『協う』2005年12月号 特集

利用者の願いと協同組合の葬祭事業
「葬儀」に関する心とお金のソリューション


 宗教観、死生観、墓、ジェンダー、形見分けと相続、葬儀費用の準備と互助会・保険等、公共の斎場・墓、地域社会の変化、家族の変化、ペットの葬儀や墓などなど…、葬儀の周辺には幅広く奥深い課題の数々があるが、この特集では、故人や遺族の想いを反映した葬儀の可能性と、価格の納得性・透明性に絞ってとりあげるように心がけた。


この特集は、以下の8名のチームで企画・取材・執筆を行ったものです。
「協う」葬祭特集チーム(50音順)
井上英之、岩根泉、烏野純子、中本智子、
林輝泰、平野裕子、廣瀬佳代、安田則子

変化する葬儀観と
「願い」の前に立ち塞がる2つの壁
 人間は必ず死ぬということや、「死」が自分や自分の身近に時を問わず現実におこる可能性があるということはあたりまえの話として受け入れられるだろう。しかし、私たちは、自分や自分の身近な人の「死」やその「お別れの仕方」について、具体的に考えているのだろうか。
 最近では、マスコミ報道される著名人の葬儀の影響などともいわれているが、「お別れの会」、家族葬、音楽葬、無宗教葬、生前葬、香典や供物の辞退、など伝統的な形式にとらわれない葬儀への希望が増えているといわれている。
 コープこうべでは、2003年お葬式@アラカルト「クレリ緊急アンケート」(インターネット上のアンケート)で、「共感できるお葬式のタイプ」を聞いたところ、家族葬型51%、無宗教型10%、改良型22%、伝統型15%であった。2001年11月にコープ委員を対象にしたアンケート「お葬式意識調査」では、伝統型52%、家族葬型18%であり、2003年のアンケートの対象者がインターネットで年齢層が若いことを差し引いても大きな変化があると見ている。(http://www.cleri-net.or.jp/)
 また、2002年東京都生活文化局調査でも高年齢層では「葬儀は宗教的なもの」という意識に対して、若年層は「お別れをするための習慣的なもの」と考えている人が多く、今後伝統型が減少することが予測される。
 しかし、葬儀の実態はどうなのだろうか。
 身近な人の葬儀を行った人からは、「考えるゆとりもなく『規格通り』の葬式をしたが、故人の思いはどうだったのか、これでよかったのか」という葬儀のカタチに対する心残りの声をよく聞く。また、「葬儀社や親戚などのいわれるままに施行したが高額になった。どこまでが必要なものなのかがわからず納得しがたい出費であった」という費用に関する不本意の声も聞こえる。
 葬儀は「その人の生きた証」「人生の総仕上げ」などといわれながらも、故人や家族の気持ちと現実の間には、式のあり方と費用という2つの壁があるようだ。
 このような「心残り」や「納得感の薄さ」は、身近な人の死に動揺している最中に、故人の意志を知ることもないまま、普段は考えたこともないことがらを「即決」していかなければならないというあたりに原因があるように思われる。
 葬儀業者を選定する際の時間的余裕の有無について、余裕があった4.2%、なかった95.8%、故人が亡くなってからの依頼前の他の業者との比較の有無については、比較した4.4%、しなかった95.6%と短時間のうちに葬祭業者を決めている実態がうかがえる。
(2005年公正取引委員会「葬儀サービスの取引実態に関する調査報告」)
 この特集では「故人や遺族の思いを反映した葬儀の可能性」と「価格の透明性・納得性の実現」について、またそれらにおける協同組合の位置について、ミニルポルタージュとインタビューで考えてみたい。


葬儀の変遷
 日本の死亡者数は2004年には約103万人であるが、右肩上がりに増えつづけ、2038年にはピークを迎えて170万人になると推計されており、葬儀数そのものは増えつづけると想定される(2005年公正取引委員会「葬儀サービスの取引実態に関する調査報告」)。しかし、同調査の事業者アンケートによると、個人葬の会葬者数については「減少した」68%、一件当たりの平均売上高についても「減少した」56%と、小規模な葬儀が増える傾向になっている。近隣関係の希薄さや高齢化により老後生活が長引くことによる交際範囲の減少、さらに景気動向も影響しての変化であり、今後もその傾向は続くと思われる。
