「9573物語」

改修直後のJA9573   それは、ゴールデンウィーク中の天気の良いのんびりした午後。
突然、カーラジオが「バスジャック発生」を告げた。
「下松の検問をバスが突破した。」
「バスを追っていた福岡局ヘリは、燃料がないので着陸する」との連絡。
2000年5月4日15時半、本社デスクから出動要請。
ほどなく若手カメラマンと女性記者を乗せて山口に向かって離陸。山口局にむけて映像電波を出そうとするが、送信側、受信側とも慣れていないこともあって上手く行かない。
バスはもう岩国あたりまでに来ていた。このままでは間に合わない。
なれない山口より、多少遠くても、勝手が分かる広島で勝負したほうが間違いが少ないと判断、アンテナを広島西に向けた。
16時55分、バスの映像がやっと受信出来始め、17時からは報道特番が始まった。
本社と打ち合わせをしようとするが、あわてているので無線がうまく通じ無い。
携帯電話で「連絡がうまくできないのでしゃべり続けるよう」に言うわれる。
しかしこのあと、飲まず食わずで8時間近くもしゃべり続けることになろうとは、この女性記者は勿論、誰も夢にも思っていなかった。

思えば、広島に来て以来、予想外の出来事の連続だった。
私の名前は9573、苗字はJA。1982年フランス生まれの双発ヘリだ。生まれた時は、ただのAS355だったが、日本でAS355F1に成長した。最初の仕事はFテレビの2番機。
世界中に兄弟がいて同じような仕事をしている。
その仕事が終わった後は、のんびり遊覧飛行か物流の仕事に回される予定だったが、広島の放送局が、全国的にもまだ珍しい高性能の耐震カメラを装備ことになり、私に白羽の矢が立った。
全ての装備をつけて広島の到着、修祓式というお披露目の儀式を終えて、これから各部の点検調整を始め用という矢先、市内の高層アパートの大火が発生、送信アンテナの方向調整もしないままの離陸。
手動での送信にもかかわらず安定した生中継の映像が全国に放送された。デビュー戦での初打席ホームランだった。

見かけ上は、ただ淡々と走るだけのバスを、レポートし続けるのはつらい。場所が移動する以外、何も変わらないのだ。
そこで彼女は、一計を案じた。
「そうだ、母にしゃべるつもりでやろう」
これが、全国で好評を得、「レポートの見本」とまで言われた。
 途中何度も給油のために着陸し、他の乗員は食事したのだが、彼女は「機上でトイレに行きたくなったら困る」事を心配し、何も口にしなかった。

夕方、バスは奥屋PAに止まっていた。
事件発生直後から、バスが何処まで行くかわからないので、交替のヘリが必要だ。大阪局ヘリはすぐに八尾飛行場を飛び立ち、夕闇せまる直前にやっと現場に到着した。
こちらの燃料も残り少ないので、すぐに交替した。大阪局ヘリは、NEC850という高感度カメラを装備。
「北海道の有珠山噴火」にも応援に行ったという自慢のカメラ付だ。
これから暗くなるというグッドタイミングで、バトンタッチだ。
しかし、このカメラはあくまでのテストしての装備で、メ−カーへの支払いもまだという代物だった。
ところが、夜でも明るく映る映像は大きな反響をよび、NECはこのカメラの支払いはもちろん、この中継をずっと見つづけていた広島県警からも、のちに大口の発注を受ける事になるのだった。

当然、他社の系列ヘリも応援に駆けつけるが、NHK以外は応援ヘリの無線周波数が合わず、結局引き上げる羽目になる。
我が系列は阪神大震災以後、各社の共同負担でブロック内のすべての局に対応する無線機を用意していが、これができていない他系列のヘリは、VTR取材はするものの、生中継ができない為、ほとんど大阪に引き返してしまったのだ。
朝日航洋機を使用しているA放送ヘリも引き返してしまったため、これをサポートする予定だった広島運行所は、普段は商売敵の阪急航空機である大阪局ヘリを、かわりにサポートすることができるようになってしまった。
この日、広島西飛行場は、新聞各社ヘリなどで駐機場があふれ、広島に事務所がなく申請のおくれた大阪局ヘリは、A放送ヘリが引き返えさなかったら、駐機する場所すらなかったのだ。

これまでにも運に恵まれた話はいくつかある。修祓式の約一月後、米子局にヘリを披露に行っての帰り、県境を越えて広島県内に入って間もなく「中国化薬の爆発事故」との連絡。私がいないので別のヘリの手配を始めているという。
しかし、このまま直行すれば、充分間に合いそうだ。実は山陰を離陸する前にパイロットは「燃料を減らして軽くして、広島に帰ったほうが早く帰れる」とも言ったが、カメラマンが、「万一別の取材が入ると困る」というので満タンにしておいたのだ。結局この日は、深夜までエンジンを止めずに給油し、全国生中継をこなした。

また、1999年6月末の集中豪雨の時は、100時間の耐空検査と重なり、2日間飛べなくなっていた。しかし予想以上に雨足が強くなったので、万一に備え、徹夜で整備してもらった。
不安が的中、佐伯区で土石流が発生、SNG車が現場に向かうも、渋滞で現場につけない。夕闇が迫っていたが、突然、雲が晴れ、夕方の全国中継にかろうじて間に合い、責任を果たせた。

