ミステリー傑作選》の第1回目の配本の一冊。本書には数多くある山田風太郎作品群の内、本格ミステリに分類されるであろう作品を収録している。探偵作家クラブ賞を受賞した「眼中の悪魔」「虚像淫楽」にどんでん返しが凄まじい「厨子家の悪霊」等9編に<連鎖式>と呼ばれる長編化する連作短編の嚆矢とも言うべき『誰にも出来る殺人』を収録している。本書は山風本格の真髄とも言うべき一冊と言っても良いかもしれない。
 本書の短編では表題作というべき「眼中の悪魔」とどんでん返しパレードと言っても過言ではない「厨子家の悪霊」が挙がるであろう。

「眼中の悪魔」
 弟から兄への手紙。その手紙の中には弟の罪の告白が記してあった。そこには弟の元恋人珠恵とその夫片倉氏、そして珠恵の兄である定吉三人の複雑に入り組んだ関係の果てに起こった殺人事件の真相が記してあった。
 山田風太郎は「無為沈黙、拱手傍観をもって犯罪を構成する」悪人を好んで描いたが、本編はその最初の作品である。本作品の犯人はまだ救いがある、かわいいもので、以降書かれる作品の中にはもっとおぞましい犯人も存在する。探偵作家クラブ賞を受賞しているが、これが山田風太郎ミステリの最高峰ではない。恐ろしい限りである。
「虚像淫楽」
 真夜中に医院のドアを叩いた一人の少年。少年が連れてきた病人は昔その医院で働いていた看護婦。彼女は昇汞を飲んでいて、瀕死の状態であった。必死の治療の結果、彼女は持ち直すが、体には異様な傷跡が無数あった。そして、彼女の夫は家で昇汞を飲んで死んでいた。
 一日一日とカウントダウンというか、数えていく構成である。本編には乱歩の「陰獣」の影響を指摘する向きもあるが、生憎読んでないのでその辺の判別は別の機会に譲る。本編の眼目は真相が徐々にタマネギの皮を剥くが如く現れる点であろう。本編の「犯人」もまた、或る意味「無為沈黙、拱手傍観をもって犯罪を構成する」悪人の系譜であろう。
「厨子家の悪霊」
 厨子家崩壊の物語。顔の怪我を切っ掛けに奥に引っ込んでしまった当主荘四郎、後添いの権力者馨子、その連れ子芳江、そして気が触れた弘吉。事件現場は弘吉が馨子を殺したとしか思えない状況であった。事件の捜査を担当した轟警部補は意外な真相を叩き出すが……。
「目が廻るよ――」と評された一編。確かに、発表当時にしてみれば本編のぶん廻し方はとてつもないどんでん返しだったに違いない。否。現在でも長編はともかく、この分量でここまでぶん廻すのは他に類例が思い浮かばない。辛うじて山口雅也の「解決ドミノ倒し」が思い浮かぶぐらいか。本編に対して「畠違いの本格もの」と述べているが、飛んでもない話だ。こういう作品を書く人が言ってはあかんでしょ。どんでん返しという意味では――中短編に限っては――追随作がない。
「笛を吹く犯罪」
 無名某の遺書から幕を開け、そして医者二人が一人の女性に振り回される様を描く。そして、殺人事件が……。被害者は二人の内の片方と思われ、死んでない方は女性と結婚をする。そして……。
 テキスト趣味というか、メタをここまでやりますか? と言う感じ。内側の物語こそは他愛もないが、外に設定されたものはなかなかのものである。
「死者の呼び声」
 アルバイトで言っている会社の社長に結婚を申し込まれた蘆川旗江。彼女の元に一通の封書が届けられる。その中はある上流階級の血みどろの抗争とも言える探偵小説の体裁をした読み物を内包した手紙であった。
 山田風太郎は結構メタ趣味があったのでは無かろうか。その局地が<連鎖式>と言われる長編化する連作短編では無かろうか。例えば、その最初である『誰にも出来る殺人』は手記がキーとなっていたりするんだが……。
「墓掘人」
 深夜、電話で呼び出された橘医師は、そこで瀕死の重傷を負っている同僚の姿を見つける。彼は自分の妻が姦通しているのを知り、姦通相手を毒殺し、己を傷つけたのである。そして、妻のお腹にいる子供が自分の子か否か判断してくれと橘医師に頼み込む。
 今ではDNA鑑定という伝家の宝刀があるが、言うまでもなく、本編の時代は作中も書かれたのも昭和20年代。鑑定法はABO式かQ式……とにかく、或る意味不確定なものしかない。お腹の子はどっちの? と言うだけではない。真相にはやはり山田風太郎らしいものが潜んでいる。
「恋罪」
 作家山田風太郎に医学生時代の友人から手紙が送られてくる。初めはのどかなものであったが、彼が疎開時の憧れのマドンナ伊皿子に再会した頃から段々ときな臭くなり、彼女の夫が死に、伊皿子に容疑がかかる。
 またもやテキスト趣味。本書収録作は表題作を初め、テキスト趣味に彩られたものが少なくはない。この辺の理由というのを解き明かせば一編の山田風太郎論が完成できるかも知れない。本編は一風変わった一人称犯人であろう。
「黄色い下宿人」
 シャーロック・ホームズ語られざる事件。クレイグの依頼で失踪人探しに従事していると紅卍教が関わっていると思われる妙な事件に遭遇する。そこには謎の東洋人ジュージューブ氏の影があった。
 ホームズ失敗する。意外な登場人物を配し、なかなか巧い作品になっている。本編が贋作特集を組む切っ掛けになったのは有名な話であるが、どこかこの時の特集を一冊の本に纏めないのかなあ。出版芸術社刊行予定の連作全集『十三の階段』に入らなかったらこの先ずーっと無いような気もする。
「司祭館の殺人」
 唖の下男、聾の司教、盲目の娘。三人が揃ったとき、悲劇が起きる。
 本編もまた意外な人物を配した一編と言えるであろう。「黄色い下宿人」の次に並べるというのは良い度胸してるというか、粋というか。逆に言えば、意外な登場人物がなければ或る意味凡作かも知れないのであるが。登場人物の神への問いかけが寧ろ眼目か。


