『協う』2009年4月号 特集3

特集 協同組合は格差社会にどう向き合うのか

  「規制緩和」「小泉構造改革」の名の下にこのまま進んでいったら、とんでもないことになるのでないか。協同組合の関係者であれば、数年前から多くの人がそういう思いを抱いていただろう。そして昨年、その思いは現実となってしまった。格差社会の弊害を憂う声は、いつのまにか世の本流となったようにも感じられる。しかしそれでは、協同組合には何ができるのだろうか?
  協同組合は、組合員の自助組織であり、慈善の運動ではないといわれる。「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」「派遣切り」などと称されて人々を組合員として迎え入れている生協はほとんどないだろう。若くて、収入が少なく、雇用が不安定な人々にとって、現状の生協は遠い存在かもしれない。
  本特集では、「非営利・協同」の運動が、これまでどのような道を歩み、それぞれの領域でいま何を期待されているのか、協同組合研究の専門家に論じていただいた。

 

協同組合における従事職員の位置 ―リストラ対象のコストか、組合員のパートナーか―

堀越 芳昭(山梨学院大学 経営情報学部教授)

 

リストラで経済危機は解決できない
  2008年9月に顕在化した世界的な金融・経済危機は、新自由主義的経済システム・アメリカ的証券(金融)資本主義の帰結であり、その破綻の現れである。その危機からの脱出は、その危機をもたらした新自由主義・証券(金融)資本主義の方式によっては不可能である。新自由主義を体現した規制緩和政策や「自助自律・自己責任」路線ではこの危機を増幅しこそあれ、その解決は不可能である。新自由主義経済システム、合理化・リストラ等の経済政策・経営政策から決別し、新たな社会経済システムの構築、新たな経済政策・経営政策の展開が求められる。
  ところが、わが国のいくつかの協同組合において公然と合理化・リストラが促進されようとしており、「自助自律・自己責任」といった新自由主義的手法で今日の経済危機を解決しようとしている。協同組合における従事職員もその例外ではなく、いわばコストとしてリストラの対象になっている。そこで本稿では、人々の連帯と協同によって人々の共通のニーズ(経済的・社会的ニーズ、社会変革)を実現することを目的とする協同組合において、利用組合員に対して従事職員がいかなる位置にあり、一般企業と異なって協同組合の職員労働がどのような意義を有するかについて検討し、現代協同組合の新しい役割を明らかにしていく。なお、本稿における「従事職員」とは協同組合の被雇用者としての従業員のことであり、利用者協同組合(農協・生協等)の「利用組合員」や従事者協同組合(ワーカーズ・コープ)の「従事組合員」と区別する意味で使用している。

協同組合原則における従事職員の位置
  ICAの協同組合原則は組合員(利用組合員と従事組合員)とその組織に関する原則が基本的な内容であり、非組合員従事職員に関する独自の原則は存在しない。
  利用者組合における従事職員に関わる原則は、G.J.ホリヨークの解釈したロッチデール原則に規定されている。それによれば、14の原則のうち次の原則が示されている。
   第6:剰余は購買高に応じて組合員に与える。剰余はそれを生み出した物に分配すべしという認識にたつ。(購買高分配)
   第8:労働と交易(これらのみが資本利子を生むものである)とに公平に利益をうる機会を与えるように、出資金に対する利子を5%に固定する。(出資利子の制限)
   第9:工場では、利益の実現に寄与した人びとに、彼らの賃金に比例して利益を分配する。(労働分配)
  ここでは、剰余はそれを生み出したものに分配すること、労働にも公平に利益を与えること、工場では寄与したものに賃金に比例して分配することとした。重要なのは、「剰余はそれを生み出した物に分配すべし」という思想である。利用者組合における非組合員従事職員にも正当な利益の分配が求められているのである。
  また1966年のICA協同組合原則の第4原則(剰余金処分の原則)に、直接に従事職員に関するものではないが、次の原則がある。
  組合の運営によって剰余金または節約金が生じた場合でも、それはその組合の組合員に帰属するものであり、そして一組合員が他の者の犠牲において利することを避けるような方法で分配されなければならない。
  ここでは、他者を犠牲にした利益の獲得を強く否定している。ここの犠牲を被る他者とは、協同組合内部の組合員や職員のみならず組合外部の取引先や員外利用者や社会一般を含むとみなすことができる。こうした内外各人の犠牲の上に組合員利益を図ることは決して協同組合原則と適合するものではない。ましてや非組合員従事職員のリストラ・整理等の犠牲によって利用組合員の利益を実現するということは、協同組合原則の精神に合致するとは言えない。利用組合員もその事実を知れば、非組合員従事職員の犠牲の上に成り立つような組合員利益の実現は是認しないであろう。

