『協う』2007年2月号 私の研究紹介

第2回 立命館大学 川口清史さん

生協の社会的ポジショニング

 

〈学生時代から生協にかかわって〉
生協に関わることになられた経緯は・・・
  ぼくが京都大学経済学部1回生の時に、生協の総代選挙があったんです。 当時の京大生協は、 ご存じのように塩見孝也などのブントが支配していて、 生協を政治に利用する政治主義でやっていました。 私は、 部落問題研究会に入って、 毎日、 子ども会活動などをやっていましたが、 たまたま 『朝日ジャーナル』 で大学生協連の大会の特集を読んで、 大学生協の政治主義的な論争はおかしいと思ったんですね。 それで、 生協組織部の学生に 「それはおかしいんじゃないか」 と発言したら、 「じゃ、 おまえがやれよ」 ということで、 総代に選ばれてしまいました。
  それでも部落研の活動ばかりしていたら、 その年度の2月だったか、 塩見孝也のグループが 「水道光熱費不払い闘争に入る。 総代会決議をあげろ」 と総代会を開いたわけです。 そんな極左戦術をとったら生協はむちゃくちゃになるんじゃないかと反対演説をやることになって、 結局、 総代会で決議をつぶしたんですね。 そこから学生理事になって、 生協につっこんでいったんですね。 翌年には大学生協連の全国理事になりました。 その時に何をしたかは、 もう少し歴史が経たないと言えませんが(笑)。
その後の大学院では・・・
  ぼくは大学院に行きたかったので、 5回生になって生協の理事を降りて、 受験勉強を始めた時に、 いったん生協とは縁を切りました。 私の専門も生協とは無関係でした。 私の先生である大橋隆憲氏は、 蜷川虎三氏の弟子で、 ドイツ社会統計学が専門でした。 私は、 ドイツ社会統計学はやる気がなかったのですが、 助手の野沢正徳先生のもとで国民所得統計 (マクロ経済) で経済全体を把握しようということで、 大学院に入りました。
  当時の京大生協には、 後にならコープの専務をされた稲川和夫さんが常務理事でおられて、 5回生の頃、 「大学院を2回受けさせてやる。 2回でだめだったら、 あきらめて生協に来い」 といわれました(笑)。 幸か不幸か1回で通りまして、 それでいったん生協とは縁が切れたのです。
  修士論文は国民経済計算でGDPやGNPがどのようにつくられるのかを理論と歴史との関係で論じるものでした。 また、 それを使って日本経済をどのように分析するか、 ですね。 統計を使って日本経済をどのように表すかという 「統計 日本経済分析」 を雑誌 『経済』 に連載して、 本にもなりました。 大橋隆憲先生には、 『日本の階級構成』 (岩波新書) というベストセラーがありますが、 これもお手伝いしましたね。
そもそも、 川口さんが研究者を志された動機は… 
  大学を卒業して、 就職するという選択肢は最初からなかったような気がします。 ぼくは母子家庭の育ちなんですよ。 高知の出身で、 母親がぼくを京都にやる時に、 「ふつうのサラリーマンになるなら京都に行くな。 それだったら高知でもいい。 なぜ京都に行くのか。 京都に行くのなら、 ちゃんと勉強しろ」 という言い方をしたんです。 だから、 最初から 「ふつうに就職するなんてあり得ない」 という感じだったような気がします。

