2001年6月号
書評2


原 点

名和 洋人
京都大学大学院経済学研究科修士課程


『生協への提言---難局にどう立ち向かうか---』

野村秀和編著 桜井書店 2000円



近年、 日本における生協運動は巨大な壁に阻まれ、 進むべき進路を見失っている。 今日に至っては、 この見解に異論を差し挟む向きは少ないであろう。 しかし、 この切迫した現状をどのように打開すべきかについて、 生協運動に携わる人々の間で一定のコンセンサスが得られるのは一体いつになるのであろうか。 日本福祉大学大学院では、 この打開策を見出すため、 編者を中心とする研究討議が、 今日の生協運動の最前線で活躍している方々の参加も得て一年間にわたって積み重ねられた。 本書はこの取り組みが結実したものであると同時に、 コンセンサスに至る道を見出すのに不可欠の論考を収めた提言の書となっている。

なお、 私は生協とのかかわりが少ないために、 生協運動についての理解が甚だ浅い。 そのため、 今回の書評はとても荷が重いのであるが、 勇み足を承知で評させていただく。

第一に言及しなければならない点は、 本書が、 生協運動をとりまく問題の深刻さを具体的に抽出した上で、 経営者支配とその官僚的運営に対する批判を行いつつ、 組合員主権をいかに実質化するかについて多くのページを割いていることだ。 第二に、 田中秀樹氏の研究成果を批判的に検討しつつ、 現代生協理論について興味深い考察が展開されていることを挙げたい。 この点については詳述する必要があろう。 ここで論者は、 田中氏の 「消費者」 を出発点とした議論が、 マルクスの 「生産する個人」 を出発点とする議論と大きく乖離している点をまず批判している。 また、 マルクスの立場からは生産諸関係の物象化が必然とされ、 そこからの脱却にはその変革が不可避とされるのに対し、 田中氏がこの必然性を理解せず、 「協同」 するという個人の行為や意識のありようを変えることで物象化からまぬかれうると考えている点を批判し、 両者の決定的な相違を明らかにしている。 そして、 マルクスがこの物象化を矛盾をはらみつつも社会の一定の進歩であると評価しているのに対し、 田中氏は物象化を否定的なものとしてのみ捉えているという点に疑問を呈している。 さらに、 資本のシステムが有機的な総体としてのシステムである以上、 協同組合運動などの部分的規制には、 一定の限界が伴うことも指摘している。 第三に、 現代のような供給過剰時代に生協危機が顕在化した理由を、 供給不足時代に出発した生協が流通市場での構造変化を無視した経営を続けたことに求め、 生協が自らのニッチ事業としての原点を踏まえることの大切さを強く訴えている最終章の記述も見逃せない。

このように、 本書は生協運動に関わる人にとって見逃せない論考を簡潔にまとめている。 価値ある一冊といってよいであろう。


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