『協う』2006年2月号 書評2

宇都宮 直子 著
『「死」を子どもに教える −答えのない授業−

(中公新書ラクレ、2005年10月、720円+税)

宮川 加奈子
京都大学大学院  経済学研究科修士課程

 「人間を殺してみたかった」と殺人を犯した少年。「死んで人生をやり直したい」と自殺を思う少女。「人は死んでも生き返る」と答える子ども達。そこには「際立った命の軽視」が見られる。著者は終末期医療など「命」をテーマに作品を発表しているノンフィクション作家であるが、子どもをもっと「死」と真剣に向き合わせ、「死」について考える機会を与える必用があると指摘し、本書ではデス・エデュケーション(死への準備教育)の役割を強調している。
 デス・エデュケーションという言葉を聞いて、抵抗のある人は少なくないだろう。欧米ではすでに広く浸透しているが、日本には、死を不吉、タブーとし、秘匿しようとする文化がある。また学校において、そして家庭においても、教育の関心は「進学」に強く向けられており、「死を教える」という事を想像し難いという現実がある。
 そのような教育の現場において、独自のプログラムでデス・エデュケーションを実践している教師がいる。愛知県岡崎市の中学教師、天野氏である。本書では主に天野氏の授業の様子が取り上げられており、授業を通して生徒達の死生観がどのように変わったかがありありと紹介されている。その内容は、性教育に始まり、妊娠、出産、がん治療の最前線、エイズ患者との共生、ホスピスの現場など様々であるが、ビデオや漫画等の生徒達が理解しやすい教材を用い、また実際の乳がん患者など、ゲスト・ティーチャーを積極的に招聘している。生徒達は時に困惑し、時に涙しながら「死ぬこと」「生きること」を真摯に考え、意見を交換する。そして授業は「答え」を出さずに終わるのである。
 なぜ答えを出さないのか。それは、デス・エデュケーションは単なる知識の伝達ではなく、教師の価値観を押し付けるのでなく、あくまで「共に考える」のが基本だからある。そこにおいて、教育者の質が問われるのは言うまでも無い。深い知識と人間性が求められ、そして生徒達の感情に対する十分なケアがなされなければならない。ゆえに日本において死の教育が一般化するのには時間がかかると思われる。しかし、デス・エデュケーションという、「死」を積極的に、真正面から捉え、そこから「生」のあり方を見つめる教育というものがある事を知り、生きる意味を考える、または考えさせる契機とするには、興味深く、読みやすい一冊である。本書においては、デス・エデュケーションの対象は学校教育であるが、もともと家族の中でなされるべき教育とも思われる。是非とも教育関係者、親である方々に読んでいただきたい。