私が6月14日の子どもピースサミット98 意見発表会で述べたことものせています。

*平和な世界を願って*

 私は、2年生の夏休みに埼玉県の草加市から転校してきました。広島に来るまで原爆のことも、日本が始めた戦争のことも何も知りませんでした。
 
 浜田市にいる私の祖母は広島で生まれ広島で育ち女学校に通っていたとき被爆しました。そのことも広島に来るまで何も知りませんでした。2年生の夏休みに家族で原爆資料館に行き気持ちが悪くなり、言葉が出ないほどショックを受けました。こんなひどいことが本当にあったなんて信じられませんでした。そして祖母から被爆体験を聞いたのです。校舎の下敷きになり、足に何針もぬうけがをしました。血もたくさん出ました。友達の何人かはなくなりました。夏の暑い時期なのに血がうすまるから水を飲むのをがまんしなくてはならず、とてもつらかったと話してくれました。祖母の祖母は、いまだに行方がわからないままだということも初めて知りました。自分の身近な人にも広島の原爆で亡くなった人や苦しめられている人がかなりいることもわかりました。

 翠町小学校では平和学習というのがありました。平和公園へ出かけたり、被爆した方の話を聞いたりしました。また、学校の図書館で原爆のことを書いた本を借りて読んだりまわりのひととはなしあったり、原爆新聞を作ったりしました。

 最初はどうしてこんなにつらいことをわざわざ勉強しなければならないのかわかりませんでした。いやなことはすぐ忘れて楽しいことばかり考えた方がいいのにどうして広島の人は原爆にこだわるんだろうかと不思議でした。

 4年生の時、わが家は、インターネットワールドエキスポ96’のモニターに選ばれ、世界中の人と自由にネットワークで話が出来るようになりました。私は、東京と札幌のお友達と電子メールで話をしました。どちらのお友達も原爆のことを教えて下さいと言ってきました。私は一生懸命自分が出来る範囲で説明しました。リトルボーイのことピカドンのこと、放射能による白血病のこと、ケロイドのこと。そして広島の人がおそろしい原爆を忘れないために原爆ドームを残し、平和公園を作ったこと。このメールのやりとりで私は広島の原爆のおそろしさをまだ知らない人に伝えることはとても大切なことだと思いました。

 またインターネットで平和をうったえている学校や人々がいることも知りました。同じ広島市の長束小学校のお友達はホームページで世界中の人に折り鶴を折ってもらうように呼びかけていました。私と同じ小学生が平和について自分たちで出来ることを考え一生懸命がんばっているのを見てとても感動しました。

 インターネットをしていて世界には本当にびっくりするくらい色々な考えを持つ人、色々な活動をしている人がいることがわかりました。インターネットの世界では年れいや地位は関係なく、みんな平等で自由に意見が言えます。学校やまわりではすこしでも人と違ったかっこうや行動をしたら変な目で見られたりすることがありますが、インターネットの中では、人のまねをしても意味がありません。人とは違った意見や表現をすることがいいのです。自分と違うものを認めることが出来るほど楽しくなってきます。
これはとても大切なことだと思います。
 
 私は、平和学習や4年生の時のこんな体験から平和について少しわかってきました。

 一つめは、広島と長崎の人は世界の中でゆいいつ核ばくだんがどんなにおそろしいかを身を持って知っている人たちだと言うことです。だからまだ本当のおそろしさを知らない人に話してわかってもらわなければいけないのだ、戦争のない平和な世界がどれほどすばらしいかを世界中の人に教えていかなければならないのだと思いました。気持ち悪いから、悲惨だからと言って逃げていてはいけないのです。それが広島にすんでいる私たちの役目なのです。

 二つめは、子どもの私たちにもできることは平和を心から願うということです。平和を願う人が増えれば増えるほど世界は平和になると思います。戦争が起きるのは自分たちの国が他の国よりよくなればいいという自分勝手な考えからです。どちらの国もよくなるようにしっかり話し合って分かり合うことが大切だと思います。自分と違う考えを認める気持ちを持てば戦争は起きないと思います。やさしい気持ちを持つことが大事で、子どもの私たちにも出来ることです。

 私たちは戦争を絶対しない大人になりたいと思います。そして平和の大切さ、戦争のおそろしさを、今度は自分たちの子どもや孫に伝えることも忘れてはいけないと思います。私は将来、人を助ける仕事をしたいと思っています。

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