航海日誌第九話 沖縄編

なにもかも虚しかった沖縄の海

 前回までの話で,「なつしま」の食事は大変おいしいと書きました.それはひとえに優秀な司厨長の存在にかかっています.すべての味付けはこの司厨長で決まります.船と言うものは税関や検疫の都合上,船内には普通植物はいっさいありません.ですから,船内の娯楽は限られ,食事は船員さんの志気を維持する最大の娯楽です.でも,司厨長の好みと我々の好みが必ずしも一致しない時があります.特に,日々ハードワークの船員さんには濃いめの味付けが良くても,僕ら研究者は潜行がなければ仕事もなく,お腹もすきません.今回の航海は潜行もないし,揺れてばっかりで仕事もできない,それに,司厨長の好みと僕の好みが多少ずれていました.短絡的に言いますと,あまりおいしくない食事でした(でも,最初の数日は絶対においしく感じますけどね).注)描写のいきすぎた部分があります.食後に読まれる方はご注意下さい.


 航海も5日目になると,似たような味付けの食事にも飽き,朝食は胃にもたれていた.しかも,台風に向かって突進する「なつしま」は激しく船体をローリングさせ,特に船尾は激しく左右に振り回されていた.採水器などを組み立てる研究者用の実験室は船尾にある.もっとも低いフロアーなので揺れは少ないはずだが,船尾を降りながら進む今の状況では最も揺れている場所の一つかもしれなかった.揺れは激しかったが,酔わない自信のある僕には単に歩き難いだけのことで,この程度では酔わない.先生の来るのを待って採水器の組立にかかった.採水器には10本の採水筒を付ける.各採水筒は両方の口に合計16本のネジで蓋を付ける.筒の中は空気が入らないように水を詰めたり色々と神経を使って組み立てる必要がある(空気の入った空間を作ると深海底の水圧で潰れてしまう).小さなネジを手作業で締めていく.神経は指先に集中し,目はネジを注視する.時より激しく船体に当たる波の「ドーン」と言う音がする...

 最初の1本が組み上がった.何かお腹が重たい.食べ過ぎたかな,と思ったがこの瞬間,「もしかして酔うかも」と一瞬頭をよぎった.2本目にかかる.胃がねじれるような感触.脳味噌が頭蓋骨の中で泳ぎ始めた.徐々に胃から食道に上がってくるヒジキと鰯の臭い.口の中に急速に充填される生唾.やばい.ここでもどしては先生の僕への信頼が損なわれる.もう,予断は許さない.すかさずなに食わぬ顔でトイレにダッシュ.ドアを閉めるまもなく,ヒジキと鰯が口から放出された.口を通りきれなかった一部のヒジキは鼻の穴を逆流し,鼻からもヒジキが飛びだした.顔から血の気が引いていく.だが,とりあえず一回吐いたことで少し気分が良くなった.

 今朝食べ過ぎたのが原因だと自分に言い聞かせ,作業に戻る.2本目を組み終え,3本目に.また急速に食道を駆け上がってくる鰯の臭い.再びトイレにダッシュ.先生も薄々僕が酔ったのに気づく.トイレから戻ると応援を呼ぶための電話をかけていた.なに食わぬ顔で組み立て再会.集中できない.でも何とか組み立て続ける.5本目が出来た.再びトイレにダッシュ.鼻の中にヒジキが残っていて痛い.

 これから先,よく覚えていないが,同室の年長の学生さんが手伝ってくれたおかげで何とか採水器の準備は終わった.もうろうとしながら部屋に帰り,ベットになだれ込む.頭が痛い.頭蓋骨の中で誰かがわれ鐘をたたいているようだ.

 その日以来,丸2日間,いかなる食事も受け付けることが出来なかった.乗船の1週間前にテレビで断食療法を紹介しており,非常に興味を持っていたが,こんな形でこの療法を試せたのは不幸中の幸いだった(?).時折先生が見舞いに来てくれた.6日目,7日目と波は収まらず,潜行できない日が続いた.最終的に,最初の1回目以降の潜行は全て中止され,今回の航海は終了.吐きながら組み立てた採水器を,何とか船酔いから復帰した日に解体.虚しい.

 こうして,僕の3度目の「なつしま」の航海は終了した.実りのない航海で,しかも激しい船酔い.これ以上の屈辱はなかった.ちなみに,上記の先生は,毎年沖縄航海に学生を連れて来るが,酔って倒れなかった学生はいないらしい.ちなみに皆初めての航海だった.僕は何度か経験があるし,酔わないだろうと期待されて乗せてくれただけに非常に残念だった.実は98年度の沖縄航海にも参加させてもらえるように話はしているが,たぶん乗せてはくれないだろう.一応,「今度は訓練してから乗船します」とは言ったが,先生の苦笑で分かる.やはり,航海は赤道か内湾に限ることを学んだ貴重な航海となった.98年3月はグアムから東京に移動しながらの調査に参加する.今から非常に不安である.


 以上で沖縄編終了です.長文で突っ走ったのでたったの3話で完結しました.文章ばかりで読みにくかったとは思いますが,おつき合いありがとうございました.航海日誌の更新はしばらくお休みの予定です.98年3月1日から16日まで,今度は東京大学海洋研究所の「白鳳丸」と言う調査船の航海に参加します.調査海域はマリアナ海溝(世界で最も深い海)です.その航海の模様を出来れば4月以降お話ししたいと思います.


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