 どこで施行するかという点でも、2002年東京都生活文化局調査によると、斎場で施行した人は1995年の前回調査11%に対して今回42%と大きく変化している。「近所に迷惑をかけたくない」「手間がかからない」という面で斎場が重宝されており、近年市中における斎場の増加が目立っている。
 葬儀申込みの際、「葬式はしたくない」と言う遺族が増えているという。しかし、詳しく意向を聞くと「伝統的な(あるいは大掛かりな)葬式はせずに家族だけで送りたい」というものであって、質素にではあるが、家族や身近な人々でお別れの儀式は行うのが多いようだ。ただ、少数ではあるが、「病院から火葬場へ直行」というような、葬式を全く行わないという要望もあるという(実際には死亡後24時間は火葬することはできないため「無理な要望」となる)。「葬儀観」や「死生観」そのものが大きく変わりつつあるのが感じられる


価格の透明性・納得性と 協同組合の葬祭事業
 葬儀体験者は、「予定より派手になってしまった」「費用の追加支払いが多くなった」「おまかせするしかない状態で、葬儀社や町内会の習慣でいいなりだったが、落ち着いて考えると無駄な費用がかかった」(2002年東京都生活文化局調査)といった感想をもつことが少なからずあるようだ。
 葬儀社への支払いを「高かった」と感じている人が22%おり、その平均額は212万3千円となっている。平均的な葬儀社への支払い額は176万9千円だ。しかし葬儀費用の上にその他の費用(飲食、寺院関係、香典返し等)が加わるため、負担額の平均は300万円を超える。また、費用の決め方による金額の平均では、「その他」を除くと「総額で決めた」人が最も低く、「一切を葬儀社にまかせた」人が最も高くなっている。(2002年東京都生活文化局調査)
 かつて、葬儀は「不明瞭な価格」の代表選手とも言える存在だった。1986年、コープこうべの組合員たちは、「古く閉ざされた業界の業者が発想した『おまかせ』の葬祭でない、生活者の発想による葬祭」を求めて、通常総代会で葬祭の事業化着手を決議した。コープこうべのクレリ葬は1989年にスタートしたが、「@業者の発想から生活者の発想へAモノからコトへBサービスの標準化」という基本コンセプトは当時「葬儀革命」といわれたほどの発想の転換だった。実際に事業開始までの期間、一部の葬儀業者からはすさまじい抵抗があったという(2002年奥田昭則『虹をみた−コープこうべ「再生21」と流通戦争−』毎日新聞社)。
 11年前に「斡旋」という形で事業を開始した京都生協でも「セット内容の価格を明示したことが大きな波紋を投げかけた」と葬祭事業担当者は当時を振り返る。「価格を明示する」という消費者にとってあたりまえの願いが、閉鎖された業界を変える起爆剤になったという点で、協同組合の果たした役割は大きいといえよう。
 また、葬儀に関する不安は価格だけではない。生協ではその「不安」を取り除くことについてのとりくみが組合員相談員や生協職員による相談、学習会の開催、生前登録などの形となってすすめられている。
「メメント・モリ(死を想え)」
 実際の葬儀では「必ずといってよいほど途中で親族等外部からの意見が挿まれる。完全に故人の遺志通りに行えるのは1割程度ではないか」と京都生協葬祭事業担当者はいう。とくに施行者が「嫁」など「弱い」立場の場合はなおさらだという。故人の遺志はあっても周りとの板ばさみで実行できなければ、残された家族は故人の希望を叶えてあげられなかったという思いにさいなまれることになる。
 故人の遺志を反映したいと考える人が70%、遺族の気の済むようにしたい11%とを合わせると8割になるが、実際には故人の遺志によって費用を決定したのは10%であり、33%が親族の意見、20%が葬儀社等の助言によって決定しており、現実には外部からの意見等に従う人が過半数を占めている。(2002年東京都生活文化局調査)
