『協う』2005年4月号 人モノ地域

京都から、 若い人たちに問いかける 「平和」
戦争がなければ 「平和」 なの?


「協う」 編集委員 中本 智子


 新学期と同時に京都は修学旅行のシーズンとなる。 地図を片手にバスを待つ4, 5人のグループも、 大型バスで市内を行く一団も、 それぞれの京都を探しにやってくる。 二条城、 嵐山、 清水寺・・・だれもが知っている有名な観光地が市内にはたくさんある。 そんな洛北の静かな住宅街の一角にある、 立命館大学国際平和ミュージアム (以下、 平和ミュージアム)。 今ここを訪ねる学校が増えているそうだ。 歴史の都京都で、 彼らはなにを見、 感じるのだろう?
世界最初の大学立平和博物館
 この日も、 開館と同時に修学旅行の生徒たちが平和ミュージアムを訪れていた。 壁面一面に手塚治虫の 「火の鳥」 のレリーフがある一階のロビーで見学の説明を受けた後、 それぞれがノートを片手に地階の展示室に向かう。 地階へ降りる階段には、 戦没学生の手記 「きけわだつみのこえ」 を元に製作された、 ブロンズ 「わだつみ像」 が立ち、 子どもらを見つめている。 そのまなざしは、 若くして散った若者に代わって、 人間の尊厳と国際平和実現の願いを、 訪れるものに静かに語りかけているようだ。
「戦争」 を感じる展示に
 平和ミュージアムは、 国際的視野で平和を考え、 平和を創造するための博物館として、 1992年、 ここ京都・衣笠の地に創設された。 そして13年の時を経て今年4月に、 展示内容が一新され、 リニューアル開館となった。
 館内の構成は地階の展示場 「平和をみつめて」 がテーマ1. 2とされ、 続いて二階の 「平和をもとめて」 がテーマ3となっている。 さらに学習を深めるために設けられた一階の 「国際平和メディア資料室」 には約三万冊の平和関連の蔵書があり、 来館者がいつでも利用できるようになっている。
 地階の展示はミュージアムが様々な方面から集めた、 戦争の事実を語る声なき語り部たちが展示の中心になっている。 実際の召集令状や出征兵士を送るのぼり旗、 戦時中の生活を物語る品物などは京都市民の人々からの寄贈が多い。 ここ京都では、 長年にわたり、 毎年夏に市民の手によって 「戦争展」 が開催されているが、 そこに関わってきた人々の思いもここに込められている。 戦争体験をされた地元の方がボランティアで解説もしてくださっている。 孫に戦争体験を話すおばあちゃん…というほのぼのとした光景も見られた。
 今回のリニューアルでは、 「戦争」 を日本の 『十五年戦争』 と 『現代の戦争』 の二つの大きなテーマに分け、 範囲を広げて1894年日清戦争から2003年イラク戦争までとし、 近代以降100年余の日本と戦争のかかわりを総覧できるようになったのも新たな試みだ。 中でもいま現在、 世界各地で起こっている戦争については、 戦闘のみならず、 多くの差別や人権侵害などの現状を紹介している。
興味をおぼえる
「きっかけ展示」
 ここ数年多くなった小・中学生の見学者の視点にたった 「きっかけ展示」 は展示物に興味をつなげる工夫として、 独創的で面白い。 例えばこうだ。 テーマ1の、 戦時中の国民のくらしを紹介した 「国民精神総動員運動」 ―物資不足によって節約から配給へと生活が切り詰められ、 「代用品」 という今の子どもには聞きなれない言葉が出てくる。 ここのきっかけ展示は花が生けられたかわいい小さな陶器製のビンだ。 横にこんな質問が添えられている。 [これは花瓶でしょうか?] ……しかし恐ろしいことに、 これは鉄不足の中で代用品として作られた陶器製の手榴弾なのだ。 アイロンも陶器製になった、 と説明は続く。 なぜ?と疑問がわく。 そこで別のパネルに目をやる。 京都の街角に集められた梵鐘の山。 鉄製品の供出だ。 これから溶かされ殺戮の武器となるのを待っているのは、 朝な夕なに聞きなれたお寺の鐘たちなのだ。 こうして生活のすべてが戦争の色になっていくのが実感される。