協同組合における組合員と従事職員の関係
  では協同組合において従事職員はどのような位置にあるのか。協同組合の今日的発展において、組合員組織に対する事業組織の役割の大きさ、組合員に対する従事職員の役割の上昇が進展するなかで、また世界的経済危機の進行下において協同組合の従事職員もリストラ・整理の対象とされつつあるとき、協同組合の従事職員の位置を明確にすることが求められる。
  かつて協同組合の草創期においては、協同組合の専従職員は協同組合運動の組織者、組合員への奉仕者とみなされた。消費者・農業者・中小事業者・労働者といった経済的弱者の社会経済的地位を向上し、社会問題を解決するといった社会的意義を有する協同組合の運動者として位置づけられていた。
  しかし協同組合の事業体としての側面の拡充とともに、協同組合の従事職員も増大し、雇用労働者としての給与所得者とみなされるようになった。職員自身も主要な関心事は協同組合の運動者としての役割でなく、給与所得者・雇用労働者として雇用条件・労働条件に集中するようになった。使用者としての協同組合も協同組合の従事職員を雇用労働者・給与所得者とみなし、協同組合事業における労働力コストとみなすようになった。運動者としての専従職員ではなく、給与所得者としての従事職員・賃労働者とみなされるようになっている。
  今日の協同組合の職員は、果たして奉仕者・運動者なのか、それとも給与所得者・賃金労働者なのか。利用組合員への奉仕者か、利用組合員に雇用される雇用労働者か。事実はこれらのいずれでもあり、またいずれでもない、といえよう。奉仕者・運動者、雇用労働者・給与所得者、両方の側面を兼ね備えながら、しかしそれだけではない。従事職員自身も利用組合員と同様、経済的社会的文化的ニーズをもった存在であるということ、したがって、組合員と職員とは協同組合における主従関係・雇用関係にあるのではなく、よりよいパートナー(共同者)(レイドロー報告)としての協同関係にあるのである。パートナー(共同者)であることを基礎として、奉仕者・運動者であることと雇用労働・給与所得者であることとの、それぞれの特質を有する混合的存在であるということができるであろう。そうであるならば、雇用関係から単なる労働力コストとして位置づけ、経済動向によりリストラ・整理の対象とするのは誤りであり、また奉仕者・運動者として過度に自己犠牲を強いることも誤りであり、協同組合の主体者としての利用組合員と共通のニーズをもち、共に協同組合に関わるパートナー(共同者)と位置づけるべきであろう。

現代協同組合の新しい課題:雇用の維持と創出
  利用者協同組合の従事職員は、組合員のパートナー(共同者)であるという側面と奉仕者・運動者、雇用労働者・給与所得者であるという側面を合わせ持っている。したがって、協同組合における従事職員のあり方は、雇用労働者としてだけみなすことに大きな変更をもたらされなければならない。前述のとおり協同組合の従事職員はリストラの対象ではなく、利用組合員のパートナー(共同者)と位置付けるべきである。
  それは従事職員を主体者とすることであり、広い意味における「協同組合内協同組合」(レイドロー報告)の創設が求められる。それは次のような形態が想定される。
  ・利用者組合内における従事者組合の併設
  ・利用者組合外における従事者組合の併設
  ・利用者組合外における従事者組合の支援・連携
  消費者や農業者の経済的地位の向上を図る利用者協同組合は、最も重要な経済課題である雇用と所得を自ら生み出そうとする従事者協同組合に対して、直接間接の支援が求められる。農協の場合農業就業の促進が雇用対策として現実的意味を有しているが、消費者生協においては生協内外において従事者協同組合を創設して生協事業に直接関与させることや、雇用を守り創造することが必要であり、それは決して不可能なことではない。  このように今日の利用者協同組合には、経済危機下の最重要問題である雇用や格差の問題に対してリストラで対応するのではなく、新しい役割として雇用を守り創造する課題に積極的に取り組むことが求められているのである。