『協う』2009年4月号 特集1

特集 協同組合は格差社会にどう向き合うのか
  「規制緩和」「小泉構造改革」の名の下にこのまま進んでいったら、とんでもないことになるのでないか。協同組合の関係者であれば、数年前から多くの人がそういう思いを抱いていただろう。そして昨年、その思いは現実となってしまった。格差社会の弊害を憂う声は、いつのまにか世の本流となったようにも感じられる。しかしそれでは、協同組合には何ができるのだろうか?
  協同組合は、組合員の自助組織であり、慈善の運動ではないといわれる。「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」「派遣切り」などと称されて人々を組合員として迎え入れている生協はほとんどないだろう。若くて、収入が少なく、雇用が不安定な人々にとって、現状の生協は遠い存在かもしれない。
  本特集では、「非営利・協同」の運動が、これまでどのような道を歩み、それぞれの領域でいま何を期待されているのか、協同組合研究の専門家に論じていただいた。

格差社会と協同組合の歴史 ―シチズンシップと協同組合―

中川 雄一郎(明治大学政治経済学部教授)

ロバート・オウエンの協同思想
  近代協同組合の歴史は「労働と生活の質」と「地域コミュニティの質」の向上を通して公正・平等を社会的に確立していく運動の歴史である。協同組合は、初めは「生活防衛」のために組織されたが、やがて―先駆者組合がそうであるように―ロバート・オウエンの協同思想に導かれた社会改革運動として組織されたことにより前期的な商人資本や産業資本の不正や不合理を正す経済-社会的な機能を発揮する「公正・平等の擁護者」と称されるようになった。オウエンが「協同組合の精神的父」と呼ばれるのはこのためである。
  オウエンは農工間のバランスのとれた生産による「公共の利益あるいは全住民の一般的利益」を実現するために「共同の労働と消費」・「共同の財産」・「平等な権利」を指導原理とする「協同コミュニティの建設」を主張した。「共同の労働と消費」とは、人びとを競争に駆り立て、彼らの間に対立を引き起こす「個人的利益の原理」を廃し「盲目的な利潤追求」を否定する原理であり、「共同の財産」と「平等な権利」とは、少数者への富の集中・集積を排し、労働者に「公正な分け前」を保障する原理である。このような指導原理を基礎とするオウエンの協同思想を非常に大まかに説明すると次のように言える。すなわち、協同コミュニティにおいては「人間労働という自然的標準」を「価値の実際的標準」とすることで「自己の公正な分け前に対する正当な請求権」を有する労働者が生みだす「すべての富の正当かつ一定の分け前を取得すること」を「社会の最大の利益」とする制度が確立され、したがって、少数者への富の集中・集積をもたらす利己主義(個人主義)が拒否される、というものである。そしてイギリスの近代協同組合運動の形成と発展に貢献したオウエン主義者たちはオウエンのこの協同思想をその時々の経済的、社会的な状況に応じて組み立てあるいは構成し直しながら、「公正・平等を社会的に確立する」という協同組合の社会的使命(ソーシャル・ミッション)を追求してきたのである―現代の協同組合人たちもまた同様に「公正・平等を社会的に確立する」社会的使命を追求しているはずである。

