『協う』2009年4月号


追悼武内哲夫先生を偲ぶ

当研究所の創設にご尽力いただき、また創設期に理事や研究委員をしていただいた武内哲夫先生が去る2008年12月お亡くなりになりました。ここに追悼の意を表し紙面をとらさせていただきました。

(社)農業開発研修センター副会長理事 滋賀県立大学名誉教授   小池 恒男

 先生は、去る08(平成20)年12月4日、C型肝炎を抑える静脈注射を打つ際にぶどう球菌の院内感染を受け、それが耐性菌化して一切の薬剤の効用が奪われ、急逝された。「あと1年は生きる」と奥様に宣言され、500枚の年賀状の準備も進めておられたとのことでもあり、ご本人にとってもまさに予期せぬ、思いもかけない急逝ということであったろうと思われる。
  先生は、1957(昭和32)年10月に大学院(三橋時雄ゼミ)から島根大学(松江市)に赴任、16年6カ月勤務された。1974(昭和49)年4月に京都工芸繊維大学に赴任、13年勤務された(教授に昇格、45歳)。1987(昭和62)年に奈良女子大学に赴任され、6年の勤務の後、1993(平成05)年3月に同大学を定年退官された。先生の業績については、定年退官の際の記念出版、武内哲夫『農協の組織と事業』(全国協同出版)に詳細に紹介されているので詳しくは同書を参考にしていただきたい。
  実は筆者は、昨年(08年10月4日)、先生からお電話をいただいた。用件は、私どもが執筆をお願いしていた近畿農協研究会の機関紙への原稿について、「やはり書かないといけませんか」、「近々の経験に欠け、困惑しています」という趣旨のことであったが、そのことについては、「是非お願いします」、「そうですか」というやりとりで簡単に済んだ。それから30分の長時間にわたってきわめて元気に、あれこれについてはつらつとお話になった。その会話の中で、手元にある古桑さんの古桑實追悼文集編集委員会『ライブラリアン古桑實の仕事―協同組合運動・古桑書誌学の探求してきたもの―』(全国協同出版、2007年7月)を差し上げますとおっしゃっていただいた。そして、10月6日に小包が届けられた。その中に10月5日付の便箋3枚にわたる手紙が同封されていて、患っているご病気についての詳細な記述、筆者の三輪昌男の今後の研究の進め方についてのアドバイスなどが書かれていて、最後に、「それにしても良く生き続けられたと思います.何が私を救っているのか、何かの恵みを思わざるを得ません.大兄、どうかご自愛の上、新しい人生を裕に生きてゆかれることを祈っています」と結ばれていた。同書をお送りいただいたのは、「協同組合にはこれだけの学問的蓄積がある.謙虚に、ひたすら学びなさい」という先生の遺言のようにも思われる。それにしては、先生と丁度一回り違いで生きている筆者にとっては、「日暮れて、道遠し」の感はまぬがれない。しかし、そこは「目標めざして努力するのが人生」と思い直して先生のゆび指しておられる方向に歩を進めていく他ないのである。
  関係者によって先生について語られている小文を読み込むほどに痛感させられるのは、容貌、お人柄、学業において先生ほど人々によってうらやましがられた存在はなかったのではないか、という思いである。このたびの私どもの2冊の記念出版、藤谷築次編著『日本農業と農政の新しい展開方向―財界農政への決別と新戦略―』、小池恒男編著『農協の存在意義と新しい展開方向―他律的改革への決別と新提言―』の先生への発送が08(平成20)年11月28日の記念式典・記念シンポジウム・記念パ−ティ―の後になったことからして、先生が、同書を手にされることはなかったものと思わざるを得ない。
  いつの日か、彼岸の先生の書架に、瞑想に耽っておられる先生に気付かれないようにそっと、私どもの2冊の書を差し込ませていただくという、そんな光景を思い描きつつ、今はただただご冥福を祈るばかりである。
(本文は、『地域農業と農協』第38巻第4号の追 悼文を縮小・修正したものである)