 それでは、故人の遺志を通すにはどうすればよいのか。「『生前登録』があるとずいぶん違う」と葬祭事業担当者は言う。いわば、「故人の遺志」の証拠になる。また「エンディングノート」という方法もある。葬儀についてだけでなく残された家族に伝えたいことがらを綴っておく「死の準備ノート」である。
 エンディングノートを書くということは、残された家族が困らないための思いやりともいえるが、実はこの作業は、自分自身の「死を想う」ということにほかならない。よりよき「人生の総仕上げ」、後悔のない「お別れ」を行うには、くらしの折々に「死を想う」ことが重要だといえるようだ。
エンディングノートは、内容も価格も多種多様。コーナーを設置する書店も。

ミニルポルタージュ
 歴史を重ねる中で改善に取り組む京都生協、昨年、事業として立ち上げたばかりのおおさかパルコープ、ふたつの生協の葬祭事業を生協組合員が取材した。
京都生協葬祭事業「クオレ」の場合
組合員の願いに応えて
 京都生協「クオレ案内センター」を訪ね、葬祭事業チーフの西寺達美さんにお話を聞いた。
 案内センターのある建物の1Fはコープうめづ店である。食品などの日常的なお買物をする店舗の2階に葬祭案内センターがあることが意外で、かえって新鮮に感じられた。
 案内センターには、相談コーナーのほか、様々な仏壇や供養の品々が展示され、個性的な「葬」のニーズが多様に存在することをあらめて認識させられる。
 京都生協では、当初は斡旋という形で先駆けの生協の流れを追ってスタートし、組合員のニーズを研究して準備していったが、葬儀費用に対する不安、価格に対する疑問の声が多数あったという。そのため、利用者が価格を事後に知るのではなく、オーダー時点で基本費用や追加するものも単品価格まで提示するということから始めたということだ。その当時、価格表示は総額というのがほとんどで、細かい表示は業界ではあまりなされていなかったという。今でこそわかりやすい料金設定や表示というのが当たり前だが、このような変化をつくってきたことからも、生協が関わってきた事の意味をあらためて実感できた。
 しかし、組合員からは新たな要望の声が上がってきたそうだ。それは「生協の事業なのに生協職員の姿が見えない…」「不安解消を生協でフォローして欲しい…」。お金のことだけでなく葬儀の前から後々まで、多くの人にとっては不なれなことがらが多く、不安や疑問は限りない。そのため2004年に「斡旋」から「提携」と言う形態に移行して職員が関ることで組合員の要望に応えた。現在では4名の専従職員が相談窓口となり(今春より5名に増員)、時には担当した職員を指名してお礼に来られたりすることもあるなど、職員が関わることで組合員に頼りにされているそうだ。
 組合員の不安解消のためのとりくみのひとつに葬祭学習会がある。出前学習会など組合員が自主的に開催する小規模な学習会もふくめて旺盛に取り組まれており、2005年度は9ヶ月間で450名の組合員が参加した。事前に学習した人はいざという時、落ち着いて対応できるそうだ。
 また、2004年度からは同時に生前登録制「クオレの会」をスタートさせている。「その時」を不安、不信の中で終わらせてしまうことのないように、事前に費用や形式など、どのように取り扱って欲しいのかを「クオレの会」に登録しておくのだ(無料)。5年ごとの更新で意向を確認し登録は継続されていくシステムになっている。残された者達が迷うことなく、送られる者にとっては第三者に託すことで意志にそってすすめられる。そこにあるのが安心してまかせられる「身近な生協さん」ということなのだ。現在の登録者は2500名(2005年末)で、さらに広がりつつあるという。
 ただ、職員にとってやりがいのある仕事とはいえ、葬祭事業担当者には仕事の性質上、他の生協職員にはない悩みがあるし、業務の課題も尽きない。そこで毎年、全国の約10生協の担当者が集まり自主交流会を持っていると聞いた。自主的に研鑚、激励しあっているというのもいかにも生協らしいと感じられた。
「クオレ案内センター」は生協店舗の2階にあるおおさかパルコープ葬祭事業「ぱるむ」の場合
組合員相談員の奮闘
