2000年2月号
書評1



痴呆性高齢者ケアーの問題点を探り、グループホームの可能性を探求する。

コープしが常務理事  荒牧和弘


この著書は、実に平易でわかりやすい表現が使われている。また具体的事例の紹介が大半であるにもかかわらず、大きく2−3の事例を深く追求し、問題点を浮き彫りにしているので、実に読みやすい。またその表現や構成もあって、読んだ後の印象も鮮烈であった。それが最初の感想である。
この著者は現役のNHKのディレクターである。著者は自らの番組のための取材をもとに、痴呆性高齢者ケアーの実情とグループホームの生き生きした事例を紹介し、その視点から、現行医療制度の問題点を指摘し、今後の痴呆性高齢者ケアーにおける、グループホームの有効性と可能性を示唆している。グループホームとは「収容所のような無機的な病院に閉じこめたくない」「痴呆性老人Aとして扱われるのでなく、最期まで自分らしく、個性を尊重されて生きたい」という、本人や家族の思いから、今、全国的に広まっている「痴呆ケア施設」のことである。医療ではほとんど治療の方法が見つからない「痴呆症」は治療よりもむしろ介護が必要とされる。ケアする側よりケアされる側の論理でケアされなければならない。そのことで痴呆性高齢者は見違えるように、元気になっていく、と著者の論が進んでいく。
印象的な話があった。痴呆性高齢者には家族どころか、彼の両親が死んでいることすら理解ができない人がいる。グループホームに居て、たまに家で二日もすると「お友達(グループホーム)のところに帰りたい」と言うのだそうだ。その人にとってみれば、家よりもグループホームが自分の住む場所となっているようである。人は、痴呆症になった時から、今までのしがらみのない新たな人生を歩むことになる。その際、人格のない「モノ」として扱われるか、最期まで「人間」として扱われるかは大きく異なる。
高齢者問題は、自分たちの問題である。痴呆性高齢者は全国で100万人を越すといわれている。わたしたちは、日本における福祉と医療の実態を認識する必要がある。もし自分の家族が、また自分が「痴呆症」になったときのことを考えたらぞっとする現状がある。実際、病院を3ヶ月ごとにたらい回しされたり、人前でおむつを替えられたり、症状を弱めるために人間の機能全体を弱める薬を使われたりしているのである。著者は最後の章で「福祉と医療はどう協力できるか」というテーマで今後のあり方について持論を展開している。これは一つの視点であるが、高齢者介護、福祉問題の議論の糸口となるのではないか。そういう意味でも一読をお薦めしたい。

痴呆性高齢者ケア−グループホームで立ち直る人々
小宮英美著 中公新書





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