アマルティア・センの指摘
  このようなオウエンの協同思想やオウエン主義者の社会的使命を一瞥するだけでも、上記のオウエンの言葉が現在でも大きな生きた意味を持っていることにわれわれは気づくであろう。「盲目的な利潤追求」は新自由主義者の為すところであった、と今では誰もが思っている。新自由主義に基づいた―「小泉構造改革」と呼ばれた―経済政策や社会政策は、結局のところ、「人びとを競争に駆り立て、彼らの間に対立を引き起こす…盲目的な利潤追求」のための政策であった、とわれわれは思い至らされるのである。例えば、「労働者派遣法」に始まった、労働者を3つのカテゴリーに分類して「エリート労働者」以外の労働者を非正規雇用化(非正社員化)させていく人事・経営政策はその典型例の一つである。このような政策の結果、「失業者の増大」と「人びとの労働と生活における経済的、社会的な格差の拡大」とをわれわれは実際に目撃しているのである。
  アマルティア・センは新自由主義者を「専ら自己の利益しか考えない合理的な愚か者」と論じて新自由主義政策を厳しく批判した。彼は、失業問題は経済-社会的問題であると同時に「ヒューマン・ガバナンス」(人間的統治)の問題でもあることを明らかにして、失業がもたらす諸問題を次のように指摘した。@意思決定の機会の喪失と社会的排除(意思決定の大半を行使できなくなることから、社会的排除の要因を生みだす)A技能・自信・自制心・認識能力の喪失B不健康状態と死亡率の上昇C動機づけの喪失(強制された怠惰)D人間関係と家族生活の喪失E人種的不平等とジェンダー的不平等F社会的価値と責任の喪失(公正・平等を軽視し、他者への依存を自ら容認してしまう)、である。そして彼は、これらの問題は「市場経済では十分に浮き彫りにされない」が故に政府主導の公共政策が必要とされること、そのためにまた「適切な職業訓練や技能養成、労働にやさしい技術の研究・開発、(ワークシェアリングのような)労働市場をフレキシビリティにする機会の創出」などが図られるべきだと強調する。

シチズンシップと協同組合
  実は、これらの問題はシチズンシップ(citizenship)の課題と密接に結びついている。シチズンシップは民族、宗教、階級、ジェンダーそれにアイデンティティの独自性によって差別されることなく、各個人が自らの生活について判断を下す能力のあることを認め、コミュニティに貢献するという「社会的包摂の意識」を生みだし、コミュニティのメンバーである各個人に自治を与えるのである。そしてこの自治は結果として一連の権利に反映される―すなわち、自治に基づいて権利が実現される―のであるが、それは、「参加の倫理」がシチズンシップの主要な特徴であることを示唆している。シチズンシップは、それ故、受動的なステータスではなくすぐれて能動的なステータスなのである。シチズンシップはまた、互恵的理念であり、社会的な助け合いの理念であるのだから、他者に対する責任から個人を解き放つ権利ではなく、責任を包含する理念である。実際、コミュニティのメンバーがコミュニティに対する責任の意識を持たないのであれば、安定した人間的なコミュニティ生活を想定することは難しい。その意味で、シチズンシップは「ヒューマン・ガバナンス」のすぐれた基礎なのである。このガバナンスはまさに、社会秩序・規律を創りだし、それを維持し、また物質的資源を分配し、文化的資源を活かしていく、という人間本来の要求に関係している。こうして見ると、シチズンシップは、協同組合がこれまで追求し、現在もなお追求している社会的使命と軌を一にしていることが分かるであろう。
  では、経済的危機が叫ばれている現在の経済-社会的状況に協同組合はどう対応すべきであろうか。第1は、イタリアやイギリスなどの協同組合がそうしているように、大きな枠組みとして、センが主張する意味での「政府主導の公共政策」を要請すること、すなわち、「さまざまな失業の負担」を考慮した「多様な目的に関係する雇用政策」を主張することである。第2は、経済-社会的な格差の拡大を防ぐ政策・対策を協同組合が提言することである。経済的危機は産業・企業間の競争という大義名分によって「社会的なエンタイトルメント」(社会保障などの受給の権利)を後退させ、容易に権利の縮小に導いてしまうからである。そして第3は、協同組合はシチズンシップを―その経済-社会的な活動を通じて―「協同に基づく自助」というアイデンティティのなかに具体化し、実質化していく政策を展開することである。協同組合のメンバーシップを享受できない人たちがいるとすれば、協同組合は、「公正・平等を社会的に確立する」使命を追求することのうちにシチズンシップを根づかせて、彼らを支援していく多様な活動手段(エイジェンシィ)を働かせることが求められるだろう。
  シチズンシップのコアは「自治・平等な権利・自発的責任・参加」である。このコアは近現代の協同組合の理念と一致する。それは、メンバーシップを得た人たちの誰もが意思決定の機会を与えられ、協同組合における権利を行使し、責任を遂行することによって個人的行為と社会的実践が相互に依存することを知り、協同組合を発展させる諸条件を再生産して協同組合にシチズンシップを根づかせてきた成果なのである。