『誰にも出来る殺人』
 本編は先にも述べたように、<連鎖式>とも呼ばれる長編化する連作短編の最初の作品である。雑誌掲載が多いという当時の事情があったにせよ、山田風太郎はこの形式を発明したことだけでもミステリ史に名を残すであろう。尤も、ぶっちゃけた話、本編は山田風太郎の<連鎖式>の作品の中では一番面白くない。だが、凡百の凡作よりは面白いことは確かで、かなりハイレベルな作品であることは間違いない。読み返してみて、作品構成よりも寧ろ、この作品にも「無為沈黙、拱手傍観をもって犯罪を構成する」悪人が出てくる、否、この作品がそのものであることに唖然とした。そのことを忘れていた自分にな(笑)。
「女をさがせ」で新しい住人が前の間借り人が残したノートを見つけ、開くところから幕が開く。「第一の」間借り人は、同じ人間荘に住む椎名から失踪した女房の話を聞き、いたく同情する。彼の探し人は同じ人間荘にいるのではないのか? と睨むが……。割と意外な真相が用意されていると言える。
 続く「殺すも愉し」の「第二の」間借り人は前科者。人間荘に刑務所で見たような人間がいる気がする……と疑惑を持つ。本編も意外な真相が用意されていると言えよう。
「まぼろしの恋妻」では椎名の意外な素性が明らかになる。本編の語り手「第三の」間借り人は次の作品で重要な役割を果たす。
「人間荘怪談」は人間荘内で結婚した夫婦がいたものの、妻が不慮の事故で死に、夫は精気がない。夫の方はやがて妻の墓参りに行くが、自殺を図るのではなかろうかと心配になった住人がお金を出し、一人の男が後を付けることになる。が、船の転覆事故で夫は死に、船乗らなかった男は九死に一生を得る。本編は怪談落ちになるが、それが後にひっくり返される様は若竹七海のデビュー作『ぼくのミステリな日常』(創元推理文庫)を思い出させる。少ない枚数で二転三転する登場人物の素性が面白いかも。
「殺人保険のすすめ」は五話目であるが、書き出しが「第六の」間借り人のものである点に注目。人間荘の住人の一人がしきりに勧める殺人保険の話だ。殺人保険とは普通の保険の殺人版、つまり、殺人を犯したときのアリバイ作りを請け負うと言う感じ。繰り返しになるが、本編でもまた意外な真相が用意されている。
 最終話「淫らな死神」ではノートが閉じられ、裏の真相がベールを脱ぐ。

 初読時には気づかなかったのであるが、『誰にも出来る殺人』はかなり緻密に創られた作品である。そもそも<連鎖式>と言われる長編化する連作短編の作品はどれもこれも緻密に創られているのであるが、最初の作品に於いてここまでやるとは。各編きれいにひっくり返している。このきれいさという意味ではこの形式の最高峰とも言える『明治断頭台』(ちくま文庫)にも負けちゃいない。尤も、衝撃と言う意味では一、二歩譲らざるを得ないと思うが。それでも《第三の波》に於いて書かれた長編化する連作短編に決して負けてはいないから驚きである。『誰にも出来る殺人』が書かれたのが1958年。40年以上前に書かれたものが現在書かれているものの前に敢然と立ちはだかっているのであるから、その点でも驚くべきであろう。
 読み返していて気づいた点がもう一個。山田風太郎作品ではしばしば女は悪魔か天使かという問いが現れるが、本編『誰にも出来る殺人』はその二面性が「あからさまに」と言っていいほど現れていると言えよう。天使が悪魔に変わる瞬間こそが本編の最大の勘所、読みどころであると思う。


十三角関係<名探偵篇>

 本書『十三角関係<名探偵篇>』には従来『帰去来殺人事件』のタイトルで刊行されていた荊木歓喜登場短編とその荊木歓喜が活躍する長編『十三角関係』を収録し、荊木歓喜登場作品集成とでも言うべき一冊になっている。これで高木彬光との合作『悪霊の群』(出版芸術社)を加えれば向かうところ敵なし。

『帰去来殺人事件』
 と言うわけで今回が初の文庫化となる本編。表題作に関しては謎宮会に於いてこういう面白い論考もあり、興味深い。八編の中で一編選べ、といわれたら、やはり、べたであるが表題作「帰去来殺人事件」を選ぶしかなかろうて。連作の「怪盗七面相」は、怪盗/怪人好きとしては外せない。しかし、これだけ機械トリックを連発するとは、編集者の要請か、はたまた当時の心境の変化か。心理トリックが多い山田風太郎には珍しいと思う。

