『協う』2009年4月号 視角


ワーカーズコープの現状と今後を考える ―「アスラン」解散から学ぶこと―


杉村 和美

 
本年1月、ワーカーズコープアスランは8年9カ月の活動に終止符を打ち、解散した。解散の理由は、出版不況による出版業界全体の縮小の影響を受けて赤字が膨らんでいたことに加え、昨年前半には常勤組合員が病気になるなどの事情が発生したことである。この背景には過重労働という現実もあった。苦渋の選択だった。
  アスランは、編集プロダクションでの倒産争議の中から立ち上げたワーカーズコープで、倒産争議を闘った労組員だけでなく、広く出版業界で働くフリーランスに呼びかけ、ともに出資をし、仕事を創り出し、協力し合って納得できる仕事をすることを目的にして活動をしてきた。この9年弱の間に、労働、健康、女性、生と死などをテーマに数多くの書籍を世に出したし、出版フリーランスの仕事もたくさん創り出してきた。また、解雇され争議中の労組員を受け入れることもやってきた。その意味では、9年弱という短い期間ではあったが、社会的な役割を果たすことができたのではないかと自負している。
  解散をめぐる議論の中では、@失業者があふれるこの時代にこそ、アスランのような仕事おこしの組織が必要、A常勤組合員の賃金やフリーランスの料金を引き下げてでも、アスランを存続させたい、という意見が多数出された。@は、アスランの「設立の目的」にも掲げており、仕事の創出が、ワーカーズコープに期待される社会的役割の一つであることに異論はない。
  Aは、この2年ほど、すでに進めてきたことだ。出版社からの受注が低料金化、短納期化する中、そうせざるを得ない現実があった。長時間労働も然りである。だが、それには限度がある。まず、「納得できる仕事を追求する(これには、『人間らしい労働』が含まれる)」という設立趣旨に反する。組織の存続のためとはいえ、働く人にこれ以上、賃金の低下や長時間労働といった犠牲を強いるのは、本末転倒ではないか。さらに、労働条件の引き下げは、たとえそれが当事者の納得の上のことであったとしても、社会的にみて労働者の権利を低めることにつながるのではないだろうか。葛藤が続いた。
  ワーカーズコープも、事業体である以上、市場と無縁なところで動いているわけではない。取引先・受注先が厳しいリストラを進めている中で、これを跳ね返し、存続していくにはどうすればよいか。採算性と効率を優先したリストラとは違う、生き残り策はあるのか。きわめて今日的なテーマが突き出されたのであった。
  結局、アスラン単独では解決の途は見出せなかったわけだが、議論の中で考えた方向性としては二つある。一つは、資本主義的市場原理に代わる相互扶助・協同を原理とする協同組合経済圏とでもいうべきものを構築すること。ワーカーズコープ間はもとより、生協や農協なども含めた協同組合の中でジョブネットワークを形成できないものか。戦後、そのような構想があったようだが(『日本型ワーカーズコープの社会史』石見尚著、緑風出版 2007年)、再度検討する時期が来ているように思う。
  二つ目は、モノやサービスを生み出す労働の過程が「人間らしい労働」になっているかどうかに目を配る、という価値観を社会に広げていくことだ。近年、「フェアトレード」の運動は社会的に認知されつつあるが、それになぞらえると、「フェアワーク」とでもいうべき運動である。いくら安くて、便利で、さらに環境に優しい製品だったとしても、それが偽装請負や過労死するほどの長時間労働を強いられてつくられたものであるならば、それははたして「よい製品」といえるだろうか。モノを選ぶ価値基準に「人間らしい労働」という付加価値を加えることによって、ワーカーズコープという働き方にも光があたるだろう。それは同時に、偽装派遣や派遣切り、過労死を生み出す企業社会のあり方を問うものにもなるはずだ。
  今年に入って、倒産が増えていると聞く。アルゼンチンでは、倒産企業をそこで働いていた労働者の手で、労働者協同組合方式で再建する運動が広まっている。日本においても、企業倒産に対するオルタナティブ・アプローチとしてワーカーズコープが有効であるといえるためには、立ち上がったワーカーズコープが持続的に存続できるようなインフラづくりが、今、緊急に求められているように思える。

(元ワーカーズコープアスラン理事長 すぎむら かずみ)