『協う』2006年2月号 書評1

徳永 進 著
『老いるもよし −臨床のなかの出会い−

(岩波書店、2005年3月、1800円+税)

評:冨長 泰行
愛媛医療生活協同組合 専務理事

 著者は1974年京都大学を卒業後、郷里の鳥取赤十字病院で23年間の勤務医をつとめ、5年前から「野の花診療所」を開業して、往診やホスピスケアにとりくむ。
 総合病院での多忙な勤務の時から、患者の生活背景や生き様に目を配り、ある時は結核で在宅療養をするオバアを近郊の農村地帯に訪問し、ある時は肝癌で死亡したオジイの村の葬儀に谷の奥にまで参列した。腎不全で食欲のないオジイに魚市場からドギを買ってきて食べさせる話しなど、心温まる記録を残し続けてきた(『臨床に吹く風』新興医学出版社、1986年)。
 本書は、鳥取日赤退職前の5〜6年と開業後の時期に、臨床で出会った老人を主人公に書き綴った近著である。取り上げられたいくつかのケースを紹介するだけで、臓器を診るだけでなく、老人たちの人生に向かい合う彼の姿勢が見えて、読者に安らぎを与えてくれる。
 「ミツばあさん(80歳)は、『先生、わしねえ、戦争中嫁に行ったですよ。嫁ぎ先には男の人がおらず、海軍に。姑さんと二人一生懸命働きました。1年半たって戦死の通知。わし、今でいうバツイチです。今日は何でこんな話したんでしょうな。すみません、勝手に話して』と語って帰っていく…ぼくは一礼する」という、この話しだけでも医師と患者の距離感がわかる。
 また「在宅で診ている千代乃さん(94歳)、老衰。下顎呼吸に変わった。家族みんなが集まった。ここは心おおらかにその死を迎え入れてあげたい、と思った。『この世を終え、このおだやかな春の日に、別の世へ旅立たれようとしています』とぼくの口がつい、言ってしまった。一瞬の間のあと、家族はホッとした顔になった」や「少し前までは、心臓死をもって『死』とした。最近、心臓が動いていても脳死であれば『死』という考え方が広がった。ぼくなんかは、患者さんが亡くなっても、ある程度の時間なら、家族の到着された時間を『死』とさせてもらう」や「病院で患者さんを診るのは、動物園で囲いの中で動物を見るのに似ている。それに対して家で診るのは、自然の中で野生の動物に出会うのに似ている」という。
 患者の人生をトータルに受け止め、そこから学ぼうとする著者の姿勢は、学生時代にハンセン病療養所をたずねた活動が原点であると思われる(『隔離』ゆみる出版、1982年)。「家」と「故郷」から強制隔離され人権を虐げられた元患者のつぶやきが、著者の医師としての優しさをつくりあげたのであろう。
※文中の『臨床に吹く風』、『隔離』は、00年、01年岩波現代文庫にて出版。