『協う』2007年4月号 探訪くらしとコミュニティ2

 

常吉村営百貨店
コミュニティから農業へ


廣瀬 佳代
(京都生協組合員、『協う』編集委員)

 

 ログハウス風の外観とともに、以前のレポート時と、特に大きく店の様子が変わったとは感じない。今回、お話をうかがった大木満和さん (代表取締役社長)によれば、当初は売り場の照明としてあまり適さない水銀灯を使っていたけれども、今は蛍光灯を使っており、店の運営も3人から2人で担当するようにと、より現実的な選択をしているという。わずか25坪で日常、普通に生活するのには不自由はしない品揃えができている。「何でもあるから百貨店」 というキャッチコピーのとおり、それは10年前と変わりはない。

「常吉村営百貨店」 のオープンまで
  常吉村営百貨店のある京丹後市(2004年に6町合併で市制に)の大宮町は、京都府の丹後半島のほぼ真ん中にある。旧大宮町には16の集落が散在し、旧村単位に8つの農協支所があり常吉支所もそのひとつであった。農協の大型合併、支所の統廃合のなかで常吉支所も廃止されることになり、 「常吉から学校がなくなる、保育園がなくなる、支所もなくってしまう」 という状況で、 行政に頼らず住民の力で地域に「商店」を作り、地域のコミュニティの核にしていった、それが常吉村村営百貨店だ。
  とくに高齢で独居の人にとって、車を使わず、買い物に行けるというのは、とても大切なことである。「生活」 弱者は常吉に住み続けられなくなる。 また子どもたちは学校で「常吉には買物もするところもない」と言われてしまう。「村営百貨店」 が地域での生活を守り、そこに住む人たちに常吉はいいなぁ、住んでみたいなぁと言ってもらえるような地域にしたい、そういう思いが地域の力を動かしていった。
  1997年といえば大型の金融機関の破綻が相次ぎ、将来の家計負担が見えず、 家計支出が低迷した年である。 農協の支所の撤退もそういう情勢の一環であろうが、そういうなかでの設立は、 数々の困難があった。なかでも建物の持ち主である農協との交渉は、担当者の相次ぐ交代でほんとうにたいへんだったと、大木さんは振り返る。 当初は1997年4月を目指し、内外に公表していたが、 オープンにこぎつけたのは、 その年の瀬も迫った12月のことである。
  1995年度より旧大宮町の各集落で村づくり委員会が組織化され、「常吉村づくり委員会」 もそのひとつである。常吉の地域のリーダーである大木さん (衣料品店オーナー) と廣野公昭さん (スーパーマーケット社長)を中心として、「村営百貨店構想」 が提言された。 1口5万円で呼びかけて33人が350万円を出資し、 住民自身でつくるという意味で 「村営」 とした。改装費用は650万円。 300万円は農協がかつての寄付の見返りに出した。 残りの350万円は農協からの15年の借入、 月約4万円の家賃で入ることになった。こうして農協の元集荷場を改装し、農産物や生活必需品を販売する 「百貨店」だけではなく、村づくり運動の拠点としてスタートした。
  店には 「ふれあいの場」があり、買物にきた人たちはそこでお茶を飲みながら世間話に花を咲かせている。 ひとり暮らしの高齢者のお家へは、 お店からほとんど毎日、電話をしている。注文を聞いて商品を宅配するだけではなく、「元気かどうか」 と尋ね、安否を確認することを大切にしている。
  また、売り上げのうち常吉の産品の割合は約1割で、地域の高齢者たちがシイタケやお米などの農産物やこんにゃく、たくあんなどの加工品を持ち込み販売している。自分の作ったものが売れる、少量でも売ることができるというのは楽しみである。それが孫への小遣いになり、孫はそのお金で店に買い物にくる。子どもたちには、お菓子とコミック誌が人気である。

