●はじめに−ルネンサンス音楽って何?,ジョスカン、モンテヴェルディって誰?−

 今回演奏しますのは、ジョスカンとモンテヴェルディの曲ですが、この二人についてご存じの方は、それほど多くはいらっしゃらないでしょう。実は、私たち もそれほど詳しいことは知りませんでした。そこで、これを機に、ルネサンス音楽と彼ら二人のことについて少しお勉強してみましょう。ちなみに、ルネサンス の絵画や彫刻がテレビで紹介されるとき、その後ろでよく流れているのは、バロックの器楽曲が多いようです。でも、だまされてはいけません。それはルネサン スよりも後の時代の音楽なのです。ルネサンス時代の音楽の中心は、まずは歌なのです!


●ジョスカンとルネサンス音楽−中世・ルネサンス音楽の簡単な歴史−

中世ヨーロッパの音楽史は、キリスト教の典礼に結びついた聖歌の 成立ではじまります。さまざまな地方で独特の聖歌が歌われましたが、西ヨーロッパでは、ローマ・カトリック教会の影響力の下、ローマ聖歌が発展します。そ の後、9世紀頃には有名なグレゴリア聖歌が大成され、ローマ・カトリックの典礼聖歌として歌いつがれてゆきます。また、9世紀頃は、ヨーロッパ多声音楽が 体系化されはじめた時期でもあります。そしてこの多声音楽は、その後12世紀から13世紀にかけて、パリのノートルダム大聖堂を中心に活躍した音楽家たち (ノートルダム楽派と呼ばれます)によって一つの頂点を迎えます。

 他方、そうした教会音楽とは別に、騎士階級出身の吟遊詩人の世俗歌曲も、この時代に興隆します。恋や武勲を歌った単旋律の素朴な歌がうたわれたのでし た。さらに14世紀になると、アルス・ノヴァと呼ばれる、ノートルダム楽派の音楽に比べて新しいタイプの多声的世俗音楽が愛好されるようになります。

 その後、1450年頃を境目に音楽は大きな変化を見せます。そしてこの頃が、中世音楽からルネサンス音楽への移行期と言われます。ということは、ルネサ ンス音楽とは、日本でいうとおおよそ毛利元就の時代の音楽ということになりますね。さて、ルネサンス音楽の中心地はフランドル地方(今日の南ベルギーと北 フランスにあたる地域)でした。この地方出身の音楽家たちは、全ヨーロッパにひろく活躍し、その特徴あるポリフォニー技法を基礎にしたミサ、モテトゥス、 シャンソンなどを作り出しました。このポリフォニー技法こそ、ルネサンス音楽のいちばんの特徴です。それは、すべての声部が代わるがわる主役を演じなが ら、一体となって音楽を作っていくのです。ポピュラー音楽やモーツアルトの音楽なども含めて、私たちが日頃親しんでいるほとんどの音楽のように、一つの主 声部が美しい旋律を奏で、他の声部は単にそれを支えるもの(ホモフォニー)ではないのです。各声部がそれぞれに旋律を奏で、それらが重層的に織り合わさ れ、緻密な織物となって音楽が展開されます。この技法を使いこなしたフランドル楽派と呼ばれる音楽家たちの中でも特に重要な存在が、今回そのミサ曲を演奏 しますジョスカン・デ・プレなのです。音楽におけるルネサンス様式は、彼において頂点に達したといわれます。