<研究所づくりと生協研究>
再び生協にかかわるのは、 いつですか・・・
  1976年に立命館大学産業社会学部の統計学の専任教員として就職し、 社会統計学 (国勢調査など) を教えることになりました。 そうしたら京都生協の横関武さんから理事をやれと言われて、 そこから生協に関わるようになったんですね。 それで生協に学識理事としてかかわる限りは研究的にもかかわらねばということで、 たまたま先の統計分析の連載で担当された久保建夫さんを京都に呼び戻すという話が出てきて、 「それはいい。 久保さんと一緒にやりましょう」 ということで、 調査資料室をつくり、 その後現在の研究所をつくるという話になったんです。
協同組合研究をはじめられた時の問題意識は・・・ 
  ぼくが生協について書いた最初の論文は 「協同組合論の再構成」 (1985年) だと思います。 たぶん、 研究所の前身の生協理論研究会 (京都生協調査資料室) で報告したんだと思います。 その時の問題意識は、 協同組合論といえば当時は井上晴丸氏とか近藤康男氏でしたから、 「それでは実践につながらない。 生協の実践を見ながら、 協同組合とは何なのかをもう一度考えよう」 というものでした。 それを理論的に再構成しなければならないということで書いたのが、 この論文です。 これは、 リーフレットになって、 全国的に話題になって、 『生活協同組合研究』 に載せた、 という経過だったと思います。
それから、 研究所をつくられ、 共同研究を始められるのですね!
  生協を 「社会科学」 として議論したのは、 われわれの研究会グループが初めてだ、 ということは誇りにしていいと思うんです。 たとえば 『生活革命の旗手たち』 (1988年、 かもがわ出版) も、 外部ではあまり評価されていないけれども、 本格的に組合員調査・分析をしたのはこれが初めてだと思います。 また理論的にも 『転換期の生活協同組合』 (1986年、 大月書店) は本格的な実証をともなった理論研究として初めてです。
川口さんの研究生活のなかで研究所はどんな存在でしたか・・・
  やはり僕の問題意識は研究所からたくさん得てきたように思います。 いろんな実践と理論を統合するという意味でも、 現実に何が起きているかを知らずして議論できない。 それに、 他の分野の人たちと出会って、 視野がずいぶん広がりました。 研究所がないと、 あまり出会うことがないので、 その意味では、 ほとんどすべてですね。 私たちの研究は、 紙の上だけでは発表すべきものは何も出てきませんから。
  『転換期の生活協同組合』 は幹部職員のみならず、 労働組合の人たちもよく読んでいましたね。当時は、 バイブルみたいにする、 しないは別にして、 これを通過してから議論が始まるという感じがあったんでしょうか。 これは大きな仕事で、 けっこう大変でしたね。 研究者の間で合宿もやりましたし、 この本をつくるプロセスが、 いちばん調査もしたし、 議論もしたし、 生協研究にとっては一番大きな成果があったと思います。
  もうひとつ大きかったのは、 1986年から87年にかけて在外研究でアメリカに行った時に、 協同組合を見てこようと思って、 たくさん生協を見たんですね。 これもすごくよかったと思います。 つぶれる直前のバークレー生協やカナダのオタワ、 ケベックにも行きました。

<非営利セクター研究>
川口さんの 『非営利セクターと協同組合』 では、 NPOなどについて本格的な研究をされていますが…
  アメリカでの私の拠点はピッツバーグ大学でしたが、 同時に国民所得統計の権威がいたイエール大学にも行きました。 そのイエール大学にNPO研究センターがあったんですね。 そこでアメリカのNPO研究をまとめた本が出ていて、 「こんな研究があるんだ」 と知りました。 それで、 これまでの研究にNPOも加えて追いかけ始めたところ、 日本でもバックアップするようになって、 95年の阪神淡路大震災で爆発しました。 その意味では、 ぼくは日本でいちばん古いNPO研究をしていたことになります。
  それで世界のサードセクター学会の第1回大会でハンガリーまで行きました。 やはり、 ぼくの関心はヨーロッパの協同組合や社会的企業にあって、 ヨーロッパの学会にもずいぶん行きました。 スウェーデン、 イタリア、 スペインなど。 相対的に小さな規模の協同組合で社会問題を扱っている例や、 ソーシャルサービス・社会福祉の実践もずいぶん見たし、 その理論化をしている人たちともディスカッションをしました。 理論的にも展望が少し見えてきて、 まとめたいと思っている矢先に、 こんなことになってしまって(笑)。