しかし,福岡空港でのガルーダ航空事故の時は残念だった。今まで一度も行ったことない隠岐島に、国境問題で揺れる
竹島関連の取材で行っていたのだ。事故を知ったときは既に手遅れで間に合わなかった。いつもうまく行くとは限らない。

あたりが漆黒の闇に包まれる頃、バスは小谷SAに移動していた。東京局の映像クルーが、高感度カメラと超望遠レンズを持って広島空港から現場に駆けつけた。
しかし、SNG車はまだ奥屋PAに足止めを食らっていた。空撮映像は大阪局ヘリにまかせ、私は小型中継車に繋いだ東京局の映像をヘリスターで中継、犯人の刃物のアップも全国に送った。

ところで、このバスジャック中継ルートは一度経験があった。1999年暮れ、オウム真理教の上祐幹部が、吉島刑務所から広島空港に向かったのとほとんど同じルートであった。
この地域は、中学駅伝で毎年ヘリ中継しており、野呂、白木どちらでも受信できる好都合な場所で、広島、大阪の2機のヘリを同時に飛ばせる最高の場所であった。
上祐幹部出所は早朝で、各社とも日の出前の離陸許可は出なかった。
ところが前日夕方、懐かしい派手な色のFテレビS76の姿を広島の上空に目撃した。東京からわざわざ飛んできたのだ。調べてみると福岡に行ったらしい。急遽、私も福岡に行く事にする。
広島からの早朝離陸は駄目でも、国際空港の福岡は深夜の離陸は可能なのだ。最初からわかっていた事だが、「そこまでやるか」と思いとどまっていたのだ。相手は常に自分より上にいた大型機だが、地元で負ける訳には行かない。
闘争心がメラメラと燃え上がってきた。結局、福岡から離陸したヘリは2機だけ、他社は日の出を待って広島から離陸。放送時間の枠の長さではFテレビには負けたものの、追っかけバイクの中継映像も織り込んだ私の映像のほうが一歩優っていた。長年のうっぷんが一挙に晴れた瞬間であった。

時計の針が回って午前1時半、彼女記者は、やっと男性記者と交代した。彼女は脱水症状に近い状態にまでなっていた。
ところで、この時の給油にもドラマがあった。
平日なら、事務員や他のヘリ要員がいるはずのヘリポートだが、あいにくこの日は休日、しかも所員の結婚式で、所員全員結婚式場出席。今飛んでいるパイロットと整備士以外、誰もいない。
このままでは、給油ができない。
 映像デスクの機転で、東京ヘリポートから結婚式場に連絡、当日夕方までには広島運行所全員のサービス体制が整った。全員一ヶ所にいたお陰で返って充分な体制がとれた。

結局、事件が解決するまで、一度も映像が寸断することなく連続中継することになったのだが、夜間にヘリを飛ばすのには、問題があった。通常、ヘリが飛べるのは、夜明けから、21時まで。深夜は、特別な許可が必要だった。

ただ、この日は県警のヘリも飛んでいるので、マスコミだけ許可しない訳にはいかなかったらしく、我が系列とNHKは飛び続けた。
ところが、他の3社には、「深夜の飛行の自粛」の申し入れがあったという。
NHKのことはわからないが、私に「自粛要請」がなかったのはなぜか。
話は、半年前に遡る。
99年秋、広島は台風18号に襲われ、高潮の為、広島西飛行場は滑走路が半分海水に浸かってしまった。
この時、県警と消防ヘリはすぐに飛行したが、マスコミ許可が下りたのは2時間後であった。
「県警ヘリと報道ヘリの差別をやめるよう、県知事に申し入れすべきだ」と各社に呼びかけたが、結局合意に至らず、単独での申し入れとなった経緯があった。
このことが、広島西飛行場長の脳裏をかすめたのではないか、と私は思っている。
深夜の飛行を自粛した3社が、再び飛行したのは、事件が解決した日の出の後であった。

いつ解決するか分からない不安な時間が続いた。
あるデスクは「もうヘリを下ろしたほうがよいのでは」と言い始めた。
しかし私は、何故か、このまま長引くような気はしなかった。
フタッフの疲労がピークに達した夜明け前、なにかが動き始めた。
おかしい、犯人も一番気の緩む明け方、警官隊が突入。急転直下、事件は解決した。解決瞬間の決定的瞬間の映像の名誉はMBS機の取られたが、全体的には不満の無い仕事だった。
NHKヘリの映像はなぜか暗くて、会長から2度も電話で叱られたそうだ。
耐震カメラを積んでいなかった他社ヘリもフル装備となった。バスジャックは広島の航空取材体制をいっきに塗りかえてしまった。大きな流れの中で、私も中型のMD902に広島の守備を交替。
長年一緒だったベテランパイロットと新潟で第三の人生を送る事になった。さぞかし新潟では美味しいお酒が飲めることだろう。
事件で活躍するより、活躍するべき事件やどないほうがよっぽどいいのだから。

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