 2005年10月、おおさかパルコープの葬祭事業「ぱるむ」がスタートした。葬祭事業担当職員の藤原義正さんによると、これまで、お葬式は業者任せの意識があり、まして費用についてあまり詳細を知る機会もなかったが、今日、組合員自身が葬儀を出す年齢や立場になり、自分自身の葬儀についても希望や関心が高まってきた。そのニーズに応えての事業開始である。「支え合う、ぬくもり」をモットーに、地域で信頼のおける葬祭専門業者6社と提携。生協ならではの検討を重ね、料金を明確にすることで、これまでの3ヶ月間で12件の葬儀を受けてきた。
 「ぱるむ」の特徴は、組合員の目線で親身になってアドバイスをしてくれる「ぱるむ案内センター」の二人の相談員がいることだ。
 川西信子さんと武藤初美さんは、生協での豊富な活動経験を活かして相談員になったが、2人にとって、生協が葬儀を取り扱う意味は何か、自分たちに求められている事をどのように事業に活かせるのか、日々奮闘の連続だった。葬祭事業開始のお知らせ活動を中心に、店舗での説明会、座談会の開催、職員や組合員の地域での学習会、フェアーなどでのアピールは組合員の要望を知る機会でもあった。
 学習会参加の組合員からは、「とても参考になった、料金のシミュレーションが分かりやすくよかった」「亡くなった後の手続きがたくさんあり驚いた」「親切なシステムができ安心した。死ぬにもお金が必要だと思った」などの感想が寄せられている。
 二人は電話での説明とともに、直接の相談にも
対応しておられ、ときには2時間を超えることも
あるとか。本当に心強い組合員の味方だ。
 生協らしさと言えば、葬儀当日は忙しく食事の時間も取りにくい女性のために、おにぎりを小型にして食べやすいようにのりを巻く、あるいは子ども用には生協のミートボールを料理に使うなど、通夜や法要料理についても組合員のアイデアが活かされている。実にお見事です。
 お葬式は亡くなった人への思いやりと気配り、取り仕切る側の心構えが重要だ。自分の葬儀に希望があれば、しっかり計画を立てそのプランを文字にして家族に伝えておくことが大切だとか。とはいえ、生協と組合員の信頼関係が第一条件であることにかわりはない。二人は、「失敗は許されない」を念頭に、組合員が後悔しない葬儀をするために「もっと私たちを利用して欲しい」としめくくられた。
 こうしたとりくみによって、葬儀はもはやお仕着せや不明瞭価格のものではなく、みんなが話し合え、納得できるものになってきつつあると感じた。
相談員の武藤さん(左手前)と川西さん(左奥)
マイエンディングセレモニー
T.Nさん(50歳代女性)
 自分の死や葬儀のことを漠然と考えはじめたのは、6年前にドナーカードを手にした時でした。この時に始めて「自分の死」というものが、良くも悪くも他の人を巻き込むものだと知ったのです。こういう場合にこうして欲しいという意思表示ができるということを知ったことは私にとって大きな意味がありました。それは、ひとつは死んでいく自分の尊厳を自分自身が守るという権利行使の意味で大切なことであるということ。そしてもうひとつは、自分の意思を明らかにしておくことは、残された身近な人に対しての思いやりでもあるという意味です。一緒に長い年月を過ごしてきた相手でも、彼が(彼女が)どんな死を迎えたいと思っているかわかりません。それで考えました。じゃ、自分の葬儀についてはどうなのかと…。
 私のように、この世で誇るべき地位にも名誉にも縁がなく、宗教心も持たずに過ごしてきたものにとって、果たしてフツーの葬儀をする意味があるでしょうか?今まで会ったこともないお坊さんにお経を上げてもらう必要があるでしょうか?立派なホールに沢山の人に集まって欲しいと願っているでしょうか?そう考えてみると答えはNOです。できれば形式にこだわらず、自分らしいお別れにしたい。その方が自然なように思います。
 いまや葬儀社も無宗教の葬儀を取り入れたり、できるだけ簡素に合理的に葬儀を考える傾向にあるようです。でも「規格品」で故人の生前の人柄を偲び、最後のお別れをするのにふさわしい場作りができるのかということを、立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。自分自身も残された人も納得できる「マイ・エンディング・セレモニー」決めるのは、私自身だと思います。