インドにも注目されていましたね・・・
  きっかけはドングレさんが研究所に突然来たことです。 大学生協連がアジアに大学生協を広げたいということでセミナーを開いて、 そこで関心を持った人をインターンシップに呼んで、 実習させたわけです。 ドングレさんは、 大学の先生ですが、 立命館大学生協に来て、 皿洗いとか、 いろいろ実習をやっていました。 ぼくは 「こんな人がすごいな」 とびっくりして、 それですっかり友だちになって、 付き合いが始まった。 そしたら彼の弟分のスリイダラという人もいて、 うちの学生を2回、 向こうに連れて行くことになりました。
  グラミン銀行も結局は協同組合・信用組合ですね。 人びとが参加をして、 自分たちが成長しないと、 開発なんてできない。 ODAとの違いがすごくよくわかりました。 紹介されて行ったムンバイにある女性の協同組合では、 組合員が20万人ぐらいいるそうです。 インドの女性はとても虐げられていて、 若くして年寄りと結婚させられたり、 DVに遭ったりして、 傷ついて帰ってくるのですが、 親は受け入れないので、 ひとりぼっちになってしまう。 そういう女性たちを集めて、 職業訓練をして、 自立させて、 お店を出させたり、 ケータリングの会社をつくらせたりしています。
  彼女いわく、 「私たちは、 お金はほしくない。 貸してください。 必ず返しますから」 と。 協同組合は、 彼女たちに誇りを持たせるんですね。 そういう姿を学生と一緒に見てきましたが、 学生たちも 「人生観が変わりました」 と言っていました。
生協や協同組合を研究する若手への期待を・・・・
  生協研究は、 まだアカデミズムで十分に場所を得ていると思わないし、 思えない。 生協研究では大学や研究機関に就職できないと思います。 非営利組織論のほうは少しずつ人が増えてきているので、 非営利組織論という窓口でもいいのですが、 こうした若手の育成を研究所でも担ってください。

<必要な戦略、 ミッション、 ポジショニング>
生協理事会での川口さんの発言は、 「そんなごちゃごちゃ言わずに前に進め」 みたいな斬新な内容で、 とても印象に残っています。
  やっぱり生協が社会的にどういうポジションを持っているかという戦略的な判断がとても大事で、 そこをどう見ているのかなと思います。 立命館も、 今後20〜30年を見通して、 日本の大学でどういうポジションを占めていくのかというスタンスで意思決定し、 政策をつくっていかねばならないわけです。 いま学生や教授がどういう要求をしているか、 だけでは決まらないわけです。
  だから日本の生協も、 いまの消費者・組合員・職員の要求は、 それはそれとして大事にしなければならないけれども、 時には 「我慢してくれ」 と言わなければいけない時もあるわけです。 それを言うためにも、 「10年後の社会はこうなるから、 そのために生協はこういうポジションを占めるんだ。 こんな社会にするために、 生協はこういうミッションを持っているからこそ、 こういうポジションを占めたい。 だから、 こういう意思決定をし、 こういう選択をするんだ」 ということが、 どこまで言えているかですね。
  グローバリゼーション、 特に金融のグローバル化で、 保険料の国際的な基準額が統合されるという動きが出てきて、 共済事業はどうなるのかという問題が出てきましたが、 共済事業において生協はどんなミッションを持ち、 どんなポジションを占めるのかということを考えた時、 ある種の意思決定がどうしても必要ですね。
川口さんのそうしたスタンスは大学の経営にもかかわってこられたからでしょうか・・・
  そうですね。 生協をやってきたから大学の経営をやらされている、 という面もあるかもしれませんが(笑)。
立命館大学の生協再建の時はどうでしたか・・・
  ちょうど1983〜84年は学生部次長でしたからね。 1983年に立命館大学生協の経理部長による3億円使い込み事件があって、 当時の立命館大学生協にとって3億円といえば、 ほとんど倒産に近い金額ですから、 急遽、 再建しなければならないということで、 田井修司さん (現コープちば理事長) と二人で支援に入りました。 緊急時の監事として、 理事長の辞表まで預かって、 再建委員会をつくって、 従業員の賃金も下げようかという荒療治をして、 組合債を発行して、 理事会の首をすげ替えて、 芦田文夫さんが理事長になって(笑)。 でも、 あの時はみんな再建に協力して組合債を買いましたからね。 ぼくも新しく家を買ったばかりで、 「ああ、 この家も夢やったかなあ」 と思ったほどです(笑)。
ところで実際に総長・学長に就任されて、 どうですか・・・
  もう少し落ち着いて、 ものを考えないといけないなと思います。 もう少し勉強したいですね。 専門分野ということではなく、 世の中がどう動いていて、 いま何を考えなければならないのかということを深めるために、 落ち着いて本を読みたいですね。 戦略を考える時間がほしい。 いまは、 みんなが考えてくることを判断するほうが多いので、 それだけではだめではないかと思っています。 それこそ大きな戦略とミッションと将来のポジショニングのなかで位置づけて、 「こういうふうに考えてくれ」 と言わないと、 ちっともうまく進まない。 その意味では、 やはり自分の思想を深めなければいけないし、 将来の見通しをしっかり持たなければいけないし、 そういう意味での研究をもっとしたいと思いますね。
  それと、 いままでは 「自分の理論や実践を見てくれ」 ということでよかったのですが、 こういう立場になると、 とにかく自分の思想を語らないとだめで、 その思想をスタッフの人が正確に理解してくれるように語らないとダメですね。
  マスコミに対しては、 取材にはきちんと応じようという方針で臨んでいます。 危機管理の本を読むと、 「間違った時はトップが出なさい」 と書いてあって、 「ああ、 やっぱり間違ってなかったなあ」 と思いました(笑)。

