『協う』2002年8月号 視角

日韓共催ワールドカップを終えて
〜日韓両国民が経験したもの〜
黒田 勇

 今回のW杯は、 大会前から、 この共催は日韓の 「競催」 だとか、 「分催」 だとか言われてきた。 確かに、 私たちの事前調査でも、 日本との競争意識のもとで、 国を挙げてのイベントにしようとした韓国と、 メディアが引っ張ったサッカーイベントという少し冷めた日本、 という対比ができた。 大会の前半はこうした事前の予想があたっていた。
 日本では、 大会前半、 日本代表の活躍によって盛り上がった。 テレビの視聴率でも、 ロシア戦の視聴率は66%と東京オリンピックの女子バレー、 日本対ソ連戦の中継に迫った。 実は当時のメディア状況を考えると、 今回の方がはるかに多くの人が見たと思われる。
 さらに、 他国のチームへのすこし異常とも思われる応援。 とりわけ、 イングランドへの応援は、 ベッカムも不思議がったという。 イングランドの旗を顔にペイントしたり、 イングランドのユニフォームを着た人でスタジアムはあふれ、 イングランドはまるでホームゲームを戦ったようだった。
  「ブランド」 好きの日本人ならではという解釈もあるが、 それに加えて、 イギリスという国名ではなく、 今や英国の一地域をさす 「イングランド」 という呼び方の目新しさと、 あのユニオンジャックとは異なる 「セントジョージ」 の旗が、 ますますブランドイメージを高めていったようだ。 つまり大量に記号が消費される社会で、 斬新でしゃれた記号としてイングランドは日本に上陸し、 メディアに煽られて消費された。 その中心的シンボルがベッカムだった。
もちろん日本には、 「サッカーフリーク」 と呼ばれる世界の一流サッカーを楽しんできた熱心なファンが相当数いる。 その周りに多くの日本代表サポーターが取り巻くが、 その周りに、 さらに多くの新たなサッカーファンが増えたのも今大会の特徴だ。
 日本敗退後も大会の熱気はさめず、 準決勝、 決勝とも高い視聴率で、 今までサッカーに見向きもしなかった中高年の人々が、 「カーンはどうだ。 ロナウドはどうだ」 「トルシエの采配ミスでは」 などと議論していたのも新しい風景だった。
 一方の共催国・韓国は、 まったく予想外の展開に世界中が驚いた。
 韓国は開幕前から 「決勝トーナメント進出が危ないかも」 という不安もあった。 そして、 開催決定時から、 韓国を世界に伝える絶好の機会であり、 海外のお客様を親切に迎えるイベントとの位置づけが一般的だった。 大会前半、 確かにちょっと 「よそ行きの国家的イベント」 になりつつあった。 また、 チケットが高額のため、 空席も目立っていた。 しかし、 韓国チームの大躍進で、 W杯はいろいろな問題点を吹き飛ばして、 一気に韓国人自身のお祭りとなっていった。 韓国全土で500万もの人たちが街頭に出て応援したという。 こうした熱気に 「熱くなりやすい韓国人気質」 とか 「韓国ナショナリズムの高揚」 などと解説したメディアもあったが、 私の感想は少し違う。
 確かに 「テーハミングック」 と 「大韓民国」 の名を叫んではいたが、 国家とか民族を振りかざして動員されたものではなく、 多くの人たちにとっては自発的に集まった 「楽しいお祭り」 だった。 そして、 その中心は若い女性たちだった。 彼女たちは、 ヒディンク監督に指導された代表選手たちに自分たちの将来像をかさね、 パートナーとしての新しい韓国男性を見たという指摘もある。
  「みんなと一緒に応援することがとても楽しかった」 と言う韓国の若い女性。 「家族そろって盛り上がり、 韓国が勝った瞬間、 夫婦で抱き合って喜んだ。 こんなに楽しかったことはなかった」 と言う日本の大学に勤める韓国人教授。
 韓国代表チームの活躍で、 韓国人みんなで楽しい祭りができた、 そう感じている。 決して排他的ではなく、 日本の応援を感謝しつつ、 世界のイベントの中で主人公を演じられた 「晴れがましさ」 だった。
 さて、 日韓の相互理解という点から何が残ったのか。 大会自体は 「分催」 的ではあっても、 共催決定から6年、 日韓両国の交流は、 経済的にも文化的にも飛躍的に増大した。 例えば食文化の相互浸透は驚くほどだ。 日本人観光客も飛躍的に増えた。 その結果、 お互いの人や文化を知る人も飛躍的に多くなっている。 この6年 「共催を成功させよう」 というタテマエが、 次第に人々の 「ホンネ」 も引っ張り、 人々は確かに近くなっている。 今大会が日韓相互理解の再スタートでもある。

くろだ いさむ
 関西大学社会学部