「チンプン館の殺人」
 歓喜登場。歓喜が住むチンプン館で起きた殺人事件。被害者は麻薬の売人、そして、容疑がかかったのは麻薬中毒の女性だった。
 住居の構造を利用した物理トリック(館トリック?)も面白かったが、犯人の設定の仕方(というより、ヌケヌケと、いけしゃしゃあとしてるところ)が面白かった。同様の場面が高木彬光の『人形はなぜ殺される』に出てくるが、意識したのか。
「抱擁殺人」
 自分の顔を見せ物仕様にした仇の家に下男として忍び込んだ半太郎。彼は如何なる時も笑うことしかできないフリークスにされてしまっていたのだ。彼を拾い、復讐の手だてを整えたのは香坂と言う男。彼は下半身不随であった。そして、復讐は為されるが、半太郎は仇の娘に暴行を加えていたという強固なアリバイが。
 本編のトリックは足跡ものに使われそうなものであるが、それの応用と考えても良いかもしれない。本編はトリックより寧ろ、半太郎の純真さが復讐を粉砕するその様が勘所だと思う。
「西条家の通り魔」
 西条家の二人の息子の内、何度も何度も誘拐されては返されるのは脳に障害を持つ長男。そんな状況の子供なので、誰が誘拐しているのか見当がつかず、浮上したのは現在の妻と結婚する以前にやり合った一人の女性。そんな中、弟の方が殺されてしまった。
 この作品のトリックは無茶だが、豪快で好き(笑)。荊木歓喜が犯人に対して怒るシーンは、恐らく、医大生だった山田風太郎そのものの心情の吐露でもあったのでは無かろうか。余談だが、長編『十三角関係』でも同様のシーンがあって興味深い。
「女狩」
 ふらりと訪れた村で療養をする荊木歓喜。医者間で恋の鞘当てがあるが、一見仲良さげ。或る日殺人事件が起きる。被害者は洞窟の中で、肛門から青竹を、串カツよろしく刺されている状態で発見されたのだ。
 殺人トリックは或る意味しょーもないが(笑)、動機は一級品。『帰去来殺人事件』は機械トリックだけが喧伝されるが、実は各編に込められた動機こそが本来の読みどころなのかも知れない。
「お女郎村」
 ふらりと或る村に訪れた歓喜。その村は娘を遊郭に売りに出さなければ行けないと言うまでに貧しく、歓喜が訪れたその時、東京から娘を買いに来た遊郭の女主人が居た。彼女は女郎から身を立てた立志伝中の人でもあった。その彼女が何者かに殺される。
 凶器トリック、最高(笑)。凶器トリックもさることながら、犯人が殺害に至る動機の形成の皮肉さにこそ山田風太郎らしさと言うのが現れていて興味深い。やはり、ここら辺は山田風太郎の面目躍如と言う所。余談だが、本編で殺される女主人、『十三角関係』の被害者旗江のプロトタイプと言うべき人物なのかも知れない。
「怪盗七面相」
 数々の名探偵と丁々発止のやりとりを演じた怪盗七面相、荊木歓喜と相まみえる。七條元子爵の美術品がごっそり入れ替えられるという事態が。そして、今まで人を傷つけることがなかった七面相が怪我人を出し……。
 歓喜と七面相のやりとりもさることながら、選び出した花嫁達との恋の行方が勘所ではないかと。この辺、「恋愛小説作家」山田風太郎の皮肉さが効いていて面白い。しかし、早く連作集成の『十三の階段』でねえかなあ。
「落日殺人事件」
 或る日知り合いの女性に自分が処女か否かの診断をして欲しいと頼まれた荊木歓喜。それがきっかけで元警視総監の友人と、その友人を嵌めた大親分の殺人事件にかかわることになる。元警視総監の薬師寺右京は息子の結婚相手は処女でなくてはならぬと言うことだが、その真意は?
 8編ある荊木歓喜登場短編で挙がるのは表題作であるが、思うに、本編も挙げてもいいのではなかろうか、と愚考したりする。無論、その辺は好みに還元されて挙げられないのは従来の評者が無能だ、という気はさらさらないが。本編もやはり動機である。トリックは使い廻しの感じが強いが、その動機故に心に残る。しかし、元警視総監を重要な登場人物に配するとは、言い度胸してるわ、まったくもう。
「帰去来殺人事件」
 チンプン館で知り合った男の遺骨を埋葬の為に或る村へ来た荊木歓喜。その村は荊木歓喜をかたわにし、顔の傷を作る事になった過去を知る、否、歓喜をそのようにした張本人が居る村だったのだ。或る晩一人殺される。
『帰去来殺人事件』の掉尾を飾るにふさわしい傑作と言えよう。ヌケヌケとした大胆なアリバイトリックは、アリバイの雄鮎川哲也も書き得なかったであろうものだ。アリバイトリックもさることながら、荊木歓喜自身の事件とでも言うべきそのプロット、動機はいつまでも心に残る。荊木歓喜最後の事件……と言いたいが、本編は最後に発表された短編ではないんだん、これが(笑)。


『十三角関係』
 飲み屋で大学生相手に気炎を上げていた荊木歓喜。飲み屋のご主人にも愛され、実に愉快愉快。そんな中、一人の少女が道を尋ねる。彼女の行き先は女郎屋。歓喜は仕方無しに送る羽目になるが、それと同時に殺人事件に巻き込まれることにもなった。大きな風車に女性の死体がくくりつけられてキイクル回っていた。
 警察の調査、店にいた女郎の証言で浮かび上がる数々の容疑者。被害者の部屋には正体不明の人物二人を含む複数の人間が出入りしており、最有力容疑者と目された。だが、捜査は早々に暗礁に乗り上げる。被害者を憎む人が一人もいないのだ。被害者は女郎屋の女主人だが、店の女郎でさえ彼女を褒め称え、それはそれは献身的な女性だったのだ。
 果たして荊木歓喜は真相を解き明かすことが出来るのか?