 兵隊が実際に担いでいた背のうの重さと同じ30キロのリュックも置いてあり、 その重さに、 思わず悲鳴をあげる大人もいる。
 テーマ2で取り上げられる現代の戦争では、 より強力な殺戮兵器やその被害の説明に慄然とさせられる。 地雷、 枯葉剤、 化学兵器…見上げるパネルには、 戦争の犠牲になり、 自ら義足のボタンをはめてみせるあどけない子どもの写真。 すぐ横には、 スモーキーマウンテンと呼ばれるごみの山でお金になるごみを拾う少女がいる。 この子たちにこれからどんな未来が待っているのか…大人が引き起こす戦争や貧困がいつも弱いものを犠牲にするのだということを目の前に突きつけられる。 そしてこれを見て、 見学に来た子どもたちは彼らと同じ視線に立って、 こう思うだろう。 「戦争ってなに?」 「戦争がなければ平和なの?」 「平和ってなに?」 …
人間らしく生きることが
「平和」
 ここで、 平和ミュージアムの館長安斎育郎さんの言葉を引用させていただく。
  「… 『人間らしく生きる』 ことはだれもが願うことです。 しかし、 私たちの世界にはそれを妨げる多くの原因があります。 戦争は生きる可能性をもっとも荒々しく奪う行為です。 …戦争の歴史に学び、 非暴力の社会を作る努力はもちろんのことですが、 戦争以外にも貧困、 人権抑圧、 教育や医療の遅れなど、 人間性の開発を妨げているさまざまな要因を克服するために私たち自身になにができるかを考えるために、 このミュージアムを活用していただきたい…」
みて・かんじて・かんがえて・その一歩をふみだそう
このミュージアムが目指すものはまさにそれなのだ。 ここではただ戦争の被害のみを見せるのではなく、 人間が犯した罪の被害と加害の両面を知ることにも重点を置いている。 そして 「戦争」 − 「平和」 の構図だけでなく、 「人間らしく生きる」 権利を阻害するものすべてをあえて 「暴力」 ととらえることで、 「平和」 とはさまざまな暴力に打ち勝ち、 それを克服することなのだということに気づかせてくれる。
京都で学ぶ 「平和」 の意味
 二階の展示室では、 平和をもとめる人々による市民運動の紹介や、 さまざまな暴力に抵抗する図が、 イラストや写真でわかりやすく説明されている。 バナナを買うことで生産者の自立を支援するフィリピンと日本の民衆交易や、 獄中にいる‘良心の囚人’へ励ましの手紙を送るアムネスティの活動などは、 身近なことで 「平和」 へかかわることの大切さを私たちに示してくれている。 ここに来れば人間の英知と未来への希望を感じることができるはずだ。
 隣の部屋には長野県上田市にある戦没画学生の慰霊美術館 「無言館」 の京都館 「いのちの画室アトリエ」 がある。 暗い部屋に浮かぶデッサンや出征前の自画像は、 学業半ばで絵筆を捨てた学生の無念の心を代弁しているようだ。
 同時代に生きた京都在住の作家、 岡部伊都子さんの 「思い出の文箱」 にも兄や思慕をよせた人を戦争で亡くした少女のやるせない思いが込められている。
 ミュージアムのすぐ北には金閣寺。 少し西に行くと枯山水の庭で名高い竜安寺。 生徒たちはもう次の見学地へ移動したようだ。 京都には先人たちが残した世界に誇れる歴史遺産が多くあり、 千年の都は今も営々と歴史を刻んでいる。 歴史は人間がつくってきた。 そしてこれからもつくっていく。 壮大な人間の歴史を学ぶ京都で、 これからの歴史をつくっていく若い人たちが、 つい何十年か前に 「戦争」 と言う愚かなことをした同じ人間のことをどう思ったのか。 ミュージアムを訪ねたことで、 かばんの中には 「八つ橋」 のほかに、 もうひとつお土産ができたと思う。
恒久平和の願いを込めた 「火の鳥」
「ムッチャン平和像」 をみつめる中学生たち
じっくりと 「平和をみつめて」