<これからの生協へのメッセージ>
生協の組合員は、 次に何に目を向けたらいいでしょうか・・・
  単協は地域のなかで自由にしたらいいと思いますが、過去の成功体験にあまり縛られないほうがいいのではないか。 うまくいっている間はしっかりやればいいけれども、 あまり形式にこだわったり美学を持ったりしないほうがいいのではないかと思います。
  最近、 元気な単協は、たいていこだわりなくやっていますし、さらにいえば 「組合員」 という枠にもこだわらず、とにかく「人びとが集まっている」 ということ自体に価値を見いだすことがけっこう大事だし、そこで生協がやれることはいっぱいあるように思います。
単協トップに贈るメッセージを・・・
  これから日本の生協は、単協でやっていけるんでしょうかね。単協トップとして考えることは二つあって、ひとつは日本の流通産業全体の見通しのなかで必要な投資や事業戦略を考える議論に参加すること。もうひとつは、地域との関係性をどうつくるかです。その点で、日本の生協は力のわりに社会的にまだまだ見えていないので、 地域ではもっと大きなことができるのに、 やっていないのではないかという気がします。社会的発信もそうだし、公的組織やマスコミとの付き合いも含めてね。
  その意味では、協同組合の社会的ステータスを一段引き上げることを、どんなふうにやるかをじっくり考えないといけない。個々の問題では、 「環境問題で頑張っている」とか「福祉で頑張っている」 と言うけれども、トータルに見たら一商業者ということになってしまっていないだろうか。
  単協の理事長は知事に並ぶぐらい社会的ステータスがあるんだ、ということをどう固めていくかを考えないと。 そういうことをあまり気にしない傾向がありますが、これは組合員・職員にとっても大事なことで、 職員の働きがいにもつながるし、いい職員を採用することにもつながっていきます。 トップが、そんなことはあまり考えずに、「明日いくら売るか」みたいなことばかり考えているのは、ちょっとダメではないかと思いますね。
いま時間があれば、一番したいことは何ですか・・・
  何よりもまず本を読みたいですね。思想や哲学で新しい転換がきちんと見えるようなものを読んでみたいと思います。仕事以外では、音楽を聴いたり、しばらくできていないオペラとか・・・(笑)。

プロフィール

川口 清史 (かわぐち きよふみ)
1945年生まれ
立命館大学政策科学部教授、 博士 (経済学、 京都大学)

・専門分野は経済学 (経済・社会システム、 経済事情および 政策学)
・所属学会:国際第3セクター学会、 国際公共経済学会、 社会
・経済システム学会、 日本協同組合学会、 日本NPO学会ほか
・現在の役職:当研究所理事長、 学校法人立命館総長・立命 館大学長、 国際公共経済学会理事、 財団法人生協総合研究所 理事