インタビュー
 葬儀にはさまざまなカタチがあり、現実の葬儀はたくさんの願いも多くの問題も孕んでいる。実際に身近で葬儀を体験した方々にお話を聞いた。
「お葬式」ではなく「お別れの会」をした理由<Iさん(60歳代男性)>
 Iさんは3年前に奥様をご病気で亡くされました。15年間の闘病の末でした。
 お二人はIさんがまだ大学院生のときに結婚されました。結婚式は会費制で「人前結婚式」で行いました。多くの友人たちに祝福されてスタートした結婚生活を病魔が襲ったのは、お子さんがまだ小学4年生の時。それは困難な治療を必要とする血管の病気でした。大きな手術を2回も乗り越えながらの闘病生活は想像以上に過酷だったことでしょう。中でも奥様にとって辛かったのは「彼女のお友達に対しても極力面会を制限する必要があったということです」とIさんは振り返ります。
 回復すると信じていたみんなの期待を裏切って奥様に最後の時が訪れた時に、Iさんはこう思われたそうです。「多くの友人たちの前で結婚した僕たちだから、お別れもお友達に送られるかたちにしよう」…と。連絡を取った葬祭業者にそんな希望を相談したところ、今までそんな形でやったことがない…という返事。そこで、Iさんご自身が実行委員長となって、「お別れの会」とすることにしました。
 場所はお住まいになっている京都郊外の団地集会所。簡素な祭壇に奥様の好きだったお花があふれんばかりに飾られました。ゆっくりとお別れをして欲しいと、棺も開けた形にして…。普通は葬儀社でされる司会もなく、かわりにIさんが闘病中の奥様のご様子を詳しくお話されました。隣の部屋では奥様へのお別れの手紙を皆さんに書いてもらいました。会場に流したBGMは、奥様が好きだった宗次郎のオカリナの音色でした。(手紙は、後日、遺骨と一緒に埋葬されたそうです)
 祭壇の中央で微笑まれている奥様の遺影は、少しお元気だった頃、大好きなキリシマツツジをバックに撮られた思い出の一枚だそうです。「これが、闘病中の一番美しい妻の表情でした」。
 「妻のお別れの会だから、僕の仕事関係の人にはできるだけご遠慮してもらったんです。ただ、遠くにいる親戚のことも考えて、本葬は東京で形として行いました。これは仕方なかったですね。団地の奥様たちには大変好評でしたよ。私たちもこんなのが
いいって!」。
無宗教葬に参列して<Mさん(40歳代女性)>
 亡くなったのは友人の夫(30代後半)で、アウトドア中に消息が途絶えて1日後、警察より死亡を知らされたそうです。家族は、妻(30代前半)と小学生の子ども2人でした。
 お通夜、告別式とも無宗教でとり行われました。お通夜は、お経のない時間に訪問したのと同じような形で特に違和感はありませんでした。ご遺体が安置され、お花、線香が供えられていました。そのときに「お葬式は故人の死を悼んでくれる人が集まっておくる」と聞きました。
 葬儀社の会館には、受付があり、祭壇もあり、弔問の人も訪れていて、普通のお葬式という感じでした。そして、司会も葬儀社の人がされていました。
 式は、故人の友人4〜5人が故人との思い出を語り、その後、小学生の子ども2人がお父さんとの思い出を語り、最後に妻が参列してくれた人にお礼の言葉を述べました。その後は、焼香をして、お棺に花を入れてお見送りをしました。全体に温かい雰囲気でした。
 自由葬といっても、参列の人は喪服を着て、数珠も持っていました。火葬後、自宅に祭壇を作り四十九日まで火を絶やさないようにし、四十九日には親しい友人が集まって、持ち寄りの料理で食事会をしたそうです。
 「無宗教のお葬式」にしたのは、故人が日ごろから「信仰している宗教があるわけではないからお経はいらない」と言っていたからだそうです。無宗教のお葬式と聞いて、わたしは、どんなのだろう、「初七日」等はどうするのだろうと思いました。
 葬儀では、温かい雰囲気でお見送りできたと感じる一方で、なんとも言えない微妙な感じがしました。それは、あるはずのお経がないからなのか、お坊さんがいないからなのか、単に慣れないからだけなのか、理由はよくわかりませんが、人の死というものを「宗教」に委ねずに受容することの難しさだったかもしれません。
