1998年8月号
特集

特別講演

豊かさをこう考える
   社会的共通資本論と協同セクターの位置

中央大学教授 宇沢 弘文

くらしと協同の研究所第6回総会記念講演には中央大学の宇沢弘文教授においでいただき、 標題の講演をお願いした。 深い理論に裏付けられた豊かな内容は経済学の範囲に留まらず、 教育、 農業に及び、 ヨーロッパ、 アメリカ、 アジアを駆け、 歴史を遡り、 未来に言及した。 平凡な言葉ながらほんものの 「教養」 に触れることのできたひとときであった。 以下に要約を紹介するが、 全内容は近く発行の予定である。

人間らしく生きるための経済体制は
100年前の1891年5月に有名な 「レールム・ノヴァルム」 という歴史的な文章が出されています。 ローマ法王がその時々の重要な社会的・経済的・宗教的・政治的問題に関して公式の考え方を文章にして、 全世界のビショップに配るものです。 レールム・ノヴァルムというのはラテン語で 「新しいこと」 という意味で、 「革命」 とも訳されます。 その副題は 「資本主義の弊害と社会主義の幻想」 でした。
それから100年、 新しいレールム・ノヴァルムを出すので、 その手伝いをしてほしいという手紙をローマ法王からいただきました。 私はそのタイトルとして 「社会主義の弊害と資本主義の幻想」 というテーマを提案させていただき、 ローマ法王は非常に喜ばれ、 1991年5月15日に新しいレールム・ノヴァルムが出されました。
そのときローマ法王は、 経済学者は資本主義と社会主義という2つの経済体制を問題にして、 そのどちらも大きな弊害・欠陥をもっていることは周知であるにもかかわらず、 常にその2つしか描いていない。 人間が人間らしく生きることができるような経済体制を考えるのが経済学者の仕事ではないのかと、 厳しい問題提起をされました。

社会的共通資本とは何か
こうした問題に関連して、 私は以前から社会的共通資本という考え方を中心にして、 新しい経済制度のあり方を模索していました。 人間が人間らしく生きるということは、 人間がその尊厳を守り、 魂の自立を守って、 市民の基本的権利を最大限に享受できるということです。 そのために重要な役割をはたすサービスや機能あるいは施設、 これらを社会の共通の財産として社会的に管理し、 すべての人々がそのフルーツ (果実) を享受できるようにしなければなりません。
社会的共通資本は3つあります。 大気、 森林などの自然資本、 それから道路、 公共交通機関、 上下水道、 電力などの社会資本といわれるもの、 それから制度資本といわれるべきもので、 学校教育制度、 医療制度、 金融制度、 司法、 行政などです。
社会的共通資本の考え方は、 初めの 「レールム・ノヴァルム」 が出されたころ、 アメリカの経済学者ソースティン・ヴェブレンが中心になって、 新しい経済学の考え方の基礎としていたものとほぼ一致します。 ヴェブレンは 「制度」 という言葉を広い意味で使っています。 法律的な制度、 社会的な慣行、 経済的な制度、 そして人々がある考え方、 ある動機、 ある思考形態をもって行動することをふくめて 「制度」 と考えています。 そういった制度のもとで人々が行動し、 さまざまな諸資源が配分され、 所得が分配され、 それが使われるという経済的な活動が規定され、 同時にそれらの活動によって 「制度」 自体も進化していきます。 こうした 「制度」 と人間の経済的行動、 経済的な資源の配分、 その帰結との間に、 どういう関係があるのかということを分析し、 「制度」 がどう進化していくかというプロセスを検討し、 どのような 「制度」 をつくれば人間が人間らしく生きていくことができるかを考察するのが経済学の主要な課題であると主張しています。 ヴェブレンの考え方は本来のリベラリズムの思想といっていいでしょう。 ヴェブレンがいう 「制度」 を具体的な形で表現したのが、 社会的共通資本であるといえます。