 本編は荊木歓喜がピンで活躍する唯一の長編で、事実上最後の事件と言うことになる。これ以降荊木歓喜が登場する作品は書かれていない(と思う。もしかしたら、『十三の階段』(出版芸術社近刊)に収録される連作にあるかも)。『悪霊の群』(出版芸術社)で神津恭介に美味しいところを全てかっさらわれた(笑)彼であるが、本編では『悪霊の群』同様縦横無尽に活躍し、意外な、あまりにも意外で素っ頓狂な犯人をズバッと指摘する。
 山田風太郎というと奇想天外な作品を期待すると思うが、この作品は他の山田風太郎作品に比べると奇想天外さはない(例えば「天誅」とか)。だが、随所に山田風太郎らしさが散見し、奇想天外さこそはないものの山田風太郎印満載の作品であることは間違いない。
 この作品、山田風太郎作品群の中でも異色の作品ではなかろうか。非常に端整な本格ミステリに仕上がっているのである。山田風太郎の現代物の長編は本編を除けば『誰にも出来る殺人』(『眼中の悪魔<本格篇>』収録)、『棺の中の悦楽』(『棺の中の悦楽<悽愴篇>』収録)、『太陽黒点』(『戦艦陸奥<戦争篇>』収録)の三作しかない。いずれもミステリを越えた超ミステリ的な所があるが、本編は端整な、それこそ本格ミステリのお手本と言うべき作品に仕上がっている。これは、山田風太郎にしてみれば珍しいのではないのか? と思ったりもする。
 この作品は、荊木歓喜があまりにも意外すぎる犯人を指摘するその場面と、登場人物が次々と「自白」をするその場面にこそ眼目が有るであろう。それまでは証言を次々と並べ、山田風太郎にしては退屈なシーンが続くが(それでも他の作家が同様のシーンを並べるのに比べたら断然面白い)、そこに仕込まれた伏線が次々と明らかになる様はミステリ作家山田風太郎の面目躍如。登場人物が次々と「自白」を始めるシーンは本格の鬼才と言われ、山口雅也をして本格の殿堂入りさせたクリスチアナ・ブランドの『ジェゼベルの死』(HM文庫)にもあるが、二作を比べるのも面白いのではなかろうか。
 そして、この作品のもう一個の眼目が被害者の人間像万華鏡。被害者の「意外な」一面が次々とひっぺかされるその様は、まさに人間の両面性をえぐり出す山田風太郎にしか描き得なかったものではなかろうか。
 2001年の今から約40年以上前に書かれた作品であるが、その端整さは今でも色あせない。否。今だからこそ輝きを増すのかも知れない。驚くべき事に無駄な登場人物は一人もいない。本格ミステリ斯くあるべしというような作品である。


夜よりほかに聴くものもなし<サスペンス篇>

 本書『夜よりほかに聴くものもなし<サスペンス篇>』にはサスペンス短編十二編と『夜よりほかに聴くものもなし』が収録されている。<サスペンス篇>と銘打たれているが、全部が全部サスペンスという言葉から連想されるものではない。
 十二編の短編から一編選べ、と言われたら「飛ばない風船」がすっと浮かぶであろう。以下サスペンス短編十二編と『夜よりほかに聴くものもなし』の感想。

「鬼さんこちら」
 内縁の妻が会社の金を横領して失踪。小早川武史は失意の底にいたものの、新しい伴侶を見つけ、幸せの中にいた……はずだった。だが、なぜか節目節目に失踪した滋子の死体が見つかったので確認して欲しい、という警察の依頼が。
 偶然というのを使うとミステリは興ざめになる場合が少なくないが、ここまで頻発されるとかえって笑ってしまう。というか、出産、新婚旅行といった夫婦の節目節目でつきあわされる小早川武史に同情したり。結末は読めるが、読めるからこそ面白い一編かもしれない。
「目撃者」
 突然降ってわいた事故。タクシー運転手の長五郎は自分に過失のない事故で会社をくびになり、彼は嘘の証言をした少女や書き立てた新聞に怨みを持つものの……。
 結末に於ける登場人物の言葉。その一点に本編は集約されるであろう。そこに至るまでの構成の妙は巧い、と唸らされる。山田風太郎の計算された構成力の巧さを見るにはうってつけの一編なのかも知れない。
「跫音」
 ふとしたはずみで元詐欺師を殺してしまった渋川十作。罪の意識におののき、アリバイ工作するものの全て上手くいかない。
 罪の意識におののく様を描き、意外とは言えないがそれなりの結末を置いている。この作品は罪の意識に悩まされる男の描写が読みどころだろう。本編は角川ホラー文庫から出ていた自選恐怖小説傑作選の表題作になってたが、今回読み返し、なんで恐怖小説なのか今回もイマイチわからなかった。
「とんずら」
 営業で飛び込んだ家の奥方には見覚えあったが、どこで会ったか思い出せない。呻吟して思い出す。その過去を元に強請ろうとするが……。
 結末は哀れ。男の性ってこういうところにもあるよなあ、と同情してしまった(笑)。私はしないけれどもね。でも、理解は出来る。
「飛ばない風船」
 十年来のつきあいの女性を捨てて重役の令嬢と結婚したいが、上手く別れられるか否か。熟考の結果、殺すことにしてアリバイ工作を施すものの……。
 鮎川哲也の倒叙短編と比較しても遜色のない。アリバイ工作にガスを詰めた風船を使うところ、意外すぎる落とし穴など構成の巧さはここにもある。
「知らない顔」
 指名手配犯に顔がそっくりな男が企んだこととは?
 ミステリには双子トリックというものがあるが、この作品はそれを巧く小道具化して喜劇に仕立て上げた作品と言えよう。『世にも奇妙な物語』の原作にしても面白いかも知れない。
「不死鳥」
 一人の老人の死を巡る、三人の人間の告白。曾我博士の隣人、曾我博士の妾、そして曾我博士の遺書。曾我博士の死に潜むものはなんなのか?
 めくるめく事件の構図。最後に笑うものは誰なのか。操るもの操られるものが入り乱れる様は山田風太郎作品らしいが、この作品はその構図は徹底されていない。
「ノイローゼ」
 妻の前の夫は、体調が悪いとたばかることが少なくなかった。現在の夫である明は前夫武俊のいとこ。そういう所まで似るものなのか。明には武俊死去に際して一つ他人には言えない、重大な秘密を持っていた。
 語り口が面白い。極論を言えば、本編は語り口だけで持っているようなものなのであるが。ラストシーンのおかしさは何とも言えないんだけれども。
「動機」
 性病の診察のために病院を訪れた町田。彼の心中にはいくつもの動機が渦巻いていた。町田は誰を殺したいのか?
 動機は二つ目からカウントされるので、一つ目の動機はなんなのか、と言うのが焦点。殺人が起き、その後に待ちかまえるものにはにやりとさせられる。人を呪わば穴二つ、と言うことか。
「吹雪心中」
 偶然出会った昔の恋人と温泉で過ごした康雄。いざ帰ろうとしたら、吹雪で電車動かない。
 人間の浅ましさを描く。ラスト一行の逆転は、山田風太郎らしい皮肉さを感じざるを得ない。山田風太郎はどこまで人間を見ていたのであろうか。聞きたかったがそれも叶わぬ事である。
「環」
 様々な人の輪。連鎖的に繋がる人間模様。
 人間の縁って面白いよなと思うことは結構あるが、ここまで来ると笑える。構成の仕方が巧い。
「寝台物語」
 一人の弁護士が幻聴を聞くに至までの軌跡。弁護士磯谷猪之吉は昔は或る子爵の家の書生で、その家の娘に惚れてはいたものの、彼女には婚約者が居た。
 数奇な運命を辿る三人。運命の果てにあるものは何か? 虚無的なものを見つめ続けた山田風太郎ならではの作品であろう。


