『協う』2005年6月号 視角


平和教育を問い直す
−いきなり 「地球人」 でいいのか?
本庄 豊


 2005年4月、 日本の歴史教科書問題などに端を発した中国の数千人から数万人規模の反日デモは、 インターネットなどの活用もあり、 瞬く間に中国主要都市に拡大した。 また島根県の同年3月末の 「竹島 (韓国名 「独島トクト」) の日」 制定条例に抗議する集会が韓国各地で開かれ、 盧武鉉韓国大統領自ら抗議談話を発表するほどであった。
 新学期早々、 日本各地の心ある社会科教師たちは、 授業で歴史教科書問題や領土問題をとりあげ、 生徒たちにこの問題の本質を考えさせる授業を行っている。 歴史認識問題は、 日本にとっては緊急の解決を求められた平和問題であるにもかかわらず、 これまで平和教育の一環としてとりあげる視点は一部実践を除いては弱かったのではないか。
 平和問題を歴史的に考えていこうとする視点の欠如は、 「もう一つの教科書問題」 である。 A 社の中学校公民教科書では 「地球ビンゴをしよう」 という特設ページを設け、 イラストの中学生に 「ハワイに行った人知っているよ」 「友だちがビートルズの曲を聞いてた」 「ハンバーガーも外国生まれ」 「外国映画の主人公がかっこようかった」 などと言わせている。 また本文では 「21世紀においては、 わたしたち一人ひとりが地球の一員であるという意識をもって、 地球的課題の解決に努力しようとする、 『地球市民』 としての資質が求められています」 と書かれている。
 B 社の中学校公民教科書では、 「いま人類は、 よく 『宇宙船地球号』 の乗組員にたとえられます。 それは世界中の人々が運命を共有する存在になったこと、 お互いに助け合い、 依存しあうことなしには生きられなくなったことを示しています」 とある。
 こうした中学校公民教科書の 「宇宙船地球号」 「地球市民」 という言葉を含む文章を読んだ生徒たちは、 グローバル化した世界では人々がいきなり 「地球人」 になれるかのように思い込んで、 「一人ひとりが自覚しなければ平和は守れない」 といった感想を書く。 けれどもそれぞれの国や民族、 地域に固有の歴史があり、 その歴史の上に現代の社会が成り立っているという基本的な認識の欠如がある。
 ここ数年、 平和教育の資料として教育界を席巻した 「100人の地球村」 についても同様である。 「現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、 全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。 その村には、 57人のアジア人、 21人のヨーロッパ人、 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます」 ではじまり、 非常に単純化されたかたちで世界の環境や差別、 平和問題について提示した。 「100人の地球村」 を読んだ中学生は、 日本における過労死の問題、 リストラが家庭を崩壊させていることや、 青少年犯罪の増加や、 アジア諸国に対して日本がどのような戦争責任を負っているかなどについて思いを馳せることなく、 「日本はめぐまれている」 「私たちはとてもぜいたくを言ってわがままばかり」 と道徳的な感想を書いた。 「100人の地球村」 は、 子どもたちの目を南北問題にむけさせるきっかけをつくったが、 物事を単純化しすぎてしまい、 複雑な歴史問題や国際問題から、 人々の目をそらせてしまったのではないか (拙著 『ここから始める平和学』 つむぎ出版、 2004年8月、 参照)。
 日本では、 グローバル経済をめざす 「構造改革」 により貧富の差が拡大し、 若い世代のなかで偏狭な国家主義が台頭している。 「目下の日本の現実は、 強大な彼ら (政財官界−筆者) に立ち向かうよりは迎合し、 蓄積した不満は自分以上に弱い立場の人々に向けることで精神的なバランスを取ろうとする圧倒的多数の人々を生み出してしまったのではあるまいか」 (斉藤貴男) という指摘はあたっているだろう。 中国や韓国の反日デモが強烈な愛国主義的色彩を帯びていることに懸念を抱く、 日本の人々も少なくない。
 EU は二度の世界大戦や冷戦がヨーロッパを主たるエリアとしていたことの深刻な反省から生まれた。 それは歴史の重視であり、 ヨーロッパをひとつの地域共同体としてまとめ上げようとする壮大な歴史的実験でもある。 国家主義を地域共同体内の連帯によって克服しようとする EU に対して、 東アジアでは日韓、 日中の歴史認識問題が障害となり連帯の動きは一歩も進まない。 これからの平和教育は、 共通の歴史認識をもとにした東アジア共同体を構想しつつすすめることが大切なポイントとなるのではないか。
  
ほんじょう ゆたか
 京都歴史教育者協議会事務局長