社会的共通資本を管理するのはコモンズ
これら社会的共通資本はいずれも中央集権的な、 官僚的な基準によって管理されてはなりません。 また、 マーケット・市場的な基準によって配分されたりするものでもありません。 原則として私有ではない、 あるいは私有制があっても私的な管理ではなく、 社会的な基準にしたがって管理されねばなりません。
さまざまな社会的共通資本の構成部門を管理していく主体は、 あくまでも職業的な専門家の集団であって、 職業的な基準・規律に基づいて管理されていくべきです。 その管理の具体的な形態として、 「コモンズ」 ということを提起しています。
コモンズというものは世界中のいたるところに歴史的あるいは伝統的な形でさまざまな分野にあります。 コモンズは必ずしも特定の組織なり、 形態をもつのではなく、 社会的共通資本としての機能を十分生かせるように、 ある特定の人々の集団が集まって協同的な作業として社会的共通資本の管理や運営をしていくものです。 それをコモンズと総称します。  たとえば、 明治時代まで村にあったため池潅漑は村長が中心になって、 村がいわばコモンズとして管理していました。 それは村が経済的に自立するための重要な施設でした。 日本のため池潅漑はスリランカの土木的な技術とコモンズとしての管理方法を弘法大師が導入したものですが、 優れた技術とコモンズとしての管理の形態をもっていました。

「三里塚農社」 の実験村
私は幸い、 最近コモンズにかかわる2つの経験をもつことができました。
1つは、 成田問題の調停というたいへん危険な作業に8年くらい取り組んできて、 一応解決をみたのですが、 農民や支援者は土地を守り、 農民としての生活をしていきたいということでしたので、 かつてのコモンズの考え方を復活させて、 三里塚農社という実験村を提案しました。 かつての村がもっていた因習的な抑圧的な部分はとりさり、 現代的な状況で若い人たちが積極的に参加できる、 そういうコモンズとしての農村をつくっていきたいと思っています。
「農社」 というのは、 50戸くらいの農家が集まって、 土地の所有はそのままに、 耕作も各農家がやります。 ただ、 農業を営む際にはさまざまな施設が必要ですし、 田植えのときには共同で作業することが必要になります。 ため池潅漑用水をたえず管理しなければなりません。 農産物を醤油、 味噌、 酒、 豆腐、 織物など、 いろんな形で加工することも必要です。 販売も、 出荷からすべてを共同してやっていかねばなりません。 そういうことをすすめる制度、 組織、 これは一種の協同組合的な制度ですが、 それをつくります。 形になるのはこれからですが、 新しい農業の形態をコモンズという視点から考えていきます。

鳥取県の 「公園都市」 構想
もう1つは、 鳥取県の 「21世紀を展望した長期計画」 の中心的な概念である 「公園都市」 にかかわるものです。 「公園都市」 にはさしあたって3つのプランがあり、 第1は 「環境大学」 です。 大学の本来の目的は、 専門にとらわれないで、 子どもの成長で最も大事な10代の終わりから20代、 学校教育の最後に人格的な形成をすることです。 人類の蓄積してきた知的、 芸術的な遺産を学び、 人間として成長し、 社会的な存在になる最後の仕上げです。 そういう大学にします。
2番目は 「農社学校」 です。 かつて中国の 「社」 にあった 「社学」 をイメージしながら、 6年制の中高一貫の全寮制の学校を考えています。 山奥につくって、 できるだけ自給自足するために農作業を中心に、 子どもたちが自由に好きなことができるようにしますが、 英語、 国語、 数学はきちっとやって、 望む大学には必ず受かるだけの基礎的な学力はつけます。
3番目が 「医療公園」 です。 社会的共通資本としての医療制度を考えるとき、 ある程度大きな規模の地域に病院村のようなものをつくります。 鳥取県のいい自然を生かして山奥につくります。 長期療養の施設というのは要するに死ぬところです。 ですからできるだけいい環境にし、 まわりに別荘をたくさんつくって、 死ぬ人と家族がしばらく一緒に生活できる、 そういうリゾート開発も兼ねたような施設です。
以上でおわかりのように、 社会的共通資本を軸にしながら、 人間が人間らしく生きていくことが可能になるような社会をつくろうというのが、 私が考えてきたことです。 重要なのは社会的共通資本をどういうふうにして管理したらいいかという点ですが、 これを担うのは基本的にはコモンズです。 世界の国々には多様なコモンズがあり、 歴史的なプロセスのなかから学ぶことも多い。 コモンズはできるだけ分権的な形に、 協同的な精神にもとづいて、 協同して管理していくことが大事だと考えています。




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