『夜よりほかに聴くものもなし』
 この『夜よりほかに聴くものもなし』の主人公八坂刑事はあの名ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)に出てきた和久刑事を彷彿させる。そんな気がする。
『夜よりほかに聴くものもなし』は所謂<連鎖式>ではないが、一貫したところがある。それは、終幕での刑事の言葉「それでも……おれは君に、手錠をかけなければならん」の言葉。この台詞で皆物語の幕を閉じる。この趣向は、話が進む毎に読み手に何らかの虚無感を抱かせる。この世に正義ってあるのか? と。
 10編の中では「精神安定剤」「敵討ち」が好み。どちらも救いがない。ここで各編にコメントするのがベターなのであろうが、この『夜よりほかに聴くものもなし』は、極論を言えば「それでも……おれは君に、手錠をかけなければならん」の言葉に全てが集約される作品なので、触れるまでもないような気もしないではない。収録順に収録短編のタイトルを並べておく。各編の感想は気が向いたら……。
「証言」「精神安定剤」「法の番人」「必要悪」「無関係」「黒幕」「一枚の木の葉」「ある組織」「敵討ち」「安楽死」

棺の中の悦楽<悽愴篇>

 この巻は<悽愴篇>とサブタイトルが付いてるように、悽愴という言葉にふさわしい作品が収録されている。本書の解説は名解説の一つといっても良く、山田風太郎=ノワールの嚆矢と言う説を打ち出している。この山田風太郎=ノワールの嚆矢と言う説は「ユリイカ」の山田風太郎特集に於いて「塚もうごけ、わが哭く声は秋の風――風太郎特集ワールドに見るノワールの核」に結実している。
 本書収録の短編では「新かぐや姫」が好み。以下、悽愴感漂う短編八編と『棺の中の悦楽』の感想。

