2000年2月号
エッセイ

逃れられないこと

京都橘女子学園生活協同組合
専務理事 大塚 正文


泣く子も眠る丑三つ時、「ぎゃーぎゃ〜」という泣き声で起こされる。母親はとうに諦めてダウンしている。くそ〜おれも疲れているのにっと思いつつ、1歳半の娘を抱き上げて台所へ降りる。1人目の時は振り回したら寝た。2人目は案外おとなしかった。しかしこいつだけは手強い。お茶を飲んで寝室に戻るとたいがい寝るはずなのだ。ところが今日はベッドに降ろすとまた「ぎゃ〜ぎゃ〜」と泣き出す。背中をさすってもダメ。振り回してもダメ。「ええかげんにせい。お父ちゃんは明日も忙しいんや。はよ寝てくれよ〜」と言ってもダメ。ふと首の後ろを掻いてやった。するところんと寝てしまった。痒かっただけであった。
夜中に起こされたら誰でも腹が立つ。訳が分からずにとにかく大泣きする悪魔のような娘と感じてしまう。当然扱いも荒くなって余計に寝てくれなくなるという悪循環。ところが泣いている理由がわかり対処方法が判明したとたん、すやすや眠る我が娘の顔を見ながら感情が180度転換してしまう。さっきまでの惨劇は忘れて「なんやそうやったんか。おとうちゃん、たちゅけて〜やったんか」と頬ずりしてしまう。こちらの気持ちの持ちかた次第で、悪魔が天使になるのである。逃れようのない子育てというものに対して、降ってきた災難として何とかやり過ごそうとするのか、根本的な問題点を見つけてそれを解決しようとするのかでおのずと結果が違ってくるということであろう。
以前、先生にパソコン一式を購入いただき配達の手続きを行った。ところが指定の日に届かず先生は1日を無駄に過ごしてしまわれた。日曜日であったため生協のお店もお休みで、どこにも問い合わせできなかったためである。それで翌朝一番に苦情のお電話を頂いていると、その最中に品物が届いた。良かった〜と思いきや、先生の「こんな事になるのだったら、生協では注文しない方がいいわよと授業で言ってやろうと思ったわよ。」という言葉が耳に残った。購買部の店長も兼任している私は、パソコンのセットアップもしなければならなかったので、配達の不手際の報告とお詫びもかねて、その日の内に物流の責任者を連れて神戸のご自宅にお伺いすることにした。お叱りを受けることを覚悟していたのだが、逆にこんな遠いところまでわざわざということで、手料理で歓待されるわ、お酒も頂くわで、すっかりいい気分で帰途につくことに。この時の配送問題については仕組み上の不備があるので改善をしないといけないのは当然として、それよりも先生の望みや不満を全て迅速に解決出来たことに感謝され、その事に大きな喜びを感じた。
組合員の困っていることを解決し要望を実現することは、生協で働く職員である以上、子育てと同様に逃れられないことである。その解決を降ってわいた大変な仕事と捉えるのか、そのこと自身が自分の最大の仕事だと捉えるのかで楽しさも変わってくる。小さな生協では組合員は家族のようなものである。子育てと仕事の両方にどっぷりとつかりながら、つくづくよく似ているなあと感じてペンを取った次第である。その後、先生は授業で「パソコン買うなら生協よ」と宣伝して頂いているそうである。家族がまた一人増えていく喜びを感じている。



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