「意志」を文章で残した父の思い<Mさん(40歳代女性)>
 父は14年前に約半年の闘病後、亡くなりました。自身の葬儀について便箋に「無宗教で、市営葬儀を使い、家族だけで行うこと。骨は公営の墓苑に納めること。後に親しい人が集まるということであれば、それはしてもらってもかまわない」という内容を詳細に書き遺していました。
 臨終後、兄が市営葬儀の事務所へ行き、手続きをしました。棺、祭壇が届き、その日は自宅に戻った父と、母、兄、わたしの家族3人と過ごし、翌日、自宅より出棺し火葬しました。家族以外にごく親しい親戚だけが立会いました。
 父が無宗教にこだわったのは、日ごろ、信仰をもっていなかったので、葬儀のときだけ宗教に頼るというのは「筋」が通らないという考えからだったと思います。また、「お葬式」という儀式に対して、親族の疲労感など不合理を感じていたようでした。
 自身の葬儀について、便箋に書き遺したのは、とても仲の良かった父の兄(伯父)が亡くなったときの経験からのようです。伯父も生前には父に「葬式はいらない」と話していたのですが、その旨を書き遺したものがなかったため、親族の判断で通常の葬儀が行なわれました。伯父の遺志が親族には伝わらなかったのを見て、意志を通すためには形に遺すことが必要と感じたのだと思います。
 母方の親族には旧い商家も多く、通常の葬儀を行なわないことについては、ずいぶんと理解に苦しまれたようでした。批判するというよりは、「こんなことでいいの」と悲しむように言われたことがかえって辛く感じたのを記憶しています。
 父は学者で、日ごろから自身の信念を頑固なまでに貫く姿勢をもっていたのと、そして自分の意志を形に遺したことで、母も毅然と「故人の意志ですから」と対応することができたのだと思います。
 わたしも、無宗教で、遺骨は父と同じ墓苑に納め、できれば一部は散骨してほしいと思っているので、形に遺しておくこともそろそろ考えたいと思っています。
「長男の嫁」が「伝統的な」葬儀で感じたこと<Hさん(40歳代女性)>
 ふだんは、長男だとか長女だとか、兄弟姉妹での序列など全く意識せず暮しています。でも一旦、「○○家の葬儀」となると、途端に「イエ意識」が最優先されます。
 数年前、夫の母が亡くなりました。夫には妹が2人いますが、お焼香の順番は、「夫、わたし、子」とまず長男一家、そしてその次に「長女の夫、長女、子」、「次女の夫、次女、子」でした。亡くなった者の実の娘(長女、次女)たちよりも、わたし(長男の嫁)が先になるだけではなく、彼女たちの夫の後にお焼香をするというのは、とても奇妙に感じました。
 お通夜から始まってお葬式を取り仕切るのは男性、女性は食事やお酒のお世話といった裏方の仕事。食事もまずは男性が食べて、そのあと女性たちも慌てて食べるという感じです。そして女性は「気配りができて気のつく」ことを求められます。あまり会ったことのない親族の男性にえらそうに振る舞われるのは、なんとも気分の悪いものでした。最近は、葬儀会館を利用することが多く、食事も外注化されるようになって、女性たちの負担が軽減するようになったのは、とてもいいことだと思っています。
 また、故人にご飯を供えるのは、長男の嫁がするべき役割らしくて、わざわざ台所に呼ばれて、ご飯をよそってお供えしました。別にお供えするくらいなんともないのですが、そういうことを繰り返ししているうちに「食事のお世話はあなた(女)の役割」ということを、刻み込まれているような気にもなりました。実の娘がいても、彼女たちはお供えすることができませんでした。そして葬儀が終わって火葬場へ行くとき、長男の嫁であるわたしは、「ご霊膳」という膳をもって、草履ではなくわらじを履いて随行するという役割でした。
 ひとつひとつのことは、「儀式、習慣」として気にとめないで、やっていけばいいことかもしれませんが、葬儀は一事が万事、「男が主、女が従」ですすめられていき、「ジェンダー」の視点などそもそも入り込みようがないと思いました。