「女死刑囚」
 育て親の牧師に恋心を抱くも報われなかった三千代。彼女は人を殺し、死刑を言い渡される。死刑執行を目前に控え、彼女は過去を回想する。
 回想の中の牧師の姿はどことなく冷徹さを感じる。三千代の決して幸せではない半生の中に必ず居る久世牧師の姿は、五十年以上の時を経て貫井徳郎の『神のふたつの貌』(文藝春秋)の牧師に現れたような気がする。終幕のあまりにも皮肉な描写は全く以て救いがない。
「30人の3時間」
 飛行機が墜落する前の三時間の出来事。刻一刻と飛行機墜落のその瞬間が近づいてくる。
 死を目前にして人はどうなるのか? 人の醜さを描かせたら右に出るものはない山田風太郎が挑んだ死の目前の人間模様。次々と明かされる「意外な事実」に登場人物がたじたじとなる様が読みどころであろう。もしかすると、後年書かれた『人間臨終図鑑』(徳間文庫)の元となったのかもしれない……とは思わないけれども。
「新かぐや姫」
 娘を失った悲しみを癒すために放蕩三昧を続ける男。彼は淫売宿の経営者であった。そんな彼でも手をも触れることができない女性がいた。妻の妹である。彼女は心臓の弱さゆえに、結婚できない体だった。そんな彼女が妊娠した。果たして父親は誰なのであろうか?
 伏線があまりにも大胆に張ってあり、逆にその伏線に気が付かなかった自分に驚いたりして。本編は女性の天使性のみを描いたものとして、或る意味珍しいのかもしれない。掃き溜めの鶴の献身ぶりに注目。
「赤い蝋人形」
 少女小説作家の西条蕭子の原稿を受け取りに行く為の道中の出来事。編集者である私は少女スリに出会ったことで、列車事故にあったにも関わらず一命を取り留める。退院後西条の屋敷に赴いた私は……。
 伏線の張り方の巧みさは山田風太郎ミステリ評に於いて見過ごされがちである。本編もその例に漏れず伏線の張り方がうまいのであるが、無駄な登場人物が一切ないのも見落とせないであろう。
「わが愛しの妻よ」
 親会社の課長に強姦されてしまった妻。夫は仕事を失う事を恐れず、泣き寝入りをせずに訴え出る。結果、犯人は捕まり裁判にかけられるが、予想外の結果をも生み出す。二人は有名人になってしまったのだ。だが、その果てには……。
 悲しい、と言うより、何故こういう人が憂き目を見なければいけないのか。無論、それが小説だからとわかってはいるものの、なんかやりきれない。あまりにも救いが無さ過ぎる。救いの無さという意味では『棺の中の悦楽<悽愴篇>』収録短編随一かもしれない。
「誰も私を愛さない」
 終戦後の昭和二十一年。仲間通しで妙な結束が固まる。それから八年後、一人の女性が意識を取り戻す。彼女は記憶を失っていた。一人の新聞記者が彼女の夫と思われる人間に連絡を取るものの……。果たして彼女は何ものなのであろうか?
 記憶消失サスペンスということで、彼女は誰なのか? という事に目がいくものの、途中でその正体は気づくであろう。寧ろ、それよりも、何故記憶を失う羽目になったのかというのが真の読みどころ。代わる代わる現れる彼女の「夫」にも注目、というところか。
「祭壇」
 子宮ガンの宣告を去れ、生きる気力を失った半子。一人で死ぬのは嫌だから、誰か道連れにしようと考えるが……。
 選んだ相手が心中するに足らない人間で、毎回騙される彼女の様子は可哀想を通り越して滑稽である。本編の行き所は彼女は心中に成功するか否か、と言う所であるが、読者の予想を覆す結末を山田風太郎は置いた。人間の生き死になんて、誰にもわからないものなのかも知れない。山田風太郎がそうであったように。
「二人」
 絵画鑑定人の篝博士は隣に住む兄妹の妹と関係を持ってしまう。それを知った兄は、博士の妻に直談判をしようとするものの……。
 切れ味と言う意味では山田風太郎の現代物ミステリの中でも一、二位を争う一編であろう。若干アンフェアの感じがあるものの、それは各者各様の取り方にもよるかも知れない。


『棺の中の悦楽』
 脇坂篤は、結婚式披露宴のまっただ中にいた。結婚する女性は稲葉匠子。彼の大学生時分に家庭教師をしていた女性だった。篤は、結婚式のその中で匠子を愛していたことに気づいた。だが、もう手遅れ。彼は過去に思いを馳せる。匠子の為に殺したあのウジ虫のことを。そして、その現場を見て篤に千五百万円もの大金を預かることを強要した横領役人、速水和彦のことを。篤はその千五百万円を、速水が出所するまでの三年間で使い切り、自殺することを思いつく。そして、篤の女性遍歴が始まった。

 本編は長編でありながら、六人の女性との遍歴を取る故に、短編を積み重ねた形の長編のような感じがある。無論、本編『棺の中の悦楽』が所謂<連鎖式>の作品と言う気は毛頭ないが。現代物の長編の内、本編はその構造の(或る種の)中途半端さも忘れるべきではないのかも知れない。
 六人の女性の遍歴は、それぞれの女性が全くと言っていいほどタイプが違い、飽きさせない。言うまでもなく、その辺は計算通りだったのだろう。山田風太郎作品で手を変え品を変え出てくる「女性は天使か悪魔か」というモチーフは本編にも現れる。本編では両者のうち、悪魔性はあからさまには現れないものの、おずおずと、天使性と表裏一体の形で現れる。
 本編の眼目は、結末のあまりにもの虚無感もであるが、篤が如何にして女性と巡り会い、如何にして別れるか、その様にも有るであろう。半年で一人、三年で六人もの女性との同棲世活を味わうが、各者各様のあり方には計算の内であると解っているものの感心してしまう。今読んでも古くさくなってないのはさすが、としか言い様がない。
 私は山田風太郎はミステリ作家である、というのもであるが、恋愛小説作家だったのではなかろうかと思ったりもする。長編に於いては本編と『太陽黒点』(『戦艦陸奥<戦争篇>』収録)に於いて如実に現れている。また、奇跡的な傑作『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)は恋愛小説作家の体質がなければ書き得ない作品だと思う。そして、現代物のミステリ長編で如実に現れているのが本編と『太陽黒点』。ここで私は山田風太郎は恋愛小説作家でもあったと断言しようと思う。本人が恋愛に関してどのような意見を持っていたかはこの際関係ない(もう死んでるし←をい)。尤も、山田風太郎=恋愛小説作家とちゃぶ台を返すには恋愛小説に関する知識、論をもってなければいけないが、生憎私にはない。どこかに体系的な評論ないものか。今のままではちゃぶ台の返し損ないにしか見えない。
 先にも述べた結末のあまりにもの虚無感は筆舌に尽くしがたく、また、落としどころはそこしかないという唯一の物。そこに落ちねば本編は、それ自体が崩壊を起こし、作品として成立し得ないであろう。落としどころに関する嗅覚もまた山田風太郎作品評では見落とされているのかも知れない(というか、自明すぎて触れてないだけなのか)。
 本編は大島渚監督によって映画化されてるらしいが、レンタルされてないよなあ……。あう。