「常吉」 にしかないものを
  オープンから10年を迎える「常吉村営百貨店」の「ふれあいの場」で大木さんにお話をうかがった。 「地域のためにと、 ええ格好していました」 と謙遜気味に話し始める大木さん。 常吉地域のコミュニティづくりにと取り組んできた 「パンプキンフェスティバル」(巨大かぼちゃの品評会を中心とした収穫祭)、 お寺の本堂を舞台にした 「あじさいジャズコンサート」、小学生を対象にした 「グローバル・愛・寺子屋」 など、 地域の人々が集まって、楽しく、元気にというイベントの企画は十分にできている一方で、 地域の 「農業」 という面での取り組みが不足していた。 それは、 意外にも 「外部」 からの指摘で痛感することになる。
  「常吉村づくり委員会」 は、2000年度 「ゆたかな村づくり全国表彰事業」で三賞のひとつ、 農林漁業振興会会長賞を受賞する。その審査の際に、 農業を通した地域づくりが十分できていないこと、女性のかかわりがみえてこないという2点を指摘され、1、2位ではなく3番目になったという。審査員からの的確な指摘に、大木さんらは地域で 「農業」 をどう発展させていくのか、 考えていくことになる。丹後地方のかつての産業の中心は、 丹後ちりめん。 昭和30〜40年代はたいそうな好景気で、田圃を作るより機を織る家のほうが多く農地が減っていた。 さらに織物業の衰退で勤めに出る人のほうが多くなり、 経済的に恵まれているものの、 地域の産業、 とくに農業は衰退していった。
  農業面からの地域づくり、さらに高齢者の生きがい対策としての農業を進めるために、徳島県や岐阜県へ視察に行った。そして、取り組んだのは、「常吉」にしかない作物を作ることだった。 味の決め手は米作りに適した水という「常吉のお米」、α−リノレン酸が含まれていて 「健康食品」 として注目されているエゴマ(シソ科の1年草で実は油の原料になる)、ほかに水菜やキャベツ、 ほうれん草、しいたけなどの農産物を作り、地域でお金を循環させること。また、こんにゃくや漬物、 乾物などの加工品を高齢者が楽しみをもって作れることに力を入れている。取材に訪れたときには、たくあんが 「今年最後の樽」として店頭に置かれていた。1シーズンに1400本もの大根が漬けられ、たいへん好評だ。その日、店頭に並んだシイタケは午前中で完売。お昼頃に、「シイタケはないの?せっかく来たのに」 という人もいた。そのようにして年間で約350万円が地域で循環するまでになった。
  女性のかかわりについても、女性たちがかかわっていなかったというのではなく、 組織のなかで明確になっていなかったというのだ。 誕生祭などでの手作りパンやたこやきの販売はなくてはならないもの、 女性の力なしには始まらない。
  そもそもは買い物に来れない高齢者に便利なようにと取り組んだ 「宅配」も、買い物に来れないのは高齢者だけではなく、お勤めで忙しいという人からの需要もある。お弁当や祭事での少し豪華な食事などの取り寄せ、あるいはトイレのくみとりチケットの販売など、地域の「便利屋」として10年後の今も地域の人たちに、なくてはならないものとして存在している。
  現在、 年商は約2800万円で、そのうち15〜20%は宅配が占める。また、来店の範囲も広く、村営百貨店の商品が気に入って来店するという 「ファン」 もいる。地域のコミュニティづくりに力を入れた最初の数年間を経て、農業にも力を入れ現在に至る。農業と福祉と暮らしがその地域で実現していること、それが希望を持って住み続けられる地域社会づくりにつながっていくという大木さんたちの信念には揺るぎがない。

人に誇れる地域であるために
  出資者は現在32名。 亡くなられたり、やむを得ない事情で減少したにとどまっている。 大木さん、廣野さんともそれぞれご自身のお仕事をもってられて、 村営百貨店に関してはまだ無報酬である。「常吉村営百貨店」 は、農協の支所の廃止をきっかけにオープンすることになったが、大宮町というところは行政からのテコ入れも含めて、以前から地域のリーダー養成に力を入れていたからこそ実現できたのではないか。自分のことより地域のことを考えられる人、そういう人材は一朝一夕に育つものではない。住み続けるために地域をよくしたい、人に誇れる地域でありたいという思いを根気よく醸成していかなければならない。そこに住む人たち自身がかかわること、あたりまえのようなことだが、それが魅力ある地域づくりへとつながっていくのではないか。