●ジョスカン・デ・プレ(1440年頃〜1521年)について

 生まれはフランドル地方だったジョスカンですが、彼が活躍した場所は主にイタリアでした。彼の生涯についてはまだはっきりわかっていない部分も多いので すが、ミラノの宮廷やローマ教皇庁付属礼拝堂(システィナ礼拝堂)、またフランスの王や貴族の宮廷などで音楽家として活躍していました。晩年には生まれ故 郷の近くで、新たな様式のシャンソンに取り組んだりもしました。ミラノの宮廷ではレオナルド・ダ・ヴィンチとも同僚でした。ダ・ヴィンチは音楽家でもあっ たのです。  彼が、当時すでに一流の音楽家だったことは、様々なエピソードが証明しています。例えば、カスティリヨーネという人は、「多くの教養人たちが一つのモ テットを誉めるさいにも、それがジョスカンの作だとわかってからでないと誉めるのをためらった」という逸話めいたことを書いています。また、宗教改革で有 名なルター(彼も歌や楽器演奏を得意とし、音楽を深く愛した人です)も、ジョスカンを高く評価し「他の作曲家たちは音に支配されているが、ジョスカンだけ は音を支配している」と述べています。  余談ですが、当時の音楽家は宮廷や教会の「歌手」として活動しながら作曲もしていました。ジョスカンもそうでした。彼の場合は聖職者でもありました。し かし、当時の他の音楽家と比較してジョスカンの場合特徴的なのは、彼が「作曲家」として注目されていたらしいということです。それまでは、まだ「作曲家」 という職業はあまり意識されていなかったようなのです。彼はそうした意識の変わり目に現れた音楽家だったのです。


●モンテヴェルディとイタリア音楽

 さて、今回演奏しますもう一人の作曲家クラウディオ・モンテヴェルディはイタリア人の作曲家です。ローマのあるイタリアの音楽は、教会の音楽の影響を強 く受けました。しかし、イタリアの音楽には、それに尽くされない独特の地方性もあります。モンテヴェルディの音楽も、イタリア的な音楽の特徴を示していま す。彼が活躍した頃までの、イタリア・ルネサンスの文化と音楽の歴史を簡単に振り返ってみると、彼の音楽がイタリア的なものであることの意味が何となくお わかりいただけるんじゃないかと思います。アンティカでよく歌われる世俗曲は、シャンソンが多いのですが、これを機に、イタリア音楽の歴史を、その時代背 景とともに簡単に見てみましょう。


●イタリア音楽の歴史

<14世紀まで>

 13世紀頃、フランシスコ修道会の布教活動のため、民衆が神を崇める賛歌を母国語で歌いながら国じゅうを巡り歩いた際に、最初のイタリア的音楽の形式が 生み出されました。それをラウダといいます。その多くは、独唱か信者全体のユニゾンで歌えるよう作曲されたものでした。その歌詞は、受胎告知や十字架刑の ドラマなど、布教のために書かれた素朴な歌詞がメインですが、それに生命を吹き込んだのが音楽だったのです。そこには、その後のイタリア音楽美学の普遍の 原則の一つとなってゆく<詩と音楽の統一>の最初の現れが見られます。

<14世紀>

 この頃、文学の面では、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオといったフィレンツェの人文主義者が活躍しました。彼らの世俗文学は、音楽にも影響を与えていま す。  音楽の面では、14世紀初頭からイタリアでもアルス・ノヴァというポリフォニーが盛んに行われるようになります。ラウダの頃とはうってかわって、民衆を 感動させるための大衆芸術ではなくなり、音楽通の限定された聴き手たち、暇と教養に恵まれた人びとの集まりに向けたサロン芸術になります。それは、ラウダ のような素朴な美しさよりも、洗練された繊細で技巧を凝らしたものになっていくのです。

<15世紀>

 ヨーロッパの他の国に先駆けて、ルネサンスという時代を開花させたのは、この時代のイタリアでした。ボッティチェリ(「ヴィーナスの誕生」を描いた人) やダ・ヴィンチといった名前は誰もがご存じでしょう。イタリア・ルネサンス全盛のこの時期、美術家たちはみな生粋のイタリア人でしたが、音楽家たちの多く はイタリア人ではありませんでした。

 というのも、ローマ教皇庁が南フランスのアヴィニョンからローマに戻された時以来、イタリアの音楽会を支配したのは、前に述べましたフランドル学派の音 楽家たちでした。教皇や貴族たちは、こぞって彼らを招き入れようとしました。そしてこの頃、あのジョスカンもイタリアの地で活躍したのでした。

 しかし、イタリア的伝統は、教会や宮廷ではなく民衆の中に生き続けていました。また、15世紀末からは、明確なホモフォニーを特徴とする「フロットー ラ」という新しいジャンルの世俗歌謡が、イタリアの作曲家によって生み出され流行します。ここにようやくフランドル楽派に占められていたイタリア音楽会に も、地元出身の音楽家が現れてきたのです。しかもフロットーラはイタリア人だけでなく、フランドル楽派の作曲家たちにも手がけられ、ジョスカンもこのジャ ンルに手を染めたのです。