戦艦陸奥<戦争篇>

 本書には山田風太郎ミステリ群の内戦争に直結している作品が収録されている。山田風太郎と戦争について最初に喝破したのは縄田一男らしいが、問題の縄田評論ってどこに収録されているのであろうか? 他の山田風太郎と戦争に関しての評論は笠井潔の長編評論『探偵小説論T 氾濫の形式』(東京創元社)に納められた「廃墟と自意識の彷徨――山田風太郎論」ぐらいである。尤も、ここでは『太陽黒点』が論に挙がってないという点が個人的には不満だ。あと、「ユリイカ」の山田風太郎特集に寄せられた四編。
 本書の短編では「さようなら」もしくは「黒衣の聖母」が挙がるであろう。
 以下、山田風太郎の戦争に関するミステリ短編10編と長編『太陽黒点』の感想。

「戦艦陸奥」
 海軍兵学校生徒御厨武彦は帰省の折、不意に兄烈彦の結婚を知らされる。結婚相手は浮城子。真田明の思い人であった。その後、烈彦は戦死。明は海軍に入り、浮城子の妹万里子は失踪する。その後、武彦と明は戦艦陸奥の中で再会し、そして武彦は万里子の意外な消息を知ることになる。
 実際に起きたらしい陸奥爆沈事件の真相(?)が語られる。個人的にはこれが本当の真相ならば(作中人物のたった一人であるが)多少は救われる人もいるかな? と思ったりもする。だが、一方でそこに至るまでの軌跡が悲劇的故に、結局は救いのない一編に仕上がっているのでは無かろうか。思うに、本編の本質はミステリではなく恋愛小説である。
「潜艦呂号99浮上せず」
 海軍中尉九鬼雄一郎は帰省したときに神応教の信徒である母の姿姿を見て苦笑を禁じ得なかった。そして、雄一郎は神のお告げによって水絵と結婚しなければならないと御神託をくだされ、ばかばかしくなる。五ヶ月後に死ぬと予言≠ウれた彼は、潜艦呂号99に乗り込む。
 一人の将校の敗戦迄の軌跡に借り、何故日本が負けたのかというのを淡々と綴った一編と思う。ラストシーンでは或る時刻を最後の一行に置き、戦争の馬鹿馬鹿しさ、哀しさを訴える……と思うのは考えすぎであろうか?
「最後の晩餐」
 警視庁特高課の小代刑事はスパイ疑惑の張り込みで『梟の家』の縁の下に居た。『梟の家』の主が怪しいと睨んだからである。早朝、『梟の家』から出た女、百代の後をつけ、ふとしたことから「グルマンの会」に関わり合いを持つことになる。そして、「グルマンの会」の最終日のこと。百代が行方不明になる。
 ゾルゲ・スパイ団の事件をモデルにし、山田風太郎得意の(?)ネタが炸裂し、その後にゾルゲ・スパイ団の解説をしている(百代は実在した人物らしい)。史実を巧みに用いて実在の人間を登場人物に配する所は明治ものの小説作法そのもの。明治ものの萌芽がここにもあったのか、と感服させられる。
「裸の島」
 南太平洋の小さな島に漂流の後にたどり着いた日本兵十名。その島には南海興発の社長夫妻が既に居た。兵士たちは最初こそはおとなしくしていたものの、段々その本性を表し、夫人を毒牙にかけようとするが……。
 孤島に複数の野獣と美女一人。めくるめく構図は悩ましい。また、皮肉なラストはお見事、としか言い様がない。本編は、極限状態で人はどうなるか、という問いに対する思考実験の結果であろうか?
「女の島」
 一隻のボートで漂流する十五人。内訳は兵士三人、看護婦七人、そして五人の従軍慰安婦。名も知らぬ孤島にたどり着いたとき、主従関係の逆転ゲームが始まる。
 先の「裸の島」と対称になる作品。こっちでは男女比が逆転して女性ばっかり。看護婦と慰安婦の対立の構図も加わり、なにげに恐ろしい。女性の怖さというものが……。「裸の島」同様、もしかすると、戦時中実際に太平洋の島の何処かで起きたかも知れない。
「魔島」
 ガダルカナル島の戦闘で生き残った日本兵七名はどことも知れぬ密林を彷徨い歩いていた。彷徨の果てに見つけた人肉の華に抗う術もなく、畜生道に陥ってしまう。更に彷徨い続け、未開人の集落に辿り着くことで生を得たが、その前に食べた人肉はこの集落の人間のものであった。
 今度は未開の土地ですか。未開の地を舞台に人間の浅ましさ、おぞましさをまざまざと見せつけてくれる。山田風太郎の作品にはごくたまにであるが人肉食描写が出てくる。本編でも出てくるが、うまそうに喰ってるんだな、これが。その描写を読む度に「もしかして、人肉食べたことあります?」と聞きたかった。
「腐爛の神話」
 娼婦の狩り込みで捕まえた娼婦を慣例に従って吉原病院に送らずに市井の町医者に預けた巡査。巡査と娼婦には意外な関係が隠されていた。
 ニュースストーリーと初出の際に銘打たれたらしい。確かに本編はミステリを読むと言うより寧ろニュース映画を観ているような感じがしなくもない。神話のフレーズと物語の進行が重なる構成は唸らされたりもする。
「さようなら」
 昭和三十年早春のこと。或る町でペストの蔓延が発覚した。町は死の町へと変貌し、衛生局の役人が燻蒸しに回ってきた。その死の町に刑事二人がやってくる。刑事は町を見回し、或る事に気づく。
 本編は大掛かりな仕掛けよりも、寧ろ、犯人≠ェ何故こういう面倒で大掛かりな仕掛けを施したのか、という理由に着目すべきであろう。ここまで大掛かりなのは「無為沈黙、拱手傍観をもって犯罪を構成する」悪人を好んで描いた山田風太郎にしては珍しい。また、タイトルの由来となったであろうシーンの鮮烈さは筆舌に尽くしがたい。
「狂風図」
 終戦直前の出来事。疎開中の医学生達は日本が戦争に負けるか否か、自分達ははどうすべきか侃々諤々やりあっていた。その輪を遠目に眺める女性を巡り、数人の医学生は牽制し合う。そして、そのうちの一人が死体と化す。
 本編もであるが、本書<戦争篇>に収録された短編はいずれもミステリなものはあくまで従であり、主ではない。着目すべきは、戦争という名の怪談≠ノ翻弄された人々の悲哀であろう。
「黒衣の聖母」
 蜂須賀は自分が兵隊に行っている間に空襲で死んだ妻マチ子そっくりの娼婦に出会う。妻懐かしさに何度もその娼婦を買い続けるものの……。
 山田風太郎の作品のモチーフとして「女は天使か悪魔か」という問いが時にはあからさまに、時にはおずおずと現れる。だが、本編程あからさまに両者――女性の天使性と悪魔性――が現れるのは珍しいかもしれない。意外な真相も用意された好短編と言っても良いであろう。


『太陽黒点』
 本編『太陽黒点』は廣済堂文庫の《山田風太郎傑作大全》が最初の文庫化、そして、今回が二度目の文庫化。よくよく文庫化に恵まれない作品である。それは作者自身が本作品が駄作だと思ってたかららしいが……。この辺は興味深い所である。
 ところで、初の文庫化の際に編集者のミスか否かは不明であるが、帯や裏の紹介文で見事なまでにネタを割っており、一部で話題になった。恐らく、編集者が無能だとか、そう言うわけではない。この『太陽黒点』は紹介が非常に難しいのだ。紹介が非常に難しい、紹介者泣かせの作品と言う意味では『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)とタメを張るかも。いや、寧ろ『妖異金瓶梅』より難しい。あくまで私見であるが、『太陽黒点』はこれがミステリであると言うことを書くこと自体、つまり、この《山田風太郎ミステリー傑作選》に収録されていること自体がネタばれではなかろうか。一番の理想は、作者名すら伏せて予備知識無しに読むことであろう。だが、それはどだい無理な話である。
 余談だが(いや、重要かも)、解説と解題は『太陽黒点』を読んでから読むのをオススメする。と言うのも、無意識にだと思うが、重要な骨格を予見させる記述があるのだ。解説はその目的からして仕方ないとしても、解題は頂けないかも。解題担当は日下三蔵であるが、日下三蔵を以てしてもこの有様であるから他の人間は推して知るべし。

『太陽黒点』は男女の物語、有り体に言えば恋愛小説である。
 鏑木明はアルバイト先のオリンピック建設の仕事で仁科教授の所へ赴く。そこで同じアパートに住む同郷でもある恋人土岐容子とばったり出くわす。容子は友達の所に行くと言っていたが、行き先は仁科教授の娘のパーティだったのだ。鏑木は同行していた上司の好意でパーティに参加することになる。それが切っ掛けで鏑木は不相応な派手な生活に片足を踏み入れ、借金がかさむことになる。パーティで知り合った令嬢に心が傾きつつあった鏑木だったが、その彼を容子は見捨てられない。挙げ句借金の肩代わりのために体を売ってしまう。容子にあこがれる小田切という高校生は、ただならぬ様子になるが……。
 ここまで読んで、山田風太郎に関して何の予備知識もない人が居た場合、これがミステリだと解る人はいるであろうか? 恐らく居ないであろう。もし解ったなら、その人は余程勘がいいか、それかひねくれ者だけである。『太陽黒点』は「死刑執行・一年前」から始まり、「死刑執行当日」で幕を閉じる。「死刑執行当日」ではそれまでの物語に込められていた裏の意味が一気に姿を現し、そこでようやくミステリの容貌を示す。それまでは退廃した空気に彩られた恋愛小説にしか見えないのである。
 と、ここまで書いて、実は、これでもネタばれじゃないのかしらんと思いつつある。それ故、未読の方は以下、注意していただきたい。
 用心モード発動
『太陽黒点』を山田風太郎ミステリの最高傑作に推す人がよくいる。確かに、これは山田風太郎ミステリの中でもトップクラスの出来映えと言っても良いかもしれない。だが、それは現代物という枠組みの中でのみの話で、枠を広げれば『明治断頭台』(ちくま文庫)や『妖異金瓶梅』等は明らかにこれより上であろう。だが、『太陽黒点』が二重三重に底が設定してある点や構造の緻密さと言う点では決して引けを取らない。もしかすると、この辺は好みの問題に還元され、『太陽黒点』が数ある山田風太郎ミステリの頂点と言ってもおかしくはないのかもしれない。
 本編の最大の特徴は恋愛小説がミステリに変貌する点と、第二次世界大戦(或いは太平洋戦争)のコピーキャットである点であろう。第二次世界大戦の陰画として物語を構成することで山田風太郎は戦争を告発した。戦争というモチーフは本書『戦艦陸奥』収録の作品が全てではなく、忍法帖の一冊にもあらしいし、明治ものの『警視庁草紙』や『明治断頭台』等でも見られる。もしかすると、山田風太郎にとって小説を書くことは戦争を見つめ直す行為であったのかもしれない。そして、それは山田風太郎に限ったことではなく、戦後のミステリそのものが戦争を見つめ直す行為だったのかも。

 用心モード終了

 ところで、目下の最大の疑問は何故山田風太郎は日下三蔵に力説されて読み返すまで本書の出来に不満を持っていたのか、と言うことである。


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