<16世紀>

 この世紀、美術ではミケランジェロ(1475〜1564)やラファエロ(1483〜1520)といった巨匠が輩出していますが、イタリア音楽にも、宗教 音楽と世俗音楽の両面で二人の偉大な人物が現れました。パレストリーナ(1525-94)とモンテヴェルディです。パレストリーナは、終生ローマで宗教音 楽を作曲し続け、現在パレストリーナ様式と呼ばれる荘厳で厳格な典礼的多声部音楽を完成させた人です。その音楽は、今日までカトリック教会音楽の理想的な 形とされています。「バビロン川のほとりSuper flumina Babironis」や「谷川したいてSicut cervus」は有名ですね(アンティカでも歌われます)。

 世俗音楽の面では、1530年頃からマドリガーレと呼ばれる新しい音楽のジャンルが誕生します。それはイタリアの政治的混乱という背景もあって、貴族趣 味的な音楽が台頭してきたことなどに由来するものです。特徴としては、まずフロットーラに使われたような素朴で庶民的な歌詞ではなく、ペトラルカをはじめ とする人文主義者たちのものが使われたこと(ミケランジェロの詩も用いられました)、そしてこの自由な詩にもとづいて、音楽が、決して繰り返しをせず、つ ねに言葉の抑揚に緊密に結びつけられ、愛情の表現に密着させられたこと、いままでになく複雑なポリフォニーの書式が採用されたことなどがあげられます。こ のマドリガーレをその極点にまで高めていった人に、マレンツィオやジェズアルド、そしてモンテヴェルディがあげられるのです。


●モンテヴェルディの音楽

 北イタリアのクレモナに生まれ、マントヴァやヴェネツィアで活躍したモンテヴェルディは、1567〜1643年の人ですが、年代的にもすでにルネサンス というには遅すぎる時代の人であることがわかります。彼は、最後のマドリガーレ作者であると同時に最初のオペラ作者でもあり、16世紀のポリフォニーを締 めくくり、17世紀のバロックを開く大天才なのです。特にオペラ史上最も重要な音楽家の一人で、グルックもワーグナーもドビュッシーも彼を範としたほどで す。彼の音楽には、イタリア音楽の特徴がとてもよく現れています。その特徴とは、一言でいえば<詩を大切にした音楽>という点にあります。

 今回ご披露するマドリガーレは、彼のマドリガーレの中でも後期に書かれたもので、ルネサンス合唱様式のマドリガーレの最後を飾るものともいえます。彼の マドリガーレの中でも、特に詩の特徴が音楽に活かされた作りになっていて、歌詩の内容や和声の大胆さ、転調など、ドラマチックな表現でマドリガーレという ジャンルを一新した作品なのです。彼のその後の音楽がオペラに通じるということから、その意味は何となく分かっていただけるのではないでしょうか。


●参考文献

皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』講談社現代新書
皆川達夫『バロック音楽』講談社現代新書
ナニー・ブリッジマン『イタリア音楽史』白水社クセジュ文庫
今谷和徳『ルネサンスの音楽家たち?』東京書籍
今谷和徳『中世・ルネサンスの社会と音楽』音楽之友社



注:トロヴァトーレとは、南フランスの恋愛詩人トルヴァドゥールたちの影響を受けた、中世イタリア文学最初の俗語抒情詩人たちのことです。イタリア文学の 発生は、ラテン語に対して俗語と呼ばれるイタリア語で詩がうたわれた13世紀初めに見られますが、その俗語詩の中心は、シチリアからボローニャへと移り、 そこで清新体詩という新しい詩風が生まれます。さらにそれがフィレンツェの詩人にうけつがれ、ダンテ(1265〜1321)によって完成されます。ルネサ ンスのはしりとも言える彼の作品『新生』(ベアトリーチェが登場する作品です)や『神曲』有名ですね。この清新体詩は、単に言葉で書かれるのではなく、吟 遊詩人たちによって歌われたのでした。

注:教皇のバビロン捕囚:1309年、フランス王フィリップ4世によって、教皇庁がローマから南フランスのアヴィニョンに移され、以後1